第149話 地質調査5
本隊と合流した、そこまでは良かったのだが、何故だか偽者ノアがボコボコにされて焚き火前で凍結させられていたのだ。
そして女性陣に取り囲まれている。
一体何があったのだと目を疑う光景に、俺は側に立っていたユスティへと声を掛けた。
「ユスティ」
「あ、ご主人様、お帰りなさいませ」
笑顔で出迎えてくれるが、それよりも目の前の惨状を説明してもらいたい。
俺の隠れ蓑が凍らされてるのだ。
何したんだろうか、コイツは?
「いえ、この人が私に『あんな弱そうな奴より俺の方が強いから俺の女になれ』と迫ってきたんです。他にもルミナさんや青薔薇の人にも迫ってましたね」
中々に大物だが、その報復であんな氷の彫像みたいになってたのか。
ユスティ達が誘われるのも分かる。
客観的に見ても絶世の美女だし、普通に考えたら男に群がられる程の美貌、日本だったらトップアイドルくらいになれるのではないかと思う。
今回もそうだが、前回もフラバルドでクラン勧誘があったので、彼女は大層人気なようだ。
「勿論『私にはご主人様がいるからお断りします』と言いました。他の人も似たような断り方でしたね。その後何故か激昂して剣を抜いたので、抑えるために少しだけ手を加えました。その結果がアレです」
それにしては、完全に両足から首までが氷漬けとなっているようであり、十字架に磔されたような光景は、少し手を加えた程度の損傷ではない。
次第に全身が凍傷となる。
身から出た錆としか言いようの無い事態に対して他の男共も、さも当然の結果だなと言わんばかりだ。
焚き火の前に丸太を置いて座り、ノアの処遇を女性達に任せて放置している。
「英雄の威光を振り翳して女性を侍らせたいだけなのでしょうけど、ご主人様と比べたら天国と地獄くらいの差がありますね。胡散臭いですから」
彼女は俺が英雄ノアであるのを知っているため、威光を振り翳したところで本物の真似事をしている餓鬼にしか見えなかったのだろう。
凍らせる以外にも、打撲痕が顔面に数箇所、火傷や裂傷も氷越しだが数箇所散見される。
やり過ぎだろと思ったのだが自業自得だと考え直し、すぐに興味を無くした。
「おぉ、帰ってきおったか、貴様等」
黄色いテントからアルグレナーが出てきて、俺の元へやって来た。
何か用事でもありそうな雰囲気だったので、こっちから話を振ってみる。
「よぉ爺さん、調査はできたのか?」
「バッチリじゃよ。幸い、こっちには殆どモンスターが来んかったからのぅ」
俺達はかなり足止めを喰らったのに、爺さん達の方にはあまり行かなかった。
それはまた、作為的だな。
二度襲われたのは知ってるが、こっちはその倍以上ものモンスターが狙ってきたので、それを追い返したりして草を掻き分けながら進んできた。
「それよりも、ちと貴様の知恵を借りたい。えぇか?」
「別に構わねぇけどよ、何で俺なんだ?」
「ローニアから貴様の内情は聞いとるよ。安心せい、ただ単に知恵が欲しいだけじゃ」
「分かった」
俺も早めに情報が欲しいと思っていた。
爺さんが地質調査で何を得たのかを知りたかったため、話だけでも聞くとしよう。
どうやら爺さんは俺の正体を婆さんから聞いたそうだし、口の固そうな人間であるために何とか許容する。
「我が輩達は貴様等と別れてから二つ程、地質調査を行ったんじゃが、その結果と我が輩の考察を聞いてもらいたいんじゃ」
「合計して三つの地質を調べたって訳か。たったの一日で全部分かったのか?」
「んな訳無かろうが。じゃが、一つの仮説は立てたぞ。もしもその仮説が正しければ星夜島だけでなく、他の島までもが不味い事態に陥るぞ」
爺さんは予想を思い浮かべたのか、冷や汗を流して生唾を飲み込んでいた。
それだけ危険で恐ろしい事態に苛まれるのかと爺さんの不安が伝わってくるが、それは多分島が崩壊するという意味なのだろう。
しかし、予測不能がいつ何時起こり得るかは我々にも分かりはしない。
リノがいてくれたらなぁ……
「ところで、貴様は何の職業なんじゃ? 確か冒険者登録の際には精霊術師だと名乗っていたそうじゃが?」
「薬物師だ。薬や毒を扱う」
「それが貴様の本当の職業なのか?」
「信じるか信じないかはアンタに任せるよ」
錬金術師だと答えても信じてはもらえないだろう。
それにフラバルドの時は考えてなかったが、アルテシア教の聖女シオンがいるため、錬金術師という職業を授かった人間を照合されると困る。
いや、世界に何人錬金術師がいるのか知らないので、照合されても大丈夫なはずだが、不安の芽はできるだけ摘んでおきたい。
それに今は薬物師と名乗ったし、アルグレナーにだけ別の職業を名乗って対応するのは酷く面倒だ。
「ここじゃ、さぁ入れ」
アルグレナーに案内されて、俺は彼のテントの中に入ってみた。
続いてユスティも何故か付いてきた。
流石に三人は狭っ苦しいだろうと思っていたのだが、その中はまるで魔法のように空間が捻じ曲がって広げられており、一つの部屋が形成されていたのだ。
アイテムポーチの部屋バージョン、みたいだ。
これ、実際に幾らしたのだろう。
「わぁ……凄い広いですね」
「だな」
爺さん専用のテントらしいが、中は研究室のような雰囲気を醸し出しており、資料や本が散乱している。
他にも大きな地図が幾つもあり、そのうちの一つが星夜島全土のマップだった。
「適当にソファに腰掛けておれ」
「んじゃ、遠慮無く」
ソファへと腰掛けると、身体が沈んでいく。
フッカフカなソファをテントに入れて持ち運べるとは、中々どうして良いものだ。
大きなソファに一人座っていると隣にちょこんとユスティも腰を下ろし、そして少しずつ俺との間隔を詰めて、最終的には肩がぶつかる程にまで接近されていた。
寂しがり屋の少女の行動に、俺は呆然とする。
人の温もりを感じたいからなのか、ユスティは俺の肩に頭を預けてくる。
「ご無事で良かったです、ご主人様」
「いきなりどうした?」
「いえ、聖女様の護衛を引き受けたのですから、何かご褒美でもと思いまして」
ちゃっかりしているが、褒美くらい俺の用意できる範囲内で幾らでも用意してやる。
「とは言っても具体的なお願いは特に無いので、保留にしてもらえませんか?」
無いのかよ、と言おうとしたが、彼女には物欲が無さそうなので仕方ない。
いや、願っても手に入らない物を欲している、と表現するのが妥当だろうか。
残念だが俺にはそれを用意できない。
何故なら彼女の欲しているものは――
「さて、まず貴様等にこれを見てもらいたい」
俺達の前にあるテーブルに置かれた幾つかの透明な瓶、その中には土色が少しずつ隣のとは異なる茶色い土が入っている。
合計三つ、爺さんが採取してきた土だ。
右から少しずつ明るい色となっていて、同時に別の色の黒い砂が入っているようにも見える。
「貴様等から見て右がモンスターが出た時に採取した土、そして真ん中が次のところで採取した土、そして最後がこの場所で採れた土じゃ」
「手に取って確かめても良いか?」
「あぁ、構わん。それは予備の一つじゃからな」
瓶のサイズは少し大きい程度だが、これでも充分解析できると思う。
試しに俺達が別れた時に採取したであろう土瓶を取り、その中身を少しだけ掌に出してみる。
見た感じ普通だが、生命力が一切無い。
生態系は地上と地下で循環しているもので、土にも栄養分が含まれているはずなのだが、それが何故か感じられないし見えもしない。
それに乾き切っているのと、ザラザラで荒い手触りだ。
しかも脆くて固めようとしても亀裂が入りやすくなっているため、完全に死んだ土だと分かる。
「どうじゃ、何か分かるか?」
「いや、まだ何とも……今日の朝、集合する前に枯れた花を見かけたんだが、これと同じように生命力がゴッソリ抜かれてたな」
土は、落ち葉や枯れ枝、動物の排泄物、そして死骸を微生物によって分解されて栄養分を生み出し、その栄養分は木の根っこに吸収されて光合成、呼吸を経て木が成長、そしてまた土に落ち葉や枯れ枝を落とす。
こういった一連の循環があるからこそ、こんなにもボロボロな土は普通ではないと一目で判断できる。
今日一日で動物や鳥達、それから精霊が見当たらなかったので、異変があるのは薄々勘付いてはいたが、原因だけがハッキリしない。
(生命力が一切感じられない。それに魔力も含まれてない普通の死んだ土だが、この黒いのは何だ?)
まさかこれって……
「火山灰じゃよ」
やはり、そうだったのか。
火山灰は鉱石の色や質によって粘り気とかが分かるのだが、この鉱石の成分は玄武岩のようなものだった。
しかし爺さん、どれだけ深く潜ったんだろうか?
「それくらいじゃと、百年前まで遡る。それから一度も噴火しておらんかったようじゃな。そして地下深くを『探鉱』で調べてみたところ、大きなマグマ溜まりがあったわい」
「マジか」
「しかも海底火山も多数あってな、マグマ溜まりが繋がっとるのも分かったぞ」
深く潜ったのではなく、爺さん特有の音波探知のようなものだろう。
しかも海底火山が沢山あるらしい。
それが連動しているようで、もしも噴火するようであれば島全体が崩壊するどころでは無い被害となってしまうかもしれない。
入島二日目で気付きたくなかった事実だ。
マジか、最悪だな。
「あ、あの……その、まぐまだまり、とは何なのですか?」
どうやら彼女は地質学に疎いようだ。
まぁ、この世界では一部以外で知る必要の無い知識、中学高校で習う分野だもんな。
「簡単に説明すると、溶岩が溜まってるところを指すんだ。マグマは、世界の表面を覆うプレートが大陸の下に沈み込んで、マントルって地層の一部が溶けたものだ。周辺の岩石よりも比重が軽い高温な液体だから、地表から五〜二十キロの場所まで上昇したところで留まるんだ。これをマグマ溜まりって呼ぶんだよ」
使ってない白紙に山の断面図を書いて、彼女に流れを説明していった。
だが、マントルという言葉がこの世界でも適応されるのかは少し不思議に思ったのだが、深くは考えなかった。
「ほぅ、よく知っとるな」
「これくらいはな」
マグマというのは、水蒸気を初めとする様々なガスが溶け込んでいる。
マグマの上昇によって圧力が減ると体積が増加し、その体積が増えると地表に出ようとする力が働く。
それが地表に出ようと上昇すると余計に圧力が下がっていき、それが加速度的に進行するらしく、マグマが一気に上昇して蓋のされた火口を抉じ開けて噴火する。
「マグマ溜まりが連結してるのと、未だに噴火してないところに関して考えてみると、噴火する確率は低いのではないかと思う。まぁ、一般的に、だが」
だが、今回の場合は島全体の生命力が関係してくる。
そのせいで噴火に繋がったら、それはもう洒落では済まなくなってしまう。
「火山に亀裂が入って圧力が下がっちまうと、急激な減圧でマグマの融点が下がるから、その分火山ガスの体積が一気に増えて……最悪噴火するかもな」
「ふ、噴火ですか?」
「あぁ。爺さんさっき、『もしもその仮説が正しければ星夜島だけでなく、他の島までもが不味い事態に陥るぞ』って言ってたろ。爺さんも俺と同じ考えなんじゃねぇの?」
「貴様の言う通りじゃ」
減圧沸騰という化学の原理がある。
例えば水、これは沸騰するためには百度にまで熱しなければならないが、大気圧の圧力と気化するための水蒸気の圧力が均等になるのが丁度百度である。
水の沸騰は、大気圧よりも気化した水蒸気の圧力が大きくなった時に発生するものだが、気圧が下がると水の沸点も下がるのと同じように、それは火山でも同様に発生しているのだ。
気圧が下がれば沸点と共に融点も低くなるため、気化しやすくなる。
つまり、火山ガスの成分である水素や酸素などの揮発性成分が減圧によってマグマから発泡して、それが水蒸気となるのだ。
「水蒸気ってのは水の約千七百倍もの体積を持ってる訳だから、もしも火山内部の圧力が下がると、そういった原理が起こって爆発する」
炭酸ジュースを思いっきりシャカシャカ振れば分かる。
内部圧力が増し、蓋を開けた途端に圧力が下がって一気に噴き出す。
「な、なら、大量のお水を掛けて冷やせば――」
「そんな事しても水が蒸発するだけだし、まず冷やすだけの水を何処で調達してくるつもりだ?」
「す、すみません……」
「いや、こっちも言い方が悪かった。意見は言ってなんぼだから、あまり気にするな。因みに海水を用意するだけならできるが、マグマは熱エネルギーの塊みたいなもんで、海水掛けても多分徒労に終わるのが目に見える。それに全ての海水を操れるだけの力を俺は持っちゃいないよ。それこそ深海龍にでも頼まなきゃ無理だ」
用意しようと思えば精霊術で水を生成して冷やすのも可能だが、現実的ではない。
それに今のは全て可能性でしかないため、噴火が起こるのかどうかは未知の領域であり、火山地帯に踏み込めば多少は見えてくるはずだ。
それからアルグレナーに聞いておこうと思った内容を一つ口にする。
「なぁ爺さん、この島で小さな地震って発生しなかったか?」
「おぉ、一週間くらい前に発生しとったよ。この一ヶ月間で何度か小さいのがあったと婆さんも言っとったわい。それに地割れが火山地帯に見られたとの報告もあるぞ」
火山地帯であるから少しは考えていたが、やはりここは日本同様にプレートの境い目だったか。
「ん? ちょっと待て、その報告した奴って誰だ?」
「そればかりは教えてもらえんかった。聞きたいなら婆さんに聞くとえぇ」
「教えてもらえなかったんだろ?」
「貴様なら大丈夫じゃろ」
何だその甘い考えは……いや、ユスティに甘かったなと思い、彼女の言葉にも従っていたため、ユスティ本人から訊いてもらえば教えてくれそうだ。
しかし、婆さんも爺さんも何かを隠している。
だから信用できず、俺が持ち得る情報も彼等に渡すのを躊躇ってしまう。
俺が善人の塊だったら簡単に情報を渡せていただろうが、今の俺はウォルニスとノアの人格が統合した一人の人間であるため、渡すべきなのだろうが信じ切るのは無理だろうと判断している。
だが、こちらはこちらで情報を少しずつ得ているため、しばらくは彼等と行動を共にする。
その方が俺にも利益があるからだ。
(しばらくしたら生命力の流れでも追ってみるか)
手にしていた土を中に入れ戻し、それをテーブルに置き直した。
土の色が少しずつ淡い黄色となっていたが、見た目通りの抜け殻だったな。
「次は海岸に沿って火山地帯にまで行こうかと考えておるんじゃよ」
「成る程、星夜島全体を一周する感じか」
そしてゴールは灯台前、と。
理に適っているとは思うのだが、これでは効率が悪いし、もしも中央に何かがあれば見逃す事になってしまうと言おうとしたが、俺は喉元から出掛かった言葉を再度胃の中へと戻していく。
コイツが犯人、或いは操られているとしたら、きっと先手を打たれる。
(……いや、この爺さんからは何も感じられない)
だから俺としては爺さんは犯人ではないだろうと考えている。
だから、あるとしたら無意識に操られている、という場合のみか。
「爺さん、アンタにも一つ聞きたい」
「何じゃ?」
「アンタ、ホントは地質調査なんて一人でも良かったろ。何で冒険者を集めた?」
爺さんは星都から派遣された冒険者ではあるが、その派遣された場所が問題である。
七帝の息が掛かった者かもしれないのだから。
犯人でなくとも怪しいのだ。
七帝の中でもルドルフという男からは大顰蹙を買ってしまったので、俺の手足二、三本折ってでも攫おうと躍起になっているかもしれない。
「お前……俺を知ってると言ったな? 何の目的が――」
「安心せぇ、ルドルフとは無関係じゃよ」
俺の考えを読まれた。
そして、その言葉が偽りではないと左目が証明した。
「貴様の懸念も理解できるわい。英雄ノアの武勇伝は星都にまで伝わってきとるからのぅ」
そんな事になってたのか。
星都には用事があるのだが、やはりノアというのは隠した方が良さそうだ。
「蘇生能力も持ち合わせとるとこを考えると、ルドルフの小僧が貴様を利用しようと考えるのは簡単に予想できる。それに我が輩は防衛課の『鉄壁』、ヒースに頼まれて来たんじゃよ。奴等は仲が悪いからのぅ」
防衛課と言うと、ヒースクリフ=イーランか。
てっきり冒険課の部下が来るかと思ったが、どうやら違うらしい。
「我が輩はあの小僧は好かん。謀略、策略、奴はそれが当たり前じゃからな、そのルドルフに弱みを握られた者も結構いる。そんな中で貴様の名が聞こえてきたんじゃよ」
俺がどんな風に伝わっているのか少し疑わしくなっているのだが、自身の評価なんて聞きたくないな。
「あ、あの、お爺さん」
「ん? 何じゃお嬢ちゃん?」
「ご主人様の武勇伝……私、興味あります! 教えてくださいませ!!」
意気揚々と挙手して武勇伝が聞きたいのだと発した彼女を見て、気でも触れたかと心配になった。
何処かで頭でも打ったか?
熱を測ろうと彼女の額に手を持っていく。
「ご、ご主人様!?」
「熱は無いようだが……」
「我が輩は何を見せられとんのじゃ?」
彼女の気持ちがまるで分からない。
俺の武勇伝なんて聞いても何も楽しくないだろうに、何故聞こうとするのやら。
「お嬢ちゃん、優しい主人を持って良かったな」
「はい、お慕えしております」
いつの間にやら仲良しになっているとは、まるで孫娘とお爺ちゃんの絵面だ。
ユスティは素直な性格と優しい心の持ち主であるため、爺さん達の気持ちも理解できるが、この光景は正直予想外だった。
心許せる相手なのかどうかはまだ判明してないのだが、少しだけ信じてみようかなと思考に思い浮かべたところで、精神が待ったを掛ける。
『また……過ちを犯すのか?』
幻覚が聞こえた瞬間、心臓の鼓動が跳ね上がった。
それは、飛行船の中で見た悪夢でのウォルニスが発した言葉だと即座に気付けた。
今、俺の後ろにもう一人の自分がいる……
いや、ウォルニスの形をした何か、か。
信じ続けてきた十数年の人生、そして遠い遠い遥か昔の記憶が、俺を呼び止める。
信じては裏切られ、また信じては裏切られ、その経験が闇となって蠢き、背後から無数の手となって身体へと絡みついてくる。
過ちを犯したから俺は全てを失ったのだから俺は誰も信じてはいけない、そう語っているように思えて背後を振り向いた。
しかし、そこには何も無かった。
「ご主人様、後ろに何か?」
「いや、気にするな」
自身の精神が少しずつ乖離している。
記憶の片鱗が蘇ろうとしている影響だろう、稀に自分以外の何者かが精神に現れる時がある。
それが何なのかは俺にもサッパリだが、人格が分離したのか、新しく芽生えたのか、悪意が人格化したのか……うん、やっぱり分からない。
(疲れてんのかな?)
休めばきっと良くなる、そう思いたい。
「それで、小僧の武勇伝を聞きたいとな?」
「はい、是非教えてください」
「うむ、えぇじゃろう。小僧が星都でどのように伝わっとるか、聞かせてやるとしようかのぅ」
悪夢を思い返していると、アルグレナーがユスティへと俺の武勇伝らしき話を始めていた。
「星都で……いや、この世界全土で小僧が何て呼ばれとるか知っとるかい、お嬢ちゃん?」
「え、英雄、ですよね?」
「そうも呼ばれとるが、世間では奴はこう呼ばれとる」
何て呼ばれてるのか、知ってはいるが改めて聞くと恥ずかしい二つ名だ。
いや、二つ名ではなく通り名か。
「『黎明』、それが小僧の二つ名じゃよ」
「れいめい?」
「夜明けを意味する小僧にピッタリな言葉じゃな。何せ夜明けに導く暗黒龍、その使徒なんじゃからのぅ。グラットポートでの武勇伝がそのまま伝わっとったよ。グラットポートを守るために単身魔神へと飛び掛かり、勇猛果敢に討ち滅ぼした若き剣士、『黎明』とな」
何だか大層な話をしているが、一つだけ訂正したいところがある。
「その話、一つ間違ってんぞ」
「間違い? 何処じゃ?」
「俺が国を守るために戦ったってとこだ。巫山戯んじゃねぇ、何で俺が見ず知らずの人間なんぞ守らねばならんのだ。そんな下らねぇ理由のために命なんざ張るかよ、馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ、何故魔神に立ち向かったんじゃ?」
俺はユスティへと視線を向ける。
不思議そうに首を傾げる彼女だが、あの時は彼女を俺の知らぬところで殺されたため、魔族達を倒したに過ぎない。
人の物に手を出したら仕返しされるのは当たり前だ。
その摂理に従って行動しただけ、ただそれだけの話だ。
二度と奪われないように、二度と無くさないように、俺の所有物に手を出す者は誰であろうと許しはしない。
「貴様……何故この調査に参加した? ただ藪を突ついとる訳では無かろう?」
「あぁ、藪の向こうにいるであろう大蛇を捕まえるため、とでも言おうか」
藪を突つくだけの悪戯に興味は無い。
その遊びは下手すれば大火傷してしまうだろうから、俺は藪蛇ごっこの範疇で終わらせたりしない。
そもそも突ついて出てくるなら、とっくの昔に実践している。
焼き尽くす勢いでないと駄目だ。
「それに俺としても個人的な事情があるからな。しばらくはアンタの地質調査に付き添うが、俺は俺で勝手に行動させてもらう」
「……個人的な事情? 何じゃそれは?」
報告の義務は存在しないため、黙秘する。
秘密主義ではないが、爺さんを信用するには時間が足りなさすぎる。
「さて、話し合いはもう良いか? なら、そろそろ俺も野営の準備をしたいんだが……」
「そうじゃったな、時間を取らせてしもうて済まんかったな」
こちらとしては有用な情報を手に入れられたので、かなりのプラスとなった。
これで、この島の現状を一番理解しているのは俺となってしまった。
島の崩壊、噴火、森のダンジョン化、生命力の行方、そして生命龍の居場所、謎と真実が同時に現れてきて、しかもその真実が絶望を連れてくる。
「この後皆で飯にするが、貴様等もどうじゃ?」
「そうか、飯食ってなかったな」
味のしない飯を食っても美味しくはないだろう。
それなら一人で食べていた方がマシだが、それだと不自然に見える。
何か外部と連絡でも取っているのか、なんて疑われたら終いだ。
(そもそも犯人は一人なのか?)
単独犯なのか、それとも複数犯なのか、フラバルドの時はそれに気付くのに少し遅れてしまったが、今回はどうなのだろうか。
だが、俺が昨日今日で集めた情報を精査すると、三通りのパターンが考えられる。
一つ、犯人が単独犯の可能性。
二つ、犯人が催眠術師だがギルドに侵入した犯人とは別人であり、その二人がグルの可能性。
三つ、その二人が互いを知らない可能性。
(ギルドに侵入したってのが少し引っ掛かるな)
意識が飯から侵入者の情報へと切り替わり、テントから出てからも思考は止められなかった。
と、そこで鼻腔と空腹を刺激する、誰かの作った料理の香りが漂ってきた。
「あ、御二方も一緒にどうですの?」
栄養満点のスープがお椀に入れられて、俺達にも振る舞われる。
聖女様が作った料理か。
普段から炊き出しをしている者の料理であるのは、中の具材や栄養観点から、そして味で分かる。
「ありがとうございます、聖女様」
「シオンで良いですの」
「は、はい」
そう言えば彼女、最初の自己紹介の時に本名ではなく愛称で答えてたな。
(シオン……リュクシオン……この名前、何処で聞いたんだっけ?)
思い出そうとしても思い出せないモヤモヤが次第に募っていく。
何処かで聞いた事がある、はず。
考えまいとしても常に脳裏を考えで満たしていないと、落ち着かない。
「嫌いな食べ物でもありましたの?」
「いや、好き嫌いは無い」
食べて良いのかと左目で毒物検知して、異常が無かったためにスープを口に運んでみる。
うん、やっぱり味がしない。
他の奴等も焚き火を囲って食べているが、一人だけ凍らされた状態のままの男がいる。
「お、俺様にも飯を……」
「貴公は一日食事抜きだ、そこで大人しく反省していたまえ」
カレンが華麗にあしらっている。
寒そうにしているが、氷の力の本源はカレンの職業能力のはずで、ユスティの氷属性魔法とは根本的に氷の性質が異なっている。
宿っている魔力はカレンのもので、細剣士っぽい装備なのに違う職業なのだろうか。
「カレンさんは『細剣士』だそうです」
「細剣士? 本人から聞いたのか?」
「はい」
彼女は一切疑っていない様子だが十中八九細剣士ではないだろう。
ただ細剣を持っているだけで、それがイコール彼女の職業とは言い切れないからだ。
俺が薬草鞄を持って薬物を扱ってるのが、イコール薬物師だと言い切れないのと一緒だ。
「ねぇ、君達もここに座ったらどうだい?」
「ん?」
「一緒に食べようよ」
柔和な笑みを浮かべながら、少し暗めの金髪に赤色の瞳を持った青年が隣に座るよう催促してきた。
断ろうかと思ったが、ユスティが俺の腕を引っ張って一緒に大木の椅子へと座る。
左隣に笑顔を貼り付けた男、そして右隣にはユスティが座り、偽物ノアとアルグレナー以外の全員が座って一緒に食う事になった。
こうして知らない奴等と火を囲うのは森を出た時以来、馬車に乗せてもらった時以来だろう。
「全員に自己紹介できてなかったね。僕はレオンハルト、探知能力は一応持ち合わせてるけど、ホントは『格闘家』なんだよね」
「……その探知能力ってのは?」
「僕、魔力操作には自信があってね、それでアルグレナーさんにお願いされたんだ」
濁り無き真実が左目に映る。
本当に馬鹿かコイツ、と思ったが口にはしなかった。
だがしかし全て本心で嘘一つ吐いてないならば、彼の職業は本当に格闘家であり、魔力探知に自信があるのも真実のはずである。
しかしこの男も、他の奴等も、無意識に操られてるかもしれないと思うと、左目の信憑性も揺らぐ。
「君は?」
「……クルーディオ、ディオとでも呼んでくれ」
「うん、よろしくね、ディオ」
満面の笑みを繕っている青年だが、そのずっと笑みを浮かべ続ける男は何だか気味が悪かった。
これで一応全員の顔と名前は分かった。
「小生も名乗ってなかったな。星都より派遣された『青薔薇』のリーダーを務めるカレン=フォン=ローゼンティア、『細剣士』だ。よろしく頼む、ディオとやら」
「あ、あぁ」
銀髪の入った青髪の美女、礼儀正しく貴族然とした振る舞いをしている彼女も基本的には嘘を吐いてる訳ではないようだ。
真っ直ぐな瞳が俺を見てきた。
「ジュリアとダイアナが世話になった、感謝する」
そういった意図があるからこそ、誠意には誠意を、と考えてそうだ。
しかし職業だけは虚偽なのか、左目が反応する。
この女は嘘を吐いている、と。
「そこの少女から貴公の事は聞いている。何でも様々な薬物を扱うのだとか」
「まぁな」
ユスティには精神による通信で、予め説明しておいた。
だから今の俺クルーディオは『薬物師』である、という設定なのだ。
「俺は『薬物師』だからな」
その発言によって周囲へと目を向けてみると、一人だけ半眼を向けてくる輩がいた。
俺を知ってるのは二人、英雄の職業を持ってるニックと勇者パーティーに誘われたと豪語するルミナ、彼女から疑惑の目で見られているが、その視線から目を逸らした。
(……本当にこの中にいるんだろうか?)
催眠術師の存在、ここにいるであろうという不確かな情報を鵜呑みにしないため、完全に無駄足となってるかもしれない。
焚き火を囲う者達全員へと視線を向ける。
本物の嘘吐きは誰なのか、本当の悪意が何処に潜んでいるのか、この青黒く染まった霊王眼で見極めていくとしよう。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
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