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社寺紀行~日本神話を訪ねて~

作者: flat face

 本に書かれたものばかりが日本神話とは限りません。口伝えによって継承され、社寺の掲示や碑文にひっそりと記されたものもあります。祭や名物の謂われとして伝承された神話も存在します。

 それらは現地に足を運ばなければ見付からず、感じ取れないこともあります。文字化されたものだけではなく、日本神話の舞台となった場所の雰囲気などもまた神話でしょう。社寺に参詣した私は、そのような諸々の神話について空想を巡らしもしました。

 空想を巡らすに当たっては中世神話や近世神話も参照しました。社寺では思い掛けず中世日本紀や古史古伝と出会うこともあります。日本神話は世界という大きな書物に様々な文字で綴られているとも言えましょうか。



  西宮神社


 西宮神社は水蛭子神を恵比寿神として祀る神社の総本社で、私は阪神電車の西宮駅で下車して参詣しました。本殿は三連春日造という珍しい構造で、徳川家綱の寄進になる国宝です。空襲で烏有に帰し、復興されて桧皮葺から銅板葺に変わりましたが、屋根の重厚な感じや赤いカラーリング、青銅製の馬と狛犬などは見応えがありました。

 元々、「えびす」という言葉は浜辺に流れ着いた鯨など有益な漂着物を指し、恵比寿は福の神や市の神、商売繁盛の神とされており、西宮神社の御神像も和田岬の沖に漂着したところを漁師に拾われ、祀られたと伝えられています。水蛭子も葦船に入れられて海に流されたため、その漂流するイメージが恵比寿とリンクさせられました。漁業の神として恵比寿が鎮座した西宮は、西国街道の宿場町としても開け、市が立って隆盛を極めました。

 西宮の隆盛には西宮郷の銘酒も一役買い、伊勢神宮の天照大御神に御神酒として供えられる酒は、全て西宮の日本酒で、銘柄は「白鷹」の御料酒に限られています。白鷹禄水苑において蔵出し生原酒を飲んでみましたところ、まろやかであって癖がなく、水のようにすっと飲み込めて後からアルコールがこみ上げてきます。水蛭子と天照は生き別れた兄妹で、水蛭子の鎮座する西宮の酒しか天照が飲もうとしないのは趣深い話です。



  籠神社


 籠神社は元伊勢とも呼ばれる伊勢神宮の元宮で、私は京都丹後鉄道の天橋立駅で下車して参詣しました。本殿は伊勢神宮と同様の神明造りで、規模と様式が近似している社は他にないらしく、確かにお伊勢参りの時に見た正殿のアルカイックな社殿様式とそっくりでした。平地の本宮に対して奥宮は森の中にあり、社殿の裏手には磐座が東と西に祀られ、掲示板によれば縄文時代より今に続く原初の神祀りであるらしく、大きな岩から木がにょきにょき生えている様子は、神代の霊跡を思わせました。

 その東座には「天御中主大神」と、西座には「天照大神」と刻まれた石柱があり、本宮にも「元伊勢宮籠神社」および「元天照坐豊受大神宮」と刻まれた石柱がありました。大和国を離れた天照大御神は、伊勢国へ遷るまで籠神社に鎮座し、天御中主神と同体であるともされている豊受大神が天から降って食事を奉りました。掲示板には天照と豊受が地上に化現したのは、そうするという契りを天上で秘かに結んでいたからとあり、これは伊勢神道の言説です。

 伊勢神道は近代に跡形もなく消え去りましたが、籠神社は僅かながらもその面影を今に伝えているのです。参詣の後は赤米の日本酒を飲みましたが、籠神社に奉納されてもいる地酒らしく、醤油の味がするシロップのようでした。豊受が天照に奉った酒も、このような味であったのかも知れないと思いました。



  吉田神社


 吉田神社は吉田神道の根元殿堂たる斎場所大元宮のあるところで、私は京阪電車の出町柳駅で下車して参拝しました。大元宮は茅葺きの八角造りという日本の建築史上において特異な構造を持ち、この形式は密教・儒教・陰陽道・道教など諸宗教や諸思想を統合しようとした吉田神道の理念が形に表されたものであると言われます。それは余りにも人工的で、その幾何学的な構成は新興宗教の本部を連想させるほどでしたが、形而上学的な理論体系を神道で初めて本格的に構築した吉田神道の性格が反映されているのでしょうか。

 大元宮は虚無太元尊神を中心とし、太元尊神から生まれ来る全国の神々を祀る社です。太元尊神は国之常立神であるとされますけれども国之常立は天之御中主神とも、御中主は天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊ともされます。狭霧は開闢以前の混沌たる始元の神です。

 神社に詣でるには京都大学の傍を通ります。大学の多い京都府は学生が好むラーメンの激戦区なので、参詣の後に天下一品にて鶏ガラがベースのこってりラーメンを注文しました。スープは色がゴマだれのようで、とろりとして味もそれっぽく、タレの絡んだラーメンを食べている感じでした。



  淡嶋神社


 淡嶋神社は淡島信仰の本社で、私は南海電気鉄道の加太駅で下車して参詣しました。雛流しで有名な淡嶋神社は本殿に留まらず、あらゆる建物に人形が溢れていました。そう書けば不気味に思えるかも知れませんが、人形は雛人形や七福神、干支、観音菩薩、狐狸、果てはアフリカっぽいお面まで飾られ、余りにも雑多なために却って愉快でした。

 祭神は伊邪那岐神と伊邪那美神の第二子である淡島神ともされ、伊邪那岐と伊邪那美により海へ流された淡島は友ヶ島に漂着し、淡嶋神社はかつてその島にありました。彼女は婦人病に罹ったことがあり、龍王の娘にして牛頭天王の妻たる波利采女でもあります。淡島の兄である水蛭子神は同じく両親の手で海へ流されて龍王に育てられましたが、体が弱かった彼女も龍宮に預けられ、長じて天王と結婚し、最強の防疫神と語られる夫と幸せに暮らしたかも知れません。

 養家に思いを馳せてか、海に面した境内には魚介類の土産物屋さんや魚料理の食事処があり、満幸商店でしらす丼とわさびスープを注文しました。しらす丼はミニでもどっしりしてわさびスープも量が多く、しょっぱい梅干しと甘辛のタレが丼には付いており、釜揚げのしらすは小さいながらも身がしっかりしていました。鯛の骨を食べられるほど煮込んだスープは、コクがあってまろやかで、魚の味もちゃんとしており、薬味たる山葵の辛みで単調にはなりません。



  八坂神社


 八坂神社は祇園信仰の中心とされていた神社で、私は阪急電鉄の河原町駅で下車して参詣しました。建物では西門が最も美しかったのですが、それはそこだけが朱と白に加え、緑も配していたからでしょうか。祇園造りの本殿は二つの建造物を合わせ、一棟の屋根で覆っており、他に類例のない建築様式であるらしく、本殿が植物のように別棟を呑み込んだ姿は、木の根に覆われたワット・マハータートの仏頭を思い出させました。

 その本殿に祀られた牛頭天王は、神仏習合において信仰された疫神で、高句麗より来朝した使節の子孫が八坂郷で奉斎し、防疫に霊験があると信じられた祇園御霊会は、祇園祭として現代まで続いています。祭礼は染織品で装飾されて中国や朝鮮、インド、トルコ、ペルシア、インド、ベルギー、コーカサス、フランス、イギリス、ロシアなど世界中から渡来した貴重品もあります。それらは謡曲や神仏信仰の来歴、中国や日本の故事、ギリシア神話、ローマ史話、『旧約聖書』などが題材とされており、祇園祭が神道や仏教、儒教、道教、果てはキリスト教まで混然と融合したものであったと分かります。

 真にそれは天王の来歴に相応しい装飾で、祇園信仰における「祇園」は祇園精舎と「地祇の園」を意味します。そのような「祇園」を冠する名物に祇園豆腐なる田楽があり、江戸時代にそれを売り出した二軒茶屋の中村楼で食べました。温かい味噌の香りが漂い、木の芽の風味が感じられて甘く、豆腐は柔らかくもしっかりとしていました。



  サムハラ神社


 サムハラ神社はサムハラ大神を祀る神社で、私は大阪地下鉄の本町駅で下車して参詣しました。サムハラ大神とは天之御中主神・高皇産霊尊・神皇産霊尊の造化三神で、「サムハラ」は漢字のような神代文字で書かれたものをそう読み、古来より災難消除・身体堅固の護符として岡山県の津山市に伝わる符字であったそうです。同地に出生した田中富三郎は、日清・日露の戦役でしばしば難を逃れ、それは「サムハラ」の護符を奉持したお蔭であると畏みました。

 第二次世界大戦では大阪師団の司令部を通じ、出征する兵士にお守りを贈呈して武運長久を願いました。戦後は「サムハラ」を伝承する津山の古祠から大阪市へと分霊し、それがサムハラ神社となりました。本殿は意外とこぢんまりして地味で、富三郎の胸像も想像していたような豪傑というものではありませんでしたが、境内には参拝者の老若男女が次々に現れました。

 社務所には有志の作成した冊子が置かれており、そこで物語られる歴史は古史古伝を思わせ、神字を使用している点も古神道っぽさを感じさせました。参詣の後にした食事でも独自の神話を見付けました。それは天照大御神が鳳凰に姿を変えて降臨したという上神谷の日本酒で、口に入れた時はきついのですが、喉を抜けるアルコールは、フルーティーであって舌で転がせばまろやかでした。



  出雲大神宮


 出雲大神宮は「出雲」と名が付きますけれども丹波国の一宮で、私はJR西日本の千代川駅で下車して参詣しました。しかし、バスは本数が少なかったので、乗れなければタクシーを利用しようと思っていましたが、それさえ電話で呼び出さなければ来ず、徒歩で向かうことにしました。道のりが長くて私は出雲大神宮に着きますと、まずは出雲庵という蕎麦処で腹拵えをし、神社と同じ水源の水で打った十割蕎麦を注文しましたが、季節でないからか麺の風味はあっさりで、料理のぬめりや酸味の方を強く感じました。

 食事してお腹が膨れ、正門に行って鳥居のところにある石碑を見ますと、その側面には「梅原猛敬書」とあって魂消ました。他にも参道に立つ社名標は、出雲大社の元宮司たる千家尊福の筆によるもので、現宮司である千家尊祐の揮毫たる石碑もあります。出雲大神宮の社伝によれば出雲大社は元々ここにあり、旧称として出雲神社、別称として元出雲とも言われています。

 丹波は出雲と大和の勢力が接するところだったため、それが国譲りの神事に反映され、そのような社伝を生んだのかも知れません。そうした出雲大神宮の本殿は重要文化財の三間社流造で、鎌倉末期に建立されたものを足利尊氏が室町前期に改修しました。前室を有しており、屋根が檜皮葺であって野趣のある感じですが、装飾を蟇股や手狭に留め、太い木割りを使用した装飾は力強く、ある種の品格が漂っていました。



  城南宮


 城南宮は平安城の南に鎮まるお宮で、私は京都市営地下鉄の竹田駅で下車して参詣しました。城南宮は平安京への遷都に際し、都の安泰と国の守護を願って創建され、国之常立神・大穴牟遅神・神功皇后が城南大神として崇められました。白河上皇が鳥羽離宮が造営しますと、城南宮は離宮の鎮守となりました。

 離宮が造営された鳥羽は、交通および物流の要衝で、人馬の往来で賑わい、鳥羽街道の茶屋ではおせき餅が旅人たちに振る舞われました。おせき餅は今でも「おせきもち」なる和菓子店で食べられ、少し焼いてある餅は、固いかと思ったら軟らかく伸び、一般的なものより赤い丹波大納言の餡は甘さが控え目でした。平安時代の建築様式を模した本殿や神楽殿は、木造でありながらも硬質な感じがし、城南宮に特有の城南宮鳥居もすらっと滑らかな姿から金属的な印象を受けました。

 城南宮は平安時代より熊野詣の精進所や方違の宿所にも充てられ、上皇や貴族が方位の災厄から無事であるよう祈願し、今でも「方除の大社」と仰がれています。ご祭神の国之常立が「艮の金神」であるとされてもいるのを考え合わせますと、奇妙な因果を感じさせられます。「艮の金神」は最も恐ろしい鬼門の方位にわだかまる祟り神で、大本教はそのような悪神を国之常立に他ならないと主張したばかりか、その復活によって世界の根本的な立て替え・立て直しが起こると唱えました。



  生田神社


 生田神社は「生田の森」に鎮座する神社で、私は阪急電鉄の神戸三宮駅で下車して参詣しました。稚日女尊が祀られているこの神社は、神功皇后による三韓への外征とゆかりがあり、神社にお供えする家やその世話をする家、そこを守る家といった神戸を朝廷から与えられ、それが「神戸」という地名の由来です。そこで、私は生田神社へ詣でるに当たって神戸牛のステーキを食べました。

 思ったよりも脂っぽくはなく、噛めば味わい深い肉汁が滲み、くどくないジューシーさに上品さを感じました。なお、生田神社では神酒が醸造されており、それは新羅からの客人に振る舞われ、平和外交で重要な役割を担いました。三韓への外征に関係したと記される神社が新羅との友好に貢献したとは奇妙な巡り合わせです。

 そのようなことを考えていましたら、楼門が大陸のもののように見えました。朱色の楼門は小振りながらも中々に迫力があり、本殿も柱などが鮮やかに赤く塗られ、大陸の寺院を見る思いでした。それに比して「生田の森」は落ち着いたところで、社殿のある方とは雰囲気が違いました。



  東京大神宮


 東京大神宮は東京都における伊勢神宮の遥拝殿で、私はJR東日本の飯田橋駅で下車して参詣しました。「東京のお伊勢さま」と称されて親しまれていますが、元は神社ではなくて教院で、神社は神道の祭祀を担当し、教院は治教の布教を担っていました。古代ギリシアで喩えれば神道をオリンピア祭のようなものに、治教をプラトン哲学のようなものに準えられるかも知れません。

 教院であった東京大神宮が神社となったのは第二次世界大戦が終わってからです。東京大神宮を所有していた神宮教院は、教派神道の一派であった神宮教が母体で、後に神宮奉斎会へ改組されて終戦後は神社本庁へと加わりました。現在の一般的な神前結婚式は東京大神宮で創設されましたが、それは神宮奉斎会による教化事業だったそうです。

 ひとまず上京した記念にもんじゃ焼きを食べ、餡しかない餡掛けうどんのような見た目やへらのちっちゃさに驚き、値段の割りにはお腹が膨れなかったことに悩みつつ、東京大神宮に参拝してもんじゃ焼きと同じく意外なちっちゃさにびっくりしました。鳥居や屋根は立派なのですが、社殿そのものはこぢんまりとしており、隣の東京大神宮マツヤサロンが存在感を放っていました。境内には最新機器っぽいストーブが置かれ、肌寒い空気が和らいで有り難かったです。



  靖国神社


 靖国神社は東京都の招魂社で、私は東京大神宮に続いて詣でました。靖国神社は国家神道の象徴のように言われていますが、神道人の葦津珍彦は国家神道の神社を記念堂のようなものであったと言い、神道は装飾でしかなかったと批判しました。参道に立つ大村益次郎の銅像を見て私もそのように思いました。

 益二郎の像が立つところはヨーロッパの広場のようで、洋式の遊就館ともども和式の社殿とはちぐはぐに感じられました。欧州においてもフランスのパンテオンやドイツのヴァルハラ神殿、イタリアのヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂などが多神教の意匠を取り入れ、国民国家への貢献者を顕彰しており、靖国神社も神社というよりそれらのような記念堂に近いのかも知れません。もっとも、和風を混ぜた洋館たる遊就館は見応えのある博物館で、幕末から終戦までの戦争を扱った展示も、恣意的なところはありながらも充実していました。

 ロシア革命を賛美する「クレムリンの壁」の墓所に靖国神社を喩える見方もあり、明治維新を讃える靖国の歴史観も、ソビエト連邦の史観がそうであったように偏向を免れないのかも知れません。皇族の軍人から一般の軍属まで平等に「~命」として祀られるのは、確かに革命的なことでした。お土産に御神酒を買いましたが、舌で転がしたら甘く、それでいて喉越しは水のように軽かったです。



  石清水八幡宮


 石清水八幡宮は伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟で、私は自動車で参詣しました。平安京の裏鬼門を守護していたそうですが、大阪府との県境にあり、京都府に来た実感はありませんでした。詣でるのに住宅地の路地を通らなければならないのは大変でしたが、最終的には周囲の景色は竹林となって雰囲気がありました。

 八幡造りの御本殿は回廊のようで、実際、社殿は中庭のようなところにあり、大陸の建築を思い起こさせました。神仏習合の宮寺であっただけに仏事の宣伝が掲示されているだけではなく、本殿も欄間の彫刻などが仏寺のように極彩色で、日光東照宮も手掛けた大工たちによって象や葡萄のような海外の動植物が彫られてもおり、そうした点からも異国情緒が感じられました。神社と言えば和風の素朴な建築を思い浮かべるかも知れませんが、石清水八幡宮は神仏習合の先駆けとなった八幡神の神社らしく国際的でした。

 御本殿を案内してくださった神職さんも、布教をしないという一般的な神職の印象と異なり、神道は日本の風習に支えられてきたが、その風習が廃れたので、これからは布教をしなければならないとおっしゃりました。神職さんからは石清水八幡宮における神仏分離や廃仏毀釈のことなども教えていただき、参拝が終わった後は、境内にある石翠亭で厄除けうどんを食べました。石清水八幡宮で祈祷されたうどんだそうで、とてもこしがあり、割りと大きめの短冊切りにした揚げは甘かったです。



  飛鳥寺


 飛鳥寺は法興寺ないし元興寺とも言われ、どちらも初めて仏教が興った寺院という意味です。今は真言宗豊山派のお寺ですが、日本に仏教が伝来した飛鳥時代に造られました。推古天皇が願主となり、蘇我馬子の自宅が提供され、聖徳太子が百済の工人に建立させました。

 ご本尊も百済から渡来した家系の鞍作止利による釈迦如来坐像で、頭部は当時のものが現存しています。想像していたよりも大きく、無骨なデザインと相俟って巨大なロボットのようでした。脇にハングルの掛け軸があって不思議でしたが、それは展示品を見て納得が行きました。

 飛鳥寺は大韓民国の修徳寺と姉妹都市の関係にあるそうです。修徳寺は百済の仏寺で、韓国で最古の木造建築と言われています。展示品には記紀の琴を再現したものもありました。



  金峯山寺


 金峯山寺は金峯山修験本宗の総本山で、多くの修行者や宗教者が宗派を超えて入山・修行しています。それ故にかお土産屋さんでは法螺貝も売っており、山中が観光地化しているようにも思えました。世界遺産に登録されたことも手伝っているのでしょうか。

 本堂である蔵王堂は天を衝くような大伽藍で、昇天する金剛蔵王権現を象ったご本尊に相応しいと言えます。横に広がるよりも縦に高いその建物は大陸的で、日本の伝統的な建築にしては珍しいと感じました。開祖たる役行者は渡来人の子孫ですが、大陸の気風が影響を与えているのでしょうか。

 残念ながら秘仏のご本尊を拝むことは出来ませんでしたが、堂内や他の像は見てまわれました。外観は天を衝くようでありましても屋内に畳が敷いてありますと、和やかな印象を受けるのは不思議です。帰りに吉野の山々を眺めますと、日本列島は本当に山勝ちなところなのだと感じられました。



  安倍文殊院


 安倍文殊院は華厳宗東大寺の別格本山で、大化改新の時に孝徳天皇の勅願によって左大臣の安倍倉梯麻呂が建立しました。安倍一族の氏寺であったため、安倍晴明が天文観測をしたという展望台もあります。今の日本では珍しく檀家さんがおらず、お葬式もせずにご祈祷にて運営される祈祷寺です。

 ご祈祷が行われる本堂には渡海文殊群像があり、獅子に乗って善財童子・優填王・須菩提・維摩居士を率いる文殊菩薩は圧巻で、彼らが雲海を渡る光景はさぞ雄大でしょう。未だ仏教が大陸からの直輸入であった時代、その影響を強く受けているのでしょうか。大陸とのご縁は金閣浮御堂霊宝館でも感じられました。

 そこには唐へと使わされた阿倍仲麻呂の像などがあり、孔子の子孫が書いた額が掲げられ、日中の友好が謳われていました。展示されているものも、日本や中国の神話・伝説を描いた屏風などがあり、国際色を感じさせるものでした。また、安倍晋三首相の参詣を記念した石灯籠も見られ、安倍首相を模した人物が陰陽師として登場する韋宗成の『覇海皇英』を思い起こしました。



  東大寺


 東大寺は華厳宗の大本山で、建立に当たっては八幡神が託宣を下しており、八幡信仰の拠点でもあります。聖武天皇が皇太子たる基親王の菩提を弔うために建てられ、大和国の国分寺となり、毘盧遮那仏の大仏が造像されました。近畿日本鉄道の奈良駅を降り、歩いて東大寺に向かいましたが、近付くに連れて鹿の数が増え、あちこちで糞を見掛けるようになっていきました。

 有名な観光地であるため、修学旅行生や外国人観光客が大勢おり、彼らが鹿と戯れている様は、見ているだけの私も楽しい気分になりました。入り口の南大門は立派で、芥川龍之介の「羅生門」を連想し、金剛力士の巨像には度肝を抜かれました。大仏殿もまた壮大で、木造でこのような建物があるとは思いませんでした。

 肝心の大仏はそれほど大きいようには感じられず、寧ろ四天王の像の方が迫力があり、東大寺ミュージアムの仏像も圧巻でした。大陸風の格好をした巨大な諸像は、異国情緒を色濃く漂わせ、国際色が豊かな天平美術ならではのものでしょうか。また、大仏殿にある柱の穴を潜るのに挑戦している旅行生たちが微笑ましかったです。



日本の神話に幾らかでも興味を抱いてもらえればと思い、日本神話を題材にしたマンガを以下に挙げさせていただきました。


赤塚不二夫『赤塚不二夫のまんが古典入門 古事記』

阿部高明『マンガ古事記』

石ノ森章太郎『マンガ日本の古典 古事記』

岩井渓『コミックストーリー/わたしたちの古典 古事記』

浮津『古事記 中辛』

大場もも『マンガでわかる日本の神様』

柿田徹『全解 絵でよむ古事記』

かゆみ歴史編集部編『マンガ 面白いほどよくわかる! 古事記』

こうの史代『ぼおるぺん古事記』

駒碧『マンガ古事記』

小室孝太郎・岩田廉太郎『マンガで親しむ出雲神話』

近藤たかし『マンガで読み解く 真説・古事記』

近藤ようこ『恋スル古事記』

五月女ケイ『レッツ!!古事記』

里中満智子『マンガ古典文学 古事記』

スタジオBEE『マンガと解説でよくわかる 古事記』

曽我篤士・工藤ケン『これならわかる!「古事記」』

鳥遊まき『重要ポイントとマンガでわかる! 古事記・日本書紀』

鷹羽遙『高天原ストーリー』

高室弓生『劇画古事記 神々の物語』・『えびす聖子』

瀧玲子『マンガ はじめて読む 古事記と日本書紀』

竹田恒泰監修『まんがで読む古事記』

谷口雅博監修『カラー版 一番よくわかる古事記』

千種ひよこ『まんが 萌え古事記』

手塚治虫『火の鳥 黎明編(漫画少年版)』・『火の鳥 黎明編』

鉄野昌弘監修『よくわかる古事記』

つだゆみ「日本の神様たち」・『マンガ遊訳 日本を読もう わかる古事記』・『マンガ遊訳 日本を読もう わかる日本書紀』

つぼいこう『古典漫画 古事記』

永倉ウケ「スサノオとヤマタノオロチ」

西上ハルオ『マンガ日本神話』

日本文化興隆財団『マンガならわかる!『日本書紀』 「神社検定」副読本』・『マンガならわかる!『古事記』 「神社検定」副読本』

庭猫もる『超楽!古事記』

登龍太『古典コミックス 古事記』

バラエティ・ワークス『まんがで読破 古事記』・『まんがで読破 日本書紀』

東ゆみこ監修『神々のからさわぎ 日本神話編』

ひぐらしカンナ『ざんねんな神さま事典』

久松文雄『まんがで読む古事記』

平田真貴子『コミグラフィック 日本の古典(普及版) 古事記』

船堀斉晃「竹内悶書」・「阿頼耶の識」

ふわこういちろう『愛と涙と勇気の神様ものがたり まんが古事記』

フリーハンド『マンガでわかる古事記』

水木しげる『水木しげるの古代出雲』

みずきのりんご『ガチでヤバい日本の神話』

光山勝治『まんが「日本の神話」』

みのおひなせ『名著をマンガで! 古事記』

ムロタニ・ツネ象『日本一古い本 古事記びっくり物語事典』

もぐら『もぐらと奈加ちゃんが日本の神様にツッコミ入れてみた』

森有子『くもんのまんが古典文学館 古事記』

安彦良和『ナムジ』

山岸凉子「月読」

ヨザワマイ『日本の神様に出会う旅』


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