ACT.10 鋼鉄の天使は涙に染まる
西暦4192年4月14日。
暦も4月の半ばに差し掛かった今日この頃。
年を跨いで居座り続けていた冬の寒さも鳴りを潜め、 それと入れ替わるようにして暖かな春の日差しが崩壊寸前の地球に降り注ぐ。
重度の環境汚染により萠ゆる草木は死滅してしまったけれど、柔らかな光を見る限りココが四季の国である事には間違いない。
そして冬眠から目覚めた蟲が如く、日に日に活発さを増して行く解放者の動きに国連が不安を募らせる中、 福祉技研所長室では転送された資料に目を通しながら源以と重徳がナノマシンリンクを通じて今後の予定についてを話し合っていた。
「なかなかに興味深い資料ではあるが目的がわからんな。この期に及んで解放者は漁師にでも転職したのかね?」
「なにぶん日本海は4ヶ国同士が主張する海域の問題もありまして調査が進まないのが現状です。日本が所有する衛星が捉えたイメージだけですが、今言える事は中規模以上の解放者構成員がその海域に集まって来ているとしか・・・」
「さすがに解放者贔屓の国を相手にすると、お上も苦労が絶えんな。堅苦しいルールに振り回されてばかりでは君も割に合わんだろ?」
口でなら何とでも言える事を熟知した源以は中身のない上辺だけの労いを重徳にくれてやる。
自然保護の一環として海洋調査をしていると言えば、それはそれで解放者らしくも思えるが国連の出した結論はそんな生易しいモノではない。
無限の誤ちを紡いできた人類の遺伝子は多種多様な変化を繰り返す中で危険因子と呼ばれる者達が1箇所に集まれば何が起こるかを学習している。
それ故に陸海空のどこであろうとも解放者構成員が集いし時は一切の例外なくナノマシンリンクを通じて全人類に非常事態宣言を告げる赤色の緊急速報が伝達される。
そして今現在発令されているソレのレベルは5段階中の2。
しかし今後の解放者の動き次第ではすぐにでも非常事態レベルを引き上げ、最終的には人道的道徳の範囲内での制裁を下すと国連は宣言しており、この事が原因で福祉技研も日本政府から煽りを受けているのだ。
「我々が直接現地に赴き解放者の動きを調べれば穏便に済むであろう話だが、人間を最優先とする現状を考えればそれも賢い決断とは言えなくてね。これが人間を狙った大掛かりな陽動だとしたら、彼らはココが手薄になる瞬間を待っているのだよ」
「先生のお考えはごもっともです。ですが誤解を恐れずに言わせていただければ、今までの行動パターンから推測して今回に限ってそのような回りくどい事をするのでしょうか?現に犯行予告とも取れる声明を発表している以上、解放者側には人間を狙う動機はあるのでしょうが今回の動きには別の意図が見え隠れしているような気がしてなりません」
「根拠はあるのかね?」
「いえ・・・出すぎた発言をお許しください」
この時は日本政府もとより福祉技研でさえも解放者の行動目的を正確には把握していなかった。
そこに何があり、彼らは何をしているのか。
悠久を刻む時代の流れによって海底深くに沈められ、歴史からも抹消されたアラドヴァルの存在を今に伝える者は誰もいない。
それが重徳の感じた違和感の正体なのかも知れない。
「だがお上の命令とあらば我々も動かぬわけにはいくまい。今すぐに結論は出せんがコチラのプランが決まり次第追って連絡しよう」
「畏まりました。ご協力感謝致します」
いかに源以と言えども0.数秒以下で変化を続けるシチュエーションの中、その場その場で常に正しい答えを導き出せるハズもなく、この件に関しては一旦保留という扱いにして重徳との会話を終わらせた。
その後、転送された数少ない資料を見つめ1人静かに "(目的+過程)×結果=結論"の式に現状を当てはめながら解放者延いてはパン=エンドの目的を推理してみるもなかなか納得のいく答えは出なかった。
そこで源以は根本的な考え方を変え、直接問題を解こうとするのではなく"どうやったら問題を解く事ができるのか"に焦点を当てみる。
結果、十人十色の言葉が示すように複数の意見が飛び交えばまた新たな混乱を招いてしまうリスクを承知した上である人物を所長室に呼び出し意見をもらう事にした。
旧友にしてビジネスパートナー。
時には反発もしてくるが、だからこそ包み隠しのない貴重な意見が聞けるというモノ。
福祉技研内部に於いて唯一己と対等に物申す銑十郎である。
連絡を受けた銑十郎が早速所長室のドアを開けると 源以は既に部屋の中央に置かれた長テーブルの席に着き、対等な意見交換の準備を終えていた。
なにを言わずとも銑十郎は源以の対面に座り、源以も源以で事の説明も半ばだと言うのに普段から推理小説を愛読する彼に対して実戦と称してこの議題を突きつける。
3桁を優に超える銑十郎のライブラリの中にはコレと似たような場面が描かれた作品もあるのだが、彼に言わせれば"事実は小説よりも奇なり"との事。
その言葉を受け取った源以には、なにか思うところがあったようで──
「なるほど・・・その可能性は考えていなかったな」
「なんだって?」
「奇とは不可思議。現状考えられる可能性の中で最もあり得ないと思われるモノが正しかった場合、既にその答えを出しておきながら自らの手で正解を否定してしまう事になる。事実が小説よりも奇だと言うのなら解放者は動かない・・・とんだ茶番だったな」
「どういう意味だ?」
「我々がどうこうする問題ではないと言う事だよ」
あろう事か福祉技研の存在意義を所長自らが否定したとも受け取れる発言に然しもの旧友でさえ困惑の色を隠せなかった。
事の詳細を確認しようと源以の真意を聞き出すが、それがかえって銑十郎を混乱させる事となる。
「解放者を支援する者は多いがそれ以上に彼らの敵は多い。だが敵の中にも優先順位があってね。解放者はそれを始末する為に今回の騒ぎを起こしたのだよ」
「最優先?だとしたらそれは人間を所持する俺達じゃないのか?」
「こんな事でさえ1番になりたがるとは自意識過剰もいいところだな。倒すべきボスを倒さねばシナリオが進まないのと同じで彼らの目標は今、そのボスを討つ事だけに集中している。大いなる志を持った解放者にとって我々の存在意義は表シナリオとは関係ない珍しいアイテムを持った裏ボスの1匹に過ぎんのだよ」
「・・・なら聞くが、そのシナリオを進める為のボスと言うのは何の事を言っているんだ」
「Sだ。妄言と共に宇宙へ飛び出してしまった魔法の国スペルエンハンスこそが、シナリオを進める為に倒さねばならんボスなのだよ。時間は掛かるだろうが、いずれこの事実に世界中が気付く事になる。さて、ココで考えてくれたまえ。世界中のお偉方の中でSの存在を疎ましく思う者達がどれ程いるのかを。もしこの事実を知った時、それでもなお解放者を止めようとする者達がどれ程いるのかを。おそらくそんな者は1人もいない。しかし、お上という立場上解放者の決起をただ黙って応援するわけにもいかないお偉方は表向きには解放者を止めようともするが、その裏では幾度の話し合いを経てこんな結論を出すハズだ」
解放者との駆け引きを直に行なっている源以だからこそ導き出した結論にその事実を知らない銑十郎は半ば呆れていた。
確かに小説よりも数億倍奇な事だが最早それはギャグ漫画の域。
それでも源以は何1つ可笑しな事などほざいていないと言いたげな表情で銑十郎の目を見て話を続けた。
「"戦闘中の事故を装い解放者を支援しろ"とね」
「バカな・・・っ!」
「そうだな・・・具体的には物資を乗せたタンカーや施設を解放者に強奪されたという設定にして、世間の目を上手く誤魔化すだろう。そしてSを滅ぼした後、 解放者は真のエンディングを迎える為に倒さねばならん裏ボスとして、我々との人間を賭けた争奪戦を始める」
「お前の一挙一動には毎回驚かされるが今回ばかりは無理があるとしか思えん。では聞くが今の俺達にできる事は傍観者として解放者を見守っている事だけなのか?」
「なかなか良い読みをする。だがそれでは80点だ。 解放者にはパン=エンドに仕える6人の幹部がいると聞く。いずれも日本人と言われるその6人全員が日本海に集結するとも考え難い。普通に考えれば集まって3人から4人・・・その他の幹部はパン=エンド指示の下、今まで通りテロ行為を実行するだろう。そうなれば我々福祉技研も、ただの傍観者となるわけにもいくまい」
「・・・」
別に源以の事を信用していないわけではないが、終始振り回される形で話し合いを終えた銑十郎は納得のいかない表情を浮かべて所長室を去る事になった。
同時刻、福祉技研全体のセキリュティシステムを管理する立場にある三課の統括サーバーが地下駐車場に侵入する何者かの影を捉える。
表の顔社会福祉法人 技能開発研究所に用があっての来客者なのか、それとも裏の顔福祉技研に用があっての来客者なのか。
少なくとも地下駐車場だというのに車やバイクで乗り入れず単身生身でコソコソと壁伝いにココを目指して来るあたり後者の可能性を疑わずにはいられない。
すぐさま二課の工作員達を束ねる三佐と源以に連絡が伝わりその指揮の下、広大な地下駐車場は1枚壁を隔てた向こうで自動小銃、催涙弾、ナノマシン・ジャマー(ナノマシン制御を狂わせる有線式のジャミング装置)を装備した工作員達によって完全包囲された。
その後、二課全体に待機の指示を出した源以は"あとの判断は君に任せる"と現場の指揮を三佐に委ね、なぜかこのタイミングで1人フォシルの部屋へと赴いた。
扉を軽くノックして一声かけるよりも早くドアノブを捻った源以がフォシルの安息の地へと踏み入るとそこにはベッドの上で無気力に寝転がるフォシルと、いつでも行動できる体勢を維持して警護に当たるアーティの姿だけが出迎えた。
源以の突然の訪問に上体を起こし彼を睨み付けるフォシルを横目に源以は間髪入れず部屋の片隅で丸まっていたカーテンに向かって"出てきたまえ"と語りかける。
するとギュッと強張っていたカーテンが徐々に解けてその中から、さらに強張った表情の楓がビクビクしながら現れた。
持ち前の本能で源以襲来を予感していた楓が隠れている事を瞬時に見破り"君にはフォシル君の全てを一任しているのだよ。別に隠れずともいい"と声をかける。
しかしこの部屋の中にはまだ何者かが潜んでいる事を察した源以は辺りを見渡し、徐に柱の影に向かって語りかける。
「君も出てきたまえ。そんな所に隠れてフォシル君がナニをする事にでも期待していたのかね?」
フォシル、アーティ、楓が見つめる先、柱の影から現れたのは爽やかなホールドアップを魅せつける景勝だった。
予想外の人物の登場にフォシルと楓は声を揃えて驚いた。
「は、はは・・・ご容認ください」
「フォシル君の花園を汚した罪は計り知れん。だが私に対して容認を求めているのなら寧ろ君の行為は評価すべきだと思っている」
「ど、どういう意味でしょうか?」
「先ほど地下駐車場に何者かが侵入したらしい。これがただの迷子なのか危険因子なのかはわからんが、アーティに実戦を経験させるいい機会だと思ってね。相手が敵対勢力なのか否かを見極めさせ、前者の場合は排除させる。その一連の流れを学習させたいのだが、そうした場合どうしてもフォシル君を護る人数が減ってしまう。そこで、その間だけでも君が警護を担当してくれれば助かるのだが、どうかね?」
"どうかね?"と言われたところで景勝に拒否権はなくそれは楓、アーティも然りであった。
異議のない事を沈黙を以って答えた3人に源以は納得の表情を見せアーティと共に地下駐車場へと向かった。
その後、源以達の足音が聞こえなくなったのを確認して楓は静かに息を吐いて呼吸を整える。
刹那、振り向きざまに彼女は景勝の脛めがけ強烈なローキックを叩き込む。
それでも微動だにしない景勝に対して楓は何度も何度も一点集中、鞭のようにしなるローキックを打ち込みながら文句を放つ。
「お前っ!いつからそこにいたんだ変態野郎!!」
「そ、そうですよ景勝さん!アーティのセンサーにもバレずにどうやって!?」
「おぉ?この景勝に興味津々か?だけど俺はお前達の方が気になっちまうんだよなぁ。いつからこのじゃじゃ馬を楓って呼ぶ仲になったんだ?まぁ所長にも無粋な事はするなって釘を刺され──」
刹那、景勝の口を封じるかのように左足で踏み込み、重心を落としたフォームから放たれる楓渾身のミドルキックが最高の角度で彼の臀部を捉え、空を切り裂く渇いた爆音を轟かせながら今日1番の衝撃と共に景勝の体を吹き飛ばした。
その後、部屋を出て行く彼女の後ろ姿を尺取り虫のような滑稽な体勢に爽やかフェイスで見送った景勝は、じんじんと臀部を刺激する最高の痛みを相棒に率直な感想を述べる。
「少し・・・からかったくらいで・・・ムキになっちまいやがって・・・まぁ、わかってたけどな」
「ならなんで、からかったり事するんですか?何というか景勝さん・・・無抵抗に蹴られすぎじゃないですか?」
「わっかんないかなぁ〜?女の折檻、黙って受けるも男の誉れ。蹴りが来るなら蹴りを受け、拳が来るなら拳を受ける。我が身で受け止められるモノならば、たとえ弾丸であろうとも受け止めてみせるのがこの景勝の生き様よ」
「弾丸はマズいんじゃ・・・」
ベッドから降りたフォシルが心配そうに景勝に肩を貸すと前にもこんな事があったようなと一瞬、頭の片隅を何かが過った。
それは景勝ではない別の誰か・・・欠けた記憶のどこかに何がピタッとハマったような感覚を覚えるがそれが何だかはわからない。
結局モヤっとした不快感だけが残りフォシルは小さくため息をついた。
「さて、ようやく2人っきりになれたな?実を言うとな、俺がココにいた理由ってのは、この瞬間を待っていたからなんだよ」
「はい?」
「あぁ、勘違いしてくれるなよ?別にお前を口説こうなんて思っちゃいない。もしかして期待してたか?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!?」
「ならよし!で、お前としたかった話ってのはアーティの事なんだが・・・」
神出鬼没な景勝はいつ誰の目の前にでも現れる。
それは単に相手を驚かそうとしているわけではなく"なるべく本人と2人きりという状況を作りたいが為に"行う彼なりの気遣いであった。
たとえ仲間内であろうとも第三者に聞かせるわけにはいかない重大な話。
福祉技研内部でも彼の奇行の本当の目的を知る者は殆どいない。
だがその活躍を垣間見せるのはまた別の機会として今はどうしてもフォシルに伝えておかねばならない事を景勝は密かに語る。
「おそらくアーティは所長と柳さんが手配したサードメイカンドだと思うんだが、その時なにか変わった事は言われなかったか?」
「変わった事・・・たとえば?」
「そうか・・・お前にはサードメイカンドの根本的な情報がないからわからないと思うが、アーティはサードメイカンドとしては"明らかに不自然"なところがあるんだよ」
景勝がフォシルに"アーティの秘密"を語っていたその頃、地下駐車場でも動きがあった。
エレベーター横の階段で片膝をつき、壁に寄り添いながら身を隠すアーティとその様子をセキリュティシステムを介して監視する源以。
一課と二課に新たな指示を出し、これまでに得た侵入者の情報を確認しながらも敢えてアーティにだけはその一切を伝えず現場に配置した源以には考えがあった。
敵か味方かもわからない状態で対象を認識させそれが前者か後者かを見極める能力がアーティにあるのかどうかを探っているのだ。
「報告によれば侵入者は推定年齢10から13の男子児童。所持している武器も大型ナイフのみと貧相だがこの時点で我々には対象を迎撃する権利がある。たとえ相手が年も行かぬ子供だからと言って銃口は下ろすな。自爆系のナノマシンを稼働させてる可能性も否定できんのでな」
「あの少年も解放者なのでしょうか?」
「わからん。我々を敵視する者達を挙げればキリがないのでね。なんにせよアーティの実戦データを取るにはちょうどいい・・・二課の諸君は待機を継続、一課は引き続き記録を続けたまえ。さて、聞こえるかねアーティ」
「感度良好。声聞、松永源以と確認」
「よろしい。そこから対象の姿は確認出来るかね?確認出来たなら状況を報告したまえ」
「メインカメラならびサーモシーカーにより対象の姿を確認。X線透視による調査の結果、対象は右脚部に刃渡り40cmのナイフを隠し持っている事を確認。 明らかな敵意を持つ者と判断、対象の危険度を6に設定。プログラムに従い半径10m以内に対象を捉えた場合、警告なく攻撃を開始します。現在、対象との距離は直線で108mです」
「素晴らしい。引き続きその調子で頼むよ」
サーバーを介したナノマシンリンクでアーティから現場の状況を聞いた源以は珍しく満足そうな表情を浮かべ次々と指示を出していく。
その一方でアーティからも定時連絡が入る。
インプットされる情報とアウトプットする情報を完璧に捌ききり侵入者、工作員、アーティの全ての動きを把握する。
まるで地下駐車場を巨大なチェス盤に見立てその中で3種類の駒を自在に操りアーティからの定時連絡を受けてチェックメイト。
侵入者はカチカチと何度もエレベーターのボタンを押してソレを呼ぼうとするが既にセキュリティロックされているエレベーターが来るハズもなくボタンは赤く点灯するのみ。
困った様子で辺りを見渡せば少し先の曲がり角に階段を発見。
源以の予想通り侵入者は左手を壁に添えゆっくりと階段を目指して歩き出す。
刹那──
「っ!?」
動体センサーで物陰から距離を測っていたアーティが強襲をかける。
一瞬にして侵入者の懐に潜り込み真下から突き上げるようにしてガードを崩すと、同時にしっかりと相手の手首をロックして腕を取る。
そのまま背後に回り込み、大きく弧を描くきながら奪った手首と肩の関節を外して変形逆一本背負いを決め成す術なく冷たいマットに叩きつけられた侵入者は顔面から大量の血を吹き出してのたうち回る。
それでも攻撃の手を緩めないアーティは外れた相手の右腕を軸にマウントポジションを取り、破壊した腕部をさらに痛め付けるようにしてグラウンド式チキンウィング・フェイスロックを決めた。
身長160未満ながら各種センサーや強化フレームなどで総重量100kgに迫るアーティにグラウンド技を決められれば屈強な男とて脱出するのは困難を極める。
自らの血で顔を染めた侵入者が悶え苦しむ様を見てアーティの実力を知った源以は表情には出さないが心底ご満悦しているに違いない。
「ここまで出来れば申し分ないだろう。侵入者を解放してやれ」
「了解しました」
技を解除して立ち上がった先、アーティが見下ろしているのは地を這う侵入者の姿。
彼女の攻撃が相当効いたのか泣き声に混じりブツブツと何か喋っているのをアーティの指向性マイクは聞き逃さなかった。
直後アーティは侵入者の眼前で膝を折り、つい数秒前に自らが痛め付けた相手の顔に優しく手を当て言葉を発した。
「照・・・史・・・」
「えっ・・・」
涙と激痛に歪むその目に映ったモノは見知らぬ顔。
明るく染められた茶色の髪も、妙にジトッとした目も、その声にも心当たりは全くない。
だが目には見えない"なにか"を感じ取った侵入者は、思わずその名を口にしてしまう。
「冬・・・羽・・・?」
侵入者の正体は福祉技研に対して並々ならぬ怒りを燃やす解放者の一員、雛市照史だった。
彼はアラドヴァルに首ったけとなった同志の目を盗み単身ここまで乗り込んできたのだ。
理由はもちろん最愛の人を殺した福祉技研に報復する為に他ならず、刺し違えてでも冬羽の仇をと考えこの無謀なる計画を実行した。
そんな中で出会った謎の少女から感じた最愛の人の気配に照史は全身を襲う激痛すら忘れて混乱する。
その時、無表情なアーティの瞳から一筋の涙が溢れ落ちるのを見た少年は見えない何かに背中を押され再びその名を口にする。
「冬羽・・・なのか・・・?」
「照・・・史・・・」
「ウソだ・・・どうして・・・冬──」
だが次の瞬間には照史はピクリとも動かなくなっていた。
壁の向こうで待機していた二課の工作員達が源以の指示でナノマシン・ジャマーを撃ち込み照史を気絶させたのだ。
その後、速やかに照史を回収した工作員達は周囲の血痕を綺麗に拭き取り少年を八角形第2ルームへと移動させた。
奇しくもその部屋は以前源以によって1人の女・・・ 京澪(仮)が徹頭徹尾破壊された場所。
そして今回、アーティの実戦データを元に完成させた "型式TM–X05−CPT319 準戦闘型サードメイカンドに関するレポート"にはこのような一文が載せられていた。
"解放者構成員雛市照史との戦闘を終えたアーティは約10分もの間、両眼(純生体パーツ)から涙を流し続けた。この成分を解析した結果アルブミンやグロブリンなどのタンパク質を多く含んでいた為、戦闘による衝撃で一部人工生体パーツの破損も疑われたが各種センサー、数値などに異常はなく純生体パーツ(涙腺を含む眼球周辺)の生物的誤作動が原因だと結論付けた"