ACT.4 オリジナルとレプリカ
西暦4192年3月11日。
朝一の検診を終えたフォシルが一課の病室を去ろうとした時──
「ちょっと待ってくれ」
声を掛けてきたのは銑十郎だった。
ドクターストップをかけられたフォシルは少し不安げな表情を浮かべ、おそるおそる彼に聞き返す。
「なにか悪いところがあったんでしょうか?」
「いや、そうじゃない。とりあえず三佐が来てから詳しい理由を話そう」
それから程なくして三佐が病室にやって来るや否や2人の表情は固く強張り、これから起こる事の重大さを声なき訴えで示唆していた。
「フォシル、三佐・・・ついて来てくれ」
重い腰を上げ、椅子から立ち上がった銑十郎は白衣のシワを伸ばすと病室をあとにする。
それに続きフォシル達がやって来たのは病室手間にありながらも、何人たりて通さぬ!と来る者を拒絶するかのように立ち塞がる鋼鉄の扉の前だった。
「あの・・・これは・・・?」
「フォシル。この扉の先に、何があっても慌てないでほしい。たとえ最悪の事態が発生したとしても俺と三佐がお前を死守する」
不安を煽る言葉を残して銑十郎はロックを解除した。
扉はゆっくりと上へスライドしながらその奥に隠していたモノを徐々に徐々にと見せびらかしていく。
30秒ほどで完全に口を開いたその中を見てみると、用途不明の機材群が所狭しと空間を占拠して、なおかつ部屋全体は不思議な臭いで充たされていた。
だが最も気になるのは、その中央で明らかに特別扱いされた"なにか"の存在・・・。
「手筈通りに頼むぞ」
「はい」
三佐と銑十郎は体を横にサイドステップ気味に狭い通路をすり抜け"なにか"を覆っていたシートを剥がすと現れたモノは謎の機械にセットされた全裸の少女らしき物体だった。
「っ!?」
まさに一瞬。
時間に直せば0.001秒以下。
その正体を理解したフォシルは美しく神秘的なフォルムをした少女の裸体を前に"あぁっ!あぁあぁっ!!" と初な声を漏らしながら視線を足元に落す。
本当はマジマジと脳裏に焼き付くまで見ていたいのだが、目の前に存在するモノは決して見てはイケない禁断の光景。
フォシルの頭はこの上なくこんがらがり、煙を吹き出しながら処理落ちする。
「落ち着け!これはサードメイカンドだ!」
「サード・・・で、でもそれは人間そっくりに創っちゃイケないって湊さんが──」
「その通りだよフォシル君。人間の犯した最大の罪、それは人に似せた人ならざるモノを創った事だと唱える輩もいるくらいだからね。なんとか起動までには間に合ったようだな」
少女から視線を背ける理由を得る為、入り口の外から声を掛けてきた源以に向き直ると、血走った目で"アレはなんだ!?"と言いよるが冷静沈着な源以に"サードメイカンドだよ"と、あしらわれてしまう。
ああ言ったら、こう言い返してくる源以の為人は既に理解しているハズなのに、それを踏んでしまう辺りフォシルは相当テンパっているのだろう。
サードメイカンドがどうのではなく、なぜに裸の少女と自分は対面させられているのか?
疑問が疑問を呼ぶ負の螺旋からフォシルを救うべく、遅れながらも当初の約束通り銑十郎は事の全てを語り始める。
「本来サードメイカンドはナノマシン認証により相手を識別するのだが、お前はナノマシンの入っていない純粋な人間。そこで今からやる事は、コイツにお前を主人と理解させる為、ココにある機材を介して物理的に外部認証させ、プロセッサに直接認識させようと思う。お前は難しい事は考えずにコイツの眼を見ていればいい」
「ど、どどうしてそんな事を?」
「あぁ少々厄介な事になってな。どうやらお前の存在が解放者に知られてしまったらしい」
「解放者?それって確かテロリストの──」
「自然保護を免罪符に暴れまわる過激派の・・・な。何が目的かはわからないがヤツらは人間を求めているらしい。真っ当な神経をしていれば無い物ねだりは口だけだろうが解放者は過激派テロ組織。欲しいモノは奪いに来るのが道理。ココまで話せばわかるだろう?つまりコイツは最悪の事態を見越した上でのお前の"武器"だ」
プロセッサ、ナノマシン認証などの難しすぎる単語には触れる事なく置いといて、うっすらとだが状況自体は理解できそうだ。
人間よりも優れた戦闘力を持つサードメイカンドを護衛に付け、有事の際は自分の身は自分で守れと言う事なのだろう。
物騒な空気が漂う中、創り物と言えどリアルすぎる少女の閉ざされた眼を、じーっと直視しようとするが、いかんせん他の部位に目を奪われてしまう。
人工物とは思えない曲線で構成されたボディと白く柔らかそうな肌。
それに合わせるサラサラのロングヘアは楓よりもさらに明るい茶髪。
現実と理想の良いとこ取りをしたような膨らみかけのバスト。
ナニに至ってはリアル云々以前に、神々しすぎて今のフォシルの耐性では見る事すらできない。
しかし男にはやらねばならぬ時がある。
荒れ狂う津波が如く覆い被さるようにして押し寄せる罪悪感を殺し、フォシルは少女に向き直り彼のモノを凝視する。
「始めるぞ。絶対に目を背けるな」
「はい・・・」
銑十郎と三佐がアイコンタクトで意思疎通を図ると2人は各々のポジションへ着き、フォシルは源以と少女に挟まれた位置で呼吸を整える。
やたらと大きな機械を操作しているにも拘らず、僅かに聞こえてくる音といえば衣服の擦れるササッ・・・という物音のみ。
静かすぎるが故に場の緊張感は際限なく高まり全身は小刻みに震え、口は乾き、息を殺してこの瞬間をやり過ごす以外の選択肢が見つからなかった。
しばらくの作業を終えると銑十郎は源以に扉を閉めるよう指示を出す。
その後、扉は固く閉ざされ甲高いキーッという電子音を以って完全にロックされた事を報告、気持ち暗くなった部屋の中では4人の男と1体の少女が、無言のまま"その時"を待ち続けいる。
その後、銑十郎は力強い目でフォシルに合図を送る。
それが何を意味するのかなど言うに及ばず、小さく首を縦に振ったフォシルを見て銑十郎は最後のスイッチをオンにした。
音もなく無機質な光を放つ機器類には目もくれずにただ一点、閉ざされていた瞳を凝視していた刹那、遂に少女が開眼するが──
「・・・」
上まぶたの殆どが閉じた状態のジトッとした目付きは何か気に入らない事でもあるのかと、問い質したくなるほどのクオリティで威圧感を与えてくれる。
蛇に睨まれた蛙、或いはゴルゴンそのものか。
1分が10分にも1時間にも感じる時の中で立ち尽くしていると、いつの間にやら銑十郎から完了のサインが出ている事に気付かされる。
あの瞬間から虚空を彷徨っている内に、どうやら全てが終わっていたらしい。
当初身構えた覚悟の炎は不完全燃焼気味に鎮火させられ、ため息の1つすら出なかったがフォシルからすれば何がどう変わったのかがわからない。
依然として少女は機械に繋がれ、それに対峙する己の姿も変わりなく強いて言えば少女の裸体に対する耐性が付いた事くらい。
終始困惑の表情を浮かべ続けるフォシルを他所に三佐と銑十郎が少女の拘束を解除すると、少女は自らの意思?で謎の機械からピョンッと跳ねるようにして飛び降りた。
着地と同時に人工石の床にペタッと足の裏が張り付く音が聞こえてくる・・・これが超合金ロボットよろしくガシャッ!と雄々しい金属音を奏でてくれればその正体は創り物だと自分を騙す事も出来ただろうが視覚と聴覚を介して得た情報を整理すればするほど少女が創り物だとは思えなくなってしまう。
1人俯き悩み耽るフォシルの傍には、いつの間にか源以が陣取っていた。
仮にも苦手意識を持つ相手にここまで接近を許したのは初めての事。
腰を落としたサイドステップで通路幅限界まで源以と距離を置いたフォシルは少女、源以、三佐と銑十郎を目だけで視界に捉えて動きを止めた。
「銑十郎、これは成功かね?」
「そのハズだ」
「ふむ。ならばテストをしよう」
テストと称して源以が取り出したモノ。
それはバレル全体にセレーションを施しグリップにはフィンガーチャンネル、マズルフェイスにはアグレッシブなストライクプレートを取り付け、さらに剛性を持たせる為にマッシブなボディに改造された他、余す事なくスパルタンなカスタムが施された白銀に輝く8連装リボルバーだった。
すぐにそれが玩具でない事は察しがつくし、その銃口が少女に向けられなおかつ源以の人差し指がトリガーに掛かっている事から次の瞬間、何が起こるかも容易に想像できる。
さらに姿勢を低くしたフォシルが顔を背けた刹那、バズッ!バズッ!と鈍く乾いた轟音が狭い室内に響き渡る。
うっすらと片目を開き、おそるおそる源以の姿を確認すると突き出された右腕には僅かに煙を吹くスパルタンリボルバーが握られ、その銃口をたどれば──
「っ!!」
右肩に1発、胸部に1発、腹部に2発、左脚に1発、計5発の弾丸を撃ち込まれた少女が微動だにせず立ち尽くしていた。
辺りの機器類には少女の飛び散った鮮血が付着、さながらそこは殺人現場のような光景と化していた。
突如として憤怒の炎を撒き散らしたスパルタンが落ち着いたのを確認して、フォシルは少女に向き直った。
白く美しかった素肌は真っ赤に染まり、生々しい銃創が口を開いている。
あまりに凄惨な少女の姿を前に目眩を起こしたフォシルが片膝をつき目頭を押さえた刹那、源以は少女めがけ、さらに2発の弾丸を撃ち込んだ。
"もう止めろ!!"と心の中で叫びながらも実際には声の出ないフォシルを放置して源以は話を進める。
「耐久面では問題なさそうだが自衛システムは備わってないのかね?」
「その前に言う事があるだろ!」
「すまないな銑十郎。抜き打ちでなければソレの信頼性がわからないと思ってね」
「・・・自衛システムは作動している。今回は相手が福祉技研内部の人間だったから動かなかっただけだ」
「なるほど。ではそのセーフティはオミットしておく事だ。ソレはナノマシン管理で福祉技研内部の人間かどうかを識別しているのだろう?逆に言えば内部の人間を相手にした場合"無条件で無力化される"という事になる。私が敵対勢力ならば、そこを突かない手はないと考えるがね」
所長として"兵器"のテストを済ませると源以は1人扉のロックを解除、未来の火薬(特殊水爆薬と呼ばれる水素を原料とした火薬)の残り香だけを置いてどこかへ行ってしまった。
一方呼吸を整え少し落ち着いたフォシルは血塗れの少女に焦点を当てながらゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取りで銑十郎の元へと歩み寄る。
「柳さん・・・」
「大丈夫か?」
「はい・・・でも、俺の事よりも・・・早く・・・その娘を・・・」
「コイツなら大丈夫だ。元々お前を守る為の武器として開発したコンセプト上、皮膚の下には各種センサーを内蔵した強化骨格と生体ナノローブを組み込んである。血のように見えるこの赤い液体も、それらの組み合わせで作られた、いわば生体機関の活動を手助けする培養液だと思えばいい。だから傷も自然治癒するだろう」
「生体・・・と言う事は、やっぱり彼女は"生きている"んじゃないですか?」
「ぁ・・・いや、生体というのはあくまで──」
一瞬テンパった銑十郎が言葉の意味を説こうとした時、フォシルは力なく地面にひれ伏した。
突然の発砲に合わせて、肉を抉られ血塗れになっていく少女の姿・・・それは常人には到底耐えられるような光景ではなかったのだ。
少なくともナノマシン制御による庇護、感情のコントロールを受けられないフォシルからしてみれば全てのダメージが直接精神にのし掛かり、未来においては人一倍のダメージを受けてしまう。
目眩に吐き気、内臓を搾り取られていくような鈍い腹痛に悪寒の走る熱っぽさ。
身体からフワッと魂が抜けていくような感覚を最後にフォシルは完全に気を失った。
「今のは少し油断したな・・・」
「死の瀬戸際ほど人間は勘が鋭くなると言います。気を保っていられるかの淵で、フォシルにも似たような症状が起こったモノかと・・・だとしたら目覚めた時には直後の記憶は忘れているハズです」
「・・・一応は"パーツと設計図"がある状態で始めた事。終わってみれば、ただ前例がなかったにすぎなかったと解釈する事も・・・いや、どの道こうなっただろう」
人差し指と中指で頬をなぞりながら銑十郎は三佐に合図を送る。
すると三佐はうつ伏せに倒れたフォシルの左脇に自身の右腕を通し、テコの原理で仰向けへと直す。
そのままフォシルの上半を起こし背後から手前に引っ張るように持ち上げる。
あとはフォシルの体勢が崩れないように全身を使って支えながら前面に回り込み、強靭な肉体を活かした元軍人ならではの手際で左手で左手を、右手で右脚をしっかり掴みながら肩に担ぎ上げる。
「ちょうどいい。実働データの記録も兼ねてフォシルが目覚めるまでの間コイツに看取らせてみよう。準備が出来たらフォシルの部屋に向かわせる」
「わかりました」
それから2時間後の正午過ぎ。
ボウリング球のように重く固まった頭を持ち上げ霞む眼で辺りを見渡せば、そこは源以の用意したフォシルの部屋のベッドの上だった。
掛け布団を蹴飛ばし、半覚醒状態のままベッドから転がり落ちたフォシルは部屋を出ようとドアの前までやって来たところで動きを止めた。
刹那ノーモーションからクイックターンを決め、背中に注がれていた何者かの視線をたどる。
見ればベッドを挟んで、ちょうど真向かいの壁際。
部屋の出っ張りに隠れるようにしてコチラに視線を送っていたのは、あの少女だった。
「おまっ・・・いや、君は」
数時間前とは打って変わって今度はライトグレーのスカートに同色のジャケットを羽織り、その下の白いワイシャツにはライトグリーンのリボンでワンポイント。
白のニーソックスに合わせるのは、丸みを帯びた黒のメリージェーンパンプス。
相変わらずのジト目だが少女は気品ある身形へと変貌を遂げていた。
混乱するフォシルとは対照的に冷静な表情を浮かべた少女はベッドを飛び越え、何かを手渡してきた。
それは手のひらサイズの透明なガラス板のような物体だが、フォシルはコレの正体を既に知っている。
コレは以前源以が伝言としてフォシルに使ったSBCと呼ばれるモノで、このガラス板のような物体それ自体が具現化された音声データだと言う。
詳しい原理はわからないがガラス板の左右を掴み緩いアーチ描くようにして折り曲げると、そこから源以の声が再生され始める。
"おはようフォシル君。目の前のサードメイカンドから逃げ回らずに、ちゃんと受け取ってくれたかね?さて今回、君に頼みたい事は全部で3つ。1つはそのサードメイカンドに名前を付けてやってくれたまえ。今後は嫌でもコミュニケーションを図らねばならん状況が来るだろう故に、後々になって呼びづらい名前よりも一貫して呼び続けられるモノを付けるといい。例えば湊楓とかどうかね?君にとって、これほど馴染み深い語呂もあるまい?2つ目、そのサードメイカンドは学習型AIを搭載している。しかし今のままでは君を守る以外の選択肢を自ら考え、自ら選び、自ら実行するというプロセスが組み上がってないのだよ。そこで君自身の手で学習させてやってほしいのだが、これと言って難しく考える必要はない。AIは君や周りの人間を観察して学習、その中で大まかに善と悪を識別する。つまり君の行動の1つ1つが彼女の世界を創るという事になる。また優先して覚えさせたい事があるなら個別で指導すれば、すぐに理解してくれるだろう。さて最後だが、これはフォシル君自身に関してだ。今、君の目の前に存在するソレは、あくまでもサードメイカンドという"創り物"であり、見た目や仕草といった細かい部分を、どれだけ人間に近付けようとも所詮は人類の模倣品。だが人間である君だからこそ、その線引きが曖昧になってしまうのではないかと思ってね。物欲という意味での執着心ならかまわんのだが、それ以上の感情を抱かぬようにな。以上で話は終わりだが意見や文句があるなら直接言いに来てくれたまえ"
一通り聴き終えたフォシルはSBCをテーブルに置き、改めて少女を、じーっと見つめてみる。
「彼女は人間じゃなくて創り物・・・そんな彼女に名前を付ける・・・」
珍しく源以の助言が頭をよぎる中、彼女に相応しく、なおかつ今後とも呼び続けられ、その存在を自分自身が勘違いしない名前を考えてみる。
様々な条件に縛られた上での名付けは難航しするかと思いきや案外あっさりと浮かんでしまった。
しかもこれが妙なマッチ感のある響きだったからフォシル自身も驚いている。
「えーと・・・名前は、まだないんだよね?」
「該当データがありません」
「じ、じゃあ・・・その・・・"創り物"って言うのはどうかな?」
「アーティ・・・登録完了」
拍子抜けするほど順調に事が進み、逆に何か見落としてないかと不安を煽られる。
苦難に飲まれ続けた弊害を振り払い、あとは彼女改めアーティに色々な事を学習させればとりあえずの目的は完了する。
その為にはまずアーティを他人と触れ合わせる事だと考えたフォシルは部屋を飛び出した。
「それじゃアーティも一緒に──」
「行動しています」
「って、近すぎ!!」
名前を呼ぶ前から既にアーティはフォシルの背後にピタリッと張り付いて行動を共にしていた。
振り返ると同時に、あのジト目と目線が交わった事にはビックリしたがアーティは何を言わずともフォシルの周辺から離れるつもりはないようだ。
守るべき対象の傍に寄り添うのは武器としてある意味当然なのかも知れないが、それにしても近すぎる。
そこでフォシルはアーティに人との距離感を理解させる。
ところが数値としての正確なデータがない以上、彼女にとってその距離感を理解するのはとても難しい事らしく任意の位置から3次元座標X.Y.Zで計算しても答えが出なかったらしい。
「え〜と・・・なんだって?」
「3次元領域での空間把握に失敗しました。より正確な数値を得る為に──」
「違うよアーティ。数値だとか領域とかじゃなくて、人との距離感って言うのは"ココ"の事を言うんだよ」
トントンと自分の胸を叩いて人との距離感とは自分が相手に、または相手が自分にどれだけ心を開いているかという事を伝えるべく、延いてはそのイメージだけでも掴んでもらおうとするが──
「そこは心臓」
「いや、そうなんだけど・・・」
0から何かを伝えるというのがこれほどまでに過酷な作業だったとは知らなかった。
嫌でもコミュニケーションを図らねばならん状況が来ると源以は言っていたが、今のままではアーティとのコミュニケーションは簡単な単語のみでしか出来そうにない。
こういう時にコミュニケーションの達人、楓や景勝がいてくれれば・・・直後フォシルの細やかな願いは1つの小さな奇跡を起こした。
「浮気者」
相も変わらずいつの間にかフォシルの背後を取ってハンサムポージングを決めているのは景勝その人。
今日は楓ではなくアーティを連れている事に対しての皮肉のつもりなのだろうが、これがなんともグッドタイミング。
今のフォシルと景勝の距離感こそ、彼女に教えたかったモノ。
"この距離感を覚えて"と身振り手振りでアーティに説明しながら景勝に向き直ろうとするが既に彼の姿はドコにもなかった。
あれ?となりながら周囲を見渡している最中、突如廊下全体にドズッ!と鈍い音が響き渡る。
反響する音の根源を耳だけで探り、振り返った刹那──
「・・・なかなかに情熱的じゃねぇか」
右腕をアーティに掴まれ、変形一本背負いの要領で地面に叩きつけられている景勝の姿を発見する。
瞬間移動にも近いフットワークでフォシルの目を盗みアーティにちょっかいを出した結果、こうなったらしい。
無防備な状態で投げ飛ばされれば全身を隈なく強烈な痛みに襲われる事くらい理解しているだろうに、敢えて受け身を取らずイケメンフェイスを魅せつけ爽やかに乗り切るあたり、やはり景勝の根性は常軌を逸している。
「か、景勝さん!大丈夫ですか!?」
「ふっ・・・俺を見縊るなよ?この程度で音を上げているようじゃ山本景勝としての生き様は務まらない」
キリッとした目でフォシルを諭すも体勢が体勢故に、 景勝の発言はどうしてもギャグとしてしか捉えられないが本人は真剣そのもの。
たらしの美学を立て通す為なら、景勝は命を賭ける事すら厭わない。
筋の通し方を大幅に間違えてはいるが、その逞しさは多少なりとも見習うべき点があるかも知れない。
「で、この娘は誰だ?」
「えっ、あぁ・・・え〜と・・・アーティです」
「アーティ・・・なるほど君にこそ相応しい可憐な名前だ!だけどアーティは人間じゃないな・・・サードメイカンドか?」
その一言でフォシルは度肝を抜かれた。
確かにジトッとした人間味のない表情をしているが、そんな顔したヤツらなんて他にも"ごまん"といるハズ。
つまり外見的部分ならアーティは人間と変わりないほどのクオリティを誇っている。
それを一撃で見抜いた景勝の心眼にある種の恐怖を覚えながら"どうしてわかったのか"と聞いてみる。
その答えはフォシルの想像していた全ての予想を裏切り、斜め上を突き抜けた回答だった。
「この景勝、難しい事は理解出来ずとも女の心はわかる!どんな女だって瞳の奥底を覗けば全てがわかる!見た目じゃない!存在する次元がどうこうでもない!大切なのは麗しく咲き誇っているかどうかにある!」
「・・・ナノマシンで調べたとかじゃ?」
「う〜ん?白露さんなら出来るかも知れないけど俺には無理だ。だから言ってるだろ?瞳を見れば全てがわかるって」
「は、ははっ・・・とんでもない能力ですね」
最早笑うしかなかった。
その後、3人は改めてメインフロアへと向かう。
フォシルも景勝もアーティに関してはわからない事だらけなので、道中彼女に様々な質問をしながら人との関わり方を理解させていく。
「山本景勝・・・登録完了。該当データ、対象を山本三佐の実弟と確認。以後福祉技研内部に於ける重要度を3に設定しました」
「ほぉアニキを知ってるのか。で、俺は何段階中の3なんだ?」
「10段階中の3。重要度は低いと思われます」
「まさか俺を三枚目だと思っての扱いか?だったらアニキは10段階中の何なんだ?」
「山本三佐の重要度は7です」
「アーティの中では2倍以上差を付けられてますね」
「ふっ・・・参ったねこりゃ」
肉体的、精神的ダメージに対して驚異的な耐性を誇る景勝は、いきなりの低評価を食らっても特に気にも掛けていない様子である。
長い廊下抜け、たどり着いたメインフロアは相変わらず裏の非合法組織とは思えない雰囲気で3人を出迎えた。
しかし今回のメインはあくまでアーティに学習させる事。
そこで景勝のようなアクの強い人物は避け、もっとマシな相手を探しているとちょうど休憩中の白露を発見する。
「休憩中にすいません。少しいいですか?」
「・・・?」
ソファーに座り、優雅なティータイムを満喫している彼女のもとへ颯爽と駆け寄るとフォシルは事情を説明してアーティを一歩前へと向かわせる。
その間に景勝は何か飲み物を買ってくると言い出して場をあとにした。
女性に対する細かな気遣いも、たらしの美学。
今白露の飲んでいたモノが何なのかを一瞬の内に確認し、次に欲しくなるモノを予め用意しておこうという魂胆だ。
「・・・」
「該当データ、駿河白露。ナノマシン異常により身体的ハンデを抱えるも、その影響で非常に高い演算能力を会得。駿河白露のスペックは未来のスーパーコンピュータ4台分に匹敵する」
「こ、こら!もう少し言い方を──」
「・・・」
「あぁあぁっ!駿河さんすいません!」
無口な上に、顔の1/3を覆ったビン底メガネのせいで白露の表情は読み取れないがアーティの失礼極まりない物言いは誰が聞いても不愉快に違いない。
ところが白露は不貞腐れもしなければ、ゆっくりソファーから立ち上がるとアーティの前で膝を折り2人は視線を合わせる。
「・・・」
「該当データがありません」
「・・・」
「該当データがありません」
「・・・」
ナノマシンリンクで2人は何か会話をしているのだろうが白露の声は聞こえない。
アーティもアーティで"該当データがありません"と言うだけなのでその内容はさっぱりだが、白露の表情を覗けば、なんとなくだが彼女は微笑んでいるようにも見える。
どことなく柔らかい空気で辺りが満たされていくような、フワフワとした雰囲気には不思議と心地よいモノを感じる。
その時アーティが白露に向けて両腕を伸ばし、そのまま彼女の首に絡めるようにして抱きついた。
まさか白露を絞め殺すつもりか!?
一瞬にして肝を冷やしたフォシルが"待った!"の声をかけ、アーティを引き剥がそうと肩に手を掛けると──
「これは優しさ。駿河白露の温もり。新規データを作成・・・優しさ・・・温もり・・・優しさ・・・」
「アーティ・・・」
いつの時代も変わらぬモノは人の温もりか。
2人の間でどのようなやり取りが行われたかは知らないがフォシルの眼に映る彼女達の姿は、まるで生き別れた姉妹ないし母娘のようにも見えた。
無機質な創り物を優しく包み込む白露の中に慈母の光を見出したフォシルはアーティの肩から手を離す。
そして思い出すのは霞かかった向こう側でユラユラと浮かんでは消えを繰り返す在りし日の記憶。
一筋の波で頬を飾った母と娘が互いを確かめ合うように強く強く抱き合いながら・・・漆黒の炎に包まれ灰と化していく光景だった。
「あぁ・・・あぁあぁあぁっ!がぁあぁああぁ!!」
精神の中で何かがピンッと弾け飛んだフォシルは両手で頭を押さえながら暴れ狂い、のた打ち回り、発狂の限りを尽くして自傷を繰り返す。
「どうしたっ!?」
獣の雄叫びにも似た唸り声を聞きつけた景勝が、レモンティーの入ったボトルを投げ捨て3人のもとに駆け寄るとテーブルの角にでもぶつけたのか、フォシルの頭部からはドクッ、ドクッ、と脈打つように血が吹き出している。
仮にも最重要国家機密扱いの人間に万が一の事があれば福祉技研どころか国全体の問題にもなり兼ねない。
緊迫した空気が福祉技研を支配する中、連絡を受けた一課の医療班が到着。
暴れるフォシルを力技で押さえつけ、傷の手当てをすると同時にセデーションを開始する。
「柳主任に連絡しろ!急げ!!」
「し、知らない知らない!!ここんなモノ知っ・・・知らない!!」
「落ち着けフォシル!何があった!?」
「なんだこれは!なんなんだ!!知らない知らない知らなっ──!!」
「しっかりしろ!気を強く──フォシ──しっ──」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「不幸中の幸いか、特に異常は見られない」
「では何が原因でフォシ坊はあのような事に?」
「以前フォシルが言っていたのだが、ふとした時に昔の記憶を思い出す事があるらしい。例えばこんな光景どこかで見たなと思った時などがそれに該当する」
「フォシ坊が直前に見たモノは白露さんがアーティを抱きしめてるところだったハズ。それに対して何かトラウマ或いは忘れたい過去があったという事ですか?」
「現状では無きにしも非ずとしか言えんな。こんな事があると、やはり俺達はナノマシンに頼りすぎていると言わざるを得ない」
少し冷んやりとしたベッドの上、悪夢から目を覚ますと誰かの話し声が聞こえてくる。
激しい目眩と痛みを伴う気持ち悪さに叩き起こされたフォシルの全身に感覚がもどっていくと同時に誰かの温もりがこの右手に伝わってくる。
力無く片目を開きその正体を確認すると手を握っていたのはアーティだった。
「アー・・・ティ・・・」
「これは優しさ。手は握り拳を作れば武器となり、開けば誰かを優しく包み込む事ができる。該当データ、 駿河白露の言葉。私はフォシルを守る武器として優しさを行使する。該当データ、基本マニュアルNo.3第4項目、型式TMーX05ーCPT319準戦闘型サードメイカンドの存在意義」
相変わらずジトッとしたアーティの目を見つめながらフォシルはゆっくり目を閉じた。
彼女に手を握ってもらっているだけなのになぜだか心底安心する・・・小さな両手で包み込まれたその手を握り返し、フォシルは小声で語りかける。
「少し、このままでも・・・いいかな」
「問題はありません」
大きなガラス板を挟んで隣の部屋、スピーカーを介して聞こえてきた2人の会話は銑十郎にとって実に興味深いモノだった。
「・・・創り物と言ったか?とりあえずはイレギュラーなく起動は成功したな。形はどうあれ対象を守ろうとする基本システムにも問題はなさそうだ。これなら源以も納得するだろう」
「アニキもこの事を知っているんですよね」
「一応のレベルだが三佐にも協力してもらった。最もあいつがこの事を知ったのは計画実行の前日だったがな」
眠るフォシルとそれに寄り添うアーティを見つめながら銑十郎は人差し指と中指で頬をなぞりレポートを作成していく。
その後、フォシルが目を覚ましたのは時刻が20時を過ぎた頃。
そして傍には彼の手をずっと握り締めていたアーティの姿があったと言う。