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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
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11

 エンティノは、館の廊下を歩く。


 ヴァウラ将軍に呼び出された彼女は、今、その居室に向かっていた。


 エンティノは今のところ、シアタカを取り逃がしたことへの罰を受けていない。しかし、そのことで紅旗衣の騎士における自分の立場が微妙なものになっていることは気付いていた。ザドリとイェムタムは殺された。そして、自分は殺されなかった。


 皆、エンティノがシアタカと親しかったことを知っている。彼女がシアタカに特別な感情を抱いていたことも。 


 エンティノも裏切った、と思う者は少ないだろうが、情けをかけて殺されず、今もおめおめと生きている。そんな侮蔑にも似た視線を感じている。それは、エンティノが自分自身に抱いている負い目でもあった。


 手痛い別れの挨拶を告げられたというのに、その想いは未だに心の奥底に埋火となって燻っている。こんな未練がましい自分が嫌になる。


 居室の前に立つ衛兵が、エンティノの来訪を告げた。


「入れ」


 ヴァウラの返答に、衛兵が一礼して退いた。エンティノは自分の頬を軽く叩いて己を叱り付けると、一拍おいてから部屋に入る。


 部屋の中央に座るヴァウラは、対座を示すと座るように促した。エンティノは一礼すると腰を下ろす。 


「エンティノ、シアタカを連れ帰れ」


 しばらくの沈黙の後、ヴァウラはおもむろに口を開いた。


「連れ帰れ……、ですか?」


 自分への処分がくだされるだろうと考えていただけに、ヴァウラの意外な言葉に思わず聞き返す。


「お前には、シアタカを我が元に連れ帰ることを命ずる」

「お言葉ですが、シアタカは裏切り者です」


 エンティノは、一瞬の躊躇いの後、言う。


「シアタカは……、死をもって己の罪を償わなければならないはずです」

「そうだ。しかし、その罪とはまた別に、我らはシアタカを必要としている」

「どういう意味ですか?」


 ヴァウラの答えが理解できずに、その顔を見つめる。ヴァウラは微かに頭を振った。


「それは、お前が知る必要はない。我が命を果たせば、いずれ知る事になるだろう」


 疑問が頭の中で渦巻くが、エンティノは口を噤んで小さく頭を下げた。 


「もしシアタカが戻ったとして……、シアタカは許されるのですか?」


 エンティノはおずおずと聞く。


「それは、シアタカ次第だろうな。奴が改心し、我が命に服すのならば、罪を許されるだろう」

「なぜ、私なのですか?」

「シアタカは情に厚い男だ。だからお前を殺さなかった。シアタカにとって、お前は特別な人間だ。だからこそ、お前がシアタカを説得できる」

「シアタカは……、従わないのではないでしょうか……」


 エンティノの頬が微かに引きつる。あの時の屈辱や、嫉妬の感情が蘇った。思わずうつむくと、強く目を瞑る。


「もし従わぬならば」


 ヴァウラはエンティノに鋭い視線を向けた。その声の響きに、エンティノは顔を上げる。


「手足を奪っても構わん。引き摺ってでも連れ戻れ。それに、あの蟻使いの娘を人質にとれば、シアタカも従わざるを得まい」

「……蟻使いの娘ですか」


 エンティノの表情は歪んだ。シアタカはあの蛮族の娘といる。ヴァウラ将軍がこの状況を見逃すはずがない。


「あの娘のことも、まだ諦めていないのですね」

「そうだ。少しの遅滞は生じたが、全てを計画通りに進める。シアタカと、そして蟻使いの娘を連れてくるのだ。おそらく、奴らは西へ、蟻使いたちの故郷へ向かっているはずだ。シアタカとあの娘が、カラデアの部隊と別れたところを狙え」

「しかし、この広大な砂漠でシアタカがどこにいるのか、見当もつきません」 


 ヴァウラは頷くと、大きく手を打ち合わせた。それを合図として、部屋の外から一人の女が入室する。二十代と思しきウルス人女性で、明るい黄褐色の髪が目を引く。銀糸で彩られた黒い長衣を着ていた。


「この者の名は、サリカ。この者がお前たちを助ける」

「サリカです。聖導教団において、真の智慧の道を修めている者です」


 女は一礼する。


「聖導教団の魔術師ですか」

「そうだ」


 ヴァウラは頷く。


「この者は、お前たちの耳であり、足だ」

「それは、どういうことですか?」

「カラデア軍は、砂漠の上を歩く者の足音を聞くことができるようだ。まず、部隊を出して追跡すると気取られる恐れがある。ここは奴らの庭だ。騒がしく足音を鳴らしながら二人を追えば、みすみす罠にかかるようなものだろう」

「その噂は最近聞きました。本当だったのですね」

「ああ。カラデア人の僧職にいる者が、そういった魔術を使えるらしい。それによって、我々の動きは読まれていたようだ」

「敵の迅速な動きはこれで納得できます。しかし、そうなると、迂闊に敵を追跡できないのでは?」

「砂の上を歩かなければいい」

「歩かなければ、ですか……。私は空を飛べませんが」


 ヴァウラの無茶な要求に、エンティノは戸惑った。冗談を言っているようにも見えない。ヴァウラは頷くと、傍らの魔術師を指し示した。


「お前に翼が生えていないことは知っている。そのために、サリカがいるのだ。この者は、お前たちの足として、呪毯を操る」

「呪毯に?私も乗れるのですか?」


 エンティノは思わず聞き返す。エンティノの知る限り、呪毯には高位の魔術師たちが一人で乗っている印象しかない。低位の魔術師たちが慣れない驢馬の鞍上で辛そうに揺られている姿もよく見かける。確かに大きさから考えて、もう一人くらいは乗ることができるだろうが、そもそも他の人間を乗せるものだという発想が無かった。


「大判の呪毯です。特別製ですよ。操作もお任せください。寝台の上で寝ているように快適ですよ」


 サリカがにこやかに言うと片目を瞑ってみせる。


「あなたは戦場で敵の前に立ったことはあるのか?遠くから魔術を使うだけの任務とは訳が違うんだぞ。いざという時に泣き喚かれても助けることはできない」


 エンティノはそう言ってサリカを見やる。戦場で遠く離れた場所から魔術を使うだけの魔術師を、信用することができなかった。


「失せ物探しと少々の荒事。それが私の仕事です。紅旗衣の騎士と切りあうことはできませんが、殺し合いがどんなものかは、よく知っています。魔物や精霊に比べれば、人の恐ろしさは、あくまで既知の恐怖でしかありません」


 サリカは強がる風でもなく、笑みを浮かべたまま答えた。


「どうやってシアタカの後を追う?」

「失せ物探しの術ですよ」 


 魔術師は懐から銀の鎖に繋がれた小さな黒い石を取り出した。掌から吊るされた石は、ゆっくりと回転する。


「この石がシアタカの居場所を教えてくれます」 

「そんなまじないが信用できるのか?」


 エンティノは訝しげに石を見る。


「田舎の水探し師とは違いますよ。私の魔術は、古代より受け継がれた偉大なる知識と力の結晶です。そして、この石は真の力を秘めた石。二つが合わさることで、偉大なる力が生まれる。信用して欲しいですね」

「あなたが偉大な魔術師かどうかはともかく、その黒い石に大きな力があるようには見えないが」 

「この石は術者の魔力を大きく増してくれるのです」


 エンティノはどこかで聞いた話だと思い、少し考える。


「カラデアにあるという黒石も、同じ物なのか?」

「ご明察ですね。そうです、いわば、同類、同族というべき存在です」


 エンティノはサリカの使った言葉に違和感を覚えて眉を寄せた。彼女の言葉は、生き物に使う単語だったからだ。


「そして、失せ物探しの術は、あなたがいることでより精度が増すのです」

「どういう意味だ?」

「あなたはシアタカと深いえにしで結ばれている。えにしの見えない糸が繋がれている物や人が近くにいることで、失せ物探しの術はより確実に対象を見つけ出すことができます」

「それがお前にシアタカ追跡を命じた理由の一つだ」


 ここでヴァウラが口を開いた。


「そして、お前を助ける者たちもそのシアタカとのえにし深き者たちだ。……お前たち、入れ」


 ヴァウラが呼ばわる。


 二人が部屋に入った。ウルス人、カッラハ族。二人とも、エンティノが良く知る者たちだった。


「よお、エンティノ。俺も仲間に入れてくれよ」 


 ハサラトは笑みを浮かべて片手を上げる。その後ろに続くのはウィトだった。ウィトは緊張に顔を強張らせたまま、一礼する。


「エンティノ。お前を追跡部隊の隊長に任ずる。ウィトは、従者としてお前に仕える。部下はハサラト。それに、ここにはいないが、狗人のラゴだ」


 ヴァウラは、二人を手で示しながら言った。


「なるほど、シアタカに情けを乞おうというわけですね」


 エンティノは、己の身の情けなさに思わず笑いが漏れそうになった。ヴァウラ将軍にとって、自分達は、シアタカの情に訴えるための道具にすぎないのか。エンティノは視線を鋭くしてヴァウラを見つめる。


「シアタカを説得するには、私だけで充分です。彼らは必要ありません」


 この任務の成功率は低いだろう。死地に向かうことを覚悟しなければならない。そんな道程に、彼らを連れて行くことはできなかった。


 ヴァウラは微かに眉根を寄せると、エンティノの視線を受け止めた。


「己の腕を過信するな。お前は一度シアタカに敗れているのだぞ。それに、奴の側にはあの大蟻もいる。本来ならば一隊を派遣したいが、それでは呪毯の数も足りず、砂を踏むならば奴らに気取られてしまう。これが最低限必要な人数だ」

「私は、大変助かります。手繰り寄せる糸は、多ければ多いほどいい。これで、シアタカを追うことが確実に、そして簡単になりますよ」


 サリカが笑いながら言った。



 

 兵たちが、呪毯に荷を積み込んでいく。


 その呪毯は、サリカの言うとおり、特別製だった。こんな大きな絨毯は見たことがない。まるで、大きな小屋の床と同じ程度の面積はあるだろう。エンティノと同行者たち五人を乗せても、充分に余裕がある。日除けのための天幕を張り、沙海を渡るための荷物を積む様は、まるで軍営のようだった。今は宙に浮かぶことはなく、ただ地面に敷かれているだけだ。こんな大きな物が空を飛ぶのか、エンティノにはまだ信じられなかった。


「もっと丁寧に積んでくださいよ、貴重な呪毯なんだから」


 放り込むようにして荷物を積んでいる兵士に、サリカが慌てて言う。


 エンティノは腕組みしながらその様子を見ている。結局、ハサラトたちの同行を承知するしかなかった。そのことで悔しさはあるが、その一方で安堵している自分がいることに苛立っている。正体の知れない魔術師だけが道連れであるよりも、旧知の仲間がいることで安心できることは確かだ。しかし、それは仲間を死地へ誘うことになるかもしれない。そうなってしまえば、後悔だけではすまないだろう。 


 サリカは、兵たちへ指示を終えると、エンティノの傍らに立った。彼女に顔を向けると笑みを見せる。


「ああ、わくわくしますね」

「わくわくだって?物見遊山の旅じゃないのよ」


 エンティノは思わず声を高くした。


「仕方ありませんよ。神秘の民、蟻使いを追って、誰も行ったことのない沙海の奥地へ向かう。こんな心躍る任務がありますか?聖導教団では私が初めて、足を踏み入れることになるんですよ。あ、呪毯に乗っていくから足を踏み入れるのは正確ではありませんね」

「何言ってるんだか……」


 エンティノは、サリカの能天気な言葉に、溜息をつく。この女は本当に信用できるのか。エンティノは心細くなってきた。 


「大した度胸だな、お嬢さん。気に入った」


 ハサラトが笑う。エンティノは眉根を寄せると、目を細めてハサラトを見やった。そういえば、この男も厄介な性質たちだったことを忘れていた。自分は隊長として彼らを束ねていかなければならない。エンティノはこの任務における別の面での困難さを思って、もう一度溜息をついた。


「こんな何の名誉にもならない任務に、よく付き合ってくれるわね」


 エンティノはハサラトに言う。ハサラトは、笑みを浮かべたまま肩をすくめて見せた。


「お前も、それにシアタカも放っておけないだろ?特にお前は、一人だったら戻れないところまで踏み込んでしまうからな」

「ハサラト……」


 エンティノは目を瞬かせてハサラトを見つめた。


「何の名誉にならないなんてとんでもない。これは王国の運命を変える任務ですよ」


 サリカは口を挟んだ。その言葉には強い力が込められている。


「王国の運命?」


 シアタカと蟻使いの娘を連れ戻す任務に、ひどく大袈裟なことを言うものだ。エンティノとハサラトの怪訝な表情を見て、サリカは頷いた。


「任務を達成した際には、ヴァウラ将軍からご説明があるでしょう。あなた方にも、大きな名誉がもたらされるはずです」

「それは、どういう意味?」


 エンティノの問いに、サリカは頭を振る。


「今はお話しすることはできません。しかし、この任務はあなた方が思っている以上に、重大なものなのです。まさしく“導く者ウァナギム”の旅のごとく、と言って良いでしょうね」


 サリカが例えたのは、ウル・ヤークス建国に活躍した聖人の故事だった。本当に、大袈裟なことを言う女だ。エンティノは呆れて何も言えない。


 ウィトが、ラゴを連れてこちらに歩いてくる。それを一瞥したサリカは笑みとともに大きく頷く。


「聖人アガロホスもいますからね。聖なる探求の旅に相応しい面子が揃いました」


 狗人の聖人の名まであげるのだから恐れ入る。サリカは、この任務を聖典の物語と重ね合わせているのだろうか。


「それでは、私はワセト様に挨拶をしてきます。しばらくお待ちくださいね」


 サリカはそう言うと、一礼した。


「俺も、考えてたんだよ」


 ハサラトが歩き去るサリカを横目に口を開く。


「何?」

「お前が言ってただろ?シアタカはただそこにいる、自分に価値があるなんて思っていないって」

「ああ……そのことか。……うん、そうね」

「思い出してみれば、あいつは何かをしたいって、強く言ったことがなかったんだよな。俺たちのやらかすことに、いつも笑いながら付き合ってくれていた」


 エンティノは無言で頷く。


「あいつが、自分から強く望んで何かをしたのは、蟻使いの娘を助けたことが初めてなんじゃないか?」

「そう……だね」


 認めてしまうことは悔しかったが、確かにハサラトの言う通りだった。


「ここだけの話だが、シアタカを応援してやってもいいんじゃないかって、そう思わないでもないんだよな」


 ハサラトは、声を落として言葉を続けた。エンティノはその顔を睨み付ける。


「あんた、自分が何言ってるのか分かってるの?」

「ああ、分かってる。分かってるよ。だから、ここだけの話だと言ってる」


 ハサラトは小さく溜息をつくと、両手を挙げて見せた。


「俺も紅旗衣の騎士だ。本来の任務を忘れるなんてことはしない。それに、何より、お前は許せないんだろう?」


 エンティノは、顔を歪めるとうつむく。


「許せない。シアタカを許せないんだ……」


 呟くように答える。そして、そんな自分を許せない。エンティノは己の心を口にすることが出来なかった。


 荷物を背負ったウィトとラゴが、エンティノの前に立った。


「騎士エンティノ!支度は終わりました。私も、ラゴもいつでも出発できます!」


 ウィトが大きな声で言う。エンティノはウィトに顔を向けると、口を開いた。 


「ご苦労様。荷物は呪毯の上に置いて」

「はい!」

「ウィト、張り切ってるわね」


 エンティノの言葉に、ウィトは強く頷く。


「騎士シアタカを救う任務に同行できるのです。とても光栄なことです。命に代えてもこの任務を果たします!」


 エンティノは、その真っ直ぐな言葉に微かに苛立ちを覚えた。思わず、ウィトに対して問いを発する。


「シアタカを救う……。シアタカを連れ戻すことができると思う?」  

「騎士シアタカはあの女に騙されているだけなんです。お二人が説得すれば、きっと騎士シアタカも目が覚めるはずです」


 熱に浮かされたような目のウィトは、自分の言葉を信じきっている。


 しかし、あの時、シアタカと相対したエンティノは、自分を信じることは出来なかった。




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