ACT.2 社会福祉法人 技能開発研究所
西暦4192年3月2日同日。
半ば死ぬまで出れないとすら考えていた収容所から解放されたフォシルは源以のあとに続いて、ひたすらに長い廊下を黙々と歩み続ける。
時折床や壁に映る自分の姿を見ながら辺りを見渡してみるも未だ人っ子ひとり誰の姿も見当たらない。
得も言われぬ不安が後ろ髪を引く中で差し掛かった丁字路を曲がった刹那、フォシルの視界は突如発生した強烈な光でホワイトアウトする。
目を閉じ、顔を背け、本能的に腕を上げて防御の姿勢を取った時、廊下全体になんとも可愛らしい声が木霊する。
「フッフッフ・・・遂に撮りました!撮ってしまいましたよ世紀の大スクープ!!遥か昔に絶滅した人間の生写真、撮ってしまいましたよ!!」
華麗なステップインで飛び出して来たのはクリーム色を基調としたロングコートに身を包み、赤色のキャスケット帽を合わせた小柄なシルエットの女性だった。
イチゴを乗せたショートケーキのようなカラーリングの、やたらとハイテンションな彼女はキラキラした目でフォシルを見つめながら、この時代のカメラと思わしき楕円形の物体をパシャパシャと輝かせ狭い廊下を縦横無尽に駆け回る。
「ちょっ、なん──ま、待って!!」
目潰しにも使われる高性能軍用ライトが如き閃光が360度あらゆる方向から問答無用に襲い掛かる。
とりあえずフラッシュを止めてもらう為に話し合いをする・・・などという選択肢、彼女は与えてくれそうにない。
まぶたを貫通して襲い掛かる強烈な光が延々と眼球をダイレクトアタックしてくる中、片足を軸にバスケット選手よろしくその場で立ち回るも先々で回り込んで来た彼女の猛攻を食らうハメとなる。
腹立たしいほどにコチラの動きを封殺されたフォシルは藁にもすがる思いで源以の名を口にする。
忌み嫌っているわけではないが今の段階では少なくとも源以の事を好いてはいない。
にも拘らず、その男に助けを求めねばならないこの状況に圧倒的敗北感と恥辱を感じ、悔しそうな表情でもう一度源以の名前を口にする。
「フォシル君にソレを向けるのはやめたまえ。彼にとって42世紀の技術は刺激が強すぎる。君がソレを光らせる度にフォシル君は自分の魂を吸われていると勘違いしているのかも知れん」
「えっ・・・」
次の行動に移るべく片足に重心移動させた体勢で急停止した彼女は申し訳なさそうな顔を浮かべると楕円形の物体を手放して自らホールドアップ、何もしない事の意志表示をする。
魂を吸われる発言はさすがに言い過ぎだが今だけは文句を言わないでおこう。
毒はあったが、とにかく源以のフォローのおかげで網膜が焼き付く前にフラッシュから解放されたフォシルは目をこすり、眉間にシワを寄せながら数ミリ単位で刻みつつ、ゆっくりと目を開いた。
いつの時代も女人の年齢を探るのはヤボな事だが、おそらく彼女は10代後半から20代前半。
キャスケット帽から伸びるセミロングのオレンジゆるふわヘア(視覚的には茶髪に見える)1つとっても、それ相応のオシャレには気を使っている事が窺える。
その傍らに浮かぶカメラと思わしき楕円形の物体は、クルクルと自転しながら衛星軌道に乗ったソレのように彼女の周りを公転、無線誘導技術もここまで来たかと感心する一方、フォシルは重大な過ちに気付く。
フォシルが未来に目覚めてからの3週間、この時代に於いてまともに会話をした相手は源以のみだった。
その為、福祉技研の関係者は"こんなヤツしかいない" と、この男をデフォルトに考えそう思い込んでいた。
無慈悲、無表情、無愛想。
ダンディを通り越してダーティな雰囲気と氷の精神が刻まれた凶悪なる眼差しの源以を鋼鉄と例えるなら、彼女の存在は微風に靡き咲き乱れる可憐な花。
喜怒哀楽を見事に体現した騒がしさに、やはり人間こうでなければとフォシルは染み染み考えさせられる。
強襲した側された側、被害者と加害者にも近い初対面だったが彼女の存在はフォシルに革命にも似た衝撃を与え、青年の顔には少しだけ笑顔がもどる。
そんな折──
「ちょうどいい。今からフォシル君に福祉技研内部の案内をしようとしていたのだが、少々急用が入ってしまってね。そこで私に代わり君にこの任を務めてもらいたい」
「えっ!いいんですか!?てっきりフォシルの事は最後まで所長が独り占めにするんじゃないかと、みんなで話してたとこだったんですよ!!」
「なるほど。これでも常に君達の事を最優先しているつもりなのだがその発言を聞く限り、どうやらそんな気を使わずに私も自由に振る舞っていいモノだと受け取った」
「あっ、いやっ!それはマズイです!!所長が自由にしちゃったら福祉技研どころか、世界中を巻き込んだ大戦争が起こります!!今でさえリミットギリギリなんですから──」
「湊君、戦争とは争う相手がいてこそ初めて成り立つモノだ。私1人がドコで何をしようとも世界は変わらん。では、あとの事は任せたよ」
「いや、急に任せたって言われましても少しくらいアドバイスを・・・って所長ドコ行くんですか!?所長ってばぁ!!」
数分前には神と奉ったフォシルと、つい数秒前に最優先と語った福祉技研職員を見捨てた源以は颯爽とその場を立ち去ってしまう。
ある意味、究極の自由を体現した彼の行動に困惑しながらフォシルと女性は顔を合わせて苦笑いするしかなかった。
「え、え〜と・・・私は"湊楓"。アナタは・・・フォシルでいいのよね?」
「あ、いや俺の名前は──」
「待って!言わなくていいの!アナタの存在は20世紀の純粋な人間ってだけで事足りるわ。寧ろ、それ以上でもそれ以下でもない存在であってほしい!だってその方がロマンがあるでしょ?」
愛想笑いをしながらも、彼女の想像を超えた人間味に少しだけ不安を覚える。
源以の言葉ほどではないがロマンの為に化石と呼ばれ続けるのも、なかなか辛いモノがある。
しかしフォシルもフォシルで意地っ張り、それを通してなるものかと"俺の名は──"まで口にするが、そこから先が上手くいかない。
"ダメッ!"とか"聞きたくない!"などと何やかんや妨害された挙句に"アナタの名前はフォシル!"という事にされてしまった。
意を立て通せなかったフォシルは諦めの表情と共に小さくため息、対する楓はギュッと握った拳を突き上げ意気揚々と案内代理を全うするべく牽引を開始。
足を90度近くまで上げながら両手を大きく振りかざしたその様子は、さしずめ遠足に出かけた小学生のようでもあった。
一癖も二癖ありそうな福祉技研の連中に対する不安を最早隠そうともせずフォシルは黙ってあとに続く。
キラキラと目を輝かせた楓に道中、様々な質問をされるが不思議な事にソレを尋ねてくる相手が変わるだけで3週間連続の同じ内容の問いであっても答えるモチベーションは雲泥の差。
次第にフォシルは彼女に心を許していった。
「でもフォシルも凄いよね。所長に3週間もイジメられっぱなしだったのによく無事だったね?」
「そんな優しいモノじゃないですよ・・・なんて言うか既に精神的殺人未遂の部類と言うか・・・」
正確な事は言えないが年齢の近い2人の事、言葉以上に通ずる何かがあるのだろう。
親友、悪友、同級生達と語らっていた在りし日の記憶を思い出したフォシルの目頭は少し熱くなった。
ここが本当に未来世紀だとしたら友人達は疎か両親でさえも既に墓石の下で眠りに就いているに違いない。
年端もいかぬ彼女がなぜ政府の秘密機関にいるのかは不明だが、彼女がココにいてくれたおかげで今を大切な一時に変える事ができる。
一方的なモノかも知れないが、フォシルからしてみれば彼女は既に友人の1人だった。
「・・・湊さん」
「はい?」
「どうして湊さんは福祉技研に?源以の話が本当ならココは日本政府の秘密機関なんでしょ?」
「お、おぉおぉぉ・・・なんと恐れ多い事を!私なんかを"さん付け"で、所長の事を源以と呼ぶとは」
「・・・変かな?」
「いやいやいや!変とかじゃなくてその・・・なんだろう・・・少し驚いてるだけなんだけどえ〜と・・・所長の事を源以って呼んでる人ってココだと柳さんしかいないから、衝撃的すぎるというか・・・そう言えば、さっきも所長に対してそう呼んでたよね!?」
楓の異様なテンパり具合を見ても、なぜ彼女がそこまで取り乱しているのか原因がわからなかった。
そこでフォシルは、ここ3週間の出来事を一切余す事なく楓に聞かせる事にした。
人を人とも思わぬ割り切った態度と、剰え自分の事を"生け贄"にしようとする太々しさ。
その他いくつもの要因が重なり、初めて彼の名前を口にした時、お世辞にも"さん付け"で呼べるような状態ではなかった。
もちろん相手が目上である事は理解しているし、そういう人には敬語で喋らなきゃイケない事も理解しているが、なぜだか源以に対してだけはそれが出来ない。
極論を言えば、自分を殺そうとしている相手に敬意を払えるわけがない。
全てはそういう事である。
「あ、あはは・・・私の事は巻き込まないでよね? 所長って絶対に怒らないじゃん?だから余計に恐いというか地雷に触れたらどうしようとか・・・寧ろ地雷とかじゃなくて、目の前にセーフティの外れた核弾頭が埋まってる緊張感というか・・・」
ジトッとした顔で両肩を抱えながらブルブルと震える彼女を見て、源以は誰に対しても平等なのだと理解する。
グダグダと喋りながら何ヶ所目かの曲がり角を抜けると、その先に待ち構えていたのは厳重そうな金属の扉だった。
"ちょっと待ってね"と楓が謎の装置に手をかざし慣れた手付きでソレを解除すると、いよいよフォシルは福祉技研メインフロアへと足を踏み入れる。
殺風景な収容所から一転、福祉技研内部には民間法人というよりも、さながら近未来的軍隊の司令室を思わせる異様な光景が広がっていた。
何もない空間に投影された巨大なデジタルマップに人体の構造を事細かに再現した3Dモデル。
その他、見た事もない物体が様々な数字の羅列と共に変化していくシュミレーション映像。
それはかつて液晶の向こうで見ていたフィクションと同じ・・・否、フィクションを超えた現実がそこに存在している。
「どう?これが未来の世界観ってヤツよ」
半開きになった口を閉じる方法さえ忘れ"言葉がないって言葉しかない"と、今世紀最大のマヌケ面を容赦なく晒しながら、わけのわからない答えを述べ楓に失笑された刹那、どこからともなく聞こえてくる重低音を響かせた渋い声がフォシルを目覚めさせる。
何事かと辺りを見渡せば身の丈は優に2mを超え、こんがりと小麦色に焼けた健康的すぎる肌をした巨漢が腕を組みながら2人に問い掛けていた。
白のピチピチ半袖シャツから浮き出たゴツゴツとした筋肉のシルエットに両サイドを無駄なく綺麗に刈り上げ頭頂部付近に僅かに残した短髪がクールな漢を演出するGIカット(米軍などで多く見られた髪型)。
全体的に彫りが深く、肉体を形成する全てのパーツが常人の1.8倍はあろうかというその人物はフォシルの脳が瞬間的に人間だと理解出来ないほど逞しく人間離れしていた。
無意識に背景の一部、それこそオブジェか何かだと勘違いしてしまった巨漢の名は"山本三佐"。
技能開発研究所という細い名前からは想像すら出来ない大味な見た目だが正真正銘、彼もココの職員に他ならない。
「今までどこに行っていた?よもや任務を投げ出して怠けていたわけではあるまいな」
「任務って・・・それより三佐。私の背後に隠れてる彼が誰だかわかる?」
「む・・・まさかフォシルを連れ出して来たのか?所長の許可もなくお前は何を考えている!!」
「ち、ちょっ待ってよ!これは所長直々の任務ってヤツだよ!!」
大迫力の睨みを効かせた三佐の怒号に後退り、両手のひらを彼に向けて必死の弁解を繰り返す。
別に暴力を振るわれるわけではないと理解していても恐ろしいモノは恐ろしい。
仮にその巨体が一度腕を振り上げれば、全身全霊を賭して防ごうとしても防げるイメージが想像できない。
彼はフォシルの事を考えて彼女を叱ったのだろうが皮肉な事に、彼の行いそのものがフォシルを震え上がらせてしまう結果となった。
その後、命乞いにも似た楓の説得で三佐も状況を理解する。
ならばと改めて向き直った三佐は、ここでの立ち話も辛かろうと気を利かせオートロックで区切られた部屋の1つを貸し切り2人に対面する形で席に着く。
途中"なにか飲むか?"と尋ねられるフォシルだがこの時代の飲食物はどうも口に合わない事を説明すると、なぜか三佐は険しい表情で考え込み一言だけ"わかった"と呟いた。
刹那、隣に座る楓の体がピクッと反応したようにも見えたがその理由は後日談。
それから三佐は自らの名前と経歴の他、暗躍組織の一員として"語ってもいい"事だけを説明する。
それによれば年齢は30代後半で、ココに来る以前の経歴は日本陸軍中尉の肩書きを持ち、現在は福祉技研二課の主任を務めているとの事。
日本政府公認の秘密機関福祉技研は一課から四課までのグループに別れており、その中でも二課は名目上、 義手や人工臓器などを担当する。
しかしその正体は物理的な暗躍を行う工作部隊の総称でもあった。
さらに細かく見れば一課は福祉法人の要である医療担当兼世界条約で禁止されている非人道的兵器の開発を行い、三課は新型ナノマシンのプログラミング及び、それに通ずる次世代技術の開発を担当。
だが三課が存在する本当の意義とはナノマシン通信を利用して対象の遠隔操作、洗脳、記憶の書き換え技術を完成させる事。
これは通称ナノマシン・ジャックと呼ばれ、福祉技研の存在意義を具現化させたプロジェクトと言っても過言ではない。
人間の乗っ取りが100%の完成を迎えれば、それだけで日本政府は世界を牽制する事は疎か事実上、世界の頂点に立つ事も可能となる。
反面四課は経理、情報処理などの言わば雑用係で裏も表もない。
強いて言えば"もしもの時"の身代わり。
理由としては純粋に福祉法人として機能しているのは実質四課のみであり、予期せぬイレギュラーが起こり福祉技研が表メディアの前に引きずり出された場合、まずは無実の四課を差し出して時間を稼ぎつつ、その間に組織全体で裏に根を回す。
そう考えれば四課こそが福祉技研の最重要部署と言えるかも知れない。
尤も日本政府が裏で手を回している以上、福祉技研に万が一の事があればその時は42世紀の日本に於ける "表向きの最高権力を持った組織"が仲介に入る段取りが組まれている。
時折眉間にシワを寄せ、言葉を濁し、何をどこまで語っていいのかを考えながら三佐は口を閉じる。
語られた内容自体は短いながらも非常に濃ゆいモノだった。
それを聞き終えた時点でフォシルには気になる事が3つ。
1つは自衛隊こそあれど日本に軍隊は存在しない事。
これに関しては"時代が変わった"と単純ながら的確な答えをもらえた。
2つは軍人だったハズの三佐がどのような経緯でこの暗躍組織に来たのか。
それに対しては機密事項に該当するとして答えてもらえなかった。
3つは工作部隊とは具体的に何をするのか。
その問いに対する答えは──
「現在日本は、世界的犯罪大国として中央政府を始めとした世界統制機構、この時代では"WCNS"と呼ばれる組織から24時間体制で監視されている。その理由は国際指定テロ組織"解放者"にある」
テロ組織というワードを聞いて工作部隊が何をしているのかは、なんとなく理解できた。
過去の日本で言う、警視庁特殊部隊や特殊作戦群に当たるのが三佐率いる福祉技研二課だと考えたら、つまり物理的暗躍とはそう言う事なのだろう。
それなら元日本陸軍中尉の彼がココに在籍しているのも面白いほど納得できる。
戦いのプロフェッショナルにして日本政府が求めるクオリティを満たした男、それが山本三佐。
なれば福祉技研職員達は全員"ワケあり"という事か?
少なくとも求人募集など掛けてはないだろうし世間様に表の顔以上のモノをひけらかすマネなどするまい。
それが答えなのかはわからないが改めて周りにいる人間達を見てみると全員只者ではない雰囲気を感じる ・・・気がする。
ただ1人楓を除いてではあるが。
「経済、政治、治安などに問題を抱えた国は、どうしても立場上"弱小国"の烙印を押されてしまう。そうなってしまえば国連の援助も受けれず、日本は一瞬にして終焉を迎えるだろう。だが我々は亡国の民として、この乱世を彷徨ったりはしない。複雑な話になってしまうが、その理由は外交の材料として我々福祉技研が常に水面下でテロリストなどの危険因子を排除している事を各国のトップ達に証明し続けているからだ。今の日本を支えているのは僅かな先進技術と、我々の組織に他ならない。つまり社会福祉法人 技能開発研究所とは、この国にとって最後の要も同じなのだ」
「いまいち話がわからない・・・福祉技研がなんか凄い所だってのは理解できました。けどそれじゃココだけ切り取って日本を見捨てる事だって・・・いや、別に日本がどうとかは──」
「言いたい事はわかる。ならば逆の立場で考えてみるといい。仮に日本が世界の頂点に立ったとして、お前の時代で言うところのシールズやスペツナズと言った戦力を、この国だけで保持し続けられるか?それと同じで我々福祉技研も日本という環境の中にあって、初めて真価を発揮できる。これが意味するところを理解してもらいたい」
テロリスト、世界情勢、国同士のやり取りなど理解し難い内容の話だったが、なぜか三佐の説明は理解できるような気がした。
既に物事を知ってる人間に対して、それを教えるようないい加減なモノではなく、ちゃんと相手のレベルに合わせて時に噛み砕き、しかしデフォルメし過ぎず的確に聞いているコチラ側に対して何を伝え理解させたいのかがわかる。
その時、フォシルは1つの結論にたどり着く。
楓にも三佐にも"普通に"接する事が出来るのに、なぜか源以に対してだけ苦手意識(敵意)がある理由。
その根源の一部は在りし日の学生時代、とことん嫌っていた数学教師に似ているからだと気付かされる。
生徒を大まかに出来る組みと出来ない組みに分け、なおかつ出来る組みに合わせた授業内容を展開、出来ない組みを完全放置して一部の生徒を優先した数学教師のおかげでクラスの2/3が赤点を取るという恐怖の期末テストを体験。
数学教師と源以には共通点として"相手が既に理解している事"を前提に話を進めるところがあり、三佐との会話でそれを理解したと同時に、何者かに対するイライラの線がピンッと弾け飛んだ。
刹那、前後の欠けた記憶の1ピースが、どこかの空白にピタッと張り付くような感覚を覚える。
意外なキッカケで、ふと思い出したこの流れに乗って途切れ途切れのフィルムを繋ぎ合わせるべく、その前後を思い出そうとするも一瞬にして頭の中を黒いモヤに支配されてしまう。
「その顔では、まだ我々の本質を理解してはいないようだが焦る必要もあるまい。考え過ぎて空回るよりも1つ1つを確実に学習して理解を深めていく事が大切だ」
「はい・・・だからこそ聞きたいのですが先ほど言っていたテロリスト、解放者と日本の関係って」
「多くは語れんが解放者とは元々、人間も地球の一部であると主張するエコロジスト達の総称だ。その考え自体は否定する余地もないのだが、日に日に破壊されていく自然環境を前にある日解放者は一大決起を起こし世界に対して宣戦布告をした。その内容は地球が崩壊した時、共に人類も死滅すべきだったとしたモノで現在は世界各地で過激な自然保護活動を行う危険因子と成り下がっている」
「・・・矛盾ですね」
「あぁ。しかも厄介な事に解放者の主張を真に受けた人間達が世界中に"ごまん"といるだけでなく、ヤツらを支援する権力者さえ現れる始末。その為、活動資源は無限湧きと言っても差し支えないほどに組織全体が強大化している。そして解放者の発祥地と言われているのが、ここ日本なのだ。あとの事はお目付役にでも聞いてみるといい。この程度ならお前でも答えられよう?」
一通りの説明を終えた三佐は席を立ち、2人に背を向けると最後に福祉技研内部における"優先順位"を説明して自分の持ち場へと、もどって行った。
「くそぉ・・・なにが答えられようだ筋肉ゴリラめ!とにかくアレが二課の主任で、軍隊生活の後遺症を引きずる山本三佐。本人は主任って呼ばれるのが苦手らしいからアイツの事は三佐って呼んであげて」
「三佐さん・・・さんさん・・・?舌が縺れそうだ。やっぱり最初の内は山本さんとかの方が・・・」
三佐に続き部屋を出たフォシルと楓。
レロレロと、口内で舌の運動をした後にもう一度三佐さんと発音してみるが、やはり上手くいかない。
1人しょんぼりと肩を落としたフォシルが改めて顔を上げると、作業に没頭していたハズの職員達が手を止めコチラを、じーっと見つめている。
「あっ・・・あの〜・・・」
十数年の人生経験で、これまで感じた事のない異様な視線を受けたフォシルが何かリアクションを取ろうとするが、いかんせん正解が見つからない。
"そんな俺は珍しいのか?"と言いたげな表情を浮かべキョロキョロと周りを見わたせば2度見、3度見を繰り返す者に、数人のグループを作りヒソヒソ話をする者。
声を掛けるべきか、掛けざるべきかの瀬戸際で自らを蹂躙する者。
気分はまるで人間に捕獲された幻の珍獣にでもなったかのような、なんとも言えない微妙なモノだった。
その後、フォシルが1歩踏み出せば彼を待っていたのはモーゼの十戒に記される、割れた海が如く左右に分かれる人々の波。
「あの・・・俺は別に・・・その・・・」
「ほぉ〜、お前が噂の・・・なかなかのイケメンじゃねぇか?だがその程度のツラじゃ、ココでは2番目だな」
刹那、人の不安など他所に背後から馴れ馴れしくも誰かが声を掛けて来た。
不意を突かれたフォシルが重心を落としたディフェンス気味のターンで振り返ると、そこには青いジーンズと白いワイシャツを着こなした爽やかすぎるミディアムヘアの男がいた。
常人以上、レスラー以下のほどよい筋肉量と背の高さが目を惹く抜群のルックス。
襟元から僅かに魅せる素肌が此れ見よがしにイケメンオーラを噴出している男の名は"山本景勝"。
似ても似つかぬが山本の姓が語るように彼は三佐の実弟にして同じく福祉技研二課に所属する元軍人。
兵役時代は色黒ゴリマッチョな兄が最前線で走り回っていたのに対して爽やかイケメンな弟は後方支援を主とした狙撃班に所属。
兄弟揃って数多くの武功を成し遂げて来た反面その性格は真面目な兄とは正反対、極度のナルシストであると同時に限りないほどの"すけこまし"。
ここにいる女性職員で景勝に愛を語られた事がない者はいないと噂されるほどのすけこまし。
黙っていれば紛う事なきイケメンなのだが景勝は少しアグレッシブすぎた。
要は"残念なイケメン"と呼ばれる人種である。
その証拠に拒絶反応を示す楓に対して否応なしに擦り寄っては制裁のローキックを食らっている。
しかし景勝も慣れたモノ。
ムエタイ選手さながらの綺麗なフォームで打ち込まれたソレにも一切めげず、ハンサムポーズを崩す事なく爽やかに乗り切ってみせた。
「ふざけろ!お前に抱かれるくらいなら、死ぬまで処女を貫き通したほうが数億倍マシ!マジで!!」
「おーおー言うねぇ。だが生憎、今の俺は白露さん一筋。心底惚れた女を前に軟派な事が出来るかよ?」
「・・・キモっ!!」
主役であるハズのフォシルを差し置いて、場はすっかり楓と景勝の独壇場と化している。
たらしの美学か一応フォシルに声は掛けど彼にとってメインはあくまで女性らしい。
おかげで山本景勝という男についての情報は鋼のメンタルの持ち主である事だけしかわからなかった。
「アニキとの会話を聞いていたが、お前がコイツを案内してるんだって?ちゃんと白露さんの魅力を伝えられるのか?なんなら俺が、その役を代わってやっても良いぜ?」
「安心しろ。お前だけには絶対頼まないから!!」
コートを翻したトースマッシュ気味のケツキックで景勝を吹き飛ばすと、何事もなかったかのように先導を再開する。
少々乱暴だが夫婦漫才のオチとしては悪くない。
臀部の中心をピンポイントで押さえた景勝は尻を突き出しひれ伏し、なんとも滑稽な姿を晒しながらも表情だけは崩さなかった。
「今日は一段と・・・鋭いな・・・」
「あぁ?それ以上喋るとその体勢から、もう1発いくぞ?」
「み、湊さん!それはダメだ!!その・・・とにかく ・・・ダメです・・・」
フォシルのドクターストップを受けて、つまらなそうな表情を浮かべ振りかざした脚をゆっくり下ろす。
なんとか男としての人生を死守できた景勝はフォシルに1つ借りが出来た。
気を取り直した2人は少し進んだ所にあるガラス張りのドアを潜り抜け、部屋の片隅で黙々と作業をする地味な女性に声を掛ける。
「はいココで問題。この女は誰でしょうか?」
楓の一言でフォシルと女性は顔を合わせる。
襟足を短く束ね、前髪の両サイドをナチュラルに遊ばせたビン底メガネの女性は、なんとも言えない"いじらしい"表情でワナワナと取り乱している。
前の件から、おそらくこの女が景勝の言っていた"白露さん"だとは思うが、あれほどのイケメンたらしが目を付けるにしては少々地味すぎる気もする。
しかしながら服の上からでもわかる美しい曲線で描かれた女性的なシルエットに思わず目を奪われるほど完璧な形に整った巨乳にとスタイル自体は文句なし・・・なのだがビン底メガネの所為で彼女が今ドコを見ているのかが、わからない。
顔はコチラに向けてはいるが視線をズラされてる気がする・・・これが彼女の基本スタンスなのかは知らないが、こういうタイプは9割9分、対人関係を苦手とする奥手型。
故にコチラが話のキッカケを作らなければ止まった時間の中を彷徨うハメになるのは必然。
夢のカードを組んでやったぞ!とばかりに、ニタニタと不敵な笑みを浮かべる楓に若干の腹立たしさを覚えながらもフォシルは第一声を放つ。
「え〜初めまして・・・」
「・・・」
「あ、あの〜・・・」
「・・・」
フォシルの問い掛けに対して立ち上がって会釈をしたり、困った表情を魅せながらワナワナとリアクションをしたりはするが彼女は一向に言葉を返してはくれない。
声が喉に痞えて出てこないのだろうか?
ワンテンポ遅らせて彼女のリアクションをマネては軽い文句でも誘ってみるが彼女は一向に喋らない。
奥手の究極形とでも言うべき相手を前にコチラの方が音を上げそうになる。
それを間近で見ていた楓は空気を読んで頃合いと捉えたのか種明かしがてらフォローに入る。
「へぇ〜、やっぱナノマシンが無いと白露の声は聞こえないんだ」
意味深な発言と共に彼女が言うにはこの"駿河白露"という女性は先天性のナノマシン異常により生まれつき声帯が機能せず、また右眼だけが深緑に染まったオッドアイとなっているらしい。
つまりこのビン底メガネはコンプレックスである右眼を隠すと同時に在りし日のトラウマから来る対人恐怖症への苦肉の策という事だ。
この時代で言うナノマシンとはイコールで遺伝子の事であり、新たな生命が母の胎内で生まれる時、生物の持つDNAは親から子へ、その子からさらに次世代へと受け継がれる。
その際にナノマシンも1つの遺伝情報として受け継がれる。
精子や卵子、細胞核の1つ1つにまで刻み込まれたナノマシンが遺伝的な病をも書き換え、マイナスの不確定要素を打ち消す事により遺伝子を要因とする奇病はなくなり全ての人類が"平等"を手に入れた。
反面なにかしらの原因によりナノマシンが異常を起こした場合、本来起こり得なかった未知の奇病が発症する事もあった。
その可能性は限りなく0に近いがそれでも絶対と言い切れるモノではなく、現に世界中ではナノマシンの異常が原因として報告されているモノが少なくとも数十件ほど確認されている。
だが彼女の場合、前例の奇病に比べると声が出ないのは大した問題ではなく、体内に流れるナノマシンを経由して接続済みの相手には体内通信で会話ができ、それを補っているらしい。
つまり未来の技術を以ってすれば超能力ですら完全再現できるという事だ。
なぜか誇らしげに胸を張り、この事を語った楓はついでに白露の代弁者として彼女に向き直り、わざとらしく相槌を打ちながらその言葉をフォシルに伝えるべく口を開いた。
「フハハハッ!俺の名は駿河白露!!」
「えっ・・・えぇ!?」
少し俯き、上目でフォシルを睨みつけながら悪党よろしく安い口調で喋り続ける。
「貴様なんかと言葉を交わしたとあっちゃ、俺様の人生の汚点になっちまう。まぁ、そこら辺にいる舎弟共を介してなら会話をしてやっても良いぜ?ちなみに俺様、メガネを取れば超絶美女──イタッ!?」
刹那、背後より飛来して来た四角い物体が彼女の頭蓋を殴打、鈍い音を響かせて強烈な一撃を叩き込んだ。
転倒寸前で片足を一歩前へ出し、なんとか踏み止まった楓が目にしたモノは、投球フォームを維持したままメガネ越しにコチラを睨みつける白露の姿だった。
そして間髪入れずデスクに置いてあった何かのキャラクターを模した小さなフィギュアを手に取り2発目を投げつける。
振り返った事が仇となりフィギュアは楓の顔面にクリーンヒット、鼻っ柱を押さえた彼女は涙を浮かべながら白露に対して謝罪を述べている。
なんとなくわかってはいたが今のセリフは全て楓のアドリブだったらしい。
コミュニケーション能力の要、言葉を失った白露にとって楓の暴走はまさに命取り。
あとちょっとで彼女は人物像を捏造されてしまうところだった。
それに対しての物理的物言いはある意味で致し方ない部分はあるが、これで1つわかった事もある。
白露の性格は紛れもない内気だが、しっかりと自らの意思を表現する事は出来るらしい。
寧ろ、あやふやな言葉で誤魔化せない彼女だからこそストレートに意見を投げ付ける事が出来るのだろう。
語らぬ女の奥底にある1本筋の通った意思の強さを見た気がする。
その後、楓共々フォシルも押し出され三課から強制退場させられてしまった。
奥手な見た目に反して意外にも白露は力が強く、男のフォシルですら少し抵抗した程度では時間稼ぎにもならなかった。
「あんにゃろう!全力投球してきた挙句の突き飛ばしとか相撲取りでも目指してるのか乳だけ横綱め!」
"9割り方あなたの所為です・・・"とは言えず、八つ当たりに近い理不尽な文句を叩き込まれながらフォシルは困惑の表情を浮かべていた。
それでも彼女に憎しみを抱けないのは楓の持つ独特の人懐っこさと小動物的な可愛らしさのせいだろう。
ピコピコと跳ねるようにして歩き出したかと思えば両手を広げクイックターン。
そのまま腰に手を当て、ムスッとした表情で──
「実を言うとね、フォシルには真っ先に紹介したい人がいたんだけど、その人がドコにも居ないんだ・・・おかげで私のテンションはガタ落ちです!どうしてくれる!?」
「し、知らないですよ!?」
ダメ押しの文句を言ってきた。
しかしこれがどうして彼女を見ていると鬱憤の溜まったそれですら楽しそうに見えてしまう。
語弊を恐れずに言えば湊楓は福祉技研のマスコット的存在なのかも知れない。
垂れるだけ垂れた楓は気を取り直して案内を再開。
次に訪れたのはメインフロア脇にある階段を降りた地下1階。
どことなく薬品の匂いが漂う廊下を抜けると矢印と共に第1診療室の文字を発見。
それを見て三佐の言葉が脳裏を過ぎったフォシルは一課の存在を思い出し、そこが医療兼兵器開発を担当している事にハッとする。
つまりこの匂いは医療系の薬品と非人道的兵器の匂いが混じったモノである可能性が高い。
眉間にシワを寄せジャケットの裾で鼻を覆うと風邪引きのような声で先導する楓に向けて、ここが一課の部署なのかと聞いてみる。
フォシルの放った予想外の先読みに楓は少し驚きながらも足は止めず、それが正解である事を語るとオートロックをパスして第1診療室に彼を案内する。
「柳さん」
「あぁ、そろそろ来る頃だと思っていた。話は源以から聞いている。まずはお互いに初めましてだな。俺は福祉技研一課の主任を務める"柳銑十郎"だ。以後よろしく」
そこで2人を出迎えたのは落ち着いた口調に清潔感のあるロングタイプの白衣と黒の革手袋を合わせたヤブ医者のような男だった。
ジロジロ見てはイケないとわかっていても、いかんせん目を奪われてしまう見事なスキンヘッドに黒々とした口髭が妙な納得感を醸し出す銑十郎の年齢は50代後半もしくは源以より少し若い程度か?
三佐ほど厳つくもなく源以ほどの威圧感もないが、この男もかなりの切れ者とみて間違いない。
誰が語らずともその雰囲気が全てを物語る。
片手間に弄っていたデジタルノートを閉じると"そこの椅子にでも腰掛けたらどうだ?"と優しく促し、その後は当たり前のようにいくつかの質問を投げてきた。
内容は異性ならどんなタイプが好みだとか同性ならとか外見、性格、背格好などを淡々と・・・これも銑十郎なりの親睦の深め方と割り切ってフォシルも淡々と答えていく。
外道の一員と言えども相手は現役の医師。
まるで恋の病を診断してもらっているような気分にフォシルの表情は愛想笑いで引き攣りっぱなしとなっていた。
何気ない質疑応答の中で、時折興味深い返答が出ると銑十郎は人差し指と中指で頬をなぞるような動きをみせ、その一瞬だけ彼の質問は完全に止まる。
別にこれを打ち止めたいわけではないがフォシルは刹那の隙間を縫うように質疑応答の真意を聞いてみる。
「いや、別に深い意味とかはない。強いて言えば俺の個人的な趣味だよ。他人に求めるモノがわかれば、その人物の為人がわかる・・・昔からそんな事が気になってしまう質でね」
"深い意味はない"という言葉以上に人を勘繰らせる言葉は存在しないとフォシルは考える。
それでも相手が意を立て通すなら、この話はそこまで。
流れの変わったこれに乗り、今度はフォシルが銑十郎に質問してみる。
「柳さんは医師なんですよね?って事は、ココには患者が来るって事ですか?」
「あくまで"社会福祉法人"だからな。実際にその名の通りに機能してないと色々と面倒な事になる。特に何も知らない野良権力なんかがノルマと懐を満たす為に言い掛かりを付けては金をむしり取ろうとしてくる。それでココの正体が公にバレでもしたら、それこそ笑い話じゃ済まされない。事実それに近い事が過去にあったんだが、その時は源以の機転で免れたと言うか、まぁその組織自体をこの世から消し去ったと言った方が適切かも知れん」
さらりと源以の伝説的エピソードを披露しながら小粋に笑う銑十郎。
対する楓もガタガタと震えながら豊かな表情で恐怖を訴える。
「はははっ・・・て、笑い事じゃないですよ!あの時の所長のアレ、マジで悪魔でしたよ!?むしろ魔王ですら泣きながら逃げ出すレベルのアレですよ!!」
「そう言うな。さて、フォシルにも想像し易いように俺が担当している患者を紹介しよう。他人を晒し者にするつもりはないが・・・見てみろ」
椅子から立ち上がった銑十郎の指差す先。
実を言うと先ほどからチラチラと視界に入ってきていた一面ガラス張りの部屋の中央で眠る1人の少女。
触れただけで崩れてしまいそうな白い肌に黒のロングヘア。
そのイメージとは大凡似つかわしくない身体中に取り付けられたホースや謎の機械でさえも神秘的な美しさを感じさせるそれは差し詰め眠れる森の眠り姫。
彼女の名は"十冬羽"。
日本中の医師が匙を投げ出した挙句"地雷"として扱われてきた彼女は、たらい回しにされた末に3ヶ月前の西暦4191年12月、福祉技研に引き取られ今に至る。
とにかくココだけ切り取ってみれば社会福祉法人として最低限は機能していると言っていい。
「・・・寝てるだけですよね?」
「あぁ。十はナノマシンの異常により、極度の虚弱体質を患っている。その原因のさらに詳しいところまで理解出来れば、現在世界中で報告されているナノマシン系の奇病も最早不治の病ではなくなるのだが、彼女にとっては起きて会話をする事でさえも重労働。なかなか発展しないのが現実でね」
今は生きているだけの肉塊と化している冬羽を見つめながらフォシルは考える。
聖人の語りではないが、辛いのは自分だけではない。
未来に目覚めたフォシルは初めて他人を憂い、ガラス面にピタッと手を当て冬羽の寝顔を悲しそうな眼で見つめている。
その傍、さらに悲しそうな眼で楓が言葉を続ける。
「私ね、昨日ずっと冬羽と喋ってたんだ。冬羽の話し相手って柳さんか所長くらいしかいないんだ・・・ 三佐は殆んど関わらないし白露はアレだし、景勝は存在自体がウィルスみたいなヤツだし──」
「だから自分が話し相手になってやらねばならない。そんな使命感でも抱いているのかね?覚えたてのエゴを行使するとは君も無粋だね」
フォシルと楓の背筋にゾクッとした悪寒が駆け抜ける。
一瞬の内に脳髄を凍りつかせれたような不快感・・・2人がイメージしたモノは液体窒素で凍らされ、逃げ場のなくなった薔薇が音を立ててバリバリと砕かれていくような無力感だった。
もちろん凍らされた薔薇とは当人達の事であり、それはイコールで邪悪の権現の登場を示唆していた。
ヤツが第1診療室を訪れた刹那、どことなく和やかだった空間が歪み、空気は凍てつき、強烈な殺気と緊張感が場を支配する。
最早振り返らずともわかる・・・源以だ。
「湊君ほどの案内上手が付きっ切りでやってくれたんだ。私がどうこう言うよりも理解し易かっただろう」
「源以・・・っ!」
「どうかねフォシル君。ココには実に個性的な面々が揃っているとは思わんかね?福祉技研内部は十人十色決して隠す事の出来ない様々な闇を抱えた者達が犇めき合っている。真っ当な人間ならば、彼らが醸し出す闇を感じて、数分もしない内に吐き気に襲われるだろうが君は平気そうだな。寧ろ調和にも似た何かを感じたのではないか?」
「・・・」
「だがそれでいい。それでこそ我々のフォシル君だ。君は不幸だよ。なにがなんだか、わからない内に未来にいて、生け贄にされようとしているのだからね。喜びたまえ・・・君以上に不幸な人間など、この世には存在しない。君が感情のままに俺は不幸だ、と嘆けば誰しもが君に同情し、自分こそ世界一の不幸者だと勘違いしていた者達は皆こぞって君を羨ましがる事だろう」
「・・・う、うるさい!俺は自分を不幸だなんて思っていない!!」
「2人共やめろ。ココは病室だ・・・これ以上騒ぎを大きくするなら源以、お前であっても摘まみ出すぞ」
福祉技研のNo.2がカットに入る。
実質面と向かって源以に意見できるのは銑十郎のみ。
最強の仲間を得た2人は気持ち銑十郎の方へ体を寄せると圧倒的威圧感を放つ直視不能の眼差しを避けるようにフォシルは源以のネクタイ辺りを睨みつけ、 楓はビクビクしながらその足元に目線をやっては逸らしてを繰り返す。
対して源以は微動だにせず腹の底の窺い知れない、いつもの表情を浮かべながら──
「すまないな銑十郎。フォシル君を見ていると、つい何か言葉を掛けたくなってしまってね。今回は私が原因の火種だったと反省しているよ」
一切食い下がろうともせずにその場を立ち去った。
銑十郎の顔を立てたのか単に萎えてしまったのか源以が立ち去った途端、第1診療室に安堵の空気が立ち込める。
しばらくの間を空け、地獄の淵から這い上がってきた生還者のように弱々しくも生を噛み締めた声を漏らし崩れるようにして地べたに座り込んだ楓は直下型の吐息を投げ捨てた。
瞳孔を見開きバクバクと暴れる心臓を押さえながら呼吸を整え、額の汗を拭き取り"所長との戦争に私を巻き込むな!!"と文句を放つ。
彼女にとっては源以の一挙一動全てが恐怖でしかなく、彼が自身の半径5m圏内に入ると無意識のうちに細胞核の1つ1つがガクガクと震えだすレベル。
それは彼女の闇と源以の存在が密な関係にある事を物語るが、そこには唯一にして絶対の例外も存在する。
彼女のテンションが一定ラインを超えた時、言わば強制覚醒中ならたとえ相手が源以であろうとも楓に恐れるモノはない。
現に初めて彼女が現れた時は、源以に対する恐怖よりも人間との遭遇に対する好奇心が勝っていた為、あのような振る舞いが出来たのだ。
その日の晩、三度現れた源以の計らいで収容所よりも数億倍は素敵な部屋に移されたフォシルは、ふかふかすぎて逆に寝苦しいベッドの上で今日1日の出来事を振り返っていた。
「・・・」
社会福祉の大義名分を隠れ蓑に暗躍する福祉技研。
片や過激な自然保護活動を行い、国際指定テロ組織と認定されたエコロジー団体、解放者。
源以、楓、銑十郎、三佐、景勝、白露、その他大勢の名前も知らない職員達。
非合法を貫いている時点でココは正義の味方ではないのだろうが・・・そもそも正義とは何なのか?
だかそれよりも気になるのは死神と恐れられる人間に感染するコンピュータウィルスの存在。
その影響を受けない人間として未来に甦らされた自分自身。
そもそもなぜ自分はこんな事になっているのか?
源以が言っていた"21世紀代ですら不可能とされた技術"で冷凍冬眠させられた自分に"その時"何があったのか?
燃え尽きた紙切れのような断片的記憶しかないフォシルにその答えを知る術はない。
腕を振り回した勢いを利用して体勢を仰向けにしたフォシルは片目を閉じ、反対の目を微かに開いて自らの左手を、じーっと見つめてみる。
もしかしたら元々、自分には記憶なんてモノは存在しないのかも知れない・・・この肉体と魂は誰か別の人のモノで福祉技研及び源以の企てる生け贄以外の何か別の計画の材料として利用されているのでは?
それは皮肉的な意味ではなく自分が何者なのかを考えた結果たどり着いた1つの答えだった。
「俺の名前は化石なんかじゃない・・・俺には、ちゃんと自分の名前があるんだ!」
不安と怒りが入り混じった使い道のわからないモヤモヤを握りしめ独り感情を爆発させる。
誰に迷惑なども考えず、騒ぐだけ騒いだフォシルは個性的すぎる秘密機関の面々に囲まれながら生け贄となるその日を待つのであった。