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星々煌めく異世界で  作者: 二月ノ三日月
第一章【冒険者編】
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第23話 師弟の再会

 ガルクブールに滞在してから、すでに三週間が経過して今日、ようやく目的の日が訪れた。

 目的として、師匠との茶会を待っていた。

 三月十五日、今日この日はガルクブールのギルドマスターとの茶会に誘われている。

 だから、別の都市への出発を遅らせていた。

 午前の講習を終えて、そこから暇を持て余しながらギルド内の休憩スペースで一人、呆然と冒険者達を眺めながら目的の時間まで待機していた。

 刻々と時間が迫り、同じく緊張感に心拍が上昇しているのも感じている。

 久方振りに師匠に再会するのに、こうも自分が緊張を擁するとは、心身共に成長したと思っても結局はまだ未熟な餓鬼でしかない。


「そろそろだな……行くか」


 ギルドには時間が分かるように、壁に魔導具の時計が設置してあり、その時計の長針と短針を確認すると、後数分で約束の三時となる。

 勿論、受付嬢からは許可を貰っている。

 執務室は二階にあるため、そこへ向かうための階段を一段ずつ登っていき、跳ね上がる鼓動を押さえて執務室へと接近していく。

 二度目の人生、初めて訪れた都市で師匠がギルドマスターをしているとは、予想外すぎる。

 こうして再会を果たせる。

 しかし、それは俺視点での話だ。


(不思議なもんだな)


 彼女と別れてから多くの経験を積み、裏切られて、その果てに契約を交わし、かつての師匠の弟子はもう見る影も残っていない。

 最初は、会いに行く選択肢すら思考判断領域の何処を探しても記載していなかったし、こんな場所で再会するなんて予想もできなかった。

 一歩ずつ上がっていく階段を踏み締めるが、その度に足取りが重く、遥か遠く感じてしまう。

 正直、緊張が治まらない。


「……怖いな」


 死に頻していた勇者パーティーを助けてくれた命の恩人とも言える人物であり、俺が錬金術師でも忌み子でも、決して無碍にせず対等に接してくれた。

 当時は魔力が少なすぎて何の役に立たなかったが、魔力操作や制御術の極意も彼女から教わり、その彼女から学習した全ては、その後旅路で役立ってくれた内容も結構多かったのを覚えている。

 弱気が言葉として漏れてしまう。

 それは、結局師匠に合わす顔が無い、というだけの俺の矜持的問題だったから。

 勇者達に貢献できるよう習った極意も、彼女から教わった数々の経験も、全て無意味であり、その末に殺害されそうになったのだ。

 これでは、合わす顔が泥塗れだ。


(でも……)


 勇者パーティーが俺をどう扱ったのか、転移後の話は知らない。

 もしかしたら俺が裏切って何処かに逃げた、と噂を流していたら、それを彼女が信じていたら、そう思うと途端に足が竦んでしまう。

 登る階段の終着点が果てしなく遠い場所のような、そんな錯覚に眩暈がした。

 けれど、俺は彼女のお陰で生き残れた。

 何度も死の淵にありながら、生還できた。

 だから生還できた事実に対する謝意を彼女に伝えたかったけど、俺は魔境へと行方を晦ましたので、ここで旧交を深められるのも多分何かの縁だと俺は考えている。


(奇妙な縁だ)


 ラナは格闘家の師範代、あの人は相当な強さを持つ元Sランク冒険者の一人だった。

 魔力運用と職業の技巧によって、圧倒的強さを誇っていた彼女に弟子入りして、俺は職業について、魔力運用について、戦い方を色々と学んだ。

 数ヶ月間だけという条件付きで弟子にしてもらった経緯があるが、先の戦闘で俺は自分が未熟であると突き付けられたため、また彼女に師事したい。

 魔力操作は非常に得意だが、基礎技術の応用で自己流に変えて戦闘に転用している。

 だからこそハングリーベアを倒した時も同じく、発勁や寸勁といった技術は彼女には無かったので、これは俺流の魔力制御術だ。

 前世の知識も混ぜている。


「ッ……」


 全段登り切って執務室の前に立ち、いざ荘厳な扉を叩こうとすると、何故か躊躇してしまう。

 駄目だ、やはり勇者パーティーのような裏切りに遭うのではないか、彼女は俺に失望しているのではないか、なんて悲観的な妄想ばかり浮かび、身体が強張ってしまう。

 緊張から、ノックの構えで硬直する。


『入りなさい』


 だが、扉を叩く行動は先手を打たれ、持ち上げた腕を垂らして拳が自然と握られる。

 扉向こうから入室の命令が下されて、仕方なくノックもせずにノブを捻って入室を果たすと、初めに目に入ったのは小綺麗な内装だった。

 インテリアに気を遣っている。

 ギルド長として舐められないよう、職人に頼んで改造された結果だろうか。

 ギルドマスターの執務室に入った経験はあまり無かったのだが、やはり綺麗に片付いていた。


(整理整頓されてる……いや、机に大量の書類束が乗ってやがる……)


 積み上がった書類束のせいで、執務室にある豪華で大きな椅子が隠れてしまっているため、そこに着席して作業に徹しているはずの師匠の姿が全く見えない。

 俺との対峙において、彼女は幻影を駆使していない。

 多分前回見破ったからと思われるが、その彼女の身長は結構低いので、カリカリと何かを書面にしている記載音なら耳に届いているが、彼女の顔はおろか輪郭すら書類の壁に阻まれている。

 魔力的にはそこにいるのは見えるが、物理的に書類の山に邪魔されて見えない。

 先程、入りなさいと言ったが、無意識だったのか?


「あ、あの……ラナさん?」

「……」


 白桃色をしたツインテールの美幼女が書類に向かって、羽根ペンを振るって、何かを書いている。

 仕草は可愛らしいのだが、心が躍ったり恋愛的な感情を抱きはしないし、そもそも彼女との再会で俺が感じるのは懐旧の念と懸念の基本二つだ。

 懐かしさと緊張が心の中で攪拌されている。

 しかし俺を放置して仕事するとは、何とも多忙な時間帯に失礼して申し訳ないと思った。

 彼女が休まず作業に殉じている理由は、一週間以上前のウーゼ森林での出来事の各方面への説明や予算の見直し、物資の調達ルート形成、数多くあるからだ。

 中でも俺達が激戦を繰り広げ、森全土をほぼ壊滅状態に追い込んだのも、彼女の仕事における原因の一端であるのは言うまでもない。

 俺達の知らないところで一人戦ってくれている、流石は大都市のギルドマスターだ。


「はぁ……相変わらずだな、アンタ」


 この調子だと、二人きりのお茶会の約束も頭から抜けて、忘却の彼方へ旅立っているだろう。

 しかし数年前と変わらぬまま、彼女らしいなと思いながら俺はソファに腰を下ろし、静かに目を伏せ、彼女の内務作業が終わるのを待った。

 目を閉じれば、昨日の出来事のように彼女との訓練の日々が見えてくる。

 鍛錬は厳しかった。

 けど、彼女が親身になって指導してくれたから、俺は今日まで生き残れた。

 しばらく時間が経過して、書面でペン先走らせる音が消えたところで、幼女が俺の存在に気付いた。

 どうやら、作業に一段落ついたようだ。


「あれ……ノアさん?」


 キョトンとした表情を晒していた彼女は、不思議と『何でお前こんなとこで寛いでんの?』と言ってるような気がして、この場に相応しくない俺を凝視してきた。

 これは、完全に約束を忘れている顔だ。

 昔から、一つの物事に集中すると忘れてしまう悪癖が彼女にあったから、今回の茶会の件も多忙故に失念していても不思議じゃなかった。

 正直、自分の身体を労ってほしい。

 僅かどころの話ではなく、完全に疲労感が目下に滲み出ているから。


「あの、お茶会、どうしますか?」

「ぁ……」


 しまった、という驚愕の表情を隠そうともせずに、慌てて椅子から降りようとした彼女は、作業机に片足を引っ掛けてしまっていた。

 そのまま地面に倒れ、衝撃が作業机に及ぶ。

 甲高い悲鳴が、執務室内で空気を劈く。


「ひゃう!?」


 転んだせいで、書類の山が彼女に降り積もった。

 バサバサァと乱雑に落ちてきた書類を掻き分けて、彼女が白紙の山から出てきた。


「大丈夫ですか?」

「えぇ、まぁ……」


 その目には、剛腕ナフィのように真っ黒な隈がクッキリと浮かんでいたため、あまり睡眠時間を取ってないと観察眼が見破った。

 ならば、お茶会とかしてる場合ではない。

 身体に疲労が蓄積されているせいで、足元もフラフラ、眠気も取れていない、そんな状態でお茶会を開かれても俺が嬉しくない。

 そもそも彼女が茶会を開く理由は一つ。

 俺の正体に関する事項だろう。

 あの時、俺は魔力制御術を披露して監視カメラに映像として記録されていたから、彼女は疑問を解消するために時間を作ったはずだ。


「お見苦しいところを見せました。今すぐお茶の用意を――」

「俺がやりますよ。ラナさんはソファでゆっくりと寛いでてください。茶を入れるのは得意ですから」


 茶会とは本来、ケーキスタンドに煌びやかな菓子の数々が置かれて、お茶飲んでキャッキャウフフするものだろうが、彼女の開くお茶会というのは少々意向が異なる。

 一言で語るなら自由、彼女との茶会は気遣いとかは不要で、完全なる無礼講だ。

 魔境で採れた高級茶葉を、精霊術と錬金術の応用で成分抽出や分離、加熱、攪拌、一気に手順を踏まえ、温かな紅茶を用意して彼女の前に出す。

 カップは棚から取り出したもの、ケーキスタンドとかは無かった。


(この前作ったクッキーとドーナツでも出すか……)


 魔境には本当に様々な植物やら生物がいるため、材料となる植物やら油脂といったものを採取して、デザートを作ったりした。

 まぁ、食べてくれたのはステラのみだったので、味がどうなっているかは知らない。

 試食したが、自分では出来栄えが今一判断できないから、他者に意見を貰うのが一番だったりする。


「どうぞ、紅茶とお菓子です。不味かったら捨てていただいても構いませんので」


 眠たそうに目を擦っている辺り、本当に寝不足な様子であるのが分かる。

 欠伸を手で隠し、目尻に溜めた涙を拭う。

 やはり無理しすぎだろう、このまま寝させるべきだ。

 取り敢えず俺も椅子に腰掛けて、紅茶を静かに飲んで身体を温める。

 香りによって心身が癒される感覚がある。


「……これ、『グリーンローズ』ですか?」


 翡翠の薔薇、グリーンローズという品種の薔薇があるのだが、加熱処理してから冷却すると美味しいシロップが採れるため、商会等で取り扱われたりしている花だ。

 しかし高級品であるため、滅多に出回らないものとして有名だ。

 希少素材の一つである。

 疲労回復の効果があるので、少しでも身体に優しく、気持ちが休まるような茶葉を選んだ。


「よく分かりましたね、流石です」

「……」


 魔境の花畑に咲いていた中に少しだがグリーンローズが咲いてたので、それを摘んで飲んだ事がある。

 本当に美味しかったので、彼女にも是非に味わってもらいたかった。

 薔薇のような香りが湯気と共に空へと登っていき、その香りが鼻腔を擽り、まさに疲労回復や精神のリラックスに効果覿面だった。

 少しは彼女も休まるはずだ。

 しかし俺達の茶会はこれから、彼女は眠気を抑えてソーサーを優雅に置き、姿勢を正す。






「貴方は……誰ですか?」






 唐突に質問が下された。

 誰、という言葉がどの方面を表すのかは、解釈によって返答が異なるだろう。

 同門としての意図か、それとも俺の正体に関する質問か、それは彼女の内面を覗かない限り、俺には推し量れない彼女自身の問い。

 だが、何となく分かっている。

 俺が何者なのか、どうして質問してきたのか、その意図を俺は理解していた。


「いきなり済みません。貴方の戦いをモニターで見させてもらいました」


 そう謝罪文句を口にしながら彼女は立ち上がり、作業机に置かれていたらしい小型のモニターを持って、俺の隣へと着席する。

 そのモニターは多分、試験官が使っていたとされる監視カメラとセットの映像記録機だろう。

 そこに俺の正体に繋がる映像が残っている。

 戦いの最中、俺が見せた魔力制御を彼女は見てしまったから、質問衝動に駆られたのだと心中を察せた。


「この戦闘場面で、貴方は槍斧(ハルバード)を両手に、一つの魔力制御術を駆使していました」


 それは、俺が槍斧で地面を粉砕していたシーン、『ジルフリード流魔力制御術・波紋』を駆使していた場面をバッチリ記録に撮られていた。

 それを俺に見せてくる。

 録画される自分の映像を見るのは、何だか言葉では形容し難い気分となるが、考えるべきは俺が彼女の流派で魔力制御術を使っていたという事実について。

 普通なら、師事していないはずの人間が使っているというのは、何かしらの理由があるはずだと考える。

 この流派を無闇に人に教えたりしないのが、彼女達ジルフリード一族の基本理念となっている。

 俺は勇者パーティーの一員だから、という理由から国の依頼で教わったのだが、アルバート達はすぐにキツい訓練に根を上げて、俺だけが訓練した。


「今やジルフリードの生き残った血筋は私のみ、一族の者ではない者が行使するのは本来、可笑しな話なのです」

「それは……」


 彼女の言う通り、可笑しな話だ。

 彼女の一族は数十年前に魔王との戦争に参加しており、生き残ったのは彼女のみだったそうだ。

 そして彼女は次の大戦に備えて自分磨きを続け、Sランクにまでなって国からの要請で俺達は鍛えられた、そんな経緯がある。

 悲しい過去を持つが故に、その事実が彼女に確信を持たせたのだろう。

 絶対に有り得ない、と。


「かつては国の依頼で勇者パーティーに私の流派を教えましたが、すぐに根を上げた者達ばかり」


 今でも彼女の扱きの辛さを鮮明に覚えている。

 毎日が地獄と錯覚するくらいに厳しく過酷だったが、時には優しく、時には博識を以ってして俺達に色々な知識を教えてくれたものだ。

 まぁ、大半は俺が聞いて、それを戦闘毎に彼等に伝えていたりしたものだが、今は俺を裏切って、切り捨て、新しい仲間を歓迎したようなので、きっと上手く楽しくやっているのだろう。

 奴等については、もう興味から外れている。

 関わる気持ちも一切宿っていない。


「勇者パーティーの中に一人だけ、私の弟子がいました。しかし一年前、彼は突如として命を落としました……」


 彼女の瞳から、静かに温かな雫が流れ出る。

 それが俺なのか、それとも勇者達の中の誰かなのか、考えるまでもない。

 ウォルニスの事だ。

 けれども、彼女がここまで想い泣いてくれているから、俺も迷っている場合じゃないのかもしれない。

 自分の出来事の経緯を伝えるべきなのか、それとも伝えずに隠し通すべきなのか、それを判断する材料が無かったから俺は現在も迷い続けている。

 しかし、その判断材料がお茶会の場で齎され、俺も決意する時が訪れた。


「彼は小さくて頼りなかったですが根は優しく、錬金術師でありながらも、直向きに希望へと突き進むような、そんな自慢の弟子でした」


 小さくて頼りなかったと思われてたとは、意外だったし初耳である。

 彼女は俺が本人であるとは知らない。

 その面影も残ってないから。

 このような会話を本人に聞かれているとは思ってもいないのだろうが、俺の正体を教えたら一体どのような顔をするのかと想像する。

 喜んでくれるのか、それとも悲しむのか、連絡しなかった経緯に頬を膨らますのか、隣席する幼女はどういった風に感情を変えるのだろう。

 そう、意識が隣へ傾いていく。


「生涯で唯一できた、私の愛弟子だったのですよ」

「か、彼は……愛弟子がどのようにして命を落としたのか、貴方は知っているのですか?」


 彼女に愛弟子と言われて、正直歓喜に震える想いだ。

 だから、俺は彼女の真意へと少しずつ踏み込んでいく。

 自分の声が微かに震えているが、それは彼女へと真意を聞くのが怖いから、彼女の口から発せられる真実を聞きたくないからである。

 なのに俺は聞こうとする。

 言動が矛盾している。

 しかしながら彼女の返答は、横に振られた首と、落ち込んだような表情だった。

 知らない、分からない、そう心の叫びが幻聴として耳朶を打ったような気がした。

 

「直接は見ていません。勇者パーティーが、私の弟子が死んだという内容を世間に発表したのです。魔族を倒す際に自らが囮となって勇者を守り、そして死んだと」

「そう、でしたか……」


 やはり、捏造されていたか。

 ガルクブールへと訪れて、勇者パーティーについては殆ど調査せず放置していたが、ここに来て真相を大まかに知れたのは幸いだった。

 つまり奴等は俺を陥れた事実を隠蔽して、世間には遍く嘘を吐いたようだ。

 囮となって死んだ?

 そんな自己犠牲、誰がするか。

 勝手に人を陥れて強制転移させておきながら、世間では良い子ちゃんを気取るとは、やはり奴等は性根が腐り果てているらしい。


「……彼の遺品は一つもありませんでした。何も、残らなかったのです」


 悔しそうに彼女は手を握り締めて、ポロポロと涙を零していた。

 溢れ出る涙が、止まらない。

 悔しい気持ちが堤防を突き破っているのか、衣服の袖口を濡らしていく。

 自分が側にいたら、自分が守っていれば、自分が導いてれば、そう考え後悔の念に苛まれているようだが、残念ながら過ぎた出来事を考えても、時間は巻き戻らない。

 人はいずれ死ぬ。

 それが早いか、それとも遅いかの違いでしかない。

 だが人間の感情というのは複雑なもので、頭では理解していても納得していない、なんて時もある。

 その時が今、彼女の気持ちを払拭させるために、俺は敢えて言葉を紡いだ。


「黒髪に黒目、錬金術師で荷物持ちをしていた」

「ぇ――」

「羸弱な痩躯に、矮小の魔力、知識だけは勇者パーティーの中では一番多かったと自負している」


 それがウォルニス、それがノアになる前の自分である。

 脆弱な頃の過去と鍛錬によって強靭と化した今では、色んなものが変化してしまい、ウォルニスとしての自己の特徴さえも失われてしまったように思える。

 瞳の色も変わり、髪も前髪が何かしらの理由で白く脱色し、身体付きも昔より遥かに逞しくなった。


「少し弱気で、生真面目で、正義感溢れる少年のような人物だった。そうですよね?」

「そ、そう、ですけど……」


 何でそんな細部情報を知っているのか、そう聞きたそうにしていたが、口を動かしているが突然の事態に言葉が出ないようで、少ししたら俯いてしまった。

 お互いにデリケートな部分にまで突っ込んでいると自覚しているからこそ、人の死を掘り返してまで話すようなものではない。

 本当なら、ただ愛弟子が存在したが事故で死んでしまった、それだけで済んだはずだ。

 彼女も俺が何者なのかを知らないから、可能性の領域外へと中々踏み込めない。

 だから、ほんの少しの勇気を振り絞って、俺は言葉にして彼女へと質問を投げ掛ける。


「その荷物持ちの名前、ウォルニス=ヴァルシュナーク、ではありませんか?」

「な、何故それを……」


 本人だから、と答えるべき場面、しかしまずは本当に俺が愛弟子なのかを確かめたかった。

 ヴァルシュナークというのは、自分の手掛かりの一つ、俺が何者なのかを記すための家名だが、本当の両親が生きているのかは分からないし、俺の故郷が何処なのかも記憶に無いのだ。

 たまに夢で見るだけで、俺が何処で生まれたのかなんて一度も耳にしないし、知っている人間もいない。


「孤児院出身で、忌み子として長年蔑まれきた少年、違いますか?」

「あ、貴方は一体……」


 俺は自分の黒髪を弄ってみせる。

 この黒髪が特徴、と言いたいが、きっと彼女には分からないだろう。


「その黒髪、まさか貴方は……」


 と思ったが、意図が伝わったらしい。

 まさかと思ったが、どうやら彼女は俺の正体に気付いてくれたようだ。

 久し振りの感動の再会に、俺は言葉を紡ぐために息を吸って、そして彼女に伝える。


「はい、俺はウ――」

「彼のご兄弟の方なのですね!?」

「……は?」


 急に何を言い出すのだろうか、この人は?

 前に、俺には兄弟はいないと伝えたはずだが、その会話内容すら忘れたのだろうか。

 いや、そんな馬鹿な。

 彼女は記憶力が良かったはずだ。


「ご兄弟はいないと言ってたはずですが……申し訳ありません」

「あ、あの――」


 やはり俺との会話は記録として脳裏に残っていたようで、一安心したが、誤解したままだ。

 急に謝りだした彼女だが、どうして謝るのかが意味不明だった。

 謝罪を口にする彼女の目からは、涙が止まらずに出っ放しとなっていた。


「ヴィル、いえウォルニスは私の愛弟子です。まさかお兄さんがいるとは思いませんでした」

「いえ、俺は――」

「私は……貴方の弟さんを助ける事ができませんでした。何で私は……私はこんなにも無力、なのでしょうか……」


 最後の方は声が掠れて聞き取れなかったのだが、無力を嘆いているのは感情として伝わってきた。

 悲しみの感情が、心を映し出す左瞳によって見えていた。

 罪悪感によって心が押し潰されそうになっている彼女だったが、それでも今もこうして生きてくれている、俺はそれが嬉しかった。

 自分のせいだと思って自害されては俺が悲しい。

 死んだところで俺がそんなのを望んでないと彼女は知っていたから、こうして生きて職務を全うしている。


「そう思ってくれて……俺は嬉しいですよ、ラナさん」

「……ぇ………?」


 涙で顔がグチャグチャだったが、それ程までに俺を愛弟子として想ってくれていたのは、正直意外に思えた。

 俺は他人を信じれなくなった。

 その想いが本当かどうか、まだ疑っている。

 しかし彼女は俺を赤の他人と勘違いしているが、かつての弟子である自分を愛弟子とまで語ってくれた。

 師匠と弟子という関係だが、それでも家族のような安心感がそこにはあった。


「大分様相が変化してしまいましたが……俺です、ウォルニスです」

「……へ?」

「って、やっぱ分かんないか? 俺に色々と教えてくれたのは師匠、アンタだよ」


 昔のようにはいかない、何故ならウォルニスは死んでしまったから。

 ウォルニスはもうこの世界には存在しない、彼は生まれ変わり、ノアとなったから。

 昔の脆弱な自分とは決別した。

 けど、この時だけはウォルニスに戻ったような、そんな錯覚が胸中に残る。


「俺に兄弟はいませんよ。姉妹も、家族も、誰も……」


 俺には血縁が一人もいない。

 いや、いたとしてもヴァルシュナークの仮名は広まってるはずで、現段階で俺に接触して来ない以上は、血縁関係者は途絶えたと見て良いだろう。

 だがまぁ、家族という存在を詳しく知らないし、寂しさを感じたりもしない。

 孤児院生活が長かったからだろうか。

 それとも路上生活の方が長かったからか。

 そこ等の感性はすでに破壊されているため、家族という存在をよく理解できない。

 だから、これが家族なのか、とは断言できなかった。

 不思議な感覚である。


「ほ、本当に……本当にヴィル、なのですか?」

「はい。随分と姿形が変貌しましたが、俺は正真正銘ウォルニスです。いや、ウォルニスだった、という方が語弊が少ないでしょ――うぶっ!?」


 それは突然の衝撃。

 あまりにも一方的な行動に、俺は回避すら取れずに幼女の抱擁を受け止める。

 不意打ちのように彼女に抱き着かれ、勢い余ってソファから転がり落ち、絨毯へと押し倒されて背中を強打するが、そんな些事もお構い無しに彼女の温もりを感じた。

 同時に、触れると壊れてしまいそうな小躯が震え、嗚咽を漏らし、涙で濡れている。


「あぁ、良かった……本当に生きてて……生きていてくれて……良かったですっ………」


 逃さないぞと言わんばかりの抱擁に、されるがまま、俺は彼女が満足するまで身を委ねる。

 ギュッと抱き着かれて少々息苦しくもあったが、離してくれ、だなんて野暮は言えない。

 いや、言いたくない。

 師匠との感動の再会に歓喜に咽び泣く場面ではあるが、彼女が大いに喜んでくれているので、逆に俺のテンションが吸収されて師匠に奪取されてしまったように思える。

 重なる心音が、互いの生存を共有する。

 けれども、俺は本当に生きていると言えるのか、甚だ疑問に思っていた。

 試験時にステラがリノと会話していた時、『生きようとすら思っていないのかもしれない』と彼女は発し、その通りだと一瞬考えた。

 自分にとって、生きる意味が分からない。

 何故生まれ落ち、何故前世の記憶を保持しているのか、そこに何かしら意味があるのか、俺は誰なのか……


「……良かったよぉ………」


 若干幼児退行している気もするが、彼女は沢山の後悔を引き摺ってきた。

 過去の戦いで失い、現代でも弟子を失い、絶望の淵にいたのは、彼女の現在の行動から滲み出ている。

 胸元が涙で沁みていく。

 首に腕を回して抱き着いてくるため、次第に首が苦しくなってきて、呼吸困難に陥る。


「ちょっ――ら、ラナさん? あの、少し離れてくれないですか?」


 離してくれと言えない野暮に関して、前言撤回する、野暮な懇願を頼まなければ、じきに首が締まって俺が呼吸困難で窒息死する。

 いやホント、冗談抜きで……

 凄まじい膂力に、逃れる術を失った。


「嫌です!!」

「ぐぇっ……」


 次第に脳の酸素不足で景色が揺らいで見えてきた。

 これは本当に危険な予兆がして、脳が這ってでも警鐘を鳴らしてくる。

 た、頼むから首を……


「ら……ラナ、さ…ん……」

「ひゃぁぁぁぁぁ!? ヴ、ヴィル!? 起きて! 起きてくださいよぉぉぉぉぉ!!」


 相も変わらず彼女は昔と何も変わってない様子であり、俺は朦朧とした意識の中で、彼女の少し困惑したような形相が見えた。

 心配する、他人を労る顔だった。

 その小さな手が俺を揺すって、徐々に沈む意識を保たせようと必死となっている。

 こんな光景、久々だ。

 会えて良かったと、感じられた。

 そう思いながらも、耐えきれずに俺は流れるように気絶して意識が暗闇に落ちていった。









 少しして、羞恥心を顔に溜めながら、我が師匠ラナは紅茶を音も立てず啜っていた。

 俺が気絶から回復した時には紅茶が冷めてしまっていたため、精霊術と錬金術で温め直し、再度師匠に振る舞ったのだが、興奮していた先刻を思い出して身悶えていた。

 が、やがて平静を取り戻した。

 肉体的には幼女でも、精神的には数十年も生きる傑物であるからこそ、取り乱し様を弟子に見せたのに恥じらいを持っていた。


「落ち着きましたか?」

「はい……先程は済みませんでした」


 謝られても困る。

 まぁ、そんな瑣末な行動は正直どうだって良い。


「ですが、生きていたんですね、ヴィル……何処で何をしていたのですか?」


 その質問について、簡単に説明した。

 勇者パーティーで魔族討伐に相対した事実、その作戦中に俺はシーラに電撃魔法(スタン)閃光魔法(フラッシュ)を掛けられて、更に転移魔法(ランダムジャンプ)で魔境へと飛ばされた、それ等を説明した。

 その後一年間をそこで過ごし、成長限界を感じた俺は外に出て旅を始めた、と伝える。

 その掻い摘んだ説明によって、彼女の持っていたカップは膨大な魔力と殺意に充てられ、ピシッと罅が入った。


「勇者パーティー……今すぐ殺しましょう」

「……」


 魔力による圧倒的な殺気が執務室に充満するが、大して怖くなかった。

 俺に殺意が向けられてないから、でもある。

 しかし実際の理由としては俺が強くなったからだが、それでも彼女に近付かない方が良いなと、魔境での生活と同じくらい警鐘を鳴らしていて、彼女のその殺意は鋭い。

 その殺意のせいで用意したカップに罅が入るという事はだ、相当怒りが彼女の心の中で渦巻いてるという証拠でもあるから、複雑な気分ではある。

 触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものだ。

 鬼が出るか蛇が出るか、そんなのは予想せずとも鬼の面を拝めるだろう。


「ラナさんが殺す必要はありませんよ。貴方が手を汚す必要は無い」

「でも――」

「仮に殺すとしたら……俺が殺る」


 殺意には殺意で、裏切りには裏切りで、これは俺と勇者との戦いなのだ、手を出さないでもらいたい。

 まぁ、復讐するかは決めてないし、どのような結末になったとしても覚悟だけはできているため、彼女には殺らせはしない。

 彼女の殺気を上回って俺の殺意が部屋を支配し、カチャカチャと何かの音が聞こえてきた。

 前を向くと、彼女の持っていたカップとプレートが小刻みに搗ち合う接触音だった。


(やっぱ暗黒龍の力のせいか……)


 殺気を解いて、心を落ち着けさせる。

 彼女も強いとは言っても普通の人間、俺のような半分化け物と化した者とは違う。


「そ、その力は……」

「魔境には暗黒龍ゼアンが棲息していました。彼と魂の契約を交わしたために手に入れた力の一端ですよ。錬金術師としての能力解放、奴の持っていた超回復、それと……」


 俺は手を翳して、影から一振りの剣を取り出した。

 黒光りしている反りの無い綺麗で禍々しい刀を、彼女へと手渡した。

 その光沢ある黒刀を手に、彼女はキラキラとした目で刀身を撫でていく。


「素晴らしい刀ですね。反りはありませんが、使い方次第では斬ったり殴ったりも自在にできそうですね……この刀は一体何処で?」

「暗黒龍の固有魔法らしい影魔法で形成しました。魔法名は『ブラックブレード』というものです」


 光に翳すと、その光を飲み込むような闇が溢れているために、彼女には決して扱えない代物なのだ、だからこそ彼女へと手を差し出して返してもらう。

 彼女から刀を受け取って、ズッシリとする重みが手に馴染んだ。

 刃先を下にして、自分の影へとズブズブと仕舞っていくのを見送り、次に右手甲に刻印されている精霊紋へと呼び掛ける。


「それと、魔境で精霊とも契約したんです。おいステラ、ちょっと出てきてくれ」

『ん〜? ノア? この人誰〜?』

「俺の師匠だ、良い人だよ」


 精霊紋が輝いて、契約精霊が出てきた。

 彼女が俺の背後に隠れて、ラナの方をジッと観察していたのだが、彼女に関しては警戒する必要は皆無である。

 魔眼もそう言っている。

 魔眼で常に真偽判断して警戒はしているが、今すぐに危険は迫らないと考えている。


「高位精霊……ヴィル、見ない間に貴方は……随分と逞しく成長したのですね」

「はい」


 逞しくなった、それはつまり、俺の存在が人間でなくなったという証なのではないかと、そう思考が働いていた。

 心はまだ人間を保っているが、戦いで笑っていたり、戦闘における意欲があったり、徐々に心が変化していくような気がして、不安という鎖が精神を雁字搦めに縛って、泥濘みに嵌まっていく。

 俺は人間なのか、それとも怪物なのか。

 契約して強くなったが、同時にそれは人間から乖離しているという意味ではないのか。

 いつか、俺という存在が、この自我が、消えてしまうのではないか、そんな考えばかりが浮上する。


「師匠としては、とても誇らしく思います」

「ッ……」


 その言葉が、胸に絡まっていた不安の鎖を緩めていく。

 その言葉に、俺の人生が少し救われたような気がした。

 その言葉で、俺の今までの惨めな人生全てが報われた。

 魔眼で見た結果、それは彼女が事実を述べていると判断できた。

 逆に彼女の言葉を心晶眼を通してでしか判別できないのが悲しくて、俺は喉元から中々出てこない言葉を、必死に絞り出した。


「師匠、ありがとな……」


 小さく呟いた言葉が聞こえてか聞こえずか、目の前の彼女は慈愛に満ちた笑顔を繕っていた。

 この運命も、この人生も、全てが巡り合っているものだと思う。

 それこそ、今こうして彼女と邂逅を果たしたのも、茶会に興じているのも、彼女に俺の正体を話したのも、全てが運命で繋がっているのかもしれない。

 見えない糸で紡がれている未来は、きっと一本だ。

 ただ、複雑に絡まって枝分かれしているだけ、解いていけば一つの道が示されている。


(あぁ、そうか……)


 これが生きているという事なのか、自分が生きているのかと少しだけ思えた。

 他者から認められる。

 そういった承認欲求が満たされた、それが自分が人間であると認識できる。

 紅茶に映る自分の顔には、不安は映らなかった。

 これで俺はまた一歩前進できる、たとえそれが地獄への旅路だったとしても、死の運命に誘われたとしても、後ろを振り返らなくて済む。

 ここで彼女と出会えて……本当に良かった。






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