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砂塵の王  作者: 秋山 和
追うもの、逃れるもの
52/220

3

 鳥の鳴き声のような甲高い音が、二度鳴った。その音は、奇妙な反響を伴って洞窟の中から聞こえる。


「合図です」

「ああ」


 キエサは部下の言葉に頷くと、手を上げて合図した。兵たちは矢をつがえると洞窟の入り口に向ける。


 今の音は確かにカナムーンの鳴き声だが、それだけでは彼らが無事帰ってきたという証拠にはならない。敵を連れて出てきたことを想定して、あらかじめ部下たちを配置していた。


 しばらくして、水を蹴立てる音が聞こえる。


 やがて、洞窟から巨大な蟻、キシュが姿を現したその後に続くのはカナムーン。そして、キシュガナンの男ウァンデ、彼に寄り添うように少女が歩いている。彼女がアシャンというキシュガナンの娘だろう。


 本当に助け出せたのか。キエサは驚きをもって見る。正直言って、カナムーンたちが少女を救い出すことはできないだろうと考えていた。しかし、彼らは少女を連れ帰った。これには、やはりキシュという大蟻の力が大きいのだろうか。カナムーンが彼らの力を力説することが理解できるような気がした。


 しかし、最後尾に一人、見慣れない男が続いているのを見て、キエサは眉根を寄せた。


 カナムーンたちが、崖を上り月光に照らされた地上へ立つ。


「やあ、キエサ。我々は、アシャンを救い出すことができた」


 カナムーンが、片手を上げて言う。


「ああ、大したもんだ。……ところで、カナムーン」 


 キエサは、端に立つ長身の男を指差した。


「その男は誰だ」


 カナムーンは男を一瞥して答える。


「シアタカ。我々の仲間だ」

「仲間だと?ウル・ヤークスの人間じゃないか」


 シアタカという男の服装は、カラデア人のものと違っている。顔立ちや肌の色はキシュガナンや、今は亡きキエサの父親に似たものだ。


「その通りだ。シアタカはウル・ヤークスの軍人だ。しかし、彼がいなければ、これほど早くアシャンを救い出すことはできなかっただろう」

「こいつはウル・ヤークスを裏切ったっていうのか?」

「そういう事になるだろう」


 カナムーンは喉を鳴らしながら肯定する。


「馬鹿な、信用するのか?」

「信用する。シアタカはアシャンを救うために戦ってくれた」

「信じられるものか。策を弄して俺たちの懐に入り込もうとしているのかもしれないんだぞ」

「そんな心配をする必要はない。シアタカも、共に虹を見たものだ」


 カナムーンの答えに苛立ちを覚えて、キエサは舌打ちする。


「またそれか……。カナムーン、俺たちは今、先の見えない砂嵐の中を歩いている。立ち止まれば死ぬ。道を誤れば死ぬ。それなのに、あやふやな感情で行く先を決められてしまえば、全てが終わるんだぞ。お前や俺だけじゃない。皆が死ぬんだ」


 キエサはシアタカに歩み寄ると、睨み付ける。そして、カナムーンに顔を向けた。


「いくらお前がこいつを信用しても、こいつが本当に味方なのか分かるはずがない。こいつが俺たちの中に放たれた蠍じゃないと証明できるものか」

「待ってくれ」


 シアタカが手を上げるとキエサの言葉を遮った。その言葉に、キエサは再びシアタカを睨み付ける。


「何だ。文句があるなら言ってみろ」

「確かに俺を信用できないのは分かる。俺はただ、アシャンを守るために刀を振るう。あなたの邪魔をするつもりはない」

「女のためということか……。いいか、ウル・ヤークスの糞野郎。俺たちは、故郷を守るために命を懸けている。お前は、恋心や憐れみみたいな浮ついた感情で戦うつもりか?そんな奴は、すぐに裏切る」


 シアタカは、静かな表情で頭を振る。


「浮ついた感情なんてない。俺は、聖王教徒として、贖罪のためにここにいるんだ」

「贖罪……、贖罪だと?お前は何を言ってるんだ。カナムーン、こいつは本当に大丈夫なのか?」


 キエサは思わずカナムーンに顔を向けた。カナムーンは喉を膨らませて答える。


「彼は、カラデアの民とは異なる教えを信じている。それを君が理解できないのは仕方ない」


 確かに、自分には理解できそうもない。キエサは思わず唸る。  


「後一つ付け加えるならば、シアタカは黒石に祝福され、その心に触れた者だ」

「何だと?」


 続くカナムーンの言葉に、キエサは驚きの声を上げた。周囲の兵たちもざわめく。


 一般的なカラデア人は、黒石の心に触れることなど、黒石の守り手でなければ不可能だと思っている。祝福を受けただけでも大いなる恩恵だと考えているのだ。そんな彼らにとって、目の前のウル・ヤークスの軍人が黒石の心に触れたということは信じられないことだった。


「それは本当のことなのか?」

「エタムが言っていたのだから、間違いではないだろう」 

「エタム様が……」


 守り手の長が認めたということは、本当なのだろう。この男に何があるのか。キエサはシアタカを見やった。彼は周囲の反応に戸惑っているようだった。


「黒石の心に触れたからといって、俺は別に聖人でもなんでもない」


 シアタカは顔をしかめた。


「俺は償いのために戦い、償いのために死ぬ。それだけなんだ」

「簡単に死ぬなんて言う奴ほど、いざとなれば臆病風に吹かれる。自分の弱さを触れ回っているように聞こえるぞ」


 キエサは鼻で笑うと首を傾け、睨み付ける。 


「……そうだな。気を付けるよ」


 シアタカは神妙な顔で頷いた。その態度に拍子抜けしながら、キエサは問う。


「お前は、昨日まで共に戦っていた仲間と、殺しあうことができるのか?」


 シアタカは顔を歪め、目を閉じる。そして、決意に満ちた表情で頷いた。


「できる。俺は自分の選んだ道は正しいと信じる。そして、それに命を懸ける」


 キエサはシアタカを見つめる。シアタカもその視線を真っ向から受け止めた。その碧い瞳からは、迷いを感じることはない。


「いいだろう。ついて来い。ただし、妙な真似をしたら、沙海に置き去りにするからな」

「分かった」


 キエサの言葉に、シアタカはゆっくりと頷く。


 突然、キシュが顎を鳴らして硬質な音を発した。


「敵だ!」


 キシュガナンの少女が叫ぶと振り返る。それにつられて、皆の視線が一斉に谷の方向を向いた。


 谷の断崖から、獣のような顔がこちらを覗き見ていてた。獣のような顔は、視線に気付いてすぐに顔をひっこめる。


「ウル・ヤークスの狗人兵だ」


 シアタカが言う。キエサは思わず舌打ちした。


「糞ったれが。これであの水路が敵に知られた」


 カナムーンたちが逃走経路として使うことで敵に知られることは想定はしていた。一方で、敵が見落とす可能性も期待していたが、やはり現実は甘くない。


 兵たちが谷へと駆け寄る。


「隊長、逃げられました」


 谷底を覗き込んだ兵が叫ぶ。


「ああ、仕方ない。すぐに逃げるぞ。追っ手がやってくる」


 キエサは手を振ると、部下たちに出発の準備をさせる。兵たちは慌しく駆け回った。


「カナムーン、キシュガナンとの同盟は、あの抜け道が使えなくなるほどの価値があるんだろうな」


 キエサはカナムーンに聞く。カナムーンは目をぐるぐると動かすと、小さく音を発した。


「それ以上の利益がある。約束しよう」

「その言葉を信じるからな。失望させるなよ」


 キエサはカナムーンを指差すとそう言った。

 

 岩場の向こうから、荒い息とともに巨大な生き物が姿を現した。その生き物は、まるで蜥蜴と亀の中間にあるような姿をしていた。異様なのは、頭から背中、長い尾までをまるで鎧のような甲板で覆われており、首や肩に鋭い角が生えていることだ。それは決して騎獣のために作られた鎧などではなく、生き物がその身に備えた天然の装甲だった。角の間に挟まれるようにして、肩に鱗の民が跨り、巨獣を操っている。その生き物は、巨躯からは想像もできない俊敏さで岩場を駆け下りてきた。


「甲竜か!」


 シアタカの驚きの声に、キエサは笑みを浮かべて頷く。カナムーンたちには、デソエに潜入する前に、沙海を渡るための足を手配するように頼まれていた。キシュガナンたちは駱駝に相乗りさせるとして、重い鱗の民はそうはいかない。少し離れた所で待機している鱗の民の部隊へ呼びに行かせていたのだが、間に合ったようだ。


「カナムーンを駱駝に乗せるわけにはいかないからな」


 答えながらも、ウル・ヤークスの人間が甲竜を知っていることを意外に思った。甲竜は沙海の南辺やその周囲の砂漠、草原に暮らす生き物であり、北の地で暮らす人々には知られていないと思っていた。


「お前は甲竜を知っているのか?」

「話には聞いていたんだ。ウル・ヤークスの第二軍が、鱗の民と戦った時、荷駄獣として連れていたという報告があった。絵に描かれたとおりの姿だな」


 興味深そうに甲竜を見るシアタカの答えに、キエサは驚いていた。ウル・ヤークスという国はすでに鱗の民と干戈を交えている。それがどこなのか分からないが、少なくとも沙海ではないことは確かだ。


 そして、シアタカは第二軍といった。つまり、ウル・ヤークスには軍団が幾つもあることになる。


「シアタカ、お前の所属していたのは、何軍なんだ?」

「第三軍だ」


 その答えに、キエサは思わず歯噛みする。あの規模の軍団が少なくとも三つはある。敵の強大さとこれからの戦に不安と恐怖を感じて、そんな自分の不甲斐なさを罵った。 






 ラワナは、暗い部屋の中で床に座り、机に向かっていた。明かりの魔法が宿った石をはめ込んだ台のもとで、広げた葦紙パピルスや羊皮紙を見ている。柔らかな光を放つこの石は、ユトワの国から輸入した高級品だ。ユトワの魔術師が造りだした魔法の石は、望むときに光を発してくれる。


 山積みの書類を前にラワナは溜息をつく。


 ウル・ヤークスとの戦争は、市民や商人たちにも告知されて、カラデアは戦時下にはいった。これからは、カラデアでの交易は下火になるだろう。市民たちの生活にどんな影響がでるのか。役人たちの報告をまとめて、これからの方針を決めなくてはならない。援助が必要になることもあるだろう。


 軍の再編も必要だ。


 デソエの守備部隊も、カラデアからの援軍も、大きな被害を受けてしまった。市民から兵を募らなければならないし、防衛のために残っていた部隊を再編成する必要がある。援軍を受け入れる準備もしなくてはならない。今のところ、ユトワの国だけが援軍を約束してくれた。他の国々からは、未だ使者は戻らない。


 ウル・ヤークス軍はデソエからすぐには出陣はしないだろう。その点だけが唯一の希望だ。夫であるキエサが一矢報いてくれたのだ。キエサを誇らしく思うとともに、孤軍奮闘しているその境遇に不安を覚える。すぐにでも援軍として駆けつけたい。それがラワナの本心だが、貴重な戦力を割いてカラデアから出ることはできない。ここで、夫の無事を祈ることしかできないのだ。


 カラデアの中も、安心できない。敵の密偵は、キシュガナンの娘をさらい、シアタカとともにカラデアから逃れた。あれが最後の密偵とは限らない。むしろ、カラデアの内にまだ残っていると考えるべきだ。黒石と太守の館はもちろんのこと、重要な場所の警備は増強することにしている。これも、貴重な兵士を割くことになっていた。


 かつてカラデアの民が経験したことがない困難が、今、この地を襲っている。どうして自分の代にこんなことが起こるのか。ラワナとしては運命を呪いたくなるが、恨み言を宙に喚いても自分に降ってくるだけだ。せめて、敵の顔に浴びせてやらなければ気がすまないのだった。 


「お母様……」


 自分を呼ぶ声に、ラワナは振り返る。そこには、幼い少年と少女が立っていた。


「ハムドゥ、コユラ、まだ寝ていなかったの?」


 ラワナは、我が子たちのもとへ歩み寄る。


「コユラが悪い夢を見たって泣くんだ」


 兄であるハムドゥが、妹の両肩に手を置いて答えた。


「まあ、どうしたの」


 ラワナはコユラを抱き上げる。コユラは、目を赤くしていた。


「あのね、お父様とお母様が私たちを置いて行くの」

「あらあら、私はここにいるわよ」


 ラワナはコユラを腕の中で細かく揺さぶりながら微笑んでみせる。


「うん、でもね、いなくなるんだ。砂嵐の中に消えてしまうの」


 コユラはそう言うとラワナに強く抱きついた。


 子供たちも、カラデアを覆う不穏な空気を感じ取っているのだろうか。ラワナは、不安げな様子の娘を見つめる。 


「コユラは本当、馬鹿だ」


 ハムドゥが苛立たしげに言う。


「お父様はきっと戦に勝って帰ってくるんだ。それなのにそんな不吉なことを言うなんて、馬鹿だ」

「そんなにコユラを責めないであげて」


 ラワナは片腕でコユラを抱いたまま、ハムドゥの顔を優しく撫でた。


 この子達のためにも、戦いに勝たなければならない。ラワナは、己を奮い立たせた。

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