婚約するする詐欺
「どうしても渡さないって言うの!?」
「ああそうさ!いくら豪華なプレゼントと引き換えでも、このクッキーだけは絶対に譲れない!」
「そう…じゃあ仕方ないわ」
目を細めて、必殺の言葉を出す。
「渡さないなら、婚約するわよ」
途端にアルベルトはそれまでの勢いを失い、「ぐ、ぐうっ…卑怯だぞカーメラ!」と喚き出す。私の勝ちは決まっているが、もう一押しいってみる。
「あら、私はそのクッキー一枚でももらえれば満足だったのよ?なのに貴方が余計な意地を張るからこうなったんじゃない。せめて、そうねえ…五枚はもらわないと、私の機嫌は直らなくてよ」
「そ、そんな…六枚しかないんだぞ!殿下が丹精込めて作られたこの世に六枚しかないクッキーを、君は!」
傍らで眺めていた殿下が「やめて…クッキーくらいまた作るから、これ以上騒ぎにしないで…」と顔を手で覆っているため、トドメを刺す。
「さあ選びなさい!クッキー五枚渡すか、私と婚約するか!」
「殿下…申し訳、ありません…!」
がっくりと膝をつき、アルベルトは可愛らしい包みにくるまれた殿下お手製のクッキーを差し出した。
「私に逆らうとこうなるのよ!よーく覚えてらっしゃい!おーほっほっ!」
「おのれカーメラ…!毎度毎度、卑怯な手を…!」
高笑いする私と、恨みの視線をぶつけるアルベルト。疲労した様子の殿下は、「毎回僕のために争わないでよ…いや、今回のは完全にアルベルトが悪いけどさ。カーメラと平等に分けて食べてねって渡したクッキーを独り占めしようとするから…」と、見物していた食堂の数人に説明していた。本当に優しい御方である。
私とアルベルトが出会ったのは、記憶がおぼろげなくらい昔のことだった。陛下の親戚である公爵令嬢の私と、王妃様の遠縁である伯爵子息のアルベルトは、お城の庭園で開かれたパーティーで顔を合わせ、自己紹介し、大喧嘩に発展した。喧嘩の原因は、陛下と王妃様のこと。
「王さまが先におうひさまにほれたのよ!」
「ちがうね!でんかがへいかにぞっこんなんだ!」
王妃様に一目惚れして、王妃様こそ正義の私と、陛下に指導されたことがあり、陛下絶対主義の彼。衝突は免れなかった。
王妃様はこの国、いや世界で一番美しく、優しく、慈愛に満ちた女神のような女性、いや女神そのものである。故に陛下が王妃様を欲し、彼女はそれに応じたのだ、と主張する私に対して、彼は、陛下ほど完璧な人間は存在しない、その英明さたるや、人類の頂点に立ち、誰も敵いはしない。故に王妃殿下は陛下に恋し、彼はそれを受け入れたのだと叫んだ。
真実は王妃様と陛下が微笑みのうちに隠してしまったので定かではないが、私は自分が正しいと信じている。
ちなみに、王妃様と陛下の御子のレオン殿下については、私もアルベルトも身命を賭してお守りする同盟を組んでいる。
アルベルトは伯爵子息だ。対して私は公爵令嬢。だから多少彼に無茶をいってもまかり通る。どうしても頷かない時は、必殺「婚約するわよ」。これで大抵のことは折れる。彼にも私にもまだ婚約者がいない。互いに「あいつと結婚するくらいなら兵士にでもなって王族をお守りする方がずっといい」と思っているのだ。
殿下にもまだ婚約者がいない。今年で十六になるが、殿下にふさわしい人がいないのだから仕方ない。
「レオン様、明日のダンスパーティーのお相手はお決まりですか?えっ、まだ?実は私もまだなんです…(チラッ」
勿論、こんな押し付けがましい少女が殿下にふさわしいはずもない。
サロンに乗り込み殿下に迫る金髪の少女を、アルベルトと目配せして確保に向かう。
「それでは私などはいかがでしょう、クララ嬢?」
「えっ、あ、アルベルト様がですか!?はい、喜んで!」
「殿下、私がパートナーに立候補してもよろしいでしょうか…?」
「カーメラ…いやいいや、いつものことだもんね…」
頬を赤らめる少女と、遠い目をする殿下を引き離し、アルベルトとこっそり頷き合う。
そう、いつものことだ。いつものことだったのだが…
「カーメラ、今度ばかりは君の命令を受け入れられない。婚約したいならすればいい。私はそれを承諾しよう」
ダンスパーティーの真っ最中、アルベルトが突然そう言い出した。隣には金髪の少女、クララがいて、腕を絡ませている。
「えっ、何あれは」
「どういうことなのか、説明してもらえるわよね?」
絶句する殿下の前に出て、彼の切れ長の青い目を見つめる。彼はため息を吐き、続ける。
「もう君にはうんざりなんだ。いつだって王妃様王妃様王妃様、聞いているこっちの身にもなってくれ。クララは君のように一辺倒ではない。私の話をきちんと聞いて、共感してくれる」
私はたくさんの言いたいことを我慢して、尋ねる。
「それで?私に何を望むのかしら?」
「絶交してほしい。そのためなら君との婚約も辞さない」
「ちょっと何を言っているのか分からないんだけど!」
耐えられなくなったのか、殿下が声をあげる。私は肩をすくめ、答えた。
「婚約なんてする必要ないわ。貴女がいつまでもつか、楽しみにしていてあげる」
「何を!私は本気だぞ!」
いきり立つアルベルトに背を向ける。ダンスパーティーは私達に構うことなく続いている。私と彼が言い争うのはいつものことだから、野次馬数人以外誰も気にしていない。
「次の展開が目に浮かぶよ…」と殿下が呟いた。
三日後。
「お願いします助けてくださいカーメラ様…!あの人、私の手に負えません!まさかあそこまで陛下愛が強いなんて…!陛下の姿が今朝の夢にも出てきました、もう限界です、助けてください!何でもしますから…!」
クララが私に泣きつき、殿下が「やっぱりね」と呆れた声を出した。
アルベルトが私に告げた文句、それはそっくりそのままアルベルトにも当てはまることだ。そもそも王妃様と陛下を称える王族談義は、相槌もなく勝手に私と彼がそれぞれ話しているだけだから、共感してくれる人が現れたらそりゃあ嬉しくて舞い上がるだろうことは予想がついていた。多分私もそうなる。
とりあえずクララには安眠効果のある薬草を渡しておいた。
クララに見捨てられ、とぼとぼと姿を見せたアルベルトを殿下が肩に手をおいて励ますと、彼はますます落ち込んだ。
「あんまり追い詰めないであげてね」と殿下が耳打ちして、去っていく。優しい御方だ。
私はアルベルトに向き合い、腰に手を当てて言い放つ。
「だから言ったじゃない。あの子が貴方の話に付き合いきれずに助けを求めるまで、どれくらいもつかしらねって」
「…君にはひどいことを言ってしまった。すまなかった、私が間違っていた…私には君しかいなかったんだ。私に応じてくれるのは、君だけだった。クララはちっとも理解してなかった。フリだったんだ…あんなに虚しいことはなかった。君と話したくて、でも絶交した手前、破るわけにもいかなくて…」
「そうね、貴方の陛下賛美に付き合えるのは私くらいだし、私の王妃様礼賛を聞いても動じないのは貴方くらい…と思っていたけれど、うんざりなんでしたっけ?」
「うぐっ…それは、勢い余って…」
背の高い彼が、今はとても小さく見える。ちょっと愉快だった。私は意地悪く言い募る。
「これはもう、あれをしないと許してあげないわ」
「何だ…?ま、まさか陛下との謁見を減らせとか!?今だって月一なのに!」
悲鳴をあげるアルベルトにくすくすと笑いながら、必殺の言葉を出す。
「婚約するわよ。私だって貴方と絶交して寂しかったんだもの」