第186話 波風に揺られながら
荒々しく鳴る波の嘶きに、自然と目が覚めていた。
朦朧とした意識は、太陽の光を浴びて覚醒する。
左腕の感覚は失われ、袖を捲ってみると本当に呪印が左腕を完全に喰ってしまい、真っ黒となっていた。
手を握ってみる。
その拳を開いてみる。
しかし、感覚も無い気持ち悪さだけが残った。
それとは別に、先程体験した明晰夢で超回復の機能向上に勤めたが、どうや現実世界でも生命力の一部が失われ、逆に超回復に生命力を注いだため、幾何か身体も自由に動かせるようだ。
また、疲労感が多少なりとも解消したのは嬉しい誤算と言えよう。
(ホントに黒くなってやがる)
呪印の方は侵蝕速度がゆったりとだが進行していて、呪印侵蝕率が八割を超えたようだ。
しかし、超回復でも抑えるのが精一杯。
気にしたら負けだと思い、捲った袖を元に戻した。
(そう言えば……聖女の召喚した聖獣に乗って、無人島に向かってる最中だったな)
視界の大半を、真っ白で綺麗な長髪が埋め尽くす。
甘いシャンプーの香りがする少女、奴隷のユーステティアと共に現在、島を渡ってる最中だった。
嘶きの海流の影響で、こうして潮が引いて一時的に島を渡れるようになったため、聖獣を乗り物として『雄叫びの無人島』の右下にある島を目指してる最中だ。
視線を横に持っていくと、海が見える。
波高く、渦巻く海は夢とは違って凪を知らず、逆にそれが癒しの音楽のようで、上手く仮眠を取れたように思える。
「ご主人様、おはようございます。お身体に異変が生じてましたけど、何かされたのですか?」
「あぁ、生命力の一部を超回復に費やした。だから回復力と速度が上がった代わりに、生命力が消えたんだ。よく分かったな」
「これでも、ご主人様の奴隷ですから」
健気にも少女は胸を張っていた。
彼女の右目の影響だろう、運命を見通す魔眼を以ってすれば造作ない。
しかし、残り数日の命には変わりない。
生きたいと願う反面、諦観も半分ある。
リノの予知夢が言ってるのだ、死ぬのは確実、抗うつもりだが意味を為さないかもしれない。
その時が来れば、自ずと答えが見つかるだろう。
「俺が眠ってからどれだけ経った?」
「二時間が経ちました。道中は特に何も、至って平和でしたよ」
退屈とした二時間を一人過ごしていたらしいユスティ、他の面々も誰一人として言葉を発さず、それぞれが雪狐に搭乗したまま無言となっている。
雪狐の雄大な足音だけが波音を掻き分けて耳にまで届いてくる。
無人島との距離はまだある。
すでに無人島が幾つも巨大に見えているが、後一時間くらいは掛かりそうだ。
「ご主人様、犯人って一体誰なんでしょうか? この中にいるんですよね?」
「唐突だな。何か思うところでも?」
「はい、今回の事件が特殊なのはご主人様も気付いておられるはずです。必要の無い森の調査に加わり、毎日一人ずつ攫い、こうして今も欺き続けてます。けど、捕まる危険度はかなり高いはず、犯人は何がしたいんでしょうか? それとも何かする理由があるんでしょうか?」
確かに彼女の推論には一理ある。
「ユスティの言う通り、犯人の動機の部分を鑑みても不明瞭な点は多くある。なら、一度これまでを振り返って考察してみようか」
「はい」
俺達は六月二十三日、この島にやって来た。
この島の先の星都ミルシュヴァーナに行く目的で、その通過点として休養地に選んだのがここ、サンディオット諸島の星夜島だ。
飛行船に乗ってる間にリノが倒れ、その原因がこの島にあると知ったため、ギルドで情報を集めようと情報管理室に赴いて情報収集しようとしたら、この島のギルドマスターであるローニアが現れた。
彼女から聞いた話だと、この星夜島では一月七日から事件が発生したそうだ。
その日、島で巨大な地震が起こったと言う。
それから島の住民達が倒れ、観光客や冒険者も無作為に倒れてしまう集団昏睡事件が発生、鑑定士達を呼んでの原因調査が開始された。
順序としては、島民の昏睡、鑑定士による鑑定、観光客からも続出、といった流れらしい。
その後、聖女シオンが治療に来たは良いが、最近になって作物が枯れ始めたため、彼女がこの島に原因があると言って地質調査をするに至った。
地質調査のための募集をアルグレナーが出していたため、それに参加するよう婆さんに言われて俺達は地質調査に出向き、集合地点である灯台に辿り着いた。
「つまり、今回の地質調査の発端はシオン、それからアルグレナーの二人だ」
「確かニアお婆様が、シオンさんから助言を頂いたとか」
「あぁ、婆さんが言うには、聖者様の助言『作物が枯れたのは多分、この島全体に原因があるから』を聞いて地質調査隊編成を爺さんに頼んだんだと」
「では、シオンさんは元々事件の原因を知ってたんですか?」
「どうだろうな。あのポンコツ聖女様が事件の原因を知ってたとしても、聖女という肩書きと能力がある上、ここ最近島に来たらしいから、犯人という可能性はかなり低い」
聖女が犯人だとしたら、アルテシア教会の威信に関わる大問題に発展するだろう。
「彼女の目的はどうやら俺らしい」
「ご主人様が目的?」
「神託があったらしく、それで英雄ノアを探しに来たんだと今朝聞いた。どうやら彼女自身ではなく、友達の聖女を大聖女にしたいんだとか」
「そ、そうなんですね……」
大聖女選定についてはまた後で彼女に説明するとして、今は事件の時系列を振り返る。
地質調査に参加した俺達は二列編成で森を探索した。
その森が鬱蒼としている中で、モンスターに襲われながら辿り着いたのは地質調査に適したキャンプ地で、そこで調査を始めようとした時、俺達を狙ってハングリーベアが強襲してきた。
正確には俺を狙って、だが。
その熊モンスターはキャンプ地に辿り着く前、俺とルミナの二人が感知した。
感知したのは、探知範囲内に突如出現したからだ。
「結局、あの熊さんは何だったんですか?」
「さぁな、催眠術師が用意した個体だと思ったが、それについてはまだ謎だな」
俺がそこで考えたのは、森全体が枯れていない事実、ハングリーベアの暴走状態、探知範囲内に突然の出現、そして俺だけが狙われた、その四つの疑問。
仮説を幾つか立てて考えたが、全てにおいて俺の仮説に対する結論は不足、それか出なかった。
つまり情報が足りてないのだ。
「その後は二つの班に分かれて行動してましたよね」
「そうだな。俺はジュリア、ダイアナ、ユーグストンの三人とモンスターハウスに囚われて、そこで一時間程度戦いを強いられた」
あの森はダンジョンと化していた。
それに気付いたのは俺とユーグストン、だが彼は『やっぱり』と答えていた。
それなら、前から知っていたと取れる。
(いや、憶測の域を出ない以上は、ユーグストンを犯人だと断定できない)
だから、俺達は困難を前に立ち往生している。
俺達が戦った後、何度も戦闘を繰り返して夜に合流を果たした。
それから飯を食い、風呂に入って、夜番を開始した。
「夜になって夜番をする事になったが、最初はお前とジュリアだったな」
「はい、色々お話ししました。犯人についてとか、全員の職業についてとか、ですかね」
「で、ジュリアは何て言ってた?」
「えっと、職業については何人か隠してるために分からない人が多い、と。ご主人様の職業も疑っておられました。それから、レオンハルトさんが犯人ではないかとも言っておられました」
「レオが?」
そう言や、ユーグストンもレオンハルトが犯人ではないかと勘繰っていた。
俺の中ではユーグストンが一番の催眠術師候補だったが、それが今では揺らいでいる。
それに一人で全部の仕掛けをしたとも思えないし、この地質調査に参加する前は何処で何をしていたのか、というのも気になったりする。
「まぁ良い、夜番について確認するぞ。夜番は十二時を基準に翌朝午前八時まで、一時間二十分毎に交代して行った。まずジュリアとユスティ、次に俺とレオ、爺さんとユーグストン、ニックと偽物ノア、カレンとルミナ、そしてダイアナと聖女シオンの順番だったな」
「ですが、結局アルグレナーさん達までしか夜番はされなかったんですよね?」
「そうだな。爺さんの証言から、午前三時頃まで起きてたから、その後すぐ眠っちまったんだろう」
翌朝目が覚めると、ジュリアが誘拐されていた。
テントの中は物が散乱してて、状況からジュリアが催眠術師に操られて攫われたと断定した。
「ジュリア誘拐について婆さんに連絡して、それから二つの頼み事を聞いてもらった」
「それが冒険者の方々の情報と、ジュリアさんのギルドカードの追跡、ですよね?」
「その通りだ」
それから二日目のトラブルを終えて出発しようとしたところで、偽物ノアが俺を犯人扱いした。
奴はロナードという名前の黒魔導師だった。
俺の名を騙るとは、物好きもいたものだ。
「攫われたのは、ジュリア、ロナード、ルミナ、ニック、そしてカレンの計五名、そこに共通点らしき共通点が見当たらない。強いて言うなら全員冒険者である、というくらいか」
「男女交互に攫ったのでは?」
「何のために?」
「そ、それは……」
「まぁ、良い線行ってるかもな。もし男女交互に攫ってるとしたら、それは犯人の拘りか、或いは何かをカモフラージュするためか」
「かもふらーじゅ、とは?」
「偽装工作、つまり本来の目的を隠すための演出を意味する言葉だ」
それが本当なら、二つの目的を隠すために敢えて男女交互に行方不明にしていると思えた。
その二つをユスティが考える。
「二つ、ですか……えっと、もしかしてジュリアさんの転送能力が関係してる、ですか?」
「俺もそう思った。ジュリアの転送能力を手に入れて島の行き来を自由にしたり、ゾンビ兵共を転送してきたり、使い道が幾つかあるからな。それを隠すため、とも言えるかもしれない」
そしてそれが事実なら、カレンを誘拐したのは万が一の保険のためと推測可能、ジュリアの洗脳が解けた場合の人質として利用できる。
そのためにカレンを攫ったとしたら、そこに意味が生まれてくる。
しかし逆に、ロナード、ルミナ、ニックの三人を攫った理由が不透明と化す。
「もう一つは何なのですか?」
「催眠術の容量上限かな。三神龍を手中に収めているとしたら、相当な容量を圧迫するはずで、島民を攫ったりするのにも催眠術を駆使してる。催眠術の使い過ぎで一人ずつしか誘拐できない、それか催眠の効力は二種類以上併用できない、とかな」
一気に全員を攫ってしまえば、犯人にとっては不安要素を取り除けるはず。
しかし、それをしない。
理由を悟られないよう男女連続して攫うとしたら、ジュリアの転送能力が肝となる。
無論犯人にとっても問題は山積みだが、催眠術師の未知なる部分を考えるなら、他にも理由があるかもと危惧しておくべきだ。
「俺達は今日を含めて六日間調査してきた。結果として分かったのは、このままだと火山の噴火に伴って連結してるマグマ溜まりが起爆、サンディオット諸島全体が海に沈むって事実だな」
「二日目で知りたくない事実、ですね」
「そうだな。それに三神龍も操られ、辛うじて反抗してるのは生命龍のみらしいし、三神龍使って何か儀式でもすんのかねぇ」
この島に関する儀式は二つ、一つは『三神龍の加護の儀』、もう一つは『登竜門の儀』、もし犯人の狙いが儀式関連だとするなら登竜門を選ぶはず。
この儀式で職業を得て、何かしようとしているのかもしれないと考えた。
しかしこれも推測、動機になり得るかは些か微妙と言わざるを得ない。
動機の線から考えるのは難しそうだ。
ならば別の視点から見てみよう。
「何回か紛糾があったが、婆さんの齎した情報によって俺達は北東にある浜辺へ、そこから離島へ聖獣に乗って移動してる訳だ。さて、ここで地質調査での謎の一つ、ゾンビ兵共について」
「何か気になるのですか?」
「ゾンビ達は心臓、肺、肝臓、腎臓の四つを抜き取られていた。心臓を麻薬精製の材料にした場合、残りの三つは何のために抜いたんだろうか?」
「儀式に必要だった、とかですかね?」
「それなら肝臓や腎臓よりも、脳や心臓、血液、肉体全部とかじゃないか?」
「た、確かにそうかもです」
ゾンビ達から抜き取った四つの臓器について俺が考えてるのは臓器売買、他に情報が無いので、密航船がどうのと婆さんが言ってた情報を踏まえ、それと統合すると今の考えしか思い付かない。
だが、単に四つ抜き取ったのに何か理由があるのではないかと俺は気になっていた。
(情報が足りてないから仕方ないが……)
月海島日輪島でもそれぞれ事件勃発といった状況で、何が起こってたのかは知ってるが、ここ最近の出来事に俺は関与してないので大して知らない。
セラなら何か知ってるだろう。
多分事件に介入している。
第六感の権能があるため、万が一にも危険な行動は避けるはずなので心配は特にしていないが、彼女の会いに行ったであろう『旧友』が気になる。
俺の考えが正しければ、と思ったが、今は事件の話に集中するとしよう。
「それに、もう一つの謎も検討しなければならない」
「もう一つの謎、ですか?」
「あぁ、ゾンビの腹を掻っ捌いて調べた時、半透明の薬剤カプセルが見つかったろ?」
「はい、二つだけでしたね」
「それだ。麻薬中毒者がゾンビになってるのは分かったが、それはただの偶然だったのか? それにあの獅王族のゾンビの膂力、エルフゾンビの魔法力、餓鬼ゾンビの俊敏さ、どう考えても異常だった」
まず死後硬直が無かった。
次に内臓が四つ抜き取られていた。
そこから類推すると、投薬によって死体を再利用できるよう施術されているはず。
そこから、誰が施術したのか、何故俺達を襲ってきたのか、他に何体所持しているのか、何処に施設があるのか、何の目的で作ったのか、といった複数の思考分岐点で無数に枝分かれしてしまう。
それに加え、もし麻薬を服用していたなら、どうして身体に衰弱の痕跡が見当たらなかったのか、が議題に上がってくる。
麻薬『天の霧』を服用していたなら、肉体に影響を及ぼして筋力低下が誘発されるはず、別の麻薬を服用してたのかどうか。
「今回の地質調査での謎は大きく分けて三つ、催眠術師の所在に関する謎、調査メンバーの誘拐に関する謎、そしてゾンビ襲来に関する謎、だな」
「誰が犯人か、ご主人様はもうお分かりなのですか?」
「まぁ、可能性ある奴が一人、犯人第一候補として浮上してるとこなんだが……」
その考え得る人物が本当に俺の推測通りの人物なのかどうか、証拠が何一つ無い。
俺達の対策が杜撰すぎた、という点もある。
そのせいで五人も行方を眩ました。
ただ逆にギルドカードの追跡装置を利用して、俺達は反応のあった離島を目指している。
「最も不思議なのが屍人達だ。何で四つも臓器を抜き取られたのか、その臓器を何に使用したのか、何で諸島で決起したのか、誰が屍人を施術したか、何処に人間を隔離しているのか、共犯者は誰か、密航船は臓器売買等に利用されてるのか、その航路から背後に何者が関わってるのか、疑問は全然尽きない」
「す、凄いですね、ご主人様」
「いや、何も解けてないから凄くはないだろ。月海島と日輪島の考察レポートも詳細は書かれてるが、依然犯人に繋がる手掛かりは無い」
他にもギルドに侵入した犯人もまだ催眠術師なのか他が犯人なのか見当付いてない。
ハングリーベアが突然現れた理由も、ユーグストンが夜中にコソコソ出掛けてたのも、初日の夜に探知した魔力反応の突如消失についても、全てにおいて大量のピースが欠けている。
考えれば考えるだけ深みに嵌まりそうだ。
しかし、眠って落ち着いて、身体における異変によって新たな可能性を見出だせた。
それは、生命龍の持つ生命力だ。
「ゾンビ共に生命力が宿ってたから、もし施設が離島にあると仮定するなら、ワザワザ離島で施術した後に星夜島で生命力を注入したってなるが、これは面倒だし手間も掛かる。だから引っ掛かる」
「確かに、言われてみれば違和感ありますね」
「そこで一つの仮説を立ててみた。俺達の向かう先に施設があったとした場合、そこに生命龍と関係する『何か』が存在してるはずだ」
「えっと、その何かとは?」
「う〜ん………ダンジョン化していた星夜島の森、屍人達の体内にあったカプセル、連携していた屍人達の異常な膂力等、そして生命力で動く素体……」
まだ何かが足りていない。
だから答えを出せない。
麻薬の作り方を知らないから、この屍人の謎を俺には解決できないでいる。
森の中での調査程度では、認識が狭いと実感する。
それに前回の事件についての疑問点、シェルーカの聞いた麻薬取引を誤魔化すための咄嗟の嘘、彼女の仲間が彼女に説明した『筋力増強剤』というキーワード。
催眠術なら、麻薬を単なる増強剤だと偽っても不思議ではないだろうが、シェルーカに掛けられたのは、『麻薬』という言葉を聞くと記憶を忘れるといった催眠で、仲間の吐いた嘘が何故か腑に落ちない。
(けど、一見関係無さそうな幾つもの推測同士を重ね合わせると、一つの仮説が生まれる)
それが、麻薬の材料だ。
材料次第では屍人を動かすのも、生命力を巡らすのも可能になるのではないか。
そんなぶっ飛んだ発想に行き着く。
だが、それができる材料が思い浮かばない。
どういう理屈で動いてるのか、回収した死骸を詳しく解剖すれば何かしら手掛かりを得られるはずだが、この身体には寿命がある。
もうすぐで終わる命、効率的に動かねば無駄に時間が過ぎるだろう。
だから地質調査もある意味では非効率だったと思う。
寝まいとしても、いつの間にか寝てしまう。
寝る直前の記憶も曖昧で、抵抗しようにも気付けば悪夢に苛まれ、次の日が訪れている。
(影鼠越しに見えた星夜島の森の中心付近、結界らしき場所に百体以上も屍人が犇めき合っていた。奥には煉瓦の建物も見えた……一体何を守ってる?)
事件の全貌がまだ見えていない、多分星夜島だけでは完結しない。
何処かしらの国が後ろ盾となっている、そうでなければこんな大掛かりな事件、一人でできるはずもない。
(情報量がフラバルドの比じゃないな。しかも犯人捕まえて終わりなんて、そんな気がしないしな)
この事件にはもっとずっと根深い、特殊な動機があるようにも思える。
誰かに唆された?
いや、それは突拍子もない。
月海島、日輪島の事件考察レポートについて詳細が書かれているが、月海島よりも気になるのは日輪島、船乗りというワードからユーグストンが想像できる。
彼は船乗りと自分で名乗っていた。
犯人かどうかはともかく、このままでは俺達は永遠に迷宮を彷徨ってしまう。
「ご主人様、離島がかなり近付いてきましたよ!」
「ん?」
思考の彼方に意識を飛ばしていると、耳に入ってきたのはユスティの声。
彼女の指差す方向には、俺達の目指していた島がある。
かなり接近してきた。
割れた海から出てきた道が、目的の島に続く。
数えきれない疑問が押し寄せるが、今はただ攫われた連中の無事を確認し、そこに何があるかを知るのが先決、俺達は事件の解決のためのピースに迫っている。
ゴクリと、彼女が息を呑んだ。
緊張しているのか、武者震いして尻尾もユラユラ揺れ動いている。
「緊張するか?」
「緊張しないと言えば嘘になります。けど、攫われた方達が無事であればと、そう思います」
何処までも優しい彼女が、無事を祈っている。
だが、そうは問屋が卸さないのが今回の事件、催眠術師という未知の職業が牙を剥く。
「それに、リノさんも眠ったままですし、助けなければなりませんから」
「そうだな」
俺達の目的、ここでのしばらくの休養のはずが、リノの昏睡によって事件への介入が決まり、こうして休養を要する肉体のまま戦いに身を投じた。
それに関しては俺自身が決めたため、すでに死ぬ覚悟は固まっている。
超回復に生命力の一部を移したが、それは呪印侵蝕の抑制に回してる回復を、戦闘で負った怪我にも向けさせるための苦肉の措置、延命のためではない。
要は幾ら呪印を抑えたところで、崩壊した肉体は回復も適応されず、寿命も伸びたりしないのだ。
解呪すれば、回復で寿命も元通りになるだろうが、そんな暇は最早残ってない。
犯人の影しか見えてないから、九日で間に合うかどうかと言ったところだ。
(七月七日まで、後九日……)
今日を含めて残り九日で、その日は到来する。
龍栄祭初日は俺にとって大切な日であり、世界にとっての命運もその日に決まる。
悠長に構えていられない。
残り九日で、絶対に犯人を見つけてみせる。
だが、全員の職業を把握しているものの、誰かは職業を偽っている。
アルグレナー 『地質学者 → 地質学者』
レオンハルト 『格闘家 → 格闘家』
ニック 『英雄 → 英雄』
ルミナ 『古代魔導師 → 古代魔導師』
カレン 『細剣士 → 氷彫刻家』
ジュリア 『空間魔導師 → 魔導手品師』
ダイアナ 『植物学者 → 造園技師』
ロナード 『魔剣士 → 黒魔導師』
ユーステティア『狩猟神 → 狩猟師』
クルーディオ 『薬物師 → 錬金術師』
ユーグストン 『調教師 → 調教師』
現在判明しているのは、以上の通りだ。
聖女リュクシオンを除いた十一人全員の職業プロフィールの閲覧許可をローニアに頼み、一通りの職業が判明しているが、この中の誰かが未だ嘘を吐いている。
一番怪しいのはユーグストン、奴は判明前と判明後の職業が一緒なのだが、左目の霊王眼が奴の職業を嘘だと見抜いている。
なら、奴が犯人で決定……とはいかない。
偽りの職業、偽りの情報、両方共違っているのは判明した事実、それに基づいてユーグストン=催眠術師というのは些か早計だ。
(嘘を吐いたのは俺とユスティを除いて四人、けど全員の職業は俺だけが把握している。逆に職業の発言に嘘が無く、更にプロフィールも同じだった奴等が四人……そして両方共嘘吐きが一人)
怪しいのは間違いなくユーグストン。
発言もプロフィールも偽ってるのが、この調教師だ。
そして奴は船乗りだと宣った。
(この中に催眠術師がいるのはほぼ間違いない。外部の可能性は極めて低いから、そっちは考えなくて良いか)
一度考慮から外して、内部犯と決めておく。
いや多分、内部犯以外考える必要が無いのだ。
根拠はあるが、その根拠を確かめる術がまだ見当たらないので、そこは追々考えるしかない。
それか、別の証拠を突き付けて追い詰めるか。
何か証拠が無いかと六日間を振り返ってみて、まだ聞いてなかった内容を思い出す。
「ユスティ、初日の精神通信でアルグレナーとカレンの会話が少し奇妙だって言ってたよな?」
「は、はい。何だかカレンさんの雰囲気が可笑しくて、気になっちゃって」
「その会話の内容、覚えてるなら教えてくれないか?」
そう言って彼女は、できる限り思い出そうとしたが、難しく唸っている。
意識的に記憶を呼び起こさなければ、人は次第に忘れてしまうものだ。
「す、すみません……」
「いや、なら俺の能力を使おう、記憶に干渉する」
「分かりました。では、お願いします」
即座に彼女は、俺の胸元に凭れてきた。
彼女の記憶を覗くため、俺は彼女の頭に手を乗せて能力を発動させる。
「『記憶干渉』」
これも一応だが錬金術、彼女の脳裏を探っていく。
圧巻とする情報量の多さにより、自身の脳を酷使してきて脳内回路が焼き切れそうになるが、この中に犯人に繋がる何かがあるかもしれない。
そう思えば、耐えられる。
内部へと意識を潜り込ませて、彼女の六日間の記憶へと強く干渉する。
(ユスティの記憶、ここ六日間の地質調査での出来事を洗いざらい見せてもらうぞ)
奥へ深くへ意識体が沈んでいく中でこの六日間を辿っていくのだが、彼女の地質調査での記憶初日にまで到達し、俺は戦慄を覚えた。
(どうなってんだ、これ?)
その初日の記憶の一部に、靄が掛かっている。
何度かそういった記憶領域の異常を見た経験はあるが、今回のは記憶を封じられてるだけ、少しの切っ掛けで治せるだろう。
(これなら……)
そこに手を翳して、その記憶を遠隔で強引に引っ張り上げようと画策する。
ピリッと右腕に痛覚が通い、その記憶に纏わり付いていた靄が晴れた。
それは、ハングリーベアによって分断された後の光景。
カレンが俺達四人を置いていく提案をした場面。
反対する者はいなかった。
その後再編成によって二列を成して先へと進んでいくところだが、その列編成は今までよりも異質さを増していると言えるだろう。
前衛から後衛まで、バラバラだ。
その場面、カレンは提案で探知役を最前列と最後列に設置しないか、と言っていた。
そして列が編成される。
(ユスティの隣はレオか、ずっと最前線にいたのに、探知能力を買われて最後尾に収められたか)
隣にはレオンハルトの顔が見えた。
二列編成で彼女達メンバーは、アルグレナー、レオンハルト、ロナード、カレン、ニック、ルミナ、リュクシオンの七名である。
今までからすると、最前列にニックとレオンハルト、次にロナードとアルグレナー、カレンと聖女シオン、ルミナとユスティ、そういった二列編隊が妥当だったろう。
彼女の位置は普通だが、何故かルミナとレオンハルトの位置、それからアルグレナーとリュクシオンの位置が変化していた。
つまり最前列から、ニックとルミナ、次にロナードと聖女様、アルグレナーとカレン、そしてユスティとレオンハルトとなっている。
話し合いにまで遡って見ると、何故そうなったのかが判明した。
探知できるのはルミナとレオンハルト、ニック自身がルミナとチームを組んでいる経緯を話し、二人が最前列に並んだためにレオンハルトが余り、逆に最後尾での警戒をアルグレナーに頼まれていた。
一方で、カレン自身アルグレナーと会話したいと言って聖女に頼み込んでいた。
経緯は理解した。
隣にいる格闘家に怪しい点は見当たらない。
普通に会話してるのだが一点だけ、探索再開直後に転んで巨木に額を思いっ切り打ち付けて、ヨロヨロと立ち上がっていた。
痛そうだが、全員の心配を笑って受け流し、そのまま背後の歩哨に立っていた。
その後も会話内容には一切不明瞭な点も見られない。
その一方で、前を歩いている二人の会話の一部が気になったため、記憶映像を操作して再生する。
『何故この諸島の事件依頼を請け負ったのじゃ?』
『小生には二つの目的があるのだよ。そのうち一つはダイアナに頼まれたから、と言える』
『ほぅ、ではもう一つの目的とやらは?』
『それは…………いや、何でもない。こちらからも質問しよう、貴様は調査で何を見た?』
二人のリーダーの発言の中で、カレンが長考している部分があったのだが、その映像が長考部分で一瞬だけブレてるように見えた。
それ以外は不思議な点は無い。
そして爺さんの発言も気に掛かった。
『……桃色の髪をした、動く死骸じゃよ』
これは恐らく、ゾンビの影を指し示してるのだろう。
この時点でカレンは何かを察知したようで、威圧感が増していた。
殺意が微妙に漏れていた。
ここが奇妙な点だったのだろうか?
確かに雰囲気が変だ。
この先も見ようとしたが、しかしこれ以上は情報量の負荷によって俺が耐えられないし、これ以上先の映像は見なくても充分だろう。
「ブハッ!!」
止めていた息を吐く。
綺麗な海原が荒れ狂っている景色が見えたため、ここが現実だと再認識できた。
やはり長時間他人の記憶に干渉するのは、俺でも疲れが蓄積する。
「どうでしたか?」
「何となくだが見えた。何人かに幾つか確認しなきゃならなくなったが、とにかく初日のユスティ達の行動はハッキリと把握できた」
ユスティの記憶にも、いつの間にか催眠が掛けられているとは思わなかった。
しかも、彼女の場合は記憶の封印だ。
問題なのは、俺がその異常に気付かなかった間抜けであるというところだ。
(自分で手一杯だったからだが、言い訳しようもないな。本当に情けない)
頭から抜けてたのもそうだが、抽象的な説明を耳にした途端、脳が勝手に必要無い情報と判断したためだ。
それに環境的にも悪かったと言えよう。
あの時は調査隊が分断されてモンスターハウスを出た直後だったし、それからしばらくは俺とユスティは別々で行動していたため、その間に誰にも気付かれず催眠を掛けたのだと推測する。
多分だが、精神通信した時にはもう催眠術師の手中にあったと思われる。
(だがしかし、何故ユスティに催眠術を掛ける必要があったんだ?)
それだけじゃない、アルグレナーとカレンの会話で聞いたカレンの二つの目的、もしかして俺達が入島初日に行った治療院にカレンがいたのも、何か理由が?
今まで気にも留めてなかった情報素材が、ザクザクと発掘されていく。
余計な先入観を捨てて、今までの情報を統合させてみよう、そうすれば犯人に繋がる手掛かりが一つでも浮上するかもしれない。
思考を分散させて、多角的多面的な解釈を同時並行して事件の謎を紐解く。
「ご主人様?」
「……いや、話は少し戻るんだが、俺達が朝方強襲を受けたゾンビ戦、幾つか不自然な部分があってな」
「と、言いますと?」
「まず最初にユーグストンの鎖での能力攻撃だ」
「あの黄色い隷属の鎖ですよね?」
「あぁ、初日に襲ってきたハングリーベアを倒したのも実はその鎖による攻撃だったんだが、ゾンビ兵共には何故か使えてなかった。それがちょっと気になってな」
最初は使っていた。
しかし途中から攻撃方法を変えていた、と言った方が語弊は少ない。
「使用制限があったと?」
「あぁ、奴だけ未だ職業が判明していない。催眠術師の可能性が一番大きいのが奴だ。俺はずっと、ユーグストンが怪しいのだと思ってた」
「その表現ですと現在は怪しくないと言ってるように聞こえますけど、ご主人様は何かに気付いたんですか? 私にはさっぱりです」
「いや、完全に怪しくないって訳じゃないんだが、俺の推測が正しければ……黒幕候補から除外できる」
しかしギルドに侵入した犯人の可能性はまだ残されているため、完全に奴が協力者側、つまり俺達の味方だと断定はできない。
ギルドに侵入した犯人が催眠術師かどうか、その論点が解決しない限り、味方か敵かも識別不可となる。
要するに、無関係な部分もこうして連鎖して何重にも謎の上に蓋がされる。
(逆に言えば、一つ解決すれば他も連鎖的に真実を開示できる部分がある。しかし、何処から攻めたもんか……)
攻めるにしても解決の糸口を手繰り寄せるには、明確な情報分析、冷徹な決断力、柔軟な思考、時には豪運も必要となろう。
その運命が、俺達を離れ小島に導いた。
そこに誘拐の被害者である五人が、一纏まりとなって滞在している。
(さて、何があるのやら)
その離島に俺は、一種の予感を携える。
これ程までに不可思議な事件があったろうか、こんな大規模な事件があったろうか、ここまで全身を震わす何かを感知したのはいつ以来か。
そこに何かある気がする。
俺の、運命を変えるような何かが。
右手の薬指に目線が落ちる。
真っ赤な糸が一瞬、可視化されて離島へと続いてたが、それは幻覚だった。
「ようやくだな、準備は良いか?」
「勿論です」
雪狐運行バスは目的地である島に到着する。
視界一面に収まる小さな無人島が太陽光に照らされて、無人島の放置された森林に活力を与えている。
その端に、陸地が続いていた。
まるで不思議で幻想的な体験を経て、ようやく海を超えて無人島へ上陸を果たした俺は、七人にまで減った旅が新たな局面に歓待されるのを、この憔悴した肉体が確かに騒めきと捉えていた。
このヒリつく感覚は、死の前兆か。
もしくは運命の再臨か。
雪狐から下車して右足から降り立った瞬間、諸島は胎動を開始する。
この諸島物語の最終章が、開幕した。
観客のいない舞台で踊り狂う我等地質調査隊は追い風に乗って、大地の揺動する名も無き離れ小島で、手掛かり求めて彷徨い歩く。
一つの終着点を記すこの島で、雲よりも純白に煌めいた砂浜に俺は足跡を残した。
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