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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
197/220

11

 空には月が昇っていた。


 木々が多いこの村は、カイラハよりも夜が暗く感じる。


 出立の準備を整える兵たちを見ながら、スハイラは辺りを見回し、そして振り返った。


 分かたれし子。


 聖女王が玉座にいないことはアーシュニから聞いて知っていた。スハイラは、その偽りの王位に真の主を迎えるために、力を蓄えてきた。


 初めてアーシュニに出会ったあの日、スハイラの世界は変わった。ただの一兵卒は、何のための戦なのか分からぬまま戦場に駆り出され、なぜ死ななければ分からぬままに殺されていく。その一方で、一滴の血を見ることもなく、一片の苦痛も味わうこともなく、安楽と富を貪り肥え太る者たちがいる。彼らの狭間で苦悩し、信仰と忠誠に疑念を抱きはじめたスハイラの前に少年は現れた。それは、スハイラにとって運命であり、啓示だったのだ。


 ウル・ヤークス王国を救うために、この身を捧げる。スハイラはそう決意した。


 そして、ユハという少女と出会った。


 彼女の語ったことはアーシュニの語ったこととほとんど違いがない。それは、己が歩んできた道が正しいことだと確信させる。だが、一つ、スハイラの心を揺らすことがあった。ユハの中に在ると言う欠片。ユハが見せたあの力はまるで……。


「閣下……」


 アラムが隣に立つと、口を開いた。その声に驚き、彼に顔を向ける。


「ああ、すまない、考え事をしていたよ。何だい、アラム」  

「ユハ殿の力ですが、気付いたことがあります。ただ……」


 言いよどむアラムに、スハイラは笑みを浮かべ、首を傾げて見せる。アラムは、意を決したようにスハイラを見つめた。


「これは、あの偉大なる御方への侮辱になるかもしれません。……ですが、あえて申し上げます」

「君がそんなに勿体ぶるなんて珍しいね。構わないよ、話してくれ」

「……ユハ殿のもつあの力は、アーシュニ様の力にそっくりです」


 アラムの言葉に、スハイラは目を見開いた。やはり、そうだったのか。アーシュニに聖なる紋様が浮かんだ時に感じた力。それに近いものを感じていた。自分の感じた印象に間違いはなかったと安堵する。そして、同時に不安が湧きあがった。スハイラは、その感情を押し殺して、アラムの頬を撫でて微笑む。


「ああ、アラム、気を遣わせてしまったね。……実は私もそう感じたんだ。勿論、君のように力の性質までは感じ取れないが、どこか似ているように思えたよ」


 その答えに、アラムの表情は強張った。


「もしユハ殿の話しが真実ならば、アーシュニ様も分かたれし子ということに……」


 片手を上げたスハイラを見て、アラムは口を閉じる。


「ひとまずその話は置いておこう。他に考えるべきことが幾つもあるからね」


 もしアーシュニが分かたれし子であるならば、数ある候補の一人でしかなかったことになる。それは、聖なる力を受け継いだ聖女王の後継者という正統性が揺らぐことを意味していた。アーシュニは欠片の事を知っていたのか。それとも知らなかったのか。本人がここにいない以上、それを聞くことは出来ない。


「太守ラアシュは、欠片の事を知っているのでしょうか」


 スハイラはアラムの問いに、少し考えた後、頭を振った。


「いや、それはないだろうね。それならば、シェリウという娘を捕らえた時に、取引の材料として持ち出しているはずだ」

「確かにそうですね。だとすれば、ユハ殿の力を感じ取って自らの物にしたいと考えた。そう考えるべきですね」

「ああ、そうだね。あの娘の力は、私でさえ感じることのできるものだった。……まったく、ラアシュが夢中になるわけだ」 

「聖王教徒の束ねるための象徴として相応しい力です。傀儡かいらいとして欲したのも理解できます」

「だが、ユハはその程度の器量の持ち主ではなかったね。ラアシュは、あの娘を軽く見過ぎた」


 スハイラは苦笑する。利益と支配しか知らない人間は、その型にはめることのできない人間を想像できない。愛や情を手札や駒としか考えていないであろうラアシュと、ユハとその仲間は分かり合うことは出来ないだろう。


「閣下がユハ殿と会ったことで、太守ラアシュは何か行動を起こすでしょうか」

「ラアシュは今頃、気を揉んでいるだろうね。あるいは、私の命を狙ってくるかもしれないな」

「ユハ殿の話しでは、太守ラアシュは恐ろしい魔術の使い手のようですね」

「ああ。アトルも気付いていなかったのだろう?」

「はい。以前見た際にも、術者であることを見抜けませんでした。申し訳ありません」


 表情を曇らせたアラムに、スハイラは小さく頭を振った。


「責めてはいないよ。それだけ隠匿に優れていたということだ。あの男は、これまで己の本性を隠し、大胆に、だが、慎重に物事を進めてきた」

「しかし、ここで躓きましたね」

「ああ。ユハ、そしてその仲間たち。路傍の石だと見くびった彼らが、ラアシュの足を躓かせた」

「教会の差し向けた修行者も、太守と同じように優れた術者のようです。万一のことを考えてさらに守りを固めますが、私では力及ばないこともあるかもしれません。対策を練った方がよいでしょう」

「君なら大丈夫だ。信頼しているよ、アラム」


 スハイラは、指でアラムの頬を撫でると微笑んだ。


 ウル・ヤークス王国の転覆を企むという巨人王の信徒は、ラアシュとその一党だけではないはずだ。ドゥマムヌの一族全てなのか。他にも、ウル・ヤークスの中にどれだけ根を張っているのか。それを探らなければならない。


 面倒な仕事が増えそうだ。自分は将軍であり、はかりごとは得意でもなく好んでもいない。だが、大望のためにはやり遂げなければならない。


 大きな風が吹く。


 スハイラの脳裏に、そんな言葉が思い浮かぶ。


 ここでユハという少女と出会ったことが、予兆のように思えた。





 獅子を抱く巨像が見守る部屋で、一人の男が座り込んでいる。


 印を組み、頭を垂れ、目を閉じているその姿は、まるで巨像に祈りを捧げているようだ。


 やがて、その男は顔を上げ、目を開いた。大きく息を吐きだし、立ち上がる。振り返ると、背後に立つ二人に一礼した。


「スハイラ将軍がマムドゥマ村を出ました」

「気取られてはいないな?」


 カフラの問いに、アドギルは頷いた。


「“触れた”者はいませんでした。誰にも見付かってはいません」

「さすがに何を話していたのかは分からないか」


 ラアシュが言う。アドギルは口惜しげな表情を浮かべる。


「力を弱めていましたので……。申し訳ありません」

「責めているわけではない。気取られるなと言ったのは私なのだからな。……さて、問題はユハがスハイラにどこまで話しているか、だな」

「楽観はできないでしょう」


 厳しい表情のカフラは答えた。


「そうだな。あの女が曖昧な答えを許すとは思えない。しかし、よりによって第二軍が関わって来るとはな……」

「カイラハでラアシュ様の誘いを断ったと聞いていましたから、まさか将軍自らお出ましになるとは思いもしませんでしたな」


 小さく頭を振ったカフラに、ラアシュは頷いた。自分とは距離をとろうとしている。ラアシュは、スハイラの態度からそう感じとった。だからこそ、リドゥワで騒ぎが起きようとも、スハイラと第二軍が干渉してくることはないと考えていた。しかし、彼女は騒乱の後すぐにリドゥワに駆けつけ、それどころかユハの存在さえ把握していた。まさか、以前から自分を怪しんでいたのか。そんな疑念までも浮かんでくる。 

 

「バールク司教を笑えないな。宝玉の輝きに魅入られて、惑い、まともな判断が出来なかった。愚かな私を笑ってくれ」


 そう言ってラアシュは吐息を漏らす。それを見て、ラアシュは口の端を微かに歪めて頷いた。


「まったくですな。あなたらしくもなかった。だが、気持ちもわかります。あの娘は、ラアシュ様の大望には大きな力となる。それは間違いありません」

「だが、碧眼の君にも手痛い目にあわされてしまったな。優れた術者。手練れの間者。そして精霊。教会が追うのも無理はない」

「あの異端審問官どもも、まだ諦めていないでしょう。スハイラ将軍に接触するでしょうか?」

「それは分からないな……。あの者たちは、私の知る異端審問官とは違うように思える。私の知る異端審問官は……」


 忌まわしい記憶がよみがえり、ラアシュは微かに眉根を寄せた。


「鎧や兜のように信仰を身にまとった、杓子定規で、役人の類のような者たちだった。だが、あの者たちは、どこか違う」

「……確かに、あれは僧というよりも狩人のように感じました。隠そうとはしていましたが、あの足運びは武人の類ではありませんでしたな。どこかで見たような……」


 カフラは、顎に手を当てて記憶を探っている様子だったが、すぐに顔を上げ、ラアシュを見た。


「思い出しました。あの、ラハトという男の足運びによく似ています」

「僅かな時間、見ただけというのによく気付いたな」

「ラハトも、異端審問官も、隠そうとしていたからですよ。用心深く実力を隠そうとすることで、却って共通の流派の癖が露わになったのです」

「となると、同じ技を修めた者同士が争っているということか?」

「おそらくは……。以前、古老に聞いたことがあります。教会の影には、汚れ仕事を請け負う者たちが住まうと。かつて、イールム王国や北方の蛮族との争いで、その者たちが暗躍したと言われています」


 ラアシュは笑みを浮かべた。


「それは面白い……。こうなると、あの娘たちが本当に異端の徒なのかも怪しく思えるな。あるいは、ユハをめぐって、教会の中で争いが起きているのかもしれない。これは、いよいよバールク司教を軽んじるわけにはいかなくなったぞ」

「しかし、此度の騒ぎで、リドゥワ教会に圧力を加えるおつもりでは?」

「勿論だ。だが、その裏で、ご機嫌をとることにしよう。以前から渇望していた望みの品を渡せば、満足するに違いない」

「望みの品、ですか。聖遺物はあの者たちの手にありますが……」

「作ればよいのだ」


 笑みを深めたラアシュは、アドギルに顔を向けた。


「“累呪”は順調に育っているのか?」

「はい。マムドゥマ村の時ほどではありませんが、力は増しています」

「聖遺物の外観も覚えているな?」

「忘れるはずがありません」

「よし。準備を急ぐことにしよう。司教への大切な贈り物だ。手を抜かずに、念入りにな」

「かしこまりました」


 アドギルは深々と一礼する。


「スハイラの監視は続けてくれ。いつ動きがあるのか、彼女のように良い目と良い耳で見張っていなければならない」

「カイラハに潜ませたものに指示は出しますか?」

「いや、迂闊に接触すれば気付かれる恐れがある。今は止めておこう。……やれやれ。カイラハの薔薇は、手強いな。その美しさと棘で、どこまでも私を悩ませる。碧眼の君といい、私は実に女運にめぐまれているじゃないか」


 ラアシュの言葉に、カフラは苦笑した。


「女難の間違いでは?」

「何を言う。佳人に心悩まされるなど、男としてこれほどの幸せはないぞ」

「実に高尚な楽しみですな。私のような無粋な男には到達できない境地だ」

「人には向き不向きがある。お前に薦めるつもりはないよ」


 ラアシュは肩をすくめた。


「しかし、悩まされてばかりでは男がすたるというものでしょう。想いを寄せる佳人は、一人に絞った方が良いのでは? ラアシュ様の立つ舞台は狭い。お許しいただければ、スハイラを退場させることもできます」


 カフラの表情が鋭さを帯びた。アドギルが一歩進み出た。


「カフラ殿のお手を煩わせる必要はありません。私がやります」

「その手段も考えておくべきだが、慎重に準備しなければならないな。突然役者が降板すれば、観客たちも何事かと騒ぎ始めるだろう」


 右手を上げたラアシュは、小さく頭を振る。それを見たカフラとアドギルは一礼した。


「いずれにしても、これまでよりも考えなくてはならないことが増えた。道を誤った結果、我々は断崖を歩いている。足を踏み外せばすべてが終わる。状況が厳しくなったと、肝に銘じなければならないな」

「はい。これまで以上に注意を払います。しかし、こんな状況だというのに、ラアシュ様は何やら浮き立っているご様子ですな」

「……そう見えるか?」


 カフラの言葉に虚を突かれたラアシュは、彼を見やる。カフラは笑みを浮かべ、頷いた。


「そうか、確かにそうかもしれない……。お前と初めて出会ったころを思い出すよ。一族の者たちが血眼になって権勢を得ようとしていた中、私は生き永らえることだけで精一杯だった」

「ドゥマムヌの権勢や財は、小国の王に匹敵するもの。皆があなたの命を欲するのも無理はありません」

「あの頃のような綱渡りの日々が戻って来るのかと思うと、なぜか心が沸き立ってしまったのだ。不思議なものだな」

「折角安泰の地位を得たと思ったら、再び昔日のような苦難の日々が始まる訳ですか。そろそろ孫の顔が見たいと言うのに、心休まる暇がありませんな」


 カフラは大袈裟な溜息をついた。ラアシュは大きな笑みと浮かべ、カフラの肩に手を置く。


「だが、それを乗り越えれば、さらに高い場所に立つことが出来る。孫をあやすのはそれからでも遅くないだろう?」

「そこは、さぞかし眺めの良い場所でしょうな……」

「ああ。はるか古より積み上げられてきた、失われた螺旋の道を上った高みだ。かつての巨人王が臨み、そして、いつか必ず我らがその高みに立つ」 


 ラアシュは巨像を見上げ、呟くように言う。


「嵐を呼ぶのに、良い頃合いなのかもしれないな……。タウワーリ殿に手紙を書くことにしよう」

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