表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
EscapeGoat  作者: 鈴木崇嗣
9/27

ACT.7 生け贄の価値



西暦4192年4月1日。

内通者(スパイ)確保の一報(いっぽう)から2週間が過ぎた今日。

(かなどめ)(みお)(仮)に壮絶なる拷問(ごうもん)(ある)いは惨殺の限りを尽くし続け、人前に一切(いっさい)姿を見せなかった源以(げんい)が職員達の前に現れた。

その(かたわら)精神(こころ)を破壊されナノマシン・ジャックの被験体(ひけんたい)となった(かなどめ)(みお)(仮)を引き付けれながら、悪びれる事なく(ぜん)とした姿で三課(さんか)に向かう(さま)はまさに魔王の凱旋(がいせん)(ごと)し。

同時に敵対勢力と言えど職員達からある種の(あわ)れみを一身(いっしん)に受けた(かなどめ)(みお)(仮)も、源以(げんい)にベッタリと()()いながら三課(さんか)に入って行く。

日本政府に対して、福祉技研(ふくしぎけん)に対して、なにより源以(げんい)に対しての強烈な敵対心を燃やしていたであろう女のあまりの豹変(ひょうへん)ぶりに人間の乗っ取り(ナノマシン・ジャック)の恐ろしさを痛感した職員の中には目眩(めまい)を起こし、その場で倒れ込む者まで出る始末。

だが福祉技研(ふくしぎけん)の中にいながらこの騒動を一切(いっさい)知らない者もいた。

フォシルである。


「あれは・・・まさか源以(げんい)の彼女!?」


「バカ!そんなわけないでしょ!?(あき)らかに年の差がヤバい事になってんじゃん!もしそんな事があったら彼女と言うよりも公開不倫だよ!!」


「そ、そうですよね・・・だったらあの人は?」


「世の中には知らなくてもいい事だってあるの。それとも何か?所長が(うらや)ましいのか?フォシルには私やアーティがいるじゃんよ」



休憩スペースの一画(いっかく)、フカフカすぎて逆に腰が痛くなると(うわさ)されるソファーにどっぷり()もれながら(かえで)は冗談()じりに話題を()らすべく何気(なにげ)ない一言を放つ。

刹那(せつな)テーブル越しにキラキラした視線を感じた彼女が横目でチラッとそれをたどると、そっぽを向いて対談していたハズのフォシルが何かを期待したような目でコチラを見つめている事に気付かされる。

ため息1つ投げ捨てて最高に面倒臭さそうな表情を浮かべながらも(かえで)は無言を貫き通し、(となり)に座っていたアーティの背中を力任(ちからまか)せに押し立たせフォシルの前に()し出した。


「該当データ、フォシルは異性との性交渉(せいこうしょう)を望んでいると判断。対象の危険度を8に引き上げ、貞操(ていそう)の守備を固めます」


「わあぁあぁぁ!?みんなの前でなに堂々と言ってんだよ!?」


「アンタらさぁ・・・ちょっと景勝(かげかつ)に毒され過ぎてんじゃないの?シャワーでも()びてウィルスを落として来いチビ(かつ)共め!」



ソファーで()()り返り、冷たい目でフォシルを見下した(かえで)心境(しんきょう)は、まさに冷え切っていた。

この1ヶ月でフォシルという人間をプロファイリングした結果、(かえで)の中に出来た彼のイメージはおとなしそうに見えて(じつ)はむっつりスケベの奥手型。

そのクセ一度考え込むと自分が納得するまで追求したがる面倒臭さを()ね備えた人間味(にんげんみ)(あふ)れる童貞(どうてい)君。

(よう)するに人間(オリジナル)だとか()(にえ)だとかそんな事は関係なく(かえで)にとってフォシルは相思(そうし)の親友であり、彼女がとった冷たさの正体も彼を特別(あつか)いしない事を体現(たいげん)した優しさの裏返し。

それを知ってか知らずかフォシルも"(みなと)さんも一緒にシャワーを──"などと言い出し、必殺の飛び()りを食らう始末。

周りの心配をよそに本人達は(じつ)()()きとしているが、フォシルという存在はあくまでもEscape(エスケープ)Goat(ゴート)遂行(すいこう)する為に必要なキーパーソンであり、後にも先にも代用の効かないキーパーツそのもの。

その絶対的価値(ゆえ)、本人に自覚がなかったとしても(かえで)暴挙(ぼうきょ)福祉技研(ふくしぎけん)職員達の他、一部の政府官僚(かんりょう)達にとってもまさに(きも)を冷やす一大事件だった。

これを例えるなら(まぼろし)の未確認動物ツチノコに()りを入れるようなモノ。

源以(げんい)直々(じきじき)の命令でフォシルの全てを(まさ)されているとは言え、こればかりは不安と不満の声が出てきても(いた)(かた)ない。

だがそれを源以(げんい)に言える者など誰1人としていなかった。

アーティに守られつつもソファーから転げ落ちるフォシルを横目に、三課(さんか)演算(えんざん)室では源以(げんい)銑十郎(せんじゅうろう)が洗練されたナノマシン・ジャックのデータを吟味(ぎんみ)するのと同時進行で(かなどめ)(みお)(仮)が本来持っていたナノマシン情報の解析も行われていた。


「これが(かなどめ)君に偽装する為に凍結した、いわば彼女本来のナノマシンか。Nコードで凍結されているようだがDコードを使って解凍したまえ。なにがあるとも思えんが目を通しておこう」


デジタルディスプレイの前、メガネを光らせながら物凄(ものすご)い速さで演算(えんざん)を開始する白露(はくろ)に続けと三課(さんか)職員達も源以(げんい)の指示で作業を開始する。


「これからどうするつもりだ?死の遺伝情報(ゲノム・オブ・デス)が完成して、今まさにナノマシン・ジャックも完成しようとしている。早ければ数時間後には俺達は未来(げんだい)()ける究極の武器を手に入れる事になる。タイミングとしても日本政府から新しい指令が(くだ)ったばかりだろ?すぐにでも動くか?」


()いては事を仕損(しそん)じる。死の遺伝情報(ゲノム・オブ・デス)(つなし)君のナノマシン情報と死神(しにがみ)ウィルスのデータを(もと)に造られた、いわば"模倣品(もほうひん)"。完成度で言えば6割弱の代物(しろもの)・・・現段階ではまだ物事の基礎が出来たに過ぎん。死神(しにがみ)ウィルスが人為的なモノである場合、(すで)に対応策も作られているハズだ。つまり今のまま動けば何者かに我々に手の内を見せるも同じ事になる・・・違うかね?」


「慎重になり過ぎて出遅れなければいいがな。それとお前の求める10割と言うのは何を()ってして完成と言えるんだ?」


「その答えにたどり着くには死神(しにがみ)ウィルスを理解せねば話にならん。アレには不明な点が多くてね。無作為(むさくい)に対象を選んでいるのか(ある)いは狙っているのか。もし後者だとした場合、その感染経路はなんなのか。物理的なモノなのか、ナノマシンリンクを応用した外部からの操作なのか・・・おかげで私も退屈せずに有意義(ゆういぎ)な時間が過ごせるよ。つまり死の遺伝情報(ゲノム・オブ・デス)の完成とは狙った対象を外部から確実に死滅出来てこそと言えよう」


「・・・確かに、現状死の遺伝情報(ゲノム・オブ・デス)が効力を発揮(はっき)する為の条件は限定されすぎている。物理的に対象の体内に注入(ちゅうにゅう)した時に初めてソレはナノマシンに異常をもたらす。逆に言えば物理的にナノマシンと結合させない限り発症はしない」


「付け()すなら死の遺伝情報(ゲノム・オブ・デス)はまだ完璧に制御しきれていないのだよ。対象を殺すまでの期間を設定する事は出来ても瀕死(ひんし)(とど)めておいたり弱らせるだけと言った器用なマネができん」


「改めて見れば課題は山積みか」



二大巨頭(にだいきょとう)が議論を繰り広げる中、ものの数分で(かなどめ)(みお)(仮)のナノマシン情報を解析した三課(さんか)職員達が源以(げんい)の前にソレを()し出した。

当初の予想通り、そこに目新しいモノはなに1つ存在しないが源以(げんい)の目から見て1つだけ"面白いモノ"が(しる)されたナノマシンを発見。

長い付き合いだからこそ読み取れる彼の表情の(わず)かな変化が気になった銑十郎(せんじゅうろう)はテーブルから身を乗り出して資料を(のぞ)き込む。

そこに(しる)された情報の意味を理解したのち2人は複雑な顔で見合わせた。


「これが解放者(リベレータ)全体に言える事かどうかは知らんが彼らの言葉を()りて言えば、私は(すで)に"(おろ)かなる諂曲(てんごく)修羅(しゅら)"とでも言っておこうか」



同日の22時。

とっくに定時を迎えた福祉技研(ふくしぎけん)内部はガラリと雰囲気(ふんいき)が変わり、不気味な静けさに(つつ)まれていた。

夜間勤務の職員達がカサカサと動き回る中、源以(げんい)から依頼されたナノマシン・ジャックの洗練をキリのいいところまで終わらせる為に約3時間の残業をこなした白露(はくろ)も遅れながら1人帰宅の準備をしていた。

その最中(さなか)、彼女は不意(ふい)に誰かの気配を感じ取りパッと顔を上げて辺りをキョロキョロ。

わざわざこんな時間まで残ってる物好きと言えば()(さき)景勝(かげかつ)を想像するが、意外にも視界に入ってきたのはショルダーバッグを下げた(かえで)の姿だった。


「・・・?」


白露(はくろ)・・・今日これから時間ある?」



特に予定もなかった白露(はくろ)が小さく(うなず)くと(かえで)に先導されるまま福祉技研(ふくしぎけん)近くの路地裏、しかもかなり遠慮がちに(かま)える小さな飲み屋へと連れてかれていた。

まだギリギリ未成年の(かえで)のチョイスに白露(はくろ)(あわ)てふためくが、基本押しに弱い彼女は説得(むな)しくあれよあれよと店内(はし)のテーブル席に座っていた。


「なんで白露(はくろ)が緊張してんの?アンタ22でしょ?別に大丈夫だよ、お酒なんか飲まないし」


「・・・」


「違うの。ただ雰囲気に飲まれて誰かに悩みを打ち明けたかっただけ。こんな事さぁ、本当は誰かに言う事でもないんだろうけどさ・・・プチ女子会だと思って少し聞いてよ」



(かえで)の行動の理由を知った白露(はくろ)はそれ以上なにも言わなかった。

彼女の優しさを理解した(かえで)は一言だけ"ありがとう"と答えると未成年らしくオレンジジュースを注文する。

ここで面白いのが未来(げんだい)()ける金銭(きんせん)のやり取りである。

人類史上最初の"お金"は綺麗な貝殻(かいがら)から始まり、古代メソポタミア時代で本格的な金銭へと姿を変え、西暦2800年頃まで紙幣や硬貨として流通してきたとされる。

しかしそれらを製造するコストと物価が釣り合わず、また物体として存在する事から物理的な犯罪も(あと)()たなかった為、遂には西暦3000年代初頭(しょとう)に"物体としての金銭(きんせん)"は完全に(すた)れてしまった。

そして未来(げんだい)()いて(すた)れてしまった金銭(きんせん)の代わりになるモノが"Q"と呼ばれる世界共通のナノマシン情報単位である。

Qは個人情報と共にナノマシンにより管理され様々な(おこな)いに対する対価(たいか)として増減される。

これにより個人が管理するQはその個人のみ使用する事ができ盗難(とうなん)窃盗(せっとう)紛失(ふんしつ)といったトラブルを事前に回避し、なおかつ特定の条件を満たせば他人に付与(ふよ)する事もできる為、逆に紙幣や硬貨を使っていた時代が不便(ふべん)で仕方がないとまで(さげす)まれQは人類史上最後の大発明とも言われている。

そんなQの使い方を(かえで)の例に()げれば目の前に展開されたデジタルディスプレイに触れてオレンジジュースが(とど)いておしまい。

非常に簡単である。


「・・・飲みたかったら、お酒でも頼んでいいよ。私は飲めないだけだから」


「・・・」



その後、(かえで)のオレンジジュースと白露(はくろ)が頼んだ香草系リキュール、アイリッシュミストが(とど)いたところで2人は乾杯(かんぱい)

大ジョッキになみなみと(そそ)がれたオレンジジュースを一気にグラス半分まで飲み()した(かえで)は今の心境(しんきょう)白露(はくろ)に打ち明ける。


「なんとなくわかってるとは思うけどさぁ・・・悩みってフォシルの事なんだよね」


「・・・」


「いや、そうじゃないの。(むし)ろ逆だよ・・・所長も言ってたけどアイツってほら・・・()(にえ)として生かされてるでしょ?それなのに・・・なんでフォシルは、あんなに()()きとしてんのかなぁって」


「・・・?」


「普通さぁ・・・自分が殺されるってわかってたらさ。もっと自暴自棄(じぼうじき)になったり誰かに()()たりしたりとかすると思うの。なのにアイツ・・・毎日毎日"(みなと)さん"って私を呼ぶの・・・なんかさぁ・・・それがさぁ・・・フォシルを裏切り続けてるみたで・・・(つら)くてさぁ・・・!!」



ガヤガヤとした店内の雰囲気を打ち砕くように震えた声でフォシルに対する思いを()げた(かえで)は突然(うつむ)き、そのままポタッポタッとテーブルに大粒の涙を(こぼ)しながら泣き出してしまった。

実質フォシルと(もっと)も長く時間を共有しているのは(かえで)その人であり、フォシル自身も彼女の事を誰よりも信頼していた。

その為(かえで)源以(げんい)すら知らない彼の素性(すじょう)を知る唯一(ゆいいつ)の人間として2人は互い違いに(さら)し合いを続ける中で今の関係を(きず)いていった。

人としての(きずな)が深まれば深まるほどフォシルが殺される未来を否定したくなるのも人の(じょう)

だがそれは変えようのない決定事項(さだめ)・・・天命を(まっと)うして()くのならある程度の覚悟も出来ようが彼の最期を決めるの日本政府と源以(げんい)である。

1分1秒が過ぎゆく(たび)にフォシルの死が着実に近づいて来るような不安と恐怖。

ナノマシンの(はい)った未来人(げんだいじん)ならデータ上で生きながらえる事もできようが人間(オリジナル)は死んでしまえばそれまで。

あとは記憶の中でのみ生きる愚像(ぐぞう)と化す。

1秒でも今を過ぎれば、それは(すで)に過去となり"彼という存在がいた"となってしまう未来の光景が(かえで)にとっては怖くて仕方がないのだ。


「別に自惚(うぬぼ)れてるわけじゃないけど・・・その・・・フォシルってたぶん・・・私の事・・・好きなんだと思うの。そういうバレバレのオーラを出すヤツって、どこにでもいるでしょ?でも私とアイツとじゃ存在する次元が違うと言うか・・・」


「・・・」


「好きは好きだよ・・・LoveじゃなくてLikeの方だけどさ・・・それでも・・・(つら)いよ・・・」



その後も(かえで)の言葉を聞き続けるうちに白露(はくろ)得体(えたい)の知れない違和感と疑問を(いだ)いていく。

彼女が感じた違和感の正体、それは(つら)(つら)いと(なげ)(かえで)に"明確(めいかく)な自分の意思"が一切(いっさい)見えなかったからだ。

(つら)いから彼女はどうしたいのか?

逃げたいのか、乗り越えたいのか、それとも何も考えられないのか。

ナノマシン制御があろうとも未成熟な(かえで)の精神は知らず知らずのうちに(けっ)して()けられぬ親友の死というモノからくる重圧に(おか)されている。

つまり彼女の言う悩み相談とは無意識下で誰かに助けを求めるSOS信号だと白露(はくろ)は気付いた。

死に()く者に対して何もしてやれない無力感。

今という日々が2度ともどって来ない事に対する恐怖。

未来を悲観(ひかん)し、自分で自分を追い込んでいく()の連鎖に(おちい)った(かえで)の心を救う為に今、自分に出来る事はなんなのか。

グラスに残ったリキュールを飲み()し、(うつむ)きながら泣き続ける(かえで)に顔を上げるよう言葉をかけると白露(はくろ)はビン底メガネを(はず)して目線を合わせる。

美しくも禍々(まがまが)しい深緑のオッドアイに静かなる炎を宿(やど)した白露(はくろ)の瞳を見据(みす)えて、(かえで)は彼女の言葉を待った。

本当は心のどこかでこの瞬間が来るのを待っていたのかも知れない・・・何がわからないかもわかっていない自分自身に対する答えとして。

そして白露(はくろ)痛烈(つうれつ)ながらも的確に"彼に対して何をしてあげればアナタは納得するの?"と(かえで)の苦しみを切り取り問い掛ける。


「わからない・・・わからないよ!だから(つら)いんじゃんよ!!」



やり場のない怒りをぶちまける(かえで)の脳内にナノマシンリンクを(かい)した白露(はくろ)の声が響き渡る。



(わからないのはアナタ自身がフォシル君を恐れているからよ。彼がアナタに何を求めているのかも知らないで、理解しようともしないで(つら)(つら)いって(なげ)くだけなら、それはアナタのエゴよ。アナタは彼に自分のエゴを押し付けてるだけ)


「知ったような口を聞くな!白露(はくろ)にとってはただの()(にえ)だろうけど私にとっては"親友"なんだよ!それを何がエゴだ!ふざけるなよ!!白露(はくろ)に ・・・白露(はくろ)ならわかってくれると思ってたのになんなんだよ!!」


(ならフォシル君に聞いてみたら?彼がアナタに何を求めているのかを。親友だから何かしなきゃイケないなんて誰が言ったの?(おご)るのもいい加減にしなさい!もし彼がアナタに何も求めていなかったらアナタの友情はそれまでなの?違うでしょ?)


「そんなの・・・そんな・・・」


((かえで)・・・自分を追い込みすぎよ。こんなになるまで、どうして誰にも言ってくれなかったの?所長や(やなぎ)さんには話せなくても、近くに三佐(さんさ)さんや景勝(かげかつ)さんだっていたでしょ。もし女同士じゃなきゃ難しいって話だったら私がいたじゃない。今までも、そしてこれからもアナタの(となり)にいるから・・・(つら)くなったら、いつでも言っていいの。アナタがフォシル君を弟だって言ってるのと同じで、私にとってアナタは可愛(かわい)い妹なの。それに3つ上の経験は伊達(だて)じゃないわ)



その言葉に(かえで)は泣いた。

心の奥底から(あふ)れ出た涙は頬を(つた)い、(かわ)ききった木製のテーブルを(ことごと)(うるお)した。

その後、(かえで)白露(はくろ)に問い掛けながら自らの気持ちを理解していく。

10分、20分と時間が経つにつれ泣き顔を(さら)していた彼女の表情にも笑顔がもどり、時刻が深夜0時を過ぎた頃には福祉技研(ふくしぎけん)随一(ずいいち)(にぎ)やかしとしてのポテンシャルを取りもどしていた。

一方の白露(はくろ)はリキュールがジワジワと効いてきたのか頬杖(ほおづえ)を付きながら、とろ〜んとした妖艶(ようえん)な表情を浮かべている。

(とお)しの小松菜と追加で頼んだナスの一夜漬けを(はし)(つつ)きながら雰囲気(ふんいき)と酒に飲まれ、珍しく饒舌(じょうぜつ)になった白露(はくろ)はひょんな事から(かえで)に新たな話題を提供してしまうのだがそれはまた別の話。

こうして日付も変わり4月2日の午前3時を迎えた頃2人はようやく帰路(きろ)に着く。

まだまだ闇の(とばり)が辺りを支配する中で白露(はくろ)に甘えながら()()(かえで)の後ろ姿だけが一際(ひときわ)輝いて見えた。


白露(はくろ)・・・」


「・・・」



それから7時間後の午前10時。

昨日の飲み会を引きずる事なく気怠(けだる)そうに出社した(かえで)は、とりあえず三課(さんか)の前を通り過ぎると同時に白露(はくろ)の姿を探してみる。

彼女の定位置は三課(さんか)入り口から対角線上、一番奥の(かど)

大きな観葉植物がちょうど目線の高さ、絶妙な位置に()らした扇状(おうぎじょう)の葉っぱとの陣取り合戦を余儀(よぎ)なくされる場所にいた。

(かえで)は彼女に気付いたが向こうはビン底メガネのせいで表情や視線がわからない上、葉っぱがカムフラージュとなって辺りの景色を遮断してしまっている。

が、なんとなく2人は目が合ったような気がした。

それから日課である銑十郎(せんじゅうろう)の診断を終えたフォシルと合流、昨日の白露(はくろ)の言葉を胸に(かえで)はさりげなくフォシルに"今望む事"を聞いてみる。

するとフォシル目線を()らしたりモジモジと女々(めめ)しく言葉に()まったりを繰り返しながら何かを(つた)えようとするも、一向(いっこう)に話は進展しない。

ある意味で生け贄(じぶん)の立場を理解しているフォシルからしてみれば難しすぎる質問だったかも知れないと少しばかり不安になる(かえで)だが、それでも聞いておかねばならない事だと迷いを()(はら)う。

そして死に()運命(さだめ)にある者としてフォシルが願った事とは(かえで)の予想の(はる)か上を突き抜けた答えだった。


「じゃあ・・・(みなと)さんの事を・・・その、名前で呼んでいいですか!?」


「・・・は?」


「あっ、いや・・・三佐(さんさ)さんとか景勝(かげかつ)さんとか駿河(するが)さんも(みなと)さんの事を名前で呼んでるじゃないですか。だからその距離感に()み込みたいなぁって・・・べ、別に変な意味とかはないですよ!?」


奥手な青年からすれば異性を名前で呼ぶ行為は(けっ)して簡単な事ではない。

ましてやそれが限りなくLoveに近い感情を(いだ)いているならばなおの事。

だが願ってもないチャンスを前にしてフォシルの中に眠る、ひと握りの益荒男(ますらお)精神が(うな)りを上げて自分の(から)を打ち砕く。

誰もいない地下通路のど()(なか)何処(どこ)となく顔全体を(あか)らめたフォシルは1対1でその想いを(かえで)()げた。



「しょうがないなぁ・・・なんだかよくわからないけど特別に許可しよう!それと、その妙に(かしこ)まった喋り方もやめるか!別に礼儀作法(れいぎさほう)なんて最優先じゃなくてもいいと思ってるし。だから私の事はフレンドリーに(かえで)って呼んでくれていいよ」


フォシルの望みは思わぬところまで発展した。

どういう風の吹き回しかは知らないが(こよみ)も4月を迎えた今日という日の季節は春。

つまりコレは草木が()ゆる春の風。

約2000年という(なが)きに渡る沈黙(ちんもく)()て、遂にフォシルの世界に春が来た。

脳天を突き破り、頭から色鮮やかなラナンキュラスが咲き乱れそうなこの(あたた)かさ胸に(いだ)早速(さっそく)フォシルは彼女の名前を呼んでみる。


「か、(かえで)・・・さん・・・」


「なんか硬いな?ってか、そもそもで言えば恐れ多くも、あの所長を源以(げんい)って呼んでるクセに・・・それとも私と君の距離感は所長以下なのかねフォシル君?」


嬉しさ65%、戸惑い20%、躊躇(ためら)い15%で構成されたフォシルの心境(しんきょう)を見抜いた(かえで)は、その35%分のマイナスを断ち切るべく()えて源以(げんい)のマネをして場を(なご)ませようとする。

遠慮がちなフォシルが唯一(ゆいいつ)牙を()く相手に()りすませばと考えた彼女の狙いはビンゴ。

ひどい棒読みながらも必死に平常心を演じるフォシルを嘲笑(あざわら)い、(かえで)華麗(かれい)なターンを決めて背中で語る。


「フォシルは私達の事をどう思ってるの?」


「どう思う・・・?」


「たとえばだけど私達がいなければフォシルは、こんな目に合わなかったんだよ?福祉技研(ふくしぎけん)なんてモノがなければフォシルは自分の時代で遊んで、恋して・・・夢とかやりたい事とかあったでしょ」


「そういう意味で言ってるんだったら、なんだろ?ほら、俺ってさ・・・その頃の記憶が(ほとん)ど無いって言うか、自分の事を思い出せないって言うかさ。それに源以(げんい)が言ってたけど俺は冷凍冬眠(コールドスリープ)されて未来(いま)にいるんでしょ?その頃には福祉技研(ふくしぎけん)なんてなかっただろうし逆に言えば福祉技研(ふくしぎけん)があって源以(げんい)達がいたからこそ俺は"今を生きる"事が出来るのかなぁって。もしかしたら俺は、その時代でとんでもない悪党だったのかも知れない・・・でなきゃ冷凍冬眠(コールドスリープ)なんてさせられなかったと思う。確かに福祉技研(ふくしぎけん)、特に源以(げんい)には色々思うところはあるけど・・・でも、こんな目に合わなきゃ(かえで)に会えなかったって考えると・・・それはそれでよかったような気もしないでもないような・・・」


「・・・0点!!」


「えぇっ、なにが!?」


「該当データ、女性を泣かせる男は最低。口舌(こうぜつ)の刃で(みなと)(かえで)の精神を攻撃し、泣かせたフォシルの言動は最低の一言です」



人気(ひとけ)のない通路の曲がり(かど)、ひょっこりと現れたアーティが不意(ふい)に言葉を放つ。

フォシルの定期診断と同じく、2週間に1度の機体調整、AIの学習内容などのチェックを終えたアーティは大至急マスターとの合流を(はか)ると同時に周辺警護の為ナノマシンリンクで(かえで)の波長を解析。

結果、彼女が背を向けたまま泣いている事を認識し、その事をフォシルに()げる。

"なんで!?"と混乱するフォシルを放置して(かえで)(せま)い通路を猛ダッシュ、一切(いっさい)()り返る事なく立ち去ってしまう。

去り行く彼女を引き止める以前に処理すべき事が多すぎてフォシルは指先1つ動かなかった。

"あ、あぁ・・・"と()の抜けた声を()らすフォシルは当然、彼女の涙の理由など理解してはいない。

無論それが誰の為に流された涙なのかも。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ