ACT.5 その思想は正義か悪か、人類を導く解放者
西暦4192年3月15日。
この日の福祉技研はなにやら異様な騒がしさに包まれていた。
妙に殺伐とした雰囲気の中、1人の訪問者が受け付けを通過してメインフロアへとやって来る。
男らしい短髪にパリッとした黒いスーツで身を包んだその人の名は"近衛重徳"。
職業は国務大臣兼、国家安全保障会議の議員であると同時に現内閣総理大臣比御蔵将の腹心として国家特務警察軍を束ねる隊長でもある。
そんな肩書を持つ日本国の重鎮が裏の非合法組織に単身で乗り込んで来たともなれば、ここの職員達も気が気ではいられない。
迂闊に関われば首が飛ぶどころでは済まされない相手を前に、なんとか平常心を保とうと尽力する職員達を代表して重徳の前に立ち塞がったのは銑十郎であった。
「要件は誰宛ですか」
「社会福祉法人 技能開発研究所の代表兼所長、松永源以に用がある」
「・・・わかりました。松永の所まで私が案内致します」
これで福祉技研も終わりか・・・職員達が覚悟を決める中、銑十郎に連れられ重徳は3階、所長室前へと到着。
案内を承った銑十郎に軽い会釈をして2人は解散。
所長室との区切り、深い色合いを演出する黒檀の2枚扉を見つめながら重徳はゆっくりとソレを開く。
シックな作りの部屋の最奥、福祉技研の玉座に腰掛ける源以の姿を発見。
遠くからでもわかる圧倒的眼力と、常軌を逸した恐怖の風格を醸し出しながら源以は重徳を、重徳は源以を見つめ互いにピクリとも動かない。
一触即発の雰囲気の中、最初に動いたのは重徳。
姿勢を正し、改めて源以の目を見つめながら彼は徐に──
「お久しぶりです。松永先生」
あろう事か国家の重鎮が頭を垂れた。
しかも非合法組織の長を"先生"と呼びながらである。
対する源以もゆっくりと目を閉じ禍々しかったオーラを消して立ち上がる。
その後、2人は部屋中央の長テーブルに腰掛けようやく話し合いの場を作り出す。
「君と会えるの楽しみにしていたよ近衛君。所長室には迷わずたどり着けたかね?」
「はい。柳さんに先導をしていただきました」
「なるほど。銑十郎は行ってしまったのかね?どうせなら3人でも構わなかったのだが。さて、君自らココを訪れるという事は、なにか進展があったのだろ?」
「はい。ですがそれに関してはどこからお話し致しましょうか。ここ最近の死神ウィルスの被害規模或いは解放者の動き。それとも・・・内通者についてからですか」
国家特務警察軍のトップと非合法組織のトップが交わす奇妙な会話。
正義と悪、相反する2人の間には福祉技研の職員達ですら知らない"ある関係性"があった。
それもそのハズ、源以は自分の過去を一切語ろうとしないどころか昨日の事や明日の事についても必要以上には喋らない。
その為、福祉技研の職員達が知っている源以の情報と言えばココの所長である事との他には明らかに不自然な権力を持ている事くらいで、その実松永源以という男は福祉技研どころか日本国全体を通して見ても最も謎に包まれた存在の1つでもある。
本人達が語らぬ以上、詳細は不明だが謎の存在源以と重徳の出会いは、時を遡れば20年前の西暦4170年代。
この頃から源以と重徳の間には、何があろうとも変わらない"絶対の上下関係"があったらしい。
だが当時の事に関して源以が口を開くのは、もう少しあとの事。
とりあえず今は、国家の重鎮でさえ源以にはヘタに逆らえないとだけ覚えておけば間違いはない。
「ふむ、ネタは十分に揃っているようだな。だがその様子だと我々の飼い主も相当苦労したのだろう」
「松永先生の苦労に比べれば、私達の仕事など足元にも及びません。先生のご活躍には、いつもながら感服致します」
「政治家共に揉まれて君も建前を覚えたか」
テーブルに激突する寸前まで深々と頭を垂れた重徳は持参した小型デバイスを展開させ、空中にデジタル資料を投影する。
源以が無作為にその中の1つを手にすると重徳は己の口で補足を開始する。
4192年3月15日現在までの死神が原因とされる死亡人数と症状、発生場所と時刻。
解放者が関与したとされるテロ行為とその被害、新たに解放者関係者として上がってきたリスト一覧。
また人間の存在が知られた件に関する、ありとあらゆる全ての可能性。
その中で源以の目が止まったのは解放者が関与したとされるテロ行為についての資料だった。
「ふむ・・・これはどういう意味かね?4192年3月13日の日本海沖12km地点の除染プラント破壊事件。この一件だけが"模倣犯による犯行"となっているのだが」
「信じ難い事ではありますが、その一件について調査をした結果、日本政府は解放者の名を語った模倣犯による犯行という結論を出しました。その理由は大きく分けて3つあります」
手にした資料をさらに展開させ重徳は3つの理由についてを語る。
「まず1つに解放者の目的は環境保護。にも拘らず除染プラントを破壊した行為そのものが解放者の掲げる理想と反している事。海上に浮かぶ除染プラントを破壊すれば海水に含まれる超濃度有害物質を除去できなくなるばかりか、その影響で溜め込まれた処理前の超濃度有害物質とプラント内部の燃料が流出し、さらなる環境汚染を招きます」
「解放者も無能ではない。かと言って今更ただのテロリストに成り下がったとも考え難いという事か」
「はい。2つ目にプラント破壊までのプロセスです。 自分本位な考えではありますが、今まで解放者が行動を起こす前というのは、例外なく自分達の目的とそれを行う事でどのような結果になるかを予め宣言して、それに賛同する者達から支援される中で行動を起こすプロパガンダ的な狙いもあるのですが、今回は13日早朝の午前5時43分に突如プラントが破壊され、同日の午前9時12分に解放者を語った犯行声明が出されました」
「なるほど。しかし模倣犯にしては、ずいぶんとクオリティが低いではないか。どうせ解放者を語るなら、もう少し品を学ぶ必要があるな」
「そして3つ目ですが、これが決定的理由と言っても差し支えない内容です。この海域を巡回していた海上保安庁の巡視船が3月10日の未明に除染プラントの上空約30万フィートを瞬間秒速4100km、推定速度マッハ12で飛行する所属不明の機影を捉えています。その後レーダーにも探知されていない事を考えると大気圏に突入した隕石やデブリの可能性は低く、途中で燃え尽きた場合でも何かしらの痕跡が残るハズです。つまりこの飛行物体は対電波探知機用のステルス迷彩を施した人工物である可能性が高いと言えます」
「よくそんな相手を発見できたモノだな」
「巡視船の一部にはスパイダーウェブと呼ばれる特殊なレーダーを積んだ船が紛れています。これは従来の波形で相手を発見するタイプのレーダーとは異なり、宇宙圏の衛星とスパイダーウェブとの間に常時電波の網を張り巡らせます。そこを物体が通過すれば従来のように波形で探知でき、ステルスのように電波を無効化或いは反射する物体が通れば展開されていた電波の網が途切れ、相手を探知する仕組みになっています」
「つまりその1隻のみが発見できたという事はそういう事であり、いかに解放者と言えどこれほどの代物を所有している可能性は低く、逆にこの数値を実現可能とする第三者が現れたと言いたのだな?」
「仰る通りです。そして日本政府はこの件に関する答えとして1つの結論を出しました。既に先生もご存知かと思いますが、その相手とは"S"です」
「S・・・なるほど、厄介な相手が首を突っ込んできたモノだな」
普段から感情の読めない源以の表情が少しだけ険しくなったと同時に再び部屋全体にピリピリとした緊張感が漂い始める。
「近衛君。今日から1週間の内閣府の動きと総理の予定を教えてくれるかね?」
「はい。こちらが内閣府の動きと比御総理のスケジュールになります」
源以の要求に応えるべく重徳は一切躊躇いもせずに、新しい資料を投影させる。
そこには日本政府のスケジュールと官僚達の動き、即ち国家の全てが余す事なく記されていた。
まさに国家機密と呼ぶに相応しい代物を手にした源以は重徳に確認をとる。
「今日の午後1時から3時までの間だが、この空白の部分で総理はどこで何をしているのかね?」
「おそらく比御総理は官邸で自由な時間を過ごしているハズです」
現在時刻は正午を過ぎて12時35分。
源以の考えを読み取った重徳は一言だけ添える。
「差し支えなければ7番を介して比御総理から松永先生に直接、お取り次ぎの手配を致します」
「ふむ、そうしてもらえると助かるが・・・任せていいのだな?」
「お任せください。では本日の13時30分22秒ちょうどに、7番を介した秘匿コードで松永先生に直接お繋ぎ致します」
その一言を最後に重徳は立ち上がると所長室をあとにする。
これ以上、話を伸ばしたところで何も発展しない事を悟り、なおかつ源以の求めるモノは内閣総理大臣であると理解したからこそ一礼だけで終わらせた重徳の引き際は完璧だった。
そして彼にとって現内閣総理大臣と非合法組織所長を比べた時、優先すべき相手は言うまでもない。
それはある意味で"職務に忠実"だとも言える。
それから時間は過ぎ去り時刻が午後13時30分22秒ちょうどを迎えたと同時に源以のナノマシンに応答が入る。
直接目に見えているわけではないがナノマシンが脳内に働きかけ対象には"CALL:No.7"というイメージが映って見える。
これが重徳の言っていた7番であり、その正体は日本政府が管理する特殊なサーバーの事で、仮想空間の中に存在する日本国民全員のナノマシン情報を集めた未来に於ける国民総背番号である。
その操作は基本的に禁止されているが総理大臣を始めとした一部の官僚が会議を行い、それが可決された場合のみ特例として外部から7番を操作する事ができ、特定の人物に対してナノマシンリンクを使った通信を行い、一方的に否応なしに相手の応答を待たずに問い掛ける事を可能とする。
「松永源以だな」
「君は誰かね?」
「確認するまでもあるまい・・・日本国現内閣総理大臣"比御蔵将"だ」
「そうか。久しいな蔵将」
遂に日本のトップと裏世界のトップが言葉を交わす時が来た。
現総理大臣から直々の連絡を受けた源以は、彼を親しげに名前で呼んだ。
そしてこの会話が源以の過去を紐解く数少ないヒントとなる。
「源以・・・政界にもどってくるつもりはないのか?お前は誰よりも優秀な政治家だった。本来であれば裏の世界で燻っていい男ではないハズだ」
「優秀な政治家などおらんよ。政治とは国民を第1に国をより良く発展させていく事を言う。だが国民の幸と国の安定は両立できない。どんなに頑張ったところで元より矛盾した目的地には決してたどり着けはしない。故に政治とは虚偽の積み重ねであり、それがイコールで優秀な政治家など存在しない事を証明しているのだよ」
「・・・今からでも遅くはない。それに本当なら総理大臣の席には、お前が鎮座するハズだった」
「自惚れるな蔵将。謙遜と卑下は別物だ。私が政界を去ったのは前羽柴内閣の発足とは関係ない。過程はどうあれ、いずれはお前が総理に立つ事に変わりはなかった。それにお前が総理の座にいてくれればこそ、私は私の成すべき事ができる」
「しかし・・・」
「いいか蔵将よく聞け。確かに私も表のトップとなり国を治める事はできただろう。では仮にそうした場合福祉技研の所長は誰が務める?お前に私と同じ事ができるのか?」
「・・・」
「勘違いしたバカ共は騒ぎ立てるが従来総理大臣とは一介の猿ですら名乗れる肩書きに過ぎん。だが猿では所詮その肩書きの上に胡座をかき、踏ん反り返りながら自慰をするしか能がない。そんな猿山に埋もれていても蔵将、お前だけは違ったのだ。猿と人間を並べて見比べれば、その違いは歴然。だからこそお前には総理大臣となって"本当の権力"を振るってほしかった。現内閣総理大臣"比御蔵将"が決断するだけで私はこの国、延いては国民全体を護る事ができる」
「源以・・・」
「外道に生きる私だがお前だけにはわかってもらいたい。これが私の成すべき事であると。だからこそ単刀直入に聞こう・・・Sが動き出したらしいな」
「除染プラントの件か・・・レーダーが捉えた謎の機影はSが秘密裏に所有していると噂される新型偵察機PR9と見て間違いない。 そしてこれが意味するモノは、地球圏との不可侵条約を一方的に破棄したS側からの侵略行為に他ならない」
「ではそれに対して私達は何をすればいい?お前が一言、Sを壊滅させろと言えば福祉技研は全勢力を上げ、Sを壊滅させる。だがそれが意味するところは即ち、この世から"国を1つ消滅させる"事も同じ。そこに生きる人々、根付いた文化、これから生まれ出ずる命を根刮ぎ奪う事となる。そしてそれは新たな火種・・・この場合に考えられるモノは宇宙圏の主張を発端とした世界大戦の火蓋を切って落とすという大役か」
かつて地球上には1つの大国が存在した。
圧倒的技術力と権力を振るい、実質世界の頂点にまで上り詰めたその大国は、地球圏との不可侵条約を結び衛星軌道上に新たな国を作った。
それも昔、今から800年ほど前の事。
宇宙圏に進出した大国は地球全体を監視する立場となる事で、自らの地位を確固たるものへと昇華させた。
それから500年後の西暦3890年代末、突如として大国は人類浄化計画なる声明を発表、衛星軌道上から地球圏への攻撃を開始。
無論、地球圏も防衛、攻撃の手を緩めなかったが結果として地球表面の2/10が消失、死者2億人を出す最悪の形で傷跡を残した。
その頃から大国は、科学の域を超えた圧倒的技術力を持ってしてソレを魔法と語り始め、遂には国の名前さえも"改良魔法"と名乗るまでに至った。
それから300年の月日が経った今日でも改良魔法は一切動きを見せないが、ここ最近の死神ウィルスもその実改良魔法が仕組んだ事なのではないかという声があるのも事実であり、彼の恐怖は今もなお人類の記憶に刻まれている。
そこから改良魔法はSの名で呼ばれるようになりこの瞬間へと続く。
「Sの介入が事実だとすればここ数ヶ月の間に解放者が活発化してきているのも偶然ではないハズだ。その事について国連は何か言っていないのか?」
「いや・・・だが公式の発言ではないにしろ両者の関係性を唱える者は少なくない。環境保護を目的とした解放者と地球圏の完全な支配を目論むSは対立関係にある。その上でここ数ヶ月の動き・・・まさか解放者はSを誘き出そうとしているのか?」
「解放者が支援される理由の1つに、Sの壊滅を掲げているというモノがある。そんなレッドゾーンに我々が首を突っ込めば福祉技研、解放者、Sの三つ巴、それこそ世界大戦規模の被害或いはそれ以上のモノを生み出すかも知れん。各々が理由を持って武力を行使する・・・最早何が善で、何が悪なのかもわからんな。だが人類史上始まって以来、最大の混沌とも言える4000年代に終止符を打つのは誰かじゃない。お前の決断と私達だ」
口調に若干変化はあれど源以の本質は変わらない。
冷静沈着に物事を判断してプラスとマイナスの両方を見据える力で総理大臣の指示を煽る。
かつての同僚として、今なお変わらぬ理解者として、なにより友として源以の意見を聞き入れた蔵将の下した判断は──
「あとどの程度猶予が残されているかはわからないが解放者とS、そのどちらに転んでも人類に希望はない ・・・内閣総理大臣として福祉技研所長、松永源以に命ずる。解放者及び指導者"パン=エンド"と宇宙国家改良魔法の独裁者"ジ・オペレーター"との衝突を未然に阻止し、なおかつその両者を壊滅させろ!そして同時進行でEscapeGoat遂行の為、何としてでも人間を死守するのだ!人間が失われれば、たとえ解放者やSを壊滅できたとしても意味はない・・・それでは何も変わらない!全ての因果に終止符を打つには我々日本がやらなければならない。これは全てに於いて失敗の許されない極限の任務であり解放者とSの壊滅ならびにEscapeGoatの遂行、そのどれか1つでも失敗すれば世界は終わる事のない終焉の中を彷徨い続ける事になる」
「ScapeGoatではなくEscapeGoatを冠する所以は忘れんよ。生け贄とはいつの時代も神に等しい存在であり、その末路はいつの時代も変わらない」
たとえ口約束程度のモノだとしても最早訂正は出来ない。
なぜなら内閣総理大臣の意思は日本国の意思も同じ。
この瞬間、日本は"戦う道"を選び決断したのだ。
逃げて逃げて逃げ続けて、いつか誰かが何とかしてくれるのを待つ時代は終わった・・・そしてこれから始まるのは人類史上最後にして最大の戦争。
その後、源以の脳内に浮かんでいた"CALL:No.7"のイメージは消え2人の通信は終わった。
時同じくして福祉技研総合受け付けには本日2人目となる訪問者がソワソワと落ち着きなく来客用サードメイカンドに要件を伝えていた。
見るからに10代半ばの少年は身振り手振りで一課の第1病棟の、とある患者に面会希望を訴えている。
いつの時代も面会をするにはそれ相応の手続きが必要であり、この待機時間こそが何とも言い表せない苦痛であった。
しかも相手がまだ幼い少年ならばそんな無駄を悠長に待っていられるわけがない。
横目でサードメイカンドを睨みつけながら少年は強行突破を図り、そのまま福祉技研内部へと突入する。
過去に何度もココへは来た事があるのだろう。
その足は立ち止まる事なく地下へと続く階段を駆け下り、その目は迷う事なく目的地を見据え、その心は常に患者と共にある。
息を切らした少年がたどり着いた先は第1病棟隔離施設のゲートの前。
少年が面会を求めていた相手とは国が定める第1級患者に指定されている十冬羽だった。
少年の名は"雛市照史"と言い、冬羽との関係はズバリ恋人同士である。
まだ冬羽が福祉技研に来る以前、それはちょうど1年前の春の事。
まだ冬の面影が残る中で行われた小学校の卒業式。
その日の夕暮れに照史は冬羽に対して6年間の想いを伝え、2人は交際を開始する。
たかが小学生のじゃれ合いと侮るなかれ、照史と冬羽は大人顔負けのデートを積み重ね、何をせずとも2人が存在しているだけで満足だとする本当の愛を見出していた。
それが極度の虚弱体質を患った冬羽にとっての生きる希望であり、生きる意味でもあった。
だが現実とは非情なモノで、心構えだけでは根本的な解決には至らず交際5ヶ月目にして彼女は意識不明の重体に陥ってしまう。
その後、政府指定の第1級患者と判断された冬羽は様々な医療機関を転々としながら最終的に福祉技研に連れて行かれ時間軸は今となる。
普通の患者ならいざ知らず冬羽の場合は症状があまりにも重大であるが為に、その1秒が今生の別れになる可能性も0ではない。
だからこそ照史は無茶をしてでも冬羽に会わなければならなかった。
なぜなら今日は──
「今日は・・・冬羽の14歳の誕生日なんだ!だから ・・・会わなくちゃいけないんだ!!」
ピタリと閉ざされた透明な扉を力尽くでこじ開けようとするが所詮は子供の力。
これが三佐やアーティなら或いはどうにかなったかも知れないが照史程度の力量では扉はビクともしない。
そうこうしている内に照史の侵入に気付いた職員達が駆け付け、少年の小さな体は瞬く間に取り押さえられてしまう。
「離せっ!冬羽!冬羽!!」
乱暴にも見えるが福祉技研はその立場上、常に狙われる危険と隣合わせであるが故に、相手が子供であろうとも必要以上の注意を払い徹底的に対処する。
資料の残る限り、子供を利用したテロは19世紀頃から使われてきた常套手段とされており、そのテロリズムは42世紀の未来にも生きている。
職員達は捕えた照史の身元を調べ、危険度は低いと判断したところで敢えて保護者には連絡を入れずそのまま外に摘み出した。
居ても立っても居られない照史はジワリと潤んだ目を擦りながら何も考えずに走り出す。
すれ違う人々にぶつかりながら走って走って走り続けて気付けばココは薄暗い路地裏の行き止まり。
「冬羽・・・まだ生きてるよな!死んでなんかないよな!?」
人の気配がない事を確認してから照史は大粒の涙を流し始める。
寧ろ、よくここまで我慢出来たと褒め称えるべきか。
膝から崩れ落ち、誰に遠慮する事なく声を荒げて泣き続けていた照史は自らの背後に迫る何者かの気配を感じ取ったと同時に泣くのをヤメ、瞬時に立ち上がる。
13歳の少年とは思えないこの切り替えの速さも全てはナノマシン制御あってのモノ。
両目から溢れた涙を袖で拭き取ると、照史は2、3歩後退してジワリと滲む眼で相手の姿をしっかりと捉えて身構える。
「ガキのクセに異常なまでの鋭さ・・・さっきまで泣いていたと思ったら、次の瞬間にはケロっとした面を晒しやがる。それがガキの取る態度かい!気持ち悪いったら、ありゃしないよ!!」
「誰だっ!」
一定の距離を保ちながら照史の背後を取っていたいたのはパンクな革ジャン、黒のボブヘアーを斜めに切り揃えた威圧的なアシンメトリー。
唯一覗かせる右目の下には赤いイナズマの刺青を施し、攻撃的な面構えと共に見るからに関わりたくない雰囲気を纏う女性だった。
照史と比べれば二回りほどの年の差がありそうな彼女だが、わざわざ少年を狙って声をかけてきた理由はナンパでもなければ強盗でもない。
ましてや通り魔的な目論見などでは断じてない。
ではその目的とはなにか?
「ハッ!アタシが誰かなんてのはどうでもいい。ところでアンタ・・・愛しの冬羽嬢には会えたのかい?まぁ無理だったろうけどね」
「どうして・・・違う!それよりお前は誰だ!!」
「しつこいガキだね黙って聞きな!アンタが福祉技研で何をしてどうなったかなんざ全部知ってんだよ。それよかアンタ、福祉技研が憎くくないのかい?アンタから大切な女を奪って、しかも実験の材料として殺しちまったアイツらが憎くないのかい?」
女は照史を見下しながらニヤリと口角を吊り上げ、悪びれた様子なく無慈悲な報せを告げる。
刹那少年の目から光が失われ、その小さな身体は膝から崩れ落ちた。
嘘だと否定してしまえば簡単な事だが、それが出来なかったのは照史自身その事を薄々気付いていたからでもあった。
だからこそ少年は無理をしてでも冬羽に会おうとしていた・・・その事実を否定する為の確固たる証拠を得る為に。
そして女の言葉もなぜだが嘘には思えなかった。
理由は話が的確すぎる事に他ならず、まるで当事者として冬羽の最期を見届けていたかのようにスラスラと惨劇の全てを語り続ける。
「冬羽嬢を殺したのは松永源以、柳銑十郎、そして比御蔵将・・・日本が世界に誇る恥部と、それに媚び売た国家権力の犬共さ」
「比御って、総理大臣比御・・・?」
「ハッ!それ以外にどの比御がいるってんだい?まぁガキの頭で理解するにゃ難しいだろうが、その成り行きを少しばかり聞かせてやるよ。ナノマシンと近代医学の発展で人類の平均寿命は160歳まで引き上げられた。200歳を超えた怪老だってざらな世界だが、その結果として1人当たりが占める容量の割合が地球のキャパを超えちまったのさ。わかりやすく言えば1人1人が長く生きすぎてるって事だな」
「・・・だからなんなんだよ」
「つまり恥部共はナノマシン操作により擬似的な老衰を起こさせ人類全体の絶対数を管理しようと計画したってわけだ。だからつってバレバレの余命宣告で殺して回っても、そんなモン猿でも気付く茶番劇だろ?だからこそヤツらには冬羽嬢が必要だった・・・正確に言えば冬羽嬢本人じゃなく、そのナノマシンが目当てだったんだろうけどね。ナノマシン異常が原因で極度の虚弱体質に生まれてきた冬羽嬢は、さながら老衰間近のソレに近かった。だからヤツらは毎日欠かさず冬羽嬢の身体に仕置きを施し、必死こいて殺しの道具を開発しようとして、遂には完成させちまったんだよ ・・・そしてヤツらはソレをこう呼んでいる」
足元に転がる空きカンをつま先で軽く蹴飛ばし、照史の前で屈むと女は八重歯をチラつかせながら言い放つ。
「"死の遺伝情報"ってな」
「どうしてそんな事をオレに・・・」
「アンタはアタシ達と同じ目をしている。つまりはアンタとアタシは仲間なんだよ雛市照史。それに冬羽嬢を取り返せるなら悪魔に魂を売っても構わないって思ってるだろ?今でもその思いが・・・覚悟があるなら付いて来な。アタシ達、解放者に」
遂に明かされた女の正体は国際指定テロ組織解放者の一員"久茂師杏花"。
彼女はあらゆる場所に潜む内通者からの情報を得て、新たな同志を勧誘するスカウトの1人だった。
老若男女国籍問わず解放者は常に水面下で同志を募り続けているが、その判断基準は意外にも厳しく、たとえ相手が志願者や準過激派であろうとも、誰彼構わずスカウトするわけではない。
それは解放者には解放者なりに掲げる"正義"があり、目的はあくまでも自然保護と人類の救済であるが故の事。
自然保護は言うに及ばず、ここで掲げる人類の救済が意味するモノとは人の道を外れ、世界を貪り喰う悪しき思想を根絶し、天地自然の下に共存する人類の本来あるべき姿、または存在意義を示す。
しかし未来の世は解放者の目指す"正義"の前には、あまりにも汚れていた。
そして汚れの根源は、自らの存在意義を見失った人の意思であると結論を出した解放者は毒を制する毒、或いは鬼喰らう鬼となり再び人類と自然の共存する道を "武力"で訴えるようになった。
人類同士の身勝手極まりない争いの中で、いかような免罪符を掲げようとも自然破壊は決してあってはならぬ事。
ましてや人類も自然の一部と考える解放者にとって、人が人の命を奪うなど言語道断。
それが外道の意思による一方的な殺戮なら、まさにそれこそが刈り取るべき悪なのだ。
そして人の罪深き業と悪の意味を知ってしまった照史は既に解放者にとって掛け替えのない同志であった。
それを聞いて光を失った少年の瞳が再び熱く燃え盛る。
その炎は何を糧に燃え盛り、何を焼き尽くそうとしているのか。
照史にとっての悪とは大切な人の命を奪った福祉技研であり、この瞬間1人の少年は解放者の一員として福祉技研、日本政府へ正義の刃を向ける事を誓った。
「・・・なるほど。それよりも今後の松永の動きに注意した方がいい。今朝の事だが国家特務警察軍隊長の近衛重徳が福祉技研を訪れた。死の遺伝情報の件もある・・・あぁ大丈夫だ。誰も私の事を疑いもしない。ナノマシン情報が私を"福祉技研四果の京澪"だと証明し続ける限りはな・・・そうだ・・・わかっている。事が終わるまで本物の死体を発見されたり、腐らせたりはするなよ。京澪には最後の役目として、私の代わりに死んでもらわなければならない。その為にわざわざ血液とナノマシンを入れ替えてるのだからな。それと・・・いや、その事についてだが・・・それは本当か?・・・ならコチラも動きを変える必要がありそうだな」
所変わって場面は福祉技研地下駐車場。
周囲に誰もいない事を確認しながら1人の女性職員が物陰に隠れこそこそとナノマシンリンクで会話をしているが、それも全ては疚しい事があればこそ。
彼女の正体は世界中に散らばった解放者の一員であり福祉技研内部に忍び込んだ内通者その人である。
福祉技研の動き、日本政府の動き、そして人間の存在を同志達に提供し続ける大役はまさに1分1秒が常に命懸け。
本当の意味で死と隣合わせのリスクを負ってでも彼女が暗躍を続ける理由は他と同様、解放者として己の正義を貫く為の自己犠牲に他ならない。
人類救済の大義名分を掲げる以上、彼女もまた1人の戦士であると同時に後退の許されぬ戦場を生き抜いてきたプロフェッショナル。
だが人間とはそもそもが不完全な存在であり、どんなに優れた人格者であろうとも完璧に自身をコントロールは不可能。
定時連絡を終えた彼女は心の片隅にほんの一瞬、時間に直せば数億分の数ナノ秒、無意識の空白を作ってしまった。
具体的に表現する事すらできない僅かの時間・・・本当に僅かな時間・・・だがそれだけあれば十分だった。
美しい女性に0秒以上の隙が生まれれば"あの男"にとってはガラ空きも同じ事。
何もない事を確認したハズの虚空の彼方、人の気配は疎かアリの子1匹いなかった空間にその男は存在していた。
質量を持った幻なんかじゃない・・・最早次元の狭間から突如現れたと言っても過言ではない男の姿を前に彼女の心臓は止まりかけた。
「澪ちゃん発見!!」
神出鬼没のすけこまし。
薄暗い地下駐車場も一気に明るくなるほどのイケメンオーラを纏った景勝が爽やかに彼女を背後を取っていた。
本人に悪気はなくともこの登場演出は身体にとって非常に悪い。
おかげで心拍数は急上昇、全身の血管がブワッと広がりながら脂汗が滲み出る。
それに加えて彼女の素性は敵陣深くに潜り込んだ敵対勢力。
ナノマシンが抑制しようとも緊張感は限界突破、体内を駆け巡る血液がブクブクと泡を出しながら沸騰、赤い水蒸気となって全身の穴という穴から噴出していくイメージが見える。
それでも彼女は自らに抗い続けた。
「か、景勝さん・・・脅かさないでくださいよ!!」
「いや〜こんなところで澪ちゃんを見つけちまったら、声を掛けるなって方が無理だぜ?これから休憩?よかったら──」
「すいません・・・その、もう予定があるので」
「んん〜そうなのか・・・なら仕方ない」
時間場所など関係なしに誰の前にでも突然現れる景勝はある意味で油断できない相手の筆頭格。
爽やかな後ろ姿が地下駐車場の闇に消えるまで見届けた"京澪(仮)"は額の汗を拭き取りながらホッと胸を撫で下ろして瞳を閉じる。
途切れてしまったナノマシンリンクを再開すべく、先の物陰へもどろうと振り返った刹那──
「・・・」
つい数秒前に反対側の暗闇に消えたハズの景勝が彼女を背後を取り、悲しそうな表情を浮かべていた。
神出鬼没のイケメンを前に思わず後退り、そのまま尻餅をつく京澪(仮)。
可愛らしくも間の抜けた悲鳴が地下駐車場に虚しく木霊する中、景勝は悲壮な決意を胸に口を開く。
「この景勝、何はわからずとも女の心はわかる。瞳を覗けば全てが俺に語りかける・・・」
「は、はぁ・・・?」
「澪ちゃん・・・いつから"人を殺した"目になったんだ?」
その一言に京澪(仮)は魂を抜き取られたかのような衝撃を覚える。
景勝の言葉はあまりに的確に彼女の所業を見抜き、これからやろうとしている事を言い当てたからだ。
それでも誤魔化そうと必死に平常心を見繕うが最早景勝の眼を欺く事はできなかった。
「お前は誰だ!!」
景勝の伸ばした手を振り切り、京澪(仮)は地下駐車場を疾走する。
しかしナノマシンリンクで増援を呼んでいたのか四方を塞ぐようにして、三佐を筆頭とした二課の工作員達が場を取り囲んでいた。
「なにがあった!」
「アニキ!コイツは俺達の仲間じゃない!所属不明の侵入者だ!!」
銃を構えた工作員達はジリジリと包囲網を狭め、これを詰みだと理解した彼女はゆっくりと両手を上げ降伏の意思表示をする。
三佐の指示の下、背後から接近した3人の工作員により拘束された彼女はその場で膝をつき、特に抵抗する様子もなくひれ伏した。
ざわざわとした雰囲気が漂う中、不審者捕獲の連絡を受けた福祉技研のボスが地上と地下とを結ぶ非常用バイパスからゆっくりとその姿を現した。
「ふむ、内通者の正体は君だったのか。どうかね?良い情報は手に入ったかな?」
「な、なんの事ですか・・・?」
最後の悪あがきか、源以を前にした京澪(仮)は一応の態度を示すも状況は何1つ変わらない。
小刻みに震える彼女の目線に合わせるべく片膝をついた源以は右手に持っていた注射器のようなモノをその首筋に打ち込み採血を開始。
一瞬だけ苦痛の表情を浮かべた京澪(仮)には目もくれず、しばらくの間を空けた後源以は納得したような表情を浮かべながら立ち上がり、スーツに付着した塵をササッと払いのけ言葉を続ける。
「なるほど・・・トリックの正体はナノマシンを入れ替えていたのか。ナノマシンが拒絶反応を起こせば死にも直結する行為だと言うのに、君もなかなかの好奇心を持っているのだな。ここまで下準備をしていれば駿河君ですら発見できないのも頷けるが詰めが甘いよ "京君"?世の中にはデータ上だけでは語れぬ事もあってね・・・景勝君はただの役立たずではないのだよ。警戒する相手を間違えたな」
刹那彼女の脳裏をイナズマのようなモノが走り、鋭く過ぎった一閃の光を最後に力無く項垂れ気を失った。
採血と同時にナノマシンの活動を抑制する薬を注入された京澪(仮)はその後、源以の指示で福祉技研最下層に存在する"とある部屋"へと移された。
そこで彼女は人生最大の苦しみ、恐怖、絶望を味わいながらじっくりと破壊と創造の螺旋に堕ちていく事となる。
その先に待ち受ける結末など知る由もなく・・・。