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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
65/220

16

「はじめまして、アシャン……でしたね? 私はサリカといいます」


 歩み寄ってきた魔術師の女は、にこやかに言うと一礼した。


「アシャン。キセの塚のラハシ、アシャン。よろしく」


 名乗ったアシャンは、サリカをじっと見つめた。そして驚く。彼女から心の動きを感じることができないからだ。正確に言えば、微かに感情らしきものを感じる。しかし、それははっきりとしないものだ。何か壁のようなものがあって、その向こうから、洩れて観えるような、そんな感覚だった。この人は自分の心を隠すことができる。アシャンは直感的に理解した。


 サリカはそんなアシャンの驚きを知ってか知らずか、笑みを絶やさないまま言う。


「アシャン、差し支えなければ、あなたのお兄さんと、キシュの怪我を診せてもらえませんか?」


 サリカは、傍らのキシュを一瞥した。キシュは無貌の兵との戦いによって、その甲殻に浅からぬ傷を負っている。


「怪我を治せるの?」

「はい。私は癒しの術を使えます。ただし、キシュに私の術が通じるのかどうかは分かりませんが」

「ええと……、兄さん、どうする?」


 返答に窮したアシャンは、ウァンデを顧みる。


「アシャン、お前にはどう観える? こいつは信用できると思うか?」


 ウァンデは耳元に顔を寄せると、キシュガナン語で囁いた。


 氏族間の争いが絶えないキシュガナンでは、敵味方の入れ替わりが目まぐるしい。そのために血族の仇敵でもないかぎり、戦士も相手の立場を気にしないものだが、相手を信用するかどうかはまた別の話だ。ましてや、癒しの術を受けるということは、命を預けるに等しい。つい先刻まで妖魔を使役していた魔術師に警戒心を抱くことも当然のことだろう。


「正直言って……、分からない。この人がどんな人なのか、観えないんだ」


 アシャンも、小声で答える。


「この女も魔物の類ということか?」

「ううん、違う。人ではあるんだけど、この人は何かの力で自分を隠してる。だから、私にはこの人が分からない」

「さすが呪い師だな。油断ならない女であることは間違いないか……」


 ウァンデはサリカを一瞥した。その左腕に巻かれた布は、真っ赤に染まっている。アシャンの視線は自然とそちらに向く。シアタカが処置をしたものの、このままで良い訳がない。


「サリカ」


 カナムーンが、魔術師の名を呼びながら歩み寄った。


「おお……、鱗の民……。こんな間近で見ることができるなんて……」


 サリカは、目を大きく見開いてカナムーンを見つめる。その視線は、カナムーンの顔、胴、腕、足、そして尾と、めまぐるしく動いた。


「私は見世物か何かかね?」


 カナムーンが擦過音とともに言う。サリカは照れたように笑うと右手を振った。


「ああ、失礼しました。鱗の民と話をすることは初めてなので、つい……。あなたは……」

「私の名はカナムーン」

「カナムーン……。己を知る者という古ウルス語ですね。賢人イシャマムの著作を読んでいるのですか?」

「いや、その人物に関しては知らない。あなた達に分かるように名を訳しただけだ」

「そうですか。叡智の道に通じる実に良い名前です」

「ありがとう。私の名前に関してはどうでも良いことだ。それよりも、ウァンデの傷を癒すというが、あなたを信用しても良いのだね?」


 サリカは笑みとともに頷く。


「勿論です。腕は確かですよ。ただし、キシュに関しては人と違うので、確実ではありません。近くで診せてもらえるならば、試してみることはできます」

「いや、そういう意味ではない。我々が案じているのは、あなたは癒しと称しながらウァンデを害するのではないか、ということだ」


 カナムーンの答えに、サリカは意表をつかれたようだった。目を瞬かせて、カナムーンを、そしてアシャンとウァンデを見る。


「ああ……、そういう意味ですか。ここであなた達に危害を加えても、私達に何の利益もありませんよ。ウァンデが亡くなってしまったら、あなた達は許さないでしょう?」

「もしウァンデに何かあれば、私は一駆けでお前たちをみなごろしにする」


 奇妙な抑揚と声で告げるその言葉は、奇妙な迫力があった。しかし、サリカは笑みを絶やすことはない。


「そうでしょうね。ご心配なく。私は、生き残るためにもあなた方の力になります。信用してください」


 アシャンはサリカを見つめる。やはり、彼女の心の動きは分からない。しかし、分からないからといって、恐れ、いつまでも決断しないというのは愚かなことだろう。アシャンは決意ともにウァンデに顔を向けた。ウァンデは、アシャンの瞳を見て、頷く。


「サリカ、お願い。兄さんの傷を癒して」

「お任せください」 


 アシャンの言葉に、サリカは頷いた。


 サリカはウァンデの患部を観察すると、腰に下げた袋から小さな陶器の瓶を取り出した。栓を抜くと、どこか甘い匂いが漂う。


「それは?」


 アシャンは、そしてキシュは好奇心に駆られて瓶に顔を寄せた。


「霊薬です。傷の治りを助けてくれるんです」


 サリカは瓶を傾けた。口から、粘り気のある液体がゆっくりと流れ出す。それは、薄い紫色だったが、奇妙なことに微かに燐光を放っていた。


 液体はウァンデの傷にかかる。サリカは手馴れた様子で、素早く瓶を立てると栓をした。


 ウァンデは微かに眉根を寄せる。アシャンは思わず訊ねずにはいられない。


「兄さん、大丈夫? 痛くない?」


 ウァンデは小さく頭を振る。


「とても熱いが……、痛くはないな。むしろ、心地が良い」

「霊薬は、それだけでも癒しの力がありますからね。小さな傷ならこれで充分なんですよ」


 サリカが微笑む。アシャンはサリカを見やると首を傾げた。


「あなたが呼び出した魔物のせいで傷付いたのに、あなたに癒してもらうなんておかしな話ね」

「魔術師は、壊し、創る者なんです」


 言いながら、ウァンデの左肩に触れる。そして左手を傷の上にかざした。


 サリカの表情が消えた。目を閉じると、呪文を唱え始める。それは口の中で何かを呟いているような音だったが、聞きなれない奇妙な韻律が備わっていた。


 アシャンも、癒し手の技を見たことはある。何度も自分のこしらえた怪我も治してもらったものだ。しかし、サリカの技は、キセの塚の癒し手たちよりもはるかに優れたものだ。間近で見てそれが理解できた。深くえぐれた腕の傷が、見る見るふさがっていく。血の気の失せた肌に、暖かい色が戻ってきた。


「あんたは優れた癒し手でもあるんだな」


 ウァンデは、感嘆の表情とともにサリカを見た。


「荒事が仕事ですからね。必要に駆られて覚えたんです。それに、霊薬と、他に少々力を借りていますから、本当の実力ではないんですよ。あと、私は怪我が専門で、病に関しては期待しないでくださいね。お腹が痛くなっても治せませんよ?」


 サリカはそう言って片目をつむってみせる。ウァンデは苦笑すると頷いた。


 塞がった傷は桃色の肌を見せている。サリカは新たに用意した布でその傷を覆った。


「さて、これで終わりです。切れかけていた筋も繋ぎました。もう大丈夫だと思います。ただし、しばらく安静にしてくださいね。傷に衝撃を与えるとまた破れるかもしれませんし、無理をすれば筋も切れてしまいます」 

「ああ、分かった」 


 アシャンは安堵すると大きく息を吐いた。


「さて、次はキシュですか」


 サリカは、振り返るとキシュを見つめた。その顔に浮かんだ笑みは、これまでものとは質が違っているように見えた。


「サリカ、何か……、楽しそうだね?」

「分かりますか!?」

「うん、何となく」


 愕然とした表情でこちらを向いたサリカに、アシャンは頷いてみせる。


「その……、申し訳ありませんが、好奇心が抑えきれないんです。こんな大きな蟻がいるなんて、本当に興味深い」

「そんなことを言う人は初めてだよ」


 アシャンは思わず笑う。キシュに対して嫌悪や驚きの感情に慣れていたために、この反応は新鮮だった。


「この大蟻たちはあなたの命令を聞くんですよね? 近くに寄って触ることを許可してもらえますか?」

「私はキシュに命令できないよ」


 アシャンは頭を振った。サリカは、その答えに怪訝な表情を浮かべる。この人は、心を隠してはいるけれど、随分顔に出るんだな。アシャンは、そう思った。


「命令できない? だとすれば、どうやって操っているのですか?」

「操っているんじゃないんだ。キシュは自分の意思で私たちを助けてくれる。私はキシュと話ができるだけ。だから、私はキシュに提案をする。そして話し合う。それしか出来ないんだよ。あとは、キシュが決めるのを待つしかない」


 サリカはその言葉に黙り込むと、口元に手を当てて何かを考えている様子だった。その視線は、時折アシャンとキシュの間を行き来する。


「つまり、大蟻……、キシュはキシュガナンと協力関係にあり、お互いに助け合っているということですね? 人はキシュと意思を疎通することは難しいが、アシャン、あなたはキシュと意思を通じ合うことができる。確か、あなたはキセの塚のラハシと名乗りましたね? ラハシというのは、キシュと意思を通じることのできる者の呼び名。これであっていますか?」

「うん、そう。その通り!」  


 おもむろに口を開いたサリカの言葉に、アシャンは深く頷いた。自分とキシュの関係を理解してくれたことが嬉しくて、笑みを浮かべる。 


「なるほど、我々はそもそも勘違いをしていたのか……」


 サリカが呟く。


「キシュは、あなたに診てもらいたがってる。だから、一応試してみて。治らなくてもそれはそれで仕方ないよ」


 アシャンはキシュの意思を告げた。ウァンデに施された癒しの術を見たキシュは、その力に興味を示している。


「分かりました。是非」


 サリカは進み出る。


「それと、キシュは霊薬にとても興味をもってるんだ。貴重な物だと思うけど、少し、舐めさせてもらえないかな」


 アシャンの要求に、サリカは驚いたようだった。キシュをまじまじと見詰めた後、アシャンに顔を向ける。


「キシュは、好奇心旺盛なんですね」

「そうだね。多分、あなたと同じくらいには」

「分かりました。僅かですけど、良かったら」

「ありがとう、サリカ」


 二人は笑顔で頷きあった。



 興奮を隠さずにキシュに触れているサリカを横目に、アシャンはウァンデとともにシアタカの傍らに腰をおろした。すでにウィトとラゴが側で見守っており、二人を無言で出迎える。シアタカの胸は規則的に上下し、穏やかな表情で眠っていた。


「まだ起きないね」

「ああ。少し心配になるが、危険な状態には見えないな」


 アシャンはウァンデと顔を見合わせる。


「騎士シアタカは、本当に大丈夫なのか?」


 ウィトが二人を見やる。


「うん……。大丈夫だと思う」

「思う、なんて確証のない返事じゃないか」


 苛立った様子のウィトは、鋭い視線をアシャンに向けた。


「そんな事言ったって、私にも分からないもの。だけど、キシュが調べた限り、問題はなさそうなんだよ」

「そんな曖昧なことでは、信用できない」

「だったら自分で調べてよ」


 アシャンは溜息をつくと肩をすくめる。ウィトは小さく唸ると口を噤んだ。


「起こしてみるかね?」


 やって来たカナムーンが背後から言う。ウァンデは頭だけ振り返ると、答えた。 


「無理に起こすことはない。休ませてやろう。随分疲れているみたいだからな」

「疲れている……。シアタカは、どうしてそこまで疲れたのだろうか」


 カナムーンはアシャンの隣に立つとシアタカを見下ろす。その言葉に、アシャンは思わずその顔を見上げた。それはアシャンも疑問に思っていたことだからだ。


「シアタカと私は、戦場で昼夜問わず何日も戦った。あの時のシアタカはまるで疲れ知らずだった。ここまでの旅で疲労していたからといって、たった一度の戦いで倒れてしまうだろうか」

「そうなんだよ。私も、おかしいと思った」


 アシャンは頷く。


「何かがあったはずなのだ。シアタカの体力を一気に奪ってしまうような何かが」

「何か……」


 カナムーンの言葉に、アシャンはシアタカを見て、沙海を見回す。


「あの時、噴砂がアシャンの命を救った……。幸運にしてはあまりにできすぎだと思うが、どう思う」


 ウァンデがカナムーンに顔を向けた。カナムーンもウァンデを見やると、喉を膨らませた。


「あの噴砂がシアタカと関係しているというのかね」

「それは分からん。だが、俺は、安易な幸運を信じないようにしている」

「確かに、偶然にしては都合が良すぎる。しかし、シアタカはあの体に纏う紋様の力以外には魔術を使えないはずだ。そうだね?」 


 カナムーンはウィトに問う。突然問いかけられたウィトは、戸惑いながらも頷いた。


「騎士シアタカに魔術の心得はないはずだ。あの紋様も、調律といって、騎士シアタカの体に施された魔術だ。騎士シアタカ自身の力じゃない。紅旗衣の騎士には、まじない程度なら使うことのできる人もいるが、少なくとも騎士シアタカはそうじゃない」

「そうか」


 その答えに、ウァンデは頷いた。


 ウィトが短刀を振りかざした時、アシャンは死を覚悟した。しかし、全てが終わると思った瞬間、その体は宙に放り投げられていた。確かにそれはあまりに絶妙な瞬間に起きた出来事だった。あの時、シアタカは自分を守れなかったことを詫びていた。しかし、もしあの噴砂にシアタカが関係しているのなら、シアタカは誓いを破ることなく、自分を守ってくれたということになる。


 いずれにしても、あの時のシアタカ本人にも自覚がなかったことだ。真実を知ることは難しいだろう。


 サリカがこちらに歩み寄る。背後にはキシュが続いた。


「ごめんなさい、アシャン。やはり、私にはキシュを癒すことは難しそうです」

「構わないよ。これぐらいの傷なら、何とかなるもの。それに、霊薬を塗ってくれたでしょう。それが少しは効いてるみたいだ」


 キシュの伝える情報から、身体が僅かだが回復している様子が伝わってくる。サリカは、少なくとも約束したことは実行してくれる人のようだ。アシャンは安心して頷く。


「分かるんですか?」

「キシュが教えてくれたから」


 サリカは驚きの表情でアシャンとキシュを見比べる。


「ああ……、あなた達は本当に興味深い……。もう少し時間をください。キシュの傷も癒せるようになります」

「ありがとう。でも、あまり無理しないでね」


 決意に満ちたサリカの言葉に、アシャンは頷く。


「それでは、私はエンティノの傷を癒してきます」

「あの人の怪我は大丈夫?」

「いや、かなり傷は深いので、念入りに治療しないといけませんね。しばらく歩くことはできないでしょう」

「そうか。しばらく動くことはできないな。陽を避けることのできる岩陰でも探さないといけない」


 ウァンデは離れた所で座り込んでいるエンティノを一瞥した。


「いえ、大丈夫ですよ。明日にでも出発しましょう」


 サリカは、静かにそう答える。


「何を言ってる? 今、しばらく歩くことはできないと言っただろう?」

「そうですね。でも、歩く必要はありませんから」

「歩く必要はない? 駱駝でも連れているのか?」

「いえ、私は駱駝は苦手です」 


 噛み合わない会話に、ウァンデは腕組みすると顔をしかめた。


「ちょっと待て。俺のルェキア語がおかしいのか、それともお前のルェキア語がおかしいのか?」

「とても流暢だと思いますよ。それより……、そろそろ来るはず」

「来る? 何が?」

「ああ、来た。あれです」


 サリカは振り返ると、背後の砂丘を指差した。砂丘の頂を、地上に影を落としながら何か巨大な物が越えてくる。


「何だ、あれは」


 ウァンデは思わず立ち上がる。その手には大槍を握っていた。


「あ、怖がらないで。あれは、道具です。魔物などではありません」

 

 サリカが慌てた様子で右手を上げる。砂丘を越えてきたのは、家ほどの面積はある巨大な絨毯だった。しかも、それは宙に浮かんでいる。アシャンは、呆然としてこちらに向かってくる絨毯を眺めていた。


 ウィトが驚くアシャンとウァンデを見て、嘲るように口元を吊り上げた。アシャンはそれに気付いて怫然とする。


「あれは呪毯といいます。簡単に言うと、魔術を織り込んだ空を飛ぶ絨毯です」

「空を飛ぶ……、だと? あんな物で?」


 サリカの説明に、ウァンデは驚きの表情を浮かべる。


「そうです。この任務のために与えられた物なんです。あれに乗ることで、あなた達に追いつくことができたのですよ」

「なるほど。これではダカホルも気付かない」


 カナムーンが甲高い鳴き声をあげた。


「俺たちの敵は、こんな物を作るのか……」


 兄の声に、微かに怯えの色が見える。しかし、アシャンもそれを臆病だとは思わない。空を飛ぶ絨毯。そんな魔術を操るような敵に本当に勝つことができるのか。アシャンは渦巻く不安を抑えることができずに、思わず自分の肩を強く掴んだ。


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