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砂塵の王  作者: 秋山 和
諸人は宴に集う
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8

 山は、まるで壁のように彼らの前にそびえている。


 褐色の山肌には大小の岩が転がり、砂礫に覆われていた。シアタカは顔を高く上げて見上げたが、ここからはその頂をのぞむことはできない。山から吹き降ろしてくる風は、沙海を渡る風と比べて、心なしか僅かに冷たさを感じさせた。


「ここが沙海の果てだ。ここからは、山が始まるぞ。ようこそ、ウル・ヤークスの民よ」 


 ウァンデがいささか芝居がかった仕草とともに言った。少し興奮しているのか。シアタカはその表情を見て思った。故郷が近いのだ。無理もないだろう。


 ここに来るまで、男たちの頭上で日を遮ってくれていた呪毯がゆっくりと降りてくる。そして、岩や石ころが転がる大地に着地した。


「サリカ、世話になっておいてすまないが、この呪毯はここからは使わないでくれないか? 他のキシュガナンの氏族に見られると、余計な騒ぎを招くことになる」


 ウァンデが、サリカに顔を向けた。サリカは首を傾げる。


「山を越えてからでも駄目ですか?」

「ああ。俺はこの山越えの道は詳しくない。キセの塚の方向は分かるが、人目を避けて間道を通ることは難しい。その道すがら、他の氏族に出くわすことは確実だ。空に絨毯を浮かべながら歩いている所を見られてみろ。あっという間に山々に噂が広がる。気付いたら、他の氏族の戦士に囲まれているだろうな」


 ウァンデが顔をしかめて言った。


 確かに、自分たちはキシュガナンからすれば奇妙な一行に違いない。キシュガナンであるのはアシャンとウァンデだけで、後は外つ国からやって来た異邦人なのだ。そんな一行が空を飛ぶ絨毯などという呪物とともにやって来れば、警戒され、悪くすれば敵対されるだろう。  


「だが、乗らないのなら、この呪毯はどうする? いくら駱駝でもこんな大きな物は運べないだろう。ここに置いていくか?」


 シアタカは呪毯を指差す。


「これは聖導教団から借りているだけなのよ! 置いていくなんてとんでもない!」


 エンティノが慌てて言った。


「この峠道はどんな道ですか?」


 山を見上げていたサリカが、ウァンデを顧みる。


「ああ、険しい道だ。登るのは少々骨が折れるぞ」

「道は狭いですか? 具体的には……、この呪毯の幅はありますか?」


 サリカは、長方形の呪毯の横幅を両手で示した。人が二人、両手を広げたほどの長さがある。


「ここからは、岩だらけの坂を登っていくことになる。真っ直ぐに登っていくにはきついから、斜めに道を選びながら登ることになるだろうな。ただ、そこまで狭い道はないだろうと思う。この境界の山々は、大きな岩が飛び出していることはあるが、滑らかな山肌といっていい。坂はきついが、狭隘な所はほとんどないんだ。そこが、キシュガナンの地の山々とは違う所だ。キシュガナンは、精霊が削った山道、と呼んでる」


 右手を広げて山を指し示すウァンデに、サリカは頷いて見せた。


「だとしたら、大丈夫です。呪毯を丸めましょう」

「丸める? 丸めてどうする」

「丸めて駱駝に積みます」


 ウァンデは呆れた表情で呪毯とサリカを見比べた。


「この長さの絨毯を丸めた所を想像してみろ。その重さで駱駝がひっくり返るぞ」

「大丈夫です。背に積んだとはいえ、呪毯は浮いていますから」


 サリカは微笑む。


「浮いている……? ああ、なるほど」


 眉を寄せたウァンデは、すぐに得心した様子で頷いた。


「丸めた状態でも空を飛ばすことができるんだな」


 シアタカの言葉に、サリカは頷く。


「駱駝に繋いでしまうので、正確にはただ浮いているだけですね。その状態なら、私が魔力を通しているだけで操作をする必要もありません」

「それなら駱駝も大丈夫だろうな」 

「私たちはカラデア帰りの隊商です。背に大きな荷物を積んでいる程度なら、驚かれるくらいで済むのではないですか?」

「隊商か……。ろくな荷も積んでいないがな」


 ウァンデが苦笑する。


「でも、エンティノはどうするの? 足はまだ治っていないよ」


 アシャンの声にエンティノが即答した。


「私は大丈夫。歩けるわ」

「え、でも……」 


 アシャンは戸惑った表情でエンティノを見る。


「本当に大丈夫か? 呪毯を積んじまうと、お前は駱駝に乗れないぞ?」


 顔を覗き込むハサラトを、エンティノは睨む。


「大丈夫だって言ってるでしょ。紅旗衣の騎士をなめないでよ」

「紅旗衣の騎士の仕事は山登りじゃないぞ、まったく」


 ハサラトは溜息をつく。


「エンティノが歩くと言ってるんだ。信じよう」 


 シアタカが言った。


「それに、いざという時には俺が責任を持つ」


 エンティノの足を斬ったのは自分だ。その為に不自由している彼女を捨て置くわけにはいかない。


 エンティノはシアタカを見た。一瞬、表情が歪むが、すぐに平静を装う。


「そうか。だったら仕方ねえ」


 ハサラトは、もう一度溜息をつくと、頷いた。


「必要な物と置いていく物を選ぼう。駱駝にはほとんど積めないから、背負うしかないな」


 シアタカの言葉に、ウァンデは荷物を満載した絨毯を見る。


「天幕に、水瓶、木箱……。大きな物はほとんど捨てていかないといけないな」

「ああ。最小限の食料と水だけにしよう。山を越えれば、水には困らないんだな?」

「キシュガナンの地は、沙海とは正反対の土地だ。山を越えさえすれば、何とかなる」

「正反対か……。楽しみだな」


 シアタカはそびえる山を見上げる。この乾いた大地とは全く異なる土地。それが、この山を越えれば待っている。


「木が多すぎて嫌になるかも知れんな。山を越えると茂った草木のせいで、逆に道が狭くなる」


 ウァンデが笑みを浮かべた。


「そうなると駱駝が通れないか」

「里を繋ぐ往還に出れば道も広くなる。そうすれば苦労することはないだろうな。そこまでの道は、切り開くしかない」


 ウァンデは、そう言って大槍を叩いた。





 己の荒い息が何よりも大きく聞こえる。


 私はどうしてこんな所で山道を登っているんだろう。エンティノは思う。


 自分で歩くと言ったじゃないか。エンティノは自嘲する。


 紅旗衣の騎士は、訓練によって常人よりもはるかに勝る体力を誇る。しかし、そもそも騎士は山を登るという運動に慣れていない。慣れない運動は普段使わない筋肉を酷使し、疲れを呼ぶ。エンティノだけではない。シアタカやハサラトも息が上がっていた。ウィトとサリカは言うまでもない。ラゴはといえば、四足で歩くことが多くなったとはいえ、疲れは見えなかった。


 一方のウァンデは平気な顔をしている。アシャンでさえ、わずかに疲れが見える程度だ。やはり、山を生活の場としている民にとってはこれが日常なのだろう。


 左足を庇いながら歩いているために、右足への負担が大きい。足の裏のまめが潰れてしまったのだろう。ひどく痛む。調律の力も、歩き続けている限りその傷を癒すことはできない。

 

 急な斜面を、時に右に、時に左にと、向かう方向を変えながらウァンデの先導で登っていく。細かい砂礫に覆われた道は、そこまで危険を感じるものではなかったが、何しろ体力を消耗した。傍らを見れば、眼下には広大な沙海がどこまでも広がっている。こんな状況でなければ、さぞかしこの風景を楽しめただろう。 


「少し休もう」


 少し広くなった場所で、シアタカが声を上げた。


「ああ、そうだな」


 ウァンデは頷くと、歩みを止めた。


 一行は、大きく吐息をつきながら立ち止まる。


 エンティノは、大きく喘いで座り込んだ。足を投げ出すようにして天を仰ぐ。


 シアタカは、ウァンデと話をしている。エンティノを一瞥した後、荷物から縄を取り出した。そして、外套を脱ぐ。


「エンティノ、かなり辛そうだな」


 傍らに立ったシアタカは、エンティノの前で屈みこむと顔を覗き込む。


「大丈夫。平気よ」


 エンティノは答えた。顔に出ていたのか、情けない。思わず心中で己を罵る。


「強がるな。慣れない山道で足の怪我もある。仕方ない」


 エンティノは無言で顔をそらした。


「ここからは、俺がエンティノを背負う」

「いや、歩く」

「いいから」


 強い口調でシアタカが言った。


 ウァンデは、シアタカの体に縄を何度か廻し、畳んだ外套を配した。シアタカの背中に吊るした即席の椅子を作り出す。ウァンデは、シアタカの背中を叩くとエンティノに顔を向けた。


「これでいい。さあ、乗れ」


 エンティノはためらっていたが、しぶしぶといった様子でシアタカに負ぶさった。


 ウァンデは、二人を見て頷く。


「山で怪我をした者がいる時は、こんな風に運ぶんだ。背負う者も背負われる者もあまり辛くないだろう。しっかりとした背負子があればいいんだが、そうは言っていられないからな」

「充分だ。ありがとうウァンデ」


 シアタカは笑みを浮かべた。


 まるで子供みたいだ。エンティノは己の姿を見下ろして、溜息をつく。自分で歩くと言っておきながら、子供のように背負われている。己の力量をわきまえないことは、何より愚かなことだ。私は、なんて馬鹿なんだろう。


 しかし、シアタカは何も言うことはない。


 やがて、再び一行は歩き始める。 


 黙々とシアタカは歩く。背に人を負っているとは思えない、力強い歩みだ。シアタカの荒い吐息が耳に届く。 


「すまない、エンティノ」


 シアタカは、肩越しに振り返って言った。しかし、それ以上何も言わず、再び前を向く。何に謝ったのか。怪我をしている自分を歩かせたことか。容赦なく自分の足を斬ったことか。ウル・ヤークスを裏切ったことか。それとも……。


「謝るな、ばかやろう……」


 囁くように罵る。 


 シアタカは、答えない。


 誰よりも、シアタカには謝って欲しくない。


 自分の運命に酔えるほど、悲劇に見舞われているわけでもない。敵だと思っていた者達に客人として迎えられて、異郷の地を歩いている。傍から見れば、滑稽な境遇に見えるだろう。


 自分を迎えてくれたアシャンの無邪気な善意を拒むほど、彼女を憎むことはできない。アシャンに対しては、敗北感すらあった。


 誰かを憎みたいのに、憎むような相手はいない。


 目に涙が滲む。


 エンティノは、シアタカの背中に顔を伏せた。

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