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砂塵の王  作者: 秋山 和
諸人は宴に集う
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11

 デソエから時折斥候部隊を送り出すだけだったウル・ヤークス軍は、今や攻勢の意志をはっきりと見せるようになっていた。


 彼らは、沙海の只中に『砦』を築き始めている。それは、かつてカラデア軍がしたことと同じだ。沙海の中に屹立する巨岩、ガノンの一つに、次々と物資を運び込み、守りを固めている。カラデアへの足がかりにするつもりなのだろう。


 水を一口飲んだキエサは、洞窟の中に目をやった。白い砂が日光を反射して、洞窟の中は岩の下とは思えないほど明るい。


 洞窟の中では、カラデア人やルェキア族、鱗の民たちが体を休めている。


 皆の表情には、疲労や焦燥の色が濃い。


 ()()()()()()()()()からだ。


 これまでの戦いは、敵の裏をかき、出鼻をくじき、一矢報いてやったという思いがあった。それが例え辛勝や引き分けだとしても、大軍相手に善戦しているということが、彼らに興奮と活力と自信をもたらしてきた。しかし、今はそれができなくなっている。


 当然ながら、黙って『砦』を築かせるわけにはいかない。阻止するために何度となく出撃したが、ウル・ヤークス軍もついに本腰を入れることにしたのだろう。大軍を防備にあてているために、キエサたちの戦力では正面からぶつかることはできなかった。


 そして、砂嵐やワゼに紛れる奇襲も、ほとんどが失敗に終わった。


 おそらくウル・ヤークスにも、敵がそのような奇襲をおこなってくるという覚悟と認識ができていたのだろう。しかも、何度かの襲撃では、あらかじめその地点を攻撃してくることを知っていたかのような布陣で迎え撃たれ、多くのルェキア騎兵が犠牲になったのだった。


 歯が立たなくなっている。その事実を認めざるを得ない。大軍をもって守りに入られてしまえば、少数の部隊では対抗しようがなくなってしまう。


 いわゆる負けが込む状態が続いてしまえば、兵士たちの心に疑念が沸き始める。その疑念はどんなに小さなものであろうとも、負けが続くことによって大きくなっていき、やがて絶望となってその士気を挫いてしまう。


 しかし、まだ彼らの表情が絶望の色に染まることはない。自分たちが孤立無援ではないことを知っているからだ。


 兵糧は定期的にカラデアから送られてくる。そして、援軍も各国から続々と集結しているという。必ず味方が助けにやってくる。その希望が彼らを支えていた。


 もし、その希望がないのならば、彼らはとっくに軍としては瓦解していただろう。


 キエサは厳しい表情でこちらに歩いてくるワザンデに気付いた。


「どうしたワザンデ」


 キエサの問いかけに、ワザンデは厳しい表情のまま口を開く。


「納得いかねえことがある」

「なんだ?」

「何度か、砂嵐にまぎれて攻めただろう」

「ああ。そして、返り討ちにあった」

「そうだ。それなんだ」


 ワザンデは激しい手振りとともに頷いた。


「あの時、敵は明らかにこっちの動きを読んでた」

「俺たちがワゼに紛れて襲った最初の戦いがよっぽど答えたんだろう。それで、守りを固めることにしたんじゃないのか? そして、ご苦労なことに砂嵐の度に兵士たちは防備に駆り出されているんだろう」

「いや、それだけだと納得できねえ」


 ワザンデは唸るように言うと頭を振る。


「奴らは、俺たちルェキア騎兵がどこから攻めてくるのか、完全に読んでやがった。まるで、俺たちがダカホルの情報から離れたことが分かったように、完璧な待ち伏せの布陣をつくって待ち構えてやがったんだ。俺の勘違いじゃねえかと、あれからずっと考えてきた。だが、何度も返り討ちにあった今、俺は確信した。奴らは俺たちの動きを読んでる。嵐の中でも、俺たちの動きが分かったんだ」


 嵐の中の奇襲は、すべてワザンデが取り仕切っている。そのため、キエサにはその時の戦場の空気が分からない。しかし、あの時戦場にいたワザンデは、大きな違和感を感じているようだ。


「あっちにも砂聞きがいるってことか?」


 キエサは考えうる最悪の可能性を口にする。


「それは分からねえ」

「デソエに黒石の守り手はいない。今回従軍しているのもダカホルだけだから、捕虜にもなっていないはずだ。裏切りにしろ、強制にしろ、砂を聞くことのできる者がウル・ヤークスにいるとは思えない」


 黒石の守り手は、選ばれし者たちだ。デソエで黒石の教えを伝えるのは黒石の伝え手と呼ばれる僧であり、その身に黒石の力を宿した人々ではない。


「沙海の隠者でも捕まえたんじゃねえのか?」


 黒石の守り手の中には、修行のために単独で沙海に旅立つ者もいる。彼らは沙海の隠者と呼ばれていた。彼らは、たった一人で沙海に暮らす。まともなカラデア人やルェキア族からすれば信じられない修行を己に課していた。


「そんなことは図体のでかいウル・ヤークスには無理だろう。奴らに沙海の隠者を見付けることができるとは思えない。もちろん、不可能、とは言い切れないが、可能性は低いだろうな」


 キエサは、ワザンデの指摘を否定した。


「だとしたら……」


 ワザンデは、目を細めると鋭い視線を洞窟の中の人々に向けた。


「誰か、俺たちの中にお喋りな奴がいるってことか」

「裏切り者がいるというのか?」

「ああ。俺たちの動きを伝えている奴がいるとしたら、先を読まれていることも納得できる」

「どうやってウル・ヤークスに知らせるっていうんだ? 作戦を知り、この洞窟から誰にも知られずに出発して、騎兵よりも早く敵の元に辿り着く必要がある。そんなことができると思うのか?」

「それは……、俺にも分からねえ」


 ルェキア騎兵の足は速い。彼らを出し抜くことが難しいことを、ワザンデ自身よく知っているだろう。


「用心深いことは悪いことじゃない。だが、俺たちは今、ぎりぎりの所で踏み止まっている。そんな中で裏切り者を探し始めてみろ。お互い疑心暗鬼で、部隊はあっという間にばらばらになるぞ」

「だからって目を瞑って耳を閉じていろっていうのか?」 

「いや、そうじゃない」


 キエサは頭を振ると、小さく両手を広げた。


ふるいにかけるんだ。最初は大きな網の目で砂を篩いにかける。残った砂をもう少し細かい網の目でさらに篩いにかける。残った砂を、さらに細かい網の目で……」

「そうやって裏切り者を探し出すっていうのか? そんな悠長なことを言ってる場合か?」

「もちろん、時間は残されていない。だから、慎重に、しかし素早く篩いにかける。()()()()()()()()()()()()()からな」


 キエサは言葉の最後を強調した。彼としては、仲間の中に裏切り者が潜んでいるとは考えたくはなかった。


「くそっ、難しいことを言う奴だ」


 ワザンデは舌打ちする。


 大きな声が聞こえた。


 突然発せられた悲鳴にも近い驚きの声に、思わず振り返る。


 ダカホルが、手から砂が零れ落ちていることにも気付かずに呆然とした表情で立ち上がっていた。


「どうしましたダカホル」


 そのただならぬ様子に、キエサとワザンデは駆け寄る。


「化け物だ……」


 ダカホルは、呆けたような表情のまま、キエサに言った。


「化け物?」

「とてつもない化け物がやって来る……」

「ダカホル、しっかりしてください!」


 兵たちの精神的支柱であるダカホルの様子がおかしければ、動揺が生まれる。キエサはダカホルの肩を掴むと、激しく揺さぶった。ダカホルは、我に返った様子でキエサを見つめる。


「キエサ……」

「大丈夫ですか?」

「ああ、すまん」


 ダカホルは大きく息を吐くと、自分を落ち着かせようとするのかうつむいた。そしてすぐに顔を上げる。


「一体、どうしたっていうんですか?」

「沙海に、新たなウル・ヤークス軍が侵入した」

「なっ……」


 キエサは絶句する。


「デソエへの援軍だろう。重い足音が多い。おそらく兵糧を大量に運んでいるからだろうな」


 暗い表情でダカホルが言う。


「そうですか……。それで、化け物というのは……」

「その援軍の中に、馬鹿でかい生き物がいる。重さと歩幅から判断すると、おそらく、カラデアの富裕な商人の館よりも大きい。とてつもない大きさだ。そんな化け物が、三頭もいる」


 キエサは息を呑み、ワザンデと顔を見合わせた。


「涸れた涙も湧き出てくるってもんだ、まったく」


 ワザンデは大きな溜息をともに天を仰いだ。 






 白い砂原を、列をなした人々と獣が進む。万を越える人々が巻き起こす砂塵は、低く、長く漂っている。そして、その最後尾に、長い首と尾をもつ灰褐色の巨大な生き物が三頭続いていた。


 それは、ムハムトだった。


 援軍として沙海を進む第三軍ギェナ・ヴァン・ワに連れられた三頭のムハムトは、その背に大量の糧食や物資を積んでいる。デソエは、沙海交易の中継地点であり、食糧生産に関しては無きに等しい。このままデソエに大軍を駐留させ続けていては、街に備蓄された食糧を食い尽くしてしまうだろう。軍人のみならず、デソエのカラデア人を飢え死にさせるわけにもいかない。その為、アシス・ルーを出発した援軍は、食糧輸送という役割ももっていた。ウル・ヤークス王国の中でも、アシス・ルーとその近郊がもっとも多くのムハムトを飼育している地域だ。しかし、馬や駱駝のように数多くがいるわけではない。野生のムハムトもおらず、貴重な生き物だ。しかし、そんな中でも、この戦いに三頭ものムハムトが連れてこられた。それは、その巨体が何よりも役に立つからだ。


 ムハムトは、荷の運び手として、砂の海に乗り出すのにこれほど心強い船はいない。しかし、問題はこの船も大喰らいであるということだ。この巨体の割にはあまり食べないらしいが、それでも尋常ではない量の餌が必要となる。その欠点を補ってもなお、ムハムトの運搬能力は比類ないものだ。そして、空兵部隊も、維持が高くつく兵種でありながら、この戦いに投入されている。


 すべてが前例のない戦いだ。


 ウリクは、眼下の兵たちの列を見下ろしながら、これから始まるであろう戦いについて考えていた。


 右側から、大鳥が近付いてくる。ウリクはそちらに顔を向けた。


「壮観ですね! 隊長!!」


 横に並んだイェナが、口元の布を下ろすと大声で叫んだ。今は風はなく穏やかな空だ。進軍に合わせてゆっくりと飛ぶ中、その声はよく通った。心なしか、はしゃいでいるように聞こえる。


 無理もない。これほどの大軍に参加するのは初めてなのだから。しかも、かつてないほどの空兵部隊を動員し、なおかつ三頭のムハムトまで連れている。こんな光景は、ほとんどの兵は見たことがないだろう。様々な戦いに参加したウリクにとっても、初めて見る光景だ。そして、なによりも、その大軍を先導しているのは自分たちだという事実。気分が高揚するなというほうが無理な話だろう。


 大軍の一員になることは、なぜか気分を高揚させる。自分が偉大なものの一部になったように錯覚するのだ。


 これが彼女にとって初めての戦争だ。最初くらいは、栄光と誇りに満ちた記憶でもいいだろう。いずれ、それは、苦悩と恐怖によって書き換えられることになるのだから。


「この景色をよく覚えておけよ!」

「はい!!」


 眼下を指差したウリクに、イェナは笑顔で頷く。


 空兵部隊は、本軍より先に飛び、野営地に向いた場所を見つけ出している。ウリクとイェナが駆る二騎の大鳥は、本軍をそこへ先導していた。


 翼人空兵が優雅に舞い降りてくると、イェナの右上方に並んだ。彼女と仲の良いフィ・ルサ族の女だ。


 イェナは翼人空兵と何か言葉を交わしている。彼女は、笑い声を上げると頷いた。


 そして、二人は空中で戯れ始めた。


 ゆるやかな速度で翼人空兵と大鳥は舞い飛びながら、追い、逃れる。何度も役割を入れ替えながらそれを繰り返した。


 ウリクは、苦笑しながらそれを見る。


 ふと下を見やると、地上を進む兵たちが、空を見上げながら口を開け、手や武器を振っている。声は届かないが、皆、笑顔で囃し立てているようだ。


 翼人空兵が、再びイェナの横に並び、地上の兵を指差しながら何か言っている。イェナが頷いた。


 イェナは、素早く手綱を手繰り寄せると、前傾姿勢になって大鳥の首筋に体重をかける。同時に、短く握った手綱を真下に強く引いた。


 ウリクは、その動作から、彼女が何をしようとしているのか気付いて叫んだ。


「よせ、止めろ!!」


 しかし、遅かった。


 翼をたたんだ大鳥は、空中で一回転して真下へと急降下した。そして、途中からは、まるで木の葉が舞い落ちるように左右に揺れながら落下していく。その後を、翼人空兵が追った。


 地上の兵たちが驚きの表情を浮かべている。


 地上のすぐ近くまで落下した大鳥は、そこで大きく翼を広げた。速度が急激に落ちる。そして、激しく羽ばたくと、一気に上空へと飛び上がった。翼人空兵は、それに絡みつくような飛行で後に続く。


 後に残された砂煙を浴びて、呆然とした表情の兵たち。


 そして、すぐに大きく歓声を上げた。 


「あいつら……」


 ウリクは思わず手で顔を覆う。いくらなんでも調子にのりすぎだ。


 後で上官に叱責されることを思って、大きく溜息をついた。

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