第189話 舞い降りた春風
ザッ、ザッ、と砂浜に足音が二つ、波に紛れて周囲へと響き渡る。
砂浜と同じく純白色の癖っ毛多い長髪、雪のような触り心地のする獣耳、綿飴の如くフワフワで立派に腰から生えた尻尾、特徴的な翡翠と淡い蒼の虹彩異色の瞳を持つ少女ユーステティアが、北側の浜辺に沿って探索中、少し遠く離れている『雄叫びの無人島』を眺めていた。
しかし、すぐに浜辺に落ちている綺麗な貝殻へと目移りして、拾い集めていた。
「うわぁ、この貝殻素敵だなぁ……リノさんの赤紫色の瞳と同じ色……これでブレスレットでも作ろうかな」
手先の器用な彼女は、貝殻でブレスレットやペンダントでも作れないかと思案する。
探索中にも関わらず、少女はお手製の装飾品作製という趣味に思考を増やしていく。
「ユーステティア様、貝殻を拾い集めている場合ではございませんよ」
「あ、はい、ごめんなさい……」
近くに従者のように控え佇むのは、満開の桜のような桃色をした髪、麗しく凛とした薔薇色の瞳、そして自然と共に生きるエルフの特徴である長耳を隠して、メイド服に身を包む少女ダイアナシア。
現在、雄叫びの島が見える砂浜の上で、荒波を真横に探索をそっちのけで貝殻を集めていた。
理由は、幾ら歩いても特に何も手掛かりが見つからないためだった。
視界が開けているため、何処まで探索すべきか迷い、自分達も森へ向かうべきではないかと危惧する。
だが、動けない。
ご主人様に浜辺の探索を任されたから、この場を離れはしない。
「こう言っては悪いのですが……暇ですね」
「えぇ、本命は森の奥深くでございますから、仕方ありませんよ」
今頃はノア達三人が森を探索している最中、彼等からは直線距離で結構離れているため、ユーステティア達の探知精度では捉えられない。
足跡が縦に列を成し、二人は行動を共にしていた。
しかし不気味な島、惨憺たる生き物の跳梁跋扈して蠢く様を獣人の勘が捕捉した。
(何かが森を徘徊してる?)
獣人の勘は、とある焔龍族の第六感よりは劣るが、それでも危機感知はかなりの精度を誇る。
それに五感も優れている。
巨大な何かが森に放たれているのは明白。
それだけ木々を強引に退かす騒音や、移動によって生じる雑草を踏む足音が木霊して耳に届くため、彼女は警戒してスッと立ち上がった。
「森に何かいますね」
「左様でございますか……では、どうします?」
「へ?」
「このまま停滞するか、それとも森に入るか、でございますよ」
誰も森に入るな、と言っていない。
しかしアルグレナーの提案によって部隊を三つに分割した弊害として、森の探索を三人に任せてしまったから、他の浜辺探索チームが森に入るのは御法度だ、という暗黙の了解がいつの間にか敷かれていた。
そういったルールや支配は定まっていない。
決められてないのだ。
だから浜辺の探索を中断して森に入っても別に構わないだろう、という意識さえあれば簡単に入れる。
「これも一種の催眠……と言うよりは話題の中で話を自然と誘導していた、といった具合でございましょう」
となると一番怪しいのは、三つの班に分けたアルグレナーとなるか。
しかし南北浜辺と森の探索を最初に提案したのは、目と鼻の先に佇むダイアナシア、その前に説明時点で何か誘導するための言葉を植え付けたとしたら、逆に自分の主人が怪しくなってしまう。
これは、考えどころだ。
「ダイアナさんは……誰が犯人だと思いますか?」
「それはまだ判断しかねますが、少なくとも森を探索している御三方が怪しいのは確か、でございます」
その中に犯人がいるとしたら、主人であるノアを除いて残り二人。
ユーグストンとレオンハルト。
二人のうち片方が犯人なのか?
だとしたら、どちらが犯人なのか、どちらが誰にも悟られないよう嘘を盛り込んでいるのか。
「少なくとも、貴方の主人たるクルーディオ様は犯人ではない、そういった顔をしておられますね」
「へ?」
「この際です、宜しければ教えて頂けませんでしょうか? 貴方と、その貴方から見た、あのクルーディオという青年について」
二人の出会い、繋がり、何処から話すべきかは考えずとも最初は決まっている。
初めて、その声を聞いた日。
すでに都市として機能していない財宝都市での出来事、主人と奴隷という関係性ができた四月中旬の一日、そこから二人の旅が始まった。
まだ二ヶ月前という出来事が遥か遠い昔のように色濃く思い浮かぶのだが、語るならばもっと前の段階、少なくとも一年前まで遡る。
「一年と少し前、火の精霊によって私の両親は殺され、私は両目を失いました。幸運を運ぶ力によって私は生き存えましたが、里は襲われ、皆から疎まれていた私は、精霊を呼び込んだ反逆罪で追放されました。これはご主人様にも話していません」
「精霊を……もしかして精霊使いでございますか?」
「恐らくは。サラマンダーは熱帯地方にいる精霊、雪国にはいませんから。だからご主人様が、精霊使いがいるかもしれないと教えてくださいました」
彼女の故郷である雪原郷ラヴィニクスは、気温がマイナスの極寒地帯であるため、本来サラマンダーが蔓延る場所ではない。
そのため誰かに操られ、連れて来られたかと考えた。
それには確証が一切存在していない。
彼女は濡れ衣を着せられ、追放された。
理由は何でも良かった。
幸運能力という異質な力と、魔狼族とは異なった特徴で生まれてきた存在が、里全体で神子として疎まれた存在となり、嫉妬や憎悪が芽生えていた。
だから追放できれば理由は何だって構わなかった、それが事実無根であったとしても。
村は少女追放のために、『冤罪』という大義名分を得たのだから。
その後については彼女に質問すらしていないため、彼女だけが知っている。
「私は持ち前の狩猟技術で何とか食い繋ぎました。途中の街で困っている老婆の方がいて、その人の手伝いをしたら何故か違法奴隷に堕とされて、後になって騙されてたのに気付いて……その後もまぁ色々とありましたけど、運命作用が働いて、私はとある奴隷商人の方に拾われました」
それが、ノア達がオークションで出会った紳士の、バッハという名前の男。
「醜い火傷を負った私を買う人はいませんでした。そんな時、オークションの話が持ち上がったんです」
「オークション?」
「はい、財宝都市グラットポートのオークションです。御存じありませんか?」
世界最大級のオークション会場の一つが存在する都市、そこで落札者と商品として二人は出会った。
落札金額は八十三億、その莫大な資金をノアは払った。
「今でこそ両目が元通りになりましたけど、あの時は目元全体が焼かれていて、醜い顔を隠すためにも包帯を巻いてました。ずっと暗い世界にいました。それを救ってくれたのがご主人様なんです」
「救った、というのは具体的に、その綺麗な双眼でございますね?」
「はい。私は熟睡していたので詳しくは知らないですけど、ご主人様は様々な薬物を駆使して、新しい視界と能力をくれたんです。だから恩返ししたい、そう考えてご主人様と旅をしています」
「旅の目的は?」
「自分を探す旅だ、と言ってましたね」
要領を得ない話の内容に、不思議と勝手に想像が膨らんでいく。
しかし、彼女が嘘を吐いているとも思えないダイアナシアは一先ず全部事実なのだろうと一括りにして、ユーステティアの続きの話に傾聴する。
それは、ノアという青年の背中を追い続けて、彼女の体験した出来事の全て。
二ヶ月という短い時間での、色濃い貴重な経験だった。
彼女の目にした光の世界で知った、数々の知見、数々の思惑、数々の運命。
「グラットポートでは魔族達が勇者の倒した『シド』という方の報復のために仕掛けた、都市災害でした」
「財宝都市に関する記事は見ましたが、凄惨な事件だったと星都でも騒がれましたよ」
「その時に人身御供として、私を含めて八人の種族の霊魂と血を供物に黄金杯を捧げて、召喚してはならない化け物を召喚したんです」
それが盲目の化け物、『星喰らう歪んだ悪魔』、七体召喚されるはずだった怪物達の総称である。
召喚された化け物六体が融合して、進化した。
それを討伐したのがノア、彼の二つ名が『黎明』として噂されるようになった要因でもあり、その灯火が今、消えようとしている。
身体に呪印を背負った原因であるフラバルドの事件は、冒険者だけを狙った陰惨な事件だった。
「ご主人様は私の仲間が呪印に侵されていた時、その呪印を肩代わりして助けたんです」
「薬物師の能力の埒外のようでございますが、固有魔法でも持っているので?」
「さ、さぁ……」
目が泳いでいるのを見逃さず、ダイアナシアは一通りの冒険譚を聞いて、納得した部分があった。
それは彼女のノアに対する信頼度。
妄信的、と言えるくらい少女は青年を信奉している。
主人と奴隷という身分の垣根を越えた関係性、それが非常識的で、しかし何処か羨ましく、彼女は遠い聖樹国へと想いを馳せる。
「私はご主人様と出会って二ヶ月しか経過してません。それ以前のご主人様を私は知らないんです」
「……聞かなかったのですか?」
「いえ、何度かお聞きししました。けど、過去を詮索しないでくれと命令されましたから」
だが、この二ヶ月は決して無駄ではなかった。
徐々に過去が明らかとなっていく中、彼に関する謎がより増えていった。
そこで彼女は、星都に滞在しているダイアナシアの情報力が、主人の正体を露わにする一助となる確率に賭けて、一つだけ尋ねた。
「あの、ウォーレッド大陸出身の、『ウォルニス』という名前に聞き覚えはありませんか?」
「ウォルニス? そこまで珍しくない名前ですが……その名前、何処かで――」
刹那、大爆発が森の奥地より木霊し、爆風が森から浜辺へと一気に押し寄せた。
砂が飛び散る。
木の葉も鋭刃となって襲い掛かった。
真横を通り抜ける一枚の葉が少女の頬を傷付け、血液がツーッと落ち流れ、それが白い服に染みてしまうが、それよりも先の爆発音に意識が強制誘導される。
「今の爆発は……」
何だったのか、そう言葉で表現しようとした直後、獣人の勘が働く。
嗅覚も仕事をして、周囲に吹く風に僅かな腐敗臭が含まれているのも検知し、更には彼女の左目が周辺の魔力の流れをチェックした。
だからだろう、咄嗟にダイアナシアを抱えて上空へと回避できたのは。
地面から出現したのは、不思議な怪物。
無数の目玉が、手足や剥き出しの胴体に縫い付けられ、複数の眼球全てが上空にいる二人を見遣っていた。
「あの生き物は……何でございましょうか?」
「分かりませんが、何か嫌な感じがします」
今攻撃されたら、回避は不可能。
速攻であの世行き確定となるが、飛行能力がある訳ではないため、跳躍したのは失敗だったかと考えるも、反省を後回しにして窮地を乗り越えるための策を講ずる。
「『マテリアライズ』!!」
物質化の魔法を駆使して魔力で長いワイヤーとフックを形成し、近くに境界線の如く繁る樹木へと投擲し、引っ掛けたワイヤーを引っ張り、自分達をその大きな樹木へと引き寄せて躱した。
移動する肢体の一瞬手前に、黒い靄が鋭利な棘山となって強襲する。
その靄を視線で辿る。
それは目玉の化け物に纏わり、変幻自在の動きで敵を捕食する、危険極まりない未確認生物だった。
(生物にしては独特な気配ですけど……)
ワイヤーを解除して、地に降り立った。
片方は背中に背負った鋏を分離させ、もう片方は腰の二刀を逆手に構えて、相手を警戒する。
何本もある視線が二人に突き刺さる。
明確な殺意が、彼女達に注がれる。
「ダイアナさん、気を付けてください。相手の能力について私の推測が正しいとすると、アレは――」
少女が答えを出す直前、黒い靄が龍口を模して二人に喰らいつく。
「『双炎牙』!!」
「『八重斬り咲き』!!」
だが、黒い靄は炎攻撃や連撃によって、いとも簡単に原形を留めずに消失した。
手応えの無い攻撃に違和感を持つユーステティア。
それでも次から次へと真正面から襲い来る猛攻の嵐に手数を要求され、靄を斬り裂き、一歩ずつ後退を余儀なくさせられる。
このままでは、状況的不利が舞い込む。
そうなる前に、対策を施す必要が出てきた。
「『木の葉隠し』」
「なっ!?」
真っ白な少女の身体が透明になったかのように錯覚するダイアナシア、気配も魔力も絶たれ、少女の姿を完全に見失ってしまった。
その本人は職業能力で生体反応を消し、反撃に転じようと動き出す。
(これで見えないはず――)
だが、目玉が多く存在する化け物の眼力を誤魔化すにまでは、まだ職業を使い熟せていないユーステティア、彼女に向かって黒雲が迫る。
それを連続して躱し、再度一つの武器を生産した。
「『マテリアライズ』!!」
魔法によって、彼女の手には長く頑丈な鋼鉄の鎖が握られていた。
鎖の先には大きなフック。
ジャラジャラと重量感を醸し出す銀色の鎖を、化け物に向かって一直線に投擲する。
「『蛇の束縛鎖』!!」
空中に投げ出された鎖が、磁石に引き寄せられるかのように怪物を目指し、蛇のような動きから右足、腹部、上半身へと絡まった。
この鎖の攻撃は、主人であるノアが鎖で攻撃していた方法を真似て、職業が応えた武技の一つ。
その鎖によって束縛された化け物が、不可動な手足をジタバタさせて地面に倒れる。
靄が消えたチャンスを感じ取り、二人はそのまま追い打ちを仕掛ける。
桃色エルフは鋏刃を縦に振るう。
白色ウルフは魔剣二刀を燃やして斬り込む。
彼女達の攻撃を受ける寸前、鎖に込められた魔力が途切れてしまい、怪物が再び自由を謳歌する。
『ウォォォォォォォ!!!』
その雄叫びを連れて、黒霞がブワッと周囲へと放たれ、まるで波のように波状攻撃が繰り出される。
それを避けて一旦距離を保つ。
避けて正解だった。
何故なら、近くの大木に触れた漆黒の霧が、大木の生命力を強奪したためだ。
もし少しでも皮膚に触れたら、生命力を奪われる。
自分達もシオシオと枯れ果てる、それだけは許容できない事態であるため、彼女は職業の未知を引き出すため、より洗練とした意識を一点に集中させる。
(もっと、もっと頑張らないと……)
主人に買われたのは、戦闘奴隷として。
いつも守られているばかりではいられない、だから彼女は諦めない。
「『鋼鉄の牙鋏』!!」
地面から、魔力で生み出したと思われる巨大な虎鋏みが出現していた。
狩猟の本領、職業は保持者の願いを叶える。
強くなりたいという願いに呼応するように、地面の砂を退けて迫り上がった鉄鋏が、顎門を開けて獲物を捕縛、喰らい尽くす。
握り締めた手と同じく開いていた機械罠が作動し、バチンッと音を立てて、棘牙が怪物の屍肉に食い込んだ。
「素晴らしいお力でございますね」
「あ、ありがとうございます……け、けど、力の維持がまだ不完全で………」
今にも能力が切れそうだ、と。
その間に隙を突いて倒す算段が付いたため、現相棒のダイアナシアが、風の精霊術を行使して、高く高く森より高く跳び上がる。
次第に自由落下を利用した攻撃に切り替わる。
二刀を十字に構えて、空中を蹴り、重量を込めた連撃を放った。
「『万花繚乱』!!」
二つの刃を魔力でコーティングし、それを演舞でも披露するかのように、身動き取れない観客に向けて技術の全てを叩き込んだ。
何十何百と斬り込む。
豪腕に、太足に、目だらけの胴体に、しかし何処に斬撃を加えても傷が付かない、逆に防御される。
纏う靄が自動防御して、身を守っている。
だからユーステティアの攻撃も、靄が異空間を形成して擦り抜けるよう細工されていた。
(攻撃が効いてない……)
効いていない、ではなく、攻撃が当たらないよう工夫された結果である。
鉄牙の虎鋏みが消失する。
靄が何度も動く物体、逃げる彼女達を襲う。
それを躱し、受け流し、砂浜に何重にも押される足跡が歪な形へと変貌を繰り返す。
だが、靄にも限度がある。
だから何とか切り抜けられる。
攻撃を回避しながら二人は会話を弾ませて、怪物の能力を暴き出す。
「空間魔法でございましょうか?」
「た、多分違います。あれは、ロナードさんの黒魔導師の能力の一部です。私の眼がそう言ってます」
運命の強さを測る『星の羅針盤』、彼女の翡翠色をした右瞳が、この世界とを結ぶ霊魂の運命の大きさを測定する。
そして誘拐されたロナードが実験体として、こうして自分達の目の前に敵対者として出現した。
そこから見える事実。
もうすでに、彼は死んでいる。
腐敗臭が化け物から漂っていて、獣人の嗅覚だからこそ感知できた。
「ロナード様の? どういう意味でしょうか?」
「私の右目は運命の流れを読み取る力です。能力の詳細はまだ調査途中で不明点も数多くありますが、人の運命の大きさ、つまりどれだけ長生きするか、その一生涯にどう世界に影響を齎すのかを解析する瞳が、この翡翠色をした右目なんです。ご主人様から授かった魔眼ですね」
「では左目の能力は?」
「こちらは人や物、大気中の魔力を視認する瞳です。だから魔力の流れ、魔力の宿った物体等を計測可能なんです。そしてこの左目の特徴として……ロナードさんの作り出す靄の魔力と、現在空中を漂う靄の魔力、二つの波長は一致しませんでした」
「つまり、この化け物はロナード様ではない、という事で宜しいのでしょうか?」
「……それはまだ分かりません」
ロナードの肉体が異常成長した結果、口だらけの化け物に成り下がった、という仮説は不成立となる。
だからロナードの肉体から霊魂を引き剥がして、それを別の容器へと移し替えた、という状況ならば一応の納得はできるが、なら魔力は何処から来るのか。
黒い靄は何を触媒に形成されてるのか。
どうやって、霊魂に容れられた職業を行使できているのだろうか。
その動く死骸、体内魔力はロナードの物とは全くの別物、それが何を意味するのか、彼女は必死に考える。
(私はご主人様程頭が良い訳じゃないけど……でも、頑張らなくちゃ)
魔力が何処から生成されているのか、それを魔力観察能力で看破する。
発生源は、またしても胃の中。
そこから生命力が放出しているのを右目で、魔力が漏出しているのを左目で、それぞれ確認できた。
現在、屍人の原動力は生命力で、魔力は補助的な意味合いしか持たない。
だが、事ここに至っては魔力は職業能力に代用するための重要なエネルギー資源、それが断たれれば怪物は職業を運用不可能となる。
「胃の中に何かあります」
二つの魔眼を同時に駆使して、脳が許容量を超えていない現実に、ダイアナシアは深く戦慄を覚えた。
魔眼は一つ持っているだけで、脳全体に驚異的な影響を及ぼす。
だから基本、右脳左脳両方が情報を分割統制する。
しかし彼女は右目『星の羅針盤』で左脳を、左目『水晶眼』で右脳をそれぞれ酷使しているが、それで許容上限超過していない。
余程彼女の身体に魔眼が適応しているのか、それとも適する魔眼を選択した上で授けたのか。
「胃の中、と言いますと、今朝方のカプセルと何か関係がありそうでございますね」
「はい。ダイアナさんは後衛で援護、お願いします」
「……畏まりました」
一瞬で決定した前後衛のポジション、ユーステティアが黒い鞭のような靄を最低限の動きだけで弾いて躱し、ダイアナシアが他を担う。
精霊術の水弾を連続で狙撃し、風の精霊術で弾丸を加速させていく。
触手化した霧が、獣人の彼女を脅威と判断して捕らえようとするが、悉くを撃ち落とされ、また獣人の動体視力と並外れた身体能力で的確に捌く。
それに対して手数を増やす敵に、より高度な防御行動が必要となった。
途端に脳裏に浮かぶ武技の一つ、最前線にいる彼女はその能力を発揮する。
「『狙撃手の先見』」
動体視力を理論値最高地点にまで高め、動体視力はやがて先見の識へと至る。
それは未来予知にも似た、人の動作限定の約一秒未満の先読みで、次に迫る攻撃の軌道を予見し、それ等一切合切の逃避に須要な運動能力を兼備した獣人ならではの肉体が、本来無茶な回避行動を再現可能にしている。
獣人として最初から持っている潜在能力が、今の彼女を生かしている。
靄を斬り落とす。
霧を払い除ける。
筋肉を酷使し、斬撃速度を引き上げる。
距離が縮まって刃が届き得る位置にまで到達した少女は、そのまま炎の斬撃をぶつける。
「『双炎牙』!!」
『黒靄外套』
身に纏う黒い外套によって、彼女の炎撃が食い止められてしまう。
その外套と切り結ぶ短剣が弾かれる。
鍔迫り合いに持ち込まず体勢を崩させて、その少女へと靄から形作られた黒い蝶々が飛んでいく。
『屍肉蝶々』
無数に増殖する黒靄の塊が、蝶々の形をしてヒラヒラとユーステティアに飛ぶ。
その一匹が衣服の端に付着した。
するとその部分が溶けて、彼女の脳裏が途轍もない危機を訴える。
「『内苑/子守り繭』!!」
それを救ったのは庭師の森女だった。
危機一髪、回避のため背後跳躍したユーステティアの足元から樹木を生やして包み込み、黒い蝶々から身を守ったのである。
繭のような形をした造形物が、蝶々によって徐々に感染していく。
出口から逃れ、少女達は体勢を立て直す。
攻めに攻め、受けに受ける、弱点が無いかを必死に模索して時間を浪費するが、途切れぬ魔力と黒い靄攻撃に次第に劣勢となっていく。
(職業の力が邪魔してくる……こんな時、ご主人様ならどう切り抜けるだろうか?)
きっと生け捕りにしただろう、目と鼻の先に重大な証拠があるのだから。
そのためにどうするか、彼女は劣勢を強いられるも炎刃を振るい続け、防御に専念して隙を窺う。
「『内苑/断崖の庭園』!!」
側で戦闘を繰り広げていたダイアナシアが、砂地に剣を突き刺して、地面を破壊していく。
亀裂がまるで生き物のように怪物へと迫り、その足下が粉々に崩れ落ちる。
自重によって足が嵌まる。
だが目的は完全なる捕縛と胃の内容物の確保、一瞬意表を突かれた特殊な屍人が職業操作をブレさせ、羸弱な部分、化け物の隙を垣間見た。
靄が有らぬ方向へと突き出していた。
それにより、肉体を守護する靄の一部分が剥き出しとなり、そこを攻撃するため接近する。
(今なら……行ける!)
脱兎の如く駆け出し、逆に鬼気迫る少女の殺意に化け物が訳も分からず震え出す。
それは生まれてから初体験した恐怖、自身より脆弱な人間のはずが、その一匹の白い獣人に怪物は恐怖心という未知なる感情を無意識に抱いた。
だから攻撃が集中する。
残された外套さえも犠牲に、攻撃に転じる。
靄の荒波が、少女を喰い殺さんと獅子の形を模して、ユーステティアの肢体を貪ろうと突貫した。
大きく口を開く黒い靄の異物に、少女は火花を散らした二刀を振るう。
「『双月狼』!!」
二刀が満月のように白く輝きを増し、その振るわれた残光が半月を描く。
逆手に持った光が、黒い闇を払った。
白月のように彼女はその瞬間、煌めいていた。
『死屍累々』
しかし、斬られた箇所から徐々に死骸の山が膨張と共に形となり、更なる死骸が動き出す。
「どうやら、この怪物は無尽蔵に靄を増幅させられるようでございますね」
「はい……どうしましょう?」
「それは――」
増え続けて歪な山となる死屍累々の真っ黒な怪物達が空洞の目を二人に向け、それはまるで生者へと縋るような視線に感じられた。
慟哭する化け物の肉体が変形する。
異質に、歪に、異形へと変貌を遂げる。
肉体の隆起によって胴体や手足も膨れ上がり、人間性を失った本物の化け物も二倍以上の体躯となった。
「な、何なのでしょう、この怪物は……」
殺意以上の悪意が、その身から発せられる。
絶対に勝てない、そう思わしめる絶対的な魔力量と生命エネルギー、そして肉体的優位が、少女達を絶望へと追い込んでいく。
ノアのような干渉能力を持たない二人の職業では、完全に破壊したり討伐はできない。
斬撃では防がれる。
虚を突けば靄が怪物となって強襲を受ける。
短剣を握る両手が汗で滲み、寒気にも似た背筋の凍る鋭感が、現実を如実に示唆していた。
「逃げてくださいませ、ユーステティア様」
「だ、ダイアナさん……」
「アレは私達では勝てないでしょう。能力の相性も悪く、増援を呼ぶべきだと愚申致します」
声色もガタガタで、長寿のダイアナシア本人も体感した経験も数少ない危機が、まさに今眼前で腕を振り上げて、拳を強く握っていた。
靄がグローブの役割をして、拳を覆う。
より強靭に、より繊細に、拳が強化された。
間もなく下る鉄槌、咄嗟の判断でユーステティアを突き飛ばした。
「ダイアナさん!!」
「うっ!?」
風の精霊術が少女を守り、鉄槌を間近に喰らった裸一貫のエルフが衝撃で吹き飛んだ。
何度か白砂を巻き上げる。
桃薔薇の綺麗な髪が薄汚れ、衣服も解れて砂塗れで破ける箇所も増える。
「クッ……か、カレン様………」
頭を打ち付け、朧げに浮かぶは主人の顔だった。
髪が血で赤く染まり、桃色から赤色の薔薇へと濡れ、意識も朦朧としていた。
平衡感覚は失われ、立ち上がろうとするも、千鳥足となって両手両膝を乾いた砂地に着く。
刃は欠けて、力も入らない。
血は滴り、砂を赤く染色する。
死に場所としては、中々な景色が視界に映された。
少し離れた場所に島が見える。
太陽に照らされた波打ち際で、天然の貝殻や鉱石物、珊瑚や海水が光を反射して、これ程までに魅力的で、それでいて開放的な墓場があるだろうか。
森のエルフが海で死ぬ、何たる皮肉か。
密集する森よりも、この広々とした海で最期を迎える、それがエルフとして生まれた彼女の僅かながらの心残り、もう一つはカレンとジュリアの姿をもう一度拝見したかったという願望。
それも最早叶わない。
今から死が訪れる。
黒靄が巨大な手の形を成し、伸びてダイアナシアの身体を掴み上げた。
「グッ!?」
「ダイアナさん!!」
今助けるぞ、と接近する仲間は、死屍累々の深淵の怪物達に阻まれる。
黒い巨腕がエルフを握り潰そうと握力を込めて、ミシミシと人間から鳴ってはならない骨の軋む音が響き、意識も遠く霞んできた。
口からは吐血、腕や足も握力によって骨折して激痛に苛まれるが、もう断末魔を上げる体力も残り少なく、三途の川を渡る一歩手前である。
血も多く流れ、すでに死に体。
一縷の希望も無く、援助が見込めない以上は自分達で何とかするしかない。
それでもユーステティアは自分の異能に祈る、誰かダイアナを救ってくれ、と。
「に、逃げ…な、さぃ………」
言葉に力が感じられず、間もなく命を落とす。
死ぬと分かっていても、他者を心配するダイアナシアの身体が潰れてしまった。
恐怖で身体が竦んでしまう。
動こうにも動けない。
周りに誰もおらず、一人で戦いを強いられる現状を、彼女は途端に恐ろしく感じた。
『黒霞汚染』
黒い霧が身体中から噴き出し、その霧を防ぐ方法は無かった。
ダイアナシアのみなら、風の精霊術で防御膜を張れた。
しかし彼女は捕まり、精霊術を発せない。
まだ命の灯火は必死に抵抗を続けているが、それも残された少女次第。
(ひ、一人で……一人で戦わなくちゃ………)
戦場において、ノアと出会ってからの彼女は殆ど一人での戦闘に経験が無かった。
奴隷として過ごした約一年間の孤独が、霧に触れて途端に想起し、彼女の心を塗り替える。
絶望と孤独、呼吸が浅くなる。
悪意が彼女の精神を汚染していく。
一歩、また一歩と、絶望が迫り来る。
このまま負ける訳にはいかない、しかし勝つ算段が付かずに勝利への道も遠退く。
黒魔導師の力が、精神を汚していく。
ダイアナシアも、ユーステティアも、その精神汚染に巻き込まれて、両名共に絶対に勝てないと理解させられ、しかしエルフは辛酸舐めるような追憶を脳裏に呼び覚まされ、耐え切れず気絶した。
少女も檻に閉じ込められた過去に縛られ、心臓が死神に掴まれる。
「…ぁ……」
上空に黒靄の玉塊が生まれ、次第に増大していく。
空気も取り込み、風が騒ぐ。
海も荒れ放題、砂塵も空へ躍り出る。
吸引力の強い黒玉が成長を続け、その膨大な魔力量に戦慄を覚える間も無く、一定以上の大きさとなった黒塊が流星の如く彼女へと降り湧いた。
『黒塊流星』
黒い流れ星が死を連れて落下する。
逃げようと足を動かすが、二歩下がった時、何かに躓いてしまう。
それは、ダイアナシアの持つ大きな鋏の一部だった。
転んで、臀部を砂で汚し、逃げ遅れる。
戦闘から目を背ける事勿れ、その鉄則は破られ、瞼が重く光を遮断し、身を守るために無意識下で両腕で頭を守るような体勢を取った。
そして彼女は祈る、誰でも良いから助けて、と。
一縷の希望さえ奪われ、神頼みとなった彼女の異能が、一人の運命を釣り上げた。
「『神樹龍の晩餐』!!」
それは一つの綺麗な美声、少女の周囲に生えた大樹の鱗を持つ複数の木龍が、黒き流星を喰らい尽くす。
攻撃を貪る突然の光景。
少女は瞼を開けて、突然の事態に目を白黒とさせた。
ダイアナシアの能力か、と思った少女は彼女を一瞥するが、その本人が気絶により能力発動不能状態であるため、誰の能力かと周囲を見渡した。
尋常でない魔力を内包している木龍が、黒い塊を吸収し終えた。
それを出現させた少女が、ヒラリと可憐な花びらのようにユーステティアの面前に舞い降りた。
「や〜や〜、ピンチなようだねお嬢さん」
「へ?」
話し掛けられたが、急展開の連続に脳が混乱を来たし、間抜けな返答をしてしまう。
美しい翡翠にも似た金色の髪が海風に靡き、花の香りが獣人の嗅覚を刺激する。
その少女の運命力、生命力と魔力の内包量はノアに匹敵する程で、その森に包まれるような優しげな雰囲気と陽気な声色が、少女の恐怖を除去する。
「もう大丈夫だよ、後はボクに任せて」
振り返り様に見せる笑顔は、自然に愛された森人族の慈愛の籠もった表情で、それを見たユーステティアは自然と感想を漏らした。
「綺麗……」
それは本心から出た言葉だった。
気高く、可憐で、芯のあるエルフ、その高潔さの窺える佇まいと能力の強さに、少女は憧憬にも似た気持ちを抱き、その女性の戦闘に魅入られた。
「さてさて、彼女はボクの友人なんだ、その薄汚い手を離してもらおうか」
掌を向けて、怪物へと能力を統制する。
相手を支配するための能力で、霊魂に容れられた職業の使用権限を奪う。
「『万能制御』」
職業を使用不可にし、黒い靄が全部消失した。
職業のみにあらず、身体機能から感情、命すら少女の統制下にあった。
黒靄の手で持ち上げられた仲間の森人族が、地面に落ちてしまう。
「おっ、と」
地面に叩き付けられる寸前に受け止め、まるで物語の勇者が囚われのお姫様を助ける一幕に映ったが、残念ながら華々しい雰囲気ではなく、瀕死の重体を回復させるために能力を発芽させた。
手を叩き合わせて、能力を出現させる。
砂から生まれた小さな新芽が、少女の魔力を糧に急成長していき、巨大な繭草を作り上げた。
「『母なる弁慶草』」
その繭の中心に寝かせ、自己治癒力を高めて回復措置を開始する。
仲間が死に瀕している。
それを許さず、彼女はもう一つの生命を地面から発芽させて急成長を図った。
「『光輝たる日輪草』」
地面が隆起して根っこが這い出て、蕾の状態の巨大花の隙間から光が漏れ出ている。
光が蕾に集まっていく。
目に見える形で彼女の背後から生えて、頭上で垂れ下がる巨大な花蕾が、黒い靄を浄化させていた。
浄化の光が、殲滅の輝きが、花開く。
巨大な向日葵が収斂された光を放ち、一直線に進んだ光線が悉くを焼滅させ、その直線上にいた謎の怪物の顔面を的確に狙い撃ち、その頭部が灰燼に帰した。
塵芥となって頭部が消し飛んだ怪物は、糸の切れた傀儡人形のように形骸と化した。
「まさかこんな辺鄙な島に人がいるなんて、不思議な偶然もあるもんだね〜」
クルッと身を翻した耳長い森人族の猛者が、未だ臀部が大地から離れない未熟な冒険者に手を差し伸べる。
「大丈夫かい?」
「あ、は、はい!」
手を取り、引っ張り上げられた。
が、勢い余って顔を胸元に埋めてしまう。
アロマの香りなのか、精神の安定する花の匂いに、気持ちが和らいでいく。
しかし、それでは初対面の人に迷惑だ。
すぐに離れて、白い少女は咳払いで誤魔化した。
「あの、助けていただいて、ありがとうございました。その、えっと……貴方は?」
「ボクはエルシード聖樹国第四代巫女を務める、フェスティーニ=グリーエルテ=シュトローゼム、君達の味方ってところかな?」
それは春風の如き邂逅、その大樹にも似た貫禄と満ち溢れる生命力、そして暖かな木漏れ日の香りが、一人の少女から発せられた。
そう、ユーステティアには感じられた。
しかし六月も終わり間近、春にしては遅すぎる。
この現状と同じかと、春の香りを漂わせる少女を多少警戒するが、まるで世界樹のような、言葉では表現しきれぬ森の恩寵を一身に宿した圧倒的な自然の息吹、警戒心はすぐに無くなった。
何者かは知らない。
しかし彼女の魔眼に映るフェスティーニは若葉のような色合いをして、魔力量と生命力も一際大きく、莫大な運命を背負っているように視認できた。
「あ、わ、私はユーステティアと言います!」
「……そっか、君があの………」
名前を聞くや否や、何かを考える素振りを見せる森人族の彼女だったが、一度咳払いして手を差し出した。
これは、自分が敵ではないという証明。
「よろしく、ユスティちゃん」
運命の糸を辿った少女と、その糸を手繰り寄せた少女の不思議な出会いは、今後の特異点を大きく変動させる要因の一つであると、二人は気付かない。
不思議な縁で繋がれた少女達の数奇なる運命が、より複雑に絡まって糾われる。
少女達は手を取り、握手を交わす。
まだ全幅まで信頼を寄せるのは難しいが、彼女がいなければ自分は黒靄に殺されていただろう。
そして鋭い獣人の勘が、このエルフは只者ではない、と暗示する。
「よ、よろしくお願いします……」
異種族同士が手を取り合う。
不思議と安心感が流れ込むようで、少女は年上そうな柔和な少女を見上げた。
(この人、一体何者なんだろ?)
名前を名乗られたところで、この島を訪れた目的には成り得ない。
まだ何もかもが謎に包まれている。
しかし悪意を一切纏ってないため、同時にダイアナシアを知っていた事実から、一先ず信頼してみる。
まだ分からない事だらけで戸惑いも多くある彼女だが、それでも今は事件解決に奔走するため、すでに遺骸へと触れているフェスティーニの下へ向かった。
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