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砂塵の王  作者: 秋山 和
諸人は宴に集う
76/220

9

 老婆が小さな声で歌いながら、布に針を通している。


 簡単な旋律で繰り返されるその歌は、ヤガンの知らない言葉だったが、耳に心地よい。半ば目を閉じながらそれを聞いていた。


 商店の奥にあるこの部屋では、表通りの喧騒は微かに響くのみだ。のんびりとした老婆の歌声は、ここがアタミラの下町ではなく、どこか、田舎の一軒家であるような錯覚をおこさせる。


 そのまどろみにも似た時間は、自分を呼ぶ声で終わった。


 目を開けると、使用人が顔だけのぞかせている。ヤガンは頷くと口を開いた。


「ああ、何だね」

「お客様がいらっしゃいました、あっ!」


 来客を告げる使用人を押しのけて、金髪の大男が部屋に入った。室内を睨むように見回してから、戸口に声をかける。


 もう一人の金髪の大男に付き添われてアトルが入ってきた。


「すまない、遅くなった。何しろ外城は不案内でね。少し道に迷ってしまったよ」


 にこやかに話しかけるアトルに、ヤガンは一礼した。


「お越しいただいてありがとうございます」

「久しぶりだね、ヤガン。私の知らない所で、随分と働いているようだ」

「それはまあ、怠けている暇はありませんからね」

「勤勉だな。サウド殿も感心していたよ」


 含み笑いと共にアトルは頷くと、室内を見回す。


「それで、会わせたい人というのは、この方かね?」


 部屋の片隅で針仕事をしている老婆を見やって言った。


「いえ、勿論違いますよ」


 そのおどけた物言いに、ヤガンは苦笑する。


「実に見事な刺繍だ。イールムのものだね」


 アトルが老婆の手元を覗き込んだ。老婆は、彼を見上げて笑う。


「アトル様、ここでは編み物は忘れてもらえませんかね」


 ヤガンは、笑いながらも力をこめて言った。


「ああ、すまない。あまりに美しかったので、ついね」


 アトルは肩をすくめる。


「さあ、こちらです、アトル様」


 このままここに居ては話が進まない。ヤガンは、手でアトルを促した。


 控えていた使用人に先導されて、一行は廊下を歩く。


 廊下の先にある部屋には、二人のハウラン人の男が立っていた。鮮やかな青い半袖の上衣を着て、腰に剣を佩いている。鍛え上げられており体格も良いが、奇妙なまでに青白い肌だった。ハウラン人はウルス人に比べて肌の色が白い傾向にあるが、それにしても血の気というものがない。アトルが連れた護衛たちの、赤らんだ白い肌とは対照的だった。何の感情も見せずにこちらを見つめるその瞳は、金色だ。奇妙なことに、その瞳の奥に文字のようなものが見えた。一人には、首筋から頬にかけて、大きな刀傷とそれを縫った跡がある。そんな怪我を負ってとても生きてはいないだろうと思わせるような、大きな傷だった。もう一人の男は、傷を縫った跡が右腕を一周している。まるで、切断した腕をつないだかのようだ。


「噂に聞く、“不死隊”の兵士か……」


 アトルは厳しい面持ちで呟いた。


「“不死隊”? 何ですか、それは?」

「イールムの恐るべき兵士たちだよ。その呼び名通り、死なないそうだ」

「死なない? 冗談でしょう?」


 ヤガンは笑みを浮かべたが、真顔のアトルを見て口元を引き締める。


「冗談でも与太話の類でもないよ。私は実際に戦った元軍人の老人から話を聞いた」


 アトルは無表情なまま立つ男たちを一瞥しながら答えた。


「正確に言えば、彼らはもう死んでいるのだそうだ。死者であるから、腕を切ろうが、胸を突こうが戦い続ける。ただし、頭を潰したり、切り落とせば動きが止まるそうだがね」


 そう言いながら、自分の首筋を手で叩く。


「死者……、ですか? 死んだ人を蘇らせることができるというのですか」

「いや、蘇らせたというわけではない。死者の兵士にするために、殺すんだよ」

「殺す?」

「ああ。詳しい話は私も分からないがね。魔術の儀式とともに、命を奪う。そうすることで、不死の兵士が誕生する、ということだ」

「何とまあ、恐ろしい話だ……」


 ヤガンは思わず頭を振る。ルェキア族やカラデア人にとって、死は消滅であり、沙海と一つになることだ。干乾びた骸は砂と風によって塵となり、白い大地の一部となる。そして、その魂は黒石とともに眠る。それは全ての終わりであり、安息だった。死してなお兵士として戦わなければならないなど、想像するだに恐ろしい。


「ああ、恐ろしい。イールムの兵士たちが皆、不死隊でないことは、我が国にとって幸いだ」


 ウル・ヤークスにいないことも、幸いだな。ヤガンは心中で呟く。一族の者たちやカラデアの人々も、死なない兵士と戦わされるなど思いもしないだろう。ヤガンは戦場に立ったことはないが、目の前でどんなに刺そうと切ろうと倒れることのない兵士がいれば、恐怖のあまり逃げ出すに違いない。


「さて、こんな所に不死隊の兵士がいるということは、これから会う者はよほどの大物ということだ」


 アトルは、笑みを浮かべるとヤガンを見やる。


「どんな人物がやって来るのか、楽しみだね、ヤガン」


 その挑むような視線に、ヤガンは僅かに気圧されるものを感じたが、平静を装い頷いた。


「はじめまして、アトル様」


 女の声が響く。大股で颯爽と入ってきたのはハウラン人の女だった。


「なるほど」


 笑みを浮かべたままのアトルは、ヤガンとハウラン人の女を見比べる。


「妙に耳聡いのはなぜかと思っていたが、彼女が奇術の種ということか」

「奇術とは人聞きが悪い。これは商いの一環ですよ」


 ヤガンは苦笑と共に肩をすくめる。そして、女に歩み寄ると、一礼してアトルに向かって振り返った。


「こちらの美女はファーラフィ殿です、アトル様」

「ああ、イールム王国大使に同伴しておられるのをお見かけしたことがある」

「はじめまして、ファーラフィともうします」


 ファーラフィは恭しく一礼する。自分には一度も見せたことがない所作に、皮肉の笑みを浮かべながら言う。


「俺とは随分と扱いが違うんですね」

「当然だろう。この方は元老院議員だ。お前のような一介の商人とは違う」


 ファーラフィは、蔑むような表情でヤガンを見た。


「そう仰らずに。これでもできる男ですよ」


 アトルが穏やかに言った。


「口だけの男でしょう」


 ファーラフィは鼻で笑う。そして、傍らの長椅子を示した。


「さあ、お座りください」


 アトルとヤガンが長椅子に座った後、ファーラフィは向かいにある椅子に腰掛けた。その背後には不死の兵士たちが控える。当然ながら、アトルの背後には金髪の戦士たちが控えており、大男たちは睨み合うように立った。 


「今、シアートの民は苦境にあると聞きました」


 落ち着いた所で、ファーラフィは微笑と共に切り出した。


「我々は、シアートの方々を援助することができます」

「援助ですか……。ありがたい申し出だが、具体的にはどのような?」 


 アトルは首を傾げた。ファーラフィは笑みと共に頷く。


「然るべき場所と道具を用意していただければ、我々はそれに見合う優れた人材をお貸しすることができます。シアートの民は、その力を我が物として存分にお使いください」

「それは、そちらに控えているような者達ですか?」


 ファーラフィの背後の男たちを見ながら、アトルは言った。


「ご存知ならば、話が早い。我が国には幾千、幾万もの勇士がいます。彼らは、ウル・ヤークスの何人も敵わぬ者たちです。彼らを刃として振るうならば、シアートの民はウル・ヤークスをその手に握ることができるでしょう。そして……」

「それ以上は言わない方が良い」


 アトルはファーラフィの眼前で人差し指を立てて口を塞ぐ仕草を見せた。ファーラフィは目を瞬かせて口を噤む。


「あなたの誘いは、とても魅力的だ。しかし、それは口に甘き毒酒。飲んでしまえば、破滅が待っている」 

「決してそんなことは……」

「ファーラフィ殿」


 強い口調で再び言葉を遮る。 


「今、ウル・ヤークスとイールムの国境くにざかいに、騎兵主体の部隊が集結していますね?」


 アトルの問いに、ファーラフィは答えなかった。目を細めて、無言でアトルを見つめる。


「その部隊は、精鋭である馬人族の騎兵部隊であることも知っています。今、イールムは、東方から侵入する騎馬の民と争っているはず。私は軍人ではないので専門的なことは分からない。しかし、東方に戦力が必要でありながら、その戦場に向かうことなく国境くにざかいに集まっているということは、南に何かが起こることを待っているのではないですか?」

「何を仰いたいのです?」

「あなた方、高原の民は、古来よりウルスの土地“豊穣なる河の辺”や、我らシアートの土地“碧き岸辺”を狙ってきた。無明の代では、この地は高原の民に思うままに蹂躙され、支配された。しかし、今や、それは出来ない。我らは、慈悲深い聖女王への篤き信仰の鎖で結ばれているからです」


 すっかり笑みの消えてしまったファーラフィは、 鋭い視線をアトルに向けて、次の言葉を待っていた。


「あなたの誘いにのったとして、それは、その鎖にくさびを打ち込むことになる。我らは決して国に乱を呼び込むつもりはない。聖王教徒同士で血を流すことは、決して許されないことなのですよ」


 アトルの言葉は強い。これが聖王教徒の信仰心というやつか。ヤガンの脳裏に、二人の修道女の顔が浮かぶ。彼女たちの意志の強さも大したものだった。


 しばしの沈黙の後、ファーラフィは小さく息を吐き、口を開いた。


「あなたはとてもよい目を持っているようだ」

「相手の動きを気にしているのはお互い同じということです」


 アトルは答えると微笑む。


「勿論、あなた方もただでは帰れないでしょう。我々に援助させてもらえませんか? その代わり、あなた方を利用させていただきたい」

「利用……、ですか?」

「ええ。我が商会が、大きな商いのためにイールムへ隊商を派遣する。しかし、その隊商はイールムとの国境で正体不明の軍団に襲われ、荷物を奪われてしまう。荷物は大量の食料や酒。襲ってきた軍団は、背に翼飾りをもち、蠍の尾を模した鎧を着けた馬人族だった。その軍装を身に着けた兵は、“蠍尾の馬人兵”として諸国に名を轟かせている。当然ながら、我が商会はイールム軍に略奪されたと、国を通して抗議するでしょう。しかし、あなた方はそれを否定する」

「なるほど……」

「野焼きを行っている最中に、背後で煙が上がっていることに気付けば、どうしますか? 自分が火に巻かれてしまうことを恐れて、野焼きどころではないでしょう。国境で煙があがれば、火の粉が飛ばぬかと用心深くなります」

「軍の動きに掣肘を加えようというわけですね」

「差し迫った危機があれば、西や南に軍を差し向ける余裕は無くなるはずですからね。剽悍をもって知られる“蠍尾の馬人兵”が来ていることを知れば、軍も本腰を入れなければならない」


 ファーラフィはしばらくの間沈黙していたが、おもむろに口を開く。 


「いいでしょう。それが互いに妥協できる案のようですね。ただし、ここですぐに返事はできません」

「構いませんよ。きっと応じていただけると信じています」


 アトルは深く頷いた。そして、ヤガンを一瞥すると言葉を続けた。


「話は変わりますが、ヤガンに、我が国の軍が南洋へ進出しようと企んでいることを教えたのはあなたですね?」

「ええ、そうです」

「なぜ、その動きを掴んでいたのですか?」


 アトルの問いに、ファーラフィは少し表情を緩めて答えた。


「ウル・ヤークスは七年前、鱗の民と戦っていますね?」

「ああ、まさしく南洋の向こう岸で、我が国の商人を助けるために軍を派遣したのです。しかし、初めて戦う鱗の民相手に大きな損害を受けた。最後は、地元の有力な黒い人々(ザダワーヒ)の仲介で、お互いに引くことになりました。その結果、責任を取って、何人もの元老議員や将軍が辞職することになったそうですね。当時、私は議員ではなかったので、詳しくは知らないのですが」

「その地には、シンハの民も海を渡り、黒い人々(ザダワーヒ)と取引していますね?」

「ああ、そのようですね」

「シンハの民は、イールムにも寄港して交易をしていくのです。彼らとは、永い付き合いがあります」

「なるほど、そういうことか……」

 

 アトルは、得心した様子で、腕組みして頷く。


「ちょっと待ってください」


 初めて聞く話に、ヤガンは口を挟まずにはいられない。


「何だ?」

「シンハの民とはなんですか?」

「そんなことも知らないのか? 商人のくせに無知な男だ」


 ファーラフィは鼻で笑った。


「世間知らずで申し訳ありませんね」


 ヤガンは両手を大きく広げて肩をすくめる。いい加減、この女に罵られることにも慣れてしまった。事実、自分は知らないことが多すぎる。イールム王国にエルアエル帝国、南洋の人々。そして、さらにシンハという知らない名も関わってきた。これまではウルス人商人だけを相手に商いをしていれば良かったが、今や、ヤガンを取り巻く世界は大きく広がってしまった。その世界に対して無知でいることは、危ういことだろう。道を知らずに沙海を歩くような真似はしたくない。


「シンハは、海の向こうにある」


 アトルは苦笑しながらも言う。


「南洋を東に渡れば辿り着く地だ。イールムからは地続きで向かうことが出来る」

「ああ、なるほど、東からアタミラにやってくる香辛料の原産地ですね?」

「正確には原産地の一つだね」


 ヤガンの問いに、アトルは頷いた。


「ウル・ヤークスは、あの地で大きな地盤を築きつつある。シンハ人は、これ以上ウル・ヤークスの勢力が大きくなることを好まないのです。それは、イールムにとっても好ましくないことです。その為、我々は彼らに助力することになりました」

「一方では利害が一致し、一方では反する。何とも難しい話だ」


 ファーラフィの言葉に、アトルは嘆息した。


 なるほど、サウドという男は南洋でうまくやっていたようだ。ヤガンは、顔に紋様を描いた日焼けした男を思い出す。その均衡を崩そうとしているのがウル・ヤークスの軍というわけだ。奴らはどこに行っても、同じようにかき回そうとする。侵される立場としては、実に迷惑な話だった。


「ところで……、ファーラフィ殿は刺繍はされるのですか?」


 一転して明るい声で、アトルが聞いた。その問いに、ファーラフィは困惑の表情で首を傾げる。


「今何と?」

「刺繍はされのかと聞きました」

「それは、ウルス語で何かの暗喩なのですか?」


 ファーラフィは探るような目付きでアトルを見た。アトルは笑顔で頭を振る。


「いえ、言葉通りの意味です。個人的な質問ですよ」

「……イールム貴族の女として、刺繍はたしなんでいます」

「それは素晴らしい。イールムの刺繍は美しいですね。是非、機会があるときに私に御教授いただきたい」

「アトル殿は編み物がお好きなのです」


 咄嗟に返答できないでいるファーラフィに向かって、ヤガンは苦笑しながら言い添える。


 困惑した彼女の表情を見ることができただけでここに来た甲斐はあった。そう思うのだった。


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