Extra Episode 医療専従の銑十郎
西暦4192年5月11日。
毎朝の検査が為、一課職員に連れられ銑十郎の待つ診療室にやってきた最後の人間、その名称をM1993-LH化石と暫定的に付けられた青年はこの日ビックリするほど冴えない表情で"ああぎざ・・・"と呟き銑十郎に何かを訴えかけてきた。
その声は痛々しいまでに枯れ果て、然しもの銑十郎もこれには"大丈夫か?"と声を掛けずにはいられない。
するとフォシルは少し項垂れ"ギヅい・・・"と返し、弱々しく喉元をさすりながら今度は何がどうしたとジェスチャーで訴えかけ始める。
「・・・喉?口を開けて少し見せてくれるか?」
右手の人差し指と中指で左頬をなぞりながらそう指示を出せばフォシルは言われた通りに口を大きく開き、頼れるヤブ医者銑十郎に全てを託して目を閉じる。
そして迷いなくフォシルの口の中に医療器具を挿入した銑十郎が医者の責任として成る丈患者に負担を与えぬよう素早く、そして念入りに調べた結果、フォシルの喉内が真っ赤に腫れ上がり、明らかに普通の状態ではない事を知る。
医療を専従とする者でなくとも過去の人々ならコレが5月の春風邪である事を疑うだろうが、事もあろうに医療のスペシャリストたる銑十郎はその選択肢がある事も知らずに険しい表情を浮かべたまま医療ファイルを漁り、前例がある病状なのかを調べ始めてしまう。
ある意味でとんでもない醜態を晒す銑十郎だが、これは別に彼が無能だとかそういう事ではなく全ての原因は未来の世界観にあった。
フォシルの時代から2000年以上もの遥かなる時を超えて存在する未来世紀は圧倒的進化を遂げた超科学に比例して、無残にも崩壊した地球の環境バランスのもとに成り立っている。
重度の環境汚染により生命のあり方さえも変わってしまった未来世紀では人工遺伝子こそが生きとし生ける全ての命の根源であり、これこそが銑十郎を混乱させる原因でもあった。
生身の人間では5分と待たずして死に至る最強最悪にして究極の有害物質、超濃度有害物質が地球全体を覆い尽くすように存在している中、それを完全浄化する為に生み出されたナノマシンは人体に悪影響を与える物質に対して脅威の適応力を発揮する。
つまりインフルエンザ、マイコプラズマ、結核菌などと言った悪性のウィルスもナノマシンの前には無害な存在となり、これ即ち42世紀に於いては病気を誘発するウィルスはもとより存在しないにも等しい状況であると言え、これが皮肉にもナノマシンに左右されない人間と原生ウィルスを結び付け、単なる風邪菌を未知の奇病へと昇華させてしまっていたのだ。
本人もただの風邪だと思い、薬か何かを貰って終わり程度に考えていた矢先、予想外に慌てる銑十郎を見て一気に肝を冷やした。
医者が不安がれば患者はもっと不安になるのも然り、熱で震えているのか恐怖に震えているのかフォシルは椅子に座ったまま落ち着きなくブルブルと小刻みに揺れている。
「ああぎざ・・・?」
「大丈夫だ。今から少し検査をしてみようと思う。服を脱いでそこのベッドに寝てくれ」
これは大事になった。
すぐさま銑十郎は源以にフォシルの容態を連絡すれば珍しく所長自ら診療室に顔を出し、これまた珍しくフォシルを気遣うようなセリフを言う。
「銑十郎から話は聞いている。具合はどうかねフォシル君」
「ギヅ・・・」
「なるほど。それは大変だな」
「・・・」
今のフォシルには噛み付く元気すらない。
息をするだけでヒリヒリと焼けるように痛む喉、全身を隈なく襲う不条理なダルさ、少しだけ気持ち良くも感じてしまうフワフワとした熱っぽさ。
こんなありきたりな風邪の症状でさえ42世紀の人類は体験した事がなく、どうにもこの苦しみを共感してもらえないフォシルは未来や失われた民間療法の存在を口にする。
「じょうが・・・あぢみず・・・」
「なんだって?」
「生姜と・・・蜂蜜・・・」
「生姜と蜂蜜がどうしたって?」
「・・・」
それでも理解を示さない銑十郎に相まって、いよいよ疲れがピークに達したのか以降フォシルが口を開く事はなかった。
ただの風邪っぴきであるにも拘らず、水槽の中で次第に弱り逝く小魚を呆然と眺めている事しか出来ない、そんな感覚に襲われた銑十郎は医療専従者の責任として、医者の意地として声をあげ一課職員達に指示を出す。
「大至急、新鮮な生姜を100kgとフォシルの全身が浸かる量の蜂蜜を手配しろ!多すぎてもいい!金に糸目をつけるな!」
人間の一大事とあって一課職員達はてんやわんや、すぐさま白衣を脱ぎ捨て我先にと福祉技研を飛び出して行った。
しんどそうな表情でその一部始終を聞いていたフォシルは心の中で"なんか違う・・・"と呟くも今は銑十郎の好意に感謝して生姜と蜂蜜が手配できるまで耐え忍ぶ事にした。
42世紀の日本に対してまた1つ、新たなギャップを覚えたフォシルはグルグルと渦巻くいつかの記憶をたどり、とろ〜とした蜂蜜の優しい甘さの中でピリリと刺激的な生姜が主張する、心も体も温まる民間療法の叡智の結晶蜂蜜生姜湯を作ってくれた、今や顔も思い出せぬ祖母の雰囲気に少しばかり涙する。
それから数十分後。
死に物狂いで大量の生姜と蜂蜜を仕入れてきた一課職員達が帰還すると、悪夢に魘されているかのような苦悶の寝顔を浮かべるフォシルを起こして銑十郎が語り掛ける。
「待たせたなフォシル。ようやく生姜と蜂蜜が手配できた。あとはこれをどうすればいい?」
「ギッヂ・・・」
「ギッ・・・なんだ──」
「キッチンと言ったのではないのかね?」
またまた珍しく源以がフォローに入ればフォシルも素直に頷いて、いかに自分が弱っているかをアピール。
その時、フォシルの眼前にパッと差し出された源以の手が"待った"の形になっている事に気づかされる。
「げん・・・」
「キッチンまでの道のりにフォシル君の毒になりそうなモノがあったのを思い出してね。少し片付けをしてくるので私が連絡するまで銑十郎と共にそこで待っていたまえ。なに、10分ほどで終わるよ」
そう言い残した源以が一足先に診療室を出れば銑十郎とフォシルは今しばしの待機を余儀なくされる。
雑用なんて普段は四課職員達に任せきりで自身は所長室から出てくる事もない源以が自ら片付けをしてくるとはこれ如何に。
もどかしさと苦しみに身を焦がすフォシルが早く早くと蜂蜜生姜湯に想いを馳せる中、ようやく診療室にもどってきた源以を見れば黒いベストに赤いネクタイ、上下を黒で統一したスーツである事は先ほどと変わらないのだが、今の源以からはどことなく血の匂いがする・・・が、そんな事よりも蜂蜜生姜湯を求めるフォシルに急かされた銑十郎は一課職員達を指揮して42世紀の浮遊担架を用意。
病室からキッチンに患者を運ぶ摩訶不思議な光景に誰1人としてツッコミを入れる事もなく大量の生姜と蜂蜜を傍らに、いよいよ一同がそにたどり着けば、既にキッチンの守護神或いは晩餐の主宰神三佐が湯を沸かした万全の状態で待機していた。
キッチンとあらばこの男を差し置いて何を語れようものかと銑十郎からの事前連絡を受けていた三佐は早速これらを使って何をすればいいのかをフォシルに仰ぐ。
そしてフォシルは失われてしまった民間療法秘伝のレシピを口頭で説明し、三佐はそれを忠実に実行していく。
それによれば湯は沸騰したモノではなく、ぬるま湯(30度から60度がベスト)を使う事。
生姜は皮付きのままよく洗い、素早くすりおろす事。
最後に蜂蜜とぬるま湯をよく混ぜ、そこにすりおろした生姜を加えれば──
「・・・なんだこれは?」
「蜂蜜・・・生姜湯・・・」
ようやく手にした金色の回復薬を一気に飲み干せば"もう一杯・・・"と三佐にグラスを差し出して、瞬く間にすりおろした分の生姜を使い切った。
わけのわからないうちにトントンと話が進み、喉の痛みと熱に魘されていたフォシルの表情もなんだか穏やかになったようにも見えるが、ここで銑十郎は"こんなモノで病状が回復するのか?"と未来医学の観点から1人の医者として疑問を投げ掛ける。
するとフォシルは"これを飲んで寝てれば・・・"と返した直後、疲労感に満ち満ちた肉体を解放するかのように担架の上でうつ伏せとなり深い眠りへと落ちてゆく。
しばらくの間を開けた後、銑十郎はボソッと呟いた。
「・・・それだけで病気が治ったら世界中の医療関係者がお役御免になってしまうぞ」
「まさに医者いらずとは言い得て妙。ナノマシンを持たないフォシル君だからこそ通用する未来医学に於ける常識を覆す、常識に囚われない荒治療とでも言ったところか」
「お前・・・っ!いいか源以、フォシルの身に何かあってからでは遅いんだぞ。こんなモノを飲んだ程度で片付けられる話じゃないだろ」
「落ち着きたまえ。我々の常識が過去の世界の夢物語であるように、過去の常識もまた我々にとっては夢物語なのだよ。この世の全て、過去、現在、未来を同じ物差しで測ろうとする・・・たったそれだけの事で真実は見えなくなり、故にそれを理解できない人類は過ちを犯し続ける。違うかね?」
「だが──」
「柳主任。フォシルを・・・人間を絶対とする考えは間違っていません。ですが所長の仰ったように我々は人間の全てを知っているわけではありません。ナノマシンを根源にする我々と、純粋な人類たる人間とでは存在する次元が違うのです。なによりこれはフォシル自身がそうしたいと願った事。これこそが我々には理解し得ない人間の領域なのかも知れません」
「三佐・・・」
銑十郎は考えた。
未来医学というモノがありながら医者である自分が、42世紀的観点から言えばそんなオカルト的要素に頼っていいのかと。
しかし超科学犇めく未来に於いても未だに解明されていない謎が数多く存在するのもまた事実。
そして銑十郎は気付かされる。
その可能性を否定しているのは自らの医者としての意地である事を。
医者とは謂わば"全ての命を預かりし者"であり、そこには私利私欲を持ち込んではイケない絶対の決まりが存在する。
今優先すべきは医者の意地などではなく患者の命。
少し熱くなりすぎていた自分をなだめれば担架を担いだ一課職員達に"フォシルを俺の診療室に移して寝かせてやれ"と指示を出す。
その日から銑十郎は徹底的な看病のもと、自ら蜂蜜生姜湯を作ってはフォシルに与え続け、彼が風邪をひいてから3日目の5月14日にフォシルは完全復活を遂げる。
「喉に腫れは見受けられないが体調の方はどうだ?」
「柳さんのおかげですっかり良くなりました」
「そうか。だが今回は俺じゃなくて生姜と蜂蜜のおかげと言った方がいい」
福祉技研全体を揺るがしたフォシルの春風邪騒動はこうして幕を下ろしたが、その中で1つの副産物が生まれていた。
金色の回復薬、蜂蜜生姜湯である。
それぞれが100kg以上と、途方もない量を仕入れた生姜と蜂蜜はとてもじゃないがフォシルが1人で消費できるハズもなく、より詳しい蜂蜜生姜湯の作り方を聞いた三佐が中心となり他の職員達に振る舞ったところ、これが甘くて刺激的と大評判だった。
さらには福祉法人としての表の顔を見せ、ココを訪れる人々や患者達にも提供したところ、これまた甘くて刺激的と大評判。
さらにさらにその噂がデジタルを介して人から人へと伝わった結果、世界最恐と謳われる非合法暗躍組織にあるまじき事態が発生。
なんと蜂蜜生姜湯ブームの火付け役として様々なメディアが取材に来るほどの大盛況ぶりを発揮してしまう。
暗いニュースが飛び交う昨今に於いてそれらを吹き飛ばすべく組まれた特集"蜂蜜生姜湯ブームはこうして生まれた!社会福祉法人 技能開発研究所が語るキッカケとは!?"なるタイトルの番組まで放送される始末。
これには暗躍組織の元締めである内閣総理大臣蔵将も笑わずにはいれず、源以も源以でこんな形で四課を使う事になろうとは想定外だと皮肉り、四課主任の成雅には特別手当を出してやらねばなと明言する。
突如として巻き起こってしまった蜂蜜生姜湯の一大ムーブメントはしばらく終わりそうになく、きっと日本海沖に佇むサイコハミルトンの中で解放者幹部達も腹を抱えて笑っているに違いない。




