第134話 罪と罰
炎が天高くまで燃え盛っている。
熱がチリチリとボクの頬を焼いていき、ここが何処なのか分からずに歩き始めた。
周囲は何も無く、ただ炎がボクを逃さないように揺らめいているようだった。
「ここ、何処?」
見知らぬ場所で空も真っ暗、しかし空気が冷たくて肌寒く感じられた。
真っ赤な火が大きく自分の影を作っている。
火の粉が天へと舞い上がっていき、風が優しく吹いて髪とスカートが揺れた。
寂しい場所だ。
周囲は炎に包まれて、他には何も無い殺風景な場所であるためなのか、ボクは自然とそう思って何か無いのかと辺りを見回してみた。
けど、全然何も見えない。
四方のうち一つを除いて三方向が炎壁で覆われているために、壁の無いただ唯一の道を歩かされるのは必至なようだと理解した。
(そっちに行けば良いのかな?)
分からない、けど行かねばならない気がした。
「ハッ……ハッ……」
走る、走る、走る。
炎によって作られた唯一の荒道をボクはただ無心となって駆けていく。
暗闇の中で炎だけが道を照らしていく。
炎が周囲を包み込んでいるにも関わらず、熱さは感じられない。
(もしかして夢?)
ならばとっくに夢から覚めているはずだけど、頬を抓ってみると痛みがあった。
ここは夢ではない?
現実だったら、ボクは眠っている間に誰かによって攫われてしまった事になるけど、そんなヘマをするようなボクではない、寝ている間にも生物学者の能力によって周囲を観察できるため、普通なら敵意とかに気付いて即座に起きられるからだ。
この場で職業の力を使ってみようと思ったが、何故だか能力が発動しない。
(能力が封じられてる? いや、そんな感じはしないから別の要因かな……)
職業が封じられたような感覚や異変は無いため、もしかしたらこの空間そのものが職業の力を中和しているのかもしれない。
だとしたら厄介だ。
水魔法で炎を消そうかと思ったけど、何故か魔法も発動しないし、精霊術も一切使えない。
ここに精霊もいないため、力を借りられない。
権能も使用禁止となっているようで、この状況を打開するための策も浮かばない。
(全ての力が封じられてるなんて、ここはホントに何処なんだろ?)
炎の通り道を進んでいくが、果ては見えず、誰もいない孤独を味わっている。
昔のようだと、苦い記憶を脳裏へ映し出した。
昔はずっと独りぼっちで、孤独という名の恐怖と戦い続ける日々だった。
見知らぬ土地で一人、時には失敗して時には悩んで時には間違えたから、何故だかここは懐かしくて何処か心地良くて、だから悲しい気持ちになる。
ボクの記憶の中に入り込んだのか、それとも幻影か、謎の空間をただひたすらに歩き続ける。
(走るんじゃなかったよ)
体力はある方だと自負していたけど、少し走っただけで息切れを起こして疲れが身体に現れていた。
どうも、ここだと弱体化するらしい。
ふと後ろを振り返ると、そこにはすでに道は無くなっていて、炎で道が塞がれている。
「もしかしてフィオちゃんの悪戯? なんて、そんな事しないだろうし、それだけは無いか〜」
ならばここは何処なのかとボクは首を傾げていた。
だって何処なのか分かんないし、何もできない。
試しに叫んでみても反響しないので道は永遠に広がっていると判断して再び前へと突き進んでいく。
(おっ、と)
途中、泥濘んだ沼に足を取られたような感覚となり、動きが途端に鈍くなってしまった。
足を前へと出そうにも重たくて、足を前に出すだけで体力が無くなっていく。
ここが地獄なのかと思った。
地獄でなかったら、ここは冥界?
それか他人の幻術とかに掛かってるのかな?
(分かんないけど、どうやってこの空間から抜け出そうか考えなくちゃ)
覚えているのはセラちゃんのベッドで眠ったところまでであり、それ以降の記憶は一切、一欠片さえインプットされていない。
今日からギルドで情報を集めて、孤児院に行って、船乗りの家に行って、後は謎の光を探しに行くのだ、ここで立ち止まっている場合ではないのは自分が一番よく分かっているではないか。
しかし出られない。
足を必死になって動かしていると、炎道の先に一筋の光が見えた。
(あれがゴール?)
ならば早く元の世界へと帰りたい、ここにはいたくないのだと脳が判断して膝を上げ、足を前に持っていく。
光へと手を伸ばそうとした時、見えない足元から何かが浮かんできた。
「何だろ――うひゃっ!?」
浮かんできたのは誰かの死体、誰かの亡き骸だった。
少し老人めいた男の人で、着ている服は神父服のようであり、死骸は醜い形相で亡くなっていた。
道行く先を見れば遺体がどんどんと浮かび上がってきていて、ここが地獄なのかと再確認したが、この死体達の顔に見覚えはない。
知り合いではないのは一目で分かる。
他にも少し歳を食ったようなおばさん、十歳くらいの子供達、誰一人として見覚えない遺体が暗い沼に浮かんできている。
着いていた尻餅を持ち上げて、再び光を追い求める。
ここが墓所なのだとしたら、ボクも死んでしまったのだろうか。
(だとしたら悲しいな……)
まだノア君にも会ってないのだから。
彼と生涯を共にするため、ボクはこんなところで死んでいる訳にもいかない。
だから這いずってでも暗闇から出て行くんだ。
その光へと向かっていくんだ、と意気込んで無理矢理にでも進んでいく。
「グッ……進みにくい」
足場はあるけど、沼地のようで身体が後ろに引っ張られるみたいな抵抗力を味わう。
前にしか道が無いのにも関わらず、前にすら進めそうもない。
いや違う、まるで来るなと拒むかのような押し戻しが全身を襲ってくる。
「でもでも、フェスティちゃんを舐めないでよね!!」
エルフの中でも最上位の種族として降臨したゴッドエルフの身体は強靭だから、このくらいは平気で、だから無理してでも前に進める。
苦しくとも希望の光へと歩いていけば、いずれは幸せが待っているのだと思って、視界の先にある光を目指した。
しかし、その光が大きくなっていく。
自分が近付いているからだ。
近付けば近く程、希望の光が希望の光ではないのだと理解してしまう。
沼地を超えて、再び荒れた道を歩いていく。
そして最終的に、ボクはその光の正体へと辿り着いた。
「な、何だよ、これ……」
光っていた、いや、燃えていたのは一つの小さな孤児院だった。
景気良く燃えており、黒煙さえも焼き尽くす程の熱量を肌に受けてチリチリと焼いていく。
何という熱量、何という炎、これではその孤児院もすぐに炭となってしまうだろうと考えていると、孤児院の中に誰かがいるのが見えた。
ただ一人、子供が涙を流していた。
溝があるため、ここからでは詳しくは見えず、その孤児院が何なのか、この状況を飲み込めずに棒立ちとなってしまった。
「あれは……」
小さな少年はまるで、前世のボクの友達だった青年の子供時代そっくりで、こんな変な空間はきっと夢か幻影だと思ったけど解ける気配が一切無いから困ったものだ。
ここまで聞こえるくらいに小さな少年は嗚咽を漏らしている。
悲しみが伝播するように、炎も揺らめいている。
一歩踏み出そうとしたところで、溝よりこっち側、近くに誰かいるのを見つけた。
後ろ姿であり、炎の逆光によって顔が見えない。
しかし黒髪にチラッと見える青く綺麗な瞳が誰かを想起させるが、ジッと孤児院を静かに見つめている目尻から透明な雫がツーッと流れ落ちていった。
(泣いてる?)
絶望に打ち拉がれている彼も、この切り立った崖の向こう側へと行けずに佇むしかできずにいるようだった。
炎の弾ける音だけが周囲に反響する。
不思議な空間だ。
静かで、炎の向こう側は完全に暗闇が広がっている。
まるで影に飲み込まれたかのようで、一寸先が闇なのを教えてくれる。
「この先を……思い出せないんだ」
近くで佇む者が、ポツリと言葉を零した。
まるでこの光景を知っているような発言に、ここが何処なのか更に分からなくなってしまった。
それは、気持ちの吐露だったのかもしれない。
これが彼の過去を現しているのだと、ここで全てを理解すると同時に何故ボクがこんな空間に入り込めているのかがサッパリだった。
(君は……思い出したいのかい?)
そう聞こうとしたけど、言葉が出てこなかった。
彼が何者なのか、もう分かっているけど正体を聞くのが怖くて話し掛けるだけに留めようとしたが、それができずに自分の口へと手を当てる。
口は普通にあるけど、喉から声が出せない。
さっきは出ていたはずなのに、何故か出せないのだ。
「喜びも、怒りも、悲しみも、もう殆ど残ってないはずなのに……」
この世界に生まれてから、彼はどんな思いで生きてきたのだろうか。
ボクは見ていないから分からない。
分かっているのは、彼がここに来る前の生き様についてだけだ。
「何故か……涙が溢れてくるんだ」
無言の後で浮かんできた一言は、とても小さかった。
地面へと消えていく雫が、彼の心情を意味深に物語っているようだった。
青少年の心の叫び、それはつまりここが心の中であると暗示しているようで、この空間が彼の無意識領域という事になる。
心理学の分野には『砂遊び療法』というものがあるが、この炎壁に遮られた立体空間は、その延長であり、彼の心情を甚く表現している。
ポツンと中央に置かれている大きな孤児院、周囲には何も無く、とても寂しい印象を受ける。
炎は意思の強さを表しているのだろう、強く建物が燃えている様は『生』へと執着しているようにも捉えられる。
命を燃やしているのかもしれない。
周囲は暗く、孤独を味わっているように感じた。
そして、その孤児院に一人の少年がいる。
孤児院が燃えている様は、まるで燃やして忘れたいと思っているように感じられ、しかし逆に先程の言葉と矛盾している。
思い出せない、つまり思い出そうとしたが失敗したという事、それは思い出そうと考えていた、そう裏付けられるのでは無かろうか。
(それに崖のせいでボクも向こうに行けないし、触れられたくないっていう拒絶もあるのかな?)
心理学に関しては専門外なので素人目線での判断しかできないけど、ボクにはそう見えた。
それに客観的に外側から俯瞰している彼の存在は、燻った気持ちを抱える被験者そのものだろう、ボクも同じような立場にいたのだから分かる。
孤独の存在、その気持ちが分かるから、この世界に嫌悪さえ感じている。
それは彼も同じだろう。
けど、目の前の光景をただジッと見詰めていて、動こうとはしなかった。
「俺と関わったせいで……」
微かに震えた声がボクの耳朶を打った。
弱々しい声が静寂を切り裂いて、そして決して届かないと分かっていながらも彼は焼け落ちていく孤児院へと手を伸ばしていた。
「皆、ごめん……でも俺はまだ、死ぬ訳にはいかないんだ」
何故だろうか、その言葉が周囲に一番響いたような気がした。
より一層激しさを増す炎の勢いが、建物全体を火だるまにしていた。
何もできない無力さを実感する。
水属性の魔法を使えるはずが、この魔法不干渉領域のせいで発動させられないし、精霊術で水を生み出そうと思ったけどもできない。
手を伸ばしても無駄という訳なのだ。
それが現実を教えている。
世界に対して個人なんてものは小っぽけな存在でしかないのだと、幾ら手を伸ばそうとも過去は戻ってこないのだと、その悲しくも厳しい現実が如実に彼へと伝えられる。
「ルネッタ、フィー、ガロ、ジーニー、ディーシャン、ハクメイ、イグニシア……」
その七人の名前について聞きたかったけど、やはり声が出せなかった。
ボクだけが別の次元にいるような感覚だ。
「父さん、母さん……」
言葉が炎の中へと掻き消え、彼の目尻に浮かんでいたはずの涙はいつの間にか枯れきっていた。
瞬きする間に、ボク等の目の前には崖が塞がっている代わりに、十人分もの墓標が飾られていた。
そこに刻まれていた名前には、彼の口にした名前と知らぬ名前が二つあった。
ウォーゼフ=ラングナー、ジャネット=ラングナー、その二つの名前だ。
先程『父さん母さん』と言ったので、多分親だろう。
一番衝撃だったのが中央に飾られている一つの十字架の墓標であり、そこに刻まれているはずの名前には誰のかが分からないように文字化けした文字だけが残されていたのだ。
(読めない……)
視力は良い方だから少し遠くからでも見える。
しかしながら奇妙に文字化けしているため、誰の墓標なのかと首を傾げた。
これが誰の墓標なのか、本当はボクも彼も分かっているのだが、敢えて口には出さない。
きっと彼のだろう。
「「……」」
彼はボクへと一瞥もくれずに焼け落ちた孤児院へと歩いていくので、後を追い掛けた。
崖が消えて、焼け落ちた廃屋の玄関口へと彼は立った。
扉も焦げており、扉として機能していない。
押し開けると金具が外れて前へと倒れ、大きな音を立てて壊れてしまった。
(小さな孤児院だなぁ……)
普通はもっと大きなものだろうけど、この孤児院は何故かそこまでの広さを持っていなかった。
建物も完全に崩れ、灰と化している。
そんな廃墟となった孤児院の居間には、一人の男の子が何かを抱き締めて涙を流していた。
黒焦げとなった大きな塊、それを抱き締めていた小さな少年の腕の中でボロボロと崩れていき、最後には完全に灰となって彼の抱擁から擦り抜けていった。
人の死を目の当たりにした少年は、少ししてから立ち上がり、手にしていたナイフを首元へと持っていく。
(だ、駄目――)
震えた手がナイフを握り、首へと突き刺そうとしていたところを止めようとした。
けど間に合わない距離にボクはいた。
だから凄惨な光景になるかと思ったけど、目の前では異なる結果が見られた。
「死んだら駄目だ、ヴィル……」
自決しようとしていた少年を止めたのは、同じ人間だった。
悲しげな瞳を少年へと向ける彼には、この先の人生の全てが見えている。
『何故だ? 死んだらもう、そんなにも苦しまなくて済むじゃないか』
未成年の言葉が青年の心へと主張する。
死ねば全てが楽になるのだと、死ねば心の苦しみから解放されるのだと。
それは自分自身に向かって言ってるのか、不思議な光景がそこにはあった。
幼い頃の自分を見詰めている青年ノア、彼が何を思っているのか、何を考えているのか、どういう風に生きてきたのか、ボクは何も知らない。
知っていれば、助けられたのだろうか?
『もう、苦しまずに――』
「違う……逃げてるだけだ。それはお前も気付いてるだろ? だから俺達はこの苦しみを背負って生き恥を晒し続けてるんだ」
この夢は何なのだろう、ただの過去とは違うようだ。
けれども、夢の住人が何者なのかは気になってしまう。
彼の人格の一部がこうして人の姿を象っているのか、それとも人格が分離した末路なのか、はたまた彼の本当の姿なのか。
『生き恥晒してどうなる? 結局は何も変わってないじゃないか』
「……あぁ、そうだな」
左脇腹を抑えて、彼はギュッと服を掴んでいた。
彼の身体が酷い状態なのはセラちゃんから聞いている。
しかし実際に話に聞くと、何があったのかと心配してしまう。
左脇腹を抑えていたのは、そこに大きな火傷があるからだろう。
この孤児院が焼けた時にできたものかもしれない。
「一人こうして生き残ってしまった罪を、他人を犠牲にしてしまった罰を、俺は一生涯掛けて受け、償い続けなければならない。何者にもなれず、何者にも認められず、俺は他人を犠牲にしてまで生き延びた意味をずっと彷徨いながら探し続けるんだ」
『それが俺達の……罪と罰なのか?』
「あぁ、どんなに辛くても、どんなに苦しくても、死ぬ事だけは絶対に許されない。だから生き恥晒すのも厭わず、何度も地獄の中で生き続けてるんだよ、ヴィル」
彼の罪、彼の罰、それを創り出してしまったのはボクであると認識した瞬間、心の中にポッカリと穴が空いてしまったような気がした。
ボクが元凶なんだ。
ボクが過ちを犯さなければ、彼はこんなにも苦しまずに済んだのかもしれない。
「それに……遥か昔に一つ、約束したんだ」
誰と何を約束したのか、ボクは静かに聞き耳を立てる。
「もう名前も顔も忘れちまったが、前世で俺の唯一の親友だった彼女と約束したからな、絶対に見つけるって」
その言葉とその気持ちによって、この千年が報われたような気がした。
ボクの存在が未だ彼の中から消えていなかったのだと分かって、胸を撫で下ろした気分だ。
やっぱり覚えてた。
名前とか顔を忘れていても、その思い出だけは永遠に彼の御霊に刻まれていたのだ。
けど、それを少年は許さない。
『それを彼等が許すと思うか?』
部屋が明るくなって、ボク達は凄惨な現場を目にする。
部屋中が血塗れとなり、九人の人間が地に伏している部屋で、ただ少年は手にナイフを持っている。
子供達は無残な姿となってボク達を見ていた。
『お前が潔く死んでいれば、他の九人はこんな無残な姿になる事は無かった。お前がいたから、彼等は散らす必要のない命を犠牲にした。お前がこの家に来なければ、七人の栄光ある未来は閉ざされなかった。全てお前が招いた結果だ。お前だけが好きな子と再会して幸せになるってのは間違いじゃないか?』
「……」
その言葉はボクに言われているようにも聞こえ、胸がチクリと痛く感じた。
直接的な関連は無くとも、原因を作ってしまったのはボクなのだから、彼に責任を負わせるべきではない。
しかし言葉にしようとしても、声が出ない。
やはり主張できない。
『一人だけ助かろうと九人もの人間を見殺しにしたのか? 一人生き残るためだけに七人の命を弄んだのか?』
「ッ……」
彼の口からは、言葉が出てこなかった。
人の命が平等なのは彼も重々承知のはず、もしも見殺しにしたのが本当だったら、友として、理解者として、好きな人としてボクは少し悲しく思う。
『答えてみろよ、ヴィル』
少年がナイフを捨てて青年の胸倉を掴む。
その剣幕と雰囲気は随分とノア君と掛け離れているように見え、同じく彼自身も困惑顔となっていた。
そして口をパクパクとさせて答えられずにただ時間だけが過ぎていく。
『俺は……俺達は……何のために生き残った?』
心の言葉が闇を深くする。
探しても見つかりはしないであろう答えを求めるが、当然答えが出てこない。
きっと彼等の道のりはずっと先まで続いている。
これは多分、彼の無意識の叫び。
無意識が夢の中で意識に向かって語り続ける。
『唯一の居場所を自らの手で焼き払って、九人の命を犠牲にして逃げた。逃げて逃げて逃げ続けて……』
少年は青年の姿となって、彼の前に立ちはだかる。
まるで鏡映しのようだと思いながらも会話を側で聞いていた。
『生き残ってしまった意味を探し続けるために、この地獄で生き続けなくちゃいけないのか?』
「……そうだ」
答えは至ってシンプル、苦しく険しい道のりを歩むのだと再認識していた。
一人生き残ってしまった罪を、ずっと背負って歩いていく、それは辛すぎる、悲しすぎる。
『死ぬよりも辛いんだぞ?』
「あぁ、知ってる」
『後戻りできないんだぞ?』
「それも知ってる」
それでも彼は九人の命のために、これから先何があろうとも生きていなければならない。
彼に言いたい事が沢山ある。
もう良いんだよ、と言ってあげたい。
きっと孤児院の人達は彼に生きてほしいから、彼を生かしたのだと信じたい。
そして彼の罪と罰を少しでも一緒に背負ってあげられたらどれだけ良いか、そう思いながら彼等を見守った。
「きっと俺は幸せになれやしない。九人もの命を見殺しにしておいて一人だけ幸せにはなれない。だから俺は一人罪と共に生きるよ」
『……それで良いのか?』
「良いんだ、これで」
それが、彼の生涯を決める決意か。
一度決意すれば変わらないのも彼の個性、ボクには止められない。
(けど……)
どうか、そんな生き方だけはしないでほしい、もっと自由に生きてほしいと思った。
自分の人生を無理に縛って、自分で自分を責めて苦しんでいる彼を見ていられないのだ。
ボクの責任だから。
ボクが招いた結末だから……
「だから皆とは少しの間だけ、お別れだ」
再び壊れた廃墟となっており、大きく穴の空いた壁の向こうに建てられていた墓標へと目を向け、彼はサヨナラを告げた。
また戻ってくると言い残して、彼はこの孤児院から出た。
彼が出た瞬間、ボク等のいた孤児院も、そして十個の墓標も消えていた。
(本当に現れたり消えたり……変な夢だね)
過去は消えないからこそ、これからの生き方を自分で決めていかなければならない。
そして過去が未来へと及ぼす影響は計り知れない。
後悔する時もあれば、立ち直って前へと進む時もあるはずだ。
(だから、どうかそれだけは知っていて欲しいんだよ、ノア君)
もっと彼と一緒にいてあげられたら良かった。
どんなに辛くても、ボクは死んで彼の元からいなくなっては駄目だったのだ。
「ありがとう、皆……俺、行くよ」
彼は墓標のあったところを横目に、光とは真逆の暗闇へと歩いていく。
そっちは違う。
君の行くべき場所は光のはずだと手を伸ばして、彼の腕を掴もうとしたのだが、その手をスルリと抜けて掴めなくて転んでしまう。
(イタタ……やっぱり認識されてないし、掴めもしない)
干渉できないとは、これではどうもできやしないが、このままでは暗闇へと行ってしまう。
そんなのは駄目だよ、そっちに行ったら二度と戻ってこれやしないんだ。
だから……行かないでよ。
「ノア君!!」
手を伸ばして声を張り上げ、ボクの意識が唐突に途切れてしまった。
途切れる直前、彼がボクの言葉に反応して振り返ったような気がしたところで意識がブラックアウトし、次に起きた時にはボクはベッドの上にいた。
途端に目から涙が垂れ落ちて、ボクは泣いていた。
「ボクは何を……」
思い出せない。
何かを見ていたはずなのに、こんなにも悲しいはずなのに、心にポッカリと穴が空いたような気持ちだけは残されていて途轍もなく胸が苦しくなったのに、何故か夢の内容を思い出せなかった。
この苦しみはきっと、大事なものだ。
忘れてしまっても、心が覚えている。
夢を見た、何かの夢を……
いずれこの感情も風化していくだろうけども、今だけは何故か忘れられずに、ボクは静かに涙を零した。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
『面白い!』『この小説良いな!』等と思って頂けましたら、下にある評価、ブックマーク、感想をよろしくお願い致します。
感想を下さった方、評価を下さった方、ブックマーク登録して下さった方、本当にありがとうございます、大変励みになります!




