その2
署に到着した日時計と娘が雑談などしているうちに、連絡を受けたハト時計が息を切らせて現れた。一体どうしたっていうんです? ハト時計は訊いた。移民? いけませんよ、人間の娘なんて。いやまだそこまでは言っていない。では何だって私を。いやね、やっぱりその移民手続きについてなんだが。ほらいわんこっちゃない。知るべきことを知ってから判断させたくてな。どっちにしろ、住まわせるところなんてありませんよ。土地は十分にあるじゃないか。時計にはね。あの老人だって住んでいる。彼は腹時計で。まあ聞け、この娘の出現は唐突だったのだ。それと移民と何の関係が。突然港に現れてね。誰だって最初は唐突ですよ。わかってるじゃないか。なんですって? この娘は『来た』のではなくて、『生まれた』のかも知らん。……。
じゃああなたの意見を聞きましょう、この娘は何なんです? 時計さ。そうは思えませんが。この娘がこの島に現れたのは、この娘が時計以外の何ものでもないからだ。その理屈はどうでしょう。例外があるかね。さあ? それみろ。しかし、先例をすべて調べるというわけにも。ふうむ。むしろこの娘の時計としての資質を試せば、それで済むことではありませんか? それもそうだ。ねえ、ちょっとあなた。
「わたし?」
「ほかに誰がいるというのかね、エヘン」
「ちょっと、そういう言い方はよしてください、ええとですね」
「なにかテストでも受けろって感じね」
「そういうことです。試験官はこのわたくし」
「どんなテスト?」
「これから頭の中で、一分の長さを計っていただきます。わたくしがスタートといったら耳を塞いで、ちょうど一分後に一分! と叫んでください。誤差が一秒以内なら、まあ合格としましょうか」
「ずいぶん安易なテストだな。それに時計というよりストップウォッチのような」
「やらないよりはマシでしょう。とりあえずテストをやったという実績が欲しいんなら、こんなもんで十分ですよ。まともな時計なら、こんなテストくらい簡単でしょう」
「それは私へのあてつけかね」
「え?」
「あのすいません、なんで耳を塞ぐんです?」
「あ、わたしのチクタクが聞こえてしま……ちょっと、なにするんですか」
「日時計を馬鹿にしよって。時計は絶対時刻を正確に示すのが仕事だ。お前らのように相対時刻の中に住んでいるやつらはどうしてこう」
「まま待って下さい、気に障ったんなら謝ります」
「耳を塞ぎますね?」
「だいたい機械時計なんてのは貴様のような……」
「ムッ、なにを失礼な。あなただってどうせ経度……」
「……! ……!」
「……! …………?」
「……!」
「…………………、……。……! …………!」
(あの、ちょっと)
「……! …………!」
(危ない!)
「…………」
「……!」
「」
パップー、パップー、パップー、パップー、パップー、パップー
「あの、テストのほうは一体」
「ああん?」
パップー、パップー、
「ちょっとハト時計さん、ハトさん、」
パップー。
「気絶しとるよ。まったく気に食わん奴だ。だいたい時計ってのはもともと」
「あたしのテストは」
「正午が基準で、正午ってのはつまり南中時刻、これがわかるのは」
「あの……」
「チックタック、くだらん、実に」
「怒りますよ?」
娘が少し口調を変えた。ここでようやく日時計は肩をすくめる。
「ふん、止まっていようがずれてようが時計は時計だ。いまこの役立たずを時計と呼ぶなら、あんたがそうでないなんて誰に言えるね」
「いったい何のお話です?」
「合格ってことさ。この日時計のお墨付きでな。ハトが起きたら言っておくよ」
「なんだかよくわかりませんが、ありがとう」
「勘違いするなよ。あんたが本当に時計かどうかは、われわれではなくこの町が決めることだ。住民不適格だとしたら、早晩、運命のやつが君をここから追い出すだろう。もうひとつ、ここには人間がほとんどいない。暮らすのは大変だぞ。仕事も見つける必要がある」
「はあ」
「まあ、せいぜい頑張るんだな」
伝え聞くところによると、娘はそのあと腹時計のところに相談に行ったらしい。だが島唯一の人間を自負していた腹時計は、この新参者に冷淡だった。にべもなく追い払われた娘は、だが、腹時計が時計修理人の看板を揚げているのを見て、思うところあったに違いない。彼女はそれ以上の相談相手を求めることなく、難なく生計の道を見いだしたからだ。娘には腹時計のような技術はなかったが、商売はワザだけでやるものではない。
娘は港のそばに小さな部屋を借りて(どうやって借りたのだろうね?)、入り口に小洒落た看板を出した。
『あなたのゼンマイ、巻きます』
あなたの、である。よりによって『あなたの』。
最初の客がやって来るまでに数日かかった。だがそれを過ぎると、噂が噂を呼んで、店はたちまち繁盛した。
ここに典型的な客の例を挙げよう。
「ゼンマイなんて誰が巻いたって同じだろ?」「いやいや、わかってないね、あの爺さんに乱暴に巻かれるのよりかは、よほどね」「ってもよ、巻きすぎで機構を痛めたりとか、鍵を握った手がぶれるとか、やっぱり不安じゃねえか、爺さんその辺しっかりしてるからよ」「壊れて困るようなムーブメントかい」「そりゃ困るさ」「わかってねえなぁ、コッチ、コッチ、永遠に同じことやってたって芸がねえ」「そりゃあお前、さすがに言い過ぎじゃねえか」「お前それでいいのか、故障しないのがそんなに偉いか」「故障はするさ、むしろ俺はお前より」「でもお前は壊れやすい特殊機構が自慢なんだろ」「そりゃそうさ」「だったら……」
ガチャリ。
「あら、おはようございます」
「あ、ああおはようさん」
「どうも」
店の前でがなり合っていたのはオルゴール時計と自動巻き腕時計だった。ゼンマイに関して淡泊な感想を述べていたのが自動巻き、それに反論していたのがオルゴールだ。オルゴール時計はこの店の常連、自動巻きのほうはただの冷やかしだったが、朝も早よから店の前にたむろなんぞしているのは、やはりこの新住人に多大な興味があるからであった。
(可愛いじゃねえか)
(おうよ、これからあの娘に一曲聴かせようかと思ってな)
(これから?)
(俺の持ち歌は4曲だ。朝八時のやつが一番爽やかなんだよ)
(あと1分か)
「開店は9時からですよ。またあとでお会いしましょう」
(あっ)
ガチャン。
(……)
チック、タック、チック。
(……)
ポンポロポロポンパラピンパロポロ
(やめろ恥ずかしい)
ポンポンポロピロ。
(やめろよ馬鹿)
(……)
ポンポロ。
(……泣くなよ)
(……)
ポロロンロ。
罪なき時計たちの心をこうまで乱した娘だったが、むろん自動巻き時計のようにゼンマイを必要としない者も多いし、またゼンマイ式であっても、この店を贔屓にしない向きが当然あった。しかし無骨な老人の手で巻かれることに慣れた古時計たちにとって、弱く柔らかい指で巻かれるバネのたどたどしい振動は、空洞のボディに一種淫靡に響いたようである。とくに首から巻き鍵を提げた大型の時計たちは、臆面もなく日々この店に通った。キイをそっと鍵穴に入れる瞬間が、何ともいえぬ快感なのだそうだ。そういう仕組みを持たぬ時計たちの間では、彼らのゼンマイ屋通いを破廉恥なものとして白い目で見る空気があった。が、休むことなく時を刻むことを課された彼らだ。日常の区切りに小さな楽しみを求めたとしても、誰がそれを責められよう。もっとも大型のクランク式巻き機を持参して、店の前の路上で巻いてくれと頼み込んだ塔時計のような輩には、さすがに味方する者がなかったようだが。
くどくなった。話を先に進めよう。
このように一躍街の有名人となった娘だったが、われらが紳士目覚まし時計、何がわれらのなのかわからないが、とにかくわれらの主人公たる目覚まし時計君は、最初の半年娘の店に現れることがなかった。目覚まし時計はゼンマイ式だったが、ベルを鳴らす機構とバネを共有していたために、毎朝必ず一杯まで巻き直さねば散歩もままならなかったのである。そのために、昼間はむしろ充実した動力でもって街を闊歩することができた。昼もひなかにゼンマイを締め直すなど、彼にとってこれ以上無意味なことはなかった。
だが残念なことに、目覚まし時計は紳士だったのだ。
ある日、街中でついにこの二人が出くわした。邂逅、などという素敵な言葉を使ってみたいところだが、この時点では二人の間にはまだ特別な感情はなかった。物語の都合にあわせて事実を曲げるのは好ましくないから、ここではただ出くわしたとだけ言っておこう。娘は市場へ行く途中、目覚ましは散歩の帰りだった。
「あら、」娘が言った。
「目覚まし時計さん? あのときはお世話になりました」
急に呼ばれた銅製の体が、片脚を突いてくるくると回る。やがて娘に気がつくと、目覚まし時計は浮かせた脚を石畳に降ろし、回転をとめた。
「やあ、君はあのときの」
「どうも」時計の挨拶に、娘が微笑みを返す。
「ずっとその恰好なのかい?」言い忘れたが、娘はこの半年というもの、ずっとパジャマのままなのであった。
「ええ――、実は。スリッパは見つけたんですけど」
「人間むきの服なんて、ここじゃなかなか手に入らないもんなあ。港で船が来るのを待って、巻き尺かマールサシにでも注文するといい。何ヶ月かかかるだろうけど、彼らは人間の土地にも寄港するからね」
「いえ、この恰好でいいんです。わたし、普通の服に着替えたら、この土地にはいられなくなるような気がして」
「ほう? そんなもんかね? なぜ?」
「それは――、?」
不思議な話である。このときに至ってさえも、なぜ娘がこの土地に住めるのか、はっきりと知る者はまだなかった。娘は自分の直感に頼るほかなく、直感はただちにインスピレーションを呼んで、語る言葉は意味のないお喋りへと発散していく。被服の話に始まって、ここでの生活のこと、食べ物のこと、時計たちのこと、会話は小鳥のさえずりのように途切れることなく続いた。くしゃみの気配が彼女の前を横切るまで。
くしゅん!
「すまない、長話に付き合わせてしまって」目覚まし時計は詫びた。
「いえ、いいん――くしゅん! いいんです、あたし、くしゅん! あたしのお喋り、でしたから」くしゅん!
目覚まし時計はガラスを曇らせた。
「風邪をひいてしまうよ。帰って暖かくしておいた方がいい」
「ああ、でも――」くしゃん!「市場へ、いかないと」
「ああ、そうか。じゃあ、必要なものを教えてくれたら、僕が買ってきてあげるよ。あとで港の近くを通るし、」
「え? でも」
「そのときに届けよう。何を買えばいいのかな」心なしか、時計の秒針が力強く動いた。次のカチッを力を貯めてコチッ、待つようにカチッ、抑えるようにコチッ、
「……人参とブロッコリーなんですけど、あるかしら」
「それは、どんな部品?」
一時間後、目覚まし時計は娘の店のドアを叩いた。娘はパジャマの上からカーディガンを羽織り、いかにも風邪引きという肩の丸め方でドアを開いた。目覚まし時計の差し出したカゴの中には、人参とブロッコリー、そして蜂蜜の瓶が入っていた。目覚まし時計は蜂蜜について、やや照れながら、露天のあるじがサービスをしてくれたのだと説明した。もちろん娘にはその嘘がすぐにわかった。娘の目には、買い慣れぬものを求めて市場でくるくると回転する危なっかしい時計の姿が、またやっと見つけた赤緑の野菜屋の親父に、人間の食べ物についてアドバイスを求める頼りなげな姿が、意識するともなしに浮かび上がった。
「寒いでしょう、お入りになって」
娘の指は差し出されたカゴをすり抜けて、冷たいクリスタルガラスの表面に触れた。部屋の中は暖かく、ガラスはたちまちのうちに曇ってしまった。
モノと人間との間に愛は成立するか。もちろん、する。道具は道具と言いながら、ひとはわが身をとり巻くさまざまなモノに愛着を感じるし、じゅうぶん大事にされた道具は、その機能でもって持ち主に応える。モノの大小、持ち主の性格、いろいろなケースがあるとはいえ、我々の経験はこの命題を、強く肯定しているといわざるを得ない。だが、それ以上の関係もありうる――というと、あなたは信じるだろうか? そう、冒頭で述べたように、この二人、機械と人間でありながら、同時により純粋な『法則』が支配する天上の住人は、数ヶ月後に結婚という、時計島史上前例のない関係を結ぶに至ったのである。これは全住民を驚かせた。式は時計の街の大広場を貸し切って(ほかに用途などないのだから、そういうこともできたのだ)、五日間にわたり盛大に執り行われた。グリースと界面活性剤が振る舞われ、この滅多にないイベントのために、腹の中のスプロケットを交換したものまでいたそうである。そう、めったにない――最初で最後の――大イベント。時計の島のお祭り騒ぎ。
そして式の三日後に、目覚まし時計は自殺した。




