ACT.1 生け贄が為に生かされる者
西暦4192年3月2日。
天井が反射して映るほど綺麗に磨かれた人工石の廊下を抜ければ、そこは近未来的収容所に繋がっていた。
厳重に固められた入り口には阿吽の距離感を保ち物言わぬ威圧感を醸し出しながら立ち尽くす2人の黒服。
その間を何食わぬ顔で横切る男は、黒服達には目もくれず、まるで陳腐な背景を流すかのように部屋の入り口を開ける。
足を踏み入れた男は一旦そこで立ち止まり、身体中に謎の機械を付けられ不貞腐れた態度でベッドに腰掛ける青年に声を掛けた。
「気分はどうかねフォシル君?」
「・・・」
「ふむ、良好か」
「そんな事、一言も言ってない」
親の仇を見るかのような冷たい目で男を睨み付け、フォシルはそのまま体勢を崩し、彼に背を向けベッドに寝そべった。
話し掛けて早々フォシルに悪態をつかれるも、男は怯みもしなければ怒りもせず部屋の片隅に放置された丸椅子を持ち出し、それに腰掛け言葉を続ける。
「言わずともわかる。初めこそガタガタと憎たらしいほど怯えていたモノが、今では盛った野良犬のように吠えるではないか。生憎私はこれを良好と言わずして表現する言葉を知らなくてね」
「・・・俺を監禁してどうする気だ」
相変わらず肘枕をしながら寝そべったままのフォシル。
礼儀も作法もクソもないその態度は、人様と会話をする時のモノではないが2000年分の記憶が欠如している彼からしてみれば、自分は拉致監禁された挙句に謎の機械でグルグル巻きにされている被害者なのだ。
寧ろ口を聞いてやってるだけでもありがたいと思ってもらわねば、それこそ腹の虫が治らない。
そんな彼の心境を無視して男は感情の見えない声でさらに喋り続ける。
「監禁どころか君を保護しているつもりなのだがね。まぁ納得しようがしまいが君の勝手と言いたいところではあるが、そろそろフォシル君にも状況を理解してもらわねばならん。3週間も寝起きの頭をぶら下げているのは辛かろう?頭の体操も兼ねて、おさらいしよう。未来が何年だかわかるかね?」
「・・・西暦4192年って言わなきゃ不正解なんだろ」
「20世紀生まれのフォシル君には到底理解し難い事だがこれが現実だ。当時なにがあったかは知らないが君は冷凍冬眠により、生も死もない悠久の無を経て今に至るのだよ。君の記憶が完全ならばその時代、フォシル君を取り巻く環境に何があり、21世紀代ですら実現不可能と言われていたソレを実現したのか聞いてみたいところだ」
「・・・」
男の話はいつ聞いてもつまらない。
自分の事を化石君などと呼ぶヤツの言葉なんて信じる気も起きないし信じようとも思わない。
だが自身の記憶が西暦2000年代頃を境に欠落しているのも事実。
脳力を振り絞り思い出せる限り思い出した最新の記憶は桜吹雪の舞う晴天の中で行われた高校の入学式までで、それ以降の記憶は跡形もなくごっそりと抜け落ちていた。
もっと言えばフォシル自身、今自分が何歳なのかもよくわかっていない。
おそらくは16〜18くらいだと思うが、それだって実際どうだか怪しいモノである。
仮に男の言う通り、未来が西暦4192年だとしたら単純に考えて彼の年齢は約2200歳になってしまう。
冷凍冬眠だかなんだか知らないが、少し眠っただけで不老の仙人と化してしまっては堪ったモノではない。
その実感のなさが男の言葉、延いては今という状況に対して強烈な不信感を植え付けていた。
「では次だ。ココがドコだかわかるかね?」
「社会福祉法人 技能開発研究所、略して福祉技研」
「よろしい。表向きには環境汚染に対するナノマシンならびに福祉技能の向上を目的とした民間法人だが、我々はそんな事をする為に集まったのではない。条約や常識、良識を模範となって示す事を強要されたお上に代わり禁忌を犯し、人の道を反れ、非合法の限りを尽くし国の抱える問題を秘密裏に解決、処理する為に作られた特殊機関。日本政府及び現内閣総理大臣"比御蔵将"公認の暗躍組織、それが福祉技研の実態だ」
「・・・」
この話も幾度となく聞かされた。
ここが日本だという事だけは認めようとも思うが、そこから先は別の話。
確かに環境に配慮してCO2削減などの動きがあった事は覚えているがナノマシンなんて単語は1度たりとて聞いた事がない。
それの存在自体は映画やドラマ、アニメやゲームなどで知ってはいるものの全てはフィクションの産物。
実用化は疎か開発すらされていないハズ。
それにココが民間法人を騙った特殊機関というのも、ますますもってフィクション臭いし総理大臣もそんな戦国武将みたいな名前ではなかったと思う。
こんな話を3週間も聞かされ続けたフォシルは、すっかり滅入っていた。
「では最後だ。私が誰で今後君はどうなるのか理解しているかね?」
「・・・」
最後の質問は少しばかり考えさせられる内容だった。
自分の背中に語り掛けてくる男がドコの誰で、今後自分がどのような扱いをされるのか・・・それ自体は何となく理解している。
理解しているからこそ普段の会話の中に、常に皮肉めいた何かを織り交ぜてくるこの男に対して何と答えてやろうか。
上体を起こしたフォシルはゆっくりと向き直り、ここにきて初めて男と目線を合わせる。
「アンタは福祉技研の所長"松永源以"で、俺は生け贄にされる為に生き返らされた」
「素晴らしい。生け贄とは皮肉のつもりなのだろうが完璧な表現法だ」
「・・・」
求めているモノとは違う答えが返ってきた。
不愉快極まりない展開を前にフォシルは両目を閉じ、疲れきった溜め息を漏らす。
きっとこの男には・・・松永源以には良心の呵責なんてモノはないのだろう。
彼の目の前でわざとらしく呆れてみたり、時には怒ってみたりもしたが源以の表情は一切変わらず、それどころか眉1つ動かさなかった。
その姿は冷静沈着を通り越し、さながら冷酷冷徹冷血を地で行く無機質な機械のようでもあった。
「繰り返しの説明になるが、今世界中では謎のコンピュータウィルス"死神"が大きな問題となっている。重度の環境汚染により死の星と化した地球は、最早生身の人間が生きていける環境ではなくなってしまった。そこで人類は、それに対する策として体内にナノマシンを循環させる事で適応を図った。結果として絶滅こそ免れたが、その代償として純粋な生物でもなければ無機質な造り物でもない異形の存在へと成り下がってしまった。コンピュータウィルスに感染する人類を見て、純粋な人間たる君は何を思う?」
「・・・率直に言えば、そんな話は信じられない」
「ふむ、答えとしては0点だが理解を深める事にはなろう・・・外を見てみたえ。何が見える?」
源以が壁の一角に触れた刹那、無駄に圧迫感を与えていた近未来的収容所の壁が消失、外との隔たりが取っ払われた。
この光景に最初こそ驚きもしたが今では何とも思わない。
源以に言わせれば、これは一種の映像投影のようなモノらしく今時、幼児すら食い付かないとの事。
だからフォシルも食い付かない。
本当はもう少しだけ詳しく聞いてみたいのだが相手がこの男ではストレスが溜まる一方だ。
頭をよぎる妙な悔しさを振り払う為とりあえず声を出してみる。
「別に・・・普通の街並みにしか見えないけど」
「君にはそう見えるか。ならば5分ほど外でジョギングをしてみるといい。目には見えない有害物質を吸い込み気道は爛れ、肺は腐り、軽い運動のつもりが、あの世へのフルマラソンになるだろう。目に見えない変化だったからこそ人類は己が過ちに気付けなかったのかも知れん。イエスの時代から4000年の月日が経った未来でも我々は猿のまま・・・バナナを貪り自慰を繰り返すだけの猿そのものだ」
全ての質問を終えた源以は壁を元にもどし、いつものように部屋を去るべくドアノブに手を掛けるが、なぜか今日に限り彼は改めてフォシルの名を呼んだ。
「君がそう思っているように私も君との会話に飽きてきてね。気分転換にこれから福祉技研内部を案内しようと思う。しばらくしたら、そのボロに代わる新しい着替えと君が身に付けている素敵な機械の解除キーを持ってこよう」
「・・・どうして急に」
「君は大切な"生け贄"なのだよ。古代アステカ文明に於いて生け贄は、神にも等しい存在として奉られたそうだ。故に私も、君を神として扱う事にした。胸を張って誇りたまえよフォシル君。この時代に於いて君は神だ。その事は君自身も理解しているのだろう?でなければ君の口から生け贄などという言葉が出るハズもあるまい」
皮肉なのか嫌味なのか止め処なく広がりを見せる源以ワールドを前に、フォシルは生け贄などというワードを口走った事を後悔する。
どうやらこの男に対して皮肉や、それに等しい行いをすると800倍になって返ってくるらしい。
だが悪い事ばかりでもない。
キッカケはどうあれココから出してもらえるだけでなく、相手の方から福祉技研内部の様子を見せてくれると言っているのだ。
収容所で延々と聞かされ続けた事がどこまで本当なのか?
実際にそれを確認したいと思っていた矢先、突如の誘いを受けたフォシルの中で初めて源以の株が上昇した。
それから程なくして着替えと解除キーを持って源以は収容所に現れ、その際フォシルはまた1つ新たな驚きと出会う。
理由は彼が着替えと称して渡したモノは白一色の巨大な布切れ1枚だけだったからだ。
それを広げてみれば身長170cmのフォシルを頭からつま先まですっぽりと覆い隠してしまうほどのサイズ感。
まさかこれを羽織らせて施設内を歩かせる気なのかと考えた途端フォシルの中で源以の株は大暴落。
寧ろここまでくるとマイナスとマイナスを掛けてプラスにもなり兼ねないほどの異常暴落を引き起こした。
「そんなに布切れが珍しいかね?20世紀にもフェルトくらいは開発されていたと思ったのだが」
「想像と違いすぎて絶望しているだけだ」
「なるほど。では君の想像力は貧困と言わざるを得ないな。考えてもみたまえ?未来は42世紀なのだよ。それが何の変哲もない布切れだと思い込んでしまうのはナンセンスだ」
そう言いながらフォシルの手から不意に布切れを奪い取った源以は両手で布の角と角とを掴み、それを大きく広げながらフォシルを頭から包み込む。
突然の奇行を前に、為す術なく拘束されたフォシルは布切れの中でバタバタと暴れるが、手足を振り回せば振り回すほど、これがなかなかどうして絡みつく。
「落ち着きたまえフォシル君。何も取って食おうなどとは思っておらんよ」
「じゃあなんで!こんな事をするんだよ!」
「いい質問だ。ではまず両手両足を広げ、体を大の字にしながら立ってみたまえ」
わけもわからず言われたままに体勢を作り、とりあえず布切れの中で立ち尽くす。
その向こうでは源以が何かを弄っているのかピピッという電子音が聞こえてきた。
視界を奪われた中、坦々と部屋中に響き渡るその音に一抹の不安と恐怖を覚えながらもフォシルはグッと我慢する。
「次だ。君はどのような服装が好みかね?」
半ば自棄を起こしたフォシルは、ぶっきら棒に答えてゆく。
いっその事ピンクのゴスロリ衣装や漢気褌などの注文を付けてやろうかとも思ったが相手が源以である事を思い出しそこだけは踏み止まった。
結果、モンタージュのように組み合わせて完成したイメージは動きやすさを追求したシンプルな長ズボンに長袖シャツ、ノースリーブのジャケットだった。
しかしこのイメージは、あくまでフォシル側のイメージであり源以がイメージしたモノとは違う可能性もある。
だがこの際そんな事はどうでもいい。
「ふむ、イメージに近いのはこれか」
刹那、ピーッという長めの電子音が聞こえたかと思ったら今度はフォシルに覆い被さっていた布切れが全身に吸着し始める。
初めこそ血圧計の中に放り込まれたかのようなギュッとした苦しさに締め付けられたが、それは次第に緩まり今では着衣が静電気でピタッと張り付いたあの感覚に近いモノを感じる。
その後、再びピーッという甲高い音が鳴り響き、しばらくしてから"頭を覆っている布を剥がしてみたまえ" と源以が指示を出す。
言われた通りにそれを鷲掴み、無理やり引きが剥がしてつま先から自分の姿を見てみれば──
「これは・・・いつの間に!?」
足元はベージュのチノパン、黒い靴。
上は白のパーカーに緑のノースリーブジャケット。
つい数秒前まで乞食にも等しいボロを羽織っていたフォシルが一転、20世紀の過去チックな服装に包まれていた。
「見違えたよフォシル君。まるで羽衣を纏った神そのものではないか」
「まだ言うか・・・」
こうして一応は人様に見せても恥ずかしくない格好となったフォシルは源以に連れられ福祉技研内部の案内を受ける事となった。