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砂塵の王  作者: 秋山 和
白塵の嵐
28/220

5


 風に追い立てられて、白い壁が沙海を渡る。


 砂塵渦巻く壁は、天高くそびえたち、その端は見えない。その南に広がる、抜けるような青空とは対照的だ。果ての見え無い白い壁を、騎兵部隊は追っていた。


 あの壁の向こうは、砂塵が凶器となって風にさらされる者に痛みをもたらす白い世界だ。呼吸すら困難となり、吹き荒れる強い風の中では立っていることはできない。それは、ウル・ヤークス軍も例外ではない。デソエ目指して進軍していたウル・ヤークス軍も、南からやってきた巨大なワゼに背後から襲われて、吹き荒れる砂塵の中で立ち往生しているはずだ。ワゼが去ってしまえば、彼らに与えられた好機は消えて無くなってしまう。全速で駱駝を駆りながら、ワゼの後を張り付くように追う。


 ワゼに引きずられるようにして吹き付ける風に背中を押されながら、キエサはワゼの産んだ白い壁に目を凝らした。颶風ぐふうが巻き上げた砂塵の壁は白く分厚く、当然ながら目を凝らした程度では中を見通すことはできない。しかし、ウル・ヤークス軍の位置は大まかに把握している。ダカホルが“聞いて”くれたからだ。


 ダカホルは黒石の守り手の中でも、特に優れた砂聞きだ。ワゼが吹き荒れているような土地でも、その中から異なる小さな音を聞き分けることができる。沙海の隠者たちから『砂鼠の足音を聞く男』と呼ばれ、尊敬されていた。


 ウル・ヤークス軍の進軍はダカホルに正確に聞き取られていた。彼は、軍の進路、進軍する部隊の各々の位置まで聞き分け、把握してキエサに伝えた。彼らが進軍しているのはほぼ平坦な地形だ。大軍の足を乱さないためにそれは順当な判断だろう。それゆえに、キエサはダカホルに教えられた情報から進路を予想することができた。


 ワゼが沙海を蹂躙しながら遠ざかっていく。その残滓によって霞む空気の中に、身を低くしてうずくまる長い隊列が姿を現した。


「いたぞ!弓を構えろ!」


 キエサが叫ぶ。その指示は連呼されて部隊へと伝わっていく。駱駝騎兵たちは、鞍の上で矢をつがえると、弦を引き絞った。


「放て!」


 キエサの一声とともに、矢が放たれる。


 安堵の息を吐いて、体に積もった砂をはらっていたウル・ヤークス兵は、突如生じた黒い雨に気づいて驚きと恐怖の声を上げた。降り注ぐ矢は、無防備な兵達に次々と突き刺さる。


 その間にも騎兵部隊はウル・ヤークス兵へと接近している。カラデア人は騎射を得意としないが、ルェキア族は違う。駱駝を駆ることに必死なカラデア兵を横目に、彼らはすでに次の矢をつがえていた。そして、キエサの合図を待たずに一斉に矢を放つ。再び襲い来る矢の雨によって、ウル・ヤークス兵たちにさらなる犠牲を強いた。


「殺せるだけ殺せ!ただし、深入りするな!一人も欠けずに戻る!」


 キエサの声に兵達は喚声で応じた。敵は近い。カラデア兵達は、弓から剣や槍に武器を持ち替える。キエサも鞍に吊るしていた長剣を構えた。彼ら駱駝騎兵の剣は、高い鞍上から攻撃するために異様に長いものだ。


 不意をうたれた兵達は、呆然としている。そこに踊りこんだ彼らによって、そこは戦場というよりも屠殺の場と化した。


 ウル・ヤークス兵にとって、ワゼから身を守るために身を寄せ合っていたことが災いとなった。塊となって密集していた兵達は、駱駝に蹴飛ばされ、踏み潰され、槍や長剣で突き殺される。カラデア騎兵は行軍の最後尾にいた輜重部隊を蹂躙しながら突き進み、歩兵部隊に突撃した。


 歩兵部隊も、無防備な状態のままカラデア兵を迎えることになった。襲われた側の悲鳴と、襲う側の雄叫びが、渾然となって戦場に飛び交う。仲間を無惨に焼き尽くされた怒りからか、彼らの攻撃は苛烈を極めた。しかしキエサは、血に酔うな、と厳命している。そして、一部の兵達はキエサの命を受けて、敵兵には目もくれず、輜重部隊の水の入った革袋や水瓶を徹底的に破壊して回っていた。血と水がこぼれ落ち、乾いた大地に見る見る吸い込まれていく。


 キエサは容赦なく長剣を振るいながらも、殺戮に没頭することなく戦場を見渡していた。それは、撤退の機を計る為だ。キエサは、自分たちを強兵だとは思っていなかった。ウル・ヤークスの精兵とまともにぶつかれば、敗北するだろう。魔術の業火によって焼かれる前、恐ろしい形相の面頬をつけた騎兵部隊と戦った時に痛感したことだ。ここには、正面から戦うために来たのではない。無防備な敵を一方的に殺戮するために、先の戦いで敵に支払った血の代価をできるだけ取り戻すために来たのだ。優位な立場が崩れる時が、自分たちがここから撤退する時だと決めている。弱者として、卑怯に立ち回り、復讐する。それがキエサの決意だった。


 人は戦場に立つために、日常とは違う自分になる必要がある。心構えもなく白刃の嵐に巻き込まれれば、為すすべもなく逃げ回るしかない。すぐさま戦うことができるのは、余程訓練された者か、戦場が日常の者だけだ。カラデア兵に蹂躙されている歩兵たちは、そう意味では常人に近いのだろう。恐慌をきたしたまま、為すすべなく逃げ惑っているのだから。しかし、これがいつまでも続くとは思っていない。


 そして、常に戦場に心がある者たちが、味方の危機を救うために駆け付ける。最も近くにいた遊牧民の騎兵部隊が、恐鳥を駆って近付いてくるのが見えた。


「退くぞ!!」


 キエサが叫んだ。あらかじめ決めていた通り、この言葉は次々と連呼されて、カラデア騎兵たちは一斉に向きを変えて駆け出した。


 恐鳥騎兵が追ってくる。しかし、隊列とよべるような整然とした動きではなく、その足並みは乱れている。カラデア兵がウル・ヤークスに怒りと憎悪をぶつけたように、彼らも目前で仲間を蹂躙されたことで、同じ感情を抱いて闇雲に追ってきたのだろう。その闘争心には感心するが、今回はそれが命取りになる。キエサは口元を歪めた。


「ついてこい、糞野郎ども」


 振り返り、呟く。


 南東へ、水場の洞窟とは逆の方向へ彼らは駱駝を駆る。背後から恐鳥騎兵が矢を放つが、距離があるために当たる事はない。全力で駆けるカラデア兵と恐鳥騎兵はウル・ヤークス軍からみるみる離れていった。


 駆けるカラデア兵たちの眼前に、巨大な砂丘のうねりが姿を現す。小山のように巨大な砂丘がいくつも連なり、なだらかな谷のような地形となっていた。


 キエサは再び振り返った。恐鳥騎兵は今だカラデア兵を追跡してくる。


「いいぞ、そのままだ。お前らの獲物はここにいるぞ。そのまま、そのままついてこい」


 キエサは呟く。それは半ば祈りにも似た言葉だった。


 カラデア兵は砂丘の谷に入った。キエサの合図で、隊列は横に広がると、一斉に槍や長剣を砂丘の斜面に当てながら駆ける。砂丘は切り裂かれ、谷間に白い砂塵がたちこめた。


 騎兵たちはそのまま砂塵を巻き起こしながら進むと、やがて広くなった谷間で停止する。そして、来た方向に向き直ると、キエサの指示とともに弓を構えた。


 砂漠の大地を駆ける大勢の鈍い足音が聞こえる。たちこめる砂塵の向こうに、黒い影が見えた。


「来るぞ……、放て!!」


 カラデア兵は一斉に矢を放った。矢の壁は恐鳥騎兵を次々と打ち倒す。砂塵の中から突然飛び出してきた矢に、騎兵たちは驚いたようだったが、それでもなお勢いを止めることはない。犠牲になった仲間をおいて、構わずこちらに向かってくる。むしろ、恐鳥の駆ける速度は増した。キエサは彼らの士気の高さに恐れすら覚えた。


 すでに次の矢はつがえられている。キエサの命によって、それはすぐに放たれた。

 

 キエサは、その射撃の結果を見届けながら、鞍に吊るしていた山羊の角笛を持った。大きく息を吸い込むと、吹き鳴らす。鈍く低い音が響いた。


 恐鳥騎兵は犠牲を払いながらも突き進んでくる。もう矢をつがえている距離ではない。カラデア兵たちは槍や長剣を握った。


 咆哮が上から降り注いだ。


 左右の砂丘から、騎兵部隊が駆け下りてくる。駆竜に跨った鱗の民たちだった。


 キエサは、速度と持久力で劣る駆竜騎兵を襲撃には参加させなかった。そして、敵が追撃してくることに賭け、伏兵として使うことを選択したのだった。


 恐鳥騎兵の隊列へ、駆竜騎兵は楔のように打ち込まれる。槍を縦横に振るい、駆竜はその爪や牙を武器とする。恐鳥騎兵たちは必死で抗うが、崩れ落ちてきた砂に飲み込まれるように、駆竜騎兵の餌食となっていく。


「突撃!!」


 キエサが鞍上で長剣を振り上げた。


 カラデア兵たちは、喚声で応じると、一斉に駆け出した。


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