第169話 見守られ、前へ進む者達
北西の先端に位置する区画には、荘厳な橋が架けられている。
少し先に見える人工的な造りをした建設区域、そこには一つの精霊石碑が飾られて、綺麗な黄緑色をした石の塊が中央に設置された墓地がある。
周囲には無数の墓石が建てられ、そこには一人一人別の名前が刻まれている。
「ここに来るのも数百年振り、かしら」
波高く濡らしている橋へと到着したセルヴィーネは、橋の前で懐かしさを噛み締めていた。
しかし、いつまでも佇んでいる訳にもいかず、そっと橋へと足を踏み入れる。
距離にして百メートルと少し、その雨晒しにされた立派な石橋を渡る彼女は、その一歩が少しずつ重量を増していくのを鬱陶しく感じられた。
まるで、ここから先には来ないでくれ、と悲しき主張が幻聴として耳に入るかのよう。
「……相変わらず、寂しい場所ね」
現時点で人らしき影すらも見えない共同墓地、雨風が物寂しさを強調している。
聞こえるのは怨念の声、ではなく、墓石穿つ厳寒とした豪雨、それから天響く激動たる雷鼓、暗雲立ち込める空が時々光に包まれて諸島全体を明るく照らす。
しかし、その雷轟は瞬光。
間も空けずに天は光を失ったが如く、暗雲に支配されてしまう。
晴天を取り戻す日がいつ来ようか、未来は不確定であるせいで先読みは難しく、仲間の案内人が倒れていなければ今頃は事件の真犯人が判明したのだろうか、と疲労の吐息が雨に濡れる。
凝縮された濃い数日が過ぎてゆく。
これで疲弊しないのかと問われれば、即座に首を横に振る自信があった。
(さっきの紅茶で少しは落ち着いたけど、疲労が残ってるのね、きっと……)
身体が重たく、それ以上に体重分よりも精神的問題が彼女を強襲しているからか、足を回すのが鬱となって引き返す気になりそうだ。
それは過去から逃げたいがため。
慙愧の念が足に絡み、石橋を渡る資格が自分にあるのかと自問自答を繰り返す。
過去を脳裏で再生し、平衡感覚を失いそうになる。
迷い、戸惑い、ながらも意を決し、橋の真ん中の通路に足跡を残していく。
その跡も高波によって攫われていくが、それを気にせずに視界の悪い墓地へと突き進む。
(ここは……何も変わってないわね)
昔と何一つ変わらない静けさが今回は邪魔をして、豪雨、暴風、迅雷、その三つの自然の怒号が人工の土地でも響き渡っていた。
石道は濡れて滑りやすく、風は雨を運んで視界を塞ぐ。
雷轟は天を切り裂き、地へと落ちる。
橋を渡り終えて短い階段を登り、中央に位置する巨石の前に立った。
精霊の力を秘めたエメラルドグリーンに輝く精霊石が、雷に反応するように中で光が渦巻いて明るい。
「えっと、確かこっちだったっけ」
数百年振りの参りで、場所も多少朧げながらも記憶を掘り起こし、彼女は一つの墓を探す。
半年前より手入れがされていない墓が多く、花の一本すら供えられていない寂寞とした光景は、この島に来てから慣れてしまった。
花を添えたところで、雨風に連れていかれる。
供え物をすれば即座に水浸しとなり、この島に近付くのすら危険極まりない。
「見つけた」
黒い霊界石の墓の中で、その名前が刻まれた墓石を発見した。
「やっと……やっと会いに来たわよ、フェルン」
立派に建立された霊界石の墓、そこには一人の親友の名と言葉が、『インフェルン=エルガー=レーフィヴェイド、ここに安らかに永る』、と彫られていた。
同じ焔龍族で、同じ『エルガー』の種族名を冠する、セルヴィーネの数少ない親友だった。
親友の顔形を脳裏に呼び覚ます。
パッチリとした真っ赤な目、朱色の髪、よく屈託無く浮かべる笑顔が印象的で、尋常でない強さだった。
誰にも負けない力を持っていた。
誰からも尊敬される人望の持ち主だった。
その少女はもう墓下で永眠しているから、二度と会話はできない。
「ずっと探してた……フェルン言ってたわよね、いつか世界を見てみたい、って」
それは小さな世界に幽閉された少女の切望、果てしない旅をしたいのだと再三セルヴィーネに話していた。
里から出られなかった同胞が初めて外に出て、旅の果てに辿り着いたサンディオット諸島で、故郷へと帰れぬまま還らぬ人となった。
郷里を離れなければ彼女は今も生きていたのか、後悔だけが胸中にある。
親友インフェルンは、サンディオットで命を落とした。
その事実は覆らず、彼女は海の見える綺麗な島で天へと召された。
「ねぇフェルン、アタシを導いてくれる運命の人、ようやく見つけたわ。強くなって、もう一度試練に挑むために頑張ったりもしたのよ……って、答えてくれる訳ないか」
死者へと語り掛ける行為、それは現実的には不可能とされているが、一定の職業ならば可能。
例えば死霊術師、とか。
フラバルドにいた死霊術師も、失意の果てに禁忌を犯してしまった。
死者を蘇らせる、それは死者への冒涜以外の何物でもないと脳裏で理解してはいても、もし自分にそのような力があったならば親友と語り合えたのに、と心境に邪推という波紋を生んだ。
自分は魔法付与師、付与できる魔法にも限りがある。
そして蘇生を扱える者と出会えた幸運と、その蘇生の制限による不運が、彼女を苛立たせる。
(アタシ一人の力じゃ絶対に『登竜門の儀』は完遂しないから、レイが必要なのに)
その本人が何故か星夜島にいる、という情報を先程掴んだ彼女は、星夜島に行ってみようかと選択肢に入れたが、水晶の中の青年は余裕が無かった。
だからノアの邪魔をしないように、会いに行くのを断念する。
「フェルン……もう少しだけ、待っててね」
墓石を撫で、慈しむ笑みは即座に消えた。
背後からの強烈なプレッシャーが押し寄せ、振り向き様に回し蹴りを喰らわせる。
「フッ!!」
格闘において現段階で最強と言わしめる戦闘種族、その龍神族の蹴りを腕一本で受け止めたのは、小さな身体と青色の髪や龍尾が特徴の雹龍族、オルファスラだった。
その途轍もない威圧感と鋭利な瞳は、外見年齢とは乖離している。
それもそのはず、数百年生きていれば、数々の修羅場を乗り越えて一皮二皮も剥ける。
その中で成熟した二匹の龍神族は、沈黙による視線を交わして、数秒後には戦闘態勢を解いていた。
「いきなりどういうつもりかしら、アスラ?」
「いえ、黄昏ている不思議な龍神族がいたですから、少し揶揄ってみようかと」
「タチ悪いわね」
「それから……いえ、何でもないのです」
悲痛な面持ちで、親友の墓前での喧嘩は収めた。
ここは喧嘩をする無粋な場所とは縁遠く、フードを剥いだオルファスラはインフェルンの墓前にしゃがみ込む。
「それにしても、奇遇ですね」
頬を掻きながら素っ気無い態度と発言をしたオルファスラだったのだが、セルヴィーネは権能を使わずとも嘘であると判断した。
何故か、彼女の態度に表れていたから。
奇遇という言葉が嘘であるのは明確、オルファスラを知る人間ならば言動に違和感を感じるのは自明の理、何故そのような言葉を、と少し頭を回してから聞いてみる。
「奇遇? アンタがそんな言葉を使うなんて、何だか不思議ね。絶対奇遇とかじゃないでしょ」
「……フーシーに頼んだです」
「フーシーに? あぁ、あの職業の地図ね」
料理人であるフーシーの能力、視認した仲間の居場所も分かる食材マップは、色んな場面で活躍した。
今回も同様、全員の居場所を探る上で、セルヴィーネが船着き場を通り過ぎて何処かへと直進している、そう聞いたためにオルファスラ自身も来た。
セルヴィーネが何処に行こうとしているか、それを知ったから。
「セラ……貴方はもしかして、アレを使うつもりです?」
「えぇ、丁度手元にあるしね」
「三百年前の一件、忘れたのです?」
「あんな光景、忘れる訳ないじゃない。だってフェルンは、アタシを――」
雨音が彼女の声を掻き消した。
目元は涙か、それとも雨か、雫が滴り落ちて頬を湿らせていた。
拳は震え、怒り、悲しみ、二つの感情がオルファスラにも感じ取れた。
「忘れられないから……だからアタシは、全部元に戻すために力を付けた。生半可な力じゃ駄目なのは分かってる。アタシの力を補ってくれる強い力、暗黒龍の力が必要なの」
「やはり本気、なのです?」
「本気じゃなかったら、アタシは今ここにはいないわよ。それにまだアタシは『覚醒』できてない。まだアタシだけじゃ乗り越えられない」
覚醒、その段階は普通の職業を極めようとも辿り着けない境地にある、とでも言えよう。
相性の問題もある。
そして大半を四つの権能に頼っていたセルヴィーネは、その感覚が抜けてないため、未だ覚醒条件を満たしていなかった。
その条件は神のみぞ知るものだが、何かが足りないのを自分でも理解納得はしている。
しかし権能で探ろうとも、その条件は見つからない。
「アタシは『魔法付与師』、完全な戦闘職じゃないから、少し極めたところで何の意味も為さない。それでも自分にできる事を模索した結果が今なのよ」
「だから里を出た、と?」
権能に付き従って里抜けし、掟破りだとセルヴィーネは急襲を受けた。
「アタシの権能がそう感じ取った。これは運命、何が何でも向かわなきゃ、ってね」
「昔から、貴方は権能に従っているですね」
「仕方ないじゃない。不覚にも、他三つを封印されちゃったんだもん。それに頼るしかないのよ」
力無い者は、力ある物に頼らざるを得ない。
頼り続け、いつしか当たり前となり、彼女の中にある四つのうち一つだけが突出して強化され、権能の範囲、能力の概念区分、その他諸々の影響力は数百年前とは比べ物にならなくなった。
これが運命だったかのように、自分が生き残ったのも、この諸島に再度舞い戻ったのも、全部が何者かに仕組まれていたとさえ思えてしまう。
「では、貴方は何のために戦うのです?」
「何の、ため、に?」
「そうなのです。強くなるために戦う、それは過程でしかないのです。最終目標、死に際にフェルンから尋ねられたはずなのに、セラ、貴方は答えられなかった」
「ッ……」
死ぬ間際の言葉、数百年の時を経ても脳裏に付着したままで、答えは未だ導き出せていない。
世界の果てを巡るため、それはインフェルンから引き継いだ願い、しかし彼女自身の目標は持ち合わせておらず、同じ質問をされても回答を濁すだけ。
問われた質問が、過去の記憶と同期する。
『なぁ、セラ……君は……何のために、強く……なり、たいん、だ?』
腹に大穴を空け、そこから流れ出る真っ赤な命の雫と内臓、生命の灯火が消え失せそうな状態のインフェルンを腕に抱き抱えて、涙でクシャクシャとなった自分の顔と姿が思い浮かんだ。
親友の口からは血が溢れ、腕も力を失ったように撓垂れていた。
身体から血流が外部へと放出され、少しずつ腕に伸し掛かる体重が軽くなり、体温も徐々に冷たく死人に近付いていく親友を、静かに見守る。
やがて、インフェルンは静かに息を引き取った。
その生気を失った瞳は、引き攣った顔を最後に収めて、少女の血塗れの手によって瞼は閉じられた。
安らかに眠れるように。
果てしなく残酷で不条理な現実から、夢の世界へと旅立てるように。
「セラ?」
「な、何よ?」
「ボーッとして、どうしたです?」
「何でもないわ」
過去の記憶から現実へと戻ってきたセルヴィーネは、目尻に溜まる雨を拭って、フードを被り直す。
そして踵を返し、親友と同胞へと背を向け、立ち去るべくして足を前に出した。
「もう一度あの笑顔を見るためなら、自分の命だって賭けてやるわ。それが唯一縋れる、アタシの目標……いえ、アタシの贖罪だから」
「……分かったのです。なら、私からはもう何も言いませんですよ」
命を張る同胞にガミガミと講釈垂れる気も失せ、オルファスラは口出ししないと決めた。
しかし、それでもセルヴィーネの主張は一部が間違いであるとも思った。
「けどその贖罪は、貴方の願いはきっと、セラ一人の命で贖える程に軽くはないのですよ」
その魔法の言葉は、彼女には楔、或いは呪いとして耳朶を震わせた。
見て見ぬフリをした。
けれども、それはできなかった。
自分の命と、死した親友の命、その命は同価値ではないとオルファスラは明言したが、その通りセルヴィーネもそう考えた。
しかし秤に掛けられるのは自身の命のみ、他者の何かを奪ったりするのは御法度。
言葉が出ない。
その事実を論破するために、稼働させねばならない舌が動かない。
言い返さなければならないのに、それすらもできずに憤りだけが空虚な心に木霊する。
「だから私も、親友を看取った者同士、私も命を賭けるのですよ」
「アスラ……」
「一時休戦するだけで、禁忌を犯した事実は変わらないのです。事件が終結すれば次は貴方の番、規則には従ってもらうですよ」
相変わらずの頭の固さに、少し感動していたセルヴィーネの感情値は、一気に暴落した。
「感動した自分が馬鹿だったわ」
「規律は守らねば示しが付きませんですから」
「あっ、そ」
律儀にも掟を守るオルファスラと、掟に縛られるのを嫌うセルヴィーネの正反対な性格が、真っ向から衝突し合う。
押し問答をしても時間を浪費するだけなため、二人は言い合いをしない。
せずに、先にセルヴィーネがその場から立ち去る。
これより森の捜索が始まるため、次に来られるのは明日か、明後日か、明明後日か、もしかしたら二度と墓参りに来れないかもしれない。
一人風雨に濡れながら親友の墓前に立つオルファスラは、その墓石に触れて数百年前の出来事を閉じた瞼の裏に投影した。
血塗れの身体が横たわる。
泣き噦る若き日のセルヴィーネが、親友の死骸を抱き締めて延々と泣いていた。
嗚咽が今でも三半規管を掻き乱す。
血生臭い腐敗していく刺激臭が胃に刺激を与え、咄嗟に胃の部分を掴んで荒い呼吸音を雨風に滲ませる。
セルヴィーネと同じように、オルファスラも醜悪な光景を脳裏に刻み、墓標へと視線を落とした。
「『死者の復活』が叶うと良いですね、フェルン」
死んだ相手に何を言ってるのだ、と糾弾、非難する者はここにはいない。
何故なら、職業や異能権能が物理を超越するのは自然だから。
この世は摩訶不思議な事象も当たり前に映るから。
その常識を超える結果に繋がるための軌跡を、二人の龍神族が辿る。
「……また会えるのを、楽しみにしてるですよ」
そこには一滴たりとも感情は灯っていなかった。
現実はそう甘くない、それが彼女達の生きてきた世界、死者蘇生のために何人が犠牲になったかを考えれば、自ずと答えは出てくる。
自分達は無力な小蟻、実現不可能な夢は儚く散りゆく運命にある。
それを理解してしまったから、命を賭ける上で線引きをしなければと雹龍族の少女は、迷いを断ち切るように焔龍族の少女を追って、共同墓地を後にする。
墓の下に永る親友は何も喋らず、ただ彼女達の行く末を見守っていた。
一方ギルドでは、一階へと降りたフェスティーニが受付へと立ち寄っていた。
そこでは情報管理室の使用許可申請手続きを済まさなければならず、ギルドカードをバーナードへと預けて手続きを行ってもらう。
「ちょっち思ったんスけど、ギルマスと花園さん、お二人ってどっちが歳上なんスか?」
「ボクの方が少し歳上だね、それがどうかしたかい?」
「いえ、何だか見た感じ、逆に見えたもんっスから」
姉貴分のリンダと妹ポジに就いているフェスティーニが実は逆の立場で、巫女であるフェスティーニの方が年上だったのかと驚愕に目を見開く。
何故か、出来損ないの姉と非の打ち所の無い妹、という関係性に見えたからである。
堕落したリンダの方が背が高く、大人びていると言えばそうなのだが、大半のエルフは実年齢と外見が一致しないため、二人の関係性が不透明だった。
彼等ギルド職員は、ギルドマスター以前のリンダを知らない。
だからバーナードは会話を要求した。
「あの人、自分について一切話さないもんで、知り合いがいた、なんてのも知んなかったっスよ」
「アハハ、ああ見えて結構隠し事多い人でね、ボクも知らない秘密を持ってる場合もあるから、バーナード君も気を付けた方が良いかもね〜」
「っス」
ピピッと電子音の鳴る音がエルフの長い耳に届き、バーナードはギルドカードを返却する。
「それより俺、一つ巫女様に聞きたい事あるんスけど……良いっスか?」
「答えられるか分かんないけど、何かな?」
砂色の瞳が不思議なエルフを捉え、一つの質問を投げ掛けた。
「英雄ノア、彼とどういったご関係っスか?」
ギルドカードを受け取ろうとした手が僅かに震え、その瞳の奥の真意を見極めるために、彼女は警戒心を引っ張り出した。
セルヴィーネ程ではないが、生物学者としての勘が告げていた。
「答えられる質問だけど、何でそんな質問をするのか、意図が不明瞭だ。聞いてどうするのかな〜?」
「単なる興味本位っス」
「……」
それが本当か嘘か、彼女には分かっていた。
生物学者としての審美眼は、他の職業よりも生物に対してより詳しくあり、彼女はそういった修羅場を幾重にも渡って経験し、成長し続けてきた。
だから彼女は、相手が嘘吐きなのかどうかが何となくだが読める。
目の前の男は薄っぺらい人間だ、と。
興味本位から聞いてくる、それは可笑しい。
ならばもっと別の、リンダとの関係性や他にも聞くべき内容が沢山あるはずなのに、最初にその質問をした。
(考えすぎ、かもしれないけど……)
それは全て彼女の妄想でしかない。
だが、仮にバーナードがノアに仇為す人間ならば、放置という選択肢は排除される。
「んで、どんな関係なんスか?」
「う〜ん、一言では形容し難いね……ある意味、複雑な関係性かな〜」
ノアとフェスティーニの関係、それは二人共が転生者であるという単純な関係性にあらず、それを知っている彼女の言葉はきっと、彼等を知らない人間からしたら意味不明に聞こえてしまう。
無論、彼女も馬鹿正直に答える気は無かった。
他者の心を読む能力を相手が持っていたとしても、彼女の心内全てを見透かせる者はいない。
そう言わしめるだけの実力と精神力、それから職業の力を持ち合わせているエルフが、彼女だ。
「俺、世界に名を轟かせる英雄が大好きなんスよ。紹介してもらえないっスか?」
「ノア君に何かするつもりかい?」
「それは無いっス。ただ、話をしてみたいって願望はあるっスけどね」
その能面のような顔には、真意が隠されている。
前面に表れないから、それが本物の願望かは疑わしい。
もしかしてルドルフの手先なのか、という邪推も浮かんでくる。
(って、こんな話してる場合じゃなかった)
自分がここに来た目的を見失いかけたが、ギルドカードを受け取り、彼女は一人情報管理室へと赴く。
「それで、何で君も付いてくるのかな?」
「まぁ、獣人族は好奇心旺盛っスから」
バーナードの役目は監視、この島では誰が信用でき、誰が裏切るか判別は不可能に近く、同時に犯人がエルフかもしれないという情報が疑心暗鬼にさせる。
そして前世とは違い、現在はエルフであるフェスティーニは疑惑の対象となっている。
疑わしきは罰せず、という言葉は正当防衛には能わず、適応されるかすら怪しい。
それもそのはず、暗殺集団や過激派、そして個人で国を滅ぼす職業持ち、危険人物を殺すか殺さないか躊躇すれば命を摘まれるのは自分の方。
ならば、バーナードは疑いを持ち続ける。
それが彼の唯一絶対たる義務、そして本職としての仕事でもあった。
「さて、ここだね」
「そっス。使い方は分かるっスか?」
「勿論だよ、だから邪魔しないでね〜」
扉が自動で開放され、中へと入った彼女は慣れた手つきで壁に設置してある電源スイッチへと触れる。
すると部屋全体に魔力が通り、部屋が明るくなった。
固定されていた端末機が台から離れ、宙に浮き上がり、計六つの端末が起動する。
「ねぇ、ここにある端末機、予備も含めて合計で幾つあるのかな?」
「十五台っスよ。あぁけど、大分前に一台が壊れて魔導具師に修理を依頼したってギルマスが言ってたっスね」
「……六つはここにある。残りの九台は?」
「直ったのも含めて全部、物置きに仕舞ってあるっスよ。定期的に点検するんで、間違いないっス」
「つまり、盗まれたりしてないって事だよね?」
「そっス」
ならば、コンテナにあった複数台の情報端末の魔導具は一体何だったのか、奇妙な謎が出現した。
一台も盗まれていない。
更なる謎が突き付けられる。
だから彼女は、ここに謎が残されているかを確かめるべくして、装置を作動させた。
「何調べるんスか?」
「ちょっとね〜」
検索履歴があるかどうか、コンテナにあった装置と連動していた痕跡が残されているかどうか、その二つにのみ絞って内部を調べる。
検索履歴を一つの端末に開示してみると、コンテナで見た検索履歴と一致した。
つまりコンテナで起動した情報端末と連動していたのは、この日輪島の情報管理室という事になる。
(でも、だったらどうして同じ製品がコンテナに? いや、そこは関係無いのかな?)
問題はそこではなく、端末を仕入れた理由と同期させて何をしようとしていたのか、ウルグラセンの行動理念に疑問が湧いていた。
倉庫から地下へと向かう梯子、地下の謎の巨大空洞、コンテナへと繋がる通路、そしてコンテナ。
家に引き籠もったウルグラセンという男が、謎だらけとなっていく。
そもそも生きているのか、それとも死んでいるのか、生死確認すらできず、その状態の認知不備によってウルグラセンの生存確率も定かではないが、数ヶ月間誰も彼の姿形を見ていない時点で、もう完全に死んでいるだろう、と結論付けていた。
「ここに目ぼしい手掛かりは……やっぱり無さそうだね」
「そうなんスか?」
「うん、同期した痕跡はあるんだけど、それがいつからなのかは分かんない。一番古い履歴で五ヶ月前、それ以降と以前では調べ物の内容も頻度も違うから、多分その辺りで無断で同期したんじゃないかな」
一番最長で五ヶ月前、そこから五ヶ月の間に様々な調べ物がされており、その手掛かり以外を見つけるのは容易ではなかった。
検索履歴は残され、コンテナと情報管理室は繋がり、情報は常に外部に流出していた。
これが敵に回ったら、完全犯罪すら成立してしまう。
それだけ危険な状況で、しかし爆破されたために現在管理室以外での同期は見られず、情報流出は堰き止められたと見ている。
「けど……ちょっと気になるのは、五ヶ月前は密航船のみだったのに、とある時期から急に催眠術師についても調べ始めてるんだよ」
「そこの何が変なんスか?」
「う〜ん、変、というよりは、何かに気付いたんじゃないかなって意味さ」
だから調べていた。
情報は各ギルドで共有されている。
モンスターの情報や、地方の情勢、他にも冒険者に登録できた人数や職業でさえも共有されて、それをコンテナの中からでも検索できた。
だとするならウルグラセンは、初めは密航船について調べていた。
しかし途中で何等かの手掛かりを得て、そこからは同時並行して職業について調べ始め……
(いや、それだと可笑しい。何で職業について調べる必要があったんだろ?)
まるで犯人を知っていたかのような――
「もしかして、ウルグラセンは犯人と接触していた?」
極論、そこに至る。
そうでなければ、催眠術師に関する情報検索を行うはずがない。
ただ他の職業も調べているところから、フェスティーニ自身述べた事実は真実ではないのかもしれない。
犯人を見ただけかもしれない。
犯人を見てすらいないのかもしれない。
それでも履歴に変化が訪れたなら、そこで何かに気付いたという意味付けもできる。
要するに、これは主観の問題であり、客観的、俯瞰的、そして多角的に物事を見なければ、仕掛けられた沼に嵌まってしまう。
(彼の行動を遡る必要がありそうだね)
その行動記録は、彼女の手元にある。
ウルグラセンの残した数少ない手掛かり、日誌は彼女の腰に仕舞われ、その紐はまだ解かれていない。
(まだ手を付けてないのは五つ……ウルグラセンの日誌、フーシーちゃんの持ってった冷蔵庫の魔石、セラちゃんの権能が指し示した森と離島、謎の光、そして密航船のルート……ここからボクはどう動けば良いだろうか)
最終的に離島に行くが、それまでの過程をどう歩むべきかに悩みを働かせる。
行動次第では、二度と解答が手に入らない謎もあるから。
「おっと、もう時間だね〜」
「時間?」
「あぁうん、こっちの話。さて、ボクはもう行くよ。リンダさんによろしく伝えといてくれない?」
「あ、了解っス」
得られたのは、ウルグラセンが五ヶ月前から犯人を知っていたかもしれないという証拠、それからウルグラセンが元々は密航船を追っていたかもしれないという事情、リンダとの話では月海島の秘密も知った。
しかし確証ある訳ではない、それを肝に銘じる。
廊下へと出たフェスティーニは、このまま船着き場へ向かおうと考え、一階ロビーへと戻ってきた。
『姉さん』
するとそこで、突如として脳裏に直接声が響いた。
何度も聞いた妹の声が脳を揺さぶり、即座に特殊な精神伝達だと理解し、精神で返答する。
『フィオちゃん、どうしたの?』
『ん、変なの、見つけた』
何かを見つけたらしいフィオレニーデだが、しかし何を見つけたのかを上手く説明できず、少しの間、脳内で沈黙が広がる。
口下手なフィオレニーデにとって、現状の説明不足に多少の焦りを見せる。
『えっと、変なのって具体的には?』
『へ、変な、もの』
『う〜ん、説明が難しい物とかかな?』
『……ごめんなさい』
『大丈夫だよ、なら一旦合流しようか。ボクは丁度ギルドにいるから、転移鍵で迎えに来てくれるかな?』
「ん、分かった」
最後の返事は、直接耳に届いた。
背後を振り向くと、一つの黒い穴からヌッと銀髪のダークエルフが姿を現した。
銀色の髪を靡かせて颯爽と現れた妹は、姉を引っ張って開かれた転移の門へと強引に連れて行こうとする。
「ちょちょ!! ま、待って待って! まだ船着き場に行ってないでしょ!?」
「ん、そう、だった……けど、来る」
「フィオちゃん強引に――」
話し終える前に、すでに景色はギルド内部より切り替わっていた。
雨晒しにされた森の中心地、二人の人間が異空の扉より現れて、眼前に開かれた一枚の絵面に対して、フェスティーニの心に困惑を齎した。
何故か、大量の死骸が不思議な建造物の前で崩れ落ちたように倒れているからだ。
「ここって……もしかしなくても、祠かな?」
「祠?」
「うん、リンダさんに教えてもらったんだけどね、どうやら森の中心には祠があるって……けど、祠よりも気になるのは地下に通ずる建物、それから門だね」
その祠には、三神龍のうちの一体、陽光龍が小さな石像となって祀られ、石像は雨風に守られるようにして木造りの神殿が築かれている。
神像は苔生し、手入れされていない。
しかし神像は風化しておらず、そこから神力が溢れ出している。
その石像を祀る祠の側には小さな石造りの建物と立派な門が、その建物の中には部屋は一つしか無く、ただ地下への階段だけが薄っすらと暗がりから見えていた。
「それでさ、この大量の死体は一体何なのかな?」
「ん、調査中、襲ってきた、から……返り討ち、倒した」
「へ、へぇ……そうなんだ」
うつ伏せに倒れている遺体を転がして、仰向けにする。
その死骸を含めて、そこに崩れ落ちていた数十体もいる屍人は全て内臓が抜き取られている。
腐敗速度は環境によって上昇し、すでに死んでから幾何かの日数を経ているのは見ずとも臭いで感じ取れた。
(誰がこんな惨たらしい事を……いや、それより何処から調達してきたんだろ?)
もしかしたら何かしらの証拠品でも持っているのではないか、と思ったフェスティーニは腰の魔法鞄をベルトから外して、その口を死骸へと向ける。
それだけで死骸は宙に舞い、魔法鞄へと吸い込まれていった。
「姉さん、異常」
「ちょっ――え、何で急に毒舌?」
「だって……現実離れした、光景」
指差した方向には、死骸の山が大量に吸い込まれていく光景が描かれ、流石の彼女でさえ九百年以上生きてきても尚、お目に掛かれない異常さだと本人は判断した。
職業を使えばフィオレニーデ自身、できなくはない。
職業でない上、その魔導具を易々乱用しているのは姉、だから異常な姉だなと心の中で考えて、それが口から排出されてしまった。
「とは言われても、流石に回収はしておかなきゃね。死骸も何かしらの情報を握ってるかもしれないし、ボクは生物学者だから探れる」
「ん、分かってる。姉さん、異常な、だけ」
「ボク、そこまで異常じゃないと思うけどな〜」
妹のギャグを笑い飛ばして、腐敗している人間数十体を片付けたら、次は門の奥。
ゴクリと生唾を飲み込んで、展開の早さに対して静謐に身構える。
(急展開すぎるけど……先に検証するのも悪くないかもしれない)
これは千載一遇のチャンス、他の誰よりも先に手掛かりを得られる好機となった。
誰かに証拠を隠されたりする心配も無い。
ただし入場してしまえば、疑われる危険性も孕む。
建物の奥へ入るか、それとも知らせに船着き場へ行くか、選択肢は二つに一つ。
「因みに聞きたいんだけど、フィオちゃんは入ったの?」
「まだ、入ってない」
「そっか」
この諸島では誰もが敵に成り得る可能性を持つ以上、ここで退くのは非効率、つまり選択肢は初めから彼女の中に一つしか内在していない。
まるで無邪気な子供のように笑みが溢れる。
先んじて手掛かりを得た妹を優しく撫で、取るべき行動を整理する。
「これから建物の地下に入るけど、フィオちゃんも一緒に来てくれるかな?」
「ん……良い、よ」
「ありがと。それじゃあ、行ってみますか〜」
自由気ままに探索を進める二人は、その場に靴跡だけを残して未知なる世界へと飛び込んでいく。
恐れを知らず、ただ前へ。
真実に手を伸ばして、フェスティーニは先へ行く。
入り口にある祠、その祠にポツリと祀られた一体の陽光龍の石像だけが二人の様子を見守り、稲光を轟かせながら静寂を切り裂く雷霆が、神像に暗い影を落とした。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
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