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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
66/220

17

 その世界は、青白い光に照らされていた。大地も天空もはっきりとしない、そんな光の中にシアタカは立っている。


 目の前には、ウルス人の若い女性が立っていた。その碧い瞳の女性は、口を開くことなく、ただそこに佇みシアタカを見つめている。女性がいつからそこに立っていたのか分からない。いや、自分自身もいつからここにいるのか、分からなかった。


「あなたは誰だ?」


 シアタカは自分を見つめるその女に問いかけた。


 女は答えない。シアタカは、そこで気付いた。女は、自分を見ているようでいて、見ていない。その碧眼は自分の背後、はるか遠くを見ているようだった。


「私はあなたの顔が見えない。私はあなたの声が聞こえない。私はあなたに触れることはできない。だけど、あなたの魂を感じている」


 女はおもむろに口を開いた。その声は、なぜかシアタカを落ち着かせるものだった。


「あなたは死と破壊の象徴。これからも多くの者に死をもたらすでしょう。死はすべての終わり。だけど、新しい始まりでもある」

「俺が死の象徴? どういう意味だ?」


 あまりにも不吉なその言葉に、シアタカは思わず問うが、女は答えない。ゆっくりと、言葉を続ける。


「あなたの中に、古きものの力が見える。あなたは古きものとえにしを結び、その力を得た。今のあなたは、古きものの一部でもある。それは、かつてないこと。あなたは新しい道。吹き込む風。澱む瘴気を打ち払う大いなる翼。全てを破壊し、死の静寂をもたらし、そして、無人の野に種をまく」


 気付けば、二人の周囲はどこまでも続く白い砂原になっていた。しかし、沙海の日差しも、吹き付ける風も、一切感じることはない。


「あなたが歩き、切り開いた道の先で、私は待っている」


 女は微笑んだ。右手を上げると、掌を見せる。


「あなたに会える日を楽しみにしているわ」


 女の顔にひびが入った。大きな欠片、小さな欠片が次々と剥がれ落ちる。広げた手がその指先から細かく砕けながら落ちていく。そして、女の体はゆっくりと崩れ去り、白い砂の山となった。シアタカは己の体を見下ろす。その足下は、砂原と一体となっていた。




 

 大きく喘いで、シアタカは目を見開いた。


 周囲は薄暗い。屋根があり、日差しを遮っているようだ。周囲を人々に囲まれていることに気付いて視線をめぐらせる。


「シアタカ!」


 見覚えのある少女の顔が覗き込む。


「アシャン……」


 シアタカは上体を起こす。気だるさが動きを鈍らせているが、それに抗った。頭の中が痺れたようで、すぐに言葉が続かない。


「俺は……」


 どうやら自分は天幕の下にいるらしい。周囲には、自分を見守る人々。アシャン。ウァンデ。カナムーン。そして、エンティノ、ハサラト、ウィト、ラゴがいる。さらに、見慣れないウルス人の女もいた。


「倒れて眠ってしまったんだよ。覚えてない?」


 アシャンが心配そうな表情で覗き込む。激しい疲れとともに、倒れてしまったことを思い出した。どれだけ眠っていたのか。夢の世界に馴染んでしまっていた頭が、ようやく動き始めている。そして、その夢の世界がどんな世界だったのか、すでに忘却の彼方だ。とても大切な人と会っていたような、そんなおぼろげな記憶の残滓が、感情を微かに刺激する。


「……ああ、迷惑をかけたな」

「お前は眠っていただけだからな。大変だったのは運ぶ時くらいだ」


 ウァンデが傍らで笑う。


「シアタカ、体は大丈夫?」


 アシャンの問いに、シアタカは小さく頷いた。


「ああ。少し疲れはあるけど、大丈夫だ」

「良かった」


 アシャンは笑みを浮かべる。そして、ハサラトやエンティノたちを見た後、上目遣いでシアタカを見た。  


「シアタカ。この人たちは、キセの客人になったんだ。だから……、仲良くしてあげてね」


 こちらを窺うような表情に、シアタカは微笑む。自分が意識を失っている間に、どうやったのかは分からないが、アシャンはエンティノたちを説得してくれたのだろう。キセの客人。沙海の只中で彼らに受け入れられた時、自分がこうなることなど予想できなかった。そして、今は友を客人として迎えている。


「ありがとう、アシャン」 


 シアタカは静かに頭を下げる。アシャンは慌てたように手を振った。


「お礼なんか言う必要ないよ。皆、良い人たちだから、争いたくなかったんだ」

「そうか……。良い人たちか……」


 シアタカは小さく溜息をつくと俯いた。かつての仲間たちが生きていることに安堵している自分がいる。エンティノとハサラト。二人とは十年以上の時を共に過ごしてきた。厳しい訓練の日々、血生臭い灼熱の戦場、そしてサラハラーンでの憩いのひと時。シアタカにとって、二人は今でも友だ。殺さずに済むならば、殺したくはなかった。紅旗衣の騎士として鍛え上げられたシアタカは、それが最善の道ならば、躊躇いを捨てて全てを切り伏せることができる。しかし、それは己の感情を切り伏せることでもあることを、今は理解していた。


 戦いの記憶はおぼろげなものでしかない。あの時自分を支配していたのは、激しく渦巻き溢れ出す、それでいて奇妙なほどに冷めた殺意と闘争心だった。目の前の者が誰であろうと関係ない。それは、ただ、殺すべき敵だった。たとえアシャンだったとしても、自分に向かってきたのならば、躊躇いもなく殺しただろう。そうだ。あの時、俺はエンティノを殺そうとした。何の感情もなく、ただ草を刈るように。


 ただ殺すだけの、一振りの刀。それが自分だ。今更ながらに、自分に失望し、恐怖を覚える。激闘の中に身を置き、我を忘れることなど、これまではなかった。やはり、自分はおかしくなっている。いや、これこそが自分の本質なのかもしれない。 


「まあ、そういう訳だ。俺たちは、お嬢さんに命を拾ってもらったってことだな」

「ハサラト」 


 ハサラトは、シアタカの肩に手を置く。シアタカは、顔を上げると、そのおどけた表情を見た。


「また前みたいに仲良くやろうぜ、シアタカ。なあ?」


 ハサラトは、仲間たちを振り返る。ラゴは激しく頷いたが、エンティノとウィトの表情は強張っている。


「騎士シアタカ」


 ウィトが深々と一礼した。


「俺はもう騎士じゃないって言っただろう?」


 シアタカは答えるが、顔を上げたウィトはシアタカを見つめて頭を振る。


「いえ、私のあるじはいつまでも騎士シアタカです。私は、騎士シアタカにお仕えします」

「……分かった。好きにしろ」


 シアタカは小さく頷くと、ウィトに鋭い視線を向けた。 


「ただし、俺についてくるのなら、キシュガナンに敬意を払うんだ。いいな?」

「はい。申し訳ありませんでした」

「俺に謝るな、ウィト。お前はアシャンに刃を向けた。アシャンに謝るんだ」


 シアタカの叱責に、ウィトは顔を歪めた。そして、ぎこちない動きでアシャンに向き直る。


「アシャン。あなたを害そうとしたことを謝罪する。どうか、許して欲しい」

「大丈夫。もう終わったことだから」


 アシャンは頷いた。


「私は謝らない」


 エンティノは、アシャンの答えを切り捨てるように言う。横から突然発せられた鋭い言葉に、アシャンの顔は強張った。


「私は紅旗衣の騎士だ。私は軍の命を果たそうとした。それを恥じることはない」

「シアタカはお前に謝れなんて言ってないだろ。エンティノ、意地を張るのはよせよ」


 ハサラトが顔をしかめる。エンティノはハサラトを睨み付けた。


「意地なんて張ってない!! あんたこそ、紅旗衣の騎士の誇りを忘れたの? シアタカは裏切り者なのよ。それを、仲良くやろうなんて……」

「俺だって紅旗衣の騎士であることは忘れちゃいないさ。だけどな、俺たちは負けて、助命された。そして、客人として迎えられた。だとしたら、この立場を楽しむしかないだろう? アシャンの言葉を借りれば、もう終わったことだぜ。キシュガナンの客人としてのんびりしようや」


 ウァンデが大きく溜息をつくと、口を開いた。 


「別に、愛想笑いをしてくれなくても構わん。俺たちは客人をただもてなすだけだ。何かを強いることはない。ただし、キセの慣習には従ってもらう。礼を知らない者を客人と見なすことはできないからな」

「分かってるさ、ウァンデ。エンティノはちょっと機嫌が悪いんだ。許してやってくれよ」


 ハサラトは、ウァンデに肩をすくめて見せる。それを見たエンティノは苛立ちから眉間に皺を寄せると、頭を掻く。

 

「ああ、もう、どいつもこいつも……。サリカは……、あんたが、一番この現状を楽しんでるわね」


 シアタカは、エンティノが顔を向けた女性を見た。 


「サリカ? ああ、あなたはサリカというのか」


 シアタカに声をかけられた女は、笑顔で頷く。


「サリカといいます。よろしくお願いします」

「あなたは聖導教団の魔術師なのか?」

「そうです。ヴァウラ将軍に命ぜられて、エンティノたちに同行しました」

「アシャンを捕らえに、か?」

「そうです。それも、失敗してしまいましたが」 

「その割には明るいんだな」


 サリカは、屈託のない笑顔でシアタカを見つめる。そこには、任務に失敗した悲壮感は微塵も感じることはできない。聖導教団の魔術師がこんなにも楽観的なのは意外だった。シアタカの言葉に、サリカは弾む声で答える。 


「それはもう。キセの客人として迎えてもらいましたからね。キシュガナンの地まで同行させてもらって、キシュについて学びたいと思っています」

「俺たちは任務に失敗した。このまま手ぶらで帰るわけにはいかないだろ。せめて、土産話でも持ち帰らないとな」


 ハサラトが苦笑しながら口を挟む。


「だからキシュガナンの地へ行くって言うのか。いいのか、アシャン。敵を自分たちの土地に案内することになるぞ」


 シアタカはアシャンに顔を向けた。アシャンは力強く頷く。


「仕方ないよ。客人をここに放り出して行くわけにもいかないもの。それに、見て、知って、理解してもらおう。キシュガナンとキシュが対等であることを。サリカも、理解してくれたでしょう?」

「ええ。学び、理解すること。それはとても大切なことです。真実を知ることで、無知によって招かれる災いを避けることができます」

「ご立派な物言いだけど、結局、好奇心を満たしたいだけなんでしょう? 付き合わされる身にもなってよ」

「分かりますか? 知りたいという欲求に勝てないんですよ。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いしますね」


 険しい表情のエンティノに、サリカは笑顔を向けた。


「エンティノも、一緒に来るのか?」


 シアタカは、思わず問う。エンティノの厳しい態度から考えて、ここでウル・ヤークス軍に戻るつもりだと思っていたからだ。エンティノは苛立たしげに答えた。


「当たり前じゃない。サリカが付いて行くつもりなんだから、ここで放り出されても帰れるわけないでしょ」

「どうしてサリカがいないと帰れないんだ?」

「ここまで呪毯で来たからよ」

「呪毯……。もしかして、今座っているこれは、呪毯なのか?」

「はい、そうです」


 地面に視線を落としたシアタカに、サリカが頷く。


「こんな大きな呪毯があったのか」

「聖導教団の秘蔵の品です」

「なるほど、皆が俺たちに追いつけたわけだ……」 


 紅旗衣の騎士でいた時ならば、貴重な物を見ることができたと喜んだだろうが、今の立場なら、警戒心が先立つ。こんな物を使うことを許可するということから、ヴァウラ将軍がいかにキシュガナンの存在を重要視しているか察せられた。


「まあ、そういう訳だ。ぶつぶつ煩いだろうが、エンティノにも構ってやってくれよな」


 ハサラトがエンティノの肩を強く叩く。エンティノは舌打ちするとシアタカを見つめる。


「愛想笑いをするつもりはない。だけど、ついて行くと決めた以上、あんた達の邪魔はしないわ」


 自分を見つめるその表情は、シアタカのよく知るエンティノのものだった。それがなぜか嬉しくて、シアタカが微笑む。


「ああ、そうだな。よろしく頼むよ」


 エンティノは、頷くと、顔をそらす。


「それに、あのにお願いされたしね……」

「お願い? 何を?」


 エンティノの呟きにも似た言葉に、シアタカは聞き返した。


「あああ、エンティノ!! 言っちゃだめ!!」


 アシャンが慌てた様子で大きな声を上げる。そして、一同の顔を見回した。


「み、皆も言っちゃだめだよ!!」

「どうして俺だけには教えてくれないんだ?」


 シアタカは首を傾げた。自分に何か隠すことがあるというのだろうか。しかし、それも悪意からきているようには思えない。


 アシャンは気まずそうに俯く。


「それは、その、いつか分かる時が来るから……。その時に、シアタカには教えるよ」


 そう言って顔を上げたアシャンは真剣な表情だった。


「そうか……。その時が楽しみだな」


 それがどれだけ先の事なのか分からないが、この少女の考える未来について思いを馳せるのも悪くない。


 シアタカは笑みとともに頷いた。


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