第40.5話 二匹の奴隷は暗闇の中、祈りを捧げる
会場から沢山の声が聞こえてきた。
今日はオークション開催一日目、私達名前の無い奴隷達は三日目に誰かに買われる事になっている。
「……」
私は目が見えない。
奴隷堕ちする前に目を失ってしまい、眼球を火傷し、それから皮膚が癒着して開けないからだ。
しかしながら目が見えずとも、獣人としての聴覚や嗅覚が発達しているために生活としては支障は無い。
今ではもう痛みすら感じない。
(これからどうなるんだろ……)
何処で人生を間違えてしまったのか、周囲とは違う髪の色、瞳の色、神子としての力、そういったもののせいで羨望や嫉妬を受け、殺されそうになったりもした。
私とは何なんだろう?
この世界に存在している理由も分からない。
けど、奴隷契約のせいで死ぬ事はできない、禁じられてるからだ。
「ねぇ、白いの」
オークションの会場裏、隣の鉄格子に鎖で繋がれている奴隷の女性が話し掛けてくる。
隣の鉄格子に繋がれていたのは、人族の女性だった。
特徴的なものは何も無いだろうけど、その声は環境のせいなのか少し嗄れている。
「……何でしょう?」
別に知り合いという訳でもなければ、友人という訳でもない。
今日ここに連れてこられて、初めて顔を合わせた。
顔を合わせたと言えるのか、私は何も見えてないので彼女がどのような顔をしているのかは分からないが、ともかく彼女は私に何か用があるらしい。
「アンタ、幸運を呼ぶんでしょ? 何でこんなとこにいんのよ?」
「……」
単なる暇潰しの一環で、人の辛い記憶を掘り返そうとするとは何とも性格の悪そうな人だ。
それより、私に神子としての能力があるのを何で知っているのだろうか。
「……何処で知ったのですか?」
「オークションのスタッフが言ってたのよ。幸運を呼ぶんなら、少しくらいアタシに分けてよ」
幸運を分けるから私は不幸になっているのだろうか、それとも本当は私にだけ幸運能力が適応されないのか、どっちにしたって関係無い。
どうでも良い。
私にはもう光は見えないから、もう何も失うものが無いから、この先の未来に希望を見出だせない。
(分けれるなら分けてますよ……)
自分の能力は自分にしか適応されないのだが、この能力は使えないように自分で制限している。
この異能があったから家族が死んでしまったようなものなので、もうこの能力は使いたくない、そう思ったから隣の方を向いて謝る事にした。
「すみません、それはできません」
「……あっそ」
怒っている、と言うよりは呆れて落胆している、そんな声色だ。
心音もゆったりして落ち着いてはいるが、苛立ったように握り拳を作っているのは、この発達した獣の耳から聞き取れる。
一種の音波探知で、周囲の様子や物の位置、それ等全てが分かるから私は普通の生活ができている。
「コホッコホッ……」
環境が悪いせいで咽せてしまった。
幾ら病気になろうとも幾ら死のうとも奴隷は奴隷、生き残る術は我慢する事だけ。
碌に食事も与えられない、碌に寝られやしない、そんな奴隷生活を続けていく事に果たして意味はあるのだろうかと疑問に思う。
『さぁ! 続いての商品は――』
会場から陽気な声が聞こえてきて、その商品の説明がされていく。
そして金がどんどんと上がっていく声が響いた。
オークションという存在自体は知っていたのだが、まさか自分が競売に掛けられようだなんて、普通ならば想像できない。
実際自分もこんな事になるとは思ってなかった。
けど、中途半端に希望を持つのは、後の絶望をより大きくするものである。
(この目と同じだなぁ)
希望の光を目にしたいけれど、もう光は絶たれてしまったから、今は闇しか映さない。
目を焼かれた日、その日だけは何があろうとも決して忘れたりはしないだろう、たとえ血の涙を流そうとも、たとえこの身が朽ち果てようとも、たとえ全てを忘れてしまったとしても……
その想いが胸に刻まれている限り、忘れやしない。
『ねぇ』
「……?」
『念話魔法ってやつ、左の方からね』
脳裏に一つの声が直接響いてきた。
奴隷が魔法を使う事は禁じられているはずだが、本人が巧妙に隠していたのか、左隣に座っている薄汚れたエルフから心の声が届く。
こっちは喋らない方が良いだろうと即座に判断して、心に呼び掛ける。
『な、何でしょうか?』
『三日目の奴隷競売までの退屈凌ぎがしたくって。少しお話ししましょ?』
どの人も、退屈が嫌いらしい。
かくいう私も、退屈というものは少々息が詰まって苦しかったところだ。
『……別に構いませんよ。何を話しますか?』
『う〜ん。ならお互いに自己紹介でもしない?』
『自己紹介……』
心の中でならば自己紹介するのも良いだろう。
そこまで制約が及んでいる訳ではないし、心まで縛りに掛ける事が誰にできようか。
しかし、自己紹介の手本が分からなかった。
どうやって自己を表現すれば良いのか、まるで謎だったからだ。
『ルゥシェノーラ、です』
『……そんだけ?』
『え、はい』
『貴方……自己表現、下手ね』
それは否めない。
自分の名前以外、何も表現する事ができないからだ。
名前はその人の一番の特徴であるが、私の場合は魔狼族の英雄の名前を少し捩ったものらしく、この名前に誇りを持っていた。
今は名前なんて意味を為さない。
奴隷に名前を名乗る資格は無いからだ。
家畜に名前を付ける者は殆どいない、それとおんなじ、名前を名乗ったところで結局は無意味となる。
『なら私の番ね。私はコルメチア=ブレスヴァン=キュージット、コルメさんって呼んでね。年齢は三百八十六歳、職業は吟遊詩人、この念話能力もその力の一つね』
『吟遊詩人……』
『そ、今は声が潰れてて歌えないけどね』
確かに声帯の部分を怪我してるのが分かった。
だからこそ念話魔法という特殊な魔法で話し掛けてきたのかと思ったが、吟遊詩人は声が命だ、もう職業としてやっていけない。
私とは違って、大事な部分が削がれたのだ。
私は目を失っても、まだ生活とかに支障は無いが、彼女は違う。
『えっと、好きな食べ物はクーツィット』
『クーツィット?』
『そ、エルフの里で食べられる郷土料理、幾つかのハーブを使って肉料理を彩る食べ物よ。特別な日に食べるの』
エルフという種族は閉鎖的、そして自然的なものだが、決して肉を食わない訳ではないと、前に習った事があったのを覚えている。
森人であると同時に狩猟民族でもあり、鹿肉や鶏肉とかも食べたりするらしい。
『まぁでも、三つ以上食べると胃もたれするから、中々なものだけどね』
『……』
彼女の念話魔法から響く声は、何処か嬉しそうだった。
何故そう笑えるのだろうかと気になってしまった。
こんな絶望の中で、暗闇の中で蹲っている私達に未来なんてありはしないのだと、そう思っているが、彼女は違うと言うのか、希望に満ち溢れた笑顔を浮かべている。
『他は……弓は得意ね。精霊には愛されてたと思うわ。けど国からしたら私はちっぽけなもの、同胞が助けに来てくれるかは怪しいところね』
『そう、なんですか?』
『えぇ。ブレスヴァン王国は、エルシード、リングレアとは違って情に厚い人は少なかったから。周囲から煙たがられてたわ』
同じだ、私も煙たがられていた。
彼女と同じく、情に厚かった人なんて殆どおらず、私を愛してくれた家族も死んでしまった、悲しみを味わう暇すら無かった。
それが心を締め付けて、忘れたくて、しかし忘れられない。
この目に触れた時、必ず全てを思い出すから。
この目に巻かれた包帯は奴隷商人の配慮なのだが、この包帯の感触がある限り、忘れようと考える間も与えてくれないだろう。
『でも、エルシードの子が来てくれたの』
『ぇ?』
『ちょっと変な子だったんだけど、商人と話し込んでるのを見たわ。情報を集めてるみたいだった』
私と違うところは仲間がいるという、その一点だけなのだろう。
羨ましいのかと自身に問い掛けた。
貴方は彼女のように仲間と一緒にいたいのか?
否、私にそんな資格は無いし、周囲から向けられる視線は私に対する嫉妬ばかりであり、魔狼族に私の居場所なんて無かったんだなと思った。
だから、私は仲間を必要としない。
家族を必要としない。
どうせ生きていく上で、そんな事を考える余裕さえ無いだろうから。
(私は奴隷、夢を見る事はできない)
夢を見たところで諦めるしかないから、夢を見たところで叶うはずもないから。
『さっき隣の子が言ってたわね。幸運を呼ぶって』
『……はい』
『素朴な疑問なんだけど、どうして断ってたの?』
『……分けれるなら分けてますよ。この能力は自分にしか適応されませんから』
この能力は自分にしか適応されないから、家族を助けられなかった。
いや、見殺しにしてしまった。
何もできない自分が嫌だ、変われない自分が嫌だ、そのチャンスがるのならば掴み取りたい、そう思ってしまう自分がいる。
『まぁ、何があったかは知らないけど、自分の力は自分の物でしょ? 他人に分け与えるなんて事は傲慢なのよ』
確かに、そうかもしれない。
けど、力があるのに分け与えないというのは、どうも私の中で引っ掛かってしまう。
力があれば誰かを守れる、力があれば誰かを救える、力があれば私は……
「ふみゅ!?」
『可愛いわね、貴方』
両手が鉄格子越しに伸びてきて頬を温かな手で包まれたのだが、どさくさに紛れて頬と胸を揉まれる。
何だか妖艶な笑みを浮かべているような気がした。
初めて出会ったにしては、何だか不思議な雰囲気を持つエルフだ。
『何でこんなに肌柔らかいの? ピッチピチね、若いってレベルじゃないわ。こんな劣悪な環境なのに凄いわね……羨ましい』
『へ?』
『いえ、何でもないわ』
壁に凭れ掛かって膝を抱えて座っていたところは、丁度コルメチアさんの両腕がギリギリ届くところだ。
しっかりと弄ばれた後、手が戻っていった。
私達は身体に刻まれた奴隷紋によって脱走したりも禁じられており、鎖に繋がれたりしていないため、こうして彼女と触れ合える。
頬に熱が残り、それは次第に冷めていく。
(誰かに触れられたの……久し振りだなぁ)
目から涙は出てこない。
涙腺も焼けた事で機能しなくなったからから、泣きたい気持ちはあれども涙を流す事ができない。
不便な身体になってしまった。
『あら、元気無いわね。自己紹介じゃあ、つまらなかったかしら?』
『いえ……いや、自己紹介で盛り上がる人なんて見た事無いんですけど……』
もし盛り上がってるのなら、その人はきっと頭の可笑しな人だ。
『まぁ、確かにそうね。そんな人いたらビックリしちゃうかも、フフッ』
嬉しそうに話すコルメチアさんだが、もしかして落ち込んでる私を励ましてくれているのだろうか。
だとするなら嬉しいなぁ。
心は人の原動力となるもの、嬉しければ力が発揮されるし、悲しければ力は出ない。
怒りを原動力にする人もいるし、楽しいからこそ力が湧いてきたりする、なんて人もいるだろう。
『あの……エルフの国ってどういったところなんでしょうか?』
話題が無いのならば作ってしまえば良い、そう考えて、以前から気になっていたエルフの生活様式について聞いてみる事にした。
『一言で表すなら……自然、かしら』
『自然?』
『そ。私達エルフはね、大樹の中とか上に家を作って生活してるの。魔法や精霊術を使ってね』
エルフは自然に愛されているから、精霊術と親和性が極めて高い。
エルフの中には木々を成長させたりする力を持つ者がいるそうなのだが、それは眉唾物なので実際にはどうなのかは知らない。
それでも大樹の中や上に家を作るとは、秘密基地を思わせる。
『ルゥは?』
『へ?』
『貴方の国はどうだったの?』
私の生まれ故郷、そこは雪国だった。
家の周囲は一面白銀の世界、雪国に住む魔狼族にとっては日常の景色なのだ。
国というか里では狩猟が普通で、黒い魔狼族にとって隠れるという行動には、雪に偽装できる毛皮を必要としたのだが、しかし私は白い毛並みを持っていたから、簡単に隠れられたし、里一番の狩猟の腕を持っていた。
獣人としての能力や、幸運能力、自分で言うのもなんだけど容姿も周囲から羨ましがられた。
全てを持って生まれてきた存在、そう里長が言ってたのを覚えている。
『基本、体感温度はマイナスでしたね』
『寒そうね……エルフって寒いの苦手な人も多いし、木とかも生えてないんでしょ?』
『いえ、生えてますよ。特殊な木ですけど』
雪国の木は、普通の木々よりも寒さに耐えれるような強靭な木々であり、対腐蝕性も持ち合わせている優れ物なのである。
目は見えない。
その代わり、木々の匂いとかはちゃんと記憶している。
五感のうちの一つでも失ってしまうと、他の感覚がより鋭くなるものだ。
そのためなのか、雪国で嗅ぐ木々の匂いと、こっちに来てからの自然の匂いは若干違う。
『弓はからっきしでした。あ、でも近接戦闘の方は得意ですよ』
『私とは真逆ね。近接戦は苦手だけど、そこは精霊術でカバーする感じね』
戦闘スタイルは人の持っている能力で決まる。
コルメチアさんは精霊術と持ち前の弓術で戦闘を行う吟遊詩人、きっと他にも能力を持っているはずだ。
私は獣人の身体能力と五感、それから幸運能力、そして近接戦闘センス、それらを統合して戦う。
『貴方の国では、どんな生活様式なの?』
『そうですね……近くの森の木々を使った木造建築が主流です。二階建て建築が殆どですね』
『へぇ、そうなのね……何だか意外。獣人って洞窟だったりとかに住んでるものだと――』
『それ、偏見ですよ』
私達を何だと思っているのだろうか。
洞穴生活なんて、そんな野獣みたいな暮らし方は人間にできようはずもない。
私達は獣人ではあるし、獣化という獣の力をより身体に再現する力もあるが、流石に生活までは真似られない。
『子供は娯楽、大人は狩猟、それが普通でした』
『へぇ、何して遊んだの?』
子供の遊びとしては、雪合戦や雪像作り、隠れんぼとかだっただろう、中での遊びなら縫い物とかお手玉とか思われたりするのだが、トランプや盤上の遊びが主流だった。
輸入品によって手に入った嗜好品、それにトランプが幾つもあったから、家族で遊んだものだ。
だが、それは小さい頃までの話、十歳を迎える前に遊びは終えた。
『……大人に混じって狩猟を学びました。同世代の人からは疎まれてましたから』
『幸運能力のせいで?』
『……はい』
狩猟の腕は大人顔負けの実力があったから、小さくても色々と学べた。
特に美味しかったのは『フローズングリズリー』、大量の肉が手に入るし、私達ならば保存方法も雪を利用すれば良いから、冬を越すのに丁度良い。
また食べたいなぁ。
『皮肉なものね』
『え?』
『幸運能力があったところで、貴方は本当の幸せを手に入れてないじゃない』
確かに、コルメチアさんの言う通りだ。
この能力が本当に幸運なのか疑問に思っていたところである。
目も失い、家族も失い、奴隷堕ちし、そして今私は暗闇の中にいる。
『私達、これからどうなるんでしょうか?』
『さぁ。誰に買われるのか知らないけど、変な人は嫌ね。奴隷に拒否権なんて無いけど』
この能力があったところで、本当の幸せを掴み取れるなんて事にはならないのかもしれない。
幸運なんて、あったところで主人となる人に利用されるだけ、私に価値なんて無い。
(私の価値って何だろ……)
幸運能力が無かったら、私の事を買ってくれる人なんているんだろうか?
私にはそれ程の価値があるか分からない。
自分の価値を決めるのは他人であるから、その能力が無ければ幾ら積むのだろうかと思考回路に疑問が入ってきてしまった。
『あの、コルメチアさんは……いえ、何でもないです』
こんなところで聞くべき事ではない。
私達は何者でもない奴隷、主人の所有物であり、駒であり、愛玩用品だ。
この場の誰にも価値なんて無いのだから。
「おら奴隷共、今日の昼飯だ」
囚人のように一日三食与えられるのだが、人によっては一日一食何か食べられるだけで幸せだって言う者もいるだろう。
鉄格子越しから一つのカチカチの黒パンと薄いスープ、それから水の入ったコップを渡される。
(か、硬い……)
薄いスープに浸して食べても硬い。
少し柔らかくなったところで奥歯で食い千切って飲み込んだ。
味も殆どしないし、これが後二日続くのは流石に辛いと昔の私なら思った事だろう。
もう慣れた。
『やっぱり奴隷食は不味いわね』
『はい』
『あ〜あ、国の料理が食べた〜い!』
さっき言ってたクーツィットという食べ物とかを食べたいという事なのか。
長い間、故郷の料理を食べてないと懐かしく感じて食べたくなる。
それは私もだ。
『エルフの人に買ってもらえるんですよね?』
『さぁ。所持金次第ってところね。私には何もできないから、ただ祈るのみね。だから貴方も祈って、ちゃんと生きなさい』
それ以降、彼女は念話を切ったようで、語り掛けてくる事は無かった。
しかし祈り、か……そう馬鹿にもできない。
不思議な力で満ちているこの世界では、それが当たり前なのだから、祈ったら何かがあるかもしれない。
神様が何処かにいるように、信じていればいつかは報われるはずだ。
ならば、私も祈ろう。
(どうか……本当の幸せを見つけられますように)
それが今の私が最も願うべき事、そう思った。
未来がどん底にあっても、絶望しか見えずとも、この先に何が待っていようとも、きっと私はもう、彼女から貰った光だけは見失わない。
遠くから競売の声が聞こえてくる。
二日後、私達十匹の奴隷は売られていく。
私はどれだけの価値でどのような人にこの身を買われるのだろうか、不安が心の中で渦巻く中で、密かに主人となる人が良い人でありますようにと、そう一縷の希望を神様へと託し、祈りを捧げた。
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