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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
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9

 混乱に陥る縞馬騎兵の群れから飛びだした紅旗衣の騎士たちは、解き放たれたように広がり、鏃のような隊列をとる。


 すでに投槍は使い尽くした。敵を屠るためにはその前に立ち、手にした刃を振り下ろすしかない。


 凄まじい速さで恐鳥を駆り、戦士たちに迫る。


 唸り声と共に駆けてくる蟻使いの戦士たちは、こちらを恐れる様子もなく整然とした横隊を維持したままだ。足並みに乱れはなく、それが練度の高さを物語っている。蛮族の戦士の寄せ集め。そんな先入観を打ち砕く動きだ。


「選り抜きというわけか……。面白い」


 ファーダウンは呟く。


 紅旗衣の騎士は自分たちの役割を果たした。


 カラデア軍の進軍を乱し、縞馬騎兵の隊列を引き裂いた。すでにこちらに向かってくる歩兵部隊は近い。一端ここから離れて、合流する頃合いだ。歩兵部隊を金床に、自分たちを鎚として再び敵を打ちのめす。その前に手土産の一つでも持って帰りたいところだ。


 高まる唸り。


 近付く足音。


 そして戦士たちの発する声は絶叫となり、同時に鋭い音共に風を切り、何かが飛来した。


 投槍だ。


 紅旗衣の騎士にとって、それは朝の挨拶と代わりがない。身を低くして、盾を構えて飛来する白刃に備える。騎士たちは投槍を受け流し、受け止め、弾き飛ばした。屋根を打つ雨音のように、連続した金属音が響く。


 無事を問うファーダウーンの声に、騎士たちは鋭く応えた。


 迫る戦士たちの方から、戦場に似つかわしくない澄んだ高い声が響き渡る。それは、祈りの先唱にも似た美しい響きを帯びた声だ。


 ファーダウーンの遠目は、シアタカの傍らで恐鳥を駆る少年の姿を捉える。


 その声を合図として、横隊を組んでいた戦士たちはすぐに散り散りに広がり始めた。それは、恐れをなした兵たちが算を乱して潰走しているように見える。しかし、その統率された足並みは決して恐怖に駆られた臆病者の動きではなく、旺盛な戦意に駆り立てられた勇士たちの動きだ。よく見ればある程度の人数でまとまり、小隊単位で散らばっていることが分かる。


 この時代、世界中のほとんどの軍隊は密集していなければ、その形を保つことが出来ない。高度な訓練を受けていない兵士や戦士は、同胞と肩を並べていなければ己のすべきことを見失い、小さな切っ掛けで士気を挫かれ、部隊は崩壊する。

 

 しかし、絶叫と共に駆けてくる蟻使いたちはばらばらになった。それだけ自分たちの練度に自信があるということだ。自分のすべきことを弁えている兵士は強く、恐ろしい。


 戦場に散らばった彼らは一定の間隔を保ったままこちらに駆けよる。小集団のどれかに襲い掛かれば、近くにいる他の小集団に攻撃を受けるだろう。敵は、この戦場で兵力を線ではなく面で配置していることになる。


 戦士たちは、紅旗衣の騎士の隊列が近寄れば離れ、距離を測りつつ再び近付いて来る。正面から騎兵の突撃を受け止めずに、浅く切り裂くように攻撃してくるのだ。大きな本隊が存在しないために、騎兵突撃も目標を失うことになる。


「搦め手を覚えたのか。成長したな」


 シアタカは紅旗衣の騎士を足止めし、縞馬騎兵の体勢を立て直す時間を稼ぐつもりだ。まともに戦うことはなく、味方を待つ。手にした棒で土塊を砕くことは出来ても、一面に散らばった砂には役に立たない。小勢を追い回して各個撃破していったとしても、体勢を立て直した縞馬騎兵に取り囲まれてしまうことになる。


 紅旗衣の騎士は、攻勢に特化した集団だ。


 それは、彼らが柔軟性に欠けた兵士ということではない。戦乱の時代を経て、ウル・ヤークス王国軍はその練度と組織力を高めた。それぞれの部隊が役割を分担することで戦場を効率よく支配することに成功したのだ。その中では、紅旗衣の騎士も役割を分担する部隊の一つにすぎない。そして、その衝撃力の高さと行軍の速さという能力がある為に、常に戦いの決定的な場面で投入されて来た。


 聖戦の頃までさかのぼれば、紅旗衣の騎士団は敵を誘うために敗走を装い、岩陰や森の中で何日も待ち伏せし、砦にこもって敵と同時に飢えとも戦った。しかし今や、紅旗衣の騎士はそんな苦労をすることもなく、戦場に打ち込む楔としての役割を果たすだけになっていたのだ。


 シアタカは、そんな楔としての役割しか知らない世代の紅旗衣の騎士だ。これまでに旗の館では軍学を学び、様々な戦場を想定しているだろう。しかし、それを実践で活かせるかどうかは別の問題だ。攻勢の戦いしか経験してこなかった軍人が、こんな駆け引きを仕掛けてくる。それはファーダウーンにとって驚きであり、そして愉快でもあった。


 手土産にしたかった男の首は戦士たちの群れの向こうだ。犠牲を厭わずに突き進めばあるいは辿りつけるかもしれないが、これから待つ決戦の事を考えれば、無益な愚行だろう。シアタカにしてみれば、己を餌にしておびき寄せるつもりなのかもしれない。シアタカの前に立つ頃には、周りを戦士たちに取り囲まれているということになる。


「ファーダウーン! 縞馬騎兵が来るぞ!」


 副隊長の声に、振り返る。


 乱れていた縞馬騎兵の隊列が急速に整いつつある。もう残された時間は少ない。


「抜けるぞ! 騎兵部隊を掩護する!」


 ファーダウーンは叫ぶと、騎鳥の鐙を強く蹴った。戦士たちの群れの中に見える最短の道。それを見出し、駆ける。


 紅旗衣の騎士の動きの変化を感じ取ったのか、逃げるように散らばった戦士たちの中で、あえてこちらに向かってくる一団があった。


 先頭を駆けるのは長身の男で、鞍上のファーダウーンとほとんど目線の高さが変わらない。その巨漢ぶりは、マウダウ団長を思い出させた。その手には、重装歩兵の長槍に匹敵する長大な槍を持っている。その男は、歓喜に満ちた高笑いと共にファーダウーンを見据えた。


 構わず駆ける騎士たち。 


 雄叫びをあげた巨漢は、すれ違いざまに槍を振るう。その大きな穂先を、ファーダウーンは槍をしならせて受け流し、弾いた。


 男は泳いだ槍を強引に返して、突く。凄まじい膂力と技量がなければ不可能な芸当だ。槍では間に合わない。ファーダウーンは咄嗟に身を伏せながら体をひねると、穂先は肩甲を削りながら掠めた。しかし、それだけでも鞍上から体が剥ぎ取られそうになる。


 捻った上体を戻す力を利用して、槍を横合いに振るった。


 男は槍の柄でそれを受け止める。


 駆け抜けるファーダウーンに続く騎士が、男へ槍を繰り出す。男は転がるように背後へ逃れた。周囲の戦士たちも次々と騎士たちへ槍を向けるが、一合二合と、打ち合うだけで、すぐにその場を駆け抜けてしまった。


 背後から、巨漢の不満げな叫びが届く。


 ファーダウーンは肩に担いだ騎兵槍の穂先を軽く振って見せた。穂先の飾り帯が風に大きく揺れる。


 戦士たちは恐鳥の俊足についてはこれない。ファーダウーンは鳥を駆けさせながら振り返ると、引き離したことを確認した。追ってくる戦士たちの群れの中で、鞍上にいるシアタカの顔が見えた。遠く、その表情は分からないが、シアタカは今、自分を見ていた。なぜかそう感じた。


 沙海の果てで何を見て、何を思ったのか。シアタカと言葉を交わしてみたかったが、残念ながら今はその時では無いようだ。また運命の風がめぐり合わせてくれるならば、再び戦場でまみえることもあるだろう。その前に己かシアタカの運命が途切れなければ、だが。


 紅旗衣の騎士が向かう先では、すでに重装歩兵部隊と蟻使いの戦士たちが激突していた。


 重装騎兵の隊列は完全に崩壊しているが、大蟻と戦士たちの矛先が重装歩兵部隊へ向かったことで、すぐに統制を取り戻すだろう。そこに紅旗衣の騎士が合流すれば、蟻使いの戦士たちを挟撃することができる。


 敵との距離を測りながら駆けるファーダウーンのうなじに寒気がはしった。灼熱の砂漠にありながら身を震わせるような感覚に襲われて、思わず振り返り空を見上げる。


 その気配の源は、後方から飛来した。小さな点に見えたそれは、すぐに確認できるまでに近付く。翼を広げて飛ぶ小さな灰色の鳥だ。


 その姿が記憶を刺激する。


 カラデア人が死守する岩塊群ガノンを攻めた時、戦場に飛び込んできた鳥。


「……まずい」


 呟きが漏れる。 


 凄まじい速さで飛ぶ鳥は、すぐに歩兵部隊の上空へ達する。


 次の瞬間、光を帯びた風が渦巻いた。





 キシュが黒い波となって駆ける。


 重装歩兵たちは号令一下、方形の盾を地面に突き刺すように並べると、連なる一つの壁となってその突進を受け止めた。


 重装歩兵の壁は、前列の兵だけではない。後方の兵たちも合力して支えるために、完璧な連携によって構築された守りの陣形は、大きな魔物や獣でも簡単には崩せない。キシュの猛烈な突撃も、大きな音とともに受け止めて見せた。


 間髪入れずに兵士たちは槍を繰り出す。それは何度も訓練を繰り返して培われた素早い動きだったが、それゆえに、腰より低い位置までしかないキシュ相手には、その背を穂先で削ることしかできない。


 しかし、すぐにその動きを修正してくるだろう。


 彼らの腕前を良く知っているハサラトは、その事をよく分かっていた。


 今、自分たちはここに釘付けにされている。


 キシュや戦士たちが何度も攻撃を繰り返しているが、歩兵部隊は鉄壁の守りでまったく揺らがない。重装騎兵が統制を取り戻すための時間を稼いでいるのだ。もしこのままここで時を費やすならば、自分たちが歩兵部隊と騎兵部隊に噛み砕かれることになる。


 戦士とキシュを一点に集中させて、強行突破する。


 ハサラトは、今自分たちが取るべき手段はそれしかないと決断した。


 戦士とキシュが一つの塊となって盾の壁を押し倒す。しかし、その攻撃が押しとどめられている間、自分たちは左右から歩兵の包囲にあう可能性も高い。いずれにしても、こちらの大きな犠牲を払わなければならない決断だった。


 ハサラトが口を開こうとした瞬間。


 上空で眩い光が瞬いた。


 見上げれば、小さな鳥が通り過ぎる。鳥は、歩兵部隊の上空で、渦巻く光の風となった。


 ワンヌヴとラ・ギ族に呼び出された精霊だ。そのことを悟ったハサラトは、叫んだ。


「精霊だ! 皆、退け!!」


 呼び出される精霊は、ごく短い時間しかその力を振るうことが出来ない。その為この戦場においては、勝利をもたらすための決定的な瞬間、あるいは危機的な状況で投入されることになっている。つまり、ここが戦場で最も危険な場所ということだ。


 これから起こることを聞かされていたキシュと戦士たちは、上空で起きる超常の力の顕現に驚きながらも、慌てて後退を始めた。一方の歩兵たちは、その光の乱舞に呆気にとられて、キシュガナンを追うこともしない。 


 光の渦はすぐに光の霧となって宙に散り、そこに巨大な姿が舞っている。


 砂漠の激しい陽光を受けて鮮やかに輝く巨大な緑色の蛇。羽毛の生えた翼を大きく打ち振るい、長い体をくねらせた。


 大蛇はその口を大きく開いた。聞いたことのない音が鳴り響く。それは青銅の鐘の音のようだったが、ひずんだ、うねるような奇妙な響きをもっている。


 次の瞬間、大蛇は歩兵部隊の隊列に飛びこんだ。


「伏せろ!」


 ハサラトは叫びながら手綱を強く引き、恐鳥を地に寝転ばせる。周囲の戦士たちも跳ぶように腹這いになった。


 響く音は高くなっていき、そして耳を震わせる甲高い金属音に変わる。そして、凄まじい突風が吹き荒れた。






 “みどりの翼”が隊列に踊りこんだ瞬間、放射状に砂が舞い上がった。


 小高い砂丘の上にいるキエサの顔にも、強い風が吹き付ける。 


 何十人もの兵士が小石のように吹き飛ばされ、精霊の尾によって薙ぎ倒された。涸れ川(ワジ)に流れ込む大水のように、兵士の隊列の中で大蛇は暴れ回る。


 この瞬間、戦場全体が凍りついたように止まり、ただ歩兵たちの悲鳴が響いた。


 遮る者も無く歩兵たちを蹂躙した“みどりの翼”は、僅かな間に多くの死と苦痛を撒き散らし、そして再び光の風となって姿を消す。後には、苦痛に呻き、あるいは放心する兵たちを残した。


 すぐに、喚声と共にキシュガナンの戦士たちが駆けだした。槍を手に、兵士たちへ襲い掛かる。同時に、動きを止めていたウル・ヤークスの騎兵たちも苦境に陥った味方を救おうとそれぞれの部隊が歩兵たちの元へと向かった。


 混乱に乗じたキシュガナンの追撃によって、歩兵たちは次々に倒れ伏すが、すぐに駆けつけた紅旗衣の騎士が割り込む。隊列を立て直しつつある重装騎兵部隊も近い。その後ろから、シアタカの率いる“あかがねの刃(ウィシ・アリカリ)”や、縞馬騎兵も向かっている。


 激しい戦いの中で、歩兵部隊は後退を始めた。紅旗衣の騎士がキシュガナンとの戦いを引き受けている。戦場の外縁でルェキア騎兵と競り合いを繰り広げていた軽装騎兵部隊も、この激戦を支援すべく動き始めていた。 


 押すか。退くか。


 戦場の兵力が一点に集中しようとする中、キエサは逡巡した。

 

 歩兵たちは、装備を投げ捨てて背を向けて駆け出している。駆けつけた紅旗衣の騎士と重装騎兵がそれを守るように盾となっていた。その守りに、キシュガナンの攻勢も勢いを弱める。


 騎兵部隊の堅い守り。そして疲れの見える味方の動き。


 キエサは決断した。 


「アシャン! キシュに止まるように伝えてくれ!」


 キエサの言葉に、アシャンは強く頷いた。


「軍を止める! 追うなと伝えろ!」


 控えていた伝令兵に指示する。ルェキア族の兵は、すぐに駱駝で駆け出した。


 戦場に満ちていた剣戟の音と喚声は、静けさと共に引いていく。カラデア同盟軍は足を止め、互いに守りあいながら退却していくウル・ヤークス軍を見送る。


 やがて、戦場に満ちていた砂塵も風に追いやられていった。


 隣に立つアシャンが大きな安堵の息を吐く。


 彼女を一瞥したキエサは、その肩に手を置いた。顔を上げたアシャンに、頷いて見せる。弱々しい笑みを浮かべた彼女の肩を軽く叩くと、振り返った。


 北から迫る敵の姿はまだ見えないが、残された時間は少ない。最初の難関を越えることはできたが、その次に待つ困難は、この戦いの比ではないだろう。


 キエサは、退却する兵たちの向こうにある、岩塊群ガノンを見つめた。

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