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砂塵の王  作者: 秋山 和
諸人は宴に集う
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19

 美しく着飾ったシアート人の女たちが、車座になって談笑している。


 華やかな彼女たちと比べて、ユハとシェリウは質素な服装だ。そして、その短く切った髪を見られぬように、襟巻スカーフを頭にかぶっている。この場において彼女たちは、一見すればただの使用人の娘にしかみえないだろう。


 ユハは、この別荘で、彼女たちの愉快なお喋りを聞きながら過ごすのだと思っていた。しかし、今ユハの目の前にいるのは、女たちではなく、彼女たちの夫や父、兄だ。


 大広間は、シアートの人々によって賑わっている。女たちの集まっている一角とは別の場所に、ユハたちは連れられてきた。そして、佇む彼女たちの前に、次々と人々が集まってきたのだ。 


 彼らは、ユハとシェリウを取り囲むようにして待つ。そして、傍らに立つナタヴが、一人一人、彼女たちに引き合わせていった。


「この者は、アムダラで書記を勤めるモハル。実に聡きものだ」

「モハルです。どうぞお見知りおきを」 

「この者はギルオン。第七軍の将校。勇敢なる海の男だ」

「癒し手よ。お会いできて光栄です」


 ナタヴに紹介されて、彼らは次々とユハに挨拶をしていく。商人や軍人、役人、学者、一族の長など、他に数人の女主人や女の商人もいた。皆、シアート人の中でも高い地位にある人々ばかりだ。そんな人々が、自分のような一介の修道女に恭しい礼をもって接してくる。高い地位にいる者が備える、威厳や風格、そして威圧感。さらにはこちらを値踏みするような視線は、人々の丁寧な礼と相まって、彼女を緊張させ困惑させる。


 そして、これだけの人々の顔を名前を覚えることができるのか。それが何より心配だった。


 ふと視線を移すと、こちらを見ているアティエナと目が合った。彼女は心配そうな表情でユハたちを見ている。自分は情けない表情をしていたのかもしれない。ユハは勇気付けられたような気がして、微笑とともに小さく頷いて見せた。アティエナもそれを見て微笑んだ。


 紹介されたシアートの人々は、半分以上はアタミラ以外の地方からここへやって来たようだ。ユハの知る地名もあれば、知らない地名もあった。誇張ではなく、ウル・ヤークス王国中からこの別荘へ訪れていることになる。


 事実、昨日ユハがここにやって来てからも来客は途切れることはなく、今日の昼前にようやく落ち着いたほどだ。はるばる遠地より、人々はこの別荘を目指してきたのだろう。


 やがて人々が列をなした長い挨拶は終わり、その場は集ったシアート人たちの交流の場となった。


「はあ、疲れた……」


 ユハは溜息をつく。


「お疲れ様、ユハ」


 シェリウは笑みとともに軽くユハの腕に触れる。


「どうしてナタヴ様は、私たちをこの人たちに紹介したのかな」


 ユハは、周囲を見回す。今や、彼女たちは人々の中に取り残されたようになっており、シアートの人々は、普段出会うことのない者同士で、会話を交わしている。おそらく、こうやってシアート人同士の人脈をつくって結束を強めようというのだろう。そのことはユハにも理解できたが、なぜそこに自分たちが放り込まれたのか。それが分からない。


「あんたが命の恩人だから」


 シェリウはそう答えたあと、小さく頭を振る。


「でも、本当は違うと思う」

「だとしたら、どうして?」 


 その問いに、シェリウは口を開いたが、すぐに口を噤んだ。側を男たちが通り過ぎる。彼らが行過ぎたあと、シェリウはユハを見つめた。


「ナタヴ様にとって、あんたがただの恩人、ただの癒し手じゃないからよ」

「どういう意味?」

「あんたが、シアート人にとって必要な存在だってこと」


 シェリウの答えに、ユハは首を傾げた。ますます意味が分からない。


「どうして私がシアート人に必要になるの?」

「それは……、私にも分からない。でも、ナタヴ様がユハのことを……」


 シェリウは言葉を選ぶことに苦慮しているようだった。口に手を当てながらうつむいていたが、すぐに顔を上げた。


「……ユハのことを、祭り上げようとしてるのかもしれない。私にはそう感じるわ」

「祭り上げる?」

「そう。ユハに何を求めているのか分からない。だけど、シアート人の中で、何か大きな役割を果たすことを期待しているんだと思う」

「どうしてそんな……」  


 ユハは呆然として再び周囲を見回す。何人もの人々と目が合った。彼らは、関心を失った風を装いながらも、ずっとこちらを観察している。そう感じた。ナタヴの連れてきた娘たちの正体を見極めようとしているのだ。シェリウの言うことは突拍子もないことのように聞こえたが、なぜか納得できた。


「ナタヴ様に聞くしかないわね。ちゃんと答えてくれるかどうか、分からないけど」


 シェリウが肩をすくめる。


「ナタヴ様は……」


 ユハはナタヴの姿を探す。


 ナタヴは、アトルと共に別室に入っていった。







 ナタヴやヤガンと談笑していたサウドは、アトルに連れられて入室した二人の男と、一人の女を見て驚きの表情を浮かべた。その驚きの表情に密かに満足感を覚えながら、アトルは彼らの元へ向かう。


 入ってきたのはエルアエル帝国の衣装をまとった金色の髪の男と、栗色の髪の男。そして、イールム王国の衣装をまとった黒髪の女。この部屋には、外の大広間とは違い、シアート人は二人しかいない。使用人や衛兵たちも、皆、部屋から出している。


 アトルは、ナタヴたち三人の前に彼らを連れてくると、にこやかに口を開いた。


「ナタヴ様、サウド殿。紹介いたします。こちらは、ディギィル殿、そしてイシュリーフ殿。エルアエル帝国から来られました。そして、こちらはファーラフィ殿。イールム王国の貴族でいらっしゃいます」


 アトルの言葉と共に、紹介された三人は丁寧なウル・ヤークスの礼法で一礼した。


「ふむ。ファーラフィ殿は、一度お会いしたことがありますな」


 ナタヴの言葉に、ファーラフィは頷いた。


「ええ。一度、式典でお目にかかりました」

「ああ、そうだ。あの時でしたな。イールムの祭礼は実に華やかで素晴らしかった」

「ありがとうございます」


 笑みを浮かべたナタヴに、ファーラフィも微笑みで応じた。


「それで、ディギィル殿、イシュリーフ殿と言ったかな? そなた達はエルアエル帝国ではどのような役職に?」


 ナタヴはエルアエル帝国からやってきた二人に顔を向ける。金髪の男、ディギィルが口を開いた。


「我々は宰相閣下直属の部下としてウル・ヤークスに派遣されました。そのため、公式の立場は一武官でしかありません」

「ほう……。たしかエルアエル帝国は先帝崩御の後、帝位は空位のままでしたな」

「はい。今は宰相閣下が皇太后陛下の信任を受けて帝国を導いておられます」

「なるほど。つまり、あなた方はエルアエル帝国の意思を代弁していると考えて差し支えありませんな?」

「そのようにお考えください」


 ディギィルは深く頷く。


「アトルよ」


 ナタヴたちのやりとりの傍らで、サウドは微かに眉間に皺を寄せている。アトルに顔を寄せると、小声で言った。


「お前は船に魔物を招き入れるつもりか?」


 アトルは、笑顔で応じた。


「ええ。少し風をおこしてもらおうと思いましてね。風をはらんだ帆は、船をよく進めてくれるでしょう」

「あいつらは風の司じゃないぞ。血に飢えた嵐の魔物だ。暴風が吹き荒れて帆柱が折れちまう」


 サウドは腕組みすると鼻を鳴らす。


「そこは船乗りの腕の見せ所でしょうね」

「まったく、お前がそんな向こう見ずとは思わなかった。元老院では、お上品な坊ちゃんにしか見えなかったからな」 


 サウドは溜息をつくとでアトルを見やる。アトルは小さく首を傾げた。


「見直しましたか?」

「見直すだと? 呆れてるんだ。お前のやろうとしていることは危険な賭けなんだぞ。あのお気に入りの蛮族たちのように、傭兵を雇うのとは訳が違う」 

「分かっています」


 アトルの表情から笑みが消える。


「彼らを導き入れることは、毒を飲むことに等しい。しかし、毒と薬は表裏一体です」

「お前には、奴らを薬として使いこなす自信があるってのか?」

「自信ではありませんよ。使いこなさなければならないんです」


 サウドは、アトルを見つめた後、舌打ちした。


「退くつもりはないようだな……」

「相手は軍なんです。生半可な覚悟では、戦うことはできない」


 ウル・ヤークスの軍も、一枚岩ではない。様々な権益と思惑が入り乱れており、全てがシアート人の圧迫と領土拡大を考えているわけではない。それは、これまでの調査で分かってきたことだ。しかし、大勢は明らかに自分たちに不利だ。このまま座していても状況は悪化する一方だろう。


「その通りだな。こちらも形振りかまってはいられないか」


 サウドは顔をしかめると頷いた。


「勿論、正面きって軍と事を構えるつもりはありません。戦を止めるつもりで、王国の中で戦火があがってしまっては、何の意味もありませんからね」 

「それは当然のことだな」

「あなたの立場も厳しいものになっているのではないですか?」


 アトルは得た情報から組み立てた推測を口にする。サウドは苦笑すると頭を振った。


「まだまだお前に心配される程じゃないさ。どうやら、お前は一人で嵐の中へ漕ぎ出す男のようだ。それは、俺の読み違えだったな。だからこそ、舵を握る人間が必要だ」

「それがあなたというわけですね」

「そうだ。信用できんのは分かるが、俺たちは仲間だぞ。良かれと思っても、好き勝手にやったことが破滅のきっかけになることもありうるんだ」

「沙海では、道を誤っただけで乾き死んでしまいます」


 これまで無言だったヤガンが口を開いた。二人は、彼に顔を向ける。


「砂丘は風によって形が変わり、旅人を惑わせます。沙海を渡るには、星を読んで方角を知り、目印となる岩を見つけ出し、水場を覚えておかなければいけません」

「その名の通り、海に漕ぎ出すにも似た過酷さだな」


 サウドの答えに、ヤガンは頷く。


「残念なことに、魚は釣れませんがね。逆に、溺れる心配はないんですが。まあ、苦しんで死ぬことに変わりない」

「それで、何が言いたいんだね、ヤガン」

「道案内が何人もいれば、水場に辿り着くことなく、砂嵐と砂丘の中で立ちすくむことになるかもしれません」


 アトルは、ヤガンをじっと見つめる。


「取り仕切る者を決めろ、ということか」

「そうです。敵と戦うと覚悟を決めるのなら、これまでのような曖昧な繋がりでは危うい。そう考えます。駱駝の列を一つにまとめて渡っていかなければ、人々は散り散りになり、隊商はすぐに形を失ってしまう」


 ヤガンは、厳しい表情で二人を見た。

   





 陽光の下、玉蜀黍とうもろこしが風で揺れる。背の高いそれらの作物が落す影の中に、異なる影が幾つも見える。


 ラハトは、地を這うように身を低くしながら、音もなく近付いた。


 武具の鳴る小さな音が、風にかき消されることなく、聞こえる。


 畑の中を、中腰になりながら進む者達がいた。


 その歩みは慎重だ。ゆっくりと、出来るだけ目立たずに玉蜀黍とうもろこしの影に潜むようにしている。剣は鞘に収まったままで、槍を持つものも、穂先に布を巻きつけていた。日光の反射を嫌ったのだろう。出来るだけ音がしないように、皮革製の鎧を身に着けている。


 彼らは、広い畑の中に満ちるように、点在して屋敷を目指していた。


 かなりの数がいる。ラハトは、そう結論すると、後退を始めた。


 出来るだけ畑からは死角になる方向へと進み、姿を隠しながら別荘へと戻る。


 坂道を早足で登ると、門の所で寛ぐ兵士たちがいた。


 兵士たちは、ラハトの姿を認めると、片手を上げる。彼らは、ラハトがヤガンの使用人兼護衛であると紹介されており、見回りをすることを聞かされていた。


「よう、かわいこちゃん。散歩はどうだった」


 兵士の一人が、からかうように笑みを浮かべる。


「良いところだろう。田舎だが、アタミラと違って景色がいい」


 もう一人の兵士がのんびりとした口調で言った。


 彼らは昨晩から定期的に歩き回るラハトを変わり者扱いしている。ラハトは彼らの言葉に答えることはない。無表情に兵士たちを見やると、口を開いた。


「この屋敷は包囲されている」


 短い言葉に、兵士たちは笑い声を上げた。


「おいおい、何の冗談だ? 包囲されてるだって?」

「畑の中に兵が潜んでいる。何人いるかははっきりしないが、かなりの数だ。裏の畑も同じように兵がいる」


 動じる様子のないラハトを見て、隊長の表情が変わった。


「……からかってる訳じゃなさそうだな」

「俺は仕事をするためにここにいる。無駄話をするためじゃない」


 隊長は頷くと、一歩進み出た。


「ここから見えるか?」

「気付いていないふりをしたほうがいい。落ち着いて、景色を眺めているように見るんだ」


 ラハトは軽く手を伸ばして、隊長の体を止めた。


「あ、ああ、そうだな」


 隊長は強張った表情で頷く。 


「ここからだと、……あそこだ。少し玉蜀黍が枯れてるところがあるだろう? そこに人の影が見えるはずだ」

「確かに、人の影のように見えるが……」

「隊長、本当でしょうか? そんな大勢の兵士に包囲されたなら、農園の小作人たちが騒ぐはずです」


 兵士の一人が、疑うようにラハトを見る。


「小作人たちの家は、制圧されていた」


 ラハトは、兵士に顔を向けると答える。


「生きているのか、殺されたのかは分からないが、兵士たちが家の前に立っていた。おそらく、計画的に襲撃されたんだ」

「お前、そこまで見に行っていたのか」


 隊長は驚いた様子でラハトを見る。


「それが俺の仕事だからな」

「大した奴だ。駱駝面は、いい買い物をしたな」


 隊長は微かに口の端を歪めると、もう一度、さりげなく畑に目を凝らす。


「また違う影が見えた。畑に潜んでいる奴らは、動いているということか」

「そうだ。こちらに近付いている」


 頷くラハトに、隊長は顔を向けた。


「どんな奴らだったか分かるか?」

「見た限り、装備は統一されていない。何人かは、声を出さずに、符丁で互いにやりとりをしていた。広い範囲に散らばっているが、足並みは揃っている」

「そうか。戦に慣れてる奴らがいるな。傭兵か……、それともまさか……」


 隊長は顔をしかめる。ラハトの証言は、潜んでいる兵たちがこういった奇襲に慣れていることを示している。アタミラの近郊で、そこまで手際のいい野盗が出没するはずがない。だとすれば、敵は傭兵ということだが、最悪の可能性も隊長の頭をよぎったのだろう。ラハトも、その可能性は考えていた。敵が、ウル・ヤークスの軍であることを。 


「旦那様にお知らせしろ! 俺たちは迎え撃つ準備をする。奇襲するつもりの奴らを、驚かしてやるぞ」


 隊長が小さい声で指示する。兵たちもその意図を汲み取って、自然な様子で、己の持ち場に動き始めた。

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