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砂塵の王  作者: 秋山 和
白塵の嵐
32/220

9

 金属的な低く澄んだ音が、広く鳴り響いた。音を発しているのは、城門の前に立つ一体の巨大な姿だ。


 人の五倍はある身の丈をもつそれは、まるで巨大な彫像だった。背に四つの翼を備え、頭に円筒帽子をかぶっている。長衣を身に着けた僧のような姿だ。その翼も、身体も、服も、全てが白磁のように滑らかな白だった。端正な容貌をもったその顔も彫像のように無表情だ。赤く光を帯びたその目には瞳孔がなく、まるで紅玉のようだった。全てが白い中で、その双眸の赤は奇妙なまでに見る者を惹きつける。


 それは白き使徒、と呼ばれていた。白き使徒は、特別な術式を身につけた魔術師や僧によって召喚される聖女王の眷属だった。


 白き使徒は、城壁から射掛けられる無数の矢や投石を受けても平然としている。矢や石は硬い音を立てて跳ね返り、地に黒い雨となって降り注いだ。


 白き使徒が再び音を発すると同時に動き始める。使徒の背の翼が広げられて、口が大きく開く。耳の奥に突き刺さるような甲高い音、腹に響いてくる重く低い音、無数の音が一つの巨大な音となって発せられた。


 次の瞬間、城壁が波打った。干し煉瓦の城壁は表面が崩れ落ち、まるで巨大な爪で削り取られたようだった。


 城壁の上の兵士達は、恐慌をきたして逃げ散る。城壁から落下した兵士もいた。


「もう一押し、二押しか……」


 ヴァウラは呟いた。彼の立つ小高い砂丘からは、デソエの街がよく見える。ヴァウラはここを本陣と定めていた。デソエの城壁は分厚く高い。押し寄せる白砂から貴重な水場を守るためにこのような形になったのだろう。正攻法で攻めるには少々手強いが、魔術を防ぐための抗呪が施されていないために城攻めは案外容易に進行している。デソエの街は、強力な術者を擁した軍に攻められたことがなく、その対抗策も持っていない。おそらくカラデアも同様だろう。沙海を行軍する際に、攻城兵器を伴うのは大きな負担となる。また、現地で造りだすにしても木材がほぼ手に入らない。速度を何より重視するこの戦争では、これらの理由から攻城兵器を使用することを考えていなかった。だからこそ、今回の侵攻では、魔術師の存在が城攻めの大きな力として欠かすことができない。


 軍は今、疲労が著しい。デソエ到着までの三日間の道程で、毎晩夜襲を受けたのだ。幸い狗人兵の見張りによって大きな被害を受けることはなかった。しかし、襲撃者は必ず防備の薄い部分を狙ってきており、その度に部隊を大きく動かして兵たちを守らなければならなかった。そして、日が出ていない夜間と早朝に距離を稼ぐはずが、遅れが生じて昼間に進軍せざるをえなくなった。これによって、水不足と相まって兵たちの疲労が大きくなったのだった。


 翼人の空兵部隊が城壁へ飛び、守備兵に矢を浴びせかけ、長い柄に刀身のついた大刀を振るう。その攻撃は一瞬で、城壁の上を疾風のように飛び、そして素早く離脱した。息つく暇を与えずに地上から次々と矢が放たれる。斉射が終わると同時に空兵部隊の第二陣が襲い掛かり、敵に休む暇を与えない。城壁の上の兵たちは射ぬかれ、切り裂かれ、次々と倒れ付す。


「奴らは来ないな」

「物見からも、何の報告もありません」


 ヴァウラの言葉に、傍らのタハフが答えた。


「やはり、正面から戦えるような兵力は残っていないということか」


 夜毎の夜襲は大規模なものとはいえず、死傷者でいうと、自軍にも襲撃者側にも損害は全くなかった。撹乱して疲労させるという意味では成功しているのだが、逆に言えば強行に攻撃するような兵力がないことが推測できる。


 そして今、デソエを攻めている中で救援に現れないことが、襲撃者の兵力不足を証明していた。


「どこからか見ているでしょうな。警戒はさせているのですが、奴らの姿は影すら見えません」

「援護に駆けつけられないことを歯噛みしているだろうな。しかし、実に上手く隠れ、耳がよい奴らだ」


 夜襲の時の防備の薄い場所を見抜く観察力、攻め込む機を見極める決断力。どれもこちらの裏をかいてきた。よほど正確に情報を集めているに違いない。しかし、警戒していたにも関わらず、敵の物見の姿を全く捉えることはできなかった。


「何らかの魔術であろうという推測は正しいかもしれませんな」


 それはワセトが指摘していたことだった。しかし、魔術師たちが魔術の使われた形跡を調べていたが、発見することができないでいた。 


「だが、聖導教団の魔術師どもが知らない術だぞ。そんなものがあるのか」

「彼らも全知というわけではないでしょう。武術でも、知らない技を使われて防ぐことができないこともあります。同じことでは?」

「それはそうだがな」


 ヴァウラは不満の感情を僅かにのぞかせて、小さく頷いた。


「閣下」


 背後からの声に、ヴァウラは振り返った。呪毯に乗ったワセトがいる。


「どうした」


 話題にしていた人物の見計らったような登場に、驚きを隠しながら聞く。


「カラデアよりシューカが戻りました」

「どうした。今、デソエを攻めている最中だというのに、カラデアの話か?」


 軽い苛立ちを覚えながら、ワセトに向き直る。


「シアタカ殿が生存していました」


 ワセトは、口元に笑みを浮かべると短く言った。


「何だと?」


 ヴァウラは思わず驚きの声をあげる。


「シアタカが帰ってきたのか?」

「いえ、シアタカ殿はカラデアにいます」


 ヴァウラは無言でワセトを睨めつけた。一瞬、冗談を言っているのかと疑う。この男は得体の知れないものがある。しかし、シアタカはワセトにとっては関係の薄い紅旗衣の騎士にすぎない。思いつきで言うような名前ではないはずだ。


「意味が分からんな」

「シアタカ殿はカラデアに辿り着いたようです。また、シアタカ殿は今、蟻使いの民と共にいます」

「それはどういう取り合わせだ?冗談を言うにもほどがあるぞ、ワセト殿」


 ヴァウラが留意している言葉を立て続けに並べられると、一気に真実味が消え失せてしまう。


「重要な情報を伝達する時に、冗談は言いません」


 ワセトは笑みを浮かべたまま、ゆっくりと頭を振る。しかし、その目に宿る光はその口元には相応しくないものだ。


「ああ、すまん。分かっている」


 ヴァウラは手をあげた。どうやら、ワセトは真実を言っているらしい。


「シアタカ殿は蟻使いの民に命を救われ、客人として扱われているようです。他に、彼の従者と狗人兵がいます」

「シアタカと話はできたのか?」

「いえ。しかし、残っているシューカが接触しているはずです」


 ヴァウラは、この降って沸いた幸運をどう扱うべきか、素早く考え始めていた。

 

「シアタカ殿には、蟻使いの確保に協力するように要請する予定です」

「よくやった」


 ヴァウラは頷くとデソエに顔を向けた。使徒はさらに城壁の破壊を進めている。空兵と弓兵の進退巧みな波状攻撃も、確実に守備兵の力を削いでいた。


「今日中にデソエは陥ちよう。デソエを確保した後、すぐにカラデア攻略には向かわない。本国からの増援と補給を待ってからだ。カラデア攻略より先に、蟻使いの身柄を確保する。蟻使いをデソエに連れて来い」

「はい」


 ワセトは頷いた。


「シューカがシアタカを捨て駒にするようなことはあるか?」


 ヴァウラは厳しい表情をワセトに向けた。造人は、目的のためならば何であろうと犠牲にするだろう。生存が確認された今、シアタカを見捨てることは出来ない。一言釘を刺しておかなければならなかった。


「おそらく大丈夫でしょう。シューカはシアタカ殿の重要性を理解しています。蟻使いの身柄確保と同等の優先度でシアタカ殿を守るはずです」

「聖導教団は何を知っている?」


 ワセトの思わぬ言葉に、ヴァウラは警戒心を押し殺して目を細めた。ワセトの口振りからすると、聖導教団はシアタカの存在を認識していたことになる。紅旗衣の騎士がその身に刻む調律の力は、聖導教団によって施される。シアタカのことは、その時に知られたのか。


「おそらくは、将軍閣下と同じ程度には。我らと将軍閣下の歩む道は、同じではないですかな?」


 ワセトはそう言うと一層笑みを大きくした。


「後で話し合う必要があるな」

「はい。我々はこの戦争の先にあることを見据えなければなりません」


 ヴァウラは目を閉じた。聖導教団がヴァウラの計画のどこまでを見抜いているのか。それを探らなければならない。

 

 戦場に何度も響き渡った、使徒の『声』。


 使徒が、遂に城壁を打ち崩した。ゆっくりと、使徒の姿は薄れていく。使徒は長い時間現世に留まることができない。白き使徒は大きな力をもつ精霊だ。たとえ聖女王の眷属とはいえ、現世に召喚するためには代償として同じように大きな魔力が必要となる。白き使徒を送り還した今、魔術師たちは疲れきっていることだろう。しばらくは何も出来ないはずだ。


 待ち構えていたように、高らかに喇叭が鳴り響いていた。待機していた騎兵部隊と歩兵部隊が崩れ落ちた城壁へと駆け出す。こうなれば、デソエ守備軍はギェナ・ヴァン・ワの力に抗し得ないだろう。デソエ攻略は時間の問題だ。


 シアタカは生きていた。しかも、蟻使いの懐のうちにいる。この幸運こそ、成功を約束してくれているようだ。聖女王の加護は、まさしくこの身にある。


 ヴァウラは笑みを浮かべた。自らの名が歴史に刻まれることは間違いない。忠実なる聖女王の臣下として、ヴァウラの名は大いなる名誉とともに語り継がれるのだ。


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