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砂塵の王  作者: 秋山 和
諸人は宴に集う
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10

 カラデアの郊外は、戦士たちの野営地となっていた。


 ンランギ王国からの更なる援軍に加えて、ンランギ王国に服属する周辺の中小部族の戦士たちが続々とカラデアに到着している。彼らを受け入れるために、ラワナはカラデアの役人たちとともに奔走していた。


 野営地は様々な天幕によって賑やかな風景となっている。鮮やかな原色の布を使った天幕から、縞馬に野牛、豹や麒麟、竜の皮を使った変わった天幕まで、やって来た援軍の出身地の幅広さを物語るものだ。


 配給する食糧についての打ち合わせを終えたラワナは、野営地が騒がしいことに気付いた。野卑な戦士たちの馬鹿騒ぎや騎獣たちの鳴き声などではない。怒声や罵倒とともに、武具を打ち鳴らす音が聞こえてくる。


 ラワナは、その騒ぎの元へ向かった。共に配給の手配を計画していたワアドも続く。


 百人近い戦士たちが、やはり同じ程度の数の戦士たちと武器を手にして睨み合い、罵り合っていた。


「何を騒いでいるの?」


 ラワナは、遠巻きに推移を見守っているカラデア兵に声をかけた。


 カラデア兵はラワナに驚いた様子だったが、一礼した後に口を開く。


「どうやら、仲の悪い部族同士が口論になったようです。気付いた時にはこの状況で……」

「なんて馬鹿なことを。こんな時に争っている場合ではないのに」


 ラワナは溜息をついた。


「あやつらは好んでここに来たとは限らぬからな」


 ワアドが腕組みすると鼻を鳴らす。


「盟主であるンランギに従って援軍に加わっているだけだ。黒石を崇めているとは限るまい。あの者たちに高い士気や規律を求めるのは高望みというものだ」

「確かにそうかもしれないけれど……」


 はるばる沙海を渡ってカラデアまでやって来たのだから、小さな部族同士の争いとは全く違う戦いなのだと理解しても良いものだ。しかし、それは自分自身の独り善がりな我儘なのだろう。街に暮らす自分には、おそらくルェキア族の考え方ですら完全には理解できていないのだ。増してや、異郷の者達の考えなど理解できるはずもない。ラワナは失望を感じて額に手を当てる。


「ラワナ殿、隷下の者達が見苦しい所を見せて申し訳ない」


 長身の男がラワナの傍らに立った。ンランギ王国の戦士ガヌァナだった。ラワナはガヌァナを見上げて答える。


「いえ、謝る必要などありませんが……。止めなくてはならないのでは? このままでは死人がでます」


 互いの間に張り詰めた緊張はすでに大きく引き絞られている。何かのきっかけで、すぐに暴力の矢が放たれてしまうだろう。


「その通りだ。……棒を」


 ガヌァナは頷くと右手を差し出した。側に控えるンランギ人の一人が、身の丈ほどの長さがある太い棒を手渡す。


「ラワナ殿はそこでお待ちを。鎮めて参る」


 ガヌァナはラワナに顔を向けて言うと、一人で騒ぎの場所へ歩く。


「一人で、大丈夫なの?」


 ラワナは思わず傍らのンランギ人に顔を向ける。その男は、笑みとともに頷いた。


「ンランギ戦士の誉れ、とくと御覧あれ」

「何て呑気な。百人以上いるのよ」

「吠え猛る野犬も、鼻先を叩けば大人しくなります」


 男の自信に満ち溢れた答えに、ラワナは呆れて視線をガヌァナへ戻す。


 戦士たちの罵り合いは頂点に達している。もはや、戦の前の口上に近い。次に待ち構えているのが何であるのか、部族抗争に明け暮れる戦士たちは当然のことながら理解している。


 喚声とともに両陣営の戦士たちが駆け出した瞬間、ガヌァナはその間に跳び込んだ。


 まずは右。駆けてくる戦士の足を払う。


 そのまま身を転じて左へ。戦士の両足の間に棒を差し入れた。


 あまりの速さに、ほぼ同時に二人の男が宙に浮いたように見えたほどだ。


 ガヌァナは動きを止めない。差し入れた棒を引き戻しながら、反対側の先端を近くの戦士の剣に当てる。その鋭い一撃に、剣は戦士の手から弾き飛ばされた。


 踏み込みながら、下方から棒を打ち上げる。それは、一人の戦士の喉に、潰されることはないが、一瞬息を止められてしまう力で当てられた。戦士は、奇妙な声を発して喉を押さえながらしゃがみ込んでしまう。


 ガヌァナの周囲に一瞬、人の空白が生じた。


 右手の握りを持ち替えると同時に、左手を離す。同時に右足を軸に大きく身を転じると、右手で強く棒を振るった。乾いた木を打ち合わせる小気味良い音とともに、戦士たちの抱えた槍の穂先が一気に薙ぎ倒される。


 棒を振るった勢いを殺すことなく、振り返りざま、戦士の盾を突いた。


 その強烈な突きによって、盾を構えた戦士は、吹き飛ぶようにして後ろの仲間たちを巻き込んで倒れる。


 互いの陣営の真ん中で突如吹き荒れた暴風に、戦士たちは呆気にとられて動きを止める。ラワナでさえ、ようやくその動きを追えただけだ。戦士としての心得の無い者や不意を討たれた者にとっては、一瞬にして何人もの戦士が倒されたように見えただろう。


 動きを止めた戦士達の中心で、ガヌァナは棒を地面に突き当てると、周囲を睥睨した。


 戦士たちが、何かを囁きあっている。しかし、ラワナには分からない言葉だ。


「あ奴らは、ガヌァナ殿の異名を思い出して恐れおののいているのです」


 ンランギの男が、ラワナに言う。


「異名ですか。それはどのような?」


 ラワナの問いに、男は誇らしげに胸を張った。


「ガヌァナ殿は、我が国において、竜殺しとして称えられています」

「竜殺し?」

「ええ。赤斑竜を殺した偉大なる戦士なのですよ」

「赤斑竜!! 犀や象を狩るという、あの赤斑竜?」


 ラワナは思わず聞き返す。赤斑竜の恐ろしさは遠くカラデアにも伝わっている。赤黒い斑模様の体をもつこの竜は、草原サバンナを駆け、獅子を退ける犀や象といった巨獣でさえも噛み殺してしまうという。


「ええ。もちろん、一人で立ち向かったわけではありません。ンランギの民にとって、赤斑竜は、家畜や人を食らう恐ろしい存在です。領内に出没すれば、軍を以って駆逐せねばなりません。しかし、赤斑竜の皮は厚い。何本もの槍や矢を射掛けても、なかなか致命傷にはならない。手負いの竜はますます猛り狂うことになる。赤斑竜は恐ろしく狡猾で残酷です。逃してしまえば、復讐のためにこれまで以上に人を襲うようになるでしょう。そこで、ガヌァナ殿は……!!」


 男は大きな笑みを浮かべると、両手を大きく打ち合わせた。


「単騎で赤斑竜の懐に入り、下から喉を突き刺したのです。ガヌァナ殿も大きな怪我を負いましたが、赤斑竜は討ち取られました。こうして、ガヌァナ殿の名は、竜殺しとして諸国に鳴り響いたのです」


 語り終えて満足気な男に、ラワナは苦笑する。随分とガヌァナに心酔しているようだ。そして、その気持ちも理解できる。


 ガヌァナがラワナには分からない言葉で叫んだ。それは、意味を理解できないラワナの耳にも朗々と響き、威厳を感じることができた。


 戦士達は、手にした武器を地面に置くと、ゆっくりとその場に跪いた。






 回廊に子供の泣き声が響いている。


 その声が我が子のものだと気付いたラワナは、足早に歩く。


「コユラ! どうしたの?」


 泣きじゃくっていたコユラは、母親の姿を認めると、駆け寄ってきた。その後ろには、ハムドゥと下女が続く。


「申し訳ありません、ラワナ様。コユラ様が、ラワナ様が旅立ったと勘違いしてしまったようです。それで、ラワナ様を追うといってこのように……」


 下女は慌てた様子でラワナに一礼する。 


「お父様もお母様も私を置いて行くんだ! 嫌だ! 行っちゃ嫌だ!」


 幼い娘が、ラワナの衣の裾にしがみ付き、泣く。


「今出発するわけじゃないのよ、コユラ。まだ、私はここにいるわ」


 ラワナは、娘の頭を撫でる。しかし、コユラは泣き止むことはない。


「お願い、お母様、置いていかないで」

「やめろコユラ!」


 ハムドゥが鋭い声を発する。 


「お母様はお父様を助けに行くんだぞ! お前なんかが行っても邪魔なだけだ!」

「嫌だ! 砂嵐の向こうに行っちゃ嫌!」


 兄の叱責に耳を貸すことなく、コユラは泣き続ける。


 ラワナは小さく溜息をつくと、足に縋り付く娘を抱いた。


 自軍と援軍の編成が終わり次第、ラワナは軍とともにカラデアを発つ。そのことを子供達に伝えてから、ずっとこんな様子だ。子供達を置いて出征することは心苦しいが、各国の援軍が集まってくれた以上、太守の娘であるラワナが軍を率いなければならない。


 北の戦場の厳しさはいや増し、夫であるキエサの身が案じられる。時々送られてくる砂文から、状況が逼迫していることが伝わってきた。ウル・ヤークス軍は、ゆっくりと、しかし、確実に彼らを追い詰めつつある。


 先刻目にしたガヌァナの武勇。そして彼に率いられるンランギの騎兵達の武名は、偽りのないものだろう。援軍にやって来た人々のことを頼もしく思うと共に、どうしても不安を拭い去ることができない。それは、我が子を抱きしめるほどに大きくなっていく。ラワナは、己の惰弱な心を呪った。


「小さなお姫様、どうして泣いているの?」


 少女の声。ラワナが振り返ると、真珠の髪の娘が立っていた


「ツィニ様、お騒がせして申し訳ありません」


 ラワナの言葉に、ツィニは笑顔で頷く。そして、ラワナの衣に顔を寄せるコユラを覗き込んだ。


「ねえ、コユラ。私の友達に会ってくれない?」

「ともだち……?」


 コユラがツィニを見上げる。


「そう。とても大きな友達よ」


 ツィニは懐から黒檀の小さな像を取り出すと、コユラに見せる。コユラは、獣の形に彫りこまれた像を興味深そうに見つめた。


 黒檀の像を手にしたツィニは、歌うように言葉を唱えた。そして、宙に像を放り投げる。


 次の瞬間、それは巨大な獣に姿を変えていた。


 獣は、四つの足で、音もなく着地する。


 その獣は、豹に似ていた。しかしその大きさは明らかに豹ではない。牛ほどはある巨大な体躯だった。頭から背中にかけて一筋の真珠色のたてがみがはえている。異様なのは、大きさだけではない。本来ならば尾があるはずが、そこには巨大な蛇が生えていた。豹の毛に似た色調の、鈍く光る金色の鱗におおわれている。蛇は、その美しい肉体と同じようにしなやかに動いた。


 獣は、体を大きく伸ばして欠伸をする。その口からは、人の指ほどもある牙が覗いた。


「ひぃっ」


 下女が腰を抜かしたようにその場にへたりこんだ。ラワナも思わず息を呑み、後ずさる。しかし、足下のコユラは歓声を上げた。


「すごい!」

「やめろコユラ!」


 ハムドゥが悲鳴のような声を上げて止めるが、コユラは目を輝かせて歩み寄る。


「この子の名前はアムギ」


 ツィニが名を呼ぶと同時に、巨大な豹は寝転がって腹を見せた。コユラは笑顔でその腹を撫でる。ハムドゥも、恐る恐る獣に触れた。蛇の頭が、ちろちろと舌を出し、コユラの頬をなめる。


「とっても大きいでしょ?」

「うん!」


 ツィニの問いに、コユラは大きく頷いた。ツィニは微笑みと共にアムギの喉を揉むようにして撫でる。


「この子はね、戦士が何人来ても倒しちゃうの。とても強いのよ。この子がお母さんを守ってくれるの。だから、コユラ、安心してお母さんを見送ってあげてね」

「本当に、お母様を守ってくれる? 砂嵐の向こうから帰ってきてくれる?」


 大きく目を見開いたコユラに、ツィニは笑顔で彼女の頬に触れる。


「必ず帰ってくる。約束よ」

「分かった。約束」 


 二人は頷きあう。コユラは、アムギに顔を向けた。


「お母様を守ってね、アムギ」


 アムギは、腹の底に響くような低い声で一声鳴いた。


「本当に、ありがとうございます、司祭様」


 アムギと戯れる子供たちを一瞥して、ラワナは言った。


「ツィニ、と呼んでくださいね」


 ツィニは、笑みと共に首を傾げる。


「でも……」

「あなたは、言ってみればカラデアの王女。ただの司祭にへりくだる必要はありませんよ」

「王女だなんて……。私は、昔、沙海へ人々を導いた一族のすえというだけです」


 ラワナは思わず笑う。ツィニは頭を振った。


「カラデアの民は、あなたやヌアンク様に大いなる希望を見出している。それはまさしく王族への崇敬に他なりませんよ」

「しかし、カラデアは王を戴くことはありません。それは、我が一族が沙海を彷徨い、この地に黒石を見出した時から決められたことなのです」

「それがあなた達の信念ならばそれも良いと思います。しかし……」


 ツィニの顔から笑みが消える。


「これからあなたは、大勢の人々に殺せと、そして死ねと命じなければならない。王であるならば、それは容易い。そうではないあなたは思い悩むことになるでしょう。その迷いが滅びにつながらないように祈ります」


 静かに告げるその言葉に、ラワナは彼女を見つめた。


「迷い……、ですか」

「ええ。王は迷わない。己が国を体現する者であると確信しているからです。でも、王ではないあなたは、そう確信してはいないでしょう。だから、人々を死地に向かわせることを迷うことになる」

「そうかもしれませんね。しかし、だからこそ、カラデアの民は我が一族を信じてくれている」


 ラワナは答えると微笑む。


「私たちは、黒石のもとでは皆、等しい存在なのです。その中で、我が一族は、カラデアを導く。その責を負っているのです。そして、皆でカラデアと黒石を守る。その為に、私は決して迷いません」


 強い力をこめたその言葉は、己に言い聞かせるものでもあった。

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