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砂塵の王  作者: 秋山 和
白塵の嵐
29/220

6

「戻った者たちはこれだけか?」


 ヴァウラは、厳しい表情で帰還した恐鳥騎兵たちを睥睨した。カラデア兵を追った騎兵たちは皆、傷付き、疲労困憊している。ヴァウラの傍らには副官であるタハフが立ち、背後には二人の紅旗衣の騎士が従っていた。


「はい。追った兵は七百騎あまり。戻った者は二百騎ほどです」


 タハフは、ヴァウラの問いに無表情に答える。


「半数も戻らなかったか」

「はい。率いたのは千騎長のイッリバでしたが、討ち死にしました」

「勝手に飛び出しておいて死ぬとは、愚かな奴だ……」


 ヴァウラは小さく息を吐く。軍の最後列が襲撃されていると知った時には、すでに騎兵たちがカラデア兵を追撃していた。そして、恐鳥騎兵は叩きのめされて逃げ帰ってきたのだった。部下の手綱を握ることができなかったのは、己の責任だ。ヴァウラは己の失態を責め、部下たちの失われた魂に祈った。


「血の気の多い男でしたからな。我慢できなかったのでしょう。あの白い風によって、軍が一時的に分断されてしまったのもまずかったですなぁ」


 タハフは肩をすくめる。この他人事のような態度は、彼をよく知らない者には誤解を受けやすい。ヴァウラの副官でいなければ、とっくに左遷されているだろう。


「白い風、あれが全ての元凶だ。奴らは、あの風を利用して我らの不意を打った。風が去ると同時に襲い掛かり、素早く去る。完璧な手際だ」


 ヴァウラは腕組みすると振り返る。兵たちが、遺骸を一ヶ所に集めている。そのすぐ近くには、負傷者が集められ、癒し手による治療が始められようとしていた。駱駝や恐鳥の不満を訴える鳴き声、軍馬のいななき、武具の鳴らす音、負傷者の呻き。軍営に馴染みの音が風とともに渦巻いて、この場を支配している。


「カラデア軍の残党は、白い風が来ることが分かっていたのでしょうか」


 同じように振り返っていたタハフは、ヴァウラに顔を向けた。


「おそらくな。あの風で進軍が止まることを知っていて、我が軍の後を、そして風を追って来たのだ。さもなければ、あそこまで手際よく攻撃できるはずがない。あれだけ叩きのめしたというのに噛み付いてくるとは、骨のある奴らだ」


 戦呪に焼かれ、槍で追い立てられたにも関わらず敵の戦意は消えていない。忌々しいことだが、認めるしかないだろう。


「噛み付かれた傷は、小さくはありません」

「ああ、分かっている。これは、大きな痛手だ」


 ヴァウラは負傷した兵たちを見ながら頷く。 


「やはり、地の利はあちらにありますな」

「そうだ。ここは奴らの庭だ。我らカッラハ族が、赤き砂漠で岩を鳴らす風を道標にして家畜を追い、彼方の暗雲で涸れ川の氾濫を知るように、奴らしか知らぬ沙海の秘密があるのだろう」

「準備不足が悔やまれます」

「仕方がない。我々に選択権はなかったからな」


 沙海は、ヴァウラが遠征してきた様々な土地の中でも、特異な地だ。本来ならば、この地をもっと調査した上で侵攻しなければならなかった。しかし、功を焦った愚かな使節団と、利益を求める性急な元老院が、そんな暇を与えてはくれない。


「兵の損失も問題ですが、もう一つ重大な問題があります。水をやられました。かなりの量です」

「ああ、知っている。当座は最低限の量でしのぐ。残った量を調べて、一日辺り使うことができる量を計算させろ」


 この状況となれば、使える水の単位は、量ではなく、滴となる。砂漠を渡る遊牧民には慣れたことだが、豊富な水とともに暮らしたウルス人といった都市民にはつらいだろう。


「急ぎ調べさせます」

「いざとなれば、駱駝と馬を使うしかないな」

「血を飲むのですか」

「そうだ」


 頷くヴァウラを見て、タハフは顔をしかめた。


「嫌そうだな」


 ヴァウラは、その表情を見て苦笑する。タハフは渋面のまま頷いた。


「それは……、あの臭いと味には、いつまでたっても慣れませんからな」


 カッラハ族であるヴァウラにとっては、馬や駱駝の血で水分を補給することには慣れている。一方で、ウルス人には血を飲むという行為自体に抵抗を覚える者が多い。戦場で長い時間を過ごしてきたはずのタハフでもいまだに馴染めないようだ。


 しかし、それも無理もない。そもそも、駱駝や馬の血を飲むこと自体緊急手段であり、しっかりと兵站が機能していれば水を飲んでいればよいのだ。やたらと血を抜いていれば、駱駝や馬の体力も落ちてしまう。多くの替えを連れているならばまだしも、最小限の数で侵攻している現状では、水を血で補うことは戦力を減ずることに等しい。


「お上品なウルス人には少し辛いか。確かに、珈琲や葡萄酒には及ばんからな」


 ヴァウラは笑う。タハフは肩をすくめた。


「何より、新鮮な水が一番ですよ。水場を探さなければなりませんな」

「その水場を探すために水がいるという矛盾があるな」


 ヴァウラが答えると口の端を歪めた。


 騒がしく人々が行き交う中を、掻き分けるように長躯の兵達がやって来る。造人の兵に守られて、呪毯に乗ったワセトが姿を見せた。


「将軍閣下。水を失ったと聞きましたが」


 一礼したワセトが言う。


「ああ、その通りだ」


 ヴァウラが頷く。


「我々は湧水の術を使って水を生み出すことができます。今すぐにでも、失われた水を補給いたしますぞ。ただし、術者一人当たりの生み出す量は少ないですが」

「その魔術なら、旅の呪い師が使っているのを見たことがある。革袋一杯に水を満たすと、疲れ果てていたな」


 湧水の術を使える者は、癒し手と同じく貴重な存在だ。砂漠を渡る隊商にいるならば、王のように大事にされるだろう。


「その者は未熟ですな。聖導教団の一員ならば、もっと上手く使います。ただし、乾いた地で水を生み出す為には、自然のことわりに大きく干渉する必要があります。いずれにしても、術者には大きく消耗を強いますな」

「それならば、城崩しに支障が出る。水を得ることができても、デソエの城壁の前で立ち往生すれば、遅かれ早かれ乾き死ぬことになるな。それよりも、デソエを陥とすことが重要だ。今は、魔術師たちには回復に努めてもらいたい」


 戦呪を使った魔術師たちの疲労の色は濃い。兵ほど鍛えられていない彼らにとって、この熱砂の地を行軍するだけでも試練となるだろう。今無理をして働かせて、デソエについた時には役立たずになっているのでは意味がない。


「はい。ありがたくお言葉に甘えます」


 ワセトは深く一礼する。


 背に大きな翼を負った翼人たちが歩み寄る。先頭には、シャン・グゥがいた。


「閣下」


 シャン・グゥが進み出た。


「我ら空兵部隊に索敵を命じてください」


 シャン・グゥが怒りを湛えた表情で言う。人よりも大きな目は血走っており、彼の感情を如実に物語っていた。


「何だと?」

「敵の接近に気付けなかったのは我らが失態です。この失態を償うために、どうか索敵を命じてください。数が少ないならば、そのまま殲滅します」


 シャン・グゥは、自らと空兵部隊を“ギェナ・ヴァン・ワの目”と自認している。敵に奇襲されていいように蹂躙されたことに誇りを傷付けられたのだろう。


「馬鹿を言うな。今、お前たちに持たすことのできる水の余裕はない。この状況で本隊から離れて、お前たちは水の補給はどうする。砂嵐やあの白い風が襲ってくるのかもしれんのだぞ。お前たちは空の民だが、砂漠の民ではない」


 翼人のほとんどは、砂漠を故郷とはしていない。風や天候を読む才能は人をはるかに上回るが、砂漠で生き残る技を知っているわけではないのである。彼らの活動は、補給を得ることができる、軍という戻るべき場所があってこそ、成り立つものだ。


「それは……、仰るとおりです」


 シャン・グゥは小さく頷く。 


「気持ちは分かる。お前たちの誇りが許さんのだろう。だが、今はお前たちの出番ではない」

「は……」


 ヴァウラは、一礼するシャン・グゥの肩に手を置く。


 どんなを対策を練るにしても、この危険な状況を完全に解決できないことに違いはない。カラデア兵は、最も効果的な一撃を加えてきたということだ。


 ヴァウラは、タハフに顔を向けた。


「明日は兵を休ませよう。癒し手にはなるべく多くの兵を癒すようにさせる。デソエ攻めが成功すれば、しばらくは癒し手も休ませることができる。今は倒れるまで働かせろ」


 己の気力、体力を削って癒しの力を発揮する癒し手には、これからが本当の戦いになる。


 振り返れば、あの白い風はどこにも見えない。あの僅かな時間の出来事が、全てを変えた。この数奇な状況に、ヴァウラは知らずと笑みを浮かべていた。

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