ACT.11 命の証明
西暦4192年4月14日同日。
冷んやりと頬を伝うタイルの抱擁を受け、全身を駆け巡る鈍い痛みと共に目覚めた照史を待ち受けていたモノは一面の純白が清潔感を漂わせる中に永劫の虚無感を感じさせる不思議な空間。
その真ん中には不自然なまでに威風堂々と構える椅子が1つ。
あとはそれに腰掛け、ただならぬオーラを纏ったスーツの老紳士がいるだけで他には何も見当たらない。
まるで人間のモノとは思えない凶悪な三白眼に見つめられ状況も把握できないまま照史はゆっくりと立ち上がった。
顔面から真っ逆さまに叩き落とされ夥しい量の血が吹き出していた顔には傷1つなく外された肩と手首も治っている。
あの一瞬は全て夢だったのか・・・そうじゃない。
肩の力を抜いて楽にした右手を軽く揺らせば親指にぶつかるナイフのシース・・・つまりあの一瞬は全て現実の出来事であり、この状況こそがその続き。
ほんの少しだけ自分の立場を理解した照史が次に考えるのはここがドコで目の前にいる老紳士が何者なのかを知る事。
小さく身構え落ち着きなく指先でシースの口を弄りながら、ちょっと目線を落とした照史の足元で不意に金属同士がぶつかり合う心地良くも本能的にビクッとさせる甲高い音が鳴り響く。
「探し物はコレかね?」
相対した老紳士から顔を背けずに目線だけでそれを見てみれば照史が解放者アジトから持ち出したアグレッシブな大型ナイフが転がっていた。
投げ渡されたソレを警戒しながら拾うと、しっかりとグリップを握りいつもより強気な表情でこの部屋唯一のオブジェクトに鎮座するその人物を睨み付ける。
「刃厚8mmのフルタング。ブレードの背には広範囲にわたり施されたセレーション、ダブルヒルトとフィンガーチャンネルでグリップ力を強化した刃渡り40cmのタントーナイフか・・・これを見ただけでも君の確かなやる気が伝わってくるよ雛市君?」
「・・・お前は誰だ」
「ふむ。そのナイフを私に突き付ける為に、君はここに来たのでは?それなのに相手の顔すら知らんとは、いかがなものかね?」
「まさか・・・松永源以?」
挑発とも取れる発言にその老紳士の正体が冬羽の仇、 松永源以である事を理解した照史は眉間にシワを寄せ歯を食いしばりながらさらに強くナイフを握りしめた。
"世の中には死なねばならないヤツがいる!"と、少年の中で渦巻く憎悪の念が狂った獣のように叫び散らし地獄の底から沸々と込み上げて来る。
殺しても殺し足りないほどの怒りに身を任せ照史は不気味な笑みと共に1歩1歩着実に源以のもとへ近付いて行く。
揺るぎない覚悟と信念を切っ先に乗せ、渾身の踏み込みからナイフを水平に寝かせた刹那、八角形第2ルーム全体にバズッ!と乾いた銃声が木霊する。
次の瞬間、右肩から大量の血を吹き出しナイフもとより照史の体は大きく仰け反り背中から地面に落ちていく。
今まで何人もの人間を撃ち抜いてきたスパルタンリボルバーから放たれた1発の凶弾が圧倒的衝撃と共に駆け抜け少年の肩を食い破ったのだ。
肩甲骨、肩峰、上腕骨頭、これら肩の土台を形成する主要な骨諸共筋繊維を撃ち砕かれた右腕は一瞬にして使い物にならなくなり無気力にぶら下がるだけの肉塊と化すが、寧ろこの一撃を受けて繋がっている事自体が奇跡的だった。
力任せに抉られた患部が大きく口を開けながら真っ赤な鮮血を垂れ流す中、それでも照史は立ち上がる。
「なるほど。ナノマシン制御で痛みを克服したか。しかし、これならばどうだ?」
何が気に食わなかったのか徐にリボルバーをしまうと目の前の空間に映し出されたデジタルディスプレイを操作しながら源以は言葉を続ける。
「君のナノマシン情報は既に調べさせてもらったよ。キッカケは知らんが解放者に唆され彼らの同志となってしまった以上、君と私は敵同士という事になる。凡そは十君をネタに取り込まれたのだろうが些か情動的だな」
「なんだと・・・?」
「若さ故に物事の本質を見抜けなかったのだろうが最初に言っておこう。君の大切な十君は死んでなんかいない・・・ちゃんと"生きている"よ」
慣れた手つきで何かのプログラムを作動させた刹那、 照史の中を太い1本の筋がドクンッ!と脈打つような不快感が駆け巡る。
その時だった──
「う、うぁあぁあぁぁぁあぁああぁぁぁ!!」
一瞬にして意識が銀河の果てまでぶっ飛びそうになるほどの強烈無比な激痛に全身を隈なく支配され照史は力の限りを尽くしてのたうち回る。
脳の血管がブチブチと張り裂けるような、身体の奥底で核爆発が起こったような、全身がジュワッと音を立てて蒸発していくようなその正体はナノマシンの加護を外された事で生身の肉体に襲い掛かる今まで体験した事のない究極の痛み。
源以の言った"君のナノマシン情報は既に調べさせてもらった"という言葉の意味、それは照史がドコの誰なのか理解したという意味ではなくナノマシン活動=生命活動とした上でその命を掌握したという意味だった。
従来のナノマシン・ジャマーのような限定的条件下での掌握と違いナノマシン・ジャックを応用した無制限の完全掌握。
銃で撃たれる事がこんなに痛いだなんて知らなかったしナノマシンが停止した事で止血もされない。
13年の人生が走馬灯の如く脳裏を過りその終着点に死の一文字を見据えた時、照史は不意に激痛から解放された。
「落ち着きたまえ雛市君。そんなに声を荒げていては私も言葉をかけるタイミングがわからんよ」
とりあえず満足したのか照史のナノマシン活動を再開させ痛みの緩和と止血を行い場を持ち直す。
「さて、話の続きをしようか。と言っても百聞は一見にしかず、実際に十君に会って君自身の頭で理解してもらった方がいい」
「本当なのかっ!?本当に冬羽は──」
自分の言いたい事だけを言い尽くした源以に少年の言葉を聞いてやる理由はない。
源以の見つめる先、照史の背後にある扉が開くと、そこから現れたのは見た事もないほどのスケールを誇る大男と、ジトッとした目の不思議な少女だけで冬羽の姿は見当たらない。
血に染まった右腕を庇いながら注意深く辺りを見回すも、やはり冬羽の姿はない。
「冬羽はドコだ・・・!」
"彼女に会いたい!"。
もどかしさはピークを超えて新たな怒りを生み出し照史の左手に再びナイフを握らせる。
その切っ先を源以に向けたと同時に背後から迫り来る何者かの気配を察した照史が振り返った時、少年の体は謎の少女により再び地面に叩きつけられ拘束された。
「こんなに近くにいるというのに君には十君が見えないのかね?もっとよく見たまえ。君を押さえつける彼女の指先を」
少女と地面に挟まれて自由を奪われた体を力尽くで曲げ、左肩に置かれた少女の指先を見てみれば白い部分を全て切り落とした深爪である事に気付かされる。
それが何を意味しているのかを瞬時に理解した照史が驚きと絶望を浮かべ、それこそ世界の終わりを見たような表情を晒す中、源以は残酷すぎるネタばらしを開始する。
「ミーム」
それは人の生きた証、或いはその命が存在していた事を証明する遺伝子以外の遺伝情報。
個々の持つ癖や習慣、能力や過去など人から人へ、人から世界へと伝わっていく最小単位の情報。
わかりやすく例えるなら皆が静かに同じ時間を過ごす中、1人の人間だけが常に場を騒ぎ立てていれば、その人間は周りから白い目で見られ変なヤツだと噂される場面は想像に難くない。
そして常に騒ぎ立てている1人の人間に便乗して静かな時間を過ごしていた者達の中の誰かが一緒になって騒ぎ始める場面も同じく想像に難くはないハズ。
1人の人間が騒いでいる。
その情報が周りの人間に伝わり同じ時間を過ごしていた者達の間に広がっていく。
1人の人間が騒いでいる。
その情報を知った別の人間がその1人と同じように騒ぎ始める。
1人の人間が騒いでいる。
いつしかそれは姿を変え、静かに同じ時間を過ごして者達全員がその1人の人間と同じように騒ぎ始める事で沈黙という時間を破壊する。
親から子へと受け継がれた遺伝子に関係なく1人の人間が騒いでいるところから始まったこの物語は様々な外部的要因を介して周りにいた者達の情報として記憶される。
これこそがミームの概念であり、それを今の状況に当てはめる。
照史の知る"とある人物"は伸びてもないのに爪の白い部分を短く切り、常に深爪状態にしてしまう癖があった。
"とある人物"にその癖がある事を照史はよく知っていた。
その人物は5ヶ月前の冬、突如として手の届かない遠い場所へと行ってしまった。
その名は"十冬羽"。
脳髄に刻まれた彼女のミームをたどって目線を上げた先、そこにいたのは冬羽とは似ても似つかぬジトッとした目の鋼鉄の天使。
今は"アーティ"と呼ばれる少女だった。
「十君は自分の死期を悟っていた。我々も手を尽くしたが正直、彼女の症状は深刻すぎた。そこで私は彼女が生きる最後の道として"総入れ替え"を提案した。寧ろ強く生きたいと願う彼女の望みを叶えてやるにはそれしかなかったのだよ。肉体は言うに及ばず臓器やナノマシン、脳から記憶に至るまでの全てをね。結果として十君という存在を象っていた部分のうち、残せたモノは全体の1/10にも満たない肉片の一部と僅かな遺伝子。ここまで手を施せば最早それは十君ならざる別の存在に昇華するとも思ったのだがその考えは間違っていた。それを気付かせてくれたモノこそ十君を十君たらしめる彼女のミームだったのだ。さて"十君"、彼を解放してやってくれ」
源以の指示でアーティ(十冬羽)は、ゆっくりと照史を解放する。
直後、照史は声にならない声で誰かに助けを求めながら這いつくばるようにして彼女の前から逃げ出した。
しかし逃げ込んだ先に鎮座する源以の姿を視界に捉えさらに絶望の声を漏らす。
目の前には源以、背後にはアーティ。
ならばこの部屋から逃げ出そうと考えるも唯一の脱出口にはそれを塞ぐようにして立ちはだかる筋骨隆々の巨漢、三佐がいる。
心身共に追い詰められた照史はその場に蹲り最終的に選んだ選択肢は自らの頭を地面に叩きつけ、破壊された右肩を容赦なく抉る壮絶な自傷行為だった。
たとえ真実であっても認めたくない・・・その一心で少年は物理的な痛みに逃げ込んだ。
新鮮な肉を抉るゲチャッ!という音と共に血飛沫が舞い、強固な地面に何度も頭を打ち付けているうちに額も割れ、 照史は文字通り自らを血祭りにあげる。
だがその程度では源以に対して何を訴える事も叶わず目の前で繰り広げられる自傷をただただ退屈そうに見つめていた源以から"やめたまえ"と声が掛かる。
「何が不満なのかね雛市君。他の何よりも求めていた十君が目の前にいるというのに、まさか君自身の手で彼女の生を否定するつもりではなかろうな?」
「黙れよっ!黙れってんだよ!!」
「姿形が気に入らんのかね?しかし今の彼女こそ、ある意味で十君自身が望んだ姿なのだよ。誰よりも死を間近に感じていたからこそ生きたいと強く願った。確かに姿形は変わってしまったかも知れないが十君の生きた証、その命を証明するモノこそ君の中に刻まれた彼女のミームに他ならないと言うのに君は・・・これでは十君が報われんな。彼女が誰の為に生きたいと願ったのかを考えてみたまえ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえぇえぇぇぇっ!!」
どんなに照史が"やめてくれ!"と願ったところで源以の語りは終わらない。
今の姿となる事を冬羽自身が望んだなんてあり得ないと信じながらも、もしもそれが真実だった場合の事を考えると恐ろしくて堪らない。
自分の中で思い描いていた現実と、目の前の現実に掻き乱される照史の心を問答無用で抉りながら全ての真相が語られる。
遡れば約1カ月前の西暦4192年3月4日。
「体調はどうかね十君」
一課第1診療室にある特殊機器で診断を受け、職員達に支えられながら第1病棟にもどる途中の冬羽に源以が声を掛けた。
それに対して少女は弱々しくもキラキラした笑みを浮かべ"松永さんや柳さんのおかげで少しだけ良くなった気がします"と返事を述べる。
「君の口からそんな言葉をいただけて光栄だ。あとで君の病室に伺わせてもらいたいのだが構わんかね?」
「松永さんがですか?はい!是非ともです!」
自分の立場をわかっているのかと聞き返したくなるほど冬羽の笑顔は眩しかった。
その後、しばらくの時間を経て源以は約束通り病室に現れる。
おそらくは彼女が最期の時を過ごすであろうその部屋は楓と景勝がプロデュースしたパステルカラーを基調に、年頃の女の子が好きそうな小物で埋め尽くされた冬羽の為だけの特別な場所。
ふわふわとした雰囲気が漂う一時の夢を切り裂くように現れた今日の源以の身なりはダークグリーンのネクタイにベージュのベストを合わせ、足元の黒い革靴から見上げれば全身ベージュで統一した渋めのスーツ。
ポケットチーフのワンポイントを決め、枯れ果ててしまった同世代に餞別の鎮魂歌を贈る別格のダンディズムと微笑みを知らぬ鋭い目線は、さながらお伽の国に迷い込んだグリムリーパー。
今まさに尽きんとする少女の命を黄泉の国へと誘うかのように、鎌を持たない死神はベッドの横に置かれた椅子に腰掛ける。
「松永さんが来たって事は私・・・もうすぐ死んじゃうんですね」
「ふむ。ある種の覚悟を決めた君を前にして誤魔化しは無用か。銑十郎と違い、私は医学には詳しくないが故にこの期に及んで綺麗事を言うつもりもない。先ほどの検査で君の肉体と遺伝子、その他ナノマシンを含めた全てを調べた結果、それらは既に限界を迎えているそうだ。尤も、それに関しては君自身が一番よく理解している事ではあろうが、十冬羽という存在を構成する全ファクターの崩壊具合と進行速度から計算してその余命は持って3ヶ月、早ければ1ヶ月。最早未来医学ではどうする事も出来ない段階まで達していると言うのが医学の観点から見た結論らしい」
「・・・松永さんは優しいんですね。ココにいる人達はみんな、私が傷付かないようにって嘘をつくんですよ?柳さんとか楓ちゃんもそうです。景勝さんだって笑いながら・・・悲しい嘘を言うんです。お父さんもお母さんも、あれから会いに来てくれないし、きっと私の事は忘れちゃったのかなって・・・。」
「人生の先達として言わせてもらえれば君の考えは間違っていない。銑十郎はもとより湊君も景勝君も立派なエゴイストだ。それと君の両親についても多少なりとも知るところはあるが聞きたいかね?」
「いえ大丈夫です。それよりも最近思うんです・・・もうすぐ自分は死んじゃうんだって考えた時、これから新しく何かを知るよりも、今を生きていく誰かの為に何かを残せないかなって。私と同じように不治の病で苦しんでる人達は世界中にいます。その人達の為にいつか私のデータが役に立ってくれれば、それが私の生きた証になる。死んで何もかも無くなっちゃうのは怖いけど松永さんや柳さんならきっと・・・」
万物が皆平等に恐れる死の現実を無慈悲に語る源以に対して冬羽は"優しい"と答える。
これは皮肉でもなんでもなく、たとえそれが罪や罰だとしても包み隠さずストレートに言ってもらえた方が楽な時があるのと同様、避けられぬ事とわかっているのに"どうなんだろう"とか"まだわからない"など気休めにもならない言葉をもらって喜ぶ者などいないのだ。
護りたいと願うが故、少しでも安心してほしいと願うが故、笑ってほしいと願うが故に、渦中の人が決めた決死の覚悟を削ぎ落とし中途半端に希望を持たせてしまった結果、護りたかったハズの相手に対して意図せずとも最も残酷な現実を突きつけてしまう事もある。
事実、情け無用のリアリスト源以の言葉を受けて冬羽の心は少しだけ軽くなっていた。
「素晴らしい感性だよ十君。他人の為に自らの命を捧げる究極の慈愛・・・まさしく君は本物の天使だ。そして己が生まれて来た意味を"未来への礎"として受け入れたからこそ君の為に奇跡は起こるのだろう。先述の通り私は医学というモノを人様に語れるほど詳しくはない。独断と偏見を掲げ、出された結果を肯定するも否定するも痴がましい程度だが、私の分野の観点から話をさせてもらえれば君にはまだ可能性がある」
「えっ・・・」
冬羽は我が耳を疑った。
ふかふかのベッドで寝そべっていた体を震わせギュッと目を閉じ力みならが辛そうに上体を起こすと、何かの聞き間違いかも知れない言葉の意味を再び源以に問いただす。
言葉の重みとはいかに現実的な雰囲気を醸し出せるかどうかに比例する。
つまり銑十郎や楓が言う"可能性"と源以が言う"可能性"とでは雲泥の差どころか同じ名を体するだけで似て非なるまったくの別物。
新たな可能性を前にして冬羽は身を乗り出し、最後の望みとばかりに源以の言うソレが何なのかを詳しく聞いてみるがその内容は究極の二者択一ある意味で悪魔との取り引きにも近しいモノだった。
ベールを脱いだ可能性の正体はあまりにショッキングであまりに無慈悲。
命を取るかそれ以外の全てを取るか・・・冬羽は深く深く考えさせられる。
「私・・・生きて会いたい人がいるんです・・・でもその人は私を私だって認めてくれるでしょうか・・・ 姿形が変わってしまった私の名前を呼んでくれるでしょうか」
「わからん。だが君が信じてみたいのならば信じてみたまえ。人の生き死にさえも掌握したこの42世紀を以ってしても未だ科学では解明出来ない超常現象は存在する。いっそご都合主義の猿の頭で考えてみてもいいのでは?君に必要なのは未来の為に、今をどうするかだ。あまり時間もないが今日だけは存分に悩んでくれたまえ。いかなる結論を出そうとも私は君の意思を尊重するよ」
不安げな表情を浮かべる冬羽を置いて源以は1人彼女の病室をあとにする。
「照史・・・私・・・」
それから20時間後の西暦4192年3月5日。
再び冬羽の病室を訪れた源以は、何を気遣う事もなく早々彼女に"結論は出たかね"と声を掛け、対する冬羽も一呼吸置いた後、死力の限りを尽くし目を輝かせながら"覚悟は出来ています"と返答する。
その後、数分もしないうちに冬羽の病室は駆け付けた一課職員達によってぎゅうぎゅう詰めとなり、傷1つ付ける事も許されない国宝を扱うかの如く彼女を優しく丁寧に大人の腰の高さ辺りを浮遊するボード(この時代の担架のようなモノ)に乗せゆっくりと運び出す。
道中、冬羽を取り囲みながら行進を続ける職員一行の前に小さなシルエットが立ち塞がる。
最後尾から列全体の様子を窺っていた源以が最前列に立った時、そこにいたのは楓だった。
「何か用かね?」
「所長・・・冬羽をドコに連れていくんですか」
時として楓が奇行に走る事を福祉技研の職員達は知っている。
故に担架を囲む数人は彼女を無視して行進を再開しようとするが源以から"待ちたまえ"との指示を受けピタッとその場に立ち止まった。
「まだ湊君との会話が終わっていないと言うのに君達は何を焦っているのかね?見ての通り十君はこれから八角形第1ルームに入る。彼女を救うには最早形振り構っていられんのでな」
「冬羽は・・・そんなに悪いですか・・・」
「・・・楓ちゃん?」
その時、担架の上で眠るように目を閉じていた冬羽がゆっくりと上体を起こし楓の姿を捉えた。
刹那、何かを思いついたのか源以は意味ありげに2人の注目を集めた後、彼女達の視線をお互いに絡み付かせるように言葉を続ける。
「湊君に十君、2人とも互いの姿をよく覚えておきたまえ。そうすれば今後どこかで再会した時、また普段通り友人として仲睦まじく接する事が出来るだろう」
「それはどういう意味ですか・・・?」
楓が言葉の真意を確かめようとした次の瞬間には源以は一行に進めの指示を出し、彼女を置き去りにしてその場を立ち去ってしまった。
そしてたどり着いた八角形第1ルームで冬羽は身包みを剥がされ謎の機械へと接続される。
ナノマシン制御で深い眠りに落ちた彼女は最早生きているのかも死んでいるのかもわからない。
その後、現場の指揮を銑十郎に託した源以は部屋全体を見下ろせる2階の個室に移動してただ静かに結果が出るのを待った。
それから5日間、計120時間をノンストップで駆け抜けた一課職員達の努力もあり西暦4192年3月11日、冬羽は自らの存在を構成する全てのファクターと引き換えに死の運命を打ち破った。
そして時間軸は今となり彼女が十冬羽として最期に残した言葉が"生きてもう一度、照史と一緒にオムライスを食べたいな"であった事を告げて話を落とした。
「君も十君を見習ってはどうかね?自分の存在を否定してでも君の中に残る僅かなミームを信じて、未来の為に今を犠牲にした彼女を剰え君は否定しているのだよ。ましてや解放者に唆された挙句がこの様だ。何を根拠に君は十君が死んだと思ったのかね?彼女がそうであったように、君も少しは彼女を信じてやってもよかったのではないか?」
「あぁあぁぁ!!やめろ・・・やめろやめろっ!!」
「何をやめろと言うのかね。まさかこの期に及んで君は自分自身の行いを正当化しようとしているのではなかろうな?尤もそれを許すも許さんも全ては君の匙加減。私とした事が変に口を挟んでしまい申し訳ない」
照史が自らの愚行を悔いているのは誰の目から見ても明らかだった。
しかし源以はそれを否定もしなければ肯定もせず"君が納得するようにすればいい"と声を掛けさらに照史を苦しめる。
"お前はバカだ!"と唾を吐きかける事もしなければ"今からでもやり直せる"と手を差し伸べる事もしない。
まさにこれこそが相手を苦しめる為の最も正しい対応であり無意識のうちにコレを悪意なくやってのけてしまうから人間という生き物は質が悪いとは源以談。
声を枯らして泣き喚く照史は誰に対しての謝罪なのか "許してくれ"と叫んだり、何に対しての怒りなのか拳を地面に叩きつけたりを繰り返す。
常人ならば見ている事さえ耐え難いハズなのに源以、 三佐、そして冬羽・・・今はアーティと呼ばれる少女の3人は表情1つ変える事なく照史の姿を見届ける。
その時、少年の身に異変が起こった。
どこか身体の奥底で張り詰めていた何かがピンッと弾け飛んだかのような感覚を最後に全身から力が抜け、ふわふわとした不思議な心地よさに包まれながら倒れ込む。
直後、源以と三佐はナノマシンリンクで意思疎通を行い、代表して三佐がゆっくりと照史に近付き脈をとりながらポケットから小さな注射器のようなモノを取り出しそれを少年の首筋に打ち込んだ。
その後、注射器に表示されたメッセージを見て三佐は1つの結論を出す。
「おそらくは規定値を超えた精神波長の乱れを感知したナノマシンが脳に働きかけ、強制的に意識をシャットダウンさせた事が原因だと思われます」
「つまりはストレスか・・・さて、そこで見ているな銑十郎?今から雛市君を一課の病室に運び入れるので傷の手当てとナノマシンの復旧を行ったあと近衛君に連絡を取り、彼を親元まで返してやってくれ」
一見すると何もないように見えるがこの部屋の四隅には超小型カメラとスピーカーが設置されている。
それは無線を介して一部端末と常時接続されておりパスコードとナノマシン情報を入力する事で部屋内部の様子をリアルタイムで覗き見できるというモノだった。
照史を抱えた三佐とそれに同行するアーティが部屋を出て行ったのを確認してスピーカー越しに銑十郎の声が聞こえてくる。
「大方は間違ってないが肝心なところを抜かしてないか?」
「肝心なところとはドコの事を言っているのかね?」
「お前が十にソレを促した本当の理由だ」
余命幾ばくの冬羽に対して悪魔のプランを促した本当の経緯を理解する銑十郎だからこそ、そこには優しさの欠片もない事を知っている。
観客として1つのエチュードを見終えた感想を述べるかのように彼は源以の真意を代弁する。
それは冬羽の手術が行われるまさに数時間前の事だった。
「なるほど。一部の生体パーツを除き全てを義体に造り替え、その上で十が持っていた本来のナノマシンの一部を再度導入させる・・・か。これなら例の症状も虚弱体質もある程度緩和できるだろうが、お前にしてはずいぶんと優しいプランを考えたな?」
「全ては過程の話だよ。三課の有能な技術者達が頑張ってくれたおかげで、もうすぐ死の遺伝情報は完成する。そしてコレが効力を発揮するのはナノマシンが入った人間だけだ。つまり純粋なサードメイカンドでは後々の始末が面倒になってしまうからこそ十君には限りなく偽物に近い本物として最高のパフォーマンスを披露してもらわねばならんのだ。我々は彼女に感謝してもしきれんほどの恩義がある事を忘れるな」
「やっぱりそう言う事か。少しは十が可哀想だとは思わないのか?」
「可哀想だと思った時点で既に相手を見下しているのだよ。私はここの所長として、あくまでも皆を平等の立場として見ているつもりだ。まぁフォシル君だけは本当の意味で特別だが、彼以外を見る目は誰であろうと変わらんよ。些細な事で差別主義者の烙印を押されてしまう世の中だ。つまりは、お上の手前不公平な要素は排除せねばならん」
「あぁ・・・聞いた俺がバカだったよ」
こうして冬羽は命以外の全て、己の存在意義すらも奪われた上でアーティとして今を生きる事となったのだと銑十郎は話を締め括った。