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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
54/220

5

 沙海の夜が明けた。一行は、背に朝日を浴びながら、先を行く己の影を追う。


 駱駝や駆竜、甲竜そしてキシュの列は、沙海を渡る。


 シアタカは、一頭の駱駝を借りて、それを駆っている。後ろにはアシャンが相乗りしていた。彼女を有無を言わさずに駱駝の背に押し上げたウァンデは、今はルェキア族の操る駱駝の背の上で、強張った表情で相乗りしている。あんな表情の兄を見ることは中々ないことだ。アシャンは思わず笑みを浮かべる。


 外套の頭巾がまくれそうになって、慌てて元に戻す。これから陽光はその力を増すだろう。陽射しの暴力から身を守るために、外套と頭巾は欠かせない。キエサというカラデア人が言うには、しばらく陽射しから身を隠す場所はないという。酷暑によって強いられる忍耐を思って、アシャンは気が重い。


 そして、もう一つ、アシャンを不安にさせていることがある。


「シアタカ」

「どうした?」


 アシャンの呼びかけに、シアタカは肩越しに振り返る。


「私たち、このまま、キセの塚まで帰ることができるかな」

「そう願いたいけど、難しいかもしれないな」


 シアタカが小さく肩をすくめる。


「敵が、追ってくるから?」

「ああ。このまま見逃してくれるほど甘くはないと思う。デソエの周辺に敵がどれだけ潜んでいるのか探るために、斥候部隊を出すはずだ。斥候部隊は、敵が弱いと分かれば、そのまま襲い掛かってくる」


 アシャンは列を作る一行を見やった。カラデア人、ルェキア族、鱗の民が混成するおよそ百騎の兵たちだ。はたしてこの兵力で、ウル・ヤークスの追撃に立ち向かうことができるのだろうか。


「シアタカは、ウル・ヤークスが追ってきたら、本当に戦うの?」

「戦うしかないだろうな」


 シアタカは軽く頷く。アシャンは問いを重ねた。


「でも、仲間たちだったんだよ?」

「彼らにとって、俺はもう敵なんだ。殺されないためには殺すしかない」


 そう答えるシアタカの表情は、影になって見えない。今のシアタカから感じ取る印象は、どこか覚えがあった。しばらく考えて、思い出す。


「ねえ、シアタカ、気付いてる?今のシアタカって、出会った時とそっくりなんだ」

「出会った時?」

「そう。暴れて、キシュに捕まって、殺せ、なんて言ってたよね。あの後、沙海を歩いていた時も、すごく殺気立ってたな」

「ああ……」


 シアタカは曖昧な返事とともに前を向く。


「今のシアタカは、あの時に戻ったみたい。硬くて、鋭くて、刺々しい。見ていてすごく怖い。良くないと思うんだ」


 アシャンの言葉は、比喩ではない。シアタカの背中から感じ取れる心の小波さざなみが、硬さをもって彼女の感覚を打つ。それは、まさしく刃物のような感情だった。カラデアにいた頃のシアタカは、もっと繊細で柔らかな心を感じさせていた。その気配は今や感じることができない。それは、アシャンにとって寂しさと不安を感じさせるのだった。


「良くない……、か。だけど、俺には分からないんだ。俺はずっと紅旗衣の騎士だった。そして今、俺は誰でもない。アシャンを守って戦う以外、今の俺にできることはない」

「私を助けてくれて、本当に嬉しかった。でも、それでシアタカがおかしくなってしまうのなら、とても悲しいよ」


 アシャンは、少し躊躇った後、手を伸ばす。そして、ゆっくりとシアタカの背に手を当てた。


「アシャンが悲しむ必要なんてない。これは、俺の問題なんだ」


 シアタカは、穏やかな口調で答える。アシャンは、思わず顔を歪めた。


「どうして、そうやって全部自分の問題にするの?私だって、シアタカのことを心配してるんだよ」

「俺が覚えている一番昔の記憶は、戦場なんだ」


 シアタカが前を向いたまま、言う。


「俺は、槍を持って立っている。迫ってくる恐ろしい大人たち。隣に立っていた同じ年のころの子供が、腹を突き刺されて、血まみれで泣き喚く。俺は、死にたくなくて必死で槍を振り回した。そして、生き残った」


 手から伝わってくるシアタカの感情は、とても穏やかだが、恐ろしいまでに冷え切っていた。アシャンは驚き、思わず手を離す。


「生き残った他の子供たちと俺は、兄弟と呼び合って助け合ったんだ。俺たちは次々に戦に放り込まれた。戦場で先頭を歩かされて、弾除けにされる。待ち伏せがないかどうか、俺たちだけで突撃させる。そうやって、兄弟たちはどんどんといなくなり、そして、最後にウル・ヤークスと戦うことになった。俺たちの主人の命運はそこで尽きたわけだ。だけど、兄弟たちの命運も同じだった。結局、俺だけが生き残った。俺の命なんて、ただの拾い物だ。俺も、いつか戦場で死ぬ。たまたま、兄弟たちよりも少し遅くなっているだけなんだよ」


 シアタカは再び振り返るとアシャンを見つめる。その瞳は、沙海の青空のように澄み切って、何の乱れも見えない。アシャンにはそれがとても恐ろしく感じた。


「俺は、聖女王の教えを授かった者として、過ちを犯した。軍の命令のまま、罪なき人を殺しすぎてしまった。そしてこれからは、己の選んだ道を歩くために多くの人を殺さないといけないだろう。だとすれば、俺は償うために戦いたい。アシャンを守って死ぬことができれば、それで幸せなんだ」


 アシャンは、言葉を返すことができなかった。キセの一族も、争いの巷にいる。父も戦で失った。


 しかし、アシャンは少なくとも一族に愛され、守られてきた。家族がいて、友人がいて、ラハシの師として導いてくれた人が幾人もいた。そして、傍には常にキシュがいた。


 シアタカにはそれがない。


 戦いと、死だけに取り囲まれて生きてきたシアタカに、自分が何を言うことができるというのか。アシャンには、分からなかった。



 


 キエサは、こちらに駆けてくる数騎の駱駝乗りを見て、皆を停止させた。


「ダカホル!」


 キエサの呼びかけに、先頭の男が手を上げて応える。


「キエサ、何があった。デソエに向かっていた者たちの正体は分かったのか?」


 黒石の守り手の問いに、キエサは甲竜の背に跨るカナムーンを指し示した。


「話すと長くなりますが、とりあえずカナムーンを連れ帰ってきました」

「カナムーンだと?あの足音は、カナムーンだったのか。どうしてデソエに向かっていたんだ?」


 ダカホルは驚いた様子でカナムーンに顔を向ける。カナムーンは鳴き声とともに答えた。


「少し、友人を助けていた」

「どういう意味だ?」


 困惑しているダカホルに、キエサは苦笑しながら言う。


「それは後で話します。カナムーン以外にも珍しい客人を連れているんですよ」


 キエサの指差す先にいる巨大な蟻たちに、ダカホルは驚きの声を上げた。


「道理で妙な足音が共に歩いていると思ったが、まさかキシュだったとはな。キシュガナンは……、彼らか」


 ダカホルは、ウァンデとアシャンを見やる。そして、視線が止まった。 


「どうしました?」


 ダカホルは、シアタカを凝視している。キエサの問いに、視線をはずさないまま口を開いた。


「あの男は……」

「ウル・ヤークスの男です。キシュガナンを救うためにウル・ヤークスを裏切ってついてきました。シアタカという名です」

「ウル・ヤークスだと?あの男には、黒石の力が感じられる」


 ダカホルはキエサに顔を向ける。キエサは頷いて見せた。


「カナムーンが言うには、あの男は黒石の心に触れたそうです。エタム様が認めたそうですが……」

「その通りだ。エタムが黒石に触れさせた」


 カナムーンが口を挟む。


「エタム様が?どうやら黒石の力を感じ取ったのは、俺の勘違いではなさそうだな。しかし、あの男が帯びている黒石の力は、まるで守り手のような強さだ」


 ダカホルは顎に手を当てると、小さく唸った。


「そんなことが有り得るのですか?」 

「黒石の心は、守り手といえど計り知れんよ。黒石に認められるような男だからこそ、ウル・ヤークスに逆らったのかもしれないな」

「本人には、黒石の心に触れたことがいかに重大なことなのか、自覚はないようですが」


 キエサの言葉に、ダカホルは苦笑する。


「仕方あるまい。異邦の者に黒石の偉大さは理解できないだろうな。恩恵を受けし者としていきなり態度が大きくなるよりも信用はできると思うがね」

「まあ、確かにそうですが……」


 あの男が黒石の心に触れたというのは事実なのだろう。しかし、カラデア人として、敵であるウル・ヤークスの者が黒石の心に触れたことには、心情的に納得できないものがある。


「黒石の心については後で議論するとしよう。それよりも、重大なことがある。敵が、追ってきているぞ。このままでは、追いつかれる」


 ダカホルは厳しい表情で言った。


「簡単には見逃してはくれないということですね。数や編成は分かりますか?」

「およそ二百。恐鳥騎兵だけの部隊で、かなりの速度だ。騎兵たちは小さな部隊単位で間隔を開けて横に広がるように分散しているな。全体で、やじりのような形で進軍しているぞ」


 キエサの問いに、ダカホルは答えた。


「待ち伏せを警戒しているな」


 キエサは呟く。陣形を維持したまま騎兵を進めるなど、大した練度だ。ルェキア族はともかく、カラデア兵では長くは持たないだろう。 


「シアタカ!」


 キエサは、鞍上からこちらを見ているシアタカを手招きして呼んだ。シアタカは、駱駝を進めると二人の側に止める。


「何だ?」

「デソエから二百騎、騎兵だけがこちらを追ってきているらしい。どんな部隊か見当はつくか?」

「やはりそうか」


 シアタカは頷く。


「予想していたのか?」

「ああ。どれだけの戦力がデソエの周辺に潜んでいたのか、調べるための斥侯部隊だろう」

「斥侯部隊か。デソエに向かう途中でも出くわしたな」

「それは、俺が率いていた部隊だ」

「お前が、あの時の……」


 キエサは驚く一方で、納得していた。あの時の追う側であるカナムーンと逃れる側だったシアタカが共にいるのだから、運命の風向きというものは奇妙な巡り会わせを運んでくるものだ。


「おそらく、翼人空兵を先行させているはずだ。もう少しで、上空に現れる」


 シアタカは、空を指差した。


「空から……。こちらの手の内が丸見えだな」


 キエサは青空を見上げて呟く。そして、ダカホルに顔を向けた。


「背後から、さらに援軍は向かってきていますか?」

「いや、デソエからこちらに向かってきている部隊はこれだけだな」


 ダカホルは頭を振った。


 キエサは周囲を見回した。少し先は、広い平地になっている。騎兵部隊からすれば、ここに留まっている敵はさぞかし魅力的な獲物に見えるだろう。騎兵をおびき寄せるにはうってつけの地形だ。


「どうする気だ?」

「ここで迎え撃ちます」

「敵は、こちらの倍はいるんだぞ?」


 ダカホルが不安げな表情でキエサを見る。


「大丈夫です。臆病なあいつらが安心して襲いかかれるように、大人しくここで待つとしましょう」


 キエサは、獰猛な笑みを浮かべて頷いた。


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