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星々煌めく異世界で  作者: 二月ノ三日月
第四章【南国諸島編】
186/275

第177話 罪と罰3

「うひゃっ!?」


 雨の降る早朝、権能で感じ取った悍ましい気配によって意識を覚醒させた少女は一人、寒気から上体を勢いよく起こして周囲を見遣る。

 これまでに感じてきた気配とは一線を画す悍ましさで、その権能『蒼穹に響く波動エターナル・エア・クロシェット』を保持する赤い龍神族セルヴィーネは、刹那に伝播した『何か』に身を震わせる。

 恐怖という感情は、龍神族にとっては殆ど無縁と言っても良いくらいであり、彼女達は強い。

 しかし、その強さが『無』であると知らしめるように何かが権能に反応し、それは一分程度彼女の受信を狂わせ、その後静かに収まった。


「い、一体何だったのよ今の……」


 何も分からずとも、彼女は無意識のうちに寝台から離れて着替えを済ませ、その原因を探るために意識領域を外側へと広げていく。

 その瞬間を感じるのではなく、気配の残滓を追い掛けるイメージを持たせ、彼女は探る。

 間も無くして、二つの場所から気配が漂っていたのかと脳裏に記載され、うち一つは顔馴染みの少女の部屋から漂ってくる。

 現在、隣室で寝ているフェスティーニから、彼女から気配を感じた。


(それからもう一つは……星夜島の森の東側かしら? かなり遠いけど、何でフェスティのとこからも悍ましい気配がしたのかしら?)


 ともかく、隣の部屋に行って確かめるべきだ。

 彼女は素早く行動に移して、フェスティーニの部屋の前でドアを連続で叩いた。


「フェスティ! フェスティ!!」


 無遠慮な叩き方が乱暴で、壊れるのではないかと思わしめる力強さと音が廊下中に響く。

 更に隣の部屋から、健康的な褐色肌を晒すパジャマ姿の少女が寝惚け眼を擦りながら現れ、セルヴィーネの慌てた様子を目にする。

 フェスティーニに何かあったのかと考えるや否や、彼女はセルヴィーネを押し退けて中に入る。


「え、フィオ――ちょっ!?」

「ドア叩く、時間の、無駄」


 特に部屋は施錠されていないから、易々と侵入が可能である。


「か、勝手に入って良いのかしら?」

「本人、寝てる、から」


 許可を取りようがない、ならば勝手に入るまで。

 そうして赤い龍神族と悪魔のダークエルフの二人は神のエルフの寝室へと侵入を果たしたが、それでも彼女が起きる気配は無かった。

 逆に、悪夢を見て苦しんでいるようにしか見えず、揺さぶって反応を確かめる。


「フェスティ! 大丈夫!?」

「…ぅ……」


 時々呻き声が聞こえるが、それ以外は普通。

 だらんと腕が垂れて、表情を見なければ死人のよう。

 彼女は何故か目を覚まそうとしない。


(フェスティが催眠に掛かった? いや、そんな素振りも隙も無かったはず。もしかしてニーベルが? 彼女からは何も感じなかったし、権能が反応してからもニーベルは朝食のために階下で動いてた)


 権能で周辺探索もできるからこそ、彼女はフェスティーニが権能に反応した瞬間、周囲に誰もいなかったのを感知している。

 つまり権能が感じたのは彼女自身ではなく、その内部であるという意味。

 それが何を意味するのかは知らないが、意識が深い眠りにあるため、どうしようと考えた直後、バシャッと激しい水の音が聞こえた。

 隣を見ると、妹が姉の身体へと水を投げていた。

 バケツにたっぷり水を入れ、エルフの少女へとぶっ掛けたのである。


「ちょっ!? な、何してんのよアンタ!?」

「ん、水攻め」

「方法聞いてんじゃないわよ見りゃ分かるわ! そうじゃなくて、何で突然フェスティを水浸しにしてんの!?」

「セラたん、うるさい」


 水攻めに遭い、フェスティーニの身体はびしょ濡れとなっていた。

 ついでにベッド全体も。

 彼女の無遠慮な行動によって起き……る気配がまるで無いとは予想外だった。


「ん、なら、次」

「は?」


 起きないと分かると、次善策を持ってくる。

 フィオレニーデの手にしていたのは、バチバチと電気を纏う導線だった。

 何をするか権能で感じる前に、止めに入る。


「アンタ何するつもりよ!?」

「……電気で、パチパチ」

「バチバチの間違いでしょ! フェスティ死んじゃうかもしれないわよ!?」

「問題、無し。前に二度、それで、起こした」


 フェスティーニのぞんざいな扱いにセルヴィーネは阿鼻叫喚としたが、止めようと動き出すには数秒を要し、その間にも次々と試していく。

 まずは電撃、電極攻撃を彼女に接触させて感電させてみたが、エルフの肉体に備わる防衛本能が発動して、精霊術で電撃を地面に往なした。

 瞬間、屋敷全体で電気系統に異常が発生し、停電する。

 自然を愛し、自然に愛された種族の肉体があるため、フェスティーニが感電する事態に陥るのは滅多に無く、それを知ってるからこその電撃起床法。

 前に二度程試した時は、電気エネルギーが体内に蓄積した違和感から起床するに至ったが、今回は熟睡している。


「むぅ……やっぱり、起きない」

「もしかしてアンタ等、喧嘩でもしてんの?」

「違う、フィオ達、仲良し」


 最早冗談にしか聞こえないが、電極を元に戻して次の手段に移った。

 用意したのは洗濯バサミ、合計十個しか用意できなかったが、一つずつ頬を引っ張って挟んでいく。

 見ているだけで頬に痛みを感じる。

 容赦無く姉の顔に洗濯バサミを挟み続けていくが、それでも起きようとせず、眠ったまま。


(何やっても起きなさそうだけど……これは酷いわね)


 痛み、つまり外部刺激では起きない。

 それが実証された。

 ならばどうやって意識を覚醒させたのか、洗濯バサミを放置して何処かに行ってしまったフィオレニーデを尻目に、セルヴィーネが眠り姫の顔から全部の洗濯バサミを取って棚に置く。

 暫し苦しそうな表情をしたかと思いきや、またいつも通りの顔に戻っている。

 指で頬に触れると、柔らかく張り艶のある白磁色の肌が歪んだ。


(相変わらずの若いままの肌、スベスベね)


 長寿民族エルフの瑞々しい肉体を、指でなぞる。

 綺麗な肌が水で濡れ、電気を流され、それでも傷一つ無いため、正真正銘の化け物だと思った。

 と、食堂に行っていたフェスティーニの妹が部屋に帰ってきた。


「ちょっと待って、アンタ何持ってんの?」

「ん、魔王の唐辛子(ディアブロペッパー)、世界最大級の、辛さ、してる」


 真っ赤な外皮をした唐辛子を持ってきたフィオレニーデの顔は、今までに見た事ないような醜悪に満ち足りた表情をしていた。

 ただし、表情に乏しい彼女の顔は変化が殆ど無いため、セルヴィーネにも判別し難い。

 その唐辛子は、魔王の称号が付けられた世界史上最も辛いとされる唐辛子であり、それはキャロライナ・リーパーのスコヴィル値を二倍以上上回る威力をした辛さ。

 普通に食べれば死も有り得る。

 それを何の躊躇も無く素手で絞り、唐辛子汁の原液を彼女の口内へと落とし込もうとする。


(に、臭いだけで肺が爛れそうね……こんなのを口に入れられたら流石のフェスティも――)


 起きるだろう、その言葉が脳裏を過った時、誰かに手首を掴まれて引っ張られる。

 引っ張ったのは寝てるはずのフェスティーニ、真紅の雫がセルヴィーネの口に無理矢理入れられる。


「うっわ!? か、辛っ!!?」

「辛い、の?」

「当たり前よ!! 辛いのは結構好きだけど……こ、これは辛いってよりも痛い部類だわ」


 セルヴィーネのリアクションは普通の辛い料理を食べた時と同じくらいで、痛みで口が腫れそうな辛さのはずが、そこまで酷くなく彼女は存外平気だった。

 普通ならば顔を真っ赤にして、全身の毛穴という毛穴から汗を噴き出し、体温は上昇し続け、舌は火傷にも似た痛みを延々と感じるだろう。

 下手すれば死者が出かねない。

 龍神族は炎を吐いたりするため、口内における痛みや火傷には滅法強い耐性を持っているが、この魔王の唐辛子は辛さでは世界一を誇り、流石の辛味好きの彼女でも多少は堪えている。

 多少涙目となるセルヴィーネ、今まで味わった中でも強烈なパンチに驚きつつ、フェスティーニが反応したため、彼女を一瞥した。

 が、本人は眠ったまま。

 友人に無意識下で身代わりにされた苛立ちはあれども、何故起きないのかという理由を探るべきと考え、フィオレニーデから唐辛子を取り上げた。


「こんな危なっかしい食べ物使わないの。料理に入れるならまだしも、原液垂らすとか何考えてんのよアンタ?」

「原液飲んだ、けど、平気?」

「アタシは龍神族だから強靭な肉体があるわ。改めてこの身体に感謝ね。でもフェスティが口にしたら流石に死んじゃうと思うけど?」

「大丈夫、流石に、死なない……はず」

「はずって何よはずって?」


 無計画な実証実験に巻き込まれた赤い龍神族の彼女は、口の中がヒリヒリするのを感じながら、次の行動に移る友人の妹に待ったを掛ける。

 いつの間にか握っていた代物、それは不気味な鍵。

 黒紫色をした鍵で、聖鐘に小さな十字架が付いた持ち手(キーヘッド)を摘み、それを差し込もうとする。


「次は何する気?」

「ん、精神の、浄化」


 それで目覚めるのかと疑問を持つが、『鍵技神』の能力の詳細を知らないセルヴィーネには口出しできない。

 が、権能に反応しない以上、使わせてみる。


「『霊郷還す弔鐘(フューネラべル)』」


 空間に差し込み、開錠する。

 大鐘楼ベルの音が望郷へと響き渡り、弔いの音色が三人の耳に入るが、何故か目覚めない。


「凄い能力だとは思うけど、やっぱり駄目ね」

「……何故?」

「誰かの能力下にいるか、それか自らの意志なのかもしれないわね。少し探ってみましょうか」


 何をしても起きないだろう。

 顔に落書きしても、揺さぶっても、悪戯しても起きないのは目に見えていたため、眠れるエルフ姫の全身へと権能を駆使する。

 意識を集中させていく。

 権能の概念は保有者の想像次第で強くも弱くもなり、使い方次第で概念を拡大解釈できる。

 彼女の感知によって、二つの事実が窺えた。

 一つはフェスティーニが悪夢を見ている、という事実。

 一つは彼女の左手薬指に赤い糸が結び付いている、という事実。

 その二つの事実が権能で感知できたが、そこに悍ましい気配が干渉している。


(もう少し深く……)


 フェスティーニの身体へ触れて、意識を彼女の内在へと向ける。

 気配の残滓が感じられる。

 誰かが彼女達の悪夢に介入しているが、その残滓は赤い糸から流れ込んできて、猛烈な敵意に晒された上に意識が悪意に蝕まれる。

 何が起こってそうなったのか、彼女は原因を知った。

 途端に意識が切れ、干渉を拒否される。


「ぐっ――」


 鈍い頭痛と共に、フェスティーニが目を覚さない理由が判明した。


「フィオ、どうやらフェスティは誰かの悪夢に介入してるらしいわ。だから外部が何しても、しばらくは目を覚まさないでしょうね」

「ん、何故?」

「何故って……薬指に第六感が反応したわ。つまり何故か他人と繋がってる状態で、しかもその繋がれた相手の夢に入り込んでる。理由は分かんないけど、多分繋がってるのはレイでしょうね」


 フェスティーニが転生者である事実、星夜島からも同時に悪意を感知した事実、そこにいるのか同じ転生者のノアである事実から、彼女はノアの悪夢に介入して、術者の職業能力の影響下にある、と取れる。

 悪夢であるのは、フェスティーニの表情、そして彼女の権能が感知した結果。

 赤い糸が何故二人を繋いでいるのかは判別できず、しかし原因は明らかに、その赤い糸だった。


「赤い、糸?」

「そう感じ取れたのよ。運命の赤い糸、それが星夜島に向かって伸びてるの」


 見えずとも、心眼を通せば、その糸が星夜島の東方面辺りに向けて伸びているのも、彼女には見通せる。

 それこそが、本物の審美眼。

 つまり、二人は何かしらの重要な事実を担い、それが偶然二人を繋いでしまい、ノアの影響下にある能力が赤い糸を通して伝播した。

 これは偶然の産物に他ならない。

 フェスティーニが繋がっているのは、明らかに転生者であるから。

 ノアとフェスティーニは、この世界ではまだ出会ってすらいないから、転生者という共通点こそが二人を結ぶ糸を創造している。

 その事実はもう一つの真実を浮き彫りにさせる。

 それが、ユーグストンの手紙が真実だった、という事実なのだ。


(レイの悪夢に誰かの能力……いや、催眠術でしょうね。それが介入してるなら、犯人はそこにいる誰か)


 それこそが、犯人複数説を立証する証拠の一つになると冷静に判断し、しかし疑問も残った。


(何で今日に限って悪夢に干渉したのかしら?)


 今日は特別な日だったのだろうかと疑問が芽生えるが、遠く離れた星夜島には今は行けないから、やはり保留となってしまう。

 それにしても、二人は夢で繋がっている。

 これは正直、予想外の出来事だ。

 起きたら聞かねばなるまいが、今はそっと放置しておくのがベスト。


「ま、深層意識にしか作用しない類いの能力らしいし、悪夢を見るって状況以外は繋がりは薄いと思うわ」

「そう、なの?」

「こんなとこで嘘言う訳ないでしょ。アタシが感知したのは二人が悪夢を見てた場面、術者の悪意に満ちた介入があったから、それに反応してアタシは目を覚ましたのよ」


 だから権能が警鐘を鳴らし、こうしてセルヴィーネに伝えてきた。

 権能が教えるのは曖昧なもので、物凄く直感に近い。

 だから訴えられてもセルヴィーネには判断しかねる場合も存在するが、今回は純粋に悪意を感知しただけで、処置のしようもない。

 放置がベストである。

 そう説明すると、少女は職業で創造した鍵を全部虚空へと仕舞った。


「じゃあ、どうする、の?」

「下手に手を加えても無駄だし、最適解は放置よ。干渉って言っても悪夢を見せるだけだし、その対象はレイ……アンタの姉じゃないから、手を加える意味も無いのよ。心配も必要無いと思うわよ。数時間で目覚めるわ」

「ん、了解」

「それより、朝食後は付き合いなさい。どうせアンタ暇でしょ?」

「……何する、の?」

「知人のとこに行くのよ。船長とヴェルゲイ、グノーの三人の行方も知りたいし、どうせ明日には離島に行くんだし、今のうちよ」


 情報通の元に行けば三人の行方の手掛かりは得られるはずだと、彼女はバーバラのいる『宿泊施設・日光』のところへ向かうのだと教えた。

 場所を知らないフィオレニーデには、転移門の鍵を使用できない。

 そのため、念の為に場所を記憶してもらう魂胆も多分に含まれている。

 転移できる存在は貴重である。

 その彼女を利用しなければ、勝てる勝負も勝てない。

 今回の船乗り移動作戦も同じく、フィオレニーデが文字通り鍵を握っている。


「さ、朝飯食べに行きましょ」

「……ん」


 姉を尻目に少女は出ていった。

 彼女達には解決策が無いため、しばらくフェスティーニを放置する。

 パタリと閉じた扉が室内に広がり、その音は自然と空気に溶け消えた。

 少女は悪夢を客観の場で眺める。

 暗い世界で、深い闇の底で、少女は最愛の者の悪夢を見届ける、たとえそれが地獄だったとしても、苦楽を共にするために。

 少女の願い、それが叶う時まで、彼女は悪夢に苛まれ続ける。


「……の…ぁ……く、ん………」


 か細く震えた声だけが、誰もいない静寂に包まれた世界に産み落とされるが、静かに消え行く呼び声が寂寞を抱え、窓を叩く雨に濡れてしまう。

 雷が暗い部屋を白く染める。

 少女は悪夢を渡りて、深淵より青年を覗いていた。

 だから外に漏れ出た言葉を、青年を呼ぶ声を、聞き届けてくれる者はいなかった。





 気が付けば、自分は悪夢に苛まれていた。

 四日だ、四日連続でボクは大好きな人の死に目に立ち会っている。

 一日目は彼の忌々しい過去を見て、二日目に怨念から四肢と首を千切られ、三日目に身体を挽肉にされ、四日目になって全身に無数の穴を空けさせられる。

 もう慣れてしまった。

 何度彼の死と生を繰り返し再生させるのか。

 夢で繋がっているが、彼の感情がボクの中に流れ込んできて、それが嬉しくもあり、嫌だった。


(ノア君、君は何で抵抗しないの?)


 側に行けたら良いのに、その資格はボクには無いようで、一定距離を空けて眺めるしかできない。

 この悪夢は誰かに見せられている。

 それをボクは理解している。

 四日連続でボク達は繋がってるけど、その理由はまだ定かではない。

 けれども、左手薬指にある赤い糸と、彼の右手薬指にある赤い糸が結び付いてる事実から考えて、そのお陰でボクはここにいられるらしい。


(まただ……)


 また、全身を穴だらけにしている。

 大量に血を噴き出し、腕や足が捥げ、腹からは臓物が飛び出ている。

 まるで、サンディオット諸島で襲ってきたゾンビ達のような、それと同じ状態だ。

 七人の子供達が一斉に彼を殺そうと手に持った無数の武器で彼を貫いていた。

 痛みは無いのか。

 苦しくないのか。

 辛くはないのか。

 声を荒げる、しかし彼にはボクの声なんて届いちゃいなかった。

 きっとボクは招かれざる客、外側にいる俯瞰者で、その悪夢の世界の観測者、だからボクには被害が及ばず、彼の死に様を眺めるだけしかできない。

 干渉できない空間、とでも言えば良いか。

 誰がこんな巫山戯た真似をしてるのかは知らないが、ボクは彼に触れられない、助けられない。


『ヴィル君……』


 その声が聞こえた途端、ボクの身体は自由を取り戻し、彼のところへ馳せ参じる事が可能となった。

 だから急いでノア君の手を取ろうと、彼に向けて手を伸ばした。

 けど、やはり掴めない。

 スルリと身体を透過する。

 ボクは彼に干渉できないらしい。

 背中から彼を通り過ぎて、ノア君の前にまで滑って転びそうになり、彼の正面にいた少女と目が合う。


(わぁ、綺麗な髪)


 ボクは彼女を見た事があった。

 彼と悪夢で繋がった日、彼の夢の中で見た死体のうちの一つ、その髪先が青くなっていく金色の綺麗な髪に、蜜柑のような色合いを持ったクリクリとした瞳、愛らしい笑みを携えた少女がノア君の手首に触れる。

 その瞬間、彼の手首に銀色の腕輪が出現した。

 手錠かと思ったが、そうではなく、彼の象徴とする武器であるらしいのは、感情が流れ込んできて初めて知った。


『『錬成アルター』』


 少女が彼の手首にある物質に手を触れ、錬金術師の能力を発動させた。

 使ったのはノア君じゃなくて、少女。

 何故彼女が能力を、と思う前に一つの短剣が形成されていた。

 銀色に輝く短剣は、見覚えのある刃だった。

 悪夢一日目に見た焼ける孤児院で、少年の持っていたナイフと形状が非常に酷似し、それを少女が青年へと手渡して一言口にする。


『何で私達を――』


 途中何かに邪魔をさせるようにして、言葉が耳にまで届かなかった。

 水の中にいるような感覚が、声の邪魔をする。

 無垢なる瞳が青年を凝視していた。

 金色の髪が暗闇に輝いている。

 まるで生きているかのようで、その彼女に伸ばした彼の手は血塗れとなり、少女の髪に赤い雫が垂れる。




『ねぇ、何で私達だったんですか?』




 心を抉り、感情を曝け出し、逆に少女の顔はピクリとも動かず暗闇に浮かんでいるから、恐怖を感じずにはいられなかった。

 その質問だけが、虚空に轟く。

 その疑問だけが、ボクの心を渦巻いていく。

 聞き取れないからこそ、胸に深い燻りを残す。

 彼の記憶の奥底はボクにも見えず、この悪夢に侵される彼を助けたくとも干渉できず、やはり職業も使えない。

 過去に一体何があったのか?

 彼は何を抱えているのか?

 どうして抵抗しないのか?

 今回の事件が彼の過去と因縁があるのか?

 干渉できないのが忌々しい。

 彼の歩んできた過去を、彼のこの世界での生き様を、ボクは知りたかったけど、まだ叶いそうもないと薄々予感はしていた。


「あぁするしか……なかったんだ」

『だから、私達を見捨てたのですか?』

「……それが、君達のためだった。本当は一緒に生きたかったさ」


 それが叶わぬ夢だと、彼は俯いて気持ちを吐露した。

 歯を強く噛み締め、過去の情景でも思い出してるのか微かに震えが感情の波を形成して、近くにいたボクにまで伝播してきた。

 悲しい気持ちが、薄れていく。

 怒りの気持ちが、消えていく。

 彼の持つ感情が風に攫われるかのように、全部風化してしまった。


「でも、これは他の誰にも譲れなかった。俺じゃなきゃ駄目だったんだよ、イグニシア」


 少女の名前が山彦のように自分の耳を連打し、気持ちに波紋が生じていた。

 この少女は彼の……何だろうか?

 まさか恋人だった、とか?

 僅か十歳程度の少年少女が恋愛に発展するのも、少年一人残して全員が塵となって消滅するのも、全て運命だったのだろうか?

 彼にとって彼女がどんな存在なのか、遥か年下の少女に嫉妬する自分がいるが、その嫉妬心はノア君への愛が故に致し方ないものだ。

 だからモヤモヤする。

 この世界での彼の行動に一切干渉できず、一緒にいられなかった時間がボク達に変化を齎した。


「分かってくれとは言わない。誰からも理解されない方法だった。俺が皆を苦しめたのは紛れもない事実だ……俺が来なけりゃ、皆も死なずに済んだのかな?」


 彼に慰めの言葉を掛けるのは不可能だ。

 ボクはこの世界での彼を見ていないから。

 事情も知らないのに同情や心配、憐れみを向けても、それは本人にとっては重荷にしかならず、結局は自己満足の範疇に収まり、相手側からしたら絶対に余計なお世話と思われてしまう。

 悔しい……ボクもそこにいたら良かったのに。

 肝心な場面で、いつもボクは側に寄り添っていてあげられなかった。

 悲しい時も、苦しい時も、前世でも、今でも、ボクは彼を助けられない駄目な人間だ。


『貴方のせいで全員が死んだ。無価値な貴方が来たから、全員の価値が消えて世界から放り出された』

「……なら何でだ? 何で俺だけ世界から放り出されず、まだ生き存えてる?」


 彼女の言葉通りだとして、無価値なら、価値が暴落したなら、この世界から爪弾きにされたはずなのに、彼だけは未だ生を享受している。

 その答えをボクだけは知っていた。

 彼が世界における『特異点』となっているから運命は彼を擁護し、世界にとって無価値であると二人が思い込んでいるだけで、彼は無価値ではない。


「俺はずっと君達を忘れて生きてきた。君達を思い出したら自壊すると分かってたから、俺は自分を限界まで責め続けて、そして忘れた」

『えぇ、知ってますよ。自らの過去から逃げた卑怯者、それが貴方です』

「ち、違う……俺は逃げたかった訳じゃ――」

『私の前で言い訳するんですか?」


 卑怯者と罵倒された青年の主張が途絶えてしまった。

 辛い記憶を忘れるのは自己防衛のため、それを逃げと判断するのは人それぞれ、辛い現実を受容できず、膨大な感情の渦に呑まれ、脱するために脳が渦を排除する。

 その渦中にある気持ちに精神が耐え凌ぐ。

 だが感情を抑制する防波堤が破壊され、辛苦した記憶に心が折れた。

 だから記憶消去しか道は無かった。

 それが果たして逃げなのか、それとも停滞なのか、或いは前進の予兆か。


『貴方は私達を置いて逃げた、私達を弄んだ、私達を裏切った』


 少女の主張を何一つ理解できず、会話内容を要約するための情報が不足している。

 彼の罪とは何なのだろうか?

 裏切りはどういう意味だろうか?

 この悪夢が彼の贖罪なのだろうか?

 どうしてノア君だけが、いつもいつも酷い目に遭うのだろうか?

 それを脳裏に浮かべると、不意に涙が出てきた。

 無力感、後悔、憤怒、数々の感情が一滴の透明な雫に込められ、頬上を滑走して、やがて果実が実るように雫は大きくなり、地面へと引き寄せられる。


(どうして? どうして君だけが、こんなにも傷付くのかなぁ?)


 視界が目の表面に張られた水面に揺らいだ。

 二人の顔が歪曲し、ポロポロと流れる水が止め処なく溢れ続ける。


『忌み子で、弱くて、それでも貴方だけが生きている。不公平ではありませんか?』

「……何が言いたい?」


 少女の口角が僅かに上がり、虚ろい笑う少女の顔は非常に不気味で、まるで他人を侮辱するような表情で、人の醜悪を集めて固めたような顔だ。

 それだけの悪意が、そこにあった。

 小さく口が開かれた。

 吸われた酸素が二酸化炭素となって吐き出され、そこには冷徹な言葉が乗せられる。






『貴方が死ねば良かったのに』






 一気に少女の口角が下がり、怨念を纏う。

 睨み殺す勢いで、彼女の言葉が彼の脳裏を喰い散らかしていった。

 膝を着いてしまった彼は、諦観し、優しい微笑を彼女に見せた後、手にしていた短剣を両手で握って固定、首辺りにまで刃を持ち上げる。

 それは駄目だ。

 それだけはしてはならない。






『そう、私達は全員、貴方の死を望んでいます』






 それは彼を折るための言葉、意思が耳より脳を、身体を、そして心でさえも揺さぶった。

 彼が死ぬ、それが全員の望み?

 本当にそうなのだろうか?

 何故か、これは彼女達子供達ではなく、他の誰かの干渉のような気がして、違和感が強くなっていく。

 けど、その言葉は彼に絶大な意味を持たせ、彼は躊躇なく刃を首へと押し込んだ。


「…ァ……」


 呻き声を殆ど漏らさず、彼は絶命した。

 自分の命を迷わず自らの手で奪い去った、自分を殺したのだ。

 これは悪夢だ、彼は外で生きている。

 なのに、首から噴き出る血飛沫が現実感を帯び、開けた目がこちらを凝視していた。


(な、何で……)


 分からない、もう、何もかも。

 慣れた、そう最初は思っていたけど、自分で迷いなく命を絶つ姿は見たくなかった。

 彼に手を伸ばすが、できなかった。

 触れないから、何もできない。

 その瞳を閉じてあげる事さえ私にはできず、代行するように皮肉にも殺された少女が彼の横にしゃがみ込み、彼の開かれた瞼をソッと下ろし、安眠へと誘った。

 その彼女が少しずつ大人の姿へと変貌していく。

 髪は長く、胸も大きく、足も長くなって、彼と同い年くらいの美少女になった。


『貴方は誰?』

「なっ――ぼ、ボクが見えてるの?」


 急激な干渉、彼女の視線と合致する。

 唐突に対話を持ちかけられ、正直驚きで口が閉じそうもない。

 けど、警戒心だけは鰻登りとなっている。

 彼を殺しに導いた張本人だから。


『警戒せずとも彼は生きてますよ、現実世界ではね』

「それは、どういう意味かな?」

『この精神世界で死を受け入れる、これが現実世界へ戻る手段なのですよ。私の催眠術によって(・・・・・・・・・)――』


 瞬間、ボクはイグニシア少女を象る何者かへと攻撃を仕掛けたが、幻影のように擦り抜ける。

 攻撃が当たらない。

 やはり駄目だ、この世界では対処できない。


「うわっ!?」


 ノア君の身体に足をぶつけ、転んでしまう。

 何故か今は触れる。

 多分、死体になったから、もっと正確に言えば人間から物に成り下がったからだろう。

 この犯人は何がしたいのだろう。

 まるで不明だったが、彼をこんな目に遭わせたのだ、絶対に許さない。


『貴方は彼の何なのですか?』

「掛け替えのない存在さ」

『へぇ……』


 許されざる行為だ、と言わんばかりにノア君の死骸を踏み潰した。

 悪夢が現実に影響を与えるとは思えないが、それでも彼の遺体はバラバラと小さな粒子となって何処かへと消えてしまった。

 夢なのだから、何でもできる。

 それは相手だけ、こちらは分が悪い。


『掛け替えのない存在、ですか……貴方は何も分かっちゃいない。彼の犯した罪を、このサンディオット諸島という最高の舞台で償わせるとしましょう』

「そんな事、絶対させない。ボクが止めてやる」

『それは楽しみですね』


 彼の自決用の短剣を手に、ボクは威嚇する。

 容赦しないと言って血塗られた短剣を振ったが、しかし刃は少女の首を透過して霞のように身体が変化し、そのまま消滅してしまった。






『けど、果たして止めるのが正解なのでしょうかね? フフフ…………』






 声だけが暗闇に残留し、不気味な笑い声が精神を狂わせてしまう。

 一体今のは誰だったんだろう?

 あの水晶玉に映された調査団の中の誰かが、ノア君に悪夢を見せてたのだろうか?

 そして今の最後の言葉、止めるのが正解なのか、その言葉がどうも引っ掛かる。

 まるで時限装置が作動してるかのような言い方に、言い表せないような不安が押し寄せ、自分達が何かを勘違いしているような気もする。

 ボクも早くここから出なければならない。

 先程の言葉を信じるなら、ここで死を受け入れれば、ボクも現実へと戻れる、らしい。


(本当かな?)


 けど、やっと自由に身体が動くようになったし、死ぬ方法は首絞めか、ノア君の残してくれたナイフのみだ。

 これで自分は死にやすくなった。

 生物学者の能力を常時自分に付与しているため、緊急事態に陥っても精神や肉体が回復するように設定してあるので、ここで精神が死んでも現実で復活する。

 ナイフを両手に持ち、深呼吸二回、恐怖に打ち勝つため、ノア君を助けるためにボクは首目掛けて躊躇せず刃を突き刺した。

 真っ赤な血が視界一面を覆い隠す。

 血が止まらずに外へ外へと飛び出てくる。

 ボクは二度目の死を体験した。

 身体が倒れ、次第に動きも鈍くなり、致命傷を受けた身体は冷たくなっていく。


(死ぬ感覚……不思議だ)


 何度体験しても慣れないものだ。

 一度目は前世で、二度目は悪夢で、死を経験する。

 けど痛みを感じたりせず、苦しみも痛覚も無い不思議な臨死体験に興ずる。


(い、しき……が…………)


 次第に遠退いていく。

 力が抜けていき、いずれ訪れる死に寛容となる。

 死を受け入れる者が、この精神世界を脱する。

 今までは三日全部、気付けば目覚めていたけれど、こうして死んでいたのかもしれない。


(……の、ぁ………く………………)


 彼の悪夢に一人の少女の遺骸が取り残されて、闇に汚染される。

 暗く沈んだ世界で、ボクはただ彼を考えていた。

 死ぬ瞬間まで、ボクは彼を想い続ける。

 数分後、ボクの精神は現実世界へと戻り、意識を取り戻したところで昼を迎えていた。






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