晴着の憂鬱 24
大野歩はこれまでの人生で体験した事がない感覚を味わっていた。
それは快感といえばよいのだろうか? 気持ちよさとはまた違う、言葉にはしにくい感覚だった。
全てを身に任せて、眠るように闇の中に落ちていくのもよいのかもしれない。そう思ったとき、ガラスが割れるような音がした。
大野はその破壊音で意識を戻す事に成功した。
改めて自分の状況を確認する、首から提げていた勾玉は、いつの間にかなくなっていた。
どうやら、先程の音はあれが壊れる音だったようだ。
「はは、どうやら、本当に効果があったみたいだね。でも、逆にいうと、次はないって事だよね」
はだけた上着はそのままに、上から覆いかぶさる少女を引き離す。
よくよく見れば、なんともあやうい状態だった。
大野は自身の下腹部を確認すると、擦り寄ってくる少女を押しのけながら額に手を当てる。
「鮫島さん、流石に限界なんだが。まだなのか?」
※※※
紗希は、手に持ったナイフで目の前の球体を勢い良く切りつける。
「えい!」
その刃は、まるで、豆腐でも切るかのように、あっさりと石の球体に切れ込みを入れる。
が、その進行は丁度半分で止まり、後は、びくともしなかった。
その様子を後ろから覗き込んでいた鮫島が誰にともなく話し出す。
「これは、半分だけって事は、あちらの方が決別できてないって事だな。あのスケベめ」
「あちらってなんですか? スケベって?」
紗希は鮫島の言葉が気になり質問する。
「なんだい? 意思切まで持ってるのに、状況を把握してないのか?」
質問は質問で帰ってきたようだが、紗希は気にせず次の質問をする。
「石切り? このナイフは石を切るためのものなんですか?」
更なる質問に鮫島は頭を抱えながらも答える事にした。
「石を切るんじゃなくて、意思を切るんだ。未練をたつナイフだな。状況から見ると、貴方は学生の頃にその石にまじないをかけたね? いや、これは呪いとでもいった方が正しいかもしれない」
「え! 呪いだ、なんて......」
「まぁ、貴方にこの呪いを教えた奴がいるんだろうな。これで、貴方の生霊を作るのが目的だったんだろう。石が半分切れた事で生霊は独立した存在になった。これで払えるはずだ」
後ろを振り向き立ち去ろうとする鮫島を紗希は呼び止める。
「ちょっと待って下さい! スケベってどういう意味ですか?」
「ん? その上で、貴方の婚約者がお楽しみ中って事だが」
鮫島の脇を、一陣の風が駆け抜ける。
「大野さん、なんというか。すまん......」
鮫島は後の展開を想像して、大野に謝罪の心を送った。
大野は押し寄せる快楽の流れに身を任せていた。
最早、抵抗する事が無駄な事のように思えてきたからだ。
「このまま、身をまかせてしまうのが実は一番の幸せなんじゃないのか?」
大野が一言呟いた時、彼の目の前を何かが通り過ぎ、ベットに突き刺さる。
「この! 浮気者~~~~!」
大野の目の前から、少女が煙のようにゆらいで消える。
大野は、声のした方向をを見て驚きの声をあげる。
「え! 沙希? いや、これは、違うんだ」
慌てて取り繕う大野に、紗希は意地悪な笑顔でいう。
「それで、私のテクニックは気持ち良かった?」
「それはもう。じゃ、なくて、そう言う事はかろうじて無かったから。て、鮫島さんは?」
「下にいた人かな? もうすぐ来るんじゃない?」
「と、とにかく。これで、終わったのかな?」
大野が、誰に確認するとも無く言った、その時だった。
辺りに吹雪のような風が吹き荒れ、結界の蝋燭を吹き飛ばした。
思わず大野は沙希を抱きしめると、震えながらも何かに備えるように辺りを見回す。
そう、大野はこの感覚を既に数回は体験していた。
これは、紛れも無く、彼女が現れる前触れであった。
「渡さない、離さない。」
くぐもった声が辺りに響く、どこからきても驚かないように、大野は四方を油断無く観察する。
そして、彼女は現れた。
「うわぁあぁぁぁぁぁ!」
警戒していた筈の大野は、驚きの余り腰を抜かした。
そう、彼女は、足元から垂直に、ヌ! と、現れ、沙希の首を絞める。
「う、くぅ。これは、確かに、私、だ」
紗希は何とか振り払おうとするが、どうしても振り払う事が出来ない。
段々と意識が遠のき、気をうしないかけたその時、何かが飛んできた。
それは、泥に塗れた小さなキーホルダー。
それは、どこにでもありそうな物だった。お土産に売っていそうな安物だ。
「本当に大事だったのは、そっちなんだろ?」
キーホルダーを投げつけたのは鮫島だった。
「いやいや、俺とした事が勘違いしてたよ。断ち切れて無かったのは、大野さんじゃ無くて、君だったんだね」
鮫島はゆっくりと階段を上りきると、地面に落ちたキーホルダーに話しかける。
「頼む、彼女達を助けてくれないか?」
そると、キーホルダーから色い煙が噴出し、沙希の生霊を沙希から引き剥がす。
「紗希さん、貴方が断ち切れない、懺悔を済ませんるんだ。それで、彼女は解放される」
鮫島の言葉を理解できず、大野が質問する。
「鮫島さん、彼女が解放って、どういう事ですか?」
「それはですね。最初は、私は大野さんに取り付いた悪霊が邪魔してると思った。しかし、それは間違いで、何者かの生霊だった。が、厳密にいうと、それも間違いだった」
「いや、余計に理解出来ないんですけど」
「こいつは生霊じゃなくて、言霊だったんだよ。しかも、偶然生まれてしまった言霊、紗希さんにも、君等の親友にも悪気は無かったんだ」
「え? 親友って......」
「紗希さん。あの木の下に埋まっていたのは、昔の知り合いに貰った物じゃないのかな? それも、貴方に対して、大変つよい思い入れ。そう、恋愛感情があった人。じゃないかな?」
鮫島の質問に紗希はしばらく考えるような仕草をしたが、大野を見た後に話し出す。
「はい、西岡君っていう方から貰いました。その、彼から告白されましたが、お断りしまして。最後に彼が願いが叶うお呪いにって」
「え? そんな事があったの?」
驚く大野を無視して鮫島が話し出す。
「きっと、彼は本当に貴方が好きだったんでしょうね。自身の幸せよりも、貴方の幸せが願いになるくらいに」
鮫島の言葉を聞き、沙希が涙を流す。
「もう、いいんじゃないですか? 自分を許してあげましょう。でないと、彼も永遠に貴方に囚われますよ」
紗希は涙を拭うと、大きな声で叫ぶ。
「西岡君、ごめんなさい! 私、幸せになります!」
言霊を捕らえていた煙はそれを取り込み、人の形になる。
「そっか! 頑張れよ」
沙希の耳元で、なつかしい声が囁いたような気がした。
人のかたちを取った煙は、最後に素敵な笑顔を見せると、天に昇るように消えていった。




