晴着の憂鬱 18
椿真紀はカフェテラスの一席の前で困り果てていた。
彼女は若くして、カフェーチェーン店を経営するオーナーとなった。
仕事において初心を忘れない為に自ら本店の店長を勤め、開業から約5年間、大きな問題もなくやってきた。
「ちょっと~、おばさんが店長さん? このアクセどうしてくれんのよ~」
彼氏と、その取り巻き男性4人を引き連れた一人の女子高生が真紀に因縁をつける。バイトの店員が彼女のアクセサリーにコーヒーをこぼしたのだ。
「大変申し訳ございません。宜しければ此方で誠意を持って対応しますので、ご勘弁いただけませんか?」
「弁償すればいいとか思ってる? これ、ダーリンから貰った一点ものだし~。お金じゃ買えない価値があんのよ~」
普通ならば、この程度の事で困る事はないだろう。妥当な対応さえすれば、互いに妥協するものである。
だが、彼女は棒読みで、受け流しにくいクレームを言う。明らかに、別の目的があるのだろう。
「てかぁ、こんなドジ雇うからじゃない? クビにしたほうがいいって~。お姉さんの為にいってんだよ?」
そう、ターゲットを決めた陰湿なものであった。
しかも、彼女が着ている制服は真紀の母校のものだった。
真紀が在学中の頃には、こんな事など無かった。
無論、ガラの悪い連中もいたし、地域的に治安が良かったわけでもない。
自分達の時代にはいたのだ。今の時代では、めっきり聞かなくなった単語ではあるが。
そう、俗にいう、番長と呼ばれた人物が。もっとも、本人はそう呼ばれる事を好ましく思って無かったようだが。
「おいおい、黙ってんじゃねぇよ! こっちは、迷惑かけられてんだよ? なんなら、兄貴よぶか?」
「いえ、お兄様がどなたかは存じませんが、ここは穏便にお話しませんか?」
「ば! 兄貴は兄弟じゃねぇよ! 兄貴は、この辺り仕切ってる川田さんにきまってんべ!」
「威勢がよろしいのに、他人頼りですか? それは男らしくないかと?」
真紀は、このやり取りを1時間以上続けていた。いよいよめんどくさくなってしまい口が滑る。
「あぁ! もう、めんどくせぇ! お前等やっちまいな!」
癇癪を起こした女子高生の彼氏の号令で連れの男達が立ち上がる。
真紀は流石に失敗したとは思ったが、後の祭りである。
仕方ない、殴られて済ませよう。ひどい目にあうんだろうな。
と、真紀が心の中でそう考えていると、不意に背後から抱き寄せられる。
「え? 何!」
思わず叫ぶ真紀だが、引き寄せた相手は、気にせずに真紀をカフェの椅子に座らせる。
突然現れたその男は、草臥れたスウェードのジャケットを着た、目の細い、黒髪の男だった。
「おいおい、なんだ、てめぇは? 痛い目にあいたいのか?」
取り巻きの一人が威嚇しながら襟を掴む。が、彼は、次の瞬間には、地面に倒れていた。
「痛いめ、ねぇ? 出来るのかな?」
男は細い目はそのままに、口元だけを上げて軽く笑うと、挑発するように言った。
「くっそ! なめんなよ」
馬鹿にされた取り巻きの残り二人が同時に襲い掛かる。一人は右から殴りかかり、もう一人は左からローキックをお見舞いしようとする。
「なかなかのコンビネーションだけど、無理だろうなぁ」
自身も空手の経験がある真紀は、彼らがそれなりに武道を嗜んでいる事が分かった。
しかし、それ故に、つい呟いてしまったのだ。
「悪くはないね。女性に手をあげるような下衆じゃなければ、優秀な空手家になれたかもね」
男は、右から殴りかかった取り巻きの腕をそのまま後方に引き、体勢を崩した所に、後頭部に向けて素早く肘うちを入れる。
素早く一人は倒したが、もう一人ローキックは左足にまともに決まる。
「ぐ......」
しかし、呻き声をあげたのは、蹴りを入れた方の男だった。
履いているジーパンの上からでも分かるほどに盛り上がった、鍛えられた筋肉、それはまるで、丸太をけっているかの様な反動だった。
細目の男は、蹴られた方の足と逆の足で、ローキックをお返しとばかりに食らわせる。取り巻きの男は、そのまま地面に投げられたかのように倒れた。
「う、うううう」
先に倒された3人が呻きながら、よろよろと立ち上がる。
その光景に女子高生は彼氏の後ろに隠れ、その彼氏も怯えながら精一杯の虚勢を張る。
「て、てめぇ。俺等のバックには、川田さんがいんだからな。調子こいてっと、怪我じゃすまねぇぞ」
男はその虚勢を聞くと、何かを思い出すように、肩まで伸びた髪をポリポリとかき、向き直り、聞く。
「西高出身の、川田省吾か? んじゃぁ、西岡が宜しくいってたと伝えてくれ」
その台詞を聞いた彼氏だけが蒼白になる。
どうやら、先輩とやらと面識があるのは彼だけのようだ。
「に、西岡さん? 西岡さんって、元、西高番長の?」
西岡の名前を聞くと、彼は明らかに取り乱し始める。
「お前、川田の連れなんだろ? 旧友と語りあいながら、弟分殴った事、謝んないとな」
「い、いえ。謝るとか。もう、結構なんで。すいません、勘弁して下さい」
「そうか? じゃぁ、どうすればいいか分かってるよな?」
「はい、ここにはもう来ませんし。従業員にも、二度と手は出しません」
「よし! 分かったら、解散!」
西岡の言葉で、彼らは蜘蛛の子を散らすように帰っていった。
「ちょ! 西岡? 西岡なの? あんた、今までどこいってたのよ?」
彼らが立ち去ると、真紀は西岡に駆け寄り、確認する。
学生時代の彼に比べると、随分と軽薄な格好と言葉使いだが、間違えるような事はない。
「久し振り。真紀さん、綺麗になったね。ちょっと、自立したくってね。県外で、彫金職人の修行をしてたんだよね」
「そうなの? 連絡くらいしなさいよね!」
「いや、携帯とか買う金なかったし......」
「まったく、で、暫くは、こっちにいるの?」
「ああ、こっちでやる事が出来てね。暫くは、こっちでアクセサリーの露天商でもしようかと思ってる」
真紀は、久し振りに話す旧友に、若き日の面影を重ねる。
少し、見た目は変わったようだが、男気溢れる性格と、海の様な包容力は、昔と変わらず、真紀が好きだった頃の彼そのものだった。
「じゃぁさ! いる間は、ちょこちょこ遊びにきてよ」
真紀はクールな自分を演じるを忘れ、まるで、少女の様にはしゃぐ、学生の頃に恋焦がれた硬派な番長。
きっと、今でも彼は硬派なままだろう。
「あ、それなんだけどさ。非常に頼みにくいんだけど。ちょっとの間、養ってもらえないかな? なんて、あははは」
「へ?」
自分の中の何かが、音を立てて崩れ去る。その言葉の意味を理解した真紀だった。




