ACT.15 集え渦中の日本海、解放者6幹部
西暦4192年5月2日。
世の中は常に未来の事を考えながら目先の利益を優先して世界を回している。
経済、政治、均衡。
物体として形のないモノをあの手この手で必死に守りながら人が、金が、情報が目まぐるしく飛び交う昨今の世界情勢。
その螺旋の中心で世界を内側から監視して、なおかつ常に世界から監視される42世紀の特異点が日本海沖300km地点に存在していた。
ソレを表す言葉を並べればテロリスト、謎の存在、そしてカリスマ。
重度の環境汚染で命を育む母なる海が命を喰らう漆黒の闇へと変貌し、穏やかな波でさえも生者の足元に這い寄る亡者の怨念のように絡みつく中、それに抗うように佇む全長300mの大型戦艦サイコハミルトンの甲板で、少し俯き気味に腕を組みながら主砲にもたれ掛かり黒い瞳を口ずさむパン=エンドがいた。
"Очи черные очи жгучие
Очи страстные и прекрасные
Как люблю я вас Как боюсь я вас
Знать увидел вас я не в добр ый час・・・"
「パン=エンド」
ハットとペストマスクで視線を隠した絶対的指導者が歌詞の1番を歌い終えたところでタイミングを見計らい声を掛けたのは絶海の強風に紺色のコートをバサバサと靡かせる1人の男。
四角いフォルムが硬派な職人気質を漂わせるグレーのワークキャップを深く被り、鐔に隠した表情はどこまでも鋭く小さなオーバルメガネが不思議な威圧感を演出する。
それだけにとどまらずキャップから垂れた肩まで伸びる無造作な襟足は何本もの枝毛がささくれ束となり、まるで野生の蔓が如き荒々しさを思わせる男の正体は国際指定テロ組織の構成員にして世界各国の官僚、軍警察から解放者6幹部の通称で常時警戒監視されている"磯銀亦左"。
パン=エンドを頂点に世界中に散らばった危険因子達は皆、解放者6幹部と呼ばれる6人の日本人により統制されており、その1人である亦左は幹部の中で最もパン=エンドに近い男であると同時にテロリストになる以前の職業、メカニックとしての技術と知識で解放者を内部から支えている。
さらには気性の荒さと機械的技術発展以上の、特にサードメイカンドを始めとした人工知能を搭載する"人ならざるモノ"を良しとしないアナーキーぶりは、亦左を未来社会に対する"反逆の使徒"と言わしめる所以である一方、指導者パン=エンドに対しては絶対の忠誠を誓う彼を実質的な解放者のNo.2とする見方が世界の見解である。
そして亦左が告げたのは世界各地に散らばっていた6幹部全員がこの大型戦艦に集結したという内容だった。
それを聞いたパン=エンドはハットに手を当て背中で軽く主砲を押し出し、その反動で体勢を整える。
ハッチを抜けて2人がたどり着いた先、最早公共施設の大広間と言っても差し支えない程の面積を持つサイコハミルトンのコントロールルームで待っていたのは4人の男女+NoImageとだけ表示された立体映像。
早速自身を中心に扇状に広がった6幹部に対してパン=エンドは1人1人に言葉を掛ける。
するとパン=エンドから見て左手前、白髪混じりのオールバックに臙脂色で統一したスーツ。
小洒落たワンポイントでさりげなく自身を飾った身長160cm程度の小太りな男が一言、これから訪れるであろう世界の行く末を口にする。
「この日が来るのを待っていました。貴方と共に世界を解放するこの時を。今こそ人類を縛り付けている秩序と言う名の姿なき支配者から、そしてスペルエンハンスの呪縛から世界を解放する為に貴方と共に歩んでいける事を光栄に思います」
隣に立った身長192cmの亦左と並べば男はちょうどいい高さの肘掛けないし自然な位置でドリンクボトルを置けるくらいのサイズ感。
この者の名は"甲斐明治"と言い、今でこそ解放者6幹部の1人として世界中から危険視されているが、それ以前は日本政府の官僚を務めていた異例の経歴を持つ。
しかし日本の、延いては世の中を形作る政界という一大組織のあまりの没落っぷりに絶望した明治はある日パン=エンドの掲げる"人類の解放"に自らが求めていた本当の政治のあり方を見出して以降その一挙手一投足に心酔していった。
故に明治は解放者6幹部としてパン=エンドの為ならば自らの命さえも投げ捨てる。
その揺るぎない覚悟の裏付けは、たとえ自分が死んだとしてもパン=エンドなら必ずや世界を解放し、0に還った人類を統一して今度こそ過ちのない人の歴史を創ってくれると信じている事に他ならない。
その思いを解放者全員の思いだと受け止めたパン=エンドは次に今後のプランを説明していく。
先手パン=エンドが指名したのは青い瞳に褐色の肌、ブロンドのミディアムヘアとオリーブドラブのロングコート。
黒のホットパンツに合わせたタイツとロングブーツがハードでセクシーな異国情緒を感じさせると同時に、どこか悲しげな諸刃の雰囲気を漂わせる無表情な少女 "望月多々薇"。
彼女は日本人男性とヨーロッパ出身の母との間に生まれたハーフだが出身はごく一般的な日本のありふれた家庭。
多々薇は4歳の時に母親の故郷に家族共々移住して平穏な日々を過ごしていたがある事をキッカケに始まった、後に西部ヨーロッパ内戦と呼ばれる紛争に巻き込まれ僅か6歳にして戦争孤児となった。
行き場をなくした彼女は半ば拉致にも近しい強引なやり方でレジスタンスに引き取られ、そのまま戦場に放り込まれ少女兵として人生の半分以上を戦場で過ごしてきた。
その後、西部ヨーロッパ内戦の根本にあるモノが人種差別である事を知った解放者が差別主義者とレジスタンスの間に武力介入。
これにより内戦は終結、そして圧倒的なカリスマ性で解放者を指揮するパン=エンドの姿に本当の平和を見出した多々薇は弱冠16歳でありながら亦左に次ぐ武闘派として世界各地の紛争に武力介入している。
そんな彼女には世界政府の攻撃を物理的に排除する攻撃要員を任せ、次に名を呼ばれたのは白いレディーススーツにしなやかな黒髪オールバックをマッドゴールドのカチューシャで留めた淑女"和泉なぎり"。
その正体は日本の大資本家、和泉財閥の令嬢にして犯罪シンジケート、特に武器装備の扱いに長ける彼女は個人用兵器から師団クラスが用いるモノまで、ありとあらゆる兵器の流れを裏で仕切るゴッドマザーでもあった。
なぎりが解放者に肩入れする理由は資本家としての考えがある他に利益を最優先に決して自らの手を汚そうとしない自称革命派の連中と違い、パン=エンドには大胆不敵な行動力と計算力、なにより他の追随を許さないカリスマ性によってもたらされた数々の結果が実績という形で残り、そこに真の世界革命の行く末を見出した事に他ならない。
パン=エンドの姿に、なぎりは資本家故の好奇心と感性を奮い立たされ解放者を支持する権力者達の上に立ちビジネスライクな語り口でこれらを統一、遂には某国の軍上層部さえも手中に収め友好的に支援を快諾させる。
この大型戦艦サイコハミルトンが解放者のもとにあるのも全ては、なぎりの暗躍。
圧倒的な財力と権力を持つ彼女は今後必要となってくる武器装備の手配を任された。
パン=エンドの采配は続き、今度はラフな黒いパーカーにベージュのチノパン、小刻みに震える少し目付きのおかしい男"陣内夜一"を指名する。
この夜一、亦左や多々薇のように戦闘力が高いわけでもなく明治やなぎりのように強力な繋がりがあるわけでもない。
そんな男が6幹部の1人としてパン=エンドの前に立てる理由は唯一。
それはナノマシン異常による常軌を逸脱した自然治癒力を持った、いわゆる"不死身の男"であるからだ。
軽いダメージなら受けたその場で即完治、未来の死の定義である脳の損傷(物理的な意味)を負ったとしても夜一の脳細胞は瞬く間に完治してしまう。
人体破損を起こしても肉、内臓、神経、骨、あらゆる部位がナノマシンに記憶された情報により再構築され頭に弾丸を撃ち込まれようとも、心臓を抉り取られようとも、無残な肉片にされようとも死に拒絶された男の肉体は母の胎盤の中で新たな命が成形されていくように徐々に再生を始め、やがては傷1つない陣内夜一として復活する。
彼は幼少期に起きた、当時小学生だった42人の児童が全員即死する不慮の自動車事故からただ1人無傷で生還した事により自らが不死身である事を知った。
その後、夜一は不死身の肉体をいい事に、常に命を懸けた一攫千金の世界で生きるようになる。
しかし1回きりの人生の中で2度目、3度目と何度も何度も死を経験していくうちに夜一は次第に死ぬ事すらも退屈だと感じるようになってしまう。
どんなに金を稼ごうとも、どれほど美しい女を抱こうとも夜一の心は満たされなかった。
快楽も痛みも恐怖も死も超越してしまった彼が、その先にある自らの渇きを潤す"なにか"に渇望していた時、スカウトを通じて出会ったパン=エンドの言葉に"なにか"の正体、究極のエクスタシーを見出した。
こうして夜一は解放者として不死身ならではの命の使い方を知る事となり、その使命を果たすべく軽く頷いた。
少しの間をあけた後パン=エンドはNoImageと表示された立体映像に向き直り指示を出す。
この映像は今も世界のどこかで暗躍し続けている6幹部の1人"杵淵久遠"の代理のようなモノ。
そしてその人物はパン=エンドに次ぐ謎の存在として各国の首脳達を悩ませている。
久遠については出身、年齢、本名、それら全ての情報が知れているにも拘らず実際にわかっている事は殆どない。
どういう事かと言えば杵淵久遠という日本人が"存在していた"記録はあるものの、それは既に200年も前の事。
では未来の価値観から考えて久遠は200歳なのかと言われればそうではない。
なぜなら3900年代末、日本のとある大学病院に搬送された杵淵久遠という人物は医師達の努力も虚しく死亡したという明確な記録が残されており、その時を境に久遠のナノマシンは完全に停止。
世界中の諜報機関どんなに調べてもデータ上では死亡の2文字しかなく、それが事実なのか偽装されたモノなのかもわからない。
ならば200年前の久遠と解放者の久遠は同姓同名の別人?
しかしその説はナノマシン情報が否定している。
では200年前の故人の名を騙った不届き者?
もしそうなら杵淵久遠(仮)のナノマシン情報が登録されていない理由を説明しなければならず、結局はパン=エンドと同様に悪魔の証明と同じ理屈になってしまい考えれば考えるほど混乱する。
何をどのように組み合わせても決して噛み合わない歪んだ歯車、杵淵久遠に対してパン=エンドは時が来るまで待機を命じ、最後に残った亦左には"俺と行動を共にしろ"と言葉をかけた。
「亦左を筆頭とした技術班の活躍によりアラドヴァルは6割の状態まで持ち直した。だがそれと同時に世界中が俺達の動きに危機感を覚え"なにかしなければならない"と、今この瞬間も迷い続けている。しかし迷いあるまま行動すれば、いずれは自らの首を絞める事になるのも必然。だからこそ世界に示し導かなければならない。本当の悪、真に打ち倒すべき敵とは何者なのかを。1つの強大な敵に立ち向かう時、互いの首に刃を当て鎬を削ってきた人類は団結して自らの意思で手を取り合い世界と1つになる。解放者の名は全人類の為に、今こそ地球全体を味方につけ俺達は諸悪の根源スペルエンハンスの壊滅を宣言し、ジ・オペレーターの一方的支配から地球と人類を解放する」
パン=エンドは今回の日本海沖300km地点を占拠した目的と最終目標を語り、その一言を受けていよいよ6幹部の亦左、明治、多々薇、なぎり、夜一、久遠が動き出す。
42世紀現在、その名を口に出す事すら禁忌とされる地球圏全体の実質的支配者スペルエンハンスと独裁者ジ・オペレーターに対して一大決起を実行する時、世界が選ぶ道はテロリストとの共闘か、それとも秩序と言う名の社会的建て前か。
その答えは、そう遠くない未来で世界最強のテロリストを率いたペストマスクの怪人が"英雄"と呼ばれた事が全てである。