第31話 リィズノインの休日5
ハッと目を覚ました。
夕日が部屋の窓から差し込んできて、いつの間にか戦闘も終わっていたのを理解して、また自分が敵からの攻撃で気絶した後、運ばれたとも分かった。
湿った薄暗い地下空間から、夕焼けに彩られた何処かの明るい部屋へ。
窓に映る西陽は、間も無く地平線より姿を隠すだろう。
綺麗な茜の空に一番星が瞬いていた。
「ノア殿は――」
「ここにいる」
窓とは反対側から声が掛かり、そちらへと目を向けると、そこには孤児院にいた子供達に抱き着かれた状態で、椅子に腰を下ろしているノア殿がいた。
看病も兼ねて、暇潰しに孤児院に寄贈された本でも読んでいたようだ。
それに加え、鬱陶しそうにしながらも子供達に抱き着つかれながら、黙認して読書を並行させていた。
影を操作して、子供達を片手間に相手している。
子供が嫌いそうな顔。
にも関わらず、本当に子供に懐かれているとは嘘だと思っていたのだが、本当に喫驚とした。
唖然、の方が正しいかもしれない。
「おら餓鬼共、お姉ちゃん起きたから、看病はもう必要無いだろ。サッサと部屋から出てけ」
「え〜!?」
「お兄ちゃんと一緒にいた〜い!!」
「もっと遊んでよ!!」
追い出そうとするノア殿とは対照的に、子供達は駄々を捏ねて彼へと更に強く抱擁する。
無表情のはずが、憤慨しているように見えた。
実際に鬱陶しがっているから、その通りの感情が見え隠れしている様子、ノア殿にしては珍しいと思う。
「人気者だな、ノア殿は」
「本当に困ったもんだ。俺も依頼報告して、サッサと帰りたいんだが……如何せん、婆さんがまだ帰宅してなくてな。ハァ、早く帰って来ねぇかなぁ、婆さん」
彼の実力から察するに、職業を保持していない子供達くらい簡単に振り解けるだろうし、彼ならば如何様にも対処できるはずである。
だが、無理やり振り解こうとはせずに、されるがままとなっていた。
それは要するに、彼も満更ではない、という意味か。
しかし彼らしくないな、全然似合っていない。
彼が何故子供達と戯れながら看病に徹しているかは今はさて置き、気絶後の状況についての説明を聞きたい。
「それよりノア殿、あの呪詛塗れだった碑石は結局、どうなったのだ?」
「お前が気絶した後、何とか討伐は完了した。碑石に関しては完全に砕け散って跡形もなく消滅して、連結して呪詛悪魔も消えた。倒し方は聞くなよ、説明が面倒臭い」
素っ気無く回答したノア殿だったが、何をどうしたら倒せたのだろうか。
精霊術や錬金術を駆使した可能性もあれば、魔法で討伐できたのかもしれない。
何にせよ、倒せたのならば良かった。
「おら餓鬼共、お前等まだ病み上がりだから、大人しく寝てやがれ。兄ちゃんからのお願いだ」
「ちぇ、分かったよ」
「またね、お兄ちゃん!!」
「お姉ちゃんも、ばいば〜い!!」
ノア殿に睥睨されながらも、鋭利な目尻より流れる視線は彼等には通用せず、三人の子供達が素直にこの部屋から出て行ってしまった。
そして残されたのは我とノア殿の二人だけであり、彼は用意されたテーブルに置かれていた林檎を一つ手に取り、皮を器用に剥き始めていた。
ワザワザ腕輪をナイフに変化させた。
使い慣れた武装を果物ナイフに変形させて、器用にクルクルと回転させ、林檎の皮を素早く剥いていく。
林檎の瑞々しい香りが鼻腔を撫でる。
甘い果実が、赤から淡黄色へ。
「器用だな」
「あぁ、少し待ってろ」
黙々と皮を剥いて、それから林檎を上へと放り投げたかと思えば、魔力を纏わせた小さなナイフを手で弄び、綺麗な林檎を斬り刻んだ。
断面は見えず、鋭利な刃は銀光のみ肉眼に捉える。
手の動きは、目で追い切れない。
凄まじい練度だ。
落ちてくる林檎を皿の中央に落とし、落ちた衝撃で林檎が丁度良い大きさに分裂した。
まるで曲芸のようであり、普通の人間には絶対に不可能な芸当であろう。
「ほれ」
「あ、あぁ、感謝する」
皿にフォークが置かれていたので、それを使って林檎を口に含んだ。
一噛み咀嚼を始めると、芳醇な香りが第一に鼻全体を幸福に満ちさせた。
甘い果汁が口内で溢れる。
瑞々しい林檎というのは本当に美味しくて甘味が強い、そして食感もシャキッとしているので、こんなにも甘美な林檎は今までで一度だって食べた経験が無い。
どうやって育てたのだろうか?
「地下にあった研究部屋に関して、お前をこの部屋に連れ帰った後、もう一度あの部屋を物色してみたんだが……こんなのを見つけた」
「これは?」
「封印されてた悪魔、いや、研究者の日記だ」
彼が読んでいた書物、それが出土した物品だったとは思っていなかった。
途中まで読書に興じていた彼から、一つのボロ切れのような日記を手渡されて、中身をパラパラと軽く捲って流し読みしていく。
しかし、その日記に書かれていたのは、見た事も無い雑然とした形の文字だった。
だから我には全読めなかった。
「掠れて読めない部分が殆どだったんだが、一部だけ解読に成功した。簡単に要約すると、どうやらその男は魔族の血について研究してたらしい」
「よ、読めるのか?」
「まぁ一応、趣味程度の嗜みだがな」
こんな訳も分からぬ不思議な文字を読めるとは、ノア殿には驚かされてばかりだ。
それよりも魔族の血について研究してたはずの者が、あんな碑石に封印されていたとは、一体どういう事情があったのだろうかと、彼へと視線で求めてみた。
すると、答えが速攻で返ってきた。
「数百年前の話だ。殆ど読めなかったから事情は不明だが、自分の身体を実験台として、魔族の血に適合して自身を強化しようとした、と研究内容が滔々と書き綴られてたな」
「じ、自分の身体を実験台にするのか?」
まさに狂気的な内容だ。
自分の命すらも惜しまない、非常に悍ましい考えの持ち主だろうと思っていると、何故かノア殿は目を逸らして話の続きをしてくれた。
内容については、魔族の死骸から採血した血を使用して、自分に適合するよう改良していたのだそうだ。
気が熟した時になって、魔族の血を自分へ注射したらしいが、あの惨状を見た限りでは失敗したらしい。
「結局実験は失敗し、魔族の血に耐え切れずに衝動に走り、暴走が起こった。最終的に誰かに封印されたようだが、封印した人間や当時の出来事に関しては記載されてなかった。まぁ当然だが……その成れの果てが、俺達の見た悪魔の精神体だった訳だ」
だから悪魔のような姿をしていたのか。
魔族は千差万別、我のような人型もいれば、完全に人の姿ではない存在も実在するだろうが、我は父以外の魔族を知らないし見た記憶も無い。
だが、何故その者は魔族の血について調べ、実験を続けていたのだろうか。
どういった経緯で魔族の血を調査し、そして何を発見したのだろうか。
結局は謎だらけだな。
「一応事情を教会にも伝えて、地下空間の調査が再度行われる事になったが……婆さん達の計らいで、先にソイツの墓も共同墓地に作られる手筈が整えられた。裏を見てみな。ソイツの名前が書いてある」
「トリス=M=アルステック……誰だ?」
「俺も耳にしたのは初めてだが、ただの狂科学者だろ」
確かに研究内容は狂気じみたものだったが、そこには何か理由があるような気がする。
妙な違和感がある。
我が四分の一程度なれども、魔族の血を引いているから感じるのかもしれない。
しかし、不自然だ。
ワザワザ殺処分ではなく封印を選択したのだ、何かしらの理由が無ければ封印ではなく、殺害という楽な道に運ぶようなものだが、その理由も明記されていないらしい。
死人が何かを書く訳でもない。
日記が放置されていたなら、誰にも気付かれぬまま、数百年経過したのだろう。
「まぁ、裏手には共同墓地があるからな、一箇所埋められたところで大して変わらないそうだ」
そう言いながら、彼は臀部を椅子から持ち上げて、窓辺へと移動する。
夕陽が綺麗に映り、もうじき星夜が訪れる。
我も早く宿舎へと帰宅せねばと思い、寝台より身体を起こしたのだが、どうやら身体は無傷で、貫かれたはずの場所も綺麗さっぱり完治していた。
教会の人間が治療したのか、それともノア殿が職業能力で施したのか。
「倒した直後に治療した。呪詛の塊のせいで、内部も相当傷付いてたからな」
「流石だな、ノア殿。死に瀕していた我を、ここまで回復完治させるのだから。驚きの手腕だ」
「俺の代わりに重傷を負ったんだ、これは俺の責任だ」
声の調子から、バツが悪そうな顔をしている様子だと想像し、彼の顔色を窺うも夕陽による逆光が邪魔をして、形相が不明瞭となった。
今、彼はどんな気持ちなのだろう。
地に両足着けようと寝台から降りたが、ノア殿に強制的に安静にさせられる。
「婆さんが帰ってくるまで大人しく横になってろ、治療したとは言え、胸から背中まで貫通してたしな」
「そうだ……な……」
胸を貫かれてしまった、それは分かる。
自分でも実体験したし、現に胸から呪詛の棘が生えていたのを目撃したのだから。
ならば、怪我を治療したノア殿はどうだ?
治すために我の裸を……
「こ、この変態!!」
気付いた時には我は、命の恩人であるはずの彼へと罵倒を浴びせていた。
仕方あるまい、彼が悪いのだ。
「み、みみみ見たのだろう!? わ、我の裸体を!!」
「はぁ?」
「と、惚けても無駄だぞ!! む、胸を貫かれたが治療を施すためには、そ、その……直に触れねばならぬはずだ。まさか貴殿、我の胸を――」
「いやお前、何を勘違いしてるか大体予想できるが、別にお前の裸なんて見ずとも治療は可能だし、服の上からでも一応治せるっちゃ治せる」
そう、なのか?
「実際に左目の魔眼を行使して内部を覗いたんだ。皮膚よりも奥側、内臓から診察してるから、別に裸は見てないぞ? そもそも見る必要性を感じないしな」
「……」
ノア殿の発言に対して釈然としない気持ちが湧き起こるのだか、嘘を吐く様子には見えなかった。
いや、この男は殆ど表情を変化させないせいで、感情を読み取りにくい。
本心を奥底に隠蔽しているのか、それとも本心を曝け出しているのか、見破るのは困難だったので諦めて、取り敢えずは生存できた事実に感謝した。
ありがとう、そう口にする。
「いや、感謝よりも罵倒した事を謝れよ……」
と、とにかく全てが丸く収まって良かった。
いや良かったのだが、ノア殿が受注したギルドの依頼に同伴したのみなので、結局我は何も成し遂げていない事実に、今更ながら気付いてしまった。
今回は案内人の持つ未来予知も、大してノア殿のために行使していなかった。
あれ、可笑しいな。
我、役に立ってないぞ?
「まぁ、今日は助かった、ありがとよ」
「…ぇ……」
ノア殿が礼を表するとは、何だかむず痒い。
いや、気持ち悪い。
お礼というのは言われ慣れてないと、身体と心がピリピリして、羞恥心が込み上げてくる。
魔族や精霊の血が混ざった我は、誰からも感謝されたりした事は無かったし、今後も感謝の言葉すら聞けないだろうと思っていた。
だが、我の種族的事情について知っていても尚、彼は我に感謝を口にしたから、感極まってか、一つも言葉が出てこなかった。
ただ、彼が我の血の中に魔族の血が混じっているとは知らないはずなので、半精霊という存在だと認知されてるとは思うのだが、感謝の言葉は素直に受け取るべきだろう。
しかし、本当に不思議だ。
「何だよリノ、俺が礼の言葉を言うのが、そんなに可笑しかったか?」
「いや、そうではないが……」
我を完全に拒絶しない者は、両親を除外すると今までで初めてだった。
我が魔族だと分かるや否や、皆我を拒絶して、遠ざけて、傷付けて、だからこそ彼のような人間がまだ存在したのだと思うと心が揺れてしまう。
いや、まだ魔族の血も含まれてるとは、彼には露呈していないはずだ。
もう一度だけ、もう一度だけで良いから、目の前に佇む彼を信じたい。
だが、信じるのが怖い。
もしも本当の自分を暴露した時、彼が拒絶や蔑視の態度を取ったらと思うと、相反する二つの感情で揺れてしまう。
矛盾した思考が、我の気持ちを阻害する。
「まぁ正直今回は、お前がいてもいなくても結局一緒だったろうし、差し引き換算するとゼロだな」
矛盾した思考は、一気に瓦解した。
やっぱり、信じるのは止めよう。
「お、どうやら婆さんが帰ってきたらしい」
窓の外には一人、クリスタ殿が買い物袋を抱えているところだった。
その周囲に、子供達が群がっていく。
母の帰りを待ち侘びたかのように、皆嬉しそうに表情を綻ばせて、大層羨ましく感じた。
寝台の側には精霊剣が置かれており、鞘から抜き放ったところで、光り輝いたりしない。
「……」
先程の夢を覚えている。
母と話せたのは嬉しかったが、夢のせいなのか、すでに忘却の彼方へ消えた部分も幾つかある。
記憶に立ち込める霧が、再会の邪魔をする。
(まるで霧掛かったようだ……)
まだ意識が多少朦朧としているのだが、いつまでもウジウジと蹲っていられないからこそ、我は腰に剣を携えて、その部屋を後にする。
依頼内容を聞きそびれたのだが、彼も帰宅する素振りを見せていたため、部屋を退室した後、彼の背中を追い掛けながら廊下を渡る。
子供の面倒を見る、というのが今回の依頼内容だったのだろう。
しかし子供の好奇心と、徘徊していた呪詛によって面倒事が広まってしまった、と。
今日は何もできなかったが、まぁ、母とも会えたし結果的には良かった。
その分ノア殿に迷惑を掛けたが。
「ノア殿、ありがとう」
面と向かって言葉にするには、今の我では羞恥心には耐えられない。
だから背中に向けて、感謝の気持ちを放つ。
「あ? いきなり何だよ?」
「いや、何でもない……」
感謝の言葉を口に出すのは、やはり恥ずかしいものだ。
意図しなかった事態とは言え、お陰で母上と念願の再会を果たせたのだ、感謝しなければならないと思って、彼へと礼を述べた。
騎士道を重んじる、という意図でもないが、これこそが正しいのだと思えた。
夢の一時でも、また会えたのだ。
贅沢は言わない。
「フフッ」
顔が綻んでいるのが分かる。
ついステップを踏みたくなる衝動を抑えて、彼よりも前へと歩いていく。
笑顔を見られたくなかったから。
今我は絶対に、非常に締まりない、緩みきった顔を晒しているに違いない。
先へ進み、玄関口に差し掛かる。
夕陽に照らされて、我等は外へと出て風を感じる。
子供達に群がられるクリスタ殿と目が合った。
「おい婆さん、俺はそろそろ帰るから、ギルドに入金しといてくれよ」
「ったく、少しくらい負けてくれりゃ良いのにねぇ」
「巫山戯んじゃねぇ。クソ餓鬼共の世話に呪詛の治療、地下の調査に加えて孤児院の補修、昼食も作ってやった。地下調査については教会とギルドで連携して、調査資金分を教会側から支払ってもらう確約は取ったが、他はまだだ。孤児院の仕事分はきっちり報酬金を頂く。それが俺の流儀だ。増額を提言しないだけマシだと思え、クソババァ」
捲し立てるように、彼は今回の仕事について早口で説明していく。
我が気絶した後の話も含まれるだろうが、世話や補修に関して以外にも多くの仕事を任された、というのも嘘ではないように思える。
彼が金銭に関して、虚偽申告はしなさそうだし。
しかし、教会からであったとしてもキチンと搾取しようとする姿は最早、金の亡者だ。
取り立て屋が彼の職業なのかもしれない。
そんな職業があるかは不明だが、仕事に対する手当を報酬として受け取るのは至極当然の主張だ。
だが、錬金術師が本職ではなかったか?
「まぁ良い、とにかく仕事は以上だ」
「……帰るのかい?」
「あぁ、じゃあな婆さん、寿命近いんだから、死ぬ前に忘れず入金しとけよな〜」
「ぶち殺されたくなきゃサッサと消えな! 口の減らないクソ餓鬼め!!」
「はいはい」
怒り心頭に発した様子のクリスタ殿だったのだが、本気で怒っているのではなく、互いに理解しているような感じで、それ以上ノア殿も軽口は叩かなかった。
実は仲が良いのかもしれない。
我が熟睡している間に、色々と金銭関係が纏まったらしいのだが、こちらに一銭も入らないのは世知辛い世の中であると思い知らされる。
我も彼の後を追うように帰路に立とうとしたところで、クリスタ殿に呼び止められる。
「そうだ、リノの嬢ちゃん」
「む? クリスタ殿、何か用か?」
そこまで面識とかは無いし、用事とかならばノア殿に声を掛けているはずだ、と思っていると何かを投げ渡されたので咄嗟に受け取った。
受け取ったものは、一つの指輪付きネックレスだった。
簡素だが綺麗な指輪とチェーンである、それを受け取ったものの、どうすべきか謎だ。
これが何か、対象物に未来予知が働かないため、よく分からない。
「天啓が降ってきた。そのネックレスはアンタにやるよ。常に首に下げときな」
「い、良いのか?」
「あぁ、あの餓鬼の連れなんだろう? ならば持っておいて損は無いはずさ」
だが、大事そうな物のように思えるのだが、こんな高そうな物を頂いて良いのだろうか?
しかし『天啓』ならば、神が定めた運命に沿って、効果が現れるはずだ。
謎物質ではあるが、首に下げておくとしよう。
「……分かった、一応預かっておこう」
「素直に受け取りゃ良いのに、律儀だねぇ。取り敢えず肌身離さず持っときな、天啓に従って」
彼女の言葉が本当なのか嘘なのかは我では判断できぬが、少なくとも邪悪な気配とかは簡素な指輪から感じないので、危険ではないのだろう。
折角なので、貰っておこう。
首からぶら下げた小さくて綺麗なネックレスを服の中へと仕舞って、我は踵を返した。
「あの小僧を頼むよ、嬢ちゃん」
「……承知した。世話になった、クリスタ殿」
今日はもう夜に近い時間帯、礼拝はできそうもない。
なので、このまま素直に帰り道を小走りで駆け、孤児院を後にした我はノア殿を追い掛けていった。
太陽は沈み、大きな黄金の月が顔を覗かせ始めた。
相も変わらず賑やかで楽しげな街である。
だがまだ夜食を食べてないため、腹の虫が喧騒に便乗して鳴ってしまった。
昼も気絶していたから、何も食ってない。
腹が減るのは当然だ。
「どっか飯にするか?」
「う、うむ……」
空腹の生理現象を聞かれてしまったようで、何故だか羞恥心が込み上げてくる。
しかし、この雑踏の中では騒音に掻き消されると思ったのだが、ノア殿はまさかの地獄耳だった。
空腹に反応されて、気遣われた。
「俺の行きつけの店で良いんなら、案内するぞ?」
我は無言で頷いた。
彼が案内してくれるとの事で、我は彼の背中を追い掛けていくが、案内人としては立つ瀬が無い。
緩慢とした足取りで目的地へと向かうが、彼が何を考えているのかは表情や行動等からは全く把握できず、困惑とした感情に支配される。
何故教会の仕事をしていたのか、何故あんなにも真剣に呪詛の原因を除去しようとしていたのか。
貴殿は今、何を考えて行動しているのだろうか?
「なぁ、ノア殿」
「何だ?」
「ノア殿は何故、塩漬け依頼……あぁいや、教会の仕事を引き受けようと思ったのだ? ランクが低いとは言っても、探せば他にも仕事があったと思うのだが」
塩漬け依頼は割に合わない仕事をする、旨味の無い依頼であるはずだ。
申し訳ない表現をするが、金が好きそうなノア殿が旨味の薄い依頼をワザワザ受注しないはずであり、子供も好きそうには見えない。
鬱陶しそうにしていた。
しかし、実際には真逆の行動を取っている。
そんな事が有り得るのだろうかと考えて、それで彼の過去に関係しているような気がしたのだ。
考え方の根本的な原因。
そこが彼の行動理念に繋がっているはずだと、そう考慮しての質問だった。
「別に、ただの成り行きだ。前に違う依頼を引き受けてた時の話なんだが、餓鬼が街中で迷子になってたんで、気紛れで善行を積んだら知らん間に懐かれただけだ」
「気紛れ? ノア殿がか?」
「お前……俺を何だと思ってやがるんだ、全く」
悪態吐く彼だが、孤児院出身だと言っていたので、相手が孤児だと分かってて助けたのだと思う。
彼が根幹の部分で優しい人間であると我には感じるが、その優しさは一部の者にしか向けられていないため、彼はやはり周囲の人間の大半を疑って生きている。
彼の過去に何があったのか。
我には彼の過去を一切知らないし、聞こうにも我の方も一部過去を隠しているために、中々聞き辛い。
「俺は相手の性質が見える。外面を幾ら取り繕おうと、悪行に手を染めようと、左眼が全部看破する。もし餓鬼が腐ってたら俺だって助ける気は無いし、誰だろうが舐めた真似すりゃ、俺は容赦無く刃を振り下ろす」
「もし、それが……子供だったとしても、か?」
「勿論、俺の邪魔をするなら」
迷わず即答した彼の思考は、非常に悍ましい。
子供でも容赦無く殺す、つまりはそういう殺人も厭わないという意味と同義だ。
簡単そうに言った言葉だが、初めから覚悟していないと言葉にすらできないはずだ。
きっと子供相手だろうと、遠慮も容赦も躊躇すらせずに構わず刃を振り下ろして、相手の首を吹き飛ばす所存なのだろうが、流石にそれは看過できない。
彼が何処かで捕縛されれば、精霊界への道が閉ざされてしまうから。
捕まるなら、せめて我を導いてからにしてくれ。
「本質的な善、悪、それが分かっちまう。だから俺にとって害を成す『悪』は、排除しなければならない」
考え方が傲慢すぎる。
きっと、それが正しいのだと確信して、いや覚悟して生きてきたのだ。
悲しくて、それでいて孤独な考え方だ。
「きっと、この考え方は変えられない。ま、特に後悔もしてないけどな」
吹っ切れたかのような言い方をして、彼は立ち止まって振り返った。
「ここだ、俺の行きつけの店」
「……ここが?」
「あぁ、安くて美味い店だ」
そう言って中へと入っていった。
外観は普通にレストランっぽい様子で、一面に張られた窓からは、楽しそうに食事する者達の姿が見えており、彼の入店に合わせて我も店に入る。
受付で二名と告げた彼に従い、ウェイトレスが我等を席へと案内する。
素朴な感じの店で、案内された場所に腰を下ろす我等は、メニュー表を開いて様々な料理に目移りしていく。
「さぁて、何食おうかな……」
メニューを開くと、写真でどのような食べ物なのか分かりやすく説明されていた。
ふむ、どれも美味そうだ。
しかし郷土料理らしきものが多くて、何を食べようか迷ってしまう。
(成る程、異国の料理が食える店か)
色んな土地を巡って修行したみたいであり、郷土料理の多さに腹の虫が更に響いた。
どれにするか、非常に迷う。
が、いつまでもノア殿を待たせる訳にはいかない。
「俺は決まった。お前は?」
「う、うむ、我も決まった」
普通の店ならば店員を呼ぶために声を掛けるのだが、そんなを事をせずとも、テーブルに備え付けられている魔導具を駆使すれば来てもらえるらしい。
彼がパネルへと手を乗せて魔力を流し、合図を送って店員を呼んでいた。
そこからは本当にスムーズに運んだ。
店員に料理名を述べ、それを待ち、そして来るまでの間にお喋りに花を咲かせる。
「ノア殿、素朴な質問なのだが、グラットポートの用事を済ませた後はどうするのだ?」
グラットポートにも冒険者ギルドはあるし、情報集めをするには良いだろう。
しかしFランクには、まともな依頼も無いように思えるため、今後は何処に向かうべきなのかを決めておかないと、グダグダの旅となるだろう。
冒険者にとって旅に必要なもの、一つは綿密な計画性だ。
ノア殿の旅、財宝都市へと向かうのは確認を取ったため知ってはいるが、その後の旅は何処へ向かうのか。
「ん? 別にまだ考えてないぞ。グラットポートで情報を集めつつ、今後どの方向に旅を進めるか考える気でいたんだが、何処か行きたい場所でもあるのか?」
「行きたい場所……」
あるにはある。
「超巨大迷宮都市フラバルド、そこに行ってみたい」
「迷宮か。ならグラットポートの後は西方面に行ってから南下するか、或いはガルクブールに一旦戻ってきてから西の山脈を越えるか、だな」
ふむ、二通りの道順があるのか。
だが、ワザワザこの都市に戻ってきてから、更に山脈を越えなければならないとなると、そのまま西に向かって進んでいった方が良いやもしれない。
西には海、更に海を越えて南大陸の北西側にあるフラバルドへと辿り着くまでに、大きな湿地帯を超える必要がある。
「湿地帯?」
「そうだ。フラバルドについて地図を調べたのだが、近くに湿地帯があるらしい」
地図にはラガロット湿地帯、そう書かれていた。
更にフラバルドから北西方面へと進行すれば、別の大陸へと向かう事ができる。
「まぁ、旅の計画については、オークションが終わってから考えても良いんじゃねぇか?」
「それは確かにその通りだが……」
無計画な人間に同伴するのは、不安で仕方ない。
もう少し計画的に旅をするべきだと言おうとしたところで、料理が運ばれてきた。
我が注文したのは、近くで獲れた魚を調理した焼き魚定食というもので、『豊穣と天恵を司る女神ルヴィス』様に祈りを捧げてから、そのホクホクとした白身をフォークで割いて口へと運んでいく。
北方料理で食せる、一種のハーブ焼きらしい。
他にも野菜やパン、スープもあり、安いのに本当に美味しいと思う。
と、彼は食事の前に『いただきます』と祈りを捧げてから、料理を頂いていた。
「おぉ、言うだけの事はあるな、美味いぞ」
「そりゃ良かった」
彼が食べているのは、ハンバーグというものだった。
小さな鉄板の上で音を立てているところが本当に美味そうだが、ジッと凝視していると食い意地が張っていると思われそうな気がして、途端に目を逸らす。
それにしても、本当に美味いな。
ワインと合わせると、もっと美味そうだ。
(ワインは無いのか)
蒸留酒とかならあるが、強い酒はあまり好きではないので、できるならば醸造酒が欲しかった。
まぁでも、こんな休日も有りだな。
半日くらい寝てたし、死に瀕するとは予想外だったのだが、まぁ楽しい休日となったかもしれない。
白身を口へと持っていき、咀嚼する。
「今日はこの後、どうするのだ? もう帰るのか?」
「そうだな、帰って寝るだろうな」
確かに我もノア殿も、しっかりと休むべきだろう。
我は全然眠くないのだが、彼は少しばかり眠そうな表情を……いや、無表情すぎて表情から判別するのは不可能で、難儀してしまう。
睡眠を感じているのか?
それとも睡魔を跳ね除けたのか?
どっちなのだろうか?
うむ、見てても一切分からないくらい表情筋が働かないとは、まるで人形のようだ。
「俺の顔ジロジロ見てどうした?」
「いや、な、何でも」
飯の方を見ていると思ったが、視線に気付いていたようで、こちらに睥睨を送ってきた。
ゾクッと背筋が凍る。
悪意や敵意ではなくとも、視線に敏感であるからこそ、ノア殿は警戒している。
(子供が見たら泣くぞ、ノア殿……)
感情が乏しい人間なんて何処にでもいるものだが、彼は乏しいというレベルではない。
遥かに逸脱している。
何事にも無表情、死んだ魚のような目だ。
兎にも角にも我は今後、精霊界へと通ずる道の先までノア殿と行動を共にする、これから彼の内面を知っていけば問題は無いはずだ。
しばらく食事を楽しんでいた我等だが、やがて時間が経ち、全部綺麗に平らげた。
「ふぅ、ご馳走様でした」
と、食事を終えた彼が両手を合掌し、祈りを捧げていた。
食前にも神へ祈らず、儀式を行っていた。
「……それもノア殿の故郷の風習というやつか?」
「これか? あぁ、食を命へと変える行為に対し、感謝して祈るのが『いただきます』だ。なら、『ご馳走様でした』って意味は何だと思う?」
ご馳走様、贅沢な料理をご馳走と言うのは分かるが、それに『様』を付けて、祈りを捧げる?
考えても分からなかった。
「『馳走』ってのは走り回るって意味で、食事を出して相手をもてなすために奔走する様を表しているそうだ。昔は食材を集めるにも一苦労だったらしいからな、その様子に『御』と丁寧語が付き、更に大変な思いで準備してくれた人に感謝する意味を込めて『様』を、それで食事の後の感謝で『でした』って付ける。これが由来だったはずだ」
「す、凄いな」
「だから俺の故郷では、『ご馳走様』って感謝の意を表する形で、飯を食い終えて合掌した時、口にしてたんだ」
捲し立てるようにして蘊蓄が出てきた。
何気無く言ったりする言葉だそうで、しかしながらしっかりとした意味があり、我も彼に倣って、手を合わせて感謝の祈禱を言葉にする。
「ご、ご馳走様でした……」
普通は食前に神に祈る、それだけで良かったのだが、食後にも感謝を忘れないとは、素晴らしい風習だ。
これからは神に祈ってから、いただきます、ご馳走様と言うとしよう。
「さて、帰るか」
勘定を済ませた後、我等は店を出た。
涼しげな風が身体を冷ましていく。
「今日はありがとう、ノア殿」
「別に、俺は何もしてないけどな」
それでも、新鮮だったと言っておく。
まぁ、死にそうになるのは勘弁願いたいところだが、面白いものも見れたし、彼の隣に並ぶのには自分はまだまだ未熟であると分かったのだ。
だから、これから成長するために、鍛錬に励むとしよう。
「じゃあ、俺はこれで」
「うむ、また明日」
「……あぁ、また明日」
背を向けて彼は歩き出した。
我は彼とは反対の道へと歩き出す。
こうした平穏な生活もじきに終わり、旅の日々が開始されるだろう。
次は財宝都市だ。
お宝集まる場所で一体何が起きようとしているのか、我等はまだ知らない。
それでも旅は次の場へと進んでいく。
遠ざかる背を感じながら、喧騒に包まれた楽しげな夜の街を堪能して、我は帰路を辿ったのだった。
読者の皆様、この度は『星々煌めく異世界で』を読んで頂き、誠にありがとうございます。
書き始めて約一ヶ月間、最初はどうなる事やらと思っていたのですが、沢山の方々からの予想以上の反応に、ここまで執筆する事ができました。
読んで下さった皆様、そして感想を下さった皆様のお陰です。
本当に感謝感激雨霰でございます!
幸甚の至りです!
まだまだ駆け出しの未熟者ではありますが、この思いを胸に今後も邁進していく所存ですので、どうか最後までお付き合い頂ければ幸いです。
第一章はこれにて終了、これから第二章へと突入していく訳ですが、皆様の応援を力に変えて、更に良い物語へとしていきたいと思います。
最後に……
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
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