第20話 戦いが終わって……
微睡んだ空気感が肌に不思議な感触を与えるようで、しかし生温かな感触とは裏腹に自身の心が冷え切って、暗闇の中で自分は何をするでもなく、ただ単にその場に突っ立って茫然自失としていた。
意識が朦朧としていて、自分が今まで何をしてきたのかが記憶に靄掛かり、深く沈んでいるような気がした。
分からない、辺りを見渡しても何も見えない。
真っ暗闇の世界、俺の心でも反映しているのか、伸ばした手の先には何も無い。
謎の空間、いつの間に俺は辺鄙な空間に降り立ったのか、まるで記憶に無い。
確か……そうだ、ギルド試験だ。
試験に参加して、四日目に差し掛かったところで、俺は暗殺者セブンという女と対峙し、それから結局逃げられ、気絶したはずだった。
ならば、ここは無意識の世界か。
それか夢なのだろうか。
もしそうなら、その後どうなったのか、リノは無事か、俺は合格できたのか、師匠はどうなったか、無駄に思考が増えていく。
今は、ここから出ていく方法を探らねば。
そのために、この見知らぬ暗闇を歩き回ってみると、多くの人間が俺を取り囲んでいた。
彼等は顔の上半分が見えず、辛うじて口元だけが暗闇には侵蝕されていなかった。
――この化け物め!!
何の夢かと思っていると、一人の男らしき者が口を開いてそう発した。
化け物、その言葉の意味を理解できない。
何故俺はそう呼ばれているのか、その言葉について理解に苦しんでいると、次々と顔の無い人間達の口が開き、罵詈雑言が飛び交う。
浴びせられる侮蔑の塊には、聞き覚えがあった。
俺が忌み子だから、何度も経験してきた苦い記憶、その一端が悪夢として体現されている。
――こっちに来るな!!
――近寄るんじゃねぇ!!
――汚らわしい!!
近付こうとすると拒絶される。
自分が醜い人間であると認識させられ、感情の無い者達から発せられる言葉の嵐が、深く心を抉った。
そんな毎日を送ってきた。
勇者パーティーに所属してからも、侮蔑や嘲笑も沢山あった。
けど、本気で世界を救うために貢献できると信じて、何処までも人を信じ続け、そうして最後には善人が馬鹿を見る結果となった。
裏切られ、魔境に捨てられ、俺を人として見てくれる者達は殆どいなかった。
――死んじまえ!!
――消えろ、この愚図が!!
俺が邪魔だと思っているのか、死ね、消えろ、と存在そのものを否定されていく。
お前さえいなければ、お前が死んでいれば、そう言葉を投げ付けられても俺自身言葉を受諾できず、聞こえないフリをして目を逸らしてきた。
しかし、それに意味は無かった。
何処に行っても呪われた子、神から見放された人間として見られ、俺は世界を嫌っている。
悲しい、そんな感情が胸に僅かに宿った。
――この疫病神が!!
そのような罵倒が浴びせられる。
昔何処かで言われた言葉の一つに過ぎないが、どれも言葉だけは印象に残っている。
顔は見えず、誰なのか分からない。
けれど、その言葉の数々は何処かで聞いたなと、忘れられないなと、俺は昔の忌まわしい過去の数々を思い出して回想に蝕まれた。
――あぁ、何と嘆かわしい。このような忌み子がこの村に生まれようとは……この悪魔を今すぐ殺してしまえ!!
顔の見えない奴等が近付いてくる。
手には短剣、包丁、鉈、弓矢、様々な武器が手に握られていたが、それを身構えて振るってくる。
錬成を発動させようとして、しかし能力が発動せず、だから俺はその場から逃げ出した。
怖い、恐ろしい、辛い、そんな負の感情ばかりが胸を締め付けてきたが、ただ暗闇の中を必死に逃げ惑うしか俺には残されていなかった。
だから、ひたすらに逃げ回る。
あれには触れてはならない、そんな予感が脳裏で警鐘を打ち鳴らす。
「はぁ……はぁ……」
乱れる息遣いだけが闇に反響し、俺は振り返った。
すでにそこには誰もおらず暗い世界だけが広がって、一寸先は闇となっていた。
寂寥感が芽生え、不思議と孤独を味わっている。
それが俺の道なのだと理解しているが、それでも過去に失い続けて、その果てがこの光景かと、俺は何も言葉にできなかった。
ここが何処かは不明だ。
本当に何も無いし、見当たらない。
走っていると、足が縺れてしまい、そのまま地面へと転んでしまった。
(痛ったた……ここ、本当に何処なんだ……)
手には武器が無い。
縺れて転んだのも、幼児退行して子供の肉体に戻ってしまったせいか、地に着いていた両手が小さいのに気付き、面を上げると昔の忘れてしまった居場所が視界の先にあって、悪夢の中に現れた蜃気楼の景観へと向かっていく。
自然と足運びが歩きから早歩きへと変化し、やがて歩行から走行へと動きが活発となる。
何度も、何度も、躓きながらも、かつての楽園へ。
ボロボロで小さな教会と、その隣には俺の育った孤児院があった。
懐かしい、そう思って走り出した。
忌み子として村から追い出され、両親に捨てられ、そして転々としながらも孤児院で育ち、そこで経営していた孤児院の人達が俺の親代わりだった。
今まで忘れていた彼等を、この深淵の奥底で見つけた。
「と、父さん……母さん……」
忘却の彼方に消えたはずの記憶へと辿り着いた俺の目と鼻の先に、朗らかな表情をしていた孤児院の院長と、その妻である母代わりの人がいた。
名前を思い出せない。
二人との記憶も殆ど残っていない。
ただ二人の親代わりの者達がいた、という事実だけが、この記憶の中に保管されていた。
小さな孤児院で、何処にでもあるような、印象の薄い場所だった。
けど、帰って来た気分だった。
俺の唯一の居場所へ、俺は触れようと一歩踏み出した。
しかし直後、その孤児院と教会に大きな炎が上がり、激烈に焼き滅びていく。
(これは……夢、なのか?)
状況がまるで分からない。
何故燃えているのかも、何故その炎が胸を締め付けるのも、俺には一切理解不能だった。
けれど、俺は自然と院長である父親の元へと走っていき、手を伸ばした。
しかし、その手を払われてしまう。
――この悪魔め! 折角拾ってやったのに、恩を仇で返しおって!!
その顔は怒気に満ち歪んでおり、二人の身体に火の粉が飛び散り、一瞬で激烈な炎を纏っては苦悶の表情を繕って焼け焦げていく。
金縛りを掛けられたかのように、俺は黙って燃え盛る世界を眺望するしかできず、立ち尽くした。
恩を仇で返した?
どういう意味だ、俺は別に何かをした訳でもないはずだし、育ててくれた恩義も感じてたはず、恩を仇で返すような真似はしていないはずだ。
でも、俺はその光景を何一つ覚えていない。
恩を仇で返した、それは俺が錬金術師だから?
それとも、俺が忌み子だからか?
何でなんだ……俺は別に、こんな風に生まれてきたかった訳じゃないのに。
――醜い子……貴方を引き取るべきじゃなかった。
二人からの冷たい視線が、俺の心臓を貫いていく。
二人の言葉は、俺の精神を瓦解させていく。
二人の焼けていく姿はまるで……
――消えろ!! この、悪魔め!!
その言葉によって、俺の足元が崩れ落ちていく感覚に見舞われて、次第に炎光が遠ざかっていく。
二人の荼毘に伏す姿と、放たれた言葉が、自分の精神を次第に壊していった。
暗闇へと落下していく。
この小躯が浮遊感に包まれる。
自分が消えていくような感覚があり、伸ばした手が少しずつ崩れ始めた。
「な、何だこれは……」
まさか錬金術師の能力が暴走でもしたのかと、そう思うような光景が自身の身に降り掛かった。
分子が徐々に暗闇に溶けていく。
肉体が指先から手首、腕、胴体へと崩壊を招き、徐々に自我が消えていく。
「や、止めろ……」
死にたくない、消えたくない、そんな気持ちが何故だか湧き上がってくる。
まだ何も成し得ていない、まだ俺は俺自身を証明できていない、まだ暗黒龍にも会っていない、まだ貴方達を何も思い出せていないんだ。
その過去が何なのか、俺には分からない。
けれども、その孤児院が燃え盛った原因の一端が自分にあると、無意識に認識していた。
自分では崩壊していく肉体を止められず、落ちる身体は粒子となって消滅していき、そして最後には自我さえもが暗闇の中で崩れ去っていった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫び、藻掻き、そして意識は覚醒する。
最も忌まわしい大切な記憶の中から、その暗い世界から、現実という名の地獄へと追放された。
意識が覚醒して、ガバッと身を起こした。
叫び声が室内に響き、俺は自分が意識を失っていたのだと知覚でき、同時に悪夢を見たという追憶に対して、手の震えが止まっていないとも確認した。
頭がボーッとする。
意識がまだ朦朧としている。
冷や汗が雫となって頬を滑り落ちていくが、そんな瑣末な事象でさえも今はどうだって良かった。
ただ自分が存在していると、安堵を覚える。
その最も愛おしい悪夢からの脱却に、俺は自分の居場所の再確認を図った。
「こ、ここは……」
周囲を見回してみると、どうやら治療院らしき病室に俺一人寝かされてたらしい。
最悪な目覚めだ。
(何で今更、あんな夢を見たんだ……)
本当に稀に見る悪夢、子供時代の自分と周囲の環境は、忘れたくとも忘れられない忌わしき過去だ。
しかし、今回のは今までよりも辛い記憶だった。
その過去を脳裏に浮かべると、途端に鈍い頭痛がして記憶の呼び覚ましを拒絶する。
あの人達は誰なのか、あの孤児院は何なのか、表出した記憶が何なのか、分からない。
「……それより、どうなったんだ?」
失われた記憶を悪夢として見たようだが、今はまず状況の把握が先だろう。
俺の身体は包帯塗れとなっており、上半身裸の格好のままであるため、何か服を着たいところだが、着ていた服が何処にも見当たらない。
血塗れになってたし、捨てられたと見るべきか。
微睡みからの目覚めに意識が宙を彷徨って、顔を顰め、頭を抑える手が視界に入る。
その手は成人男性の、大人の手だった。
記憶の中で退行した、弱き頃の自分の手とは比べ物にならないくらい成長発達して、角張っており、切り傷や縫合痕、手豆も結構多い。
幾つかは潰れた痕がある。
その手首に繋がれている銀色の腕輪はそのままで、悪夢と現実を区別すべく、錬金術師の能力が使えるのかを試すために錬成を施す。
「『錬成』」
魔力を一切消費しない、錬金術師の初歩の能力。
それが銀輪に発動された。
腕輪から即座に短剣へと変形したため、能力の暴走とかは無いようで安心した。
間違えて自分の身体を分解したら笑えない。
悪夢のように崩壊しないよう能力の使用を注意し、短剣となった形から腕輪へと戻して、次に現状の把握が必要であるため、場所と時間を確認する。
(……今、何時だ?)
今は多分昼頃であり、病室からの景色は敷地内の一部であろう裏庭が見えた。
大樹が風に揺られていて、近くの窓を開けようとベッドから降りたのだが、そのまま足に力が入らず地面へと崩れてしまった。
まだ回復してない、のか?
俺が使用していた寝台脇にバックパックが配備され、そこに仕舞ってある懐中時計を取り出すと午後一時を回っており、戦闘終結の日の出より午後一時まで、計約八〜九時間眠っていたと考えられる。
と、そこで出入り口の扉が錆音を軋ませ、何者かが入室を果たした。
「の、ノア殿!? よ、良かった、目覚めたのだな!!」
窓辺で晴れ渡った快空を確認していた時、病室に入ってきた人物の声が誰なのか、耳朶から響いた空気振動が脳裏へと伝えてくる。
安堵する声が届く。
その声に従い、俺は扉へと振り向いた。
そこには乱れた青髪を揺らす一人の少女が、元気そうな様子を見せていた。
俺が気絶した後で誰にも急襲されなかったと確認できたのは、まさに僥倖と言えようが、ここに五体満足で生還した事実が後から追撃を加えてくる。
そうか、生き残れたか。
「リノ……」
「って何してるのだ貴殿は!? 安静にしていなければ駄目ではないか!!」
そう言われて、ベッドへと強引に連れ戻される。
身体が多少回復したとは言え、まだ本調子には程遠いからこそ、彼女の言葉通り安静にすべきだ。
ベッドに戻され、寝かされたところで彼女から重大な事実を教えられた。
「貴殿は三日間、ずっと眠っていたのだぞ?」
「何? 三日間だと?」
それでは、試験中に死んだ奴等を蘇生させる事ができないではないか。
生き残ってる人間が何人かは知らないのだが、大半が死んでしまったはずで、俺が三日間気絶していたせいで治せたはずの奴も完全に死滅したという訳だ。
いや、蘇生させる必要性が無い以上、そこを気にするのも無駄だろう。
どうせ赤の他人だ。
俺は勇者でもなければ、聖人君子のような人徳者でもないのだから。
ただ自分のためだけに能力を駆使する。
「俺は、三日も眠ってたのか?」
「……あぁ」
試験開始から丁度一週間が経過したという事になる訳だが、まさかこんな事態に陥ろうとは思わなかった。
予想してなかった。
いや、試験最中に乱入者を予測しろ、だなんて無茶な話ではあるが、試験中に伝播していた殺意からこうなるとは予想できたはずだ。
まだ俺の経験不足だ。
寝台へと疲労困憊の肉体を預けて、複雑な気持ちを一旦整理する。
「俺が気絶してから何があったか教えてもらっても良いか?」
「分かった。まず、生き残った受験者は我等含めて……たったの四人だ」
受験者は確か合計六十四名だった。
その六十四人中、六十人が惨殺されたとなると、国としても冒険者ギルドとしても国家予算並みの大損害となるが、それ以上に六十人も殺し回ったという謎の暗殺者二人組が非常に凄いし恐ろしい。
俺の予想通りなら、最凶最悪の犯罪者集団が関わっていると思われる。
だが今回の事件、謎が多かった。
それに俺が関わったのは、ほんの一部のみだ。
巻き込まれてリノを守ったに過ぎず、今回の事件の発端から最終まで何も分からず、手を拱いている。
「他の受験生は?」
「全員惨殺されてたそうだ。全ての死体は損傷が酷く、腐っていたものも多かったらしい」
「……」
「実際にラナ……ン殿に聞かされるまでは何があったのかは知らなかった。試験に関しては、生き残った我等全員が即刻試験中断となり、この治療院へと運ばれて精密な治療を受けるに至ったのだ」
「それで俺はこんな場所にいるって訳か、成る程」
誰かが運んだのだろうとは思うが、それが誰かは知らないし、知る必要も無いだろう。
俺が知るべきは一つ。
この事件に関して、結局生き残ったのは誰か、である。
「我等が治療を受けている間、ギルドは大騒ぎ、国でも対処しきれていないのが現状なのだ」
「ギルマスは?」
「彼女は二日前にギルドの総本部に向かっていったのを見たぞ」
この女、ラナの正体を隠す気があるのだろうか?
まぁ、そこは良い。
それよりもギルド総本山に向かったというのは報告のためだろうが、彼女が向かったのは多種多様な異文化共生の大国の首都、確か名前は『星都ミルシュヴァーナ』だったはずである。
星の降り注ぐ古都として有名な、『冒険者の国』とも言われている都市で、中央大陸の中でも一、二を争うくらいの喧騒に包まれているのだとか。
一度も行った記憶と経験が無いため、冒険の最中で立ち寄るのも一興だろう。
「なら、しばらく帰ってこないのか?」
「あぁ。生き残った我等四人は、一応だが試験合格との意向だそうだ。これがノア殿のギルドカードだ」
彼女からギルドカードらしき、白いカードを手渡されて受け取った。
受験カードが変哲のないものだったのに対して、俺がリノから入手したギルドカードにはギルドの紋章らしきマークが刻印されており、Gランクなのだなと実感した。
これで俺も冒険者の仲間入りだ。
苦労して手に入れたものだが、そこには命の重さが加算されているような、六十人分の命、それが一枚の身分証明書に宿っているような気配を感じ取った。
それが気のせいだとしても、この経験は後に俺の糧となるだろう。
「Gランク、か……」
「まずは数回に渡って講習を受けて、幾つかの依頼を熟すと晴れてFランクになれるそうだ」
随分と回りくどい方策を実施したものだなと、率直な意見が出てきた。
こんな苦労を介さずとも、冒険者という職業は勝手に精査されていくものだろうに、ワザワザGランクなんて格付けしても大して意味が無いように思えるのだが、この制度に何か裏でもあるのだろうか。
無意識のうちに裏の意図を汲み取ろうと、歪んだ性格が発揮されていく。
「なぁ、何でこんな面倒な制度になったんだ?」
「それはだな、前に多くの人間達が冒険者登録をしてFランクになったものの、依頼を失敗する者が多く、また粗暴な人間や人様に迷惑を掛ける者も大勢いたそうなのだ。そのため制度が加えられたらしい」
だから選定した、という意図があるのか。
まぁ、一般常識を知っていて初めて世間に出られるというものだが、そもそも字が書けない時点で冒険者になれないというのも何だか不思議なものだ。
一般常識や社会のニーズも変化していくというものだろうが、冒険者という職種はスラムに生きる者や事情を抱える者、色んな人が就ける何でも屋だ。
仕組みも移ろい行く時代に乗り遅れないよう、社会に必要な素養を掴み、今後の待遇に期待を寄せられる。
「筆記に関してはギルドで習えるぞ」
「そうなのか?」
「あぁ、ギルド職員が数ヶ月掛けて教えるそうだが、一定以上覚えられたら試験を受けられる仕組みになっている、と聞いたな」
ギルドも進歩したものだ。
昔は字が書けずとも問題無かったが、今では文字の読み書きだけでなく計算とかも教えてくれるのだとリノが教えてくれた。
読み書き計算は孤児院で教わったし、自分でも図書館に籠もって勉強したり、と苦労を重ねたので、完璧だと自負している。
文字も種類がある。
異世界勇者が広めたであろう『日本語』や、それに似た言語系体から、古代の文字系体まで、多種多様な文字を覚えては活用している。
「それで、講習はいつなんだ?」
「基本的には毎週月曜日と木曜日に行われるのだそうだ」
試験が始まったのは三月初日で月曜日、そして今日は日曜日、まだ昼前なのだが三日間眠っていたのは間違いないらしく、明日から出なければ今後の冒険者活動に支障を来たしそうだ。
講習内容は冒険者のイロハ、今後覚えておくべき内容に関してを伝授されるらしい。
それに参加しなければ、Gランクのまま。
なので起き上がろうと肉体を動かしたのだが、蓄積された倦怠感と筋肉痛によって全身に激痛が迸った。
「グッ……」
「無茶するな! まだ病み上がりなのだぞ!?」
俺はすでに一回目の講習をサボってしまったのだから、寝てはいられない。
「安心しろ。試験後の木曜日はギルドでも対応に追われていて、講習どころではなかった」
「そ、そうか」
この身に溜まった疲労感が睡眠と共に回復しているはずが激痛に苛まれているのは多分、俺の肉体にまだ暗黒龍の能力が適合しきれていないから、超回復に俺の身体が追い付いてないのだろう。
こればかりは鍛えようもない。
それか寝てる間は超回復が作用しない、とか。
それは有り得ない仮説だが、どの道肉体の回復を最優先させねば、ベッドから脱出できない。
なので今日はゆっくり休んで明日に備えるべきだろうと考えを新たに、寝床に伏し、天井を見上げる形となった。
「……はぁ……」
仕事や作業が無いと、ふと考えが巡る。
それは試験時の振り返り。
結局今回の出来事において、俺は何もできなかった。
ただ自分が生き残るため、同時に自身の職業能力の確認のために戦闘に興じたに過ぎず、そして全力を出した結果が、この有り様だ。
全身激痛に襲われ、身体的機能、免疫、治癒力さえも落ちているのが、左の魔眼を通して分かった。
(そうだ、前作った薬剤飲んでみるか)
影から必要な薬品を取り出そうとしたが、リノが隣に設置されていた椅子に腰掛けてしまった。
取り出すに取り出せない状況だ。
彼女は俺の影魔法の能力を知らないため、早く何処かに行ってくれとも思ったが、相手を追い出すのも何だか忍びなく思ってしまう。
対策を考えねばなるまい。
近くにバックパックが置かれている。
しかし、中に薬剤とか入れてないため、もしリノが中身を予め見ていた場合、墓穴を掘る羽目になる。
「そうだ……なぁリノ、俺の装備してたアイテムポーチ、何処にあるか知らないか?」
見渡す限り、何処にも無いように思えたのだが、少女はクローゼットらしきものを開けて、そこから俺のポーチを投げ渡してきた。
中にはクッションが敷き詰めてあるため、投げられても傷が付いたりしないのだが、正直な話、もっと大事に扱ってもらいたい。
いや、しかし重要なのはポーチの中身。
影に大量に収納してある薬剤のうち、回復系アイテムはポーチにも仕舞ってあるのだ。
そこから、赤い色をした液体瓶を取り出して、中身のポーションを一気に呷った。
「プハッ……」
これはポーションとは成分の異なる薬品、俺が錬金術で作成した一品だ。
体力や魔力を回復させるものではなく、回復能力について自身を実験体として研究している間に作り出した、俺の血が含まれた特効薬だ。
かなりゲロ不味だが、吐き出したい気持ちを抑えて飲み込んだ。
薬効は簡単に言えば、自己治癒力増強である。
正直血を還元しているとも言えるため、吐き出して即座に口の中を濯ぎたい。
「それは?」
「特殊なポーション、身体の自己治癒力を高めるものだ」
度重なる錬金術の実験によって、俺の遺伝子そのものが変化していたと判明した。
細胞レベルで俺という個体は確実に暗黒龍と混ざり合ってしまったため、この遺伝子は最早、暗黒龍の性質を有しているという訳だ。
問題となるのは、成長に伴って俺の肉体が何処へと向かっていくのか、という方向性的事案。
遺伝子そのものが変化しているというのは、身体にどのような影響を齎すのかが予測できないため、現段階でも研究は続行している。
「ふぅ」
魔力を円滑に循環させて、身体の自己治癒力にのみ意識を集中させていく。
ボロボロな体躯を正常へと戻していくためには、こうでもしなければ時間が掛かりすぎるので、予め特効薬を調合しておいたのだ。
徐々に痛みが引いていく。
肉体的激痛が治まっていく。
そして一分程が経過して、完全に治癒が遂行されて、元通りに戻った。
「凄まじい効能を持ったポーションだな。もう身体は平気なのか?」
「あぁ、一応動かせる状態にまで戻した」
自己治癒力に働き掛けただけだ。
傷跡とかは治らないため、腕や足に新たに刻まれた切断部位の傷とかは、普通に見える。
相変わらず穢らわしくて、醜い傷だらけの肉の塊だ。
「邪魔するぜ〜」
身体の動作確認をしていると、ドアをノックもせずに一人の冒険者が入ってきた。
腰に二つの籠手を装備し、茶色い髪に目下には隈を携えた、今回の冒険者試験における試験官の一人、剛腕の女が病室を訪れた。
手にはフルーツ盛り合わせの入ったバスケットを握り締めて、それを近くに設置してあるテーブルへと置いて、リノとは別の椅子に腰を据えた。
「やっと起きたな、クソ餓鬼」
そう開口一番に暴言を放ち、不敵な笑みを繕っているのは、Aランク冒険者のナフィだ。
彼女の背後には二人の人物が立っており、片方は俺が蘇生してやったAランク冒険者のラージスだったが、もう片方の神官っぽい女は知らず、恐らく仲間なのだろうと予測しながら彼等を俯瞰する。
まるで夫婦と子供が一人の人間の病室を訪ねに来た、ような光景。
ナフィの身長が低いために、子供が迷い込んできたかと思わなくもない……と、俺の心が代弁される形で、ラージスが独り言を零した。
「テメェの方が餓鬼じゃねぇか」
「あぁ!? んだとゴラァ!?」
ボソッと呟いたラージスの言葉が聞こえていたらしく、胸倉を掴んで病室で暴れ始める。
余計な事を言った方が悪いのだろうが、そんな悪口くらいで怒る方も怒る方だと言いたい。
反響する声が廊下にまで漏れている。
これがAランク冒険者、我が強いのは当然ながら、喧嘩の規模も次第に大きくなりそうで、片方は籠手を、もう片方は大剣を手にしようとする。
見守っていると、多分この治療院が大破するため、対峙する二人に割って入る。
こんな場所で暴れないでもらいたい。
(『錬成』)
腕輪を錬成して、鎖で二人の行動を束縛する。
それは、A級の冒険者でさえ断ち斬れない、純度高い魔銀の力である。
俺の魔力を多分に含んだ銀鎖だ。
特殊な職業能力でない限りは、束縛から抜け出せない。
「な、何だこの鎖!?」
「う、動けねぇ……」
魔力操作に問題無し、これでまた戦闘が可能となる。
錬金術の精度も僅かに上昇しているように感じるが、あの一戦で俺自身成長できたのかもしれない。
暴れないと約束させ、雁字搦めに封じた鎖を解いてやり、錬成で腕輪に戻す。
その様子を僧侶の格好をした女が凝視してきた。
試験官の一人なら、俺のプロフィールを目にしたはずだろうから、俺の職業が精霊術師でないと看破されたかもしれないと警戒を露わにする。
が、その僧侶が俺の警戒心を読み取ったのか、咄嗟の謝罪を口にした。
「あぁごめんなさい、今の鎖捌きに驚愕しちゃって凝視しただけなの。それより凄いわねぇ……貴方、精霊術師じゃなかったっけ?」
「……アンタは?」
「ココア=アルツベルグ、Aランク冒険者の一人よ。よろしく、ノア君」
どうやら俺を知ってるらしいが、俺は眼前で自己紹介してくる女を知らない。
記憶の中は整理されてない状態。
散らかってるため、彼女の名前を記憶から探るには時間が掛かる。
何処かで聞いた名前だなぁ、くらいの認識であるため、多分Aランク冒険者に昇格したばかり、一年前はBランク冒険者の地位にいたのかもしれない。
だが、今のところ記憶検索にヒットしない。
「それで、貴方は精霊術師じゃないの?」
「単なる固有魔法だ」
適当に嘘を吐いて、その場を遣り過ごす。
激痛も引いたため、もう動けると自己判断した俺は自分でクローゼットへと歩みを寄せた。
いつまでも包帯だけ、では駄目だ。
それだとただの変態だから。
クローゼットに仕舞われていた、解れたり破けたりした衣類を複数取り出して、包帯を剥ぎ取ろうとしたところで客人へと視線を向ける。
着替えようとする動作で、大体は分かるだろう。
にも関わらず、全員出て行かない。
「着替えたいんだが?」
「お構無く〜」
病室から出てってほしいのだが、何故だか誰も退室しなさそうだったので、もう諦めて、包帯の下にある傷塗れの惨たらしい肢体を晒した。
それは壮絶たる人生の一端。
斬撃痕、火傷、縫合に刺突の痕、それに腕や足は切断された傷もジグザグに刻まれている。
傷付き、壊れかけの肉体は傷跡として残り続ける、それは再構築した後でも同様となる。
記憶から再現される有機物だからこそ、この身体を最新の記憶として定着させているせいで、修復した場所には傷が残ってしまう。
未だ自分でも判別不明な、いつ影響された傷か分からないのもある。
陰惨な子供時代を耐え抜いた証、と思って特に気にしないでいるが、俺の肉体をマジマジと熱視線を送ってくる複数名の部外者にとっては、少々刺激の強いものだった。
「な、何なのよ、その身体……」
鍛え抜かれた身体に付いた無数の傷跡は、回復能力に適応されない。
同じように時間遡行のような能力だとしても、この身体は超回復機能の影響が耐性のような役割を果たすせいで、それも効きにくいだろう。
まだ魔境を出て二十日も経過していない。
だから、まだ試す機会に巡り合ってないが、自身の肉体であるため、何となく把握できている。
その場にいた全員が俺の裸体を凝視して、何かしらの感情を有しているような、特に気分を害したとでも言うような目で見てきた。
(所詮は人間だな)
今更精神的に傷付いたりしないのだが、Aランク冒険者もこの程度か、と失望した。
肉体をどれだけ鍛えようとも、所詮傷は傷。
錬成を駆使すれば表皮を変質させて痕跡を残さないよう、手を加えるのも可能だったりするが、これは過去を忘れないように、憎悪を覚えておくための自戒だ。
人と相容れない存在として、俺はここに立っている。
だから油断しないように、この二度目の人生を順風満帆に、平穏に暮らせるように、俺は戒めを忘れない。
剥いだ包帯はベッドの上に置いておく。
後で誰かが処分してくれるはずだ。
黒い衣類を身に纏い、もう用事のない治療院の個室を悠然と後にする。
「ちょっ――待ちなさいよ!!」
「何だ?」
と、出て行く俺を呼び止めるように、ココアは俺の肩を強引に掴んできた。
双肩を無理矢理、後ろへと引っ張る。
「ぎ、ギルドマスターからの伝言、つ、伝えに来てあげたってのに……」
「だったら早く言え」
どうせ明日まで予定は無いのだが、図書館で調べ物だけしておきたい。
あの金猫族の女について、伝承が幾つか残ってたはずなので探すつもりでいた。
時間は有限である。
光陰矢の如く、一日も無駄にはできない。
その有限な俺の時間を割いてまでして、ギルマスは俺に何を伝えようとしているのか、師匠が俺をどう思っているのか知る良い機会だ。
そう捉えるとしよう。
「で、何て言ってた?」
「『私が帰ってきたらお茶会を開きましょう』ですって。これ、招待状ね」
彼女から手紙を受け取った。
師匠らしい特徴が表れた一通の手紙、薔薇の封蝋がされており、それを開いて中の手紙を黙読した。
『ノアさん、私はラナン=ジルフリア、もといラナ=ジルフリードと申します』
知っているが、彼女は俺が生還を果たしたかつての弟子だと知らないために、このように最初に自分の正体を明かしたのだろう。
彼女は律儀で正義感の強い性格をしているため、最初に正体を明かすという真似をしたらしい。
彼女が正体を隠す理由は、ギルドマスターとして舐めた態度を取られないようにするため。
事ここに至っては、自身の正体がバレても問題無しと判断したようだ。
『突然のお手紙、謝罪致します。ですが、貴方の戦闘を見させてもらった限りでは、かつての愛弟子のような面影を感じました。一度お話ししたいので、三月十五日、午後三時にギルドへ来てください。執務室で待っています』
ふむ、中々のラブレターだ。
俺が何者かを確認するためにギルドの執務室で待っているぞ、と要約できる文章が、可愛らしい丸っこい字で書かれていた。
ギルドの試験終了時から三日が経過した。
今日は三月七日、日曜日だ。
来週の月曜日は恐らくギルドの講習があるため、時間的に被らないように配慮しているはずで、ギルドの講習は多分午前、そこから午後にお茶会を開くらしい。
(懐かしいな、ラナさん)
彼女と茶会をする、それが二度目の人生で叶おうとは夢にも思ってなかった。
修行中、何回か彼女と茶会をしたものだ。
当時の俺は、茶葉に詳しくなかった。
だから彼女に色々と教えてもらったが、今回は違う。
前世の知識もあれば、今世の様々な経験と記憶が自分の脳に保管されている。
だからこそ彼女とのお茶会が、こんな形で宿願の一つが成就するとは少し悲しいものだが、彼女は俺の変貌を遂げた姿をどう思うのか、拒絶するのか、それとも連絡寄越さなかった理由を追及されるのか、はたまた殴られでもするのか……彼女との修練の思い出と共に手紙を封筒へと入れ直してポーチへと、その影へと収納した。
「とにかく用件は分かった。他に何かあるか?」
「いえ……特に何も。私は付き添い、この二人が貴方に用事があるそうよ」
彼女の視線の先には、ナフィとラージスが立っていた。
ラージスは蘇生させてくれてありがとう、とでも言うつもりだろう。
感謝するなら蘇生料金を頂きたい。
そっちは分かるが、ナフィの方は分からない。
「ラージスは何の用だ?」
「何で俺を蘇生させた? そこの嬢ちゃんから条件を聞いた。自分を犠牲にするってな。何で俺を助けた?」
感謝してくるものだと思っていたが、どうやら読みが外れたようだ。
そう来るとは予想してなかったが、蘇生させた事実に対して彼に何かを話すつもりは毛頭ない。
強いて言うなれば……
「気紛れ」
「……は?」
意味不明に聞こえるだろう。
気紛れで自分を犠牲にして蘇生させるという、頭のネジが吹っ飛んだ者のする行為に、ラージスは言葉を失って茫然自失としてしまった。
実際リノにも怒られたし。
しかし、俺はラナが悲しまないようにするために蘇生させただけだ、って言ったら多少は気恥ずかしい。
それにコイツ等に言いたくないし、だから誤魔化した。
「剛腕、お前は?」
「一つだけ聞きたい事がある」
妙に真剣な表情となっていたため、こちらも真面目に答える必要がありそうだ。
「お前、手品野郎と戦ったか?」
「戦わずに仲間連れて逃げたよ。それが?」
「いや……何でもねぇ」
何を聞こうとしていたのかは知らないが、俺の言葉で合点がいったような表情で納得していた。
ジャックとセブンという二人の殺人者が何者なのか、大体の予想は付いてるが、ギルドに任せておけば勝手に問題解決してくれるはず、俺は関わらなくて済む。
俺の場合は戦いを五分に持ち込めると思うのだが、今のコイツでは手品の男に逆立ちしても勝てないと、百%断言できる。
フェイントや小細工は苦手そうだし。
それに籠手、魔導具に頼ってるようでは、まだまだ一流には程遠い二流冒険者だ。
「他は無いな? なら、俺は行かせてもらう」
「お前……そんな身体で何処に行く気だよ、おい?」
「何処だって良いだろ。俺の自由だ」
そう、何処に行こうとも、何処で生きようとも、何処で死のうとも俺の自由、誰にも束縛されるものじゃないし、文句を言われる筋合いは無い。
誰かに語るものでもない。
部屋を後にして、廊下を通り、治療院を出る。
リノにジャックからの伝言を預かっていたが、まぁ別に教えなくとも支障は無いだろう。
もう君に用は無い、か。
依頼キャンセルだったのか、或いは何等かの問題が舞い込んできたか。
何にせよ、最初の都市にて目的は達せられた。
「さて、と……」
これで一応は冒険者になれたため、俺は次は何処の街に行くかという冒険計画と金猫族についての二項目を調べるために、この都市の図書館へと向かっていった。
風が吹いて髪を靡かせていく。
少し冷たくて、何処か心地良い。
新たな旅立ちの予感を携え、その風は快晴へと舞い上がっていく。
「ラナさんとお茶会したら……次の街に行くか」
その言葉さえも、風に揺れて小さく掻き消えた。
先に旅立っていった言葉を追うようにして、俺も前へと歩いていった。
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