ACT.3 生存率−1%
西暦4192年3月10日。
生け贄の立場でありながらフォシルは持ち前の明るさで福祉技研職員達と良好な関係を築いていた。
楓には弟分として振り回され、三佐からは当時を知る者として歴史には記されなかった事を色々聞かれ景勝からは女性関係をしつこく聞かれ続ける。
またデジタルエンチャント(メッセージアプリのようなモノ)を介して声と文字は会話を成立させ銑十郎とは体調管理の為、日に数回の検診を受けている。
しかし源以とだけは──
「家畜は幸せだと思うかね?」
「俺は家畜じゃない」
「知っているとも。君は正真正銘の人間だ。だからこそ聞いているのだよ。何1つ不自由なく、殺されるまでの生を全うする豚や鶏に対して、明日の生すらわからない野生の獣達は、本当の意味での天命を全うしている。同じ生でも反するこれらは、どちらが幸せだと思う?」
「・・・」
「今の君は前者の獣。たまには汚れた天の下、自由に走り回ってみたいと思わんかね?」
相も変わらず殺伐とした関係を維持していた。
フォシルは目覚めてからの1ヶ月、一切の外出を禁止され、環境汚染著しい未来に於いてナノマシンの導入されていない人間が外気に晒される事はイコールで死出の旅路を意味している事を聞かされていた。
それを散々警告してきたのは他にもない源以自身。
ところが今日に限ってこのような話題を振るあたり、大切な生け贄を生かしておきたいのか殺してしまいたいのかが、いよいよわからなくなってきた。
気まぐれで放たれた甘い言葉に殺されてなるものかと在りし日の源以が言ったセリフをそのまま返してみる。
「私自身が忘れていた事をよくも覚えていたものだ。素晴らしい記憶力だよフォシル君。それとも嫌な事だけは、いつまでも覚えていられる質なのかね?」
「毎度毎度ネチネチと・・・っ!」
「気張らずともいい。私も今し方、自分でそう言った事を思い出したよ。しかしだフォシル君、未来には非常に優れたモノがあってね──」
フォシルの部屋に置かれた三脚テーブルに寄りかかっていた源以は右手にぶら下げた大きなケースをそこに置くと、フォシルに見えるように縁を人差し指でなぞりながらフタを開く。
その中を覗き込めば灰色の物体が威風堂々たるオーラを放ちケース中央に鎮座している。
一瞬でそれが何だかを理解する事はできなかったが、 足りない情報は想像力でカバーするのが道理。
大きさはサッカーボール並み・・・素材は妙なテカりを放ち、燃やしたらパチパチと溶けながら有害物質を出しそうなあの感じ ・・・バイザーのような出っ張りの下には一体型のゴーグルらしきモノが付いている。
斯くして、そこから導き出した答えは──
「マスク?」
「超濃度有害物質に完全対応した防塵マスクだ。いかにナノマシン技術が発展しようとも念には念をと考える者も少なくないこのご時世。体内に侵入する有害物質を手前で取り除ければ、それに越した事はないのでな。外を見たまえ」
いつもの壁透視で変わり映えのない未来の姿が映し出される。
変形する大型ビル群にエメラルドグリーンの道路。
空飛ぶ車こそないけれど、街行く人々の頭上すれすれを低空飛行する謎の物体。
その中で源以が見せたかったモノは圧倒的技術の進歩ではなく街行く人々の方だった。
アンテナの付いたラバースーツを着ているわけでもなければ宇宙服よろしくな未来アーマーを着ているわけでもない。
フォシルの暮らしていた当時と何1つ変わらないフォーマルでカジュアル、ベーシックでシンプルな人々の姿は正直、見ていてもつまらない。
それなら、ごちゃごちゃとした風景を見ているほうがよっぽど好奇心をくすぐられる。
故にフォシルの眼は人々を"動く点"くらいにしか見ていなかったし然程興味もなかったのだが、源以の言葉に促され人間観察をしてみると──
「あれは・・・」
当時とは明らかに違うワンポイント。
汚れた天の下、すれ違う人の群れの中になんと防塵マスクを被った人物を発見。
ビシッとした黒いスーツに漆黒のマスク・・・さらに目を凝らせば頭部から首元まで、すっぽりとマスクで覆った家族連れ。
3月の寒さが容赦なく肉体を攻め立てる中、無邪気な風の子を体現した子供達の姿は半袖短パン防塵マスクの奇抜なスタイル。
極め付けは赤子の入れられたカプセルのようなコックピットのようなデザインのベビーカーそれ自体が既に防塵フィルターとして機能しているという事。
西暦4192年、未来世紀末の異様な光景にフォシルは愕然とするが、重度の環境汚染により人間の在り方さえも変えてしまった世界観を以ってすれば"その程度の変化"は難なく罷り通る。
小さな島国日本は、たかが2000年の時代を超えただけで既に異世界へと姿を変えていた。
険しい表情のまま外を見つめるフォシルの胸に、ある種のカルチャーショックと哀しみが込み上げてくる。
それから源以が言うには前者の獣もたまには放牧してやらないと仮初めの生とやらに疑問を抱いてしまうらしく、フォシルを家畜に成り下がらせない為にも今回の"お散歩"を提案したと言う。
ハッピーサプライズと呼ぶには胸糞悪すぎる理由だがフォシル自身、外の世界に興味があるのも事実。
その後源以に連れられやって来たのは福祉技研二課に属する超濃度有害物質対策部。
源以から事前に連絡を受けていた事もあり二課の面々は落ち着いた様子で大量の防塵マスクを用意していた。
場所も場所という事でその傍には主任の三佐と、最近になってフォシルの姉(仮)を自称するようになった楓が待機している。
仮にも社会福祉法人を名乗る以上、ここら辺の技術は本物らしくフォシルが疑問を投げ掛ければ開発担当であろう色白の痩せた男は事細かにそれらを説明してくれる。
目を輝かせ、妙な自信と情熱に溢れた男の説明は聞けば聞くほど超濃度有害物質に対する恐怖心も和らいでいく。
様々なデザインの防塵マスクが並ぶ中ビビビッ!と感性を刺激されたフォシルが手にしたのはラウンドレンズに鳥の嘴のようなフィルターが付いたペストマスク(17世紀頃に実在した医療マスク)だった。
迷う事なく手にしたペストマスクをあらゆる方向から観察した後、開発担当の男並びに三佐と楓に対して"これが良い!"と意気揚々言い放つ。
それはある意味でウケを狙ってのチョイスだったのだが──
「よりにもよってそのタイプを選ぶとはな」
「うん・・・なんか"パン=エンド"みたいでちょっとアレというか・・・なんか・・・」
「パン・・・なんですか?」
「えぇ?フォシルはセンスないなぁと思っただけ」
笑いも起きなければブーイングも起こらない。
それどころか2人(開発担当の男を除いて)を困惑させただけ・・・要するにフォシルはスベってしまったのだ。
捨て身上等、決死の思いで放った渾身のボケ。
それに対して報われぬ結果。
腹の中で、ぬくくっ!と苦虫を噛み潰したよう面を晒してゆっくりペストマスクを元の場所にもどした。
そこからフォシルのテンションは右肩下がり。
挙句の果てには口に直接フィルターを突っ込めば良いんじゃないかと暴言を吐く始末。
実際、口元だけのハーフタイプ防塵マスクも存在するのだが人間のスペックを考えれば否応なしにフルフェイス一択となる。
半ば不貞腐れながら改めてフォシルの選んだモノ。
それは開発担当の男が持って来たうちのどれでもなかった。
予想外の選択に三佐は眉間にシワを寄せ、彼の手にしたマスクを見てみると──
「そのマスクは二課で作られたモノではないな?」
「だが福祉技研で作られた事に変わりはない。すまんな三佐、それを設計したのは私だ」
「所長がですか?いつの間にこのようなモノを」
せっかくの好意を無に帰して選んだモノは源以が最初に見せたあのマスクだった。
バイザーと一体型レンズを装備した灰色のソレは、よくよく見ればデザイン性も悪くない。
本当に源以が設計したのかを疑いたくなるレベルでフォシル的センスに合格点を押させたこの防塵マスクは以後、彼が外出する際の必需品となった。
僅かな隙間も許さない事を前提に作られたマスクの締め付けはかなりキツい。
首を絞められた時などに内側から頭を吹き飛ばされるんじゃないか?と不安を感じさせるアレを堪えながらフォシルは開発担当の男に身を委ねる。
「・・・おぉ」
マスクを装着して少し篭った自分の声と、シューシュー音を立ててフィルターから漏れる呼吸音にフォシルのテンションはやや回復。
若干の息苦しさはあるが気分はさながら特殊部隊。
昔は意味もなく歯の隙間から息を漏らしてコレのマネをした・・・しかしそのクオリティは周りの友人達に言わせれば死にかけのジジィ。
ハッ!とした刹那、再び前後の欠けた記憶のピースがどこかの空白にハマっては瞬く間に虚空の彼方へと消えてゆく。
「馬子にも衣装とは言ったモノだ。よく似合っているではないか。これならば誰に疑われる事もなく外出ができるだろうが、注意しなければならない事もあるので説明しておこう。そのフィルターが100%の能力を発揮できる時間は約10時間程度。それを過ぎればわかっているね?」
「生け贄にする前に死ぬなって言いたいんだろ・・・わかってる」
「理解が早くて助かるよ。その通り、我々がどんなに望んでも得られなかった生け贄の素質を君は持っている。正直羨ましいよフォシル君。では湊君と2人、男女水入らずで楽しんで来るといい」
不意に語られる彼女の名前と、皮肉めいてはいるもののなぜだか期待してしまう言い回し。
その背後で自信ありげに胸を張る楓の姿がフォシルの期待にさらなる拍車をかける。
時代的な話をすれば約2200歳を迎えた彼も肉体的精神的な実年齢は10代後半の盛った獣。
慣れない環境に晒されて食欲、物欲は衰えても性欲だけは御健在。
このくらいの歳の男子というヤツは変な意味はないが異性との在り方を妙に意識してしまうモノであり、あわよくばワンチャンあるかも?と考えてしまうのも偏に若さ故の必然。
状況が状況というのも相まって少しずつ楓に惹かれていく自分がいる事も理解している。
だからこそ今のフォシルの頭では彼女の事を考えれば考えるほど、いい所しか見えてこない。
明るくおバカでキュートな女・・・ふとした時に感じる圧倒的フレグランス力・・・一言で言い表すなら楓は最強の可愛さと最高の波長を兼ね備えた蠱惑魔だった。
1人淡い幻想を抱くフォシルは後に彼女の正体を知った時でさえ、その想いを変える事はなかった。
「未来の勝手もわからない君を野放しにするハズがなかろう?ドブネズミなら本能で帰って来れようが、君は不憫な人間。是が非でも生き延びんとする逞しさもあるまい。それに自分の立場を考えてみたまえ。我々も大切な生け贄を失いたくないのでな」
腹の中が読めない、いつもの冷めた表情で2人を見送ると源以は鋭い三白眼を閉じて三佐に向き直る。
「三佐、なにか思うところがあるようだな」
「いえ、私は──」
「構わんよ、言ってみたまえ。君の態度或いは声なき訴えが私にこのセリフを言わせたのだからね」
超能力にも近しい洞察力で三佐の心境を見抜いた源以は、その巨体を見上げながらゆっくりと歩み寄る。
物言わぬ威圧感に若干表情を強張らせた三佐は一息ついて源以の期待に応えるべく口を開いた。
「・・・では僭越ながら、なぜフォシルを外部に晒すようなマネをするのですか?」
「人間の存在を示す為だ。ここ最近、お上の煽りがしつこくてね。何を焦っているのかは知らんが、政府管理区第7陸橋広場に連れて来いと言われてしまったのだよ」
「第7陸橋広場・・・人通りの多い観光スポットを指定してきたのはフォシルの警戒心を解く為と考えるのが適当。でしたら楓だけでは不十分かと思います。今からでも二課の先鋭或いは私や景勝が護衛に──」
「いや、湊君1人で事は足りる。忘れたのかね?彼女が何者なのかを・・・君は何があろうとも山本三佐である事に変わりはないが彼女はどうかね?ある時は福祉技研四課の湊楓、ある時はジャーナリスト皇あやめ、またある時は身分もクソもない掃き溜めのクズ有斎瑠璃。それと新たにサードメイカンド大手、IMsコーポレーションの故浦霧茂吉の隠し子にしてIMs正統後継者、浦霧津奈が生きていたというシナリオで偽装データを用意しているところだ」
そういう事か・・・三佐は1人納得した。
現状フォシルの存在を知っているのは福祉技研内部の人間と日本政府内でも一部の上級官僚のみ。
対する福祉技研は暗躍組織でありながらも数々の功績により、既に一部の危険因子達には知れ渡った存在と化している。
中でも最強の危険因子と目される解放者は、あらゆる所に決起のタネを蒔いている。
彼らにとって福祉技研は紛う事なき敵であり、その関係者も同じく敵と見なされる。
フォシルの存在が未だ解放者に知られてないと仮定した時、彼の隣に三佐や景勝といった歴戦の工作員がいた場合、それは無条件でフォシルの警戒レベルを引き上げさせる事になる。
この情報社会に調べられないモノはなく、未来の人口は宇宙圏も合わせれば約1600億人を優に超え、その1人1人がナノマシンにより生まれる前から死んだ後まで徹底的に管理されている。
途方もない数字にも見えるが、これらを管理しているのは統括コードと呼ばれるWCNSの中枢機関ただ1つであり、その中から特定の人物を探し出す事自体、少しの悪知恵があればさほど難しいモノでもない。
ナノマシンを介してフィードバックされた膨大な情報はリアルタイムで統括コードに送られ入力、上書き、保存、出力をヨクト秒(10の-24乗)単位で行っている。
つまりは誰が何時何分ドコで何をしていているのかを瞬時に知る事ができるのだ。
そうやって調べられた結果、フォシルが統括コードの枠外に存在する人間だとバレでもしたら人間も地球の一部としてテロリズムを掲げる解放者の事、それこそ何を仕出かすかわかったモノではない。
この時代の人間として生まれた以上、統括コードの監視から逃れる術はないからこそ源以は物理的カバーを犠牲にしてでも楓1人に任せたのだ。
実は彼女も白露同様、先天性のナノマシン異常を抱えているのだが、それはあまりに異質で、あまりに特殊なモノだった。
突然変異を起こした楓のナノマシンは統括コードとのフィードバックを任意で拒絶する事ができ、この変異ナノマシンを福祉技研では通称R-typeと呼んでいる。
頭文字のRは書き換えを意味し、その能力は源以の述べた通りである。
彼女の存在を敢えて公に晒す事で第三者には"楓イコール楓"という情報を認識させ、その上でナノマシン情報を書き換えすれば"実在するが存在しない者"が完成する。
つまり戦いに備えるのではなく"戦いわない事"に重きを置いた結果がこの組み合わせ。
それだけの事にすぎないのだ。
「そうなれば楓に用意された身分は全部で1007人 ・・・自身を含め1つの身体で1008役を演じ分けるとは、さすがにやりますね」
「人間は相手の中身を見ずに外見だけで判断すると言われるが私に言わせれば50点。その実、誰も他人の事など見てはいないのだよ。中身も外見も含めてね。人間が他人を判断するポイントは情報だけだ。人が人を求める時、本当に求めているのは為人などではない。その人間が持つ情報を求めているにすぎん」
「所長の仰る通り、その考えは既に実証されています。現に楓は偽りの身分を使い幾度となく福祉技研に貢献している事からもそれは明白です」
「それに死人の心は寛大だ。決して文句を言わん。それどころか湊君を依り代に再び生を満喫できて感謝しているのではないか?」
「・・・ですが浦霧会長の件は早急すぎるかと思います。フィードバックしたナノマシン情報と共にデータ上で保管されたそれらを改ざんするにも、死後4年程度では些か不安要素も多いかと──」
「三佐、君は頭が良い。故に可能性を不確定要素として警戒してしまう。無論、脳細胞の死滅した醜怪共よりは数億倍マシだが、それだけでは不十分だ」
諭すような目で語り掛ける源以のそれはどこまでも冷たく、まるで鋼鉄の塊と対峙しているかの如き圧迫感を与える。
見た目どうこうではなく松永源以という存在そのものが威圧的なのだ。
「だが今はそれでいい。この福祉技研で本当に信頼できる人物は銑十郎と三佐、君達だけだよ。それはそうと煽りついでに、お上から新たなプランが発表されてね。その内容を君にも伝えておこう。そうすれば君の恐れる不確定要素も色鮮やかな可能性に見えてくるハズだ」
「・・・」
「ここでの立ち話では興が乗らんだろう。先に私の部屋で待っていてくれたまえ。駿河君の進捗状況を確認したらすぐに向かう」
1つの事象の裏には倍以上の物語りが存在する。
フォシルからすれば源以の気まぐれ。
楓からすればフォシルと共に過ごす何気ない一時。
源以からすればテロリストと日本政府を相手取った駆け引き。
その全てを知る必要もなければ知る術もない。
ただ1つ言えるのは全員が全員、同じゴールを目指しているわけではないという事だ。
所変わってフォシルと楓がたどり着いた先は福祉技研地下駐車場。
時刻は午前11時という事もあり、辺りには誰もいないらしく無機質なタイルに反響した2人の声だけが、だだっ広い空間に虚しく響き渡る。
さすがに駐車場だけあって車らしき物体がちらほらと点在しているが、そのどれもがのっぺりとしたスライムのようなフォルムをしている。
20世紀の感性を受け継ぐフォシルから見れば、とてもじゃないがコレを乗り物だとは認識できない。
例えるのなら雑煮の中で柔らかく煮詰まり角の取れた巨大な餅。
タイヤもなければエンジンらしきモノも見当たらない。
「さて、どこか行きたい所とかある?」
「たぶん俺の知ってる所はどこにも残っていないかと・・・」
「油断したわ。当たり前の話をするつもりが、こんな悲しい流れになるなんて・・・だがしかし!所長からアドバイスをもらってましてねー、未来の世界観を理解するには第7陸橋広場って所が良いと言われたんですよ!!」
怒鳴り声にも似た楓の言葉にフォシルはハッ!とする。
いつの間にか彼女を放置して車らしきモノと睨めっこしていた事に気付いた彼が急ぎ振り返ると、そこには実につまらなそうな顔をした楓がポケットに手を突っ込みスタンばっていた。
"はよ来い!"と急かす彼女の元へ駆け寄ると、楓は柱の影に隠れた何かを指差し──
「あんなモッチモッチのパン車よりも、こっちの方がカッコいいでしょ!?フルチューニングした私の愛機XMR-4初期型ライトニングカラーよ!」
停めてあったソレは黒地にダークブルーのラインが入った、いかにも未来的バイクのようなモノだった。
ナイフのような鋭いフォルムにタイヤはなく、あるのは純粋にスピードのみを求め続けた匠の心意気。
楓本人が私のだ!と言っている以上彼女の愛機に違いはないのだろうが、いかんせんギャップがありすぎる。
キャスケット帽でカサ増ししても彼女の身長は約160前後。
対する愛機は細身スタイルではあるものの全長は2mを超え、ハンドルは前傾姿勢を余儀なくさせるセパレートタイプ。
おまけにステップの位置はかなり後ろに調整されたバックコントロールのレーシング仕様。
それを楓の体格で乗り回すにはとてもじゃないが無理があるように思える。
なんならイメージ的にも体格的にもクール(見た目だけ)な景勝の方がよっぽどお似合いだ。
マスクの下で不安げな表情を浮かべるフォシルを他所にお気に入りのキャスケット帽をしまった楓は此れ見よがしに愛機に飛び乗り、左足でスタンドを払うと自身のライティングフォームを魅せつける。
「・・・フォシル?」
「えっ?あ、はい。なんでしょうか?」
「乗らないの?」
少しの間を空けた後、楓が唐突に言い放つ。
状況を整理すれば彼女は愛機を自慢する為だけにフォシルをココに連れてきたわけではなく、例の第7陸橋広場に行く為にコレを使うつもりだったとの事。
つまり──
「乗るって・・・ソレの後ろにですか?」
「当たり前でしょ?まさか運転させられるとでも思ってた?」
「あっ、いや・・・そういうわけじゃないと言うか、そもそもが違うと言うか」
フォシルの煮え切らない態度の理由は斯く斯く然々。
だが当人の苦悩など他人から見れば焦れったいだけの無駄な時間に他ならない。
再び"はよ!"と急かす楓の気迫?に押されて、ふっ切れぬモヤモヤを供にフォシルはXMR-4の後ろに乗る。
いざ乗ってみると、これがなかなかにフィット感のあるシートで臀部から太ももの付け根辺りを優しく包み込む。
アグレッシブでシャープな見た目に反してその実、跨ってるぶんには得も言えぬ安心感を与えてくれる。
あとは彼女のドライビング技術がどの程度のモノなのかと考えた時、楓の愛機はベルトやタンデムバー(後ろの搭乗者が振り落とされないように掴む為のモノ)がオミットされている事に気付く。
これは非常によろしくない。
「あの湊さん。コレ・・・俺はドコを掴んでれば良いんですか?」
「えぇ?ドコだっていいんじゃない?」
「じゃあ・・・湊さんを掴んでも?」
「あぁ?」
呆れてるのかイラッとしたのか、どっちとも取れないトーンで返答する楓にフォシルは少し後悔した。
刹那、彼の手を取った楓は迷う事なく自らの腹部にその腕を回した。
不意の逆ボディタッチにドキッとしつつも、絡みつかせるように巻きつけた腕を指先までピタリと彼女の脇腹に張り付ける。
マスク越しでも感じる気がする彼女の甘い香りにうっとりしながら顔も名前も知らない楓の両親に"あなた方の令嬢に抱き付かせていただく事をお許しくださいと"心の中で一言詫びをいれフォシルは目を閉じた。
後ろのポジショニングを確認した楓がメインパネルを操作して愛機に命を吹き込むとXMR-4はそれに応えるべく、ピシューッと小気味よい起動音を奏で始め、次の瞬間には声高らかに鐵の咆哮を響かせる。
「スタンバイOK!それじゃあ、いっくよー!!」
「え、ちょっ、まだヘルメット──」
フォシルの軟弱な意見など聞く耳持たず、まるでスラロームでも楽しんでいるかの如く入り組んだ地下駐車場を疾走する楓は、そのままグイグイと加速させ愛機の勢いを殺さずに地上へと飛び出して行った。
あとになって聞いてみれば、この時代にはマルチ・ジャイロ・アブソーバー・システムなるモノが完成しており最早ヘルメットの着用は必須ではなくなったらしい。
身を委ねるフォシルとしては、具体的にそれがどのようなモノなのかを聞いておきたいところではあるが、当の楓が説明下手なせいで聞いたが最後、より一層の不安を募らせる結果となってしまった。
他に気付いた事と言えば、未来のバイクらしきコレの正体は20〜21世紀頃に走り回っていたソレらとは似て非なる全くの別物である事。
感覚としても地面を蹴って走るというより、なめらかにその上を滑っている感じに近い。
かと言ってスノーボードともアイススケートともまた違うなんとも言い表せない不思議な感覚。
そして意外に確かな楓のドライビング技術に揺られる事10分。
2人は今回の目的地、第7陸橋広場に到着した。
辺りを見渡せば超濃度有害物質にも負けず、活気に溢れた人々がワラワラと行き交い、露店やエンターテイメント的映像がこの空間をこれでもか!と盛り上げ、その中にはもちろん防塵マスクを装備した人の姿も確認できる。
イライラするレベルの賑やかしさと人混みの窮屈感を見ていた矢先、バラバラに砕け散ったいつかの記憶が渦を巻きながら一点に集まっていくような感覚が脳裏をよぎる・・・が、今回ソレは形になる事なく光の彼方へと消えていった。
記憶の燃えカスはすぐに黒いモヤモヤへと変わりフォシルにため息を吐かせる。
それでも辺りを見渡してみると人混みに紛れて"明らかに不自然なモノ"が存在しているのを発見する。
さっそく楓にアレは何かと聞いてみると──
「あぁアレ?アレは"サードメイカンド"だよ」
「サード・・・メイカンド・・・?」
「まぁわかりやすく言えばロボットか人造人間だと思えば間違いないかな?」
フォシルの見つけたモノは成人男性ほどの大きさをしたロボットだった。
無駄のない青っぽい装甲にスタイリッシュなバイザーヘッド、硬そうな見た目に反してぬるぬると動くソレの存在はまさに未来世紀。
中には玩具サイズだが見た目が人間そっくりな、それこそ妖精のようなタイプから角張った赤い装甲に包まれ胸部のクリアパーツからオールドな歯車が見えるブリキ風ロボットまで選り取り見取り。
「あの小さいヤツなんて見た目だけなら人間と変わらないじゃないですか?」
「だからサードメイカンドには、いくつかの法律があるの。大きさを人間サイズにするなら外見を人間っぽくしちゃダメとか、5mを超えるヤツは人型にしちゃダメとか。人型って言うのはこう・・・二足歩行で ・・・とにかくわかるでしょ!?」
楓の説明によると人間サイズのサードメイカンドは通称J型と呼ばれ、この時代の法律で見た目を人間っぽくしてはならない為にロボット感溢れるデザインになっているとの事。
またサードメイカンドには最小サイズの規定もあり、全長16cm以下にしてはならないのだが、このタイプ(16cm以上50cm以下)には先述の見た目に関する法律は適用されず限りなく人間に近いよう創る事ができる。
そしてこれらのサードメイカンドは通称F型と呼ばれている。
逆に最大サイズに規定はなく、最も大きなサードメイカンドは全長400mを超えるらしいが5mを超える場合は例外なく人型に創る事が禁止されこれらは通称G型と呼ばれている。
具体的には下半身を土台型にしたり、両腕と頭部をオミットしてメインカメラ付きの胴体と2本の脚だけのモノだったりが存在し、その目的もJ型とF型が愛玩或いは生活のパートナーとして使われるのに対してG型は主に作業用として使われる事が殆どである。
またサイズに関係なく人型以外のモノ(G型を除く)は通称S型と呼ばれるらしい。
「凄いですね・・・未来って」
未来の世界観を理解する事がこれほどの苦行だったとは思いもしなかった。
ドッと押し寄せる疲労感に負けじとフォシルは楓のあとに続き、人混み掻き分け奥へ奥へと突き進む。
一方、福祉技研所長室では──
「待たせたね」
シックな木目調の部屋で三佐が待つ事20分。
遅れてやってきた源以の傍には銑十郎の姿も確認できた。
2人が椅子に腰掛けると早々に源以はデジタルディスプレイを広げ、あるモノを見せ始める。
「まずはコレを見たまえ。1週間ほど前に日本政府に向けて解放者が発信したとされるモノだ」
空中に投影された映像はNoImageの警告と共にザザッ・・・というノイズが流れているだけだった。
その後しばらくすると低音加工された声で20秒にも満たない音声が再生される。
「歓喜の名の下に人類を救いし我ら解放者はアダムとイヴの息子達。神に祈り、神に詫び、無辜なる人の血を捧げ、潔白の証明と共に世界の一部へと還らん。善悪の果実こそ唯一にして絶対の真実なり」
映像が切れた後、しばしの沈黙が場を支配する。
一瞬にして凍りついたこの空気を打ち砕いたのは三佐の放った率直な意見だった。
「これは一体?」
「詩のクオリティに対してかね?確かに君の言う通り、誉められた出来ではないな」
「皮肉るな源以。三佐はこの内容を"どういう意味"かと聞いているんだ」
「そうだったのか、これはすまない。知っての通り、ここ1ヶ月の間で解放者の動きが再び活発化してきている。害虫が目覚めるにはまだ肌寒い季節だが、なにか甘い蜜でも見つけたのだろう。意味もなく政府に喧嘩を売ったのでないとするなら、解放者には明確な目標があると考えるのが妥当。そこでキーワードになるのが"善悪の果実"という表現だ」
解放者の本質は環境保護団体。
それは地球と人類が共存できる世界を意味しているのだが、未来の世界は彼らの掲げる共存とはかけ離れ過ぎている。
一方的に地球を貪り尽くした人類は崩壊の一途をたどる世界の中で醜態を晒しながらも支配者であり続けんとする。
それを解放者に言わせれば、既に人類はアダムとイヴの生み出した無辜なる人間にあらずして異形の怪物と成り下がったらしい。
地球、延いては人類を救う為には最早この怪物共を滅ぼす以外に道はなく、その為には"悪"に堕ちる事すら厭わない。
救うべき対象と滅ぼすべき対象が同じ人類なら解放者の目的は矛盾している事になるが、そこに現れたのが善悪の果実。
旧約聖書創世記でアダムとイヴは善悪の知識の実を食べ、エデンの園から追放されたとある。
つまり善悪の果実が示すモノとは純粋な人間、フォシルの事に違いない。
ならば解放者がフォシルを狙うのは、ある意味で必然とも取れるが問題はその目的。
フォシルを救うべき対象として、それ以外の人類を滅ぼすのか。
それならいくらか出遅れたとしても対処法は存在するが最悪のパターンとして人間を神の世界へと導く為に殺そうとしてくる可能性がある事。
フォシルを殺した後に全人類を滅殺すれば、それはそれで解放者の目的は達成できたようなモノ。
とにかく話は悪い方へと向かっている事に間違いはない。
「断言は出来ないが解放者側の内通者が日本政府、或いは福祉技研内部に紛れ込んでいる。いつから紛れているかは知らんが、駿河君の処理能力を以ってしても未だに発見できないとなると元から内部にいた可能性もある」
「我々の中に裏切り者がいる・・・そう仰るのですか?」
「あくまで可能性だよ」
「ではその駿河が裏切り者だった場合は?」
源以と銑十郎はどこか似ている部分がある。
まずは信じる事よりも疑うところから始め、突くべき点を的確に、そして容赦なく突いていくも疑わしきは罰せず。
普段から不敵な発言を繰り返す2人だが、それを強行する事はなく絶対の確証があった時に初めて行動を起こす。
世の中には結果を急ぐあまりに手順を飛ばして足元をすくわれる愚か者がいるが源以と銑十郎はその限りではない。
だが、これではあまりにも白露が気の毒に思えてくる。
そこでフォローの1つでも入れようと三佐が口を挟むが、こういう場合の彼は現実主義。
仲間だからとか彼女に限ってなど甘ったるい事は一切口走りもしなければ考えもしない。
この非情のメリハリを以ってして彼は源以に"信頼できる"と言わしめるのだ。
「白露の性格を考えれば謀反を起こすとは考えにくいですが可能性の1つと捉える必要はあります。しかし疑心暗鬼に陥ればそれこそ敵の思う壺です」
「疑心暗鬼・・・考え、理解し、行動する事ができるようになった人類への代償もしくは弊害。物事はただ考えればいいというモノではない。無能がそれっぽく考えたところで空回るのが関の山。だが心配せんでもいい。私は考え事が苦手な無能でね、難しく物事を考えないようにしているのだよ。さて、話もひと段落ついたところで本題に移ろう」
1つの話題を終えると源以が慣れた手つきで端末を操作する。
刹那、三佐と銑十郎の手元にデジタルディスプレイが展開。
紙の資料とは違い3Dモデリングで物体の動きなどを見ながら話が進められる為、イメージが湧きやすく伝える側と受け取る側のズレを格段に抑える事ができるこの技術は小さな事だが革命的な進化と言っても差し支えない。
初めて資料に目を通した三佐は、この時既に源以と銑十郎がある程度プランを進めていた事を知り、驚くほどの完成度を誇るそれを息を呑みながら一語一句見落とさず全てのグラフや数値を脳裏に焼き付けていく。
延々と資料に目を通して矢先、とあるページを見た三佐の手は止まり、その内容を理解した時、彼は驚きの声を上げた。
「これは・・・!」
「どうかね。それが今回の肝となる内容だ」
「あぁ、俺も最初にこの話を聞いた時はまさに禁忌だと思ったよ。誰もが思いつく事だが誰もやろうとはしなかった・・・いや、できなかった。だが今回俺達はそれを本当にやってのけた。おかげで俺は死んだら地獄行きだ」
「我々にしてみればフォシル君の存在は神と言う名の生け贄だが、解放者にしてみれば神そのもの。力尽くでも奪いにくるだろう。そうなったら我々自身が武器を持って対抗する他あるまい。無論フォシル君にもある程度は自衛を強いる事になるだろう。そしてコレはフォシル君の為の"武器"なのだよ」
「早ければ明日の朝には調整を終えて起動できるハズだ。大丈夫だとは思うが万が一に備えて福祉技研随一の腕っぷしのお前にも同行してもらいたい」
「もしもの時は私がコレを力尽くで止める事になる。ですがスペックを見る限り、私が本気になったところで何秒単位の時間稼ぎにしかならないかと思います」
「EscapeGoatを完遂するまでは、なんとしてでもフォシル君を守り抜く。我々は希望を手放すわけにはいかんのでな。そう遠くない内に福祉技研は戦火に包まれるだろうが、やるべき事を理解していれば問題はない。今後は二課を中心に臨戦態勢を整え、来たる日には戦場の指揮を君に任せる予定だ・・・頼りにしているよ三佐」
内通者の存在に禁忌を犯した外道のプラン。
そして告げられる戦争までのカウントダウン。
次々と襲い来る悪夢のような現実を前に三佐の額から嫌な汗が、たらりと滴り落ちるも彼は指先1つ動かせずにいた。
「では解散だ。私は引き続き内通者を炙り出すとして銑十郎は明日の朝には間に合うよう最終調整を頼む。そして三佐・・・君は君なりの考えで行動してくれたまえ」
10分程度のブリーフィングを終えた3人は一切無駄口を叩かず所長室を後にする。
それから4時間後の午後3時。
なぜか体を引きずりクタクタの状態となったフォシルと、ハジける笑顔が最高に眩しい楓が帰還。
"男と女、水入らずの時間はどうだった"と毎度の如く絡んできた景勝は、毎度の如く楓に蹴り飛ばされる。
防塵マスク開発担当の男はすぐさまフォシルとマスクに異常がないかを確認する。
そして主任としてそれを見ていた三佐の表情は、いつもと変わらぬ愛想ない強面を維持していた。




