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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
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6

 よく訓練された軍隊は、統制がとれているが故に逆に予想しやすい時がある。キエサは、自分たち囮が鏃の先端の標的になることを想像しながら、鱗の民の配置を指示していった。鏃を収める鞘のように敵の陣形を包み込むことを想定して、大槍を手にした鱗の民たちは持ち場に立つ。


「何をする気だ?」


 シアタカの問いに、キエサはにやりと笑った。


「隠れんぼうだ。子供の頃、遊んだことはなかったか?」


 キエサの傍らに立つ鱗の民が、高くよく通る鳴き声を上げる。砂原に響き渡ったその声を合図として、配置についた鱗の民は、砂塵を巻き上げながら勢い良く砂を掘り返し始めた。そして、あっという間に砂の中に潜り込む。わずかな時間で、鱗の民たちの姿は見えなくなっていた。隠れていることを知っていながら目を凝らすと、微かに白砂が盛り上がっていることが分かるのだが、それも風によって簡単に地形が変わってしまう沙海では気に留める者はいないだろう。 


「これは……、俺たちの部隊がやられた手か」


 シアタカがうめくように言う。そういえば、この男の率いる斥候部隊も、鱗の民が砂に潜り奇襲したのだった。キエサは思い出す。この罠をウル・ヤークスに使うのは二度目ということになる。あまりに多用すると罠としては役に立たなくなる恐れがあったが、逆に言えば敵はこの手を警戒することになる。それによって敵の行動に掣肘を加えることができるだろう。砂の中に敵が隠れているかもしれないと警戒すれば、その行動も鈍るはずだ。何しろ、沙海はそのほとんどが砂丘や砂原なのだから。


「そうだ。我々は長く息を止めていることができる。とはいえ、我々は本来、水辺の民だ。本来ならば水の中にひそみたいのだがね」


 隣にいるカナムーンがシアタカに顔を向けて答える。 


「もう少し我慢してくれ。戦が終われば、カラデアでいくらでも水浴びをしてくれればいい」


 キエサは苦笑した。カナムーンは喉を膨らませてそれに応える。カナムーンの言葉が皮肉や冗談の類なのか、それは長い付き合いであるキエサにも分からない。鱗の民は、冗談を言うことがないように思えるからだ。カナムーンは随分と人間の文化に興味があるらしく、それに影響されているのかもしれない。もっとも、実際には単純にカナムーンが自分の欲求を口にしただけなのだろう。一般的な鱗の民は、文句や愚痴を言うことがない。しかし、それによって不平不満が無いと早合点するわけにはいかない。彼らは出来ないことは率直に断るし、出来ることは淡々とこなすだけなのだ。それに甘えて彼らを限界まで使うことは指揮官としては失格だろう。


「キエサ、この戦いだが、俺も……」

「悪いがお前はまだ信用できない」


 おもむろに口を開いたシアタカの言葉を、キエサは手で遮った。


「お前を戦いに加えたとしよう。だが、以前の仲間を前に躊躇うかもしれない。その一瞬の躊躇いが、俺たちを殺す」


 言いながら、離れた場所にキシュやウァンデと共に立つアシャンを指差した。


「これは俺たちの戦いだ。お前は黙ってその娘を守っていればいい」

「ああ、分かった」


 シアタカは厳しい表情で頷いた。仲間と戦わないですんだことに安堵しているのだろうか。キエサはシアタカの表情を観察したが、そういうわけではなさそうだ。この男の考えていることは、今一つ理解できない。


「いずれにしても、我々は囮の一人としてここで待つことになる。もし我々の元まで敵が辿り着いたなら、戦わざるを得まい」


 カナムーンが言う。キエサは小さく頷くと言葉を続けた。


「そうだな。だが、カナムーン、あんたもキシュガナンたちやダカホルとともに最後尾にいてほしい。あんたはキシュガナンの地に向かわなければならないんだろう?ここで万一のことがおきればまずいからな」

「その言葉に甘えよう」


 答えるカナムーンに頷いてみせると、キエサはダカホルに顔を向けた。


「ダカホルは最後尾で敵の動きを聞いてください。奴らの鼻先に切っ先を突き刺してやらないといけませんからね。いざという時は、こいつらが守ってくれますよ」


 キエサはカナムーンたちを手で示す。


「分かった。しかし、俺の身を守ってくれるのが、カナムーンにキシュガナンにキシュ、そしてウル・ヤークスの戦士か。実に珍しい組み合わせだな」


 ダカホルはシアタカとカナムーンを見やった後、キシュとキシュガナンの二人の方を振り返った。


「俺といれば退屈しないでしょう」


 キエサの笑みに、ダカホルは小さく頭を振る。


「まったくだ。お前といれば退屈せんよ。しかし俺としては、そろそろのんびりしたいものだ」

「残念ながら、それはまだ先のことですね」


 キエサは笑って答えた。 




 東の空に、三つの影が姿を見せた。


 それは、背に大きな翼を背負った人の影。翼人だった。


「来た!」


 兵の一人が見上げながら叫ぶ。その声は緊張からか僅かに震えている。


 翼人兵はその姿がはっきり分かるところまで接近すると、しばらく宙を舞った。飛び道具を警戒しているのだろう。カラデア兵たちの上空まで近付いてくることはない。


 しばらく空を飛んだあと、翼人兵たちは東の方向へ戻っていった。


「シアタカの言った通りか。だとすれば、そろそろ来るな」


 キエサは呟くと兵たちに合図を送った。兵たちは駱駝にまたがり、武器を手にする。


 駆竜や甲竜は、砂に潜んでいない鱗の民たちが引き連れて共に待っている。彼らの一部も、武器を手にカラデア兵やルェキア族とともに並んだ。


「騎兵が近付いてきた。すぐに姿を現すぞ!」


 背後から、ダカホルが叫ぶ。キエサは手を上げてそれに応えてみせた。


 ダカホルの言葉通り、砂丘の向こうから、舞い上がる砂塵が見える。そして、低い姿勢で駆けてくる恐鳥とそれに跨る兵たちが姿を現した。恐鳥騎兵は皆、弓を手にしている。自分たちの部隊より兵数が少ないと見て取ったのだろう。完全にこちらを殲滅する気だ。


「くそっ、速いな」


 キエサは舌打ちした。恐鳥騎兵の走る速さは凄まじい。広い範囲で広がってこちらに駆けてくる為、その背後ではまるで砂嵐のように砂塵が舞い上がっていた。機を誤ると、あっという間に敵に肉薄されてこちらが蹂躙されることになる。


 みるみる騎兵が距離をつめてくる。鏃の先頭にあたる兵士たちの姿がはっきりと見えるようになった。


 駆竜の鞍上で敵の接近を見ていた鱗の民たちが、一斉に凄まじい叫び声を上げる。それにつられたのか、騎手のいない駆竜たちも、咆哮を発した。


 次の瞬間、砂の中から次々と鱗の民が起き上がる。それはまるで突如砂の柱が立ち並んだかのようだった。鱗の民は騎兵の衝撃力に対抗するために、半ば四つん這いの体勢で、石突を砂に刺したまま槍の切っ先を敵に向ける。


 その速度ゆえに、騎兵たちは急に止まることはできない。恐鳥とその乗り手たちは、突然目の前に出現した槍衾やりぶすまの中に自ら飛び込んでいくことになった。


 速度と己の体重をまともに槍の穂先にぶつけることになり、恐鳥や兵たちは次々と串刺しとなった。深く突き刺さった槍を潔く諦めて、鱗の民たちは突っ込んでくる人と鳥という重量物をかわすことに専念する。低く伏せた彼らの上や傍らを、恐鳥や騎兵たちは宙に投げ出されて激しく砂上を転がっていく。


 槍を捨てた鱗の民たちは、剣を抜きながら素早く立ちあがった。


 騎兵の進路にいなかった鱗の民も、周囲を素早く確認して、手近な敵へと駆ける。


 ウル・ヤークスの騎兵たちは、分散していたことが仇となった。各個が鱗の民に挟まれて様々な方向から攻撃されている。しかも、ほとんどの騎兵たちが攻撃された瞬間に弓矢を手にしていたために、突然巻き込まれた白兵戦に有効に対応できていない。何割かの騎兵たちは槍衾に遭遇することはなかったものの、味方達の惨劇を目撃して、助けようと慌てて方向転換している。そこへ、手が空いている鱗の民が襲い掛かっていた。


「今だ、行くぞ!!」  


 キエサは、長剣を掲げると叫んだ。兵たちは雄たけびで応じる。


 鱗の民とウル・ヤークス軍は乱戦になっているために、同士討ちの恐れがある弓や投石器を使うことはできない。兵たちは剣や槍を手に駱駝を駆った。


 鉛灰色の肌をもった兵士が、驚愕の表情でキエサを見上げる。駱駝騎兵と恐鳥騎兵では、駱駝騎兵のほうが鞍の位置がやや高い。キエサは敵兵の顔面めがけて、長剣を振り下ろした。確かな手応えとともに、兵は血を噴出しながら仰け反る。続けざま、上体を捻りながら左側へ長剣を突き出した。切っ先は恐鳥の首筋に突き刺さり、悲鳴を上げながら倒れていった。


 さらなる増援が駆けつけたことで、斥候部隊の兵たちの士気は完全に挫かれた。彼らの激しい抵抗も、ここからいかに逃れるかを前提としたものとなっている。しかし、敵に圧倒的に攻められているにもかかわらず、兵同士が連携を保ちながら塊となって撤退しようとしていた。部隊が崩壊することなく、連携を維持していることに、キエサは舌を巻く。一方の攻める彼らも、それを包囲しようと動いていた。


 鱗の民と駱駝騎兵の猛攻によって、斥候兵たちは次々と地に倒れ伏していく。


 勝った。


 キエサが勝利を確信して戦場を見回していたその時。


 離れた場所にいたルェキア族の兵が、頭を矢に射抜かれて鞍上から転げ落ちた。さらに、次々と矢が飛来する。兵たちは悲鳴をあげながら逃げ惑った。


「どこからだ!」


 叫ぶキエサ。


「そ、空からです、隊長!」


 部下の答えに見上げると、二十人近い翼人兵が、すでに上空にあった。


「糞!斥候部隊に随伴していたのか!」


 キエサは慌てて鞍に預けていた弓を取ると、矢を番える。その間にも、翼人兵たちは空から矢を放っていた。翼人兵は空という有利な位置から、カラデア兵や鱗の民の背後や側面から矢を射掛けてくる。見事な腕前と巧みな位置取りによって、味方である斥候兵に当てることはない。


「空からの敵だ!弓で反撃しろ!」


 キエサの指示が連呼される。駱駝騎兵たちは、降り注ぐ矢の雨を逃れながら、必死で弓矢を用意していた。幸い、斥候部隊の陣形に応じてこちらも散開していたために、被害もそこまで大きくはない。


 地上から、散発的ながら反撃が開始された。特にルェキア族の騎射は巧みだ。駱駝を駆って翼人兵の攻撃を逃れながら、同時に上空へと矢を放っている。翼人兵たちは反撃の矢をかわすためにさらに高く舞い上がった。しかし、逃れながらもさらに矢の雨は止まない。


 すでにカラデア兵や鱗の民は近くにいない。生き残った斥候部隊は翼人兵によってもたらされた好機を活かして、恐鳥を駆けさせる。キエサは、逃げ去る敵を見ていることしかできない。こちらが矢の餌食にならないように反撃することで手一杯だった。


 斥候部隊の生き残りが砂丘の向こうに逃げ去ったことを見届けた後、翼人兵たちもすばやく編隊を組んで飛び去った。


 キエサたちは、それを見送ることしかできなかった。




「また、奴らにしてやられたのか」


 ヴァウラは、傷だらけとなって戻ってきた斥候部隊を見て、顔をしかめた。


「はい。こちらの動きを察知していたようです。砂の中で鱗の民が待ち伏せしていたために、不意を打たれたとのこと」


 兵たちに報告を受けていたタハフが、ヴァウラの傍らに立つと言った。


「ラッダの報告にもあった手だな。またしても引っ掛かったというわけだ」 

「随伴していた空兵の援護によって、全滅は免れたようですな」

 

 タハフの言葉に、戻ってきた翼人兵たちを見上げる。


「空兵部隊も損害を受けたのか?」

「いえ。翼人兵に損害はありません。むしろ、カラデア兵たちは空兵部隊の攻撃に混乱したようですな。それによって斥候部隊を逃がすことができたようです」


 ヴァウラは、その答えに違和感を感じて小さく首を傾げた。


「奴らは空兵部隊に備えていなかったということだな。奴らはなぜ空兵部隊の奇襲を許した?」

「気付かなかったのでは?」


 タハフの答えに、ヴァウラは頷く。


「そうだ。奴らは空兵部隊の接近に気付かなかった。斥候部隊の動きを正確に掴み、反撃した奴らが、だ。夜も昼も我々の動きを掴んでいるはずの奴らが、なぜ空兵部隊には気付かなかったのだ?」

「それは……、確かに妙ですなぁ」


 タハフは、顎に手を当てると目を細めた。


「考えられるのは、奴らの物見は、情報を得る方法に偏りがあるのかもしれません。地を進むものには気付き、空を飛ぶものには気付けない、ということでは……」

「おそらく、そうだろう」


 ヴァウラは沙海の彼方を見ながら言う。


「捕虜は、自分たちは砂の声を聞いている、と言った。戯言かと思っていたが、それは、本当のことかもしれん」

「大地の音を聞くことができるということでしょうか」

「そう考えれば奴らの勘の良さも説明がつく。奴らは、まさしく“良い耳”をもっているということだ」


 ヴァウラは、そう言いながら己の耳を指す。


 これまでの戦いを考えると、この“良い耳”はかなり広い範囲の音を聞くことができるのだろう。自分たちの動きは常に聞かれている、という前提で作戦を考えなくてはならなくなる。実に厄介な相手だ。しかし、その能力の正体が分かれば、対処の方法も考えることができる。


「これからの戦いは、空兵を活用する必要があるな。翼人兵と、大鳥が必要だ」

「援軍を要請しなければなりませんな」

「そうだ。アシス・ルーに伝令を送る必要がある」


 ヴァウラは振り返ると、傍らに立つ翼人、シャン・グゥに顔を向けた。


「陸路での伝令は奴らに気取られる恐れがある。命懸けだが、フィ・ルサ族に飛んでもらうぞ」

「はい、閣下」


 シャン・グゥが頷く。


「出来るだけ水を持たせて、夜飛びが出来る者を選びます」

「ああ。いいか、砂嵐や、魔物と出くわしても無理に突破することを考えるな。アシス・ルーに辿り着くことが何より大事だ。待ち、回り道をしても構わん。ギェナ・ヴァン・ワは、この街で待っているからな」


「フィ・ルサの猛き翼は、必ずや命を果たします」


 シャン・グゥは深く一礼した。

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