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星々煌めく異世界で  作者: 二月ノ三日月
第一章【冒険者編】
14/275

第13.5話 背中合わせ

 ギルドの試験も無事、一日目が終了した。

 転移させられてから何時間も歩き続けて、少し足が痛いところだが、疲れが蓄積していたのか、夜番を任せてから数分もせずに夢の世界へ来てしまった。

 ノア殿に夜番を任せて眠っていたところで、誰かに揺さぶられて起こされた。

 誰かというのはノア殿以外にいないので、少し眠気を携えながら、夜中に起床した。


「大丈夫か?」

「あぁ……済まない、問題無い」


 寝ぼけた頭を働かせて、我はノア殿と交代でテントから這い出て、焚き火前に置かれている丸太へ腰を下ろした。

 最初はノア殿の所持していた、不思議な光る魔導具を熾き火代わりに使用していたのだが、我には使い方が一切分からないのと誤って破壊してしまう可能性が大きいため、焚き火にしてもらった。

 簡単に薪を集め、火を焚べ、そのまま二時間以上が経過していた。

 たまに焚き木を炎に放り込む。

 パチパチと弾けて、その炎を眺めていると時間は勝手に過ぎていく。

 綺麗な灼熱の炎が風に揺らめいて、ユラユラと動いて燃えている。


(静かなものだ……)


 一人旅でも、こうして周囲を警戒しながら焚き火をして、こうして一人で就寝した。

 一人旅は気楽とは程遠い。

 いつ襲われるか分からないから。

 盗賊が出る可能性もあるから、旅の途中では野宿は殆どしないよう注意してきたが、大体は商団の移送に同行させてもらったり都市間運行馬車を利用したりして、一年以上旅を続けてきた。

 中には馬車の通らない場所もあった。

 だから森や洞窟、草原と、旅の途中で野宿する機会は何度かあった。

 しかし不思議だ、現在では近くで同年代の男が、夜番を交代して就寝している。

 ペア結成には驚いたが、案内人の能力で誰が一番強いのか、そして自身の目的のために予知して席に座った。

 そして現れたのがノア殿だったが、どれ程までに強いのかは知らない。

 今回は一番強い人を選んだ。

 ギルドの試験を突破して危険区域に探索に出られれば、それだけ自分の探している場所へと行けるから。


(ノア殿には底が無かった……あんなのは始めてだ)


 職業という不思議な力によって、相手の未来を映像として見れるのが、案内人である。

 だが、ノア殿の実力……いや、彼の未来映像の分岐点は無数に存在していたから、それだけ彼には実力があるのだろうが、初めての予知経験だ。

 人によって未来は複数見える。

 だが、彼の持っていた未来は無限。

 人には幾つもの分岐点があるのが、ノア殿の分かれ道は無限に広がっていたから、敢えて彼の到着する時刻に合わせて着席した。

 一本の道に際限など無く、ふとした小さな変化でどのようにも彼は成長変化する男、力ある者には責任が付き纏うものだと故郷で教わったが、彼には強大すぎる人間の器と逸脱した力が備わっているのだ。

 案内人として、導き手として、どのように彼が成長するのかを見てみたかった。


「……」


 だがしかし、それ以上に我には目的がある。

 やり通すべき作業が、目的が、自分には存在する。

 だから、ノア殿とはパーティーを一時的にしか組めないため、勿体無いと思ってしまった。

 決して戦える職業を授かった訳ではないが、それでもある程度の技術で対抗したり、弱点を見極めたり、予知能力を応用すれば戦闘に起用できる。

 決して諦めたりはしなかったが、彼は違う。

 『錬金術師』という職業を授かったせいで、色々と諦めざるを得なかったはずだ。

 迫害や差別、それを知らない訳ではないのだろう。

 だから決して警戒心を怠らず、今も彼は警戒しながら眠っている。


(貴殿は一体何者だ?)


 テントの方を見て、いつでも出られるようにと入口が開け放たれている状態で、そこで眠るノア殿を見た。

 入り口を背にして就寝中の彼の姿は、まるで我にすら心を許していないかのように感じた。

 ワザと背中を晒しているが、寝首を掻けば我の方が先に気付かぬまま首を刎ねられているだろう、それくらいの実力差があると分かる。

 だから、彼には手出しできない。

 しかし我にも職業があるから、彼の未来を予知して起こした瞬間の出来事を把握する。

 自分の未来が見えたら良いのだが、何故か我は他人の未来しか見えない。

 不便ではあるが、そういったものだろう。

 案内人は、他者を導くためにあるのだから。


『ねぇ』


 自身の能力や、ノア殿について思慮を巡らせていると、テントの奥から精霊が飛び出てきた。

 確か名前は……ステラ殿、だったな。

 彼女は退屈を潰そうと我に対話を持ち寄ってきて、それに対して自分も寛容に出迎える。

 しかし、主人の意に反していないだろうか。


「す、ステラ殿……勝手に出てきても良かったのか?」

『うん。寝床が紋章の中ってだけで、別にノアに強制されてないからね〜』


 随分と緩い制約だが、それも宿主であるノア殿が認めているからだろう。

 精霊契約で精霊を強制しようとする者がいるため、弱い精霊だと普通は勝手に出現する許可さえ貰えないものだが、彼女は違うようだ。

 それに強制されてないと彼女自身分かってるため、こうして生き生きとノア殿に付いている。

 高位精霊と契約するのは珍しい。

 好きに出現して好きに精霊紋の中で眠るという、不思議な存在に対して、こんなにも自由奔放な精霊を我は初めて見た気がする。


『ねぇ、ステラとお話ししようよ』

「それは構わないが……」


 嬉しそうに表情を作る小さな精霊がフワフワと周囲を飛んでいるが、こうした高位精霊はやはり初めて見る。

 精霊族ではない存在、我とは少し違うらしい。

 肉体の構造的には魔力で形成されているようだが、精霊という不思議な存在にも感情がある。

 情緒もあれば、意思もある。

 不思議な存在との対話を拒まず、我はその少女からの話に傾聴する。


『ねぇ、貴方は人間? 精霊? それとも……魔族?』

「なっ――」


 その言葉が、核心を突く発言であると、自分の表情で語ってしまっていた。

 彼女が我を人族、精霊族であるのか、と問い質すのならまだ分かる。

 しかし彼女が最後に聞いたのは、『魔族』だった。

 魔族という種族は数百年以上もの間、人種族や獣人種、亜人種といった全種族と敵対している存在であり、人族に勇者がいるように、魔族側にも勇者と対を成す『魔王』という存在が出現する。

 そして、北大陸の更に北に位置する魔族領域に棲んでいるそうだ。

 それに抗って人種族の希望の象徴たる勇者が、魔族殲滅を掲げているのだが、何故彼女は我を魔族と思ったのか、甚だ疑問だった。

 もしかして我の存在に気付いたのか?


「……何故、そう思ったのだ?」

『だって貴方の中、黒いモヤモヤが渦巻いてて、けど何だかノアとは少し違うみたいだし……』


 精霊は目に見えない何かを感じ取れる、凄まじい感知精度を持つと文献や伝承で目にした記憶がある。

 だからか、彼女にも鋭い感知能力が備わっている。

 そのため肉体に宿る血の性質を見抜いたのだろう、決して相容れないはずの、精霊と悪魔の血が混じった、この我という特異体質を。

 それが意味するのは、ノア殿に我の正体が露呈してしまうという危機だ。

 確かに、彼女の言う通りだろう。

 その曖昧な表現では、本当に魔族の血が流れていると気付いてるかは知らないが、それでも彼女の言葉は概ね正しいと言える。

 我の両親は、父が半魔、母が半人半霊の体質を持っていたため、その遺伝子を受け継いだ我は混血種という体質、血筋なのである。

 魔王復活の影響によって、半魔だった父は惨殺され、母も半分人間の血ではないと迫害され、旅をしていたのも記憶にまだ新しい。

 一年前に国を飛び出してからは、ずっと一人だった。

 だから我は半分が人間、四分の一が魔族、そして残りの四分の一が精霊の血となる混血種クォーターだ。


「……隠しても無駄だな。貴殿の言う通り、母が半分精霊の血を引き継いでいたそうだ。同じく父は半分魔族でな、同じ人種として母を愛していた」

『ふ〜ん』


 興味無さそうな返事が返ってきたが、我の方は精霊でありながらも自我のある彼女に大層興味があったので、話を続けようと思った。

 国から逃げた咎人として、両親の伝手を頼りながら、また伝承や可能性を探しながら、我は都市を転々としてきた。

 そして一年が経過した今、手掛かりとして得た情報のために、冒険者になろうとしている。


『じゃあ、何で旅してるの?』

「何故、か……」


 自分が旅をしている理由、それは『とある場所』を探すため、その目的のために我は一年間ずっと旅を続けてきたが、冒険者ギルドに入るのは少し躊躇ってしまい、ここまで来てしまった。

 冒険者ギルドは、あまり信用ならない。

 国に勤仕していた父を半分魔族の血が流れているというだけで処刑された、人間の醜い心せいで両親が死んだ、そのせいで我はまた迫害を被るのではないか、そう思った。

 だから人族として、我は生きている。

 しかしステラ殿に知られた。

 契約しているノア殿にも、情報が伝達されるのではないかと考えられる。

 だが高位精霊として、彼女の故郷について聞く機会を得たと思おう。


「ステラ殿は『精霊界』の行き方を知っているか?」

『知らな〜い。ステラ達高位精霊でさえも、簡単には行けないところなの。けど、どうして?』

「この剣を、精霊界に送ってあげたいのだ」


 我は腰に備えてある精霊剣を鞘から引き抜いて、それを彼女へと見せる。

 綺麗な翡翠色の刀身と、剣柄の先に付いた宝玉が月明かりに照らされて淡い輝きを纏った。

 この剣は、自分の母親だ。

 母は死ぬ間際に魂を剣へと変貌を遂げて、こうして我の手中に収まったからこそ、我はずっと母親を元の人間の姿に戻す方法を探している。

 我のせいで、我が無力だったから、ずっと後悔を引き摺って精霊界への生き方を模索し続けている。


『そっか、戻ると良いね』

「あぁ」


 翡翠の精霊剣を鞘へと仕舞い、夜番を続ける。

 この剣を精霊界へと持ち帰って、父と共に弔ってあげたいのだ。

 そして母を元に戻す。

 しかし旅の最中であっても、殆ど手掛かりすら掴めない状態なので、どうすれば良いかと思案していた時、その解決への足懸かりが存外近くにあると未来予知が反応したので、同時に精霊界へと通じる道の中には資格が必要な場所もあるだろう。

 だから、冒険者ギルドの試験に受ければ何か分かるかもしれない、そう思って登録した。

 眼前には精霊界を知る高位の精霊がいる、この出会いはきっと何か意味がある、だから我は案内人で良かったと心から思ったのだ。

 しかし我の持つ案内人の職業に備わっている予知能力は、何故か自分のだけ曖昧な部分があって見通せないから、精進は必須だと痛感している。


「他に何か聞きたい事はあるか?」

『う〜ん……特に無いかな』


 精霊と雖も彼女も女の子、お喋り好きらしい。

 しかし、我には興味を唆られないか。

 こちらとしても有意義な時間を過ごせている、と思う。

 他者と、このように腰を据えて会話を弾ませたのは、実のところ初めての経験だが、その会話が尽きたらしく、言葉を探している様子だった。

 ならば、我からも幾つか質問しようと考えて、その内容を言葉に変換した。


「逆にこちらから質問しても宜しいか?」

『うん、何でも聞いて』


 何を聞こうか、もう決まっていたため、躊躇う事もなく簡単に言葉にできた。

 それは、テントで背中を晒して寝ている、青年だ。

 彼が何者なのか、それが気になった。


「ノア殿は一体何者なのだ?」

『う、う〜ん? 何者って言われても、どう返したら良いんだろ?』


 確かに、何者なのかと問われても、聞きたい解釈が違えば答えも随分と変わってくるものだ。

 例えば彼の素性。

 何処出身で、ステラ殿とはどういった出会いをして、どういった経緯で契約を結んだのか。

 それか彼の職業、錬金術師と言っていたが、何故炎の精霊術を扱えるのか、とかが不透明であり、同時に彼の異常なまでの警戒心が不自然だ。

 一人旅にしても、あそこまで警戒するとは。

 一体何者なのか、彼の運命分岐路の無限さにも驚愕したからこそ、気になっていた。

 それに我の質問の意図は、契約した高位精霊として彼をどんな風に見ているのか、どう思ってるのか、ステラ殿の景色が知りたかった。

 錬金術師でありながら、何故か強い力を持っている不思議な男、そういう印象を抱いた。

 彼がどのような人生を歩んで、どのような価値観を持ち、どのような人間性を携えているのか、種族は違えども不思議と気になる。

 だが、意図が伝わらず、困惑させるだけだった。

 それなら、質問を変えよう。


「ならば錬金術師について、どう思う?」

『錬金術師……ノアの職業、なんだっけ? ステラ、何回も見たけど本当に凄い力だよね。何でも作って、壊して、また作り直しちゃうんだもん』


 錬金術師は世間では確か、低級ポーションしか作れない、そんな不遇職だと聞いた。

 そんな芸当が可能なんて初耳だ。

 いや、錬金術師という職業を授かる者は、世界に数える程しかいないだろう。

 最初は精霊術師という職業だからこそ、ここまで来れたのだろうと勝手に解釈していたが、今の話を聞いて、同時に昼間の転移直後の様子から、確信した。

 短剣を、いつの間にか所持していた。

 しかし短剣を仕舞う鞘が無かった。

 錬金術師という職業は底知れない何かがあるのだと、そう直感した。


「その職業が世間では侮蔑の対象となっていると、ステラ殿は知らないのか?」

『そうなの? だってノア、聞いた事以外全然教えてくんないんだもん。それにノアの過去とか、ステラあんまり知らないし、聞いても教えてくれないし』

「そ、そうなのだな……」


 つまり契約者という立場にいるだけで、ノア殿がどのような生い立ちなのか、とかはステラ殿に話してないのだと伝わってきた。

 我が精霊だと知った時、彼は無理に事情を聞こうとはしなかった。

 自身も迫害の過去があるからこそ無闇に彼に話すつもりは無かったし、まだ出会って一日も経過していないため、もう少し様子を見たかった。

 人を信じられるかは、その人の言動や行動理念等から、大体を把握推測する。

 しかし、行動理念が不明だ。

 それに彼について把握しきれていない。

 我はまだ、彼について何も知らない。

 そもそも彼が我を信用しているように見えず、逆に警戒心を張りっぱなしで、緊張感が微かに伝わってくるから、接しにくい部分がある。


『ノアはね、常に生きる事しか考えてない……ううん、生きようとすら思ってないのかもね』

「それは、どういう――」


 意味なのだろうか。

 そう聞こうとしたが、真横から声を掛けられて、驚愕を吐き出しそうになった。


「ステラ」

「の、ノア殿……」


 就寝していたはずのテントは空となり、いつの間に移動してきたのか、彼の躯体は目の錯覚か、影に揺らめいているように映った。

 何かの能力かとも思ったが、本当にいつ音を立てずに移動したのか、技量の違いに圧倒されてしまう。

 気配もせず、足音もさせず、まるで暗殺者のような動きをして、一切の油断も隙も晒さない。

 これがノア殿。

 我等の話を聞かれていた、のか?


「他人に余計な内容喋るのは止めろ」

『は〜い』


 昼間の時とは打って変わり、何故だか近付いてはならない、不思議な邪気(オーラ)のような、得体の知れない何かを感知した。

 瞳の奥底に見える深淵が我の心を蝕んでいき、言葉が出てこない。

 だが、振り絞って先程のステラ殿の言葉に、抱いた疑問をぶつけてみる。


「の、ノア殿」

「ん?」

「ノア殿は……生きるという事を考えているのか?」


 先程の会話を聞かれていたのならば、躊躇う必要は無いと考えて、発言させてもらう。

 目の前にいるのだから聞いてしまえ、そう思った。

 半分自棄になっている自分がいる。

 だが、他人を知るには良い機会と捉え、彼の内情に軽く触れてみる。


「何だよ、その哲学みたいな問いは?」

「す、済まない。ステラ殿が言っていたものでな、生きようとすら思っていないのかもしれない、と」


 生きるという生存行動の概念として我は、『旅をする事』だと毎度考えている。

 人生という名の道を歩んで、どんどんと未来へと進んでいくのだ。

 時には分岐路もあって、選択を迫られる。

 身を切るような辛い選択をする時だって、もしかしたら訪れるかもしれない。

 時には成功も、失敗もしてしまう。

 人は時間が平等に分配されているから、その人次第では一気に跳躍するように先へと突進する者もいるだろうし、その場で停滞して思考する者もいる。

 振り返る者だっているに違いない。

 ならばそもそも『生きる』とは何なのか、確かにノア殿のように哲学の問いと変化してしまったが、命を持っている我々としては何のために生きるのか、生きるという言葉にどのような思いが詰まっているのか、考えは間欠泉のように噴き出し、溢れ出てくる。


「生きる、生きるか……軽々と答える訳にもいかないか。まぁ、起きちまったもんは仕方ない、暇潰しも兼ねて少し話すとしようか。一応、背中合わせにして夜番の続きでもしながら、会話を弾ませるとしよう」


 我の座っていた岩場の、その反対側へと腰掛けて、ピッタリと背中を合わせてくる。

 鼓動の音が響いてきて、自分の音も相手に伝播しているに違いない。

 背中から、温もりを感じる。

 まるで両親がいた頃に戻ったみたいだ。

 彼の逞しい背中は我よりも幾分か広くて、そして強靭とした背中は、やはり男の子だなと思わせる謎の生命エネルギーを感知して、我も背中を預ける。

 その背中が、声の振動に震え出した。


「まず、リノにとって生きるって何だ?」

「我は旅をする事だと思っている。人生は長い、だからこそ誰しもが時の旅をしている……と、何だか気恥ずかしいものだな」

「別に良いじゃないか。それがリノの答えなんだろ?」

「あ、あぁ。母の受け売りだが、気に入っている」


 最初は母が語っていた。

 人は自分の時間の中で絶えず彷徨い続けているのだ、と教えてくれた。

 その流浪の旅路は一生涯そのもので、死ぬ時になってようやく人生という旅行が終了し、その旅の果てに安息の地へと召されるのだと言った。

 いつしか、それが我の考えになった。

 他人に自分の考えを吐露するのは悪いものでもないが、哲学的な問題を他人へと話す経験は一度もしなかったので、暇潰しとしては少々羞恥心が強い。

 しかし、彼は一切笑わずに真剣そのもので、ただ穏やかに返事をしてくれた。


「ノア殿は?」

「俺か……すぐには答えが出ないな。リノの答えはリノにとっては正解かもしれないが、俺にとっては間違いなのかもしれない」

「では、ノア殿にとっては否定的なのか?」

「そうじゃない。人生は旅、それ自体は良い例えだと俺は思ってる」


 そう褒められて、自分の顔が朱色に紅潮した、熱を帯びたと認識できた。

 今まで、体質的問題のせいで、友人や親しい友達という存在がいなかったし、たとえ仮にできたとしても……

 だからこそ自分の考えを両親以外に褒めてもらった事実に対して、嬉しくもあり、そして気恥ずかしくもあり、同時に何故か悲しくもあった。

 もう両親がいないから、だろうか。

 それとも、ノア殿が我の正体を知ったら敬遠されてしまうと、そう思ったからなのか。

 自分の感情が分からない。

 悲しい理由が、何故か霧の中に消えたみたいに、その答えを掴み取れなかった。


「俺の住んでた国にはな、松尾芭蕉という一人の俳諧師の爺さんがいた」

「はいかいし?」

「俳句っつ〜、まぁ歌とか詩みたいなのを、五七五に揃えて書いてた人物だ。いや、今はそんな話よりも、だ」


 確かに、はいかいしというのはよく分からないが、彼の言いたいところは次のようだ。

 静まり返った空間に、段差に流るる水の音しか、今は聞こえない。

 静かに、彼は口を開いた。


「『月日は百代の過客にして、行きこう年もまた旅人なり』、そう言葉を残している」

「それは、どういう意味なのだ?」

「人生を旅に例えた言葉だそうだ。月日は永遠の旅人であり、来ては去り、去ってはまた来る年もまた旅人である、そんな解釈だったはずだ」


 良い言葉だと、聞いていてそう思えた。

 月日は永遠の旅人、しっくりくる答えだし、我と似通ったものだ。


「その言葉を聞いた時、俺は……時という旅人、その旅人と寄り添いながら歩いていくのが、俺達人間の役割なんだって思った」


 人生は常に我々の近くにある。

 朝がやって来て、昼が過ぎ、そして夜が幕を開けて、そしてまた太陽が顔を覗かせる。

 解釈を噛み砕いていくと当たり前な常識でも、面白い例えと考え方だなと、そう思い、自分と似たような考えを持つ者がいて少し嬉しい気持ちが込み上げてきた。

 その人物は、さぞ有名な詩人だったのだろう。


「良い、はいかいし? だな」

「さぁ、どうだろうな」


 顔は見えないが、フッと彼が笑ったような気がした。

 振り返りたい、振り返って彼の顔を見てみたいと思っては考えを改めて、今度は彼の披露する考えに傾聴する。


「それで、ノア殿の考えは纏まったか」

「俺の考え、か……」


 考える仕草をしているのか、背中にある感触が少し動いている。

 彼はどう思案を巡らせ、脳を回転させ、どのような回答を導き出すのか、その答案に我は納得できるのか、賢い人間であるのは最初の試験時から知っていたので、彼の最適解が凡庸でないのを願う。


「生きる、か……改めて深く考えてみると、正直答えが出てこないな」

「答えが出ないのか?」

「いや、思考内容が多すぎてな、答えが纏まらない」


 答えが出ないのに沢山内包しているとは、何とも矛盾している贅沢だが、それでも彼が必死に自分なりの結論を捻り出そうと四苦八苦しているのは、その必死さが背後から伝わってきた。

 哲学という分野でも、多くの偉人達が有名な言葉を残している。

 しかし、最初に彼の口から吐露された人物は、名も知らぬ一人の詩人だった。


「俺は……人生は迷宮、だと思う」


 人生は迷宮、つまり人生はダンジョン?


「人は生まれた時は一階層にいる。そこから下へと、或いは上へと進んでいく過程で幾つもの分岐点が訪れる。分岐を選んで、そして進んでいく先では正解の道かもしれないし、間違った罠だらけの道かもしれない」

「……」

「正解も、そして失敗も何処かで繋がっている。人は最後には死を迎えるが、その無限に広がった不思議な世界で俺達は常に迷い続けて、『死』というゴールを目指して、日々を彷徨って生きてると思うんだ」


 人生は迷宮、中々どうして面白い例えだ。

 迷宮を攻略する中で、仲間との出会いや別れ、時には寄り道したりして休憩したり、モンスターとの戦い、色んな経験を経て、難しい世界へと進んでいく。

 最初は初級、そして進むに連れて中級、上級、と道は険しくなっていく。


「きっと正解は一つじゃない。失敗した先でも、新たな道があるかもしれないし、もしかしたら転移トラップで何処かに飛ばされる、なんて理不尽が降り掛かる時もあるかもしれない。だから、俺は生きるという行為は迷宮を攻略するという比喩だと考えた」

「面白くて……それでいて良い考え方だな。我はそういう考え方は好きだ」


 きっと選択の連続となろう、一期一会の長旅となろう、出会いと別れが繰り返される巨大な迷宮で、我々は果てしない旅を続けている、と。

 ならば、この世界そのものが迷宮なのかもしれない。

 時には失敗し、時には上手く事が運ぶ、それが繰り返されていく世界だからこそ、我等はこうして生きている。


「別に生きようと思ってない事もない。ただ、ふと思うんだよ……生きるとは何なのか、そして死ぬとはどういうものか、それを理解するのが死んだ後なのかなってな」


 死んだら魂は何処に行くのか?

 死後の意識は?

 その記憶は?

 そういった考えを持っているのだと、ノア殿は軽く語ってくれた。

 ただ暇潰しに話すつもりだったのに、こんなにも考えさせられるとは思ってもみなかった。

 こういった会話は、面白いと思える者にはそうだが、つまらないと感じれば結局それまで、所詮は価値観の相違でしかないのだ。

 だから我とノア殿で考え方に差異が出てくる。

 それも当然だ、我等は同じであり、別の生き物でもあるのだから。


「だが、死んだ後に分かるのは、生きてきた軌跡がモノを言うだろう」

「どういう事なのだ?」

「生存と死亡は密接に繋がっている。その繋がりが短ければ『ただ死んだんだな』って思うだけだろうし、辛い人生から死へと現実逃避すれば、それで終了する」


 自殺というやつだ。

 人はいずれ死ぬ運命にあるが、その死を早める事自体は可能だし、誰にだって簡単に行える。

 首にナイフを突き刺せば、それだけで人生は終わる。

 理不尽に他者から搾取される心配も無く、自らの手で決着を付けられる自殺は、推奨されない死亡方法であり、生存に対する冒涜以外の何物でもない。

 生と死は地続きで繋がりを持ち、その距離が長ければ長いだけ価値や意味を持たせられる。


「だが、もしも何か頑張って死んだら? そこに意味があったんだって、自分はそこにいたんだよって、そう思える気がするんだ」


 彼の口調が柔らかなものとなっていて、この静寂の中で彼の声だけが辺りへと響いていた。


「人生、誰しもが成功する訳じゃないし、辛い事も数多く直面する。その度に立ち上がって前に進めたら、死んだ後で俺は後悔しない」

「後悔しない、か……」


 悔いが残った死程、残酷なものは無い。

 生きるという事象に意味付けをする、そして死んでいく、それは何とも素晴らしい死の彩り方だろう。


「挫折するかどうかは自分次第、生きるも死ぬも、その人次第。俺だって挫折する時はするし、死にたいと思った事も一度や二度じゃない」

「……沢山あった、と?」

「あぁ、理不尽な暴力や罵詈雑言、イジメ、差別、それ等に晒されて心が張り裂けそうだった。苦しくて涙を流した時も、辛くて自害しようとした時も、誰にも話せずに心に蓋をした時だってあった」


 伝わってくる、彼の感情が。

 それは今まで彼の歩んできた軌跡、その経験の数々が彼を闇へと誘い、やがて生死に興味関心を抱かなくなった、そう我には窺えた。

 辛かった、苦しかった、泣きたかった、そう彼は内情を教えてくれた。


「けどな……人は空だって飛べたし、可能性を掴んだ! そのチャンスは誰にだってあるものだ!!」


 途端に言葉が強く重たくなり、その言葉の数々が胸に入ってくる。

 これが彼の内に秘めた想いなのかと、我の人生が肯定されたような、そんな気がした。

 我も頑張って理不尽に足掻き続けていたら、もしかしたら何か自身の中で変化が発生したのかもしれない、それは未来の自分にしか分からない。

 けど、後悔しない生き方を目指して、日々を過ごせたら如何程までに心地良いか。

 気が付けば、目尻から涙が零れ落ちていた。


「苦しくても、辛くても、生きる希望を失っても、それでも諦めなければチャンスは必ずやってくる。可能性は無限大、だからこそ生へと執着して足掻くのさ」

「重い……話だな」

「そんなのは当然だ。人生なんて、何があるかなんて誰にも分からない。だが、そのチャンスを掴みに行けば、きっと何かしらの目標や願いは叶うって俺は信じてる。だから俺は生きる意味を探し続けるんだ」


 行動して、その行動が巡り巡って最後には自分の元へと返ってくる、これ程嬉しいものは他に無いだろう。

 きっと血の滲むような努力が必要だが、その先にある未来は明るく自分達を歓迎してくれる、そんな予感が予知で見えた気がした。

 自分の暗い道が明るく照らされて、ノア殿の方が案内人に相応しい、そう思ってしまった。


(やはり凄い人物だったようだ)


 月明かりが我々を照らし、その薄暗い世界で背後に視線を送ってみた。

 彼はどのような面を繕っているかと、そう思考が働いて彼の表情を目撃した瞬間、彼の目尻には一粒の雫が溜まっていて、零さないように星月を仰いでいた。

 その蒼碧揺らめく一雫は月光を屈折させて輝きを内包しており、その星は彗星のように箒を携えて、静かに地面へと吸い込まれた。

 まるで青年の言葉を聞き入れたかのように、願いを叶えるように、その想いを携えて今宵星は旅立った。






本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。

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