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星々煌めく異世界で  作者: 二月ノ三日月
第一章番外編
31/275

第30話 リィズノインの休日4

 錆びた扉を開け放ったが、埃が舞い散って思わず咳き込んでしまった。

 長年放置されていたためか、下水道の腐臭が染み付いて、汚れも酷い有様だ。

 研究室のような内装で、しかし壊れた机や椅子、本棚や魔導具、大半が使い物にならず、照明も壊れてるせいで明かりはノア殿が手に持つ魔導具だけ。

 輝きを齎してくれるが、安心できない。

 何故なら呪詛の塊のような碑石が中心に配置されており、何か護符のような札が半分破けた状態で貼られて、隣には呪詛を纏った悪魔が浮遊している。


「あれが……呪詛、なのか?」

「そのようだな。劣化したせいで札が半分破けたらしい、どうりで中途半端な訳だ」


 溜め息に脱力感を込めて排出し、何かを知ったらしいというのを、隣にいた我も察知する。

 が、彼が何を知ったのか。

 我としては何が何だか理解できない状況だらけで、首を傾げるだけなのだが、彼が何かを理解したのは確かであり、それを知りたくて袖を引っ張った。

 彼の思考について気に掛かったから、説明を求めた。


「ノア殿、何か分かったのか?」

「まぁ、仮説に過ぎないが……碑石に貼られてる札、半分だけ破けてるだろ? あれが封印の要だったんだろうとは思うが、風化したのか、誰かの陰謀か、まぁとにかく何等かの原因によって破けて効力が弱まったんだ」


 それに何かあるのか?

 半分破けてしまった札が一枚、その石碑に貼られており、こちらを見る呪詛は微動だにしていない。

 効力が弱まったなら、即座に攻撃してきそうだが、その傾向が見られない。


「護符の効力が弱まった影響で、精神体のみが碑石の外側へと出られるようになった。しかし札の効果で一定範囲外へは出られない、って感じだろう。見てみろ、あの浮いてる悪魔の尻尾部分」


 指差した場所は、悪魔の尻尾のような呪詛の線が、碑石と繋がっているような光景だったので、移動範囲が制限されているという推測らしい。

 地下水路の一定範囲内を徘徊できる理由は、どうやら札が破けたのが原因だが、その半分残った札の効果で呪詛を広げられる範囲が増えた代わりに、外へと出られなくなってしまった、という状況らしい。

 これは全部推測だが、大方間違いではなさそうだ。

 それに悪魔のような何かがジッとこちらを凝視してきているため、震えが止まらない。

 微精霊達も怯えているのが、心の内側に波紋の如く広がっていく。


『コ……コロ…ス……』


 悪魔のような呪詛塊が、何か物騒な発言を始めたのに対して、我等は得意な武器を構えた。

 明確な殺意が迸っているため、抑えなければより面倒な事態に陥るだろうし、奥にある禍々しい碑石さえ破壊できれば我々の勝利となろう。

 勝ちなのは良いが、呪詛を振り払う方法は聖職者の能力、神聖な力の奔流、聖水の類い等の浄化された力全般でなければならない。

 しかし我は単なる案内人、神聖の類いは何も持ってない。

 あるのは不完全な精霊術と、案内人の能力の二つのみ。


(ま、まぁ、彼は魔法で何とかしたと言ってたから、ノア殿の能力ならば大丈夫のはず……なんだよな?)


 急遽不安が募っていく。

 先程みたいに子供達から肩代わりして、再び呪詛によって彼の肉体が崩壊してしまうかもしれない現実に対して、我は何もできないのか、と。

 ましてや、現在は原因物質と対峙している。

 ノア殿自身が呪詛に侵された場合、回復措置が可能なのかも不安の種の一つだ。

 が、そんな考慮も臆せず、彼は睥睨を携えて会話を試みる。


「お前は何者だ?」

『………ォ…ス、コ……ロォ…ス……』


 ずっと殺す殺すと呟いている悪魔のような何かに、意思疎通を目的として彼が話し掛けるも、まるで会話が通じないのか、呟きが止まらない。

 逆に『コロス』という言葉が積み重なっていった。

 部屋に、空間に、耳に多く木霊する。

 不気味さだけが、増していく。

 通じないどころか、何の予備動作も兆候も無く、唐突に溜め込んでいたらしい瘴気を周囲へと放ち、強襲を仕掛けてきたため一旦後ろへと飛び下がった。

 迂闊に接近すれば、子供達の二の舞となろう。


『コロォォォォォス!!』


 そう叫びながら瘴気を周囲へとぶち撒け、ノア殿目掛けて飛んでいく。


「閉じ込められて気でも狂ったか?」

「ノア殿!!」


 何もせず彼はただ前へと進んでいくだけで無抵抗、防御や反撃しないと殺されてしまう。

 その時、自分の身体は勝手に動いていた。

 剣柄を手に取って、ノア殿を守護するために鞘から引き抜いたのだが、緑色の刀身は輝きを佩帯せず。

 つまり我が母は、眼前に対峙する敵の斬殺を望んでいないという意味であろう。

 何の反応も見せない。


(母上よ、どうしてだ?)


 この精霊剣には母の意思が内包されており、普段は輝きを放出しているはず、なのに今日は何故か光っておらず、反応していない。

 精霊剣となった者が寿命を迎えれば剣自体が跡形もなく崩壊するため、剣が壊れていないから生きている、つまり斬れないのは彼女自身の意思が関係しているのだ、と予想が脳裏に浮かんだ。

 だが、もう一つの考えが過る。

 母が斬りたくない、と意思表示したのか。

 それとも、考えたくない最悪な可能性なのだろうか……


「『錬成(アルター)』」


 一方でノア殿が創り出した、いや、錬成したのは普段の短剣ではなかった。

 彼はいつも短剣で戦闘を行っている。

 一緒に依頼を受けて魔物討伐へと向かった時も、彼はほぼ短剣で交戦していた。

 が、今回錬成したのは短剣ではなく、何故か連なった鎖であり、その先には一振りの短刀が繋がれており、魔力によってウネウネと躍動している。

 見るからに気色悪い。

 動作が本物の蛇のようで、普通の鞭術とは一線を画す技能であるのは、素人目からでも判別できる。

 ただ単に、凄まじい。

 鎖の蛇のように見える武器、それが数百数千と腕輪から際限無く生出される。

 武器の扱いに長けた彼の、広い空間での戦闘方法。

 鎖を自在に操作して、敵へ突き刺すようだ。

 だから一瞬で部屋全体に大量の鎖が生み出され、それを振り回して大きく薙ぎ払っていた。


「フッ!!」


 伸ばした鎖の先、短剣の切っ先が呪詛碑石へと触れる瞬間に何かの力が働いたのか、金属音を掻き鳴らし、大きく弾かれてしまった。

 まるで、その攻撃が反発したかのような動きに、彼は舌打ちしただけで、また次の一手を繰り出す。

 冷静に物事に対処して、連続して鎖鞭で振り払って攻撃を加えていく。

 だが、どれも反応は一緒で、碑石には弾かれて傷が一切付いていない。

 こちらの攻撃が無効化されるなら、勝ち目は薄い。

 無いに等しいかもしれない。

 それでも彼は、何処かしら心に余裕を感じさせ、特段驚いた様子は無かった。

 つまり、弾かれるのを予想していたのか?

 それとも何か秘策が?


「やっぱ、そう上手くいかねぇか……」


 硬い碑石から付随している禍々しい精神体への攻撃へと即時切り替えて、彼は碑石の呪詛悪魔へと集中的に攻撃を仕掛け始める。

 それはまるで、指揮棒を振るって指示を与えるかのような、そんな一体感。

 彼が操作しているから当然の話だが、攻撃が的確だ。


「ノア殿は、鞭術も会得していたのだな」

「違う、普通の鞭は使えない。魔力で覆って操作しているに過ぎない、一種の擬似鞭術のようなものだ。単に模倣してるだけ、くだらない技術さ」


 酷く冷静な様子で彼は言った、つまらない技術だと。

 鞭でないとしても、鎖を創造して操るという技術も独学でできる芸当としては、些か不思議なものだ。

 誰かに師事したのか。

 いや、こんな芸当、できる人間は限られる。

 このような戦法は初めて見たのだが、鎖一つ一つを変幻自在に操作錬成変更できるようで、途中の部分を遠隔的に錬成して棘を生み出したりして残虐性を形成し、回避を続ける悪魔へと攻撃を届かせようとしていた。

 その攻撃により、徐々に逃げ場を失っていく精神悪魔。

 ノア殿は避けやすい方へ位置を誘導していたらしく、縦に横にと攻撃を加えるものの、ギリギリ避けられる位置に鎖を振り回していた。

 数十秒もすれば、退路は完全に塞がれた。


「サッサと死ね」


 その言葉を最後に、彼は鎖付き短剣を濁った精神体へと突き刺そうとした。

 が、直前に呪詛の怪物は突如として存在を消失させ、短剣は出口と対になる壁に一直線に突かれ、差し込まれた。

 彼が討伐した、のではない。


「消えやがった……」


 突き刺す直前、化け物は消えてしまった。

 鎖を引っ張って壁に突き刺さった短剣を手に取り、腕輪へと変化させていた。


「中央の碑石の中に戻ったのではないか?」

「まぁそうなんだろうが……どうぞ碑石を壊してくれって言ってるようなもんだぞ」


 確かに、そうだ。

 本当に戻っただけなのか、それとも別の謀略でもあったのか、思考に意識を割いた時にはもう、我は彼の後ろ襟を引っ張って背後へ投げ飛ばしていた。

 予知等ではなく、何かの攻撃が見えたがための、咄嗟の判断である。


「テメェ、何し――」


 背中から身体を貫く何かがあった。

 真っ黒で、鋭利で、そして所々が赤く染まっている、槍のような突起物。

 呪詛の塊が槍になって攻撃してきたらしく、後になって自分が刺されたのだと気付いた。


「……グフッ……」


 貫かれた槍は形状を失って靄のように消え、我はその場に倒れてしまった。

 まさか呪詛を固形化してくるとは予測できず、油断してしまったものだが、彼が他者を蘇生する能力を秘めているのを知っていたからこそ、こんな無茶振りも行えた。

 赤い血が、地面に広がっていく。

 自分が彼の犠牲になって、後になって蘇生能力を行使してくれるのならば、現時点で命を捨てたとて何も変わらない、そんな風に考えていた。

 だから自分を犠牲にできてしまった。

 恐ろしい考えだ、人の命の再生のために自分を勘定に入れず、一切厭わないとは。

 それに彼が本当に信じられるのかが不安だったため、彼の少し先の未来までを見通したが、我はどうやら死ぬ直前に気を失い、彼に介抱されるらしい。

 ノア殿が怪物を討伐する場面も目撃できたため、一安心して眠れる。


「…よ、か……った……」


 背中から肺を貫通し、そのまま地面に崩れるように倒れてしまった。

 油断してしまった我も我だが、何とかなるだろう。

 未来に映る自分の生存を確認できたから。

 彼を信頼して命を預けるのは不安でしかなかったのだが、彼は優しい人間であると今は思う。

 だから……我は信じるという決意を抱いた。

 それに、遥か先まで続いていた未来でも我自身活動していたからこそ、こんな辺鄙で鬱屈とした場所では死なないと分かっていた。

 眠気が睡魔の形となって、襲ってくる。

 瞼が徐々に下がっていく。


「おい!! リノ!!」


 微かに声が聞こえる。

 しかし、見えるのは地面だけだった。

 目を覚ます頃には多分、呪詛悪魔との戦闘が終了しているだろうが、痛みと意識混濁によって未来予知が途切れ、何も伝えられなかった。

 とんだ休日となってしまったものだ。

 大人しく宿で休んでいれば良かった、そう思って事後処理は彼に任せ、我はゆっくりと意識を手放した。









 そう、それは遠い過去、まだ両親が生きていた頃だ。

 一人の小さな女の子が、青髪を垂らした母から花冠をプレゼントされているという、優しい光景が、その記憶の中の花畑が、我の眼下に広まっていた。


(あの時の夢、か……懐かしいものだ)


 もう何年前だろうか。

 まだ母が剣になる前で、我と一緒に仲睦まじく楽しく談笑に浸ったり、一緒に花畑を駆け回ったり、自分は死んでしまったのかと錯覚する。

 自分が今何処で何をしているのか、記憶からスッポリと抜け落ちていた。

 だから自分が先程まで何をしていたのか、覚えていない。


「誰かと何かをしていたはず、なのだが………やはり駄目か、全然思い出せん」


 自分でも驚くくらい、酷く冷静だった。

 とうの昔に無くなってしまった花畑が、目と鼻の先に広大に咲き誇っており、吹き荒ぶ突風が肩前に垂らしていた髪を後ろへと持っていった。

 心地良い風が、花弁を遠く遠く、何処までも遠くに乗せて運んでいく。

 空は鮮やかな群青色をして、揺れている一面真っ白な花は、花弁が七枚に分かれている珍しい花、この白い花の名前は、白き楽園という異名を持つ『ホワイトエデン』、純白で綺麗な花である。

 花冠を被り、小さなリィズノインは不思議そうに、母上の顔を覗き込んでいた。


『ねぇ、母様。どうして悲しそうな顔をしているのだ?』


 小さな我は、そう母へと質問していた。

 純粋な疑問は、当然ながら母を苦しめた事だろう、我が完全な人間として生誕しなかったから。

 我は混血種(クォーター)、人と精霊と魔の血が混ざった、不完全な人間である。

 複数種の血を持つ我には、人族側にも、魔族側にも、精霊族側にも、純血種の群がる場所に居場所なんて無かった、だからこそ母はそれを憂いていた。

 我が迫害されぬように。


『ごめんね、リノ。私達には遠くない未来、困難が訪れるわ』

『こんなん?』

『えぇ、そうよ。きっと、貴方が想像もできないくらい苦しくて、そして辛い戦いがやって来るの』


 母上が発した言葉の意味は、その時は全然理解できず、戸惑うばかりだった。

 今でも多少の戸惑いはある。

 困難が何を意味するのか、解釈次第では未来に起こり得る場合だってある。

 そして今、母は我が子に対して辛い選択を与えようとしているのかもしれないが、母と小さい我は、風によって目を瞑ってしまった我の視界から、認識する夢から消失した。

 まるで幻のように、儚き夢の如く。


「……母上、我こそ申し訳ない事をした」


 貴方との約束を破ってしまったのだから、我には謝る事しかできないし、謝ったところで返事が返ってくるなんて期待もしていない。

 母はまだ剣の中で辛うじて生きている状態だ。

 彼女を元に戻せるのはきっと精霊界にいるとされる精霊王のみ、だから我は国を捨て、故郷を捨て、あらゆるものを犠牲にしてきた。

 中では出会いも別れもあったが、それでも我は後悔だけはしていないと自負している。


『謝らないで、リノ』


 後ろから懐かしき声が伝わってきた。

 優しくて、落ち着いていて、そして何より彼女の声を我は絶対に忘れない。

 慈愛の声に、心が安寧に包まれる。


「は、は……うぇ……」

『えぇ、久し振りね』


 ここが夢の世界であるのは分かった、はずだったのに、何故か夢の中の母が語り掛けてきている。

 現実ではない、のか?

 柔和な笑みを浮かべており、揺れる白い楽園が膝上までを隠していた。


『こんな形でしか話せないなんて、やっぱり不便ね』


 自らの頬に手を当て、身体中から吐き出す勢いで空気に吐息を滲ませて、不平不満を口にする。

 その仕草も、目の逸らし方も、全部が母上だ。

 意思疎通もできているように散見される。


「母上、我が……分かるのか?」

『ここは私が創り出した精神世界、貴方のパートナーが戦ってくれてるから、少しお話ししましょう』


 パートナー?

 母に言われて、先刻まで我々が何をしていたのか、唐突に思い出した。

 ここに来る前はノア殿と共闘して、そして胸を呪詛の塊のようなもので貫かれ、気絶してしまったのだ、何故忘れてしまっていたのだろう。

 完全に記憶から抜け落ちていた。

 瀕死の重傷だから、こうして夢の世界に来たという事かもしれない。

 普通に考えて、母と話せる訳がないのだ。

 幻覚か、それに準ずる能力の影響下にあるか、呪詛に侵されて変な夢を見ているに違いない。


『言ったでしょ、ここは私が創り出した精神世界だと。外界から干渉されたりしないわ』


 頬を僅かに膨らませ、悪態を吐く母。

 現実離れした現実、いや夢に面食らうのだが、二度も念押ししてきたなら本物に相違ない。


「ほ、本物……なのか?」

『えぇ、今は貴方の意識とリンクさせてるの』


 緩慢とした喋り方、そして声色と雰囲気からして我が母である、と認識できたが、それ以上に邂逅を果たせた感動から、我は恥も外聞も捨てて彼女へと抱き着いた。

 まるで、年相応の生娘のように。

 伝う暖かな体温、響く鼓動のリズム、優しい手、どれも昔と変わらないのを覚えている。

 儚くも願い続けてきた母との再会が、こんな形で実現しようとは予想外すぎて感情が追い付いていない。

 それでも、確かに彼女はそこにいた。


『ごめんなさいね、リノ。貴方に重荷を背負わせて。こんな形でしか私は助けに入れないの』

「こうしてくれるだけで、我は嬉しい……」


 時間が許す限りで構わない、いつまでも、ずっと、こうして温もりに浸っていたい。

 抱擁を解けば彼女は我の下から消えてしまう、精霊剣として側にいても決して会話できず、意思疎通もままならず、道具へと戻ってしまう。

 母上には時間が無い。

 精霊剣の性質上の問題があるから。

 もし願いが叶うなら、母上と一緒に前のように元の生活に戻りたい。

 だが、その願いが絶対に実現不可能であるという真実を我は知っているから、決して後悔しないよう、この抱擁の温もりを覚えていようと思った。

 これが、我が悔恨の念に駆られないようにした、現時点で行える最大の行為だ。


『私にはもう、あまり時間は残されていないわ』

「……そうか」


 予想されていた真実とは言え、辛いものは辛い。

 母自らが死の宣言をしたも同然である、我も母にあまり時間は残されていないのを理解していたが、それでも唯一の家族なのだ、決して諦念を抱けなかった。

 孤独は非常に悲しい、一人はとても辛い、旅を通して全部知った。

 最早家族のいない我の、唯一の希望が母上だ。

 理解と納得は異なるもの、理性は絶対に不可能だと主張しているのに対し、精神は足掻こうとしている。

 だから旅に出た。

 報われない旅を、続けている。


『あら、驚かないのね』

「あぁ、旅の道中で色んな文献や書物を漁って調べたりしたが、精霊剣が一度たりとも元に戻ったなどという伝承は、見た事も聞いた事も無い」


 それに加え、意思ある精霊剣は最期必ず砕けてしまうと、我は知っている。

 混在する意識が摩耗して、同調している剣身諸共砕け散るのは、意識体が限界を迎えた時に訪れる現象であり、精霊剣について判明していない部分も多い。

 なら、本当に元通りには戻せないのか?

 その疑問点には諸説が入り乱れた状態で存在しているが、それ等は一律して、立証できた試しが無い。

 より簡単に換言すれば、剣が還元されたという話は信憑性が薄いのだ。

 しかし、もう少しくらい保ってくれても良いだろうに、神様はその期間さえも奪っていく。

 何たる理不尽か。


『そうね。私自身も戻れるか分からないからこそ、あの日に全てを覚悟した上で貴方の剣になった訳だし、貴方が気にする事柄でもないわよ』

「母上……」


 優しく微笑んだ母に、我は涙が零れそうになった。

 涙腺が脆くなっている。

 十五歳で成人を迎えてから、もうすでに二年が経過して、十七歳にもなって涙を流すのは流石に気恥ずかしいと感じ、涙腺の漏洩は何度か阻止できた。

 それでも、目頭が熱くなる。

 母上と夢の中ででも再会できた歓喜は、長くは続かない証左でもある。

 目が覚めたら、母は物言わぬ精霊剣となっているだろう。

 もっと沢山話したい。

 より多くの話を聞いてもらいたい。

 けれど、それは許されない。


『先程はごめんなさいね。私にはあまり時間が残されていないから……剣としての力も失われつつあるわ』


 だから、先程は剣が光らずにいたという訳か。

 原因が特定できた部分は良しとするが、逆に的中してほしくない方に的中してしまったようで、このままお別れ、となってしまうのは流石に納得できない。

 何故神は、理不尽に奪うのか。

 何故我が、他者から奪われねばならぬのか。

 迫害や差別、そういった概念が存在する限り、我という半端な種族は何処に行ったとて、居場所が無い。


「我は、どうすれば良いだろうか?」

『できるなら私を忘れて自由に生きてほしいわ。沢山冒険して、遊んで、勉強して、そして沢山恋をして……女の子らしく、ただ貴方のためだけに生涯を精一杯生きてほしい』


 身に染みる言葉だ。


『だって、貴方の人生だもの』


 屈託なく母は語る、自分を捨てろ、と。

 自分には無い選択肢、母上はその存在しないはずの第三選択を取得せよと、迂遠な言葉で伝えてくる。

 けど、どうしても、選べない。

 選択を掴みたくない。

 見捨てるという第三の選択肢は廃止して、母に向けて文句を垂れた。


「……ズルいな、母上は」

『ウフフ、母親ですもの』


 誰かと婚姻を結んで母親となったら、我も母上の気持ちが分かるのだろうか。

 それはまだ先の未来……

 そもそも結婚や婚約、褥を共にするのか、それともしないのかは、自分の未来を観測できない以上は不明で、自分の未来を想像できない。

 自分が誰かと幸せになる未来。

 果たして、そんな可能性があるのやら。


『ねぇリノ、貴方は彼を信じてるの?』


 と、思慮に耽っていると、唐突に母親から直球の言葉が投げられた。

 いきなりな質問だ。

 思わず取り零しそうになった。

 彼、というのは十中八九ノア殿を示唆した呼称表現なのだと、言わずとも理解できる。

 だがしかし、その質問に正確に答えられる自信が今の我には無かった。

 まだ出会って一ヶ月も経過していない。

 普通なら、その一ヶ月である程度は為人が露呈するが、彼は隠し事が多いようにも思え、信頼されていないから、我も彼を完全には信頼できていない。

 私生活において、殆ど交流が無いためでもある。

 彼と活動するのは、冒険者の仕事を請け負う時のみで、それが拍車を掛ける要因の一つだと考えられる。


「どうなのだろう、微妙ところだな……」

『じゃあ、信じてないの?』


 信じてない、という訳でもないはずだ。

 自分でも客観的に見て、彼を信じてるのか信じてないのか、それがハッキリしない。

 人に裏切られるのは、もう沢山だ。

 それは我の胸中に燻っている心情の一つだが、裏切られたくないのと同時に、一人孤独が怖いと思っている。

 孤独を払拭するためにも、また以前のような生活に戻るためにも、母上を元に戻したい。


「我は母上がいてくれるなら――」

『私は近いうちに消滅するわ。その未来は絶対、変えられないでしょうね』


 何故そのような悲観的な未来を我に伝えるのか、何故我に諦めさせようと画策するのか、それが意味不明すぎる。

 生きている、ここに存在しているのに、元の姿に戻りたくないのかと声を荒げる衝動に駆られた。

 そう叫びたかった。

 だが、母の取った行動はたったの一つ、抱き締める行為で強制的に沈黙させられた。


『貴方の人生を犠牲にしてまで、私は生き返りたいとは思わないから』

「母上……」

『そんな顔をしないで、私の可愛いリノちゃん』


 我には母の考えている事を一切許容できない、できるはずがない。

 だって、それは……


『あら、もう時間なのね、意外と早いものだわ』

「母上!?」


 身体が崩壊を始めたようで、光の粒子となって指先から少しずつ消えていく。

 これで最後になるのか?

 こんな会話で終わらせてしまうのか?

 駄目だ、まだ我は貴方に何も返していない、何も恩返しできていないではないか。

 巫山戯るな、こんな最期、到底許容できるはずもない。


「ま、待ってく――」

『リノ』


 彼女の真剣な声色と表情に、我は伸ばした手を更に先へと伸ばせなかった。

 消えゆく母を目の前に、我は何もできない。

 自然消滅する母を唖然としたまま見守るのみ、複雑な感情の奔流が母親の一言で堰き止められ、紡ごうにも適切な言葉が見つからない。

 何かを伝えようとしていると即座に気付き、伸ばした腕を下ろしてしまった。

 芯のある人だ。

 我が何を語っても、彼女は曲がらない。


『自分を信じなさい』


 それは未来師としての助言なのだろうか、それとも単なる母から娘へ教えたかった言葉なのか。

 だが、これは母上が我に聞かせたかった言葉、我はただ胸に刻みつければ良いだけのはず……

 なのに、心に引っ掛かりがある。


「母上、一つ聞きたい」

『何かしら?』

「母上は、我が正しい道を進んでいると思うか?」


 ノア殿の導き手となって同伴しようと考えるのと同時に、脳の片隅に浮上するのは、彼の人生を勝手に決定付けてしまっているかもしれないという予想。

 未来師、案内人、そういった職業に備わる予知能力は相手を予知する能力行使で、未来を一定内に縛り付けてしまうという、可能性の狭窄、その裏付けにも成り得ると我は思っている。

 未来予知は、その人の因果を収束させる。

 因果とは、原因と結果の『道』を示している、要するに予知する一つの行動で、因果関係を絞って未来を決定してしまうという意味だ。

 他者の未来に楔を打ってしまう。

 本当に正しい行為なのか、自信が無かった。


『それは私には分からないわ。分かるのは貴方だけ』


 彼の未来は無数に存在していた。

 多くの外的要因、つまり原因が後の未来を幾重にも分岐させているのだ。

 しかし、我は精霊界へと繋がっていると発言したために未来が一点へと収束され始めてしまったから、これで良かったのかと迷っているのだ。

 彼の未来を狭めている。

 そこに我が関与しているために、責任感が否応なしに双肩に伸し掛かってくる。


『ウフフ、貴方はまだ若いわ。これからの人生、ゆっくりと思う存分悩みなさいな』


 彼女の身体がもうすでに消え掛かっていた。

 消滅間近で、我には止める力が無い。

 そもそも夢だ、我自身が現実世界へと目覚める吉兆なのかもしれない。

 まだ一杯話したい事があるのだ、まだ一杯聞きたい事があるのだ、だから神よ、我から母を奪わ――


『さようなら、リノ』


 消え行く両手が、我の頬を包み込む。

 慈愛に満ちた笑みも、我を癒した温もりも、眼前で光の粒子となって消えてしまった。

 最後に見た母上の面様は、とても朗らかで、安らかで、穏やかで、子供を案じる母親の顔そのもの、とても人間らしいと我には感じられた。

 白い花畑も、母上消失と共に粒子へと還元される。

 この地も、もう二度と踏み歩けない黄金郷となってしまったから、忘れないよう脳裏に景色を焼き付けた。


『リノ!!』


 今度は何処かから別の声が聞こえてきた。

 ノア殿の声だ。

 名残惜しい気もするが、いつまでも悲観していられないのは分かった。

 そして我の気持ちに呼応するかのように、純白たる世界は全てを白紙へと戻していき、白い輝きの中へと引き込まれ、包まれていった。


(また会おう、我が母よ)


 振り返れば、母の姿は無い。

 けれども夢を叶えるために、我は行く。

 それまでは我は死なない、死ねない、自分の目的のために前へと進もう。

 世界が白く回帰する。

 崩壊する世界を横目に、我は最期まで母の言葉を心中に反芻させ続けていた。






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