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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
196/220

10

 夕日が沈むころ、彼女はやって来た。


 以前と同じように宿として借りた村の集会所の周囲は、大勢の兵士たちによって守られている。ここには仲間たちとダリュワ以外にも、リドゥワから急いでかけつけたカドラヒとハーリオドもいる。第二軍の将軍がやって来ると聞いて彼らの顔は強張っていたが、自分も似たような顔をしているだろう。ユハは無意識に両手で己の頬を撫でていることに気付いて手を止めた。


 スハイラは、金色の髪を持つ青年だけを伴って、ユハたちと対面した。仲間たちと話し合って覚悟を決めていたユハにとって、この訪問は気が重かったが、スハイラの浮かべる柔和な笑みを見て、少し緊張がやわらいだ気がした。 


 しばらく沈黙が続いたが、スハイラは笑みをたたえたまま、おもむろに口を開く。


「さて……、聞きたいことはたくさんあるが、まずは何を話してもらおうか……。そうだな、あの時、君たちは教会に追われていた。だが、それだけではない。その前日、リドゥワにおいて太守の館が襲われた。それと君たちは関係があるね?」


 優しい口調だが、それは質問というよりも断定だった。


「……はい」


 ユハは頷く。


「ユハ、君は何者なのかな? ただの修道女などとは言わせないよ」


 スハイラは首を傾げた。ユハは拳を握り、震えそうになる声を抑え付けながら答える。


「私は分かたれし子と呼ばれています」

「分かたれし子?」

「そうです。……将軍閣下。これから私が話すことは、善き信徒からすれば不敬であり、冒涜です。愚かな娘がおかしなことを言っている。そう思われるでしょう。ですが、私の言うことは信仰に誓って真実です」


 村に到着した後、ユハは仲間たちと話し合い、スハイラに聞かれたならば全ての事情を話すことに決めていた。聖王教会の修行者たち。太守ラアシュ。今、自分たちは恐ろしい敵に取り囲まれている状態だ。そんな中現れたスハイラは、味方であるとは限らなかったが、敵の包囲を突き崩す武器になるかもしれなかった。当然ながら、そのまま王都アタミラに連行される可能性もあったが、ユハの勘が、スハイラは頼りになる人だと告げていた。 


「いいだろう。とにかく聞こうじゃないか」

「大聖堂の玉座に座っているのは、聖女王陛下ではありません」


 その言葉に、ダリュワとカドラヒ、ハーリオドは驚きの声を上げるが、スハイラと青年は表情すら変えない。やはり、話を信じていないのだろう。だとしても、自分はただ真実を話すのみだ。


「聖女王陛下は、今どこかに御隠れになっています。だけど、その力だけは欠片となって彷徨い、そして人の子の体に宿っているんです。私のこの大きな癒しの力も、その欠片が源になっています」


 ユハは、両手を合わせると、ゆっくりと開いた。そして、己の中に在る力を僅かに導きだし、形にする。掌に小さな光が浮かび、彼女を中心に緩やかな風が渦巻き始める。その場を満たす空気は、誰にでも感じ取れる程暖かくなっていった。スハイラの視線が鋭くなり、傍らの青年の目が大きく見開かれた。


「この欠片を宿した者を、聖王教会と聖導教団は分かたれし子と呼んでいます。彼らは、私のこの欠片を求めているんです」


 金髪の青年は、スハイラに耳打ちする。スハイラは小さく頷くと右手を顔に当てて思案している様子だったが、やがて顔を上げてユハを見つめた。


「君が分かたれし子というのは本当なのかな? いや、君が嘘を言っているというのではない。天才というのはいるものだ。君が、類まれな癒し手なのは確かだが、それは決して欠片の力などではなく、傑出した癒し手としての才能であるかもしれない」

「ユハの中に欠片はあるわぁ。私が保証する」


 突然の月瞳の君の声。スハイラは目を細めると彼女に顔を向けた。


「君が……? 何の資格があって欠片があるなどと保証できるのかな?」

「私が、誰よりもあのを見てきたからよ」


 月瞳の君のまとう気配が変わった。


 スハイラの傍らの青年は、愕然とした表情で、喘ぐように言った。


「あなたは……、とても古く、強い精霊だ」

「その通り。私は、聖女王陛下より『月の瞳の娘』という名を賜りし使徒」 


 月瞳の君の顔は揺らぎ、次の瞬間、そこには猫の顔があった。


 スハイラの目が見開かれる。カドラヒが息を呑み、ダリュワが思わず立ち上がった。呻き声と共にハーリオドが両手で顔を覆う。


「……偉大な獣。月瞳の君」


 呟きのようなスハイラの言葉に、月瞳の君は再び人の顔に戻り、大きな笑みを浮かべた。


「私はずっと現世うつしよであのの顔を見て、幽世かくりよであのの輝きを観てきた。そして、何人もの分かたれし子を観てきたの。だから、分かる。ユハの輝きは、誰よりもあのに似ているのよ」

「偉大なる使徒がそう仰るならば、間違いはないでしょうね」


 頷いたスハイラは、苦笑する。


 そして、ユハは修道院を旅立ち、ここにたどり着くまでにあったことを、何も隠すこともなくかいつまんで話した。聞き終えたスハイラは大きく息を吐きだすと、腕組みした。


「……君が使徒に認められる特別な存在であることは確かなようだ。だが、身に宿しているという欠片はともかく、その他の話が本当なのか、判断するには材料が少なすぎる。まさか、私が直に大聖堂に赴いて、真実を尋ねるわけにはいかないだろう。ただでさえ私は評判がよくないんだ。その上で背教者の噂をたてられてしまっては、経歴に傷がつくどころではすまないからね」

「はい、それは分かります」

「だが、もし君の語ったことが真実ならば、我々は長い間、偶像に祈りを捧げ、忠誠を捧げ、命を捧げていたことになる。それは、王国臣民、信徒に対する許されざる背信だ。ウル・ヤークスを守護する軍人として、私も許すことは出来ない。真実だと確信した時、私は聖王教会に黙ってはいられないだろう」


 穏やかな口調のスハイラの目に憤怒の光が宿ったように思えた。ユハは無言で深く頷く。


「あなたは真実を知ってしまった。そして、この事をどう扱うのか。その判断はあなたに任せるけれど、私たちはユハを守る。それは決して揺らがないわ。もしこのを奴らに渡すと言うのなら、使徒の怒りに触れることを覚悟するのねぇ」


 月瞳の君はそう言うと右手の人差指と中指を立てた。指先から、鋭い鉤爪が伸び、そして消える。 


「やれやれ……。巨人王の信徒に、聖王教会。そして君を守る仲間たち。引く手あまただね。本当に罪な娘だ」

「あの人たちが求めているのは私自身の力ではないので。私自身にはなんの力もありませんから……」


 ユハは自嘲の笑みを浮かべる。


 スハイラはユハを見つめたまましばらくの間沈黙していたが、小さく頭を振り、口を開く。


「……ユハ、自分を貶めるということは、自分を大切に想ってくれる人たちを貶めていることだと覚えておいた方が良いね」

「え?」

「君は、自分を信じて困難に立ち向かい、ここまでやって来てた。己を信じているならば、それを誇り、胸を張って顔を上げるべきだ」

「それは……」


 スハイラの思わぬ言葉に、ユハは咄嗟に答えが浮かばない。


「鏡にうつった自分しか見えていないような者は話にならないけれど、少なくとも君はそんな人間ではないだろう? ただ腕前の良い癒し手に、命を懸ける者などいない。君の仲間は、君を守るために大きな怪我を負ったり、そして、我が第二軍にさえ立ち向かおうとする」


 スハイラは笑みと共にダリュワに顔を向けた。カドラヒは驚きの表情を浮かべて彼を見るが、ダリュワはそれにはかまわずスハイラをそして、ユハを見つめた。


「確かに俺たちはお前の中に在る力によって助けられたのかもしれない。だが、それを振るったのは、ユハ……、お前自身の、そしてシェリウ、ラハト、……シア、皆の誠意と善意だ。だから、俺たちはそれに相応しい物を以てその恩に報いる。そして、それが命だったというだけだ」


 ダリュワの真摯な眼差しを受けて、ユハは俯いた。迷いと躊躇い、そして自分の中に在るはるか昔の追憶が心を刺す。


 立ち上がったスハイラは、ユハの肩に手を置いた。ユハが顔を上げると、スハイラは顔を寄せた。


「皆が命を懸けるに相応しい者として、誇りを持ちたまえ。だが、傲りになってはいけないよ。それで身を滅ぼした者は数知れないからね」

「誇りを持つ……」 

「そうだ」


 微笑んだスハイラは、ユハの頬を一撫でした。その感触に、ユハは思わず驚きの声を上げる。視界の端でシェリウの目が鋭くなるのが見えた。


「ラアシュが巨人王の信徒であり、聖女王陛下の御世を覆そうとしている事。それを簡単に信じることは出来ない。ドゥマムヌの一族は、本家、分家を含めてこの地方では大きな勢力を持っている。その長がラアシュだ。彼に叛意があるなどと言い出せば、一族全てを敵にまわすことになりかねないからね。私個人としては、ユハ、君の事を信用できると思っている。だが、確信が欲しい。聖女王陛下の事、ラアシュの事。もっと情報を集める必要がある。決断を下すのはその後だ」

「はい。私たちは、村に留まっておけばよいでしょうか?」


 ユハの問いに、スハイラは頭を振った。


「君たちにはある程度の自由は与える。この村に閉じ込めておくことはない。この州から出ない限り、自由に出歩いても構わないよ。ただし、兵を数人置いていく。その者たちが同行するのが条件だ」

「監視……、ということですね」

「それもあるが、君は餌でもあるんだ。とても美味しそうな餌が鼻先をうろついている。そうなれば、我慢できずに色々な獣が寄って来るだろう?」

「囮にして、その獣の尻尾を掴もうってことね」


 楽しそうに月瞳の君が言う。スハイラは笑みと共に頷いた。


「君の秘密について、私が知ったということは伏せておくよ。彼らに聞かれてもとぼけるつもりだ。その後の駆け引きや取り引きの材料に出来るかもしれないからね。不安に駆られて浮足立ってくれれば、こちらとしても大いに助かるな」


 その後、スハイラはこれからの事をいくつか話し合い、集会所を出ていった。安堵と疲労に襲われて、思わずユハはうつむいた。


「お疲れ様、ユハ」


 シェリウが、両肩に手を置くと言う。


「はぁ……、ただ圧倒されただけだったなぁ」


 ユハは、溜息と共に天を仰いだ。


「仕方ないわ。やっぱり将軍だけあって、迫力がある人だったものね。あたし、修道院長を思い出したわ」

「……ああ、そういえば、ちょっと似てたなぁ」


 ユハはシェリウと顔を見合わせて笑う。そして、月瞳の君に顔を向けた。


「月瞳の君、口添えしてもらえて助かりました。私だけだと、信じてもらえなかったかもしれません」

「どうかしらねぇ……。あの子、何かを知っている気がするわ」

「え? どういうことですか?」

「どこまで知っているのか分からないけれど、少なくとも今の玉座にあのがいないことは薄々感じていたのかもしれないわね」 

「そうですか……」


 自分が話し始めた時に驚きもしなかったのは、元々知っていたからなのか。それならば、スハイラが自分を信じてくれたのも分かる気がした。


 大きな咳払いと共に、カドラヒが立ち上がった。ユハを一瞥すると、月瞳の君の前に立つ。 


「偉大なる精霊様……。これまでのご無礼をお許しください」


 カドラヒは、言葉と共に胸に手を当てて深々と礼をした。


「やめてよ。私の正体を知らせるのはここにいる人だけよ。これまで通りシアでいいわ」


 月瞳の君はひらひらと手を振る。


「そう言ってくれると思ってたぜ」


 顔を上げたカドラヒは、おどけた表情を浮かべていた。ユハたちを見ながら言葉を続ける。


「ユハとシェリウが修道女で、シアが使徒か。道理でただのお嬢さんじゃないと思ったぜ」

「でしょう? 私の溢れ出る気品は、隠しても隠し切れないものねぇ」


 月瞳の君の答えに、カドラヒは苦笑と共に頷いた。


「それで、これからどうする? 今なら不意をつける。ここから逃げ出すか?」


 ラハトが言った。ユハは、ラハトが本気で勧めていないことは分かっていた。だが、こうして自分が考えることのできない角度から、思いもしない意見を提案してくれることはありがたかった。


「約束は守ります。私たちが急に姿を消せば、皆さんにも迷惑がかかると思うんです」

「だが、敵に囲まれていることに変わりがない」

「それは……、そうですけれど」


 ユハは返答に窮して口ごもった。確かに、自分は敵の手が届く所にいる。スハイラ将軍がいるとはいえ、危険な状況であることは確かだ。


「群れることだ」


 これまで黙っていたハーリオドが短く言葉を発した。


「え?」

「身を守るために、大きな群れを作るんだよ。牛が大勢で角を突き出して子牛を守っていれば、豺狼ジャッカルも恐鳥も手が出せんだろう? 名を売って味方を増やす。そうなれば、群れは大きくなり、敵も迂闊に手を出せなくなる」

「徒党を組んで言うことを聞かせるってことか。悪党どものやり口だな」


 カドラヒは、口の端を歪めた。ハーリオドは、カドラヒを睨みながら答える。


「俺たちがそうだろうが。この街でやっていくために、お前が人を集めて、強く、大きくなった。そして、国が、その最たるものだ。武器と金を持った奴らが群れ集い、弱い者を従えて、周りの者を威嚇する。ユハも、同じことをやればいいんだ」

「群れる……ですか」


 思いもしなかった言葉に、ユハは目を瞬いた


「あの将軍がいつまで味方なのかも分からん。この地に留め置かれる以上、自分の身は自分で守る必要があるぞ」

「あの人は頼ることができると思います」

「お前さんの勘は信用する。だが、将軍はあくまでウル・ヤークスという大きな組織の一員だ。上からの命令を聞かざるをえない時がやって来るかも知れんだろう。その時には、孤立無援だ」

「ハーリオド爺さん、ユハを脅してどうする」


 カドラヒが顔をしかめる。


「俺たちの命もかかっとるんだ。言いたいことは言わせてもらうぞ。今さらユハも俺たちも他人だと言い張って、それが通ると思うか? 傍から見れば、俺たちは、ユハとその一党だ」


 ハーリオドは厳しい表情で言葉を続けた。


「俺たちはたまたま同じ船に乗り合わせて、嵐にあっちまった。正教派の言い方を借りれば、同じ船に乗る者たちだ。互いに助け合ってこの嵐を乗り切るしかないだろう。大波と大風で船から落っこちそうな時に、悠長なことは言っておれんからな。それに、教会がユハたちを異端として諸教派に繋がりがあるなどと言い出せば、そのまま弾圧する口実にされるかもしれん」

「それは……」


 思いもしなかった可能性に、ユハは絶句した。確かに、リドゥワの教区の僧たちならば、そんな暴挙にでることは大いにあり得るように思えた。


「このままお前たちだけで戦っていても権力には勝てない。俺たち程度が手を貸しても大して違いはない。取り囲まれて、押し潰されて、いなかったことにされてしまう。そうならないために、周りに自分の存在を知らしめるんだ。そして秘密を武器にする」


 ハーリオドはユハを見据え、ゆっくりと指差した。


「あの将軍も、そのつもりでお前さんの尻を叩くようなことを言ったんだろうよ。ユハ……、お前さんは今、市場に売りに出されてる。この市場は騒々しくて、ケチな商人が大勢いる。奴らは、お前さんをいかに安く買い叩くか、手ぐすね引いて待ち構えてる。だが、お前さんがただの家畜や奴隷と違うのは、己の値を己で吊り上げることができることだ。その上で、買い手の頭をはたいて市場を出ていくことさえできる。ただし、それは誰にも買えないほど値を上げることが出来たら……、の話しだ」

「面白くなってきたな。そういう話なら、手を貸すぜ、ユハ。でっかい商いをしようじゃないか、なぁ」 


 カドラヒが笑う。ダリュワも強く頷いた。

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