第12話 ギルド試験3
鬱屈としたウーゼ森林、その中には合計して六十人弱もの冒険者志望の受験者達が、チームを組んで各々の課題に取り組んでいる最中。
日の光が差し込み、世界はまだ明るい。
しかし、大半の人間には理解している通り、昼夜でモンスターの生態系は変化する。
だから必要となるのは拠点。
全員が転移した直後、ノア達が転移後に拠点探しへと歩き始めた一方で、同時刻、二人の人物も森林へと転移させられて渋々と歩いていた。
足を動かして大きく闊歩する少女とは裏腹に、灰髪を乱した青年は一人、その少女の付き人に任命される。
「ちょっと! キビキビ歩きなさいよニック!!」
そう言及しながら、古代魔導師の職業保有者たる紫髪の少女が、我先へと危険も顧みず進むようにズカズカと歩いていく中、灰色の髪で高身長の青年が、気怠げな溜め息を落として彼女に付いていく。
仕方なく付き従うが、呑気な足並みは揃わない。
森での活動では、足場が悪いのは基本中の基本、しかし慣れていないと無駄に体力を奪われる。
だからペース配分に注意しなければならない。
にも関係無く、体力がチキンのはずの魔導師が意気揚々と奥地へと進み続けている。
だから注意する意味も込めて、正論をぶつけた。
「別に急ぐ必要は無いだろ、俺は俺のペースで歩かせてもらう。それにちゃんと前を見ろ、ぶつかるぞ」
「ぇ――うぶっ!?」
前を指差したニックに従って、少女も前方へと意識を向けたが、その目元に、横から伸びていた太い木枝が一本ぶち当たってしまった。
目元にクリーンヒットして、そのまま転んでしまう。
地に臀部を打ち付けて、少女は悲鳴を上げる。
「いったぁ……アンタねぇ! そういう大事な情報は早く教えなさいよ!!」
「ルミナ、上」
「う、上?」
ニックが指差した方を仰ぎ見ると、そこから一匹の虫が降ってきた。
木の枝に当たったせいで上空へと舞い上がった虫モンスターが、自由落下に従って降って湧き、それを知っていた彼が敢えて少女の命令に従う名目で、嫌がらせの意味も含めて上を向かせたのだ。
その虫が彼女の鼻先に着地した。
華麗なる虫の着地に、ニックは軽く拍手を贈る。
そして上から降ってきた小さな虫の蠢く様子を、肌で感じ取った古代魔導師ルミナは腰を抜かし、嫌いな虫をも逃げ出す程の絶叫が森全体へと轟いた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫び声がウーゼ森林へと響き渡り、他の冒険者志望の者達へと伝播する。
それは、自分の居場所を伝えてしまうというデメリットしか生まず、森を歩くのすら無謀だと、ルミナに対するニックの評価は大暴落する。
元々低かった評価が更に下落し、評価の横軸が真下へと突き抜けた。
「はぁ……」
気が強い癖に周囲が見えない、それがルミナの悪い部分だと、ニックは呆れ果ててしまう。
その評価が正当であるからだ。
そんな彼女に命令されてキビキビ進むのは嫌だと思い、ゆったりとした足取りで森林の中を歩き回る。
それには理由がある。
彼の考えとしては、知らない場所を無闇に歩くのは馬鹿のする事であり、初心者であろうとベテランであろうと油断一つで簡単に命を落とすのが冒険者の仕事、そう思っているからこそ、油断ならない。
だから警戒しながら進むべきだ。
そういった考えがあるから、少女の命令を遵守しない。
逆に彼女に任せていたら、残機が幾つ存在しても即座にゲームオーバー、命が足りなくなる。
「おいアホ」
「アホ!? 勇者パーティーにまで誘われた大天才ルミナ様をアホって言ったわね!? アンタちょっと私を舐めすぎじゃな――」
「敵が来るぞ」
その言葉の直後、少し先から一本の矢が射られ、ルミナが魔法を発動する前に服を引っ張って自身の背後へ隠し、動体視力を鋭くしたニックが僅かな動きのみで、その征矢を掴んで止めた。
和弓でも時速百四十〜二百km近くあり、更には職業の能力で魔力が込められるため、その倍近くの速度となっている。
それを態度一つ変えず、汗水一つ垂らさず、相手側に緊張感が走るのを観測した。
職業を授かり、弓術の特訓を重ねてきたのに対し、その血の滲むような努力は一体何だったのかと言いたくなるくらい、ニックはその矢を無情にも捨て去った。
「ちっ、高速の矢を受け止めるとは……」
森に姿を隠しているため魔力探知を放ったニックだが、何処にいるか判別できずに全方位を警戒しなければならず、冷静に気配を探り始める。
しかし、急襲によって冷静さを掻いたルミナが慌てた様子で周囲を見渡す。
「だ、誰!? 何処にいんの!?」
ニックは背負っていた荷物を捨てて、静かにルミナを守護する位置で戦闘スイッチを入れる。
向こうは殺る気だ。
明らかな過剰攻撃、もし避けなければ魔導師の額に当たっていたであろう。
魔導師である彼女は後衛、ならば必然的に前衛に上がるのはニックの役割となる。
腰からナイフを抜いて警戒するニックだったが、もう一人の相手もいないために、何処にいるのか探るために目に魔力を宿していく。
「『天羅眼』を発動する。ルミナ、立て、合図したら魔法を頼む」
「わ、分かったわ……」
ルミナが詠唱を開始し、ニックは右目に宿る魔眼の一つを発動させる。
周囲の探知、いや、周囲の全てを見破る能力、性質はノアの持つ魔眼と類似しているのだが、違うのは本来の視認対象が人間か物体かである。
つまり彼の持つ魔眼とは性質が似通っているが、真逆とも言える。
右目に徐々に魔力が集約していく。
「臆病者共、出てきたらどうだ?」
そうニックは口に出すが、その挑発に乗らず、森からは誰も出てこない。
敵二人の職業能力なのか、潜伏能力的に考えても相手側に有利な戦況、ここから覆すには自分達も対策を打って出なければならない。
気配が無い、姿も見えない、本来ならば打つ手無しとなるものだが、ニックの持つ鋭い感覚と天性の勘、そして手に入れた魔眼を駆使して全感覚全神経を研ぎ澄ます。
深呼吸して、肺に溜めた空気をゆっくり吐き出していく。
人と人とが命の奪い合いをする。
その状況を冷静に分析して、周囲の何処からでも対処できるよう、意識を自然へ溶け込ませていく。
「ふぅ……」
腰溜めに構えた短剣一本では少々心許ないと思ったニックは、背中にある剣を掴もうとして考えを止める。
自分の本職を考えると手加減ができない、だからこそ腰の短剣で戦おうとしていたが、このままでは自分が殺されてしまう、そう直感してしまった。
現在彼の装備は二つ、探索士のような短剣、そして剣士のような直剣。
自分もまだ手加減できる程、職業に馴染んでいない。
いや、強すぎる能力を最初から手に入れ、それに振り回されてきた影響もあるから、咄嗟の判断に戸惑いが生まれてしまった。
どうしようもない剣への執着が、人を斬る疼きが、柄を握るに至る。
(どうする? この剣は……)
迷ったが、結局は短剣だけで戦う意志を見せる。
背中の柄に回していた手を離し、左手に持ち替えていた短剣を、右手に持ち直して構える。
自分なりのポリシーを、ここで証明する。
しかし逆に相手からしたら、舐めている、という風に受け取られる。
当然だ、背中にある剣すら抜かないのだから。
しかも遠距離攻撃する相手に対して、得物が刃の短い短剣である、何処からでも射って下さいと挑発してるように感じられた。
そして挑発三秒と経たずに、二人の人物が跳躍移動して隙を狙い、その周囲を動き回る姿が切り替わった視界で揺らいで映っていた。
(『コンドラーク流短剣術・白海』)
短剣に纏う魔力が白く燃えて、その短剣を振るう。
周囲へと海の揺らぎを伝えるように、ただ流れに身を任せて、軌道が波が打ち寄せるような上下運動に見え、切り返し等での停止は無く、その神速を以った斬撃を防ごうとした戦士は、それに失敗する。
全方位へと波を轟かせ、急接近していた戦士の肉体を縦横無尽に斬り裂いて、そして遠距離から魔導師を狙っていた無数の矢を、空気を伝う斬撃の波動で悉く吹き飛ばす。
更に魔力を駆使して波動を周囲へと放ち、敵へと広範囲に威圧する。
「八時の方向!!」
「了解!!」
矢の軌道と魔眼で捉えた魔弓術師の居場所を告げ、阿吽の呼吸でルミナが魔法を発動させる。
詠唱を終えて待機し、少女の手にしていた魔法杖に嵌められている触媒の魔石が、彼女の魔力に共鳴して強く輝いて、周囲が光に包まれる。
その包まれた白光の中に、無数の七色を帯びた光球が生まれていく。
「『舞い踊る閃刃』!!」
大量の光球がルミナの周囲に展開されて、その光球から大量の光線が発生して急襲者へと襲い掛かり、木々の上にいた男が閃光爆発の衝撃に身を浴びて、無様にも足を滑らせて地面に落ちてしまった。
身体は焼け焦げ、魔弓術師の持っていた特注弓も灰燼に帰して壊れていった。
試験開始前に使用した転移魔法の消費分の魔力に加え、このような強力な魔法を駆使したにも関わらず、彼女は何事も無かったかのように立ち上がる。
臀部に付いた土を払い、安堵の息を密かに漏らす。
その彼女へ、青年は労いの言葉を贈る。
「相変わらずの魔法だな」
「当然よ! シーラより強いんだから!!」
勇者パーティーの魔法使いを知っている、と言うよりもルミナ達は元々は同郷の幼馴染みであるからこそ、ライバルとして日々魔法の研鑽を積んできた。
決して負けないように。
絶対にシーラという魔導師より上に行くために。
高みへと目指し続ける一人の少女の研鑽の結果が、眼下で火炙りとなって、鎮火された。
ニックの眼前で繰り広げられた成果の一端は、彼に驚きよりも対処法を脳内で考えさせる。
何処かに弱点は無いか、どうすれば攻略できるか、そんな戦闘思考へと意識が持ってかれるが、その前に一人の少女の名前が気掛かりとなった。
ただの疑問を質問へと昇華させ、言葉にする。
「シーラ? 誰だそれ?」
「アンタ、勇者パーティーの噂とか知らないの?」
勇者パーティーの噂は非常に有名な話だが、ニックにとっては魔族に対抗するための力を付ける、という使命が何より大切であり重要だから、勇者達の噂とかには興味を持っていなかった。
ただ、同業者がいる、という認識だけ。
同じ魔族殲滅を謳う、同じ穴の狢。
勇者パーティーと無縁の彼にとっては、興味の対象として見ていなかった。
だが、彼等の活躍や噂は一気に広がりを見せるのも事実、耳にした数々の噂の中で一つだけ変なものがあったために、彼はそれを覚えていた。
「勇者パーティー? あぁ、荷物持ちを切り捨てた奴等、だったか」
「ふ、巫山戯んじゃないわよ! シーラが……彼女がそんな酷い事する訳ないじゃない!!」
シーラの幼馴染みであるルミナにとって、ライバルが人を見捨てたという噂だけは看過できなかった。
嘘だ、絶対違う、そう思った。
そう願っていた。
しかしながら、その風評が真実であるのを知らない二人にとって、いや彼女にとって怪情報に過ぎないものだと思って信じていない。
だが、火の無いところには煙は立たぬ、その言葉通りに小さな負の風聞を直感だけで信じていたニックは、勇者パーティーが荷物持ちを見捨てた、いや囮にでもしたのだろうと考えていた。
それが正解であると彼等二人が知るのは、随分と先の話である。
「する訳ない、か……果たして、それはどうだろうな。人は常に心中に闇を飼ってる、お前も……そして俺もな」
「じゃあシーラが人を見捨てたって言いたいの!?」
先程の二人の敵が倒れている横で、激昂してニックへと詰め寄った。
彼の言葉を見過ごせないから。
馬鹿にされていると、そう感じ取ったから。
言葉の裏に、その冷めた情緒が含まれてると感じ、魔導師の非力な腕で彼の胸倉を掴み、近くに生えていた巨木へと押し付け、首を絞めていく。
無意識的に魔力で身体強化されてミシミシと木が悲鳴を上げていたが、特に痛みも感じないのか、ニックは冷静な面持ちで見下ろしていた。
見下していた、が正解かもしれない。
それは彼女の精神内に焦りが生じている、要するに彼女自身十割完全に信頼できる、と確信できていないから。
「所詮は他人、欲望のためなら人は簡単に裏切る。自分のために子供だって見捨てるし売り払いもする……俺はそれを知っている」
「ひっ――」
彼の双眸には、深い闇が広がっていた。
途轍もない、果てしなく広がり続ける深淵が、眠りから首を擡げる。
それを垣間目にしたルミナはビクッと恐怖心を植え付けられて肩を跳ねさせ、つい胸倉を掴んでいた手を離して、後ろへと後退りしてしまう。
それだけ強い闇があると、彼女は今日初めて、理解させられた。
恐ろしく冷たい闇だった。
普通に生きていれば決して巡り会うはずもない、飼われた深淵が、青年の両眼に宿り続ける。
その遠くを見る目が、空虚に映った。
背筋に玉汗が浮かんでいるのが分かるくらい青年ニックから発せられる殺気が凄まじく、恐怖が心の中に根付き、何の言葉も出せなくなってしまった。
しかし、その途端、彼が彼女の身体を抱き寄せる。
その行動にルミナは急激な対応の変化に、逆にドキッとしてしまった。
「へっ!? な、何よ急に!? こ、こここんな森の奥で私に何する気よ!?」
「ちょっと黙ってろ」
何を勘違いしたのか、ルミナは心臓をバクバクと強く鼓動させて、妄想が捗っていた。
何を妄想したのか、は彼女の名誉のために伏せる。
それだけの過激な内容とは裏腹に、現実では別次元で過激な内容となっている。
抱擁行動が予想外すぎて反応が遅れてしまったが、青年の手には短剣が握られており、その剣が悪意ある刃を受け止めていた。
火花が散り、腕に力を込めて弾き飛ばす。
死に掛けの男が刃を振り下ろそうとしていた場面、間一髪で受け止められ、その後も何度か切り結んで、ニックは魔導の姫を守りながら、華麗に相手の攻撃を全て打ち落としていった。
剣戟が森に打ち鳴る。
豊富となる擬音の数々が、少女の耳元で展開されていく。
何度も鍔迫り合いに持ち込まれる。
その度に筋肉を酷使して弾き返し、少女を守護する。
会話を弾ませても、彼は周囲へと警戒を怠らずに俯瞰対処していたため、こうして臨時パートナーの咄嗟の守護に徹せられているのだ。
「やはり、まだ生きてたか」
「な、何故……はぁ……」
身体に刻み付けられた刃から、命の雫がポタポタと零れていく。
戦士の服には鮮血が滲み、逆に灰髪の彼は冷静沈着と襲い来る剣光を押し返し、連続して悪い足場の上で踊りの舞いを披露していく。
殺す、殺される、命の遣り取りが行われている中で、ニックは途轍もない殺気や眼力で相手を圧し、蛇に睨まれた蛙のように動きを封じ込められる。
邪魔な敵だ、そんな考えが浮かぶ。
過剰攻撃禁止、そのギルド試験の内容を失念していた彼は、そのまま短剣で心臓を抉ろうとする。
「黙って死ねよ」
「ガッ――」
心臓を狙って殺そうとしたが、その瞬間、彼は思い留まって持ち方を変えた。
ルミナを抱き抱えて動けるようにし、相手の意識を刈り取るために神速の一撃を顎下から脳天へと撃ち抜いて、短剣の柄で敵の顎骨を砕いた。
同時に脳を揺らして意識も刈り取る偉業に成功し、されるがままの姫を陸地へと帰した。
「怪我は無いか?」
「は、はい……」
地面へと崩れ落ちた戦士を背に、まるで姫を助けた勇者のような光景がそこにはあった。
そのヒロインとなってしまった彼女は心音が上昇しているのを感じ、眼前の勇者へと賛辞を贈ろうにも恥ずかしくて口を開けず、逆に悪態も吐けずで、途端に現在の自分を恥じらった結果、目を逸らして強襲してきた二人組の受験者達へと彷徨わせた目線を定めた。
胸元には受験生の証、番号の書かれていないバッジがあり、考えられる可能性は一つだけ。
まるで強盗のようだと彼女は考えたが、これも試験の一環であるため仕方ないかと目を瞑り、何故襲ってきたのかに考察を進めた。
「そ、それよりコイツ等何だったのかしら?」
「考えられるのは、俺達のバッジを狙った行動だろう。放っておけば死ぬが、まぁ良い。サッサとバッジを取って移動するぞ」
人が死のうとしているのに対して、ニックは相手の死にさえ軽薄だった。
誰にしても少なからず『死』には臆するものだが、その死に対する恐怖が彼には大して存在せず、たとえ相手が死のうとも、自分が死のうとも、気にせずに命を散らしながらも前へと突き進み続ける心積もりでいた。
それは、彼の運命のために。
その背負った業を全うするために、ただ彼はひたすらに自身の命を未来へ生き繋いでいく。
「殺しちゃ駄目なんじゃなかったっけ?」
「正当防衛だ、問題無い」
過剰な暴力をしないが、殺しは彼にとって日常的なものとなっていた。
旅で盗賊や悪党を殺し、魔族を倒し、その旅の果てに彼は本来持っていたはずの『死』への恐怖心がどんどんと削ぎ落ちていった。
その受験者二人の胸元には、番号が隠されたお宝があり、それを入手した彼は、これで残り一枚手に入れば片方の依頼は達成したとなる。
二人分のバッジを入手した彼は、そのバッジを荷物に入れ、それを背負い直して再度拠点探しのために歩き出す。
「アホ女、サッサと行くぞ、キビキビ歩け」
「んなっ!?」
戦闘前とは言動が真逆となってしまったため、ルミナには納得が行かなかった。
しかし魔法を使用した弊害として大きな閃光と爆発音が近辺に響き渡ってしまったため、もしかしたら他の受験者が斥候として向かってくる可能性があると危惧した彼は、前へ進もうと決めて、彼女へと命令を下す。
危険が近付いていると直感したため、逃げるという選択肢を掴んだ。
「お前は……ルミナの信じた道を進めば良いだろう。結局真実なんて一つしか無いが、それでも信じる気持ちはきっと……自由なものだ」
「ニック?」
「信じるか信じないかは人によって違うだろう。だから別に、俺はお前が勇者達を信じる気持ちや意見に対して口出しはしない。だが、それを俺に押し付けるな」
彼女へと背を向けたまま、独白を吐き捨てる。
そのまま森の奥地へと、進んでいく。
その空虚な言葉は冷たくて、寂しくて、その闇に触れてしまった彼女だから何故か放っておけなくて、青年へと伸ばした手は、指先が彼の衣服へと当たり、緊張からパッと引っ込めてしまう。
それを何度か繰り返すが、やはり触れない。
触れようとすると、何故か顔が赤くなる。
身体が火照っている。
この気持ちが何なのか、まだ未熟な魔導師には理解できないものだった。
その行動に気付きながらもニックは何も言わずに、試験へと意識を及ばせていた。
「そう言えばルミナ、お前は何番だったんだ?」
「え? あぁえっと、私は六番、『カッターアントの顎鋏』よ。そっちは何だったの?」
「俺は九十番、『クリークハニービーの月丹密』、確率は二割を切るくらいだ」
それぞれの手に入れなければならない素材が五割を切っているのを理解したニックが、バッジ集めの方へとシフトしようかと考えた。
どうするべきかを四日間の試験が終わるまでに考えようと決めて、バッジ二枚に意識を傾ける。
お互いに番号を聞き合う理由は、番号を表示するためには魔力を流さなくてはならず、それは相手が番号を見て相手の素材を根刮ぎ奪ったり、先回りして妨害したりしないようにするためのものだ。
だから、奪い取ったバッジにも番号は書かれていない。
正確に言えば、魔力を通せばバッジの番号が映し出される仕組みだった。
(どっちもかなり難易度の高い素材だな……本当にこの森にあるのか?)
カッターアントというのは、身体を鋼鉄に身を包み込んでアダマンタイト以上の強度を持つ顎鋏が武器となる、見つけるのは案外難しいモンスターだ。
何故なら、地中に潜っていたりする場合も多く、地下に巣穴を作るからである。
稀に巨木を巣穴にしている個体も存在するが、その場合は腐食した木を好むため、特徴がある。
そしてクリークハニービー、こちらの月丹蜜というものは夜にしか採れない希少素材となる。
この月蜜は、特殊な花から採取された蜜が月光と魔力を練り上げて生成される夜限定で採れる素材なため、四日間のうちに訪れる三回の夜の間がチャンスとなる。
昼は温厚だが、夜になると警戒心が強くなり、獰猛な軍隊を引き連れている。
(俺の場合、夜三回以外は他事をすれば良いだけだし、案外楽か?)
つまり昼はカッターアントを、夜はクリークハニービーを、それぞれ時間分担して対応すれば、より明確に見つけやすくなる、そう考える。
しかし、クジ運が良いのか悪いのかは分からず確率が低いために悪いのだろうと思い、溜め息を吐いてしまったニックは、拠点を探して草木を掻き分けながら、同時に現在昼であるため鉄蟻を探索して、歩き続けていく。
目的地も無く、ただひたすらに、赴くままに行動するニックに、次第に少女は息を切らしていく。
「ま、待って――」
「鈍臭いな、お前……何でペア試験なんだよ……」
ノア同様にペア試験という仕組みに嫌気が差していたため、この鬱屈とした森林で置き去りにしてやろうかと魔が差し、しかし万が一にも相方が失敗する恐れもあるため、できるだけ一緒に行動するしかない。
生きてきた十数年という月日の中で、今日この一蓮托生を最も恨んだ日を彼は忘れない。
それに魔導師は近接戦が得意なニックがいなければ、すぐに接近されてバッジを奪取されてしまう。
そんな予感を孕んでいる。
だから敢えて念の為に、彼は彼女へと戦力分析の情報を聞き出した。
「お前、格闘術は?」
「使えないわよ……魔導師が格闘なんて習っても意味無いでしょ?」
「……」
職業には武技というものが存在するせいで、偏った思考判断が根付いてしまっている。
だからこそ魔導師には格闘術が必要無い、そう思っている魔法使いが結構多く、そのせいで二人組の場合は役に立たない可能性もある。
四日間でニック自身、ストレスが溜まりそうだなと思って再び徒労の息を吐いてしまった。
(ホント、面倒だ……)
周辺を探知しながら奥へ奥へと足を運びながら警戒心を緩めずにいると、その警戒が確信に変わり、鬱蒼とした森で明確な悪意を感じ取った。
酷く粘ついた殺意だ。
何処かで別の戦闘が行われている、しかしながら自身の探知範囲内に魔力反応が無いため、それよりも範囲外で行われている戦闘だと肌で感じ取れて、そこに込められた何等かの悪意をも汲み取れた。
殺意以上に、快楽が押し寄せる。
人を殺した時の快楽、それがニックの神経を強制的に蝕んでいく。
(これは……恐ろしいな)
まるで人殺しを楽しむかのような、そんな感情が風となって飛んできて、途端に背筋がゾワッとするような不快感に襲われた。
殺人に対する愉悦感が、神経を逆撫でする。
殺したという達成感、血を浴びる快感、人の死に様を鑑賞するような愉悦、頭のネジが外れた何者かが遠くにいるのは間違いない。
受験者の中に、殺人鬼が紛れ込んでいる?
そんな予感めいた直感が、彼にはあった。
だが、一歩後ろに付き従えている魔導の姫には特段と何の変哲も無く、ただ歩くのに疲れた表情を繕っては、文句を垂れている。
これは天性の勘だからこそ感じ取れたニックの本能であり、この直感が正しいのだと、この危機感に近付いてはならなかったのだと……彼は後に知る羽目になる。
同時刻、とある暗い森閑とした場所では、一人の男性冒険者が地面へと沈んでいた。
ピクピクと、痙攣している。
斬られた頸動脈から、溢れんばかりの大出血。
最早助かる見込みはゼロだった。
真っ赤な血に塗れ、赤海を泳ぐ骸を恍惚とした双眸で見下して、一人の男が愉悦に表情を歪ませ、とうとう生命の灯火を燃やし尽くした男へと、恍惚から侮蔑を宿した目へと変化して、しかし口角は限界まで醜悪に吊り上がる。
殺人を我慢できず、殺して良かったと心から思える。
そんな歪んだ精神の持ち主の男は、現在神経が非常に昂っていた。
「ククク、やっぱり来て良かったねぇ……」
血を塗ったような赤髪をオールバックにして、道化師のような柔和な笑みが凶悪さを醸し出す、体格に恵まれた男が、自身の手にしている真っ赤に染まった暗器をクルクルと回転させ弄びながら、クツクツと悦に浸って、たった今殺した死体を踏み付けていた。
動かない骸に対して、身体を休めるように椅子代わりにして腰を下ろし、虚ろな目をした座布団が殺人鬼を見上げていた。
その憎悪を魅せる死眼に、変態的にも自身の性欲が反応してしまう。
その昂りを来した変態殺人鬼に、一人の少女が背後より話を持ち掛けた。
「おみゃあ、また我慢できずに殺したにゃんね」
そう言って、いつの間にか背後に佇んでいたのは、猫耳を生やして黒装束に身を包み、口元を隠してフードを被った猫人族の女だった。
黒いフードからチラリと覗いた金色の髪は、この闇深い森の中でも一際目立ち、差し込んだ緑光が少女を幻想的に魅せていた。
音を立てない忍び足、しかし殺人鬼の男は彼女がいつ到着したかに気付いていた。
まるで殺し屋を体現したかのような姿と、その金色の猫の瞳に、男は愉悦を孕ませて微笑んでいる。
気色悪い笑い方、それに慣れている少女は、無視して男の下にある死骸へ目線を下ろしていた。
「やぁ、子猫ちゃん。来てたんだね」
「そりゃ、『依頼』だからにゃ。おみゃあも呼ばれたんじゃにゃいのか?」
「嫌だなぁ、まるで僕が依頼のために人を殺してるみたいじゃないか。僕はただ人を殺して愉悦に浸りたいだけなんだよねぇ」
「へ、変態がいるにゃ……」
殺人における主義、彼等が何を思って殺人に望んでいるかは、個人毎に変化する。
そして、その男が語った主義は、殺人に対する感情の昂りだった。
人を殺したい。
その単純明快たる殺人的衝動に抗わず、ただ自分のしたいがままに他者の命を蹂躙し、踏み付け、そして最後まで足掻く生命を見届けたい。
そんな風に思考が働いていた。
殺しを味わう、それが彼にとっての生命線だった。
「まぁでも、正直依頼を受けて良かったよ」
「にゃ?」
クツクツと醜悪な嗤い顔を絶やさずに、男は自身の得物を舐めて血の味を感じながら、死んだ男の顔面へと針を突き刺して起立する。
殺したい相手が強ければ強い程、殺り甲斐がある。
それだけ命の駆け引きが、彼には大好物だった。
三度の飯よりも死体、そう豪語できる変態級の殺人鬼は転移前の光景に、まるで恋する乙女の如く、真っ黒に血塗られた想いを馳せる。
思い浮かぶのは転移直前の騒動、黒髪の青年に掴み掛かっていた紫髪の少女、それから隣にいた灰色の髪の青年、掴み掛かられていた黒髪の青年だ。
ルミナ、ニック、そしてノア、その三人が実力者であると理解し、特に一番強力な殺意を身に纏っていたノア、彼と殺し合ってみたいと思っていた。
それだけ強者には強者の実力を見極める力がある。
同じく他にも目的があったから、ノアという青年へと注目する。
「それに、『標的』が近くにいたんだぁ。あぁ、楽しみだなぁ」
恍惚な表情で空を見上げる殺人鬼の姿は、仲間である彼女にさえ、まるで不気味な何かが憑依したかと感じさせる程のものだった。
変態の考えは分からない。
依頼のために殺人を是とする彼女にとって、依頼以外での殺生に愉悦感を抱いたりしない。
依頼のために、金銭のために、そして自分の渇きを潤すために、血を浴びる猛者達は相入れない存在として、深い闇に居座っている。
「はぁ、おみゃあも相変わらずにゃんね。けど、みぃ達の目的を忘れちゃ駄目にゃよ〜」
「あぁ、分かってるさ……ククク」
音も空気も一切叩かずに何処かへと静かに消えた生粋の暗殺者を一瞥して、その場に取り残された一人の変態はこれからの楽しみを何処で狩るか、そのための拠点探しをするために足を動かしていく。
鼻歌混じりに、息をするように、彼は人の命を狩り取っていく人殺し。
罪悪感や他者の憎悪や怨念さえも、容認する。
そして、それ等を供物に喰らっていく。
許されざる行為の背徳感に満悦を感じ、人を殺した時の生々しい肉を斬った感触、人の死を眼下で見届けた歓喜に打ち震え、その殺人鬼は何処までも悪意を携える。
冷たい突風が木々の囁きを誘い、肌を撫でて通り過ぎていく。
冷風とは対照的に頬が上気しており、真っ赤な瞳が怪しげに輝きを放っていた。
「あはぁ! どんな声で鳴いてくれるのかなぁ!? 早く殺したいなぁ!!」
狂気的に嗤う男は次の獲物を求めて、先へと導かれるように彷徨っていく。
それが、それこそが彼の生き甲斐であり、彼の生きてきた険しい悪路でもある。
そしてこの四日間、多くの人間が二人の人間によって殺されていく事態に陥ろうとは、まだ誰も分からない。
そして、また別のところでは一人の試験官ナフィが、一つの魔導具、小型モニターを手にして全員の様子を逐一観察していた。
彼女もウーゼ森林の何処かに飛ばされて、偶然にも川辺へと辿り着いていたために、拠点をその場に作り、誰が何処にいるのか、そしてまた誰が何番を持っているのかを掌握していた。
だがしかし、違和感は即座に見つかった。
それは、三つの監視カメラの魔導具異常があったのだと知らせるだけの要因があり、画面には六十四つに分類された小分けられた監視映像が映し出されるも、三箇所だけ真っ黒となっているのだ。
それが違和感の正体。
「チッ」
モニターは六十四人分全員のが森の何処かで飛んでいるはずなのだが、何故か三台だけが見れなくなっていた。
更に同じ数だけバッジと受験カードに施された位置情報を示す魔法にも反応が無くなっていたため、少なくとも三人の人物が不足の事態に陥ってしまったと推測される。
それは予想外の出来事、初日より展開された異常的なカメラ紛失である。
試験官として見過ごせない。
だが、その原因はまだ不明のまま。
「どうなってやがる……」
ただ引っ掛かるのは、何故監視カメラのみならずバッジや受験カードの反応まで消失してしまったのか、という状況である。
たとえモンスターに全身喰われても、胃液で消化しないような素材で作られていたカードまで消えるとは、流石に怪しむべきだろう。
試験が始まってまだ一時間も経過しておらず、すでに三つも同時に映像が途絶えて位置も分からなくなっているため、違和感が募っていく。
その違和感はやがて胸騒ぎへと変化し、虫の知らせが舞い込んできた。
「ナフィちゃん」
「うおっ!? って、気配消して後ろに立たないでくれよギルマス!!」
現れたのはピンク色の髪をツインテールにして纏めた可愛らしい少女、いや幼女だった。
ギルドマスターであり、元Sランク冒険者でもあった凄腕の幻影戦士、彼女がモニターを覗き込んで何かに気付いたように唸っていた。
「不味いですね」
「だろ? すでに三台映らねぇし、対応する追跡魔法とかも全部消えてやがる」
「いえ、問題はそこではありませんよ」
「……へ?」
一瞬チラッと見ただけで、ギルドマスターであるラナはモニターの異常性に気付いた。
着眼点は、映らないモニターの性能である。
「良いですか? 今回使用している監視カメラには『ステルス』の魔法が仕込まれています。つまり透明化しているので、普通なら気付くはずもありません。しかし破壊できるのは視線に敏感だから、或いは何かしらの特異な力を持っているからでしょう」
「う、うん……」
「後者だとしても流石に三人同時に、それも位置の近いカメラ三台を壊された、というのは『見られたくない何か』があるという証拠ですよ」
何事も無いのならば壊さなければ良いだけの話、前々から使用してきた試験用のカメラが、同時に三つも壊されるという事態は有り得ないと彼女は知っている。
しかも場所的に三つのカメラは近辺である。
つまり自分達試験官の預かり知らぬ場所で、何か別の要因が蠢いている、という結論に至る。
誰かが試験に乱入したのか、それとも受験生同士で殺し合いでも行ってるのか。
状況を整理するためにも、ギルドマスターとしての仕事を全うしようと、彼女は現場に急行する。
「私は少し様子を探りますので、貴方は引き続き、受験者の監視をお願いします。それから、この事態を他の人達にも伝達しておいてください」
「あ、あぁ、分かった」
「では」
ラナは慇懃にもカーテシーをして、まるで陽炎のように身体がユラユラと揺らめいて消えてしまった。
そんな神出鬼没な彼女を見送ったナフィはモニターの画面を切り替えて、試験官を任されている他の三人の上級冒険者へとメッセージを送った。
異常事態発生、警戒せよ、と。
詳しい状況もメッセージとして同封し、その内容を送信した彼女は、懸念に駆られる。
「これで収まれば良いが……」
上級冒険者にもなると自分が現在、死の危険に近付いているのが分かるようになる、それだけの死線を潜り抜けてきたのだから。
自分の勘を信じて、ナフィは自分に今できる作業を考えてモニターの魔力を遮断する。
「よし、行くか」
拠点はそのままに周囲の探索を決めた彼女は、モニターを空間魔法付きのアイテムポーチへと仕舞って、川辺から移動を開始する。
そんな狂気と血に塗れた二次試験という舞台が、静かに幕を上げ始め、舞台へと登壇したキャラクター達が次第に数を減らしていく。
脇役は邪魔だ、そう言わんばかりに。
一人の殺人鬼による殺人劇が、舞台を真っ赤に染め上げて、床も赤い絨毯で彩られる。
ある者は逃げ惑い、ある者は警戒を周囲に放ち、そしてある者は享楽を貪る、この悪意が満ちる森の中で、それぞれが試験へと臨んでいく。
楽しい楽しい死出の旅が、開演した。
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