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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
58/220

9

 女たちは、並べられた大皿を囲んで談笑している。


 絨毯の上に置かれた幾つもの大皿には、羊肉や鶏肉を使った肉料理や鯉や川魚を使った魚料理、香辛料をきかせた焼飯、薄い麺包パン乾酪チーズなどが、あふれんばかりに盛り付けられている。酒は用意されておらず、飲み物は香茶だけだ。これは儀式の性質から言って当然のことだった。


 シアート人の女性は、容貌で言えばウルス人と違いはない。しかし、装束の違いから、はっきりと見分けがつく。


 彼女たちは長く伸ばした髪を何本にも分けて束ねて、複雑に結っている。黒髪でありながら、まるで織物のように表情豊かだった。ゆったりとした衣服はウルス人のものよりも凝った意匠で色鮮やかだ。色とりどりの硝子玉や小さな貝、そして真珠を連ねた首飾りが、その胸元をきらびやかに飾っている。上流階級の女性たちなのだろう。贅を凝らした、とても華やかな装いだった。


 ユハとシェリウは、部屋の隅に座り、その様子を眺めている。


 幸い、エルムルアの儀は無事に終わった。その作法もユハの記憶にあるものと大差はなく、戸惑うこともなく対応することができた。その後は、男女で分かれて食事をおこなうことになったのだった。男たちは、隣の部屋で同じように食事を囲んでいるはずだ。ヤガンもそこに加わっているだろう。


 聖職者を別とすれば、ウルス人はこんな時に男女はともに会食する。対するシアート人は、その点で厳しい戒律を旨としているようだ。


「お腹すいたね」


 ユハはシェリウに囁く。漂う匂いは空きっ腹を激しく刺激する。自分たちは使用人であるために、食事に加わることはない。シアート人と会話を交わさずに目立たないでいることで、身元が明かされることもないだろう。しかし、朝から何も口にしていないために、空腹であることは如何ともし難い。


「そうね。だけど我慢、我慢。あとでヤガンさんに美味しいものを要求しないとね」


 シェリウが口の端を吊り上げると、人差し指を立ててみせた。


「うん、そうしよう」 


 ユハは微笑むと頷く。そして、顔を戻したとき、一人のシアート人と目が合った。


 その少女はユハよりも少し年上に見える。大きな黒い瞳には強い力が宿り、意志が強そうな印象を受けた。


 少女はユハを一瞥した後、隣に座るふくよかな中年女性に一言二言話し、立ち上がる。


 ユハとシェリウは、こちらに歩み寄った少女を見上げた。


「どうして一緒に食べないの?」


 少女は、明るくはっきりとした声で問う。


「あ……、いえ、私たちは使用人なので……」


 ユハは戸惑いながら答えた。少女は両手を軽く開いて言う。


「使用人だなんて関係ない。聖女王の前では信徒は皆、平等よ。『我が頭上の天空は誰の上でも天空であり、我が臨む大海は誰の前でも大海である』」

「『ゆえに、皆は同じ船にのった船乗りとして旅をする』」


 ユハは少女の聖典を引用した言葉に、反射的に引用で答え、両手を広げたあとその手を合わせた。


「凄い!丁寧な礼法ね!まるで尼僧様みたい!」


 少女は弾む声とともに、笑みを浮かべた。


 やってしまった。ユハの顔が強張る。修道院での説法問答が身体に染み付いているために、それをそのまま演じてしまった。


「アルティニ人なのにとても信心深いのね」


 少女は感心した様子でユハを見つめる。


「そうなんです。私たちの村でも、このはとても信心深くて、僧侶様に褒められていたんですよ」


 シェリウが何気ない様子で横から口を挟む。少女が笑顔で頷いた。


「きっとそうでしょうね。ねえ、お腹が空いたでしょう?こっちで一緒に食べよう」


 少女は、手で指し示す。ユハとシェリウは顔を見合わせた。


「遠慮する必要なんてないのよ。あなた達も、エルムルアの儀を共に執り行った良き信徒なんだから」

「そうですか。それでは、お言葉に甘えて、お邪魔します」


 シェリウは微笑むと頷いた。立場を偽っている以上、シアート人とは出来るだけ触れ合うべきではなかったが、拒否をすれば非礼にあたり、逆に怪しまれてしまう。今は彼女の提案に頷くしかない。シェリウはそう考えたのだろう。


「私はアティエナ。よろしくね!」

「私はエールーア、こちらはフェウリーンです」


 ユハは、シェリウと共にあらかじめ考えていた偽名を名乗る。以前読んだ書物に記されていた名前だ。正確にはアルティニ人の名前ではなく、ハウラン人女性の名前だったが、ウル・ヤークス王国の住人にはイールム王国風の名前として区別できないはずで、怪しまれることはないだろうと考えていた。 


「さあ、こちらに来て、あなた達もお喋りしましょう」


 アティエナは笑顔で二人を招いた。


「ユハ、いい?こちらのことはあまり話さないこと。あちらに質問を多くして、たくさん感心してみせること」


 立ち上がったユハの耳元で、シェリウが囁く。ユハは無言で頷いた。


 本来、修道女は嘘をつくことを許されない。しかし現状では自らの立場を偽るしかない。そのことが、ユハの心に重くのしかかっている。できるだけ自然に、怪しまれずに。そう心がけるが、果たして自分が乗り切れるのか。自信が持てなかった。


 二人は、アティエナの隣に座る。二人を挟むように、右にはふくよかな女性が座っていた。


「皆、この二人はエールーアとフェウリーン。アルティニ人の良き信徒よ」


 アティエナは大きな声で二人を紹介する。ユハたちは一礼した。シアート人の女性たちは一様に礼を返すが、何人もの女性が自分たちを不審げに見ていることを感じる。少なくとも、皆がアティエナほど寛容な心の持ち主ではないようだ。それがユハに一層の緊張をもたらした。 


「こんにちは、お嬢様方。ティムナよ」


 ふくよかな女性が優しげな笑顔でユハの顔をのぞきこんだ。


「私のお母様なの」


 アティエナの言葉に、ユハは頷く。


「緊張してるのね。まあ、いきなり連れてこられたのだから、仕方ないけれど」 


 ティムナが笑う。自分でも顔が強張っているのが分かる。隣で微笑んでいるシェリウの度胸が羨ましく思えた。


「アティエナはちょっと強引なの。許してあげてね」

「いえ、使用人の私たちを招いていただいて、とてもありがたいことです」


 ユハは答えると一礼する。


「とても上手に儀式をこなしていたけれど、アルティニ人にも聖王教徒は多いの?」


 ティムナの問いに、ユハは頭を振った。


「いえ、そんなには……。イールム王国ではほとんど信徒はいないと思いますが、ウル・ヤークスに長く暮らしている人では改宗者も多いと聞きます。私たちは、ウル・ヤークスで生まれ育ったので、周りのウルス人と同じように聖王教徒でした」


 あらかじめ打ち合わせておいた生い立ちを話す。しかし、これ以上詳しく聞いてこられれば、矛盾がすぐに露わになってしまうだろう。


「エールーアはとても信心深いのよ。丁寧な礼法を心得ているし。ねえ?」


 アティエナが嬉しそうに口を挟む。ティムナは感心した様子でユハを見た。


「とんでもありません。教えてくれた僧侶様が立派な方だったんです」


 その視線に罪悪感を覚えながら、ユハは謙遜の言葉を口にした。修道女だから当然なんです。そう言いたくなるのを耐える。つくづく、自分は嘘をつくことに向いていないと自覚する。シェリウの戒めは的確な忠告だった。


 ユハとシェリウは、アティエナとティムナ、そして、他に数人のシアート人女性たちと談笑しながら、食事をとる。ウルス人の食事と似ているが、味付けや風味がやや異なっている。これがシアート風の料理なのだろう。何より、これまでが粗食の毎日であったために、豪華な食事は実に美味に感じられた。


 時間が経つにつれて徐々に緊張はほぐれてきたが、自分の身の上を話さないように注意する。上手く嘘をつくことはできそうになかったので、できるだけ聞き役に徹した。幸い、シェリウが助けてくれるために上手くいっている。シェリウは、打ち合わせておいた身の上話にイラマール村の情景を細かく散りばめて、実に真実味のある架空の村の話を作り上げている。ユハはその話の内容に、驚き、呆れるしかない。


 彼女たちは、よく食べ、よく喋った。途中からは、ユハは当初の憂慮を忘れてしまったほどだ。ユハの頭越しに飛び交う様々な噂話や笑い話を聞かされて、この会食の場を楽しんでさえいた。この短時間でシアート人上流階級の噂に随分と詳しくなってしまったように思える。彼女たちの会話の内容から、ティムナはシアート人の中でも特に名家の奥方らしいことを察することができたが、ティムナは、そしてその娘であるアティエナは、そのことを鼻にかける様子はない。どうやらこの二人は、この場にいるシアート人女性たちに敬愛されているようだった。


 大皿が空になり始めた頃、隣の部屋の入り口から、叫び声が聞こえた。動揺、悲鳴、それらが入り混じった男たちの声だ。 

  

 何事かと様子を伺いにいった女の一人が、蒼ざめた表情で慌てて戻ってくる。


「旦那様が、ナタヴ様が!!」


 彼女の悲痛な叫びに、シアートの女たちが一斉に隣室へ向かった。ユハたちもそれに続く。


 初老のシアート人男性が、床に倒れ伏していた。細かく体を痙攣させており、激しく嘔吐した跡がある。何人かの男たちが様態を診ているようだが、医術の心得はないのだろう、ただ呼びかけているだけのように見える。周囲の男たちは狼狽し、混乱していた。さらに、女たちが次々と悲鳴をあげることで混乱の度合いは深まる。


 ユハは思わず人を掻き分けながら倒れている男に駆け寄った。


 初老の男は、充血した目を大きく見開き、苦しげに断続的に短い息をしている。


「何のつもりだお前は!!」


 介抱していた若い男が怒声とともにユハを睨む。


「私は癒しの術を心得ています。私に診せていただけませんか?」


 ユハは怯むことなくその男を見つめた。


「何、本当か?」

「アトル様、その娘は私が連れてきた者です。信用してください」


 傍らに屈みこんだヤガンが言った。


「そうか、頼む」


 アトルと呼ばれた男は、縋る様な表情でヤガンからユハへと顔を向けた。ユハは厳しい表情で頷く。


 頬の辺りに手を当てると、聖句を唱えた。口元に顔を寄せると、男の体を蝕む力を読み取る。


「毒だ……」


 ユハは呟く。それも、馴染みのある虫や蛇、植物の毒ではない。しかし、ユハの知識にない毒ではない。自分は、この毒を癒す方法を知っている。


「水をください」


 ユハの呼びかけに、杯に満たされた水が差し出された。


 念のために、聖句を唱えながら水を清める。この水には、幸い毒は含まれていない。苦しむ男の口に無理やり水を注ぎ込むと、別の聖句を唱えた。男の体を仰向けから横にすると、喉から腹にかけて撫でるように触れて、力を送り込む。


 再び、男が激しく嘔吐した。周りがどよめく中、何度も嘔吐する。


 これで胃の中はきれいになったはずだ。ユハは確信すると、男を再び仰向けに寝かせた。額と腹に両手を添えて、目を閉じる。聖句を唱え始めた。


 臓腑の痛みを癒し、血の巡りを活発にさせる。そして、体の中に入り込んだ毒を浄化する。するべきことを想像しながら、心の中に浮かぶ人体の力の流れの中に自分の癒しの力を送り込んだ。

 

 男は一気に大量の毒物を飲み込んだようだった。その為に、体を浄化するために多大な力が必要だ。弱い癒しの力ならば手遅れになっただろう。ユハは焦ることなく、臓腑の力を増すように気を使いながら力を送り込んだ。血管に沿っては流れるような力を、臓腑には泡のような力を心に描きながら浸透、循環させていく。


 ユハと男の周囲にはシアート人の男女が集まり、息を呑んで成り行きを見守っている。 


 そして、ユハと毒との戦いは決着した。 


 男は穏やかな呼吸に戻ると、小さく呻き声を上げる。顔色も良くなっている。目に見えて回復したその様子に、シアート人たちは安堵と喜びの声を上げた。


「これで……、大丈夫です。しばらくは薬湯を飲んで安静にしないといけませんが……」


 大きな倦怠感と戦いながら、ユハは顔を上げた。


「すごい、すごいわ、あなた!!」


 アティエナは喜びの叫びとともにユハに抱きつく。さらに次々と男女がユハに押し寄せ、賞賛や感謝の言葉とともに、手を握り、抱擁した。


 自分の体や頬に触れる感触で、ユハは我に返る。自分が仕出かしてしまったことに気付いた。


 よりによって、大勢の人の前で自分の癒しの力を見せてしまったのだ。目立たないようにするはずだったのに、それとは正反対の行動をとってしまった。


 しかし、死に瀕している人を見て、捨て置くわけにはいかなかった。戒めを守って、目の前の命を見捨ててしまっては、意味がない。それは、ユハの生き方ではない。


 きっと怒っているだろうな。


 そう思いながらシェリウに視線を送る。


 シェリウはユハの視線に気付くと、苦笑とともに肩をすくめて見せた。

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