第122話 動き出す者達 後編
「巫山戯るな!!」
ワインの入ったグラスが床へと落ちて大きな音が部屋へと響いた。
豪奢な執務室では一人の男が苛立ちを露わにしていた。
七帝の財務課トップに君臨する男、『刻限』と呼ばれているルドルフ=ギウス=リヴージャである。
作業机を挟んで、立っている男は先日ノアに殺されてしまった男だった。
身体を撃たれて死んだはずの人間が目の前にいる事にルドルフは驚きはしなかったが、逆に警戒して魔導具を起動させている。
「平民風情が……この俺に逆らうのか!!」
机に置かれていた書類を床へとぶち撒けて、肩で息をしていた。
「それで、情報は漏らしていないだろうな?」
「そ、それが……覚えてないんです」
死んでいた人間には記憶が保持されている訳がない、それを理解しているのだが、理解している事と納得している事が合致するかと言われると、実はそうではない。
人間には理性と本能が備わっている。
その二つが鬩ぎ合った結果、ルドルフは机のものをぶち撒けるという行為に出た。
怒りを物へとぶつけて発散させているが、当然ながらに発散できるはずもなく……
「詳しく話せ」
威圧すると同時に胸倉を強引に掴み、自分の部下の首を締め上げる。
苛立ちは収まらず、持っていたはずのモノクルも無い。
前に一度、ノアが仕掛けた人間爆弾が起爆してしまった事でモノクルも壊れ、平民に出し抜かれた事でプライドが傷付けられた。
物理的にも精神的にも深傷を負ってしまった。
「は、はい。謎の魔導具で身体を貫かれて意識がプツッと途切れたかと思ったら、気が付いたら目の前にあの男がいて、こう言ったんです。『テメェの記憶は読ませてもらった。何度来ようとも構わないが、俺は絶対にテメェにだけは蘇生の力は貸さない。ルドルフにそう言っとけ』だそうです」
「クソ餓鬼が……」
掴んでいた胸倉から手を離して、湧いていた苛立ちを落ち着かせるために椅子へと座った。
友好的な関係を今更築く事ができようか、いや、できるはずもない。
貴族である彼にとって、ノアは穢らわしき平民。
貴族のために力を使う事ができて本望だと、そうノアが思っていると考えていたが、それが甘い幻想であるのだと改めて思い知らされた。
「そ、それからもう一つ伝言が――」
「何だ!?」
「いえ、あの……」
歯切れの悪い部下の様子に苛立ちが更に募っていく。
短期を起こせば巡り巡って不利益が返ってくると理解しているからこそ、苛立ちを抑え込んで殺気も消し、再び椅子へと座り直した。
心が騒めいていた。
妻と娘を治せる可能性があるのに、ノア本人が治す気が無いと明言したのだ。
今度は何を言われるのかと気が気でなかった。
「『次俺の邪魔をした場合、テメェを殺しに行く』、と言ってました……」
互いに何処までも険悪となっていくからこその忠告、これを破れば彼は自分へと刃を向けてくるだろうと、そう思ってしまった。
先に帰ってきた部下の話を聞き、本当に人を殺して、生き返らせて、情報を奪ったのかと戦慄する。
何か対策を講じなければ、何もできずに殺されてしまうだろう、そう感じた。
「恐ろしかった……あれは、憎悪の塊でした」
ガタガタと震えて、悍ましい光景を思い出していた。
部下の異常な姿を目の当たりにしたルドルフは、ノアが何をしたのか想像できなかった。
拷問や尋問をされたのか、それとも脳を切り開いたりしたのか、前みたいに爆弾にされたのか、悪い想像が浮かんでは消えていく。
何をされたのかが分からない。
分からないからこそ恐れ、対策を講じられない。
「クソ……クソ、クソッ!!」
ルドルフは今まで、欲しいものは全て手に入れてきた。
しかし最愛の家族を病気で失い、その二人を生き返らせるために聖女にも頼った。
しかし聖女は首を横に振り、助けられないと言われた。
だったら他に生き返らせる方法は無いのかと探し続けてきて、そんな日々を過ごしてきたが、ようやく運が巡ってきたのだとルドルフは思った。
ノアが蘇生能力を駆使した事がルドルフの耳に入ったのだ。
欲しい、そう欲求が湧いていた。
だが、事はそう上手く運ぶものでもないと、改めて理解した。
(何で思い通りに行かない……)
理解しても納得はできない。
憤り、それを何処へとぶつければ良いのか、彼にはもう分からなくなっていた。
全てを手にしてきたから、今回も上手くいくものだと勘違いしていた。
上手くいかない、それがもどかしい。
蘇生能力、それは死んだ身体を一度だけ元通りにできる秘技に匹敵する、誰もが欲しがる能力であると分かっているから先を越される可能性も孕んでいる。
本来ならそういった強大な能力には、その能力に見合った分だけの重たい『反動』、能力を圧迫して他の能力が使えない『制限』という基本二つの制約がある。
しかし、ノアは制約で圧迫されているはずの力の他にも多彩な能力を有している。
「何故……私の思い通りに行かないのだ!?」
「ヒッ――」
圧倒的な魔力が身体から漏れ出て、その部屋の壁や天井に亀裂が発生する。
その殺気と魔力に当てられて、部下は地面に倒れる。
罅割れた空間の中で、ルドルフは妻と娘の写真を手に取った。
「アリシア、ユリシア……絶対に生き返らせるからな」
家族の写真が額に収められており、ルドルフ達を引き裂くようにガラスにも罅が発生していた、まるで二度と会えない事を暗示しているかのように。
死の運命を逆巻くという蘇生能力、それを手に入れるためならば悪魔にでも魂を売る、そういう腹積もりだった。
そしてノアがサンディオット諸島へと向かおうとしている事も情報として入手している。
『失礼するぜ』
ドアのノックと共に一人の女性が入ってきた。
琥珀色の瞳にボサボサな長い赤髪、端正な顔立ちに大きな身体、そして特徴的なところは獣人特有の耳と尻尾、ルドルフの手駒の一体である獣人だ。
彼女の白い肌が露出の高い服装より見え隠れしている。
その獣人は『獅王族』と呼ばれる誇り高き獅子、狙った獲物は逃さない高潔な種族で、爛々とした瞳と不敵な笑みは強者である事を自覚した証左でもあった。
背中に大剣を背負う彼女は、獣人種最強とまで言われた膂力と敏捷を兼ね備えている、だから強気なのだ。
「デイトナ、何の用だ?」
「おいおい、オレ様に黙って何面白そうな話してんだよ? オレ様も混ぜやがれ」
憤怒の感情が充満する部屋に堂々と入ってきた彼女に対して、ルドルフは舌打ちをする。
「アンタの部下から聞いたぜ、二度も勧誘に失敗したんだってな」
「……うるさい」
「強引な手段に出ても返り討ちにされるたぁ、情けない連中だな〜。いや、トップにいるアンタの采配のせいって事も考えられ――」
「黙れ!!」
言葉を遮って、ルドルフはデイトナを睨みつけた。
対する彼女もルドルフの瞳を睥睨し、威圧し返す。
「おいおいルドルフ、失敗した怒りをオレ様に向けんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ?」
「ッ……済まない」
「分かりゃ良い」
実際により強いのはデイトナの方で、ルドルフが異能を使ったところで彼女の権能がそれを食い破る。
「喧嘩するだけ無駄だ、アンタじゃオレ様には勝てない」
強ければ、もっと力があれば、そう彼は考える。
力があれば家族を失う事もなかったであろう、強ければ家族を守る事ができたであろう、しかし時を巻き戻す事はできない。
だから蘇生能力という、天から垂らされた一本のか細い糸に縋る以外に道は無い。
だから、デイトナという手駒に今回の内容を打ち明けて連れてきてもらうしか方法が無いと判断した。
「へぇ、そんなに強いのか。良いぜ、連れてきてやるよ。楽しみだぜ」
戦いに生きる獣人種、彼女の価値は戦闘で勝つ事だと彼女自身がそう思っている。
戦って勝たなければ自分に存在する価値は無い。
だから負ける訳にはいかない。
しかし彼女の性格から、強敵と戦いたいという獣人としての本能が強く外面に表れていて、今まで何度も強敵と戦い続けてきた。
「ソイツの骨を折っちまっても、良いんだろ?」
「あぁ、構わない」
殺す以外ならば何しても構わないと、乱暴な性格がそう思わせる。
「だが、殺すなよ?」
「手加減が一番ムズいんだがなぁ……まぁ良いや、オレ様としちゃ戦えればそれで充分だ。身体が疼くぜ」
男勝りな彼女に呆れ果てるルドルフだったが、これで少しは希望が見えてきた。
他にも手駒がいるために、利用できるものは何でも利用する。
「で、ソイツは何処にいるんだ?」
「サンディオット諸島だ。そこに向かえ、黒髪蒼眼の男が今回の標的だ」
「りょ〜かい。んじゃま、ちょっくら行ってくるぜ!」
意気揚々と部屋を出て行ったデイトナを横目に、ルドルフは溜め息を吐いた。
彼女が連れてこれるかが分からない以上、一人で行かせる訳にはいかない。
そう思って、彼は後ろの棚の前に置かれていた通信機器を手に取って、彼の手駒の一体へと連絡を入れる事とし、デイトナのお目付役を担わせる。
『何の用だ?』
通信魔導具の向こう側から、鋭い声が聞こえてきた。
言葉を間違えれば通信を切られてしまいそうな、そんな威圧感が声となって届けられる。
「グランド、デイトナと共にサンディオット諸島へと向かえ。とある男を捕まえて連れてきてもらいたい」
『はぁ!? あのお転婆娘と一緒にか!? 何考えてんだテメェ!!』
ルドルフの手駒として、通信の向こう側にいるグランドという男は、デイトナの言動を知っている。
知っているからこそ、怒号を飛ばしている。
「今回はデイトナ無しでは絶対に成功しない強敵が相手だ。魔神騒動を解決した男、奴を連れてきてもらいたい」
『……本気なんだな?』
「あぁ、ソイツは蘇生能力を持ってる」
その言葉で、グランドはルドルフが何をしようとしているのかを全て理解した。
それはギルドの人間として有るまじき行為ではあるが、それでも止まれやしないと思ったから、グランドはルドルフの頼みを了承した。
『成る程。分かった、付いてってやるよ。ただし期待だけはするなよ。逃げられたり反撃されたりする可能性もあるんだからな』
「あぁ、分かってる」
自信が無い、そういう訳で口にした言葉ではなかった。
ただ、もしもの可能性を考えて期待だけはするなと、そう言ったのだ。
しかし今までグランドは数々の任務をこなしてきたエリート、ルドルフにとっては『期待するな=期待せずとも必ず連れてきてやるよ』と聞こえていたのだ。
だからルドルフは、これで蘇生能力が手に入って妻と娘が戻ってくると、期待に胸を膨らませた。
「もうすぐだよアリシア、ユリシア……お前達を抱き締める日まで、もうすぐだ」
しかしノアの蘇生能力は三日が限度であり、それを知らないからこそ計画を実行に移している。
これこそが無駄な努力であると、そう誰もが思うであろうルドルフの行動を笑う者は何処にもいなかった。
窓の外を見てみると、獣人の美女が敷地内から出ようとしていたところで、ゆったりとした和服に身を包んだ侍の男が追い掛ける。
デイトナとグランドの二人が即座に準備を済ませて、サンディオット諸島へと向かうところだった。
(平民め……最早手段は選ばん。何が何でも貴様を手に入れてやる!!)
ルドルフは、そのまま仕事のために部屋を後にした。
自分にはしなければならない事が山程あるのだ、そのために一刻でも早く仕事を済ませて、家族の蘇生に注力しようと思った。
彼の行動が、ノアにどう影響するかも知らずに……
そして時を同じくして、とある神聖なる森の中では鼻歌が辺りに響き渡っていた。
その鼻歌は大きな樹木の窓から漏れ聞こえてきていた。
その大樹はエルフの住む家であり、大きな大樹の周囲は木漏れ日によってキラキラと緑色に輝いていて、そして微精霊達が粒子となって周囲を漂っている。
まさに聖域と呼べる澄んだ空間が広がっていた。
『フンフフフ〜ン……』
森の奥深くで木々の囁く音が周囲へと木霊し、風が舞い踊っている。
大樹の根っこの部分にあるドアを見ていたのは、銀色の長髪を持つ褐色肌のダークエルフの美女、眠たそうな半眼を大樹の家へと向けており、そのドアへと歩み寄った少女はノブを捻って中へと入る。
ガチャリと音を立て、扉を潜った彼女は真っ赤な瞳をキッチンへと向ける。
「おかえり、フィオちゃん」
そう言って笑みを浮かべたのは、ブロンドの長髪をゴムで結んで料理を楽しんでいたエルフの美女だった。
ダークエルフの彼女とは正反対に、満面の笑みを浮かべて出迎える。
「……ただいま、フェスティ姉さん」
小さな声で挨拶を返し、そのまま突っ立っていた。
エプロン姿に身を包み、エルフの美女フェスティーニはシチューを掻き混ぜながら、もう少し待っててと言ってフィオと呼ばれたダークエルフへと指示を出す。
「棚にお椀が入ってるから、それを取ってくれると嬉しいな〜」
緑色の瞳が真っ赤な瞳と交差し、少女は食器棚へと赴いた。
指示された事を卒なくこなすのが自分の務めだと、そう彼女は考えて指示通りに動いていた。
二人分、一人は『フェスティーニ』と裏に書かれた食器、もう一つは自分用の『フィオレニーデ』と書かれた食器、その二つを用意して姉の下へと持っていく。
「帰ってくるの遅かったね〜、何かあった?」
「……ん」
口数の少ないフィオレニーデに対して、フェスティーニは小さな感情の機敏を察知する。
「何か見つけたの?」
「……姉さんの、探してた人……見つけた」
彼女の口から出たのは、姉であるフェスティーニが探し続けてきた手掛かりだった。
彼女はこのエルシード聖樹国の外れに棲む、変わったゴッドエルフ、フェスティーニ=グリーエルテ=シュトローゼムである。
そして彼女の家に帰ってきたのは、妹のフィオレニーデ=テオドラーグ=ファルスラージュ、フェスティーニと一緒に暮らしている褐色のダークエルフであり、同時に彼女の妹でもある。
二人の家名と中間名が違うのは、彼女達が違う種族であり、フィオレニーデという少女に二つの名を与えたのがフェスティーニ本人であるからだ。
「彼は何処にいたの?」
「……グラットポート、と、フラバルド」
辿々しく口を開いたフィオレニーデの二つの地名は、フェスティーニが旅の途中で寄った場所でもあった。
「そこにいたんだ」
「……どうする、の?」
「ん〜? そうだね〜、彼の行動を考えるとサンディオット諸島か、或いは西大陸に行くか、そのどっちかじゃないかな〜。だから、行き先が分かったら追い掛けようかなってね〜」
まるで修学旅行を楽しみにする子供のように、フェスティーニは語る。
対面に座る瓜二つの少女へと嬉しそうに顔を綻ばせる。
その姿はまさに姉妹のようであり、しかしながら種族が違うという違和感を孕んでいる。
「やっと……ノア君に会える」
嬉しそうに、そして懐かしむように彼女は声を漏らす。
そこにはずっと待っていたよ、という感情があるようにフィオレニーデには聞こえた。
その時、椅子に掛けてあったフェスティーニの上着ポケットから、ギルドカードの通信機能の魔力反応が漏れ、それに気付いたフィオレニーデが姉へと手渡すためにポケットに手を突っ込んだ。
「……姉さん」
「うん、ありがと〜」
ギルドカードは基本、本人にしか使えない。
それに魔力を通すと懐かしい声が聞こえてきた。
『お姉様、お忙しい中失礼します、プルミットです』
ギルドカードから聞こえてきた声に、彼女は嬉しそうな声を出す。
「プルミットちゃん久し振りだね〜、それで、何かあったのかな〜?」
『はい。お姉様の探し人らしき人族の行き先が判明したのでご報告をと通信させていただきました』
待ってました、とばかりに自分の最も欲しい情報が手に入る。
運命がそうさせるのか、彼女は嬉しくて堪らなかった。
これで追い掛ける事ができるのだと、そうフェスティーニは感じていた。
「……それで、ノア君は何処に行くのかな?」
『サンディオット諸島だそうです』
プルミットは、ノアの名前がレイグルスだと思い込んでいるのだが、彼が錬金術師である以上はフェスティーニの言う事は絶対だと考えた。
だから、錬金術師を持つ者の名前は何だろうと関係ない。
フェスティーニに伝えれば、それで良いのだ。
それがプルミット、それからユーミットの二人に与えられた使命だから。
「ありがと、プルミットちゃん。今の彼の名前は?」
『レイグルス、そう名乗っていました』
「ふ〜ん。そうなんだね〜」
お玉でシチューを掻き混ぜながら、彼女はレイグルスと名乗った青年の姿を思い浮かべていた。
未だ見ぬ姿はどんなものだろうかと、彼女は想像を膨らませていく。
格好良いのか、それとも可愛いのか、どんな姿になっていようともノアはノアだとフェスティーニは妄想をどんどんと膨らませる。
『ですがサンディオット諸島では現在、幾つかの事件や異常事態が発生してます。行くべきではないかと』
「フフッ、大丈夫だよ。ボクは千年を生きる神のエルフ、苦難なら幾らでも乗り越えてきたし、ボクの職業は万能だからね〜」
だから大丈夫なのだと、そう口にする。
彼女の職業は『生物学者』、側にいるフィオレニーデさえ彼女の実力は計り知れない程に強い。
力こそ全てのこの世界で、たった一人の青年と出会うためだけに彼女は千年の時を生き延びてきて、そして自分の職業の力も、女も、磨いてきた。
再会した時に恥ずかしくない自分を見せるために、と。
「それに……たとえ死んだとしてもボクの職業なら、簡単に生き返るしね〜」
聖女しか扱えないはずの蘇生能力を有している、これは現実的に有り得ないはずのものだ。
錬金術師、そして生物学者、本来蘇生に関連しないはずの二つの職業で蘇生が可能という事実は、まだ多くの人間には知られていないが、それでも露呈するリスクはかなり高いのをフェスティーニは知っていた。
実際に、蘇生能力を巡って勃発した戦争も今までで存在した。
『しかし貴方の身に何かあればエルシードの民は……』
「ボクとしては国に縛られるのは嫌だから、こうして街外れに棲んでるんだけどね〜。それに正直、元老院のお爺ちゃん達はボクが旅に出るのを嫌うし、ウンザリなんだ〜」
エルフ達にも、人族と同じように国王や国の重鎮達が存在しており、そして同時に三つのエルフの国には一人ずつ神の遣い、つまり巫女がいる。
その一人が『グリーエルテ』の名を冠する、フェスティーニなのだ。
「ボクはね、彼のためなら何だってするよ。折角千年振りに約束が果たせるんだから」
『や、約束?』
「あぁ、こっちの話だから気にしないでね〜」
鼻歌を唄いながら、彼女は話を進めていく。
「ねぇ、彼はどんな様子だったかな?」
『様子、ですか? そうですね……無愛想で、何を考えてるか分からない、感じでしょうか?』
「無愛想?」
『え、えぇ、この前彼の仲間と買い物に行ったのですが、その時に探りを入れてみると、戦闘事に一度笑ったのを見ただけで、他は一度も笑ったりしたところを見た事が無いのだとか』
それは可笑しい、そう彼女は思った。
何故なら彼はよく笑っていて、自分にも他人にも優しかったのを知っているからだ。
もしかして自分がいない間に何かあったのではないかと思考に嵌まっていく。
それでも信じられずに、プルミットが冗談を言ってるのだと思った。
「嘘は駄目だよ〜、ホントの事を――」
『嘘ではありません』
もしかしたら嘘ではないのか、そんな淡い期待はバッサリ切り捨てられてしまった。
笑わない、つまり感情を面に出さない、それが今のノアという青年であるとギルドカード越しに伝えられ、何故そんな事になってしまったのかとグルグル脳裏を駆け巡って考えが纏まらない。
『彼が何者なのかは分かりませんが、彼は本当に危険だと思います。それでもお会いになるのですか?』
「……うん、ずっと前から決めてた事だからね」
ここまで来て諦められやしない、だから彼女は会いに行く事を決意した。
『あの人族を私は信じられません。何処か実力を隠しています』
「実力を?」
『ノア、その名前を聞いて今やっと分かりました。魔神騒動の功労者、グラットポートの英雄だそうです。そして本当ならもっと力があるはずなのに、ギリギリのところまで実力を隠していました』
最初っから実力を出していれば、もっと被害が小さくなったのではないかとプルミットは奥歯をギュッと噛み締める。
同胞も階層喰いに喰われてしまったのだ。
力が無ければ敵討ちもできないとは理解しているも、力を持っているのに使わないノアの思考にプルミットは、憤りを僅かながら感じていた。
『あの男は危険です。ハッキリ言ってエルフにとって脅威でしかない』
それは誰にでも分かる力の関係図。
仮にエルフの国をノア単独で攻めたとして、ノア一人に国全体が負けてしまうのは目に見えている。
だから会いに行くのを止めて欲しいと願った。
しかしフェスティーニの考えは変わる事はなかった。
「大丈夫、彼はただ目立ちたくないだけだよ。昔っから、そういうのが苦手だったしね」
それがノアなのだとフェスティーニは笑いながらプルミットへと話した。
昔から彼の事を知っている。
それは彼女がノアと一緒にいた事があるからだ。
「そっか、やっぱり本質は変わってないんだね〜」
嬉しそうに顔を綻ばせる姉の姿をフィオレニーデは初めて見た。
愛する人が諸島にいる。
その人がどんな人物なのかは妹にも伝えていないため、彼女は先んじてノアのところへと見に行ったのだ。
「……姉さん」
「ん〜?」
だから好奇心が働いて、聞いてみたくなった。
「その……姉さんは…ノアって、人……好き?」
その言葉は姉のフェスティーニから見たら、成長しているように感じられた。
今まで、そういった事に興味を示さなかったはずの彼女が自分に対して恋バナを持ち掛けてきたのだから、姉としては嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
成長するという事は、それだけ距離が離れていく事でもあるのだから。
フィオレニーデの質問に姉としてではなく、一人の人間として彼女は真面目に答える。
「うん、昔からずっと、大好きだったよ」
その緑色の瞳は、千年前からずっと綺麗な瞳だった。
しかしフィオレニーデにとって、そのような浮ついた話は彼女からは聞いた事が無かった。
ただ、探している人がいると聞かされていただけ。
そんな言葉、今までで一度たりとも言ってくれなかったとモヤモヤとした感情が少し芽生えた。
「勿論、フィオちゃんも大好きだよ〜!!」
「うぷっ……」
抱き締められて、苦しそうにしながらも何処か満ち足りた気分になった。
フェスティーニは生物学者、人の感情の機敏には鋭い。
そうでなくとも妹に対しては愛情を注ごうと、昔から決めていた。
『そこにいるのは……あのダークエルフですか?』
「普通のダークエルフじゃないよ。イビルエルフ、悪魔の力を宿した正真正銘のボクの妹だよ〜」
フェスティーニには抵抗は無いものの、プルミットは普通のエルフであるが故に、信仰する神『グリーエルテ』の嫌うダークエルフがエルシードの巫女と一緒にいる事が許せなかった。
ダークエルフは不吉の象徴、だからこそ一緒にいて、しかも妹として接している時点で、プルミットとしては今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい気持ちとなった。
「それにもし妹に手を出したら、誰であろうとボクが許さない」
『し、しかし――』
「君に家族の関係について何かを言われる筋合いは無い、それは分かってるね?」
『す、すみません……』
グリーエルテの巫女は普通のエルフとは違って、神の血を引くとされるエルフ、高貴なるお方という位置付けとなっている。
つまり、王族並みの権力を有している。
一介のエルフが口聞きするという事は、本来なら烏滸がましいと言われても可笑しくない。
「怒ってる訳じゃないけど、ボクとフィオちゃんの関係としては姉妹、君にも妹がいるから分かるよね?」
『……はい』
怒りは側にいるからこそ感じられる。
それは妹である彼女の胸に響いたが、それでもフィオレニーデは心苦しい気持ちとなった。
「ごめん、情報ありがとね。君はこれからどうするの?」
『私は妹と共にエルシードに帰還します』
「そっか。気を付けてね」
『はい』
二人の短い会話はそこで終わりを迎えた。
通信が切れて、フェスティーニはエプロンのポケットへとギルドカードを仕舞った。
そしてシチューをウキウキとしながら作っていく。
千年の時を経てようやく再会できるのだと嬉しさが込み上げてきて、嬉しさによって二人分以上の料理を作ってしまっていた。
「ありゃりゃ、作りすぎちゃった」
鼻歌交じりに彼女は自分と妹の皿へとシチューを入れ、他の料理も一緒にテーブルへと並べていく。
豪華な食卓が完成した。
千年間、女を磨き続けてきたからこその食事は、匂いや見た目だけでも美味しそうだと思わせる。
「じゃ、食べよっか」
「ん」
二人は両手を前に持っていき、手を合わせる。
そして合図の言葉が食卓へと木霊する。
「いっただきま〜す!」
「……いただきます」
神に祈るのではなく、目の前の生命へと祈る。
温かい料理に舌鼓を打ち、英気を養い、二人は青年の元へと向かうための準備をする。
「食べ終わったら旅の準備して、明日出発しよっか」
「……分かった」
もうすでに夕方近い時間帯となっている。
明日から旅の始まりだと思うと、フェスティーニはワクワクとした感情が止まらなくなっていた。
(もうすぐだよ)
ずっと探し続けてきて、ようやく見つかった。
彼女の旅は新しくスタートする。
だからこれからは自由にやろう、誰が何を言われたって自分の好きなように……
(待っててね、ノア君)
窓の外では茜色に染まった空が次第に暗くなり、月明かりの聖なる森となる。
静かに揺れる森で、精霊達が淡く輝く。
森の動物達が雄叫びを上げ、森の精霊達が騒めき、風は森の木々を揺らして何処か遠くへと吹き抜けて消えていく、その儚くも大きな聖樹国がフェスティーニにとって心地良いものだった。
けれど、彼女の居場所はそこではない。
(君に会いに行くから)
彼のところへと行く、全てを捨て去ってでも。
それがフェスティーニという千年を生きるゴッドエルフの一つの決意だった。
風が家の中へと入ってきて彼女達の髪を撫でていく、その風はまるで新たな冒険の旅へと誘っているかのようで、彼女達の身体の熱を連れ去っていった。
再会を願う彼女は今日も、食卓に並ぶ命を頂く……
読者の皆様、『星々煌めく異世界で』を読んで頂き、誠にありがとうございます。
二月ノ三日月です。
約三ヶ月という期間を経て、第三章がようやく終結となりました。
二章同様に、どう結末へと導こうか、どういう終わりにしようかと迷いに迷いながらも何とか最後まで書ききる事ができ、一安心しました。
実際に何度も書き直したり、描写ごとにどう表現しようかとか色々と迷いはしましたが、この作品を読んでくださる皆様の応援を胸に、ここまで執筆するに至りました。
応援、本当にありがとうございます!
沢山の方々が読んでくださる今、更なる飛躍を目指して四章を書いていこうと思います。
素人作家として走り続けておりますが、これからもまだまだ主人公共々成長していく所存ですので、どうか走り続ける私を、そして成長し続ける主人公達を応援して頂ければ幸いです。
長かった第三章もようやく終了を迎え、これから第四章へと突入していく訳ですが、皆様の応援を胸に、更なる楽しい冒険の物語を書いていこうと思います。
十月に入り、少し投稿ペースが落ちてしまった事、誠に申し訳ありません。
用事が重なってしまい、中々に投稿する機会に恵まれませんが、この物語をご愛読して頂きたく、できる限り面白い話を創って皆様にお送りしていきたいと思います。
最後に……
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
『面白い!』『この小説良いな!』等と思って頂けましたら、下にある評価、ブックマーク、感想をよろしくお願い致します。
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