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砂塵の王  作者: 秋山 和
諸人は宴に集う
72/220

5

 白い大地の上を、南へ進軍する恐鳥と駱駝の列。しかし、その数は多くない。駆けるのは、およそ百騎。


 鞍上で揺られるのは、紅旗衣の騎士たちと、カッラハ族を中心とした遊牧民の軽騎兵たちだ。各々の鞍には食料や水のつまった荷が詰まれており、輜重部隊を伴わない斥侯部隊であることが分かる。


 恐鳥と駱駝は駆け足といった速度で足並みを揃えながら、砂原を蹴って走る。恐鳥はその蹴爪を忙しく踏み出し、駱駝は大きな体格を活かして大股に駆けている。共に、乾き切ったこの地でも素晴らしい持久力を誇る生き物たちだが、優劣でいうと駱駝が勝っているといえるだろう。しかし、今のところ、デソエを出て二日。騎乗している鳥と駱駝の速度は落ちることはなかった。


 甲高い音が鳴り響く。 


 先頭を駆ける騎士が顔を上げた。その視線の先には、こちらに飛んでくる翼人の姿がある。真紅の旗を腰からなびかせており、遠目にもよく確認することができた。ここからは見えないが、口元には笛があるはずだ。今の甲高い音は、翼人空兵が笛を吹いて合図として発した音だった。


 騎士は、部隊の者たちに見えるように、高く右手を上げた。そして、ゆっくりと自らの肩まで下ろす。速度を落とすという指示だ。その指示に従って、斥侯部隊の行軍速度は落ちていき、やがて並足の速度となった。 


 翼人空兵は、斥侯部隊の上空までくると、ゆっくりと高度を下げる。そして、先頭の騎士が駆る恐鳥に速度を合わせて、漂うように左右に揺れながら、大きく羽ばたいてゆっくりと飛ぶ。


「飛びながらの報告、失礼いたします、ファーダウーン殿!」


 翼人の大声に、騎士、ファーダウーンも大きな声で応じた。


「許す! 報告せよ!」

「南より騎兵が接近しつつあります。カラデア軍です。その数およそ二百。また、南西よりも騎兵が接近しています。こちらはおそらく百騎ほどかと」

「挟み撃ちにするつもりか……。鱗の民の姿は見えるか?」

「見えません。駆竜騎兵の姿もありません」

「そうか」 


 ファーダウーンはこれをどう判断するべきか迷った。先日の戦いでは、砂に潜む鱗の民に手痛い不意打ちを受けている。今回も、同様の待ち伏せがある可能性があった。しかし、すぐに鱗の民はいないだろうと結論する。デソエから出発した斥候部隊に即応したとすれば、速さで劣る駆竜騎兵は置いてきただろうと考えたからだ。


「ルェキア族はいるか?」

「はい。どちらの部隊にもルェキア騎兵の姿、多数。おそらく、兵の半数近いと思われます」

「援軍が合流したのか」


 大きな勝利を得た最初の会戦では、カラデア軍にルェキア騎兵の姿はほとんど見ることが出来なかったはずだ。しかし、その敗北の後、ウル・ヤークス軍を襲撃する残党兵の中に、多数のルェキア騎兵が見られるようになった。


 ルェキア族は沙海の交易路を支配している民だ。沙海を行き来してはいるが、どこにでも暮らしているわけではない。沙海は、文字通り水の無い海であり、島々にあたる湧水地でしか人は暮らせない。そして、交易に従事していないルェキア族のほとんどは、僅かな緑地がある、北の大山脈の麓で遊牧を営んでいる。兵力として集めるためには、沙海の只中をうろついているルェキア族を兵として呼び集める、というわけにはいかないのだ。これは、乾燥した土地でもある程度は遊牧の民が点在して暮らしているウル・ヤークス王国とは、全く事情が異なる。まとまった数の兵が合流しているということは、明確な援軍の意志をもってルェキア族が集結しているということだ。


「奴らは戦闘態勢に入っているな?」

「はい。弓の弦を張っています。すでにこちらの行軍を知っていると思われます」

「やはり、奴らに足音を聞きつけられたか」


 カラデア軍は、沙海の上の音を聞くという。どれだけ離れた場所の音を聞くのか。その範囲は未だに不明だが、すぐに兵を繰り出してくることから、かなり遠い距離まで音を聞くことができると推測できる。デソエ周辺は、翼人が何度も偵察のために飛び、かなりの範囲でカラデア兵が潜んでいる痕跡を発見できなかった。そのため、カラデア軍の残党はデソエよりある程度離れた場所に潜んでいると考えられた。翼人空兵の目が未だ及んでいない遠くから、音を聞きつけて兵を繰り出す。ヴァウラ将軍の言ったように、彼らは随分と良い耳を持っている。


 カラデア軍が潜んでいる場所として、疑わしいのはデソエ南や西の遠方に点在する複雑な岩塊群だった。この沙海で潜み、生き延びるためには日陰と水が必要だ。さもなければあっという間に干上がってしまう。これらの岩塊群は、隠れ家としてはうってつけだろう。どこかに水が湧く泉も隠れているに違いない。


 最近の度重なる翼人空兵の偵察に、カラデア軍も気付いているだろう。そして、今、斥候部隊を出したということは、自分たちの隠れ家を探し出そうとしている。そう受け取ったはずだ。


「ご苦労。少し休むか?」


 ファーダウーンは翼人の体調を気遣って聞く。ここまでの行軍では、翼人空兵は駱駝の背に相乗りさせて休息をとらせているが、今日は朝からかなりの時間空にいる。陽射しと乾きによって随分と消耗しているはずだが、翼人空兵は頭を振ると力強く答えた。


「いえ、まだ飛べます!」

「無理はするなよ。俺達が全滅した時、骸を探しに来た者を案内する導き手がいなくなるからな」


 冗談めかしもせずに、真顔で不吉なことを言うファーダウーンに、翼人は戸惑った様子だった。冗談なのか、本気なのか、判断しかねているのだろう。


「自分は、一族の者にこの戦の勝利のいさおしを歌い聞かせなければなりません。それまでは飛び続けます」

「良いな。俺にも聞かせてくれ」


 ファーダウーンの言葉に、翼人は真剣な表情で深く頷いた。


「是非とも。ならばこそ、私はこの部隊の導き手として、責を果たします!」


 真面目な奴だ。ファーダウーンは苦笑する。フィ・ルサ族は信仰篤く、生真面目な者が多い。この男もその例に漏れないようだ。いずれにしても、現状では翼人空兵は貴重な戦力だ。無駄に酷使して消耗してしまっては意味がない。


「分かった。無理をすることなく、引き続き、物見にあたれ。敵が近付けば合図せよ!」

「はっ!」


 翼人空兵は胸を軽く叩くと、大きく羽ばたいた。遠方までの広い範囲を見渡すために、はるか高空までみるみると上昇していく。


「喰らい付いてきてくれたな。水と糧食を浪費して遠乗りしただけだったならば、目も当てられん」


 副隊長を務める騎士が、横に恐鳥を並べると言った。空へと舞い上がる空兵を見上げていたファーダウーンは、副隊長に顔を向けると、頷く。


「ああ、俺たちは囮だ。だが、囮も相手が食いついてこなければ、一人芝居をしているだけの間抜けにしかならないからな」

「この戦、俺たちはこんな役回りばかりだな」


 自嘲気味に笑う副隊長に、ファーダウーンは口の端を歪めて見せる。


「だが、俺たちでなければ出来ない任務だ。紅旗衣の騎士は、常に切っ先の前にいる。そうだろう?」

「ああ、その通りだ。俺たちは、常に誰よりも前に戦場にいる。俺たちの流す血は、ギェナ・ヴァン・ワの道標となる」


 ファーダウーンの言葉に、副隊長は大きく頷いた。


 彼は振り返ると、部下たちを見やる。その目には光があり、疲れは見えない。右手を上げると、前方へ振り下ろす。


 斥侯部隊は再び走り始めた。  


 鞍上で揺られながら、ファーダウーンは一人の男について思いを馳せていた。


 それは、シアタカという男だ。


 もしシアタカが紅旗衣の騎士として軍に残っていたならば、名誉挽回の機会として、この任務は彼に与えられただろう。しかし、シアタカはもう軍にはいない。


 シアタカが裏切った。それを聞いたとき、ファーダウーンはすぐには信じることができなかった。シアタカという男は、まさに紅旗衣の騎士という概念を体現しているような男だったからだ。


 しかし、シアタカは、蟻使いの娘を連れてデソエを脱出した。あの蟻使いは、蟻と同様に人を支配するような何らかの呪術を操るのだろうか。デソエを逃れたシアタカは、カラデア軍と合流したらしい。つまり、あらかじめカラデア軍と通じていた可能性もある。カラデアで過ごした中で、奴らと通じるようになったのか。あるいは、カラデア人の僧侶にそういった術を操る者がいるのかもしれない。カラデア人は砂漠の上の音を捉え、聞くことができるのだという。まじないの心得があるファーダウーンは、その力がどれだけ途方もないことなのか分かっていた。魔術やまじないは、世界に干渉して理を変える技だ。より大きく、より広く世界を変えようとするならば、それだけ大きな力が必要となる。カラデア人の僧侶は、大きな力を持っていることは間違いないだろう。


 そして、エンティノとハサラトがシアタカを追跡するために旅立っていった。送り出したにも関わらず、ヴァウラ将軍はエンティノ達は戻らないかもしれないと、団長であるマウダウやファーダウーンに言った。ヴァウラ将軍は彼らを死地においやったのか? しかし、聖導教団の魔術師を同行させてまで、そんな無益なことをするだろうか。死出の旅路と分かっていながら、ワセトが部下を派遣するわけがない。


 シアタカと、彼をめぐる事には理解できないことが多すぎる。


 ファーダウーンは小さく頭を振る。これ以上、自分が考える必要はない。彼は、自分が凡人であることを自覚している。そんな自分が無駄な憶測を重ねても真実に辿り着くことはないだろう。一人の騎士として、今はただ命令に従い、己の本分を全うするのみだ。


 向かう先の空で、まるで宙に花が咲くように黒い煙が広がった。そして、その黒色は風に吹かれて徐々に薄れていく。


 しばらくして、再び黒い煙が空中に広がり、そして消えた。


 それは、翼人空兵による敵が接近していることを告げる合図だ。二回続いたのは、見逃さないようにという用心のためだった。


「ファーダウーン殿、合図です!」


 部下の騎士が声を上げる。その声に頷いて、ファーダウーンは振り返った。


「皆、敵が近いぞ!!」


 叫ぶと、長剣を高く掲げる。鋭い陽光を反射して、紅刃が燃え上がるように輝く。


「奴らは我らを食い散らかすつもりでいる。だが、我らを呑み込み、腹を食い破られるのは奴らのほうだ! 逃げ隠れするばかりの臆病者に、我等の武勇を見せ付けるときだぞ! 奴らのはらわたを食い破り、血の海に沈めてやれ!!」


 その叫びに、兵たちは雄叫びで応じた。猛る紅旗衣の騎士たちの顔に、紋様が浮かび上がる。ファーダウーンも、己の調律の力を顕現させた。満ちる力に身震いする。


 砂塵を巻き上げながら、斥候部隊は駆ける。


 この辺りまで来ると、砂丘とともに、ガノン、砂漠の島である巨大な岩塊が増えてくる。砂原の中に、黒や褐色の巨岩が幾つも見え始めた。


 敵に戦場を選ばせてしまった。


 周囲を見渡し、舌打ちする。敵は自分たちに地の利があるここで迎え撃つために必死で駆けて来たに違いない。あるいはこの近くにカラデア軍が隠れる避難所があるのかもしれない。いずれにしても、砂原の只中でありながら身を隠すことができる巨岩が林立するこの場所では、土地勘があるものが圧倒的に有利だ。


 だからこそ、“天空の目”が自分たちの命綱になる。ファーダウーンは小さく視線を上げた。すでに、宙に浮かぶ点のようだった翼人空兵の姿は大きくなっている。斥候部隊を待っているのだ。あの下に、敵軍がいるに違いない。 


「弓を取れ!!」


 ファーダウーンの号令は、連呼されて部隊全体に伝わる。


 騎士や軽騎兵たちは、鞍に収めた弓を手にした。


 自分も弓を手にしながら、視線を遠くへと向ける。砂丘の向こう側に、立ち上る煙のように砂塵が見えた。


 カラデア軍の残党は、臆病者ではない。ファーダウーンはそれを理解している。この過酷な沙海の只中で、手痛い敗北を受けたにも関わらず、踏み止まって戦い続けている。粘り強く冷静に、戦う時と場所を選んでいる。そんな相手を、見くびり侮ることなどできないだろう。


「さあ、意地の張り合いだ」


 ファーダウーンは呟く。


「命を質草にして、度胸比べといこうじゃないか」


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