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砂塵の王  作者: 秋山 和
奔流
93/220

3

「その話に間違いはないか?」

「ああ。間違いない」


 キエサの問いに、ルェキア族の男は頷く。


「あいつ、声をかけても他人の振りをしやがった。だが、間違いない。そっくりなのは顔だけじゃないんだ。答える時に首を捻る癖がある奴なんてそうそういないだろう? あいつはギィドゥだ。間違いない」 


 キエサはワザンデと顔を見合わせた。


「本当に間違いないんだろうな」


 ワザンデはルェキア族の男に念を押す。男はそのしつこさに苛立ったのか、顔をしかめながら答えた。


「確かにギィドゥに間違いない。だがギィドゥの一族は皆、一月ひとつきほど前に行方知れずになったと聞いてる。山を越えてきた流賊にやられたのか、砂竜巻に巻き込まれたか、疫病が流行ったか、魔物に遭ったか、誰も原因が分からなかったんだ」

「一族が皆行方知れずだって……?」


 キエサは眉根を寄せた。確かに、沙海で暮らすルェキア族の暮らしは過酷だ。その一族に何らかの恐ろしい災厄が降りかかったのかもしれない。ワザンデに、彼らを襲う様々な災いを聞かされてきたキエサには、納得できる理由のようにも思えた。しかし、ワザンデは疑わしげな口調で言う。


「そいつの一族が属してるのはエキム氏族だろう? エキム氏族が暮らしてるのは、北の山脈の、山奥の谷の辺りのはずだ。滅多に砂竜巻がくるはずがねえ。それに、一族が全滅するような疫病なら、周りの一族にも広まっているはずだ。族滅するような強い魔物が出たなんて話も聞かねえぞ。それに、流賊はかなり前に散々に打ちのめしてやったから、考えられねえ。魔物と一緒で、北を周ってる戦士たちがそんな奴らの侵入に気付くはずだぜ」

「だとしたら、そのギィドゥという男を疑っているのか?」

「ああ。キエサ、お前は信じたくねえみたいだが、俺たちの中にお喋りな奴がいることは間違いねえ。で、お前の言うとおり、ふるいにかけた。そして、最後に残った鋭く尖った石が、ギィドゥって男だ。そいつ以外には、考えられねえんだよ」

「だが、一族ごと消えたんだろう? ただごとじゃない。もし砂竜巻でも、疫病でも、魔物でも、流賊でもないなら、他に何か考えられる理由はあるのか? それに、どうしてギィドゥだけが生き残ったんだ?」

「そいつは……、俺にも分からん」


 ワザンデは唸り声をあげると腕組みした。キエサは小さく溜息をつくと、顎に手を当てる。仲間を疑いたくはないが、確かにギィドゥという男が怪しいことも確かだ。ルェキア族たちは、この男がいつから騎兵部隊にいたのか、覚えていないのだ。ルェキア族の騎兵部隊は、デハネウの呼びかけを元に各氏族の戦士たちが次々と集結したものだ。そのために、いつどこから何人駆けつけたのか、曖昧なところが多い。しかし、氏族内、あるいは氏族間で親しかったり顔見知りであるために、自然とそこに属していないものが炙り出されてきたのである。それが、ギィドゥという男だった。


 キエサは、頭に浮かんだ考えを口にする。


「ウル・ヤークス軍に襲われたということはないか? それで、一族を人質にとられているのかもしれない。そして、人質を盾に脅して、奴をここに送り込んだ……」

「エキムの谷までどれだけあると思ってるんだ? 軍隊が行けば他の氏族が気付くに決まってる」


 ワザンデは鼻を鳴らすとキエサを見やった。キエサはその視線を受けて頭を振る。


「軍隊じゃないかもしれない」

「なんだって?」

「隊商を装った程度の人数ならどうだ? ウル・ヤークスの腕利きなら、一族相手くらいなら簡単に戦えるはずだ。その一族も、まさか沙海の奥地で異国の軍人に襲われるなんて思いもしないはずだろう」 

「それは……、確かに考えられるな」


 ワザンデは頷いた。


「間違いねえ、これで決まりだな。奴が、ギィドゥが、お喋りな奴だ……」


 キエサに顔を向けて、獰猛な笑みを浮かべる。


「ギィドゥという男が何らかの方法でウル・ヤークスにこちらの動きを伝えてたということか。くそっ、そいつは……」


 キエサは舌打ちすると辺りを見回した。


「ギィドゥは、今どこにいる?」


 この岩の屋根の下には大勢のカラデア人、ルェキア族、鱗の民がいるが、全員がここにいるわけではない。この巨大な洞窟は、柱の役割を果たす壁によって、幾つかの広間や部屋のように分かれている。彼らはそれらの部屋を騎獣の厩舎としたり、食料の貯蔵庫として使っている。 


「ああ、さっきまでそこにいたんだが」


 男は、離れた場所を指差し、顔をしかめる。


「……いないな」

「何だと」 


 キエサの視線が鋭くなった。嫌な予感がする。早足でそこへ向かうと、座り込んでいる男たちに声をかけた。


「ここにギィドゥという男がいたはずだ。どこに行った?」


 男はキエサの勢いに面喰った様子だったが、仲間と顔を見合わせた。


「ギィドゥ? ああ、あいつならダカホル師に黒石の教えを請いたいということで、向こうの広間に行ったよ」

「まずい!!」


 キエサは叫ぶと、砂を蹴立てて駆け出した。ワザンデが壁に立てかけていた武器を手に取ると慌てて後に続き、四人の兵士たちもそれを追った。


 広間の一つでダカホルは瞑想している。


 その広間へ駆けつけると、一人のルェキア族がダカホルに歩み寄る所だった。


「ダカホル! そいつから離れて!!」


 キエサは叫んだ。


 男はその叫びに弾かれるように、駆け出す。 


 ダカホルは、顔を上げると呆けたような表情でキエサを見て、そして、こちらに向かってくる男を見た。慌てて立ち上がる。


 男の手に、短刀が握られている。


 傍らのワザンデの手には、弓があった。すでに矢がつがえられている。


 ワザンデは走りながら矢を放った。


 飛来する矢を掠めるようにかわしながら、男は逃げるダカホルに飛び掛った。褐色の長衣を握り、地面に引きずり倒す。そして、うつ伏せになったダカホルの背に膝をのせると、首筋に短刀を突きつけた。


「ダカホルから離れろ!!」

「武器を捨てるんだ!!」

「てめえ、そこをどけ! どけ!!」


 キエサたちは口々に叫び、喚く。その声は洞窟の中に響き渡り、それを聞きつけた他の者たちも次々と駆けつけた。


 男、ギィドゥは、ダカホルを膝下に抑えたまま、顔を上げた。


「それ以上近付かないでください。近付けば、彼は死にます」


 殺気立った男たちを前にしても、ギィドゥの口調に乱れはない。落ち着いた様子で皆を見回し、短刀を少し動かして見せた。キエサたちは、武器を構えたままその場で立ち止まる。


「ダカホル、大丈夫ですか?」

「体が痛くてたまらんよ……。年寄りに無茶をさせるなと言っただろうが」


 キエサの問いかけに、ダカホルはうめき声を上げながら答えた。


「てめえ、ここから逃げられると思ってるのか!!」


 殺気立ったワザンデの恫喝に、ギィドゥは表情を変えることはなく彼を見た。


「あなた達こそ、彼が死んでも良いのですか?」

「ああ? なめた口ききやがって! 生かしては帰さねえからな! 裏切り者め!」


 ワザンデが凄んだ。取り囲むほかのルェキア族の男たちも、罵倒や怒りの言葉を口にする。その声は一つとなってまるで獣の唸り声のように洞窟の中を駆け巡った。


「我々は裏切り者ではありませんよ」 


 静かなその答えは、怒りに満ちた咆哮の中でもキエサの耳にはっきりと届いた。キエサは思わず聞く。


「どういう意味だ、ギィドゥ」

「我々は、ギィドゥであってギィドゥではないからです」


 答えたギィドゥの顔の色が、みるみる白くなっていく。それも、まるで漆喰で塗り固めて作った様な、血の気のない白だ。見ていた者たちが、驚愕の声を上げた。


「何だ、お前は……?」


 ワザンデが震える声で問う。


「我々は、ギィドゥであり、シューカ」


 発せられたその声も、ギィドゥのものとは違うものになっていた。


「シューカ……、それがお前の名前か。ギィドゥは、それにその一族はどうしたんだ?」


 キエサは湧き起こる恐れを押し殺しながら、今までギィドゥであったシューカという男を睨み付けた。


「喰らった」

「何?」

 

 その、あまりに禍々しい答えに、キエサは思わず聞き返す。


「ギィドゥを、その一族の者たちを、喰らった。彼らは我々の中にいる」

「ば、馬鹿なことを言ってやがる」


 ワザンデはせせら笑うが、その頬は引きつっている。キエサには、彼のように強がる余裕もない。


「ギィドゥを喰らって、ギィドゥの姿を奪ったとでも言うつもりか?」

「あなたは蛮族にしては理解が早い。分かり易く言えば、そういうことだ。彼らの肉を喰らい、魂を喰らい、彼らを我々の虜囚とした」


 キエサは、その答えを聞き、呆気にとられた。


「こいつは、魔物か?」

「あ、悪霊だ……」


 前に立つ男たちに動揺がはしる。荒唐無稽なその言葉も、目の前でルェキア族から不気味な容姿に変化した男に言われれば、充分な説得力を持っていた。


「お……、お前は俺をどうする気だ? 殺す気か?」


 抑え付けられたままのダカホルが、苦しげな声で問う。シューカの答えはない。


「俺を殺し、喰らうつもりか? 俺を喰らい、自らの一部として、黒石の守り手としての力を奪うつもりか?」


 シューカは、ダカホルを一瞥すると、小さく頭を振った。そして、おもむろに口を開く。


「そうしたいところだが、それはおそらく、意味がない。我々はあくまで喰らい、魂を囚え、読みとり、その表層を再現するだけだ。決して、その者の魂と一体となるわけではない。お前を喰らっても、お前の力は我々のものにはならない。我々の力に、お前の力を書き加えることはできないのだ」

「魔術は魂、幽体の深奥と結びついた力。浅いところを真似することしか出来ないお前には、その繋がりを結び変えることはできないというわけか」


 ダカホルは無理やり顔を傾けると、シューカを見た。シューカも、ダカホルと視線を合わせると頷く。


「その通りだ。……黒石の守り手も、真理の泉を探し求める者ということか。蛮族の僧と思っていたが、侮れない。あなたに教えを聞いておくべきだったかもしれない」

「今から一晩中聞かせてやるぞ。黒石の教えを聞き、魂の安息を求めるがいい」

「安息など必要はない。我々は、偉大なる聖女王に仕え、その魂を捧げた者。すでに死せる身なれば、この肉もまた仮の住まいに過ぎぬ」

「死せる身……? お前は死者なのか?」

「そうだ。我々はすでに死に、この体を器としてこの世に留まることを許されている」

「何という……、何という魂への冒涜だ。死を迎えた後の永遠の眠りを妨げられ、この世に縛り付けられているというのか?」


 ダカホルは、唸るように言った。その声には怖れと、そして怒りの色があった。


「聖女王陛下の秩序と法をあまねく世界へ広げるために、我々はその魂を捧げた。我々は誰かの子供であり、あるいは親であったが、今や、シューカとして、ただ聖女王陛下にのみお仕えする」


 お前たちは一体何なんだ。キエサは、シューカに、そしてその背後にいるウル・ヤークスという国に、そう怒鳴りたかった。黒石はただそこに在り、人々を癒してくれる。そして、死後に魂の拠り所となる存在だ。決して、死してなお仕えることを求めることはない。しかし、聖女王というのは、死ぬことすら許さずに、その魂に奉仕を要求する。キエサには全く理解できないことだった。   


 キエサは一人の男を思い出す。シアタカというキシュガナンと共に西へ旅立ったウル・ヤークスの騎士。シアタカは、国を裏切った後も、自らを聖王教徒だと言った。そして、贖罪のために生きるとも言っていた。あの時のシアタカの目は、何かに囚われているように見えた。あの男も、その魂を聖女王に縛り付けられているのか? いずれにせよ、キエサには一生その考えは理解できないだろう。 


 その時、シューカと、抑え付けられたダカホルの背後に、動く影があった。


 洞窟の出口へと続く背後の岩陰から、ルェキア族の男が広間を覗き込んでいるのだ。その手には、弓と矢を持っている。


 男と目があったキエサは、微かに顎を動かして見せる。男もうなずくと、岩陰から身を乗り出した。矢をつがえ、弦の音がしないように、慎重に、ゆっくりと弓を引き絞る。


「ご立派な説法はもう終わりか? 出来るものなら俺たちを聖王教徒に改宗させてみろ!」 


 キエサは、大きな声でシューカに言った。シューカは表情を変えることなくキエサを見る。


「『啓示は、魂より求めし者のみにもたらされる。求めざる者にはその言葉は届かぬ』。いずれ、あなたたちは聖女王の教えを求めるようになるでしょう」

「俺たちが求める? つまらん冗談だな」

「今、ここで悔い改めても構わないのですよ。真の教えを知らぬ者として、武器を捨て、大人しく軍門に下るのならば、聖女王陛下はあなた達に……」


 シューカの言葉の半ばで、矢が放たれた。弦の弾くような音に反応して、シューカは素早く立ち上がる。


 上半身を捻ると、矢はシューカの胸があった空間を射抜いた。


 ダカホルが、地を這うようにして跳び出す。


 シューカの右手が伸びた。


 短刀の切っ先がダカホルの背中に斜めに潜り込む。


 ダカホルは苦痛の叫びと共に転がった。


 ワザンデが怒りの声を上げながら矢を放つ。


 シューカは、背後に飛びのくと、その矢をかわした。そして、振り向きざま、短刀を投じる。岩陰から二の矢を放とうとしていた男の喉下に、短刀は突き刺さった。奇妙な唸りとともに男は倒れこむ。


 シューカは、懐から何かを取り出した。指に、四本の壺に似た小さな陶器を掴んでいる。その陶器を、駆け出そうとする男たち目掛けて投げつけた。


 陶器はよほど薄いのか、男たちの体に衝突してすぐに割れた。黒い液体がまき散らされる。鼻をつき、目に染みるような刺激臭が広がり、その液体が体についた男たちだけでなく、その周囲の者たちも思わず足を止めた。


 シューカは、何かを唱えながら指を口に当てる。そして次の瞬間、その口からは火が噴出した。


 ボンッ、と弾ける音がして、キエサの顔を熱気が炙った。反射的に目を閉じて顔を逸らす。そして、目を開けると、そこには燃え盛る炎があった。


 液体を浴びた男たちが火に包まれている。その火勢は凄まじく、まるで炎の柱のようだ。周囲の地面にも火は引火しており、砂が燃えているように見えた。


 身を焼かれている男たちが、悲鳴を上げながらただ駆け回り、地面に倒れこみ、のたうち回る。周囲の者たちは、慌てて砂をかけて消火を試みていた。


 炎と黒煙が洞窟に充満し、視界が悪化する。


 キエサは怒りの声を上げながらシューカを探すが、完全に見失ってしまった。


「異教徒たちよ。聖なる女王を畏れ、讃えよ。迷える汝らには、ただ暗黒への道しか残されていない……」


 シューカの声が阿鼻叫喚の洞窟の中に響き、やがて遠ざかっていった。


「ダカホル! ダカホル、大丈夫ですか!」


 キエサはシューカを追うことは諦めて、ダカホルに駆け寄った。


 地に伏せたダカホルの背中からは、おびただしい出血がある。ダカホルは、弱々しい動きでキエサを見た。


「癒し手はどこだ! 癒し手を呼べ!」


 キエサは、傍らにいた男を掴むと、怒鳴る。男は強張った表情で頷いた。


「キエサ……」


 ダカホルは、小さな声で名を呼ぶ。


「ダカホル、しっかりしてください! すぐに癒し手が来ます!」

「来る……。奴らが来るぞ……」


 ダカホルはキエサを見つめ、言った。キエサは、ダカホルの目を見て、そして、砂を握る右手を見た。


「敵が、来るのですか?」


 キエサの問いに、ダカホルは頷く。次の瞬間、小さく痙攣すると、その体は力を失った。 

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