トラブル続きのアパート(下)
今回は「備えあれば憂いなし」という諺の意味を、痛感する出来事でした。
もし設備管理に携わる方なら、「準備不足」や「経験不足」などお叱りの言葉を受けるかもしれません。
今思い出しても、自分の実力と準備の力がないと感じさせられました。
住人側からすれば、管理会社の人間(=設備のエキスパート)と思われることが多い。
しかし、実際は管理会社の人間(≠設備のエキスパート)、つまり経験も技術もほとんどない素人だってこともある。私がそうだから。
当時私は、電気工事士や危険物乙四の資格を取得しており、そういった面についての知識はあったが、水道関係や建築関係の知識は、ほぼ皆無に等しかった。
しかし呼んでくれた小河親子にはそんなこと関係ない。
「お母さん、水道、使えるようになるかな?」
「どうだろう? でも、使えないと困るからねぇ」
後ろでする小河親子の会話が、重くのしかかる。
少なくとも水道を使用することでシンクから水漏れする原因はすぐにわかった。
水を受ける流し台の底が腐食しており、数ミリ単位の穴が複数開いていたからだ。
こんなの素人目にもわかる。絶対交換が必要だ。
該当箇所をスマホで写真を撮り、SNSで富田社長へ報告を行う。
返信がくるまで持ってきた補正テープを使い応急処置を試みた。
間違いなく水道は使えるようになるだろうが、それが今日であるという保証はできない。そもそもシンクの応急処置なんてしたことないのだ。
よく見ると、穴は流し台のトラップ周りに集中していることがわかった。
一通り、テープを張り付けて水を流してみるが、どんなに張り付けても上から水が漏れてきた。
テープを張り付けた穴の小さな隙間から水が漏れてきて、流し台のホースを伝い戸棚の中へ水が落ちる。
そもそも補正テープでシンクの流し台を処置すること自体無理があるのだ。
「あーもう……」
必死の努力も空しく水が止まる気配はない。
自分が首に巻いていたタオルまであてがい、水を止めようと奮闘したが駄目だった。
唯一の希望を託したSNSの返信も
『とりあえず、今日は何とか応急処置で済ませて。後日対応を考える』
という始末だった。
一時間が経過した。
「……すいません、水漏れは少なくなりましたがまだ漏れています」
期待を裏切った申し訳なさと過労が入り混じった謝罪を小河親子へ伝える。
「じゃ、水道は使えないんですか?」
こちらは苛立ちと不安の混じった声で小河母が言った。
「いえ、テープをかなり巻きましたので数日くらいはなんとか」
取り繕う私は頭をただ下げるばかり。情けない。実に情けない。
「早く元通りになるよう、会社へ手配してください」
「もちろんです。今日のことは上層部も把握していますので数日中には連絡が」
「明日までにお願いしますっ」
何度目かわからないくらい頭を下げた私は体を丸めてそのまま部屋を後にする。
無力さと悔しさで項垂れながら、やり取りを富田社長へ報告した。
だが、これで終わりではない。
今度はスモール・ヒルの通常業務が残っている。
ほうき、ちり取り、モップにバケツを持ちながら四階まで上がる。
日の暮れかけた廊下にはまだうっすらと西日が差し込んでいる。
窓の外から見る白石区は平野になっており、どこまでも広大であった。
平坦な地形の上に家々が立ち並び、その向こうには大谷地ICと道央自動車道が走っている。
普段はコンクリートジャングルのすすき野で働いているせいか、平らでどこまでも広がっているこの平野の風景を見るのが私はひそかな楽しみだった。
誰もいない廊下で、軽やかにほうきを走らせる。
小学生の時、放課後の教室で感じたある種の切なさやわくわくした感じと今の気持ちは一緒である。
(なに。自分でできることをしたさ。いずれ問題は解決する)
今気にしてもしょうがない。
窓からみる世界は自分の中にある憂鬱な気持ちをかき消してくれる。
時計は業務終了時刻を三時間過ぎていた。
次回は冬のお話になります。
今書いていますので、興味のある方は気長にお待ちくださいませ。